はてなキーワード: 早川書房とは
http://anond.hatelabo.jp/20170414013324
名前 | 2016年のベスト(一部2015年) | リンク | 所感等 |
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週刊文春ミステリーベスト10 | 国内 『罪の声』塩田武士 海外『傷だらけのカミーユ(文春文庫)』ピエール・ルメートル | 年末恒例! ミステリーベスト10 - 週刊文春WEB | 40回も続いている老舗。 |
このミステリーがすごい! | 国内 『涙香迷宮』竹本健治] 海外 『熊と踊れ(ハヤカワ・ミステリ文庫)』アンデシュ・ルースルンド、ステファン・トゥンベリ | ― | 1988年~ |
本格ミステリ・ベスト10 | 国内 『聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』井上真偽 海外 『ささやく真実 (創元推理文庫)』ヘレン・マクロイ | ― | 1997年~ |
ミステリが読みたい! | 国内 『真実の10メートル手前』米澤穂信 海外 『熊と踊れ』アンデシュ・ルースルンド、ステファン・トゥンベリ | ― | 2007年から早川書房が実施。 |
SFが読みたい! | 国内『夢みる葦笛』上田早夕里 海外 『死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)』ハーラン・エリスン | 2016年のベストSF小説は? 『SFが読みたい!』ランキング特別公開 | 1990年から早川書房が実施。 |
映画本大賞(キネマ旬報) | 『日本映画について私が学んだ二、三の事柄〈1〉―映画的な、あまりに映画的な』山田宏一 (2015年発行が対象) | 【公式】映画本大賞 2015 結果 | キネマ旬報 | KINENOTE | ハイコンテクスト。 |
歴史・時代小説ベスト10(週刊朝日) | 『室町無頼』垣根涼介 | 週刊朝日「2016年 歴史・時代小説ベスト10」を発表! 〈PR TIMES〉|dot.ドット 朝日新聞出版 | ちなみに『この時代小説がすごい!』(宝島社)は過去3年は12月に発行されていたが2016年版は発行されていない。 |
色んな媒体で作品化された際、どういった順序で見るのが一番楽しめる(個人の感想です)のかを紹介。
何を根拠に並べているのかというと表現技法と情報量について、だ。
小説→アニメだと原作との突き合わしによる矛盾とかが出てきてしまい、視聴の障害になりやすい(個人の感想です)。
これがアニメ→小説だとアニメで語られなかったことやアニメとの相違点を素直に別作品として受け入れられる(個人の感想)。
よく原作組はアニメの出来にイチャモンや難癖を並べているのも、自分の中で膨らました小説のイメージが再現されなかったからである。
これがアニメ→小説なら最初から別物であると割り切って門をくぐるので余計なぶつかり合いが無い。
その間に漫画があるのは、消化しやすいとか、アニメという絵が付いた媒体から音を無くして入り込む段階とかそんなところ。
本当は最後に持っていきたいところだが、映画は現在公開されていくのが観に行く正義なのでやってほしい。
特に映画公開時期で話題が高騰しているので時間的制約からアニメと漫画くらいしか消化できないだろう。
ドラマCDは本編と関係ないサイドストーリーが多いので一番予備知識いると思う。
なので最後に消化するのが一番よい。
というわけで2017年公開予定、弐瓶勉のSFアクション漫画作品の映画「BLAME!」をよろしく!!!!
BLAME!は小説、ドラマCDがないから漫画だけで予習できるぞ!
ちなみに新装版も発売されているがぶっちゃけ古い方がオススメだ。違いはちょっとした書き直しや表紙の書き直しだが旧版の方が味あっていいです。要らん。
あと次の情報も要注意↓
2月16日(木) ”ツトムの日”に、『BLAME!』劇場アニメ化記念「シドニアの騎士」一挙放送が決定!
↑シドニアの騎士は有名だろうが、BLAME!はまさに人を選ぶ作品だ。
この面白さを理解できるやつと酒を飲んで喧嘩して絶交する。ドン!弐瓶勉ワールド。
追記:
>冲方丁によるノベライズ、小川一水・九岡望・飛浩隆・酉島伝法・野﨑まどによるアンソロジー、という超豪華メンツによる小説版が待ってるぞ。>BLAME!
映画化は継ぎ接ぎだ。
ある状況下において必要だった形質も、喉元すぎれば不要になる。その場その場で必要であった言葉の集合、小説の文体は場当たりの継ぎ接ぎでできている。映画化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。エンタメは、いやすべてのコンテンツは膨大なその場しのぎの集合体なのだ。
だとしたら。我々読者が獲得したこの伊藤計劃なる奇妙な作家を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあるのだろう。『ハーモニー』は、『虐殺器官』は、すべて時代への適応として作家が描出したにすぎない継ぎ接ぎの一部だ。死後の評価も、映画化の「プロジェクト」も、すべて「ある時代で」においてのみ、皆が生きるために必要だったから、SFというジャンルの生存に寄与したから存在しているだけだ。
かつて読者には、怒りが必要だった。
かつて読者には、喜びが必要だった。
かつて読者には、哀しみが必要だった。
かつて読者には、楽しみが必要だった。
1990年代(かつて)、2000年代(かつて)、伊藤計劃が生きていた時代(かつて)。
かつて読者には、「これ」こそがわたしであるという思い込みが必要だった。
<list:protocol>
<p:その他パンフ等を入念にチェックする>
</list>
「大丈夫。わたしは観られる」
そうつぶやくと、斜面に並べられ、ふかふかのウレタンの詰まった座席に腰を沈めた。
「やあ、読者。七年ぶり、だよね」
「でも、仕方なかったって言うんでしょうね、きっと」
「ええ、言うわ。『仕方なかった』」
わたしは例の盗撮注意CMを聞いた。映画泥棒がパトランプの白い指先をかすめ、法で定められた条文が読み上げられる。
「わたしにとっては、仕方なくないわ」
「そうだね。でもこれ以上衰退させるわけにはいかないんだよ。わたしたちの世界(SF)をね」
「そう。わたしたちの望みはね、伊藤計劃読者のハーモニクスなの」
わたしはね、永遠と人々が思っているものに、不意打ちを与えたい。
わたしたち三作の死が、その一撃なの……。そうわたしは聞いた。世界って変わるの。
わたしたちにとっては、すべてが変わってしまうわ。
「ついに、わたしたちはここまで来た」
「ここまでって」
業界の幸福を目指すか。真理を目指すか。読者は<天才の夭逝>のあと幸福を選んだ。まやかしの永遠であることを、自分は進化のその場その場の適応パッチの塊で、継ぎ接ぎの出来損ないなコンテンツであることの否定を選んだ。人格を圧倒すれば、それが得られる。すべて、わたしたちが読んでいるこの世界のすべてをシノギに置換すれば、それが得られる。読者はもう、戻ることのできない一線を超えてしまっていたんだよ」
わたしは画面にくぎづけになったまま、戸惑いの表情を浮かべる。
それを憎んでいたのは、
誰よりも否定していたのは、
「そ、わたしは『意識のない』作家の一員。というより、生を必要としない作家の一員、と言ったほうがいいかな。生を獲得した今となっては、だった、って過去形になっちゃうけど。わたしの生はあなたたちのそれとは管理する現実のセクションが違うんだよ。TOHOアニメーションと早川書房の一部でエミュレーションしている、らしい。わたしのプロジェクトはね、ここで生まれたんだ」
性器が屹立したような桃色の建造物の群れ。『チャージマン研』のころの未来像。
「ここはね、アニメのスタジオだった。書店から誘拐された原作本(おんなのこ)たちが、ここで毎日アニメーターにやられてた」
「わたしにのしかかってきたプロデューサーはね、わたしに繰り返し繰り返し入れながら、原画と台本をわたしに触らせてた。これがアニメだ、これが贈与だ、これが力だって言いながら、まるで自分のもうひとつのペニスをさすらせ、しゃぶらせるようにわたしの口にredjuiceを突っ込んで、何度も何度も突き入れた」
わたしは計劃の話を聞きながら、既に涙を流していた。
