2015-07-04

http://hyohyosya.hatenablog.com/entry/2015/07/03/

このブログの中に引用されている香山リカさんの文章

http://nikkan-spa.jp/878891

同意。「診断名サイコパス」(ロバート・Dヘア、早川書房)にも、サイコパスサイコパスとして生まれて生きて、治療方法はない書かれいたと記憶している。

同意するのは、サイコパスとして生まれて来たわけではないが「サイコパス化」した人がいること。

ブラック企業の類で従業員を使い潰してしまうやり方は、人間こころから感情を消さなければできないのではないだろうか?

IT産業に携わると、システム全体の中の捨て駒、取替え可能な部品のような感覚が出来上がってしまう様にも思う。

私のバックグラウンド統計物理学なので、教育実践に関して、「学習モデル」が構築可能だなと思うことがある。

しかし、学習モデルに基づいた解析(シミュレーション)では、学生積分変数シミュレーションコマ)に過ぎなくなってしまう。

和は現在学生に対して「『個』のある存在」と見る立場であるが、それを損ないたくないので、その方向へ進んでいない。

完全にサイコパス様式(例 血痰を吐いている人に「激務に耐えられるか」の耐用試験を行なう)だった人が、自分の数ヶ月に亘る入院の後に「こころ」を取り戻したというのも間近にしてる。

業種の例を挙げたが、結局は「行き過ぎた(短絡的)成果主義」が「サイコパス化」を生むのではなかろうか?

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん