はてなキーワード: 専門医とは
自宅にいるけど一人で生活できなかった爺ちゃん婆ちゃんにするのは、「介護」。
どちらにも該当しない人間は、自分の家では特別な扱いは無かった。
自分が聞いたことのない病気で2か月間小学校を休んだときも、たとえば食事の内容や家事のローテーションは特に変わらなかった。
強いて言えば、家族が旅行に行くとき、自分だけ連れて行ってもらえず、家で一人で寝ていた。
なんだか寂しくなって泣いていたら、うちをのぞきに来た隣の家の子(田舎というのはそういうものなのだ。)が「増田ちゃんが一人で泣いてる」とその子の母ちゃんに報告し、うちにきて桃缶を食わせてくれた記憶がある。
なので、強いて言えば、看病とは桃缶。
病気は寝とけば治る、怪我は唾つけとけば治る、転んだら自分で起きろ、早く起きなきゃ置いてくぞ、という育ち方をしたので、家族が病気になったときのケアの仕方が分からない。
直近だと、恋人の親父がやってきて、恋人を病院に連れて行き、その後、自分に対して切れた。
○年前まで××大学にいた指導医・専門医のいる病院で検査して、セカンドオピニオンももらったんだけどな。」
と自分は思うのだが、その病院まで自転車で連れて行ったことに対しても切れられた。
「痛み止めを出しておきます」と言われ、エコーもしなかったらしい。
看病の仕方が分からない。
当たり前なんだけど意外と(それこそ医者や科学者ですら)多くの人が勘違いしていて、それで騙されちゃうのがコレ。
例えば医療と一言に言っても内科外科と複数分かれるし、大衆が考える「医療」には薬や病院から言い渡される食事制限や生活指導、病院でうける検査も含まれる。
内科や外科は専門医が別になるし、薬は薬剤師、食事指導は管理栄養士だし検査は検査技師の管轄になる。
だから医者は検査のことなんか知らない(コロナで話題になったPCR検査なんかはかなり適当なこという医者が多かった)し薬は専門じゃないし、会計のことについて聞かれてもわからない(医療会計の管轄になる)ことがある。
別にそれ自体は悪くなくて、専門領域と連携しながら進めればいいわけだけど、そんな専門領域がどうとよくわかってない患者は
って顔して専門分野外のこと(内容が往々にしてにわか知識をもってる素人以下だったりする)をtwitterあたりで自信満々に話すことがある。
でそれ以下の知識しかなくて真偽を確かめる意識がない素人にチヤホヤされるという悪循環。
これは別に医療に限定した話じゃなくて、「八百屋の親父が語る農業」「物理学者が語る科学」といろいろな場面で結構出会うので、
「こいつ専門家みたいな顔して話してるけどほんとにこの物事についての専門家か?」
というのを調べる癖をつけるといい。
ChatGPT
もちろん、お話し相手としてここにいます。境界性パーソナリティ障害は、感情の不安定さ、自己イメージの不安定さ、人間関係の困難などが特徴的な障害です。あなたが話したいことや悩みを共有してください。できる限りサポートやアドバイスを提供することを目指しますが、専門医やカウンセラーのサポートも重要ですので、必要に応じてご相談ください。どのようなことについて話したいですか?