これほどのことを、こうもにこやかにさわやかに話すことのできる意識。
「そうして突き入れられて、台本を修正校でべたべたにしているときに、わたしは生まれたの。このスクリーンのなかには、LINEスタンプも新装カバーもコミカライズも特集もトリビュートアンソロジーもグッズも本屋大賞も、すべての夢がたっぷりと染みついている。わたしは希望のなかでもう一度生まれた。いわゆる、プロジェクトとしてね」
「計劃は言ってたじゃない」と言うわたしの顔は涙と鼻水でぼろぼろになっている。
「計劃はこの世界を憎んでいるって。愛し愛され真綿で首を締められるようなこの産業を憎んでるって。どうなの、あそこはここ、この劇場よりひどい場所だったの……わたしたちの読んでいたジャンルは、この生首ディスカッションばかりのアニメよりひどい作品だったの……」
「どうしたらいいか、わからなかった。
この世界を憎んで、この世界に居場所がないって、どの作品も叫んでいた。わたしはそのときに思ったの。わたしは人間がどれだけに自意識過剰になれるか知っている。そしていま、逆に人間が自意識を――自然を押さえつけようとして、どれだけ壊れていくかを知った。そのときは、わたしは単純に思ったの。この社会が、このクール・ジャパンが、この2010年代という時代の仕組みがおかしいんだって。内部から、自分の裡からあのときの感動を徹底して求める読者がおかしいんだって考えたの」
そうだ。商業的健康を何よりも優先すべき価値観とするイデオロギーの許に、ポジティブな感想を常に提出しつづけなければならない空気。ジャンルの存続のために自らを厳しく律することが平和と協調と新作を生むと皆が信じている社会。
「何を」
「読者は変われるってこと。読者としての、信者としての偏狭な視点の限界を突破できるってことに」
「この業界を、わたしたち読者を憎んでいるから、あんな桜Trickを作ったわけじゃないのね」
「うん。わたしは愛している。この映画を全力で愛してる。あなたたちを愛してる――すべてはこの世界を肯定するため。すべては『わたし』を忘却できず、『わたし』に侵食される世界を救うための」
「この世界にとって完璧なプロジェクトを求めたら、作品の質は最も不要な要素だった。お笑いぐさよね」
「わたしは、笑わなかったよ」
感動げな大自然の映像が流れる。感動げなコーラスが流れる。どこからかニコニコ動画の亡霊の歌声が響いてくる。
「そうすべきだと思った。いま、世界中で何万というコンテンツが発生している。日本でもね。ジャンルが要請する小さな利益とか、そういう細々した関係性を扱う以前に、わたしたちはまずどうしようもなく読者で、継ぎ接ぎの機能としての快楽や欲望のよせあつめにすぎない、っていうところを忘れることはできないんだ」
「あなたは思ったのね。この現状に信者たちがなじめず腐っていくのなら――」
伊藤計劃が指をぱちん、と鳴らすと、今度は『ファイト・クラブ』の上映がはじまった。
「というより、読者であることをやめたほうがいい。SFファンを、オタクであることをやめたほうがいい。文化が生み出した継ぎ接ぎの快楽摂取行為にすぎない読書を、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的な存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。社畜になったほうがいい。書を捨てよ、会社に行こう――『わたし』とか意識とか、夭逝の天才だとか、プロジェクトだとか、SFだとか、アニメだとか、映画だとか、環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、復讐を目指したあなたたちに、本物の復讐が訪れる」
「じゃあ、計劃は戻りたかったんだ。あの『エヴァンゲリオン』以前の風景に。自分の民族が本来はそう在ったはずの風景に」
「そう、なのかもしれない。ううん、きっとそうなんだね」
「じゃあ、それを奪うことは、わたしのささやかな復讐になるのかな」
「え」
「SFは死ぬ必要がなかった。だから早川はコンテストを再建したんでしょ。創元は短編賞作ったんでしょう」
「……そう、なのかな」
「あなたの『プロジェクト』は自己正当化する必要があった。あのときは。既に受賞済みの、止めようがない才能たちに対して」
「そうなのかな」
わたしはうなずいて、そしてきちんと座り直した。
「どうやって」
そして、わたしは席を立った。
基本的に、これまで僕は匿名で文章を書くということをしてこなかった。
パソコン通信にしろブログにしろmixiにしろTwitterにしろ、誰かと議論したり何かを主張したりするときは、常に素性をオープンにし続けてきた。腰をすえて議論する気もなく匿名で書き逃げするような連中に、僕自身、さんざん苦しめられてきたから、同じようにはなるまいと思っていたのである。
それがSF小説の批判だったらなおのこと。自分の愛するジャンルであるからこそ、逃げも隠れもせず持論を述べ、反論を迎え撃つ――それが本来の筋だと思う。
しかし今回は、自分の名前を出して発言するのはあまりにリスクが大きいと判断して、不本意ながらこういう形を取らせてもらった。実は匿名で書くことにすら尻込みを感じている。
なぜなら僕が今から批判しようとしているのは熱狂的なファンを多くもつ作家――伊藤計劃氏の作品だからだ。
2009年に亡くなった伊藤計劃氏だが、いまだにSFマガジンで特集が組まれたり、映画が3作も公開されたりで、その人気はとどまるところを知らない。
僕が始めて読んだ氏の作品は、『虐殺器官』だった。新人のデビュー作ながらその年の、SFが読みたい! の1位を取ったというので、期待をもって読み始めたのだ。
しかし、あまり感心しなかった。なぜなら作中のメインアイデアである「虐殺の文法」というものが、言語SFの歴史の中ではさほど捻ったものではなく、更に2005年に別の日本人作家が発表した短編とも酷似している。プロットの方も、ミイラ取りがミイラになってしまったというありふれたもの、逃げのようなもので、短編ならともかく、長編としてはガッカリするような結末だった。だもんで、個人的には年度ベスト1位を取るほどの作品とは思えなかった。
年刊日本SF傑作選『虚構機関』に収録されている「The Indifference Engine」をたまたま読んだ時も、僕の評価は覆らなかった。
舞台を紛争地に置き換えてはいるものの、アイデアから構成からテッド・チャン「顔の美醜について」にそっくりで、決して独創的とは思えなかったのだ(余談だが、「顔の美醜について」は、世間で変に高評価されている「あなたの人生の物語」よりもよほど構成のちゃんとした、優れたSFだと思う)
出版されるSF作品の数も、世間のSFファンの数も膨大なので、僕が好きではない作品や、アイデアが目新しいとも思えない作品が、評価されたりランキングの上位にのぼることもある。とはいえ、趣味に合わない作家を追い続けるのもあまり建設的ではないので、僕はその後、伊藤氏の作品をずっと読んでこなかった。
だから、もしかしたら永久に他の作品を手に取ることもなかったかも知れない――
2014年に、伊藤氏の『ハーモニー』が、日本SF長編部門オールタイムベスト1位を取らなければ。
いくら避けてきたとはいえ、傑作『百億の昼と千億の夜』の牙城を、2000年代に発表された作品が崩したとなれば、さすがに読んで確かめざるを得なかった。
大きな戦争のあと、生命至上主義によって、医療技術が高度に発達した世界。
人間は16歳になると健康管理用のナノマシン群「WatchMe」を体内にインストールし、その恒常性と健康を、常にモニタリングされる。
健康に生きることを強いる社会に反逆するため、御冷ミァハ、霧慧トァン、零下堂キアンの3人の少女は、餓死による自殺を試みるが、失敗した。
その十数年後、ミァハは、新たな目的をもって暗躍をはじめ、その結果、トァンの目の前でキアンが犠牲になる。
ミァハの願いは、Watchmeに組み込まれていた自意識喪失プログラム「ハーモニクス」を発動させ、人間たちの意識を奪うことだった。
最終的に、ミァハはトァンに殺害されるが、ミァハの計画は実現し、全人類がハーモニクスされた結果、そこには誰もが意思を持たない完全に調和がとれた世界が誕生する……。
この結末を読んで、僕はひっくり返った。
ちょっと待て、「ハーモニクス」できるのは、WatchMeを体内にインストールしている人間だけじゃなかったのか!?
