2014-03-08

伊藤計劃キリストを超えた。わけあるか。くたばれ。

<hopelessness>

これは、どうにもならない。

</hopelessness>

伊藤計劃は偉大な作家だ。

少なくともある程度本を読む人間にとって、彼の代表作、評価、 その死後の受賞歴を長たらしく記す必要がない程度には。どうしようもなく。

それゆえに、ある種の人にはその逝去を悼まれる死者として、またある種の人には越え難い壁として、

そしてある種の人々には華々しい装飾品として扱われる。

更に法人からSF業界に新しい息を吹き込む新鋭として、 また広告塔として。素材として。贄としてだ。

彼の最大の幸福早川書房との出会いである

小松左京賞を逃した『虐殺器官』が早川書房へと持ち込まれ、ハヤカワJコレクションとして発刊される。

本作の評価、また出版のうえでの編集者との出会い等がなければ『ハーモニー』が生まれることはなかっただろう。

彼の死後、同社より、関連書籍の刊行が相次いだ。 『伊藤計劃記録』をはじめとして、ブログ及び個人ページに書きためていた映画評、

同人雑誌への寄稿が次々と出版され、多くの読者たちの手に渡った。

『記録』の主な素材は短編小説のほか、彼のブログに重ねられた書き捨ての文章である。その時既に彼の文章は死者の書物として上書きされていた。

だが、それらの文はインターネット上といえ、確かに人に見せるために彼自身の手により発信されたものだ。公開できるものとして。自らの分身として。

豚はその皮を食い破り、腸を捕まえる。裂け目から沸きだした臓物の汁の一滴まで啜り続ける。 その餌を与えたのもやはり同じ、早川書房である

文庫化を機にベストセラーとなった『虐殺器官』には、解説という名の追悼文が録されている。

近しい知人のみに公開されたmixi日記に連ねられた彼のことばが、共有される感動の実話として金を集めていく。

豚たちにとってそれは飲み込まれるのを待つだけのコンテンツ喪失という名の欲望を満たすために在るただの肉でしかない。

彼の最大の不幸もまた同社との出会いであった。

現在ブックファースト新宿店では「伊藤計劃を超えろ!フェア」が実施である

新宿駅から西口方面に足を運んでみれば、きらびやかなポップ体の横断幕がきみを出迎えてくれる。

並んでいるものを見れば何ということはない、ただの新人博覧会だ。

ただの博覧会であるからこそ、彼の名を据える必要がどこにあるのだろうと考える。

それは書店を出て左手に曲がれば見える、マクドナルドの壁に張られた新作商品広告

プリンタ限界まで引き延ばされた少女たちの、血色の粘膜をめいっぱいに広げ、バーガーかぶりつこうとする笑顔と何も変わりはしない。

意味など最初からない。それは羽虫たちを惹き寄せるだけのためのただの明かりだ。

...そんな「人間意識」だけが死んで、自分のように振舞う要素だけが

言うなれば魂なきコンテンツけが生き延びてゆく。

これこそまさに、煉獄というやつなのではないか。

「From the Nothng, With Love.」(『The Indifference Engine』(ハヤカワ文庫JA)) P.254

伊藤計劃はこれからコンテンツとして生き続ける。言及は絶えず続き、没後の節目を迎えるたびこのような商業作戦は行われ続けるだろう。

「彼の本が」ではない。「彼が」でもない。そこに掲げられるのはもはや彼ですらない、幻想としての"伊藤計劃"だ。

"それ"は新刊をさばくための道具だ。士気を煽るための墓標だ。いつでも痛みを味わえる、簡単で都合のいい薄っぺらい擦り傷だ。

またはただの便利な、ブログツイートの空白を「かんがえさせられましたにっき」で埋めるための装置だ。

伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、

あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。

虐殺文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、

ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。

彼らにとっての社会はそこで閉じている。「知っている」「考えている」ところを「他人に見せる」ことで完結している。

から少しでも話が小難しくなればWikipediaさえも読み通せはしない。

参考文献などページ数の無駄しかないと思っている。

ただ彼を善く語ることで自分を見せることしか考えていない読書人を殺せ。

売れる本を売れるときに金に換えるためだけに存在するキャンペーン書店を焼き倒せ。

故人をコンテンツフォロワーを増やし、友達にくだらない話をすることばかりしか頭にないソーシャルクソ野郎を排除しろ

創作物に死の匂いを振りかけて、クソ野郎のための新しい餌の在処を振りまくクソ書房はおとなしく無個性ライトノベルでも出していればいい。

死者の日記帳よりよっぽど健全だ。

派手な色彩の建物はまかりならん、と誰が法律で定めたわけでもないというのに、そこに広がっているのはひたすらに薄味で、

何の個性もなく、それゆえに心乱すこともない街だった。

どこまでも、ひたすらに、河の両岸を果てしなく。

彼らの漬かった沼を満たす泥は金だ。あるいは承認の欲望だ。

社会的であらねばならないこと。そのポージングが直結する意識下、無意識下のスタンドプレイ同調圧力強要

彼が稚拙ともいえる比喩で、『ハーモニー』の作中、あからさまに批難したのはこのやさしさの窒息ではなかったか

取り合う手と手に首を締められるその苦しさではなかったか

虐殺器官』に描かれた偽りの平和主義破壊に、お前は何も思うところは無いのか。

自分が何を読んだのか、何に心を動かされたのか、少しでも彼の書いたもののことを思うなら、WiFi電波オフにしてもう一度考えてほしい。

墓の上のワルツを今すぐにやめろ。

目障りでやかましいステップを停止しろ

お前は何ひとつ自分の頭で考えちゃいない。

彼は神ではない。

彼は救世主ではない。

お前を輝かせるための装飾品ではない。

お前はお姫様ではない。

ただの惨めで愚かな豚だ。

歌って踊るだけのこの世の屑だ。

臭い口を閉じろ。

キーボードを叩き割れ。生きる資格など無い。

彼が評価されるべき理由は「死んだから」ではない。

生きて、素晴らしい小説を書いたからだ。

ブックファースト新宿店様ではただいま「伊藤計劃を超えろ!」フェアを開催中です!

藤井太洋さんも含めた次世代SF作家代表作がドバーッと網羅されています! 必見です! http://pic.twitter.com/soYpfhPPDn

恥じろ。 醜い。

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