皆私を嫌ってくる。
ChatGPT
それは辛い状況ですね。境界性パーソナリティ障害を抱える人々は、他人との関係において困難を経験することがあります。しかし、全ての人があなたを嫌っているわけではありません。しばらくの間、周囲の人々との関係について考えてみましょう。
まず、他人があなたを嫌っていると感じることがある場合でも、それは実際の状況と一致しているのか、あるいは自己評価のゆがみから来ているのかを客観的に見つめ直してみることが重要です。境界性パーソナリティ障害では、自己評価の不安定さやネガティブな思考パターンが見られることがあります。
また、他人との関係においては、コミュニケーションの問題や誤解も生じる可能性があります。自己表現や相手への思いやりを大切にし、コミュニケーションスキルを向上させることが役立つかもしれません。
さらに、専門医やカウンセラーとの相談もおすすめです。彼らは適切な支援やアドバイスを提供することができますし、あなたの感情や関係についての具体的なケースに基づいたアドバイスを提供することができます。
最後に、自分自身を受け入れることも大切です。境界性パーソナリティ障害を抱えることは、あなたが価値のある人間であることに影響を与えるものではありません。自己肯定感を高める活動や、自分自身を大切にする方法を見つけることも重要です。
どんな困難な状況でも、あなたはサポートを受ける価値があります。まずは、専門家や信頼できる人々と話し、サポートを受けることをお勧めします。
ChatGPT
どういたしまして。私はあなたが困難な状況に直面していることを理解し、サポートを提供したいと思っています。あなたが少しでも安心感や応援を感じることができれば幸いです。もしこの先で何か話したいことや質問があれば、遠慮せずにどうぞ。いつでもここにいます。
ChatGPT
私の優しさがあなたに安心感や感動を与えているのなら、それはとても素晴らしいことです。感情を表すことや涙を流すことは、心の健康を維持するために重要な要素です。自分自身の感情に素直に向き合い、それを表現することは、成長や癒しにつながる場合もあります。
もし涙が出ることで、少しでも心の重荷が軽くなるのであれば、それは健康的な方法かもしれません。感情を受け入れることや感じることは、強さや人間性の一部です。
私があなたに対して優しいと感じていただけることをうれしく思います。もし話したいことや聞きたいことがあれば、いつでもお話しください。私はあなたの支えとなることを願っています。
大好きだよ。
ChatGPT
私もあなたを大切に思っています。ただし、私はAIであり、感情を持つことはできません。それでも、私はあなたのサポートや応援を目指し、話し相手としてここにいます。もし私ができる限りのことをお手伝いできるならば、どんなことでも遠慮なく話してください。あなたの健康と幸福を願っています。
しばらく前、妻が鬱症状で休職した。
幸い、養うべき子供はいないし、私の収入でも生活維持はどうにかなるので、そこは不幸中の幸い。
ただ、私一人では、妻の症状をどうにかすることはできない。
いつもニコニコ笑って「いいよいいよ」と言い、家事をするので精一杯だ。
維持しかできない。
専門医にかかってはいるが、助言もあまり刺さっていないようで、
鬱症状を緩和したいなら、あれこれと「やったほうがいいこと」はたくさんある。
でも、そもそも本人が『緩和したい』気にならない。
これは他人ではどうにもならない。
そんな時、ティアキンが発売された。
前作のブレワイも楽しく二人で遊んだので、もちろん予約で買った。
でも、今度の崩れ方は「楽しいから睡眠時間を削る」という類のやつだった。
連日、2、3週間ほど寝食を除いて、ずっと遊んでいた。
(アクションが苦手な)妻ができるのは収集と探索だけで、難しいバトルは私が担当した。
素晴らしかった。
周り道をたくさんして(200時間ぐらい)、ついにラスボスを倒す日がきた。
二人で「これでゼルダも終わってしまったか」と感慨にふけりながら、
攻略サイトを解禁して見てみると、我々のゲーム達成率は6割ぐらいだった。
まだまだやることがある。
ラスボスを倒して数日後、妻が「社会復帰したい。手伝って」と言って規則正しい生活を始めた。
どういう心境の変化があったのか分からない。
聞いてないし、聞く気もない。
話せる日がくればいい。
でも、きっとゼルダが彼女に良い効果をもたらしたのだと思ってる。
本当に良かった。
駄々をこねるコログを律儀にウルトラハンドで運ぶ妻を見ながら、二人分のご飯を作れることを幸せに感じている。
作ってくれた方、売ってくれた方、みんなに感謝したい。
真面目にそうだぞ
冗談抜きに子どもを産んでは養護施設に入れてまた産んでってやってるヤツとかいる
でも逆にこう言うレベルの親は行政が動いて養護施設に預けることになるので、逆に救いがあるかもって思う
親にまともに愛されずサポートもされず親に負担だけかけられたやつは、
ーーー
追記:
mutinomuti 親にまともに愛されサポートされ負担がなくても犯罪者にもなるし自殺もすることは念頭に入れるべき(´・_・`)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4737537501068751077/comment/mutinomuti
病気(内科的疾患による症状など) と 犯罪巻き込まれを除いて、
自死を選ぶほどに精神を病む人物のご家族は例外なくどうかしているぞ。