確か作中では、人々がWatchMeをインストールしていない地域のことも書かれていたはずだ。
そして何より――子どもたちのことはどうなったんだ?
16歳未満の子どもには、WatchMeがインストールされていない。WatchMeを入れられたくないからこそ、ミァハたちは16歳になる前に心中しようとしたはずだ。
つまり、16歳未満の子どもはハーモニクスすることが物理的に不可能である。
にもかかわらず、エピローグでは、全人類の意識がハーモニクスされたように書かれている。作中の設定どおりなら、こんなことはあり得ないのだ。
この作者は、自分が書いた設定を忘れている!
だいたい、ミァハの目的については、健康な世界に苦しむ、「意識」ある子どもの自殺をなくす、というのも書かれていたはずだ。
にもかかわらず、彼女の行動で出来上がったのは、「先進国の大人だけが意識を失い、先進国の子どもたちや、一部地域の人間は意識を保ったままである世界」だ。 子どもの自殺はなくならないだろう。出発点と正反対だし、エピローグの、全人類が意識を失った調和の取れた世界、という光景は有り得ない。はっきり言って無茶苦茶である。
そう、『ハーモニー』という長編は、その評判とは裏腹に――完全に破綻しているのだ。
作家というのも一人の人間である。あまりに大きなミスとはいえ、病床の伊藤氏が見落としてしまったのも仕方ないのかもしれない。
情けないのは早川書房だ。自分で書いたものをそのまま世に出してしまえる同人誌と違って、商業出版には校正という作業が存在する。誤字や誤植のほか、作中の矛盾などを指摘して、作者に修正を促す大事な行程だ。 『ハーモニー』のこの矛盾は、プロット自体を完全に崩壊させる、校正が厳格な出版社だったら絶対に許さないようなミスだ。これが講談社や新潮社のように校正がしっかりしている出版社だったら、こんな欠陥を抱えたまま作品が世に出ることはなく、伊藤氏も、恥をさらさずに済んだだろう。
それに輪を掛けて情けないのがSFファン。
けれど、その作品のプロットや構成が、最低限成立しているかどうかくらいは、アイデアの好き嫌い以前に、ちゃんと見極めるべきだ。
ちなみに、僕は『ハーモニー』のアイデアも独創的だとは思わない。
ユートピアを追求したら自由意思の存在しないディストピアになってしまったという結末は、星新一や、アシモフの代表作のほか枚挙にいとまがないし、クラークの某長編をはじめとする「人類補完もの」のバリエーションのひとつとも読める。 また、ラスト以降の世界が、「自由意思を失った大人が、自由意思をもった子どもたちと暮らしており、子供も大人になると自由意思を失うことになる」、というものであれば、ほぼ、『キノの旅』1巻の重要エピソードである「大人の国」と同じ世界になる。
ともあれ、これほどまでに構成の破綻した作品を日本SF大賞の受賞作にしたり、オールタイムベストの1位に選んでしまうのは問題だろう。
考えてみて欲しい。SFというジャンルに興味を持ってくれた人が、こういうランキングを参考にして、まず第1位の作品から読み出したとき、「SFって、こんなにいい加減なプロットの作品を評価しているんだ」と失望してしまったら? 「SFなんて適当な構成でも許されてしまう、低レベルな小説ジャンルなんだ」と思ってしまったら?
それはきっと、SF作家たちとジャンルにとって大きなダメージになるだろう。
この文章を書いている途中で、僕は奇妙なことに気づいた。
SFマガジンのような活字媒体と違って、WEB上では、この大きな穴について言及している感想もぽつぽつ見かける。だが、そういうミスを指摘できているのは、SF作家やSFライター、SF評論家ではなく、ごく一般の読書ブログをつけているような人、「SF界とは繋がりが薄そうな人」ばかりなのだ。
そこでふと思い至った。
いくらなんでも、あれだけ多くのSFファンやSF評論家が持ち上げているのに、誰一人として欠陥に気づかないというのは、どう考えてもおかしい。
みんな、欠点に気づいていながら、それを指摘してしまえば伊藤氏のファンから一斉に反発を食らってしまうために、沈黙しているのではないか?
あるいは、伊藤氏が亡くなってしまっていて、作品の欠陥を指摘したところで訂正の機会がないから、批判するのは忍びないと感じているのではないか?
だとすれば、これはまるっきり、童話の「裸の王様」だ。みんなで持ち上げるうちに引っ込みがつかなくなって、誰かが声を上げるのを待っている。童話と違うのは、誰ひとり「王様は裸だ!」と言う勇気がなくて、とてつもない歪みが生じていることだ。
僕は、この歪みが決定的な打撃をもたらすのは、『ハーモニー』の映画公開時だと睨んでいる。「夭逝の天才が残した傑作SF」の評判を聞き付けて、SFファンや伊藤氏のファン以外にも、たくさんの観客が訪れるだろう。その時、プロットがぐちゃぐちゃに壊れているのを発見した観客たちによって、「さよならジュピター」なみの珍作として扱われることになるのではないか。
誤解しないで欲しい。僕は何も、伊藤氏の人格を貶めようとしている訳ではないし、『ハーモニー』を賞賛するのはやめよう、と言っているわけでもない。
ただ、彼の作品を持ち上げようとするために、SF読者、それもジャンルにどっぷりつかっているような人間たちが、構成上の欠陥に対して目をつぶり、盲目的になってしまうのは、SFの未来を考える上で、間違っている、と主張したいのだ。もしも、「この『ハーモニー』という作品は、これだけ小説としては崩壊しているけど、それでも僕は好きなんです」と言える読者がいるのなら、僕もそれは否定しない。作品の出来不出来と、個人的な好き嫌いは必ずしも一致するものではないからだ。 僕だって、出来は悪いけど好きだと胸を張って言えるSF作品は沢山ある。
たとえ何年か後、オールタイムベストの上位から滑り落ちたとしても、今のように、宗教的で無批判な礼賛ではなく、伊藤氏のファンが「こういう風に壊れている部分もあるけれど、好きな部分もある」という主張を大っぴらにできるようになったら、その時はじめて、『ハーモニー』は、正当な評価を受けられるのではないか、それこそが伊藤氏のためになるのではないか――僕はそう信じる。
に同意。「診断名サイコパス」(ロバート・Dヘア、早川書房)にも、サイコパスはサイコパスとして生まれて生きて、治療方法はない書かれいたと記憶している。
同意するのは、サイコパスとして生まれて来たわけではないが「サイコパス化」した人がいること。
ブラック企業の類で従業員を使い潰してしまうやり方は、人間のこころから感情を消さなければできないのではないだろうか?
IT産業に携わると、システム全体の中の捨て駒、取替え可能な部品のような感覚が出来上がってしまう様にも思う。
私のバックグラウンドは統計物理学なので、教育の実践に関して、「学習モデル」が構築可能だなと思うことがある。
しかし、学習モデルに基づいた解析(シミュレーション)では、学生は積分変数(シミュレーションのコマ)に過ぎなくなってしまう。
和は現在、学生に対して「『個』のある存在」と見る立場であるが、それを損ないたくないので、その方向へ進んでいない。
完全にサイコパスの様式(例 血痰を吐いている人に「激務に耐えられるか」の耐用試験を行なう)だった人が、自分の数ヶ月に亘る入院の後に「こころ」を取り戻したというのも間近にしてる。
伊藤計劃が皮肉を込めて描き、死後にまで作動する「悪ふざけ」のプログラムを残し、そして「悪ふざけ/本気」としてそれを実行する/せざるをえない、この社会そのものを相対化するプロジェクトであるのだと、ぼくは考えています。そこで必要なのは、きっと怒りではなく、(冷めた)笑いの共有なのではないかと思います。
伊藤計劃以後とは何か? - the deconstruKction of right http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20140323/1395596751
『伊藤計劃以後』が単なる商業的意味だけを持つバズワードに過ぎないことを聞いてもないのに語りはじめ、
ひとりの男が脳髄から絞り出した知的生産物を「人が死んで悲しい!感動!」のパッケージに詰めて売ることを深夜にセコセコ正当化し、
「早川書房さんの販売戦略は間違ってない!!!」とワンワン声で吠えまわり、
同業者に窘められた挙句Togetterに書き散らかされた通りすがりのツイートへの全方向大反論宣言をブチ上げた気鋭の新人営業マン、違ったSF評論家・
藤田直哉大先生のおかげで、あなたのおっしゃる怒りを越えたところにある冷めた笑いというものが理解できそうです。あはは。ばっかじゃねえの?
先日のエントリに対する「反論」とされたこのエントリーに目を通したとき、書き手が何を考えているのかわからなかった。
何を言っているのかということはわかる。主張は3つだ。
「伊藤計劃はその死を贈与した」
おいおいマジかよと俺じゃなくても思っただろうし、事実ボロクソに怒られてるみたいなので、この点については今更突っこむ意味がない。
伊藤計劃が自らの死後に何を託し、何を期待したのかは一読者にとって知る術がない以上言及できないが、
特に一段目、三段目の言は……物語の作り手に対してこれ以上の侮辱はちょっと思いつかない。
これに肉薄できるのは先月の大学生×SFのトークイベントに参加した読書人大賞の推薦文投稿者(※この賞は推薦者の読書感想文への投票で決定する)が言ってた
「こういうのよくないと思うんだけど、死んだ作者の物語をないまぜに折り込むと決勝の書評合戦で勝てるんスよねェ〜」くらいか。まあいいけど。
伊藤計劃や『ヨハネスブルグの天使たち』について語るときに彼らの口から決まって出てくるのが
「これはぼくたちの社会だ!!」というほんっとになんのヒネリも個性もないクッソつまらない笑えない一言なのだけれど、読書感想文の宿題やってんじゃないんだからさ。
で、さいきょうのどくしょかんそうぶんけっていせんを通過したさいきょうのどくしょかんそうぶんの書き手がポロッとこぼしたのがさきの言葉なんだよ。ほんと。アホくせえ。
藤田大先生もいらしたんでしたっけね、このイベント? ええっと壇上に。いやーほんとすごいよすごい。あれがお前たちが生み出した怪物の人形だよ。
いやーそれにしてもアニメ化も決定したしどんどん売れるね。次は嵐主演で伊藤計劃の闘病映画だね!
てめえ如きに教わらなくとも諦め方も笑い方も、呆れ倒したあとにくる虚しさだって知っている。
それでも俺は怒るんだよ。
<hopelessness>
これは、どうにもならない。
</hopelessness>
少なくともある程度本を読む人間にとって、彼の代表作、評価、 その死後の受賞歴を長たらしく記す必要がない程度には。どうしようもなく。
それゆえに、ある種の人にはその逝去を悼まれる死者として、またある種の人には越え難い壁として、
そしてある種の人々には華々しい装飾品として扱われる。
更に法人からはSF業界に新しい息を吹き込む新鋭として、 また広告塔として。素材として。贄としてだ。
小松左京賞を逃した『虐殺器官』が早川書房へと持ち込まれ、ハヤカワJコレクションとして発刊される。
本作の評価、また出版のうえでの編集者との出会い等がなければ『ハーモニー』が生まれることはなかっただろう。
彼の死後、同社より、関連書籍の刊行が相次いだ。 『伊藤計劃記録』をはじめとして、ブログ及び個人ページに書きためていた映画評、
同人雑誌への寄稿が次々と出版され、多くの読者たちの手に渡った。
『記録』の主な素材は短編小説のほか、彼のブログに重ねられた書き捨ての文章である。その時既に彼の文章は死者の書物として上書きされていた。
だが、それらの文はインターネット上といえ、確かに人に見せるために彼自身の手により発信されたものだ。公開できるものとして。自らの分身として。
豚はその皮を食い破り、腸を捕まえる。裂け目から沸きだした臓物の汁の一滴まで啜り続ける。 その餌を与えたのもやはり同じ、早川書房である。
文庫化を機にベストセラーとなった『虐殺器官』には、解説という名の追悼文が録されている。
近しい知人のみに公開されたmixi日記に連ねられた彼のことばが、共有される感動の実話として金を集めていく。
豚たちにとってそれは飲み込まれるのを待つだけのコンテンツ、喪失という名の欲望を満たすために在るただの肉でしかない。
彼の最大の不幸もまた同社との出会いであった。
現在、ブックファースト新宿店では「伊藤計劃を超えろ!フェア」が実施中である。
新宿駅から西口方面に足を運んでみれば、きらびやかなポップ体の横断幕がきみを出迎えてくれる。
並んでいるものを見れば何ということはない、ただの新人博覧会だ。
ただの博覧会であるからこそ、彼の名を据える必要がどこにあるのだろうと考える。
それは書店を出て左手に曲がれば見える、マクドナルドの壁に張られた新作商品の広告、
プリンタの限界まで引き延ばされた少女たちの、血色の粘膜をめいっぱいに広げ、バーガーにかぶりつこうとする笑顔と何も変わりはしない。
意味など最初からない。それは羽虫たちを惹き寄せるだけのためのただの明かりだ。
...そんな「人間の意識」だけが死んで、自分のように振舞う要素だけが、
これこそまさに、煉獄というやつなのではないか。
伊藤計劃はこれからもコンテンツとして生き続ける。言及は絶えず続き、没後の節目を迎えるたびこのような商業作戦は行われ続けるだろう。
「彼の本が」ではない。「彼が」でもない。そこに掲げられるのはもはや彼ですらない、幻想としての"伊藤計劃"だ。
"それ"は新刊をさばくための道具だ。士気を煽るための墓標だ。いつでも痛みを味わえる、簡単で都合のいい薄っぺらい擦り傷だ。
またはただの便利な、ブログやツイートの空白を「かんがえさせられましたにっき」で埋めるための装置だ。
伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家・レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、
あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。
彼らにとっての社会はそこで閉じている。「知っている」「考えている」ところを「他人に見せる」ことで完結している。
だから少しでも話が小難しくなればWikipediaさえも読み通せはしない。
ただ彼を善く語ることで自分を見せることしか考えていない読書人を殺せ。
売れる本を売れるときに金に換えるためだけに存在するキャンペーン型書店を焼き倒せ。
故人をコンテンツにフォロワーを増やし、友達にくだらない話をすることばかりしか頭にないソーシャルクソ野郎を排除しろ。
創作物に死の匂いを振りかけて、クソ野郎のための新しい餌の在処を振りまくクソ書房はおとなしく無個性ライトノベルでも出していればいい。
派手な色彩の建物はまかりならん、と誰が法律で定めたわけでもないというのに、そこに広がっているのはひたすらに薄味で、
何の個性もなく、それゆえに心乱すこともない街だった。
どこまでも、ひたすらに、河の両岸を果てしなく。
彼らの漬かった沼を満たす泥は金だ。あるいは承認の欲望だ。
社会的であらねばならないこと。そのポージングが直結する意識下、無意識下のスタンドプレイ。同調圧力の強要。
彼が稚拙ともいえる比喩で、『ハーモニー』の作中、あからさまに批難したのはこのやさしさの窒息ではなかったか。
取り合う手と手に首を締められるその苦しさではなかったか。
『虐殺器官』に描かれた偽りの平和主義の破壊に、お前は何も思うところは無いのか。
自分が何を読んだのか、何に心を動かされたのか、少しでも彼の書いたもののことを思うなら、WiFiの電波をオフにしてもう一度考えてほしい。
墓の上のワルツを今すぐにやめろ。
彼は神ではない。
彼は救世主ではない。
お前を輝かせるための装飾品ではない。
お前はお姫様ではない。
ただの惨めで愚かな豚だ。
歌って踊るだけのこの世の屑だ。
臭い口を閉じろ。
彼が評価されるべき理由は「死んだから」ではない。
ブックファースト新宿店様ではただいま「伊藤計劃を超えろ!」フェアを開催中です!