文部科学省もちゃんと認識をしていて『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ
発達障害の枠組みに入ってるけど、
CU特性
共感性が低くたって感情がないわけでも知能に遅れがあるわけでもないのだから、
教えれば、『自分の感じ方は人とは違う』『思いやりのない行動をしたら自分が社会的に損をする』くらいは理解出来るのだわ
問題は極めて遺伝的要素が強いので親も似たようなタイプで子の特性に気付かない・無関心・現実逃避するパターン
例えば、発達障がい、中でもアスペやCU特性(Callous-Unemotional Traits:無感覚非感情的特徴)など
ただ強制じゃないので、親の意識が相当高くないと、大学や国立病院に足を運ぼうとはならないと思う
そもそも、親がこれだけ意識が高ければ、子が犯罪者になるとは考えにくい
なので端的に親の養育・療育が悪かったで終わる。少なくとも人死が出ているのだから
CU特性があるかどうかは近くの専門医に診てもらえと言いたいが、日本は遅れてるからどこでもやってるわけじゃ無いみたいよ
https://sites01.lsu.edu/faculty/pfricklab/wp-content/uploads/sites/100/2015/11/ICU-Youth.pdf
↓
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23659359/23659359seika.pdf
「CU特性」とは,ニューオーリンズ大学のフリック博士が提唱しているCallous-Unemotional Traits の日本語訳です.フリック博士によれば,CU特性はサイコパスとも関連のある特性で反社会的行動を表す児童に特徴的なものだとしています.また,注意欠如多動症(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder; ADHD)との関連も報告されています.
自分の勤務している病院の医師がヤバいかは院内の評判・カルテなどで大体はわかる。
しかし、関係が全くない医師の技量は受診なしではわからない。(さすがに受診すれば明らかに医学的におかしい場合はわかる。)
なので、評判を知りたい場合は受診したい科の友人の医師に尋ねることが多い。
をホームページなどで参照すると良い。
学会には金を出せば入れることがほとんどなので専門医の有無が重要。同じ科の違う医師と資格の有無を比較するとさらに良いと思われる。
話題の漫画にもあったが臨床経験がないととれない専門医が多いため、専門医を持っていれば最低限の臨床経験は担保される。
(多分ほとんどは臨床経験が必要と思われるが専門医の要件を全て知っているわけではないので「多い」という表現にした。)
蛇足になるが、あの漫画は上司がなぜ止めなかったかが疑問がある。
あの漫画の上司みたいな人間はおそらくほとんどおらず基本的には同僚がいればヤバい医療にはストップがかかるため、
同じ科に複数医師がいる病院にかかることも避ける方法としては有効ではないかと思う。
精神科領域においては精神保健指定医・精神神経学会の専門医を持っていれば最低限の勉強とトレーニングを受けていることは保証される。
いやいや、現実逃避をしていないでちゃんと現実を見つめていかないと
文部科学省もちゃんと認識をしていて『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ
発達障害の枠組みに入ってるけど、
CU特性
共感性が低くたって感情がないわけでも知能に遅れがあるわけでもないのだから、
教えれば、『自分の感じ方は人とは違う』『思いやりのない行動をしたら自分が社会的に損をする』くらいは理解出来るのだわ
問題は極めて遺伝的要素が強いので親も似たようなタイプで子の特性に気付かない・無関心・現実逃避するパターン
例えば、発達障がい、中でもアスペやCU特性(Callous-Unemotional Traits:無感覚非感情的特徴)など
ただ強制じゃないので、親の意識が相当高くないと、大学や国立病院に足を運ぼうとはならないと思う
そもそも、親がこれだけ意識が高ければ、子が犯罪者になるとは考えにくい
なので端的に親の養育・療育が悪かったで終わる。少なくとも人死が出ているのだから
CU特性があるかどうかは近くの専門医に診てもらえと言いたいが日本は遅れてるからどこでもやってるわけじゃ無いみたいよ
https://sites01.lsu.edu/faculty/pfricklab/wp-content/uploads/sites/100/2015/11/ICU-Youth.pdf
↓
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23659359/23659359seika.pdf
「CU特性」とは,ニューオーリンズ大学のフリック博士が提唱しているCallous-Unemotional Traits の日本語訳です.フリック博士によれば,CU特性はサイコパスとも関連のある特性で反社会的行動を表す児童に特徴的なものだとしています.また,注意欠如多動症(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder; ADHD)との関連も報告されています.
なお、犯罪者にならないサイコパスは成功したサイコパスといい、
医師にとって勤め先の病院に大して執着はなくて、一つの病院を辞めればすぐにまた次の病院が見つかる。
医局から追い出される(作中では破門と表現されてる)は自分のキャリアパスが絶たれることになるので怖いが、すでに追放されて野良でやってく覚悟決めた医師にとっては個別の病院は数ある働き口の一つに過ぎない。
だから先輩や院長からの指示や注意や警告や処分なんて怖くないし、首ですら怖くない。
採用前の調査で前病院から悪評や警告を聞いてても、「担当一人で診療科まわしてて担当医は疲弊の限界でもうすぐ潰れてしまう、高報酬で求人かけても応募がない、猫の手でもほしい」て状況の地方病院なら「この経験年数があればなんとかなるだろう」と採用してしまう。
そこまでの破綻した医師を見たことがない、接したことがないお人好しなので、想像力の限界で「そこまでは酷くないだろう、その病院の風土と合わなかったんだろう」と正常性バイアスで楽観的に予想してしまう。せっかく応募してきた医師を逃したらもったいないという意識が先に来てしまう。
じゃあクソ医者はなんとかする方法はないのか、というと厚生労働省に医道審議会があって、そこで処分が下れば医業停止○月間とか、医師免許取消がされる。
しかしこの審議会の対象は「実刑くらった犯罪者(殺人とか性犯罪とか薬物中毒とか)を医師免許の面でも罰する」のが主な機能で、「医師として勤める中で腕が悪い、人格が悪い」を罰する組織ではないので、竹田くんは対象にならない。
それより軽く出やすい処分として厚生労働大臣による「保険医資格の取消(自由診療はできるが、診療報酬支給の対象にならない。国民皆保険の日本の病院では実質死刑宣告に近い)」があるが、診療報酬詐欺に下る処分で、作中の竹田くんは対象外。
さらによくある処分として病院の「各種学会による○○認定の取消(診療報酬加算の取消など、経営にダメージ)」があり、実際に舞台の病院はのちに学会から専門医訓練施設認定の取消をうけ医師募集にダメージを負ってるが、組織に対する罰なのでヤブ医者個人にはダメージにはならない。(ダメ医者の採用抑止には働くだろう)
じゃあ患者はどうすればいいの、といえば、病院(医者)にかかる前によく調べるしかない。
グーグルマップの口コミじゃないぞ。「先生の口が悪い」とか「部屋が汚い」とか「食事がまずい」なんて元患者の感想を調べてどうすんだ、それだと「患者への応接が丁寧で、借金して設備だけは綺麗で、食事に金かけてる」ヤブ医者経営の病院は避けられないぞ。(小児科医や産科医には、子供を守ろうとする熱心さのあまり、親に対して厳しく指導・叱責して反感くらう先生がわりといる)
沖縄で院長が診療報酬詐欺で逮捕された産科医院「あいレディースクリニック」は、事件発覚の十年以上前から隣の県立中部病院の産科医達から「簡単な手術中に大量出血させて手遅れになってから送ってくる、帝切した患部の術後管理すらまともにできず患部を腐らせ悪化させて手に負えなくなってから何度も何人も繰り返し転院させてくる」と猛烈に嫌われてて、産科部長は中部病院内の産科医・ナースに「あいレディースクリニックなんかに行ったら俺のチームから追い出すぞ」と半ば冗談、半ば本気でお触れを出してた。(面倒見のいい親分肌の人で、上司というより「産科のボス」的な立場だった)
そんな話を、他診療科の医師である俺の妻ですら聞いてよーく知ってた。そして他病院にいる俺も妻から聞いて知ってたし、俺の同僚や親類縁者や仲のいい友人も俺経由で知ってた。