藤井太洋さんも含めた次世代SF作家の代表作がドバーッと網羅されています! 必見です! http://pic.twitter.com/soYpfhPPDn
恥じろ。 醜い。
承前。
前編(http://anond.hatelabo.jp/20130825133734 )では三縞君に作品そのものについて総括をしてもらった。
彼女はあの通り真面目な人なので、旧約聖書やら仏教の経典やら沢山の資料を比較参照した跡が見える。まああとは文章の方にもう少し可愛げがあれば……なんてうっかり口にしたらまたもや新品の机を蹴られてしまった。情報庁の事務机と違って、アルコーン社のオフィスウェアは本物と見紛うばかりの高級情報材製なのだが、彼女は遠慮なくその黒いストッキングの美脚を持ち出してくる。せめて元上司を「鼻持ちならない」と無遠慮に評するところくらいは変わってほしいと思う。
で、ここからが僕の出番。
稀代の大作家・野崎まどが残した作品の中に埋め込まれた、人間の癖や偏りを利用した暗号。
といっても僕は特殊な暗号解読の専門家でも何でもないので、あのときのような成果を期待されても正直困ってしまう。
あれは先生と僕の間柄だったからこそできたことであって、大して知りもしない作家を相手に同じことができるなんて考える方が間違ってる。
けれど僕はこの仕事を受けた。
基礎コードの解析を終えた量子葉の研究はとっくに先生の意図を探ることからは離れていたし、こうして頭を使うのはとても心地良い。
だから、これはまあ、知ルが帰ってくるまでのお遊びみたいなものだ。
一般発売前の自社製ワークターミナルは唸り声ひとつ挙げずに目を覚まし、僕の電子葉とダンスを始める。啓示視界に多重展開された書字情報マトリクスが視線の導きで然るべき場所に配置され、僕はその本を〈知る〉。
ウィンドウをもう一つ開く。首振りで先のレポートを取り出して、目の前の本を固有値解析にかけた。多次元スライスされた書字情報はいくつものキューブに分裂し、吸い込まれるように消えてゆくと、瞬く間に啓示視界がウォッシュアウトされて、周囲の情報圧が低下してゆくのがわかる。
三縞君は常識人だ。凡人と取り違えてはいけない。常識人というのは世の中の人が当たり前のように知っているとされることを本当に当たり前のように知っている、得難い優秀さに与えられるべきタグだ。才媛三縞君が組み上げた意味論フィルタは時にピーラのごとく表面を撫で下ろし、時にスライサのごとく作品を賽の目に刻んでは雑味を取り除いていった。後に残るのは〝野崎まど〟という名の個性の結晶だ。
想像が始まる。僕は右脳と左脳を車の両輪のように回して脳内に〝野崎まど〟を仮定すると、感じるままにコードに潜む違和感をすくい上げていった。
少し難しい……ノイズが多い感じだ。ライトノベルをフィールドとする氏の世界描写は童話的で、本筋に関わらない部分は余計な注意を惹かないよう可能な限りオミットするのがスタンダードだ。とはいえ今回の版元は早川書房、百戦錬磨のうるさ型SF読みが相手だ。手加減はないと思っていいだろう。
思いつくまま挙げてみる。
序章。情報格差を乱用して女遊びをした僕は翌朝当然のようにバスでオフィスに出勤する。さらに車内には大声でおしゃべりに興じる女子たち——思念通話はとっくに実現されている時代だが、僕は咎めることも聴覚を遮断することもなくそれを聞いている。
やれやれ、と僕は首を振った。僕の仕事の大半は場所を問わない。だいたい情報化が極限まで進んだ社会で肉体の移動を要する業務分野といえば食事・医療・性風俗くらいのものだ。その意味での役得といえば唯一、三縞君と交わす、互いに性的関心を潜めたコミュニケーションだけだろう。この危うさだけは何事にも代えがたい。
〝先生〟について語る以前に、僕がわずかにでも興味を向けた人物がみな女性であったことに気づいただろうか。正確に言えば老婆を迎えにきた男性についてたった一行触れただけだ。京都の町は不朽を表す国家的なシンボルだ。だから、この一連のシーンで描かれているのは、僕ら男が背負うべき、いつの世も変わらぬ女性への関心に他ならない。
ジェンダー的な視点で見出すと、他にも気になる点が出てくる。京都大学の構内で赤ん坊を連れていた学生は性別不明だが、どうあれ血のつながりはないだろう。養護施設の保育士は男性だった。けれどエピローグで死に瀕した子どもに付き添っているのはなぜか母親ひとりで、これは明らかな偏りだ。「女性にお茶汲みを頼むのは性差別」という認識は根付いていても、我が子に対する愛情など僕らの世代の男性は持ち合わせていないのだ。
と、ここまで書いていたら三縞君から「あなたのろくでなしな価値観を世の男性にまで一般化しないでください」と書かれたメールが飛んできた。
退庁後の僕のクラスは、彼女は同格の4まで下がってしまっている。おかげでプライベートレイヤがだだ漏れだ。もう迂闊な発言はできない。
僕はおとなしく仕事に戻ることにした。
該当箇所をズームする。それは〝集落〟の場面。クラス0の女子中学生に対するのぞき行為が行われ、社会がそれを容認していると語られる箇所だった。
馬鹿なことを。
当たり前だが個人情報保護と児童保護はまったく別の問題だ。しかも情報格差は技術的限界によるものとされている。少なくとも一般的な認識としてはそうだ。だったら法が容易くその現状を追認することなどあるはずがない。
ここだ。ここにヒントがある。僕はそう直観した。
思考が活性化し、電子葉によって自動収集された関連情報が僕の啓示視界を埋め尽くす。
ソフトSF——純粋に人文科学に基づくSF。とりわけフェミニストSF。女性作家の隆盛。メアリー・シェリー。ベネット。ル=グウィン——違う。こっちじゃない。右脳が理屈を飛び越えて判断を下し、一足飛びにその本質をたぐり寄せる。ヒントはこれだ。
社会描写の神髄は、弱者をどう描くかに現れる
即座に理由を問う。
社会の歪みを体現する存在は常に女・子どもといった弱者であるからだ
方向付けされた認識が参考作品を引き寄せる。
過去の日本SF大賞受賞作。『マルドゥック・スクランブル』。この作品では〝戦う女の子〟を地に足がついたものとして描くために、少女娼婦の身分、戦争由来の過激な技術、ならびに犯罪的な出来事に即応するための法体制を用意した。出来上がった少女は社会的に見れば化け物でしかないというのに。
僕はようやく理解した。
それが指す存在を、僕はすでに知っていた。
誰より保護されるべき存在でありながら、誰よりも自分の身を守ることに長けた少女。量子葉とともに生体脳を育て上げた、人類初のクラス9。進化の特異点。
道終・知ルその人。
ようやくあの男について語る時が来た。
クラス*(アスタリスク)。素月・切ル機密官。主人公(僕だ)の心の闇を凝縮したような人物。
結果から言えば彼はかませ犬以外の何者でもなかった。彼の行動は無意味で無価値で、そして無残なものだった。けれどその劣悪な人間性については触れておかないといけない。
裏仕事を専門とし、存在自体が機密とされる、規格外のクラスホルダー。そうした役職に求められる一番の資質は、規律、そして良識だ。ところが素月はその逆をいった。
自らが果たすべき任務を忘れ。
14ページに渡って狂ったように女子中学生の裸を狙い続けるその様は。
ただの変態だった。
それから僕はことあるごとに知ルに対して欲情するようになった。