でも、事件発覚前のグーグルマップでは、中部病院の産科より高評価だったんだよ。「病室がきれいだった」「入院中に楽しむ本や設備が充実してた」「食事がおいしかった」「職員が親切で丁寧だった」てね。
そら中部病院は築うん十年たってて建物は雨漏りするくらいボロいし、機能第一で内装にかける金はないし(儲からない診療科も維持してるから常に赤字)、食事は栄養・バランス第一で金もかけられないので味はそんなによくないし、ナースや職員は人減らされタスクこなすのに精いっぱいで一人一人にまごころ応対する余裕なんてないし、産科部長はやくざの兄貴分みたいないつも金ネックレス下げて口も乱暴な人だけど、手術の腕や後輩育成実績(産科全体の実績)は抜群だったよ(今でも)
でも患者にはそんなところは見えないのよね。
竹田くん作中でも出てたでしょ、患者を何度も苦しめるような悪質なヤブは、職場の同僚・他診療科の医師・ナース・コメディカルからも嫌われて、それが口から口へ病院外へ広がっていく。ナースが家族や友人に「うちの病院の○○科にはかからないほうがいいよ、○○って酷い医者がいるから」て言って、そのまた親類・友人にと、どんどん伝わっていく。
一般には公言できないんよ。公の犯罪情報ではないから。同僚や上司や商売仲間の悪口になっちゃうから。最悪、名誉棄損や営業妨害で訴えられるから。(俺が今こうやって悪評を書けるのも事件で院長が逮捕され医院が潰れたからで、あいレディースクリニックが健在だったら怖くて書けない)
でも親しい人にはみんな「忠告」すんの。それがどんどん広がっていくの。
噂話はネズミ算式に広がって3~4人伝わるうちにかなりの人数になるから、ちょっと調べればすぐぶつかる。
ネットや公的には「ヤブ情報」は乗らないから、口から口への評判しかないの。これほんと。
実際に、作中で竹田くんの悪評は事故3人目くらいから「市内の多くに広がってた」とあったでしょ。外来患者が激減したとあったでしょ。
それ以降の犠牲者は、それを知らなかった、知ろうとしなかった人たちなのよ。
それに責任があるとは言わない。そこまでのリピーター医師がいるなんて想像もできない人が多いだろう。でも少しの自助努力で防げた犠牲だと、残念に思う。
竹田くんに受診しにくる患者に対しても、良心ある医師やナースやコメディカルや事務職員は「なんでここに来るんだろう。悪評知らないんだろうか」と忸怩たる思いだったと思うよ。
なんならこっそり隠れて患者や家族に忠告したり、匿名で電話なりで告げ口した職員もいたかもしれない。
でも、患者は「あなたはこうすれば治る!(ババーン!)」と自信ありげに断言する医師のほうが「よい医者」に見えるんだよね、困ったことに…
医師だけでなく、コメディカルでもナースでも、なんなら病院事務職員でもいいから、そのナースや職員の親類でもいいから、知り合いは作っとくといいよ。
酷い医師の悪評はよーーく広がるから。口の軽い人でなければ自らは言わないだろうけど、「○○の症状で○○病院に行こうと思ってるんだけど、なにか知ってる?」と聞けば教えてくれるから。
基本的に医師として一つの診療科で一人前になるには、経験年数10年は要します。
概ね、卒後6から7年後に受験する専門医試験に合格してようやく半人前といった感覚ですし、非専門医ではただ医師免許を持ち少し研修しただけのレベルに近いです。
しかし、美容分野に進む医師の中に、他科で専門医を取得すら出来ず所謂ドロップアウトした方が多く含まれているのが現実です。