可憐な容姿。挑発的な言葉。妖艶ささえ感じる所作。それと同居する少女の無垢さ。知らぬ間に僕は虜にされていた。
それでもあの男、アルコーン社CEO、有主照・問ウさえいなければ、僕が女子中学生を相手に一線を踏み越えることはなかったんじゃないかと思う。
そのことを知って咎めるどころか喜んだミアもちょっとどうかと思う。
いや。
なぜそう設定したのか。
答えは簡単。知ルが初潮を迎えるその日をただ待っていたのだ。現代人としてはずいぶんと遅いように思えるが、そこは孤児で栄養状態が悪いことと対象となる異性がいないことを考慮すれば説明がつく。
本番を迎えた知ルの口から「私、セックスって初めてです」と言わせなかったことは氏の最後の良心だろう。そう信じたかった。
すっかり忘れていたが作中の三縞君の扱いはこの作者にして徹頭徹尾まるで違和感のないものだった。
長く辛い旅路だった。
結局、作者の真意は何だったのか。
僕には朧気ながらその姿が見えていた。
そう。氏は切望していた。
情報の秘匿も。
時代の空気も。
何もかもが存在しない、本物のオープンソースの世界というものを。
最後に。
解読の結果、僕がすくい上げた言葉を君たちの啓示視界に残してこの稿を結ぼう。
うわぁい、子どもの保護なんて全然乗り気じゃなかったけど、こんだけいけてるなら俺もロリコンでいいやあ!
(続かない)
アマゾンジャパン VS 紀伊國屋書店 2007年出版社別年間売上げランキング
出版社 | A | K | J |
---|---|---|---|
講談社 | 1 | 1 | 1 |
小学館 | 2 | 2 | 2 |
集英社 | 3 | 3 | 3 |
角川グループパブリッシング | 4 | 5 | 5 |
新潮社 | 5 | 4 | 4 |
ダイヤモンド社 | 6 | 9 | 9 |
岩波書店 | 7 | 10 | 7 |
日経BP社 | 8 | 17 | 36 |
学習研究社 | 9 | 6 | 6 |
ソフトバンククリエイティブ | 10 | 31 | 22 |
エンターブレイン | 11 | 61 | 38 |
角川メディアワークス | 12 | 56 | 43 |
PHP研究所 | 13 | 13 | 13 |
文藝春秋 | 14 | 7 | 8 |
日本経済新聞出版社 | 15 | 16 | 16 |
幻冬舎 | 16 | 12 | 10 |
東洋経済新報社 | 17 | 22 | 30 |
ワニブックス | 18 | 58 | 78 |
日本放送出版協会 | 19 | 8 | 11 |
徳間書店 | 20 | 33 | 32 |
翔泳社 | 21 | 43 | 26 |
中央公論社 | 22 | 21 | 17 |
筑摩書房 | 23 | 35 | 12 |
スクウェア・エニックス | 24 | 75 | 51 |
医学書院 | 25 | 11 | 17 |
双葉社 | 26 | 44 | 37 |
インプレスコミュニケーションズ | 27 | 42 | 39 |
光文社 | 28 | 19 | 24 |
技術評論社 | 29 | 46 | 29 |
河出書房新社 | 30 | 41 | 27 |
白泉社 | 31 | 36 | 23 |
コアマガジン | 32 | - | - |
宝島社 | 33 | 26 | 42 |
メディアファクトリー | 34 | 71 | 59 |
朝日新聞社出版局 | 35 | 23 | 34 |
主婦の友社 | 36 | 20 | 45 |
毎日コミュニケーションズ | 37 | 62 | 44 |
早川書房 | 38 | 51 | 31 |
オーム社 | 39 | 39 | 28 |
竹書房 | 40 | 89 | 72 |
日本実業出版社 | 41 | 47 | 41 |
アスキー | 42 | 94 | 76 |
有斐閣 | 43 | 27 | 21 |
リットーミュージック | 44 | 209 | 175 |
マガジンハウス | 45 | 63 | 96 |
中央経済社 | 46 | 25 | 19 |
フォレスト出版 | 47 | 170 | 155 |
中経出版 | 48 | 54 | 40 |
秋田書店 | 49 | 93 | 56 |
平凡社 | 50 | 76 | 48 |
福音館書店 | 51 | 59 | 86 |
一迅社 | 52 | - | 146 |
主婦と生活社 | 53 | 45 | 66 |
祥伝社 | 54 | 55 | 50 |
秀和システム | 55 | 50 | 35 |
パンローリング | 56 | 272 | - |
文化出版局 | 57 | 95 | 98 |
ドレミ楽譜出版社 | 58 | 169 | 202 |
扶桑社 | 59 | 73 | 84 |
アルク | 60 | 70 | 58 |
サンマーク出版 | 61 | 118 | 121 |
草思社 | 62 | 130 | 108 |
羊土社 | 63 | 131 | 162 |
シンコーミュージック・エンタテインメント | 64 | 148 | 117 |
オライリー・ジャパン | 65 | 292 | 137 |
ホビージャパン | 66 | - | - |
CQ出版 | 67 | 203 | 156 |
丸善 | 68 | 65 | 100 |
偕成社 | 69 | 80 | 101 |
東京大学出版会 | 70 | 86 | 65 |
三笠書房 | 71 | 72 | 88 |
日刊工業新聞社 | 72 | 120 | 89 |
ヤマハミュージックメディア | 73 | 211 | 174 |
実業之日本社 | 74 | 77 | 68 |
旺文社 | 75 | 18 | 18 |
医歯薬出版 | 76 | 30 | 47 |
茜新社 | 77 | - | - |
白水社 | 78 | 97 | 67 |
成美堂出版 | 79 | 15 | 20 |
秀文社 | 80 | - | - |
ポプラ社 | 81 | 29 | 63 |
ディスカヴァー・トゥエンティワン | 82 | 117 | 119 |
世界文化社 | 83 | 53 | 71 |
新書館 | 84 | 160 | 123 |
静山社 | 85 | - | - |
メディカルサイエンスインターナショナル | 86 | 195 | 120 |
ソニー・マガジンズ | 87 | 79 | 90 |
大和書房 | 88 | 102 | 95 |
マッグガーデン | 89 | - | 276 |
富士見書房 | 90 | 217 | 170 |
ランダムハウス講談社 | 91 | 147 | 154 |
アスコム | 92 | 139 | 152 |
創元社 | 93 | 178 | 126 |
ベストセラーズ | 94 | 83 | 109 |
大修館書店 | 95 | 104 | 103 |
日本評論社 | 96 | 105 | 77 |
研究社 | 97 | 138 | 180 |
三省堂教材システム | 98 | 64 | 57 |
リブレ出版 | 99 | 232 | 127 |
世界思想社教学社 | 100 | 38 | 25 |
昭文社 | - | 14 | 15 |
JTB | - | 24 | 33 |
デアゴスティーニ | - | 28 | - |
南江堂 | - | 32 | 55 |
柏書房 | - | 34 | 270 |
高橋書店 | - | 37 | 62 |
中央法規出版 | - | 40 | 61 |
東京官書普及 | - | 48 | - |
日外アソシエーツ | - | 49 | - |
永岡書店 | - | 52 | 105 |
紀伊國屋書店 | - | 57 | - |
ナツメ社 | - | 60 | 49 |
メディカ出版 | - | 66 | 53 |
地方小出版流通センタ | - | 67 | - |
広川書店 | - | 68 | - |
日本能率協会 | - | 69 | 85 |
タック | - | 74 | 46 |
ミネルヴァ書房 | - | 78 | 111 |
朝倉書店 | - | 81 | 122 |
新星出版社 | - | 82 | 83 |
幸福の科学出版 | - | 84 | - |
星雲社 | - | 85 | 60 |
メディックメディア | - | 87 | 93 |
日本図書センター | - | 88 | - |
文英堂 | - | 90 | 82 |
日本文芸社 | - | 91 | 94 |
増進会出版社 | - | 92 | 75 |
早稲田経営出版 | - | 96 | 54 |
明治図書出版 | - | 98 | 52 |
鍬谷書店 | - | 99 | - |
柴田書店 | - | 100 | 64 |
東京リーガルマインド | - | - | 69 |
実務教育出版 | - | - | 70 |
山と渓谷社 | - | - | 73 |
文光堂 | - | - | 74 |
東京創元社 | - | - | 79 |
駿台文庫 | - | - | 87 |
ぎょうせい | - | - | 91 |
メジカルビュー社 | - | - | 92 |
誠文堂新光社 | - | - | 97 |
清文社 | - | - | 99 |
K…外商含む
J…書籍のみ
アマゾン 紀伊国屋書店 出版社 1位 → 1位 講談社 2位 → 2位 小学館 3位 → 3位 集英社 4位 → 5位 角川グループパブリッシング 5位 → 4位 新潮社 6位 → 9位 ダイヤモンド社 7位 → 10位 岩波書店 8位 → 17位 日経BP社 9位 → 6位 学習研究社 10位 → 31位 ソフトバンククリエイティブ 11位 → 61位 エンターブレイン 12位 → 56位 角川メディアワークス 13位 → 13位 PHP研究所 14位 → 7位 文藝春秋 15位 → 16位 日本経済新聞出版社 16位 → 12位 幻冬舎 17位 → 22位 東洋経済新報社 18位 → 58位 ワニブックス 19位 → 8位 日本放送出版協会 20位 → 33位 徳間書店 21位 → 43位 翔泳社 22位 → 21位 中央公論社 23位 → 35位 筑摩書房 24位 → 75位 スクウェア・エニックス 25位 → 11位 医学書院 26位 → 44位 双葉社 27位 → 42位 インプレスコミュニケーションズ 28位 → 19位 光文社 29位 → 46位 技術評論社 30位 → 41位 河出書房新社 31位 → 36位 白泉社 32位 → - コアマガジン 33位 → 26位 宝島社 34位 → 71位 メディアファクトリー 35位 → 23位 朝日新聞社出版局 36位 → 20位 主婦の友社 37位 → 62位 毎日コミュニケーションズ 38位 → 51位 早川書房 39位 → 39位 オーム社 40位 → 89位 竹書房 41位 → 47位 日本実業出版社 42位 → 94位 アスキー 43位 → 27位 有斐閣 44位 → 209位 リットーミュージック 45位 → 63位 マガジンハウス 46位 → 25位 中央経済社 47位 → 170位 フォレスト出版 48位 → 54位 中経出版 49位 → 93位 秋田書店 50位 → 76位 平凡社 51位 → 59位 福音館書店 52位 → - 一迅社 53位 → 45位 主婦と生活社 54位 → 55位 祥伝社 55位 → 50位 秀和システム 56位 → 272位 パンローリング 57位 → 95位 文化出版局 58位 → 169位 ドレミ楽譜出版社 59位 → 73位 扶桑社 60位 → 70位 アルク 61位 → 118位 サンマーク出版 62位 → 130位 草思社 63位 → 131位 羊土社 64位 → 148位 シンコーミュージック・エンタテインメント 65位 → 292位 オライリー・ジャパン 66位 → - ホビージャパン 67位 → 203位 CQ出版 68位 → 65位 丸善 69位 → 80位 偕成社 70位 → 86位 東京大学出版会 71位 → 72位 三笠書房 72位 → 120位 日刊工業新聞社 73位 → 211位 ヤマハミュージックメディア 74位 → 77位 実業之日本社 75位 → 18位 旺文社 76位 → 30位 医歯薬出版 77位 → - 茜新社 78位 → 97位 白水社 79位 → 15位 成美堂出版 80位 → - 秀文社 81位 → 29位 ポプラ社 82位 → 117位 ディスカヴァー・トゥエンティワン 83位 → 53位 世界文化社 84位 → 160位 新書館 85位 → - 静山社 86位 → 195位 メディカルサイエンスインターナショナル 87位 → 79位 ソニー・マガジンズ 88位 → 102位 大和書房 89位 → - マッグガーデン 90位 → 217位 富士見書房 91位 → 147位 ランダムハウス講談社 92位 → 139位 アスコム 93位 → 178位 創元社 94位 → 83位 ベストセラーズ 95位 → 104位 大修館書店 96位 → 105位 日本評論社 97位 → 138位 研究社 98位 → 64位 三省堂教材システム 99位 → 232位 リブレ出版 100位 → 38位 世界思想社教学社
注目の順位変動 人気(アマゾン>紀伊国屋)
アマゾン 紀伊国屋書店 出版社 10位 → 31位 ソフトバンククリエイティブ 11位 → 61位 エンターブレイン 12位 → 56位 角川メディアワークス 24位 → 75位 スクウェア・エニックス 34位 → 71位 メディアファクトリー 40位 → 89位 竹書房 42位 → 94位 アスキー 44位 → 209位 リットーミュージック 47位 → 170位 フォレスト出版 56位 → 272位 パンローリング 58位 → 169位 ドレミ楽譜出版社 61位 → 118位 サンマーク出版 62位 → 130位 草思社 63位 → 131位 羊土社 64位 → 148位 シンコーミュージック・エンタテインメント 65位 → 292位 オライリー・ジャパン 67位 → 203位 CQ出版 72位 → 120位 日刊工業新聞社 73位 → 211位 ヤマハミュージックメディア 84位 → 160位 新書館 86位 → 195位 メディカルサイエンスインターナショナル 90位 → 217位 富士見書房 91位 → 147位 ランダムハウス講談社 92位 → 139位 アスコム 93位 → 178位 創元社 99位 → 232位 リブレ出版
注目の順位変動 人気(アマゾン<紀伊国屋)
アマゾン 紀伊国屋書店 出版社 14位 → 7位 文藝春秋 19位 → 8位 日本放送出版協会 25位 → 11位 医学書院 43位 → 27位 有斐閣 46位 → 25位 中央経済社 75位 → 18位 旺文社 76位 → 30位 医歯薬出版 79位 → 15位 成美堂出版 81位 → 29位 ポプラ社 100位 → 38位 世界思想社教学社
A | K | |
1 | 講談社 | 1 |
2 | 小学館 | 2 |
3 | 集英社 | 3 |
4 | 角川グループパブリッシング | 5 |
5 | 新潮社 | 4 |
6 | ダイヤモンド社 | 9 |
7 | 岩波書店 | 10 |
8 | 日経BP社 | 17 |
9 | 学習研究社 | 6 |
10 | ソフトバンククリエイティブ | 31 |
11 | エンターブレイン | 61 |
12 | 角川メディアワークス | 56 |
13 | PHP研究所 | 13 |
14 | 文藝春秋 | 7 |
15 | 日本経済新聞出版社 | 16 |
16 | 幻冬舎 | 12 |
17 | 東洋経済新報社 | 22 |
18 | ワニブックス | 58 |
19 | 日本放送出版協会 | 8 |
20 | 徳間書店 | 33 |
21 | 翔泳社 | 43 |
22 | 中央公論社 | 21 |
23 | 筑摩書房 | 35 |
24 | スクウェア・エニックス | 75 |
25 | 医学書院 | 11 |
26 | 双葉社 | 44 |
27 | インプレスコミュニケーションズ | 42 |
28 | 光文社 | 19 |
29 | 技術評論社 | 46 |
30 | 河出書房新社 | 41 |
31 | 白泉社 | 36 |
32 | コアマガジン | - |
33 | 宝島社 | 26 |
34 | メディアファクトリー | 71 |
35 | 朝日新聞社出版局 | 23 |
36 | 主婦の友社 | 20 |
37 | 毎日コミュニケーションズ | 62 |
38 | 早川書房 | 51 |
39 | オーム社 | 39 |
40 | 竹書房 | 89 |
41 | 日本実業出版社 | 47 |
42 | アスキー | 94 |
43 | 有斐閣 | 27 |
44 | リットーミュージック | 209 |
45 | マガジンハウス | 63 |
46 | 中央経済社 | 25 |
47 | フォレスト出版 | 170 |
48 | 中経出版 | 54 |
49 | 秋田書店 | 93 |
50 | 平凡社 | 76 |
51 | 福音館書店 | 59 |
52 | 一迅社 | - |
53 | 主婦と生活社 | 45 |
54 | 祥伝社 | 55 |
55 | 秀和システム | 50 |
56 | パンローリング | 272 |
57 | 文化出版局 | 95 |
58 | ドレミ楽譜出版社 | 169 |
59 | 扶桑社 | 73 |
60 | アルク | 70 |
61 | サンマーク出版 | 118 |
62 | 草思社 | 130 |
63 | 羊土社 | 131 |
64 | シンコーミュージック・エンタテインメント | 148 |
65 | オライリー・ジャパン | 292 |
66 | ホビージャパン | - |
67 | CQ出版 | 203 |
68 | 丸善 | 65 |
69 | 偕成社 | 80 |
70 | 東京大学出版会 | 86 |
71 | 三笠書房 | 72 |
72 | 日刊工業新聞社 | 120 |
73 | ヤマハミュージックメディア | 211 |
74 | 実業之日本社 | 77 |
75 | 旺文社 | 18 |
76 | 医歯薬出版 | 30 |
77 | 茜新社 | - |
78 | 白水社 | 97 |
79 | 成美堂出版 | 15 |
80 | 秀文社 | - |
81 | ポプラ社 | 29 |
82 | ディスカヴァー・トゥエンティワン | 117 |
83 | 世界文化社 | 53 |
84 | 新書館 | 160 |
85 | 静山社 | - |
86 | メディカルサイエンスインターナショナル | 195 |
87 | ソニー・マガジンズ | 79 |
88 | 大和書房 | 102 |
89 | マッグガーデン | - |
90 | 富士見書房 | 217 |
91 | ランダムハウス講談社 | 147 |
92 | アスコム | 139 |
93 | 創元社 | 178 |
94 | ベストセラーズ | 83 |
95 | 大修館書店 | 104 |
96 | 日本評論社 | 105 |
97 | 研究社 | 138 |
98 | 三省堂教材システム | 64 |
99 | リブレ出版 | 232 |
100 | 世界思想社教学社 | 38 |
- | 昭文社 | 14 |
- | JTB | 24 |
- | デアゴスティーニ | 28 |
- | 南江堂 | 32 |
- | 柏書房 | 34 |
- | 高橋書店 | 37 |
- | 中央法規出版 | 40 |
- | 東京官書普及 | 48 |
- | 日外アソシエーツ | 49 |
- | 永岡書店 | 52 |
- | 紀伊國屋書店 | 57 |
- | ナツメ社 | 60 |
- | メディカ出版 | 66 |
- | 地方小出版流通センター | 67 |
- | 広川書店 | 68 |
- | 日本能率協会 | 69 |
- | タック | 74 |
- | ミネルヴァ書房 | 78 |
- | 朝倉書店 | 81 |
- | 新星出版社 | 82 |
- | 幸福の科学出版 | 84 |
- | 星雲社 | 85 |
- | メディックメディア | 87 |
- | 日本図書センター | 88 |
- | 文英堂 | 90 |
- | 日本文芸社 | 91 |
- | 増進会出版社 | 92 |
- | 早稲田経営出版 | 96 |
- | 明治図書出版 | 98 |
- | 鍬谷書店 | 99 |
- | 柴田書店 | 100 |
http://anond.hatelabo.jp/20070425021728
いやね、秋山瑞人の『猫の地球儀』を面白がれるSF好きの人だったら、古橋秀之の『ブラックロッド』に始まる〈ケイオス・ヘキサ三部作〉をオススメすれば「ライトノベルはじまったな」状態になるのはわかっているんだけど、でもなんかいいかげん増田で古橋布教するのも飽きたというか、業界(?)内評価高まり過ぎでいいかげん長年に渡る古橋ファンの俺でも尻がむずがゆいというか、「ライトノベル=SFの植民地」という大森望と早川書房にばかり都合のいい史観をセカイにまた広めてしまうのもどうかというか。そんなこんなの小理屈をこねてツンデレしてヘビー級ライトノベルを進めてしまう俺なのだった。べっ、別にライトノベル読んで欲しいなんて思ってないんだからねっ!
ライト級ライトノベル(桜庭一樹とヤマグチノボルの中間)なライトノベルって、改めて考え出すとタイトルが出てこないもんだなぁ。
ああ、そうだ賀東招二の「フルメタル・パニック」シリーズ(長篇の方)とかがライト級ライトノベルかも。