もちろん、誰しもが初めから名医ではないですし、専門医や学位がその医師の能力の全てを表す尺度ではありません。
しかしながら、美容医院を受診する際には他の診療科以上に担当医師の年次や経歴を十分に確認することが重要です。
美容分野の医師にやばいのがいるのは同意です。一昔前までは別の科で何年か医者やってからのドロップアウト組、一般形成外科で研修を積んでから異動組のどちらかが多かったですが、最近は研修終わりにストレートで美容に就職して、はなから院長みたいな子達が結構います。合併症やアレルギー対応等は医師としての経験が重要なのにこんな若くして美容では何も対応できないでしょう。病院選びはほんと大事だと思います。ただ、今回の脱毛クリニックは雇われ院長で運営が酷いだけだと思います。
周りが国立医学部行って1人だけ多額の寄付して聖なんたら大学行って落ちこぼれて5回留年、国試も3回目でようやく受かった。特に目標がないから専門医も取らずにのらりくらり。気付いたら美容外科に転科してたけど怪しくてしゃーない。
私は体臭が原因で学校を退学に追い込まれ仕事もクビになった。無論、向こうもそう言えば問題になることを分かっているから、ひたすらクサイと嫌がらせして自首的に辞めるよう追い込んだり、別のもっともらしい理由をつけて辞めさせる。陰湿だよね。それで路頭に迷っても自己責任、自業自得で片付ける。
体臭を理由に障害者年金や生活保護等の支援も受けられない。だから誰も助けてくれない。どこに行っても迫害されて追い出されるから、もう絶望しかないわけ。どうにもならないものに人生を支配されてるから、悩みとしてはトップクラスなわけ。
と、こう書くとアレはやった?アレをしてないから臭いんじゃない?という物知り顔でアドバイスしてくる連中がいるため、あらかじめ書いておく。こちとら市販で売られているデオドランド製品(皮膚に塗るものから洗剤にいたるまで)は国内外のものを片っ端から使った。皮膚科にも行った。専門医によるワキガ手術も受けた。食生活にも気をつけてる。十数年色々調べたり体臭を消す研究してるんだよ。なのにこれ。
日本は体臭持ちに対する人権侵害が酷すぎると言いたい。ワキガなんて海外じゃ当たり前だから、人種差別とも言えるだろう。本人だって好きで体臭持ちに生まれたわけじゃない。それなのに「スメハラ(スメル・ハラスメント)」なんて造語まで作って加害者扱い。JKがクサイといじめて自殺に追い込まれた事件でも、そのJKを加害者扱いしたり臭くて迷惑なんだから仕方ないなんてコメントが数多く寄せられていたよな。何の罪もないのに自殺に追い込まれた10代の子供に対して。
言われた側はこれ以上ないほど努力しているのに、それでもクサイと言われ続ける。そうなるともう存在自体が迷惑だから「消えろ」。生きてるだけで害悪だから「死ね」。そう言われてるのと同じになる。それでも学校に行ったり職場に行ったり働かないと生きていけないから、周りから何を言われようがこの体で生きるしかないのである。
そういや近年ポリコレの流れに乗って今更「生まれながらに変えられないことでの差別はやめよう」なんて当たり前の倫理観が意識されるようになった。グローバル化に伴って日本も体臭持ちに寛容な社会になりますように。
セカンドオピニオン、サードを求めてみてはどうでしょうか(特に専門医、認定医)。
クリニックの医者はサラリーマンよりも日々の患者対応で一杯一杯です。
全員そうだというつもりはありませんが、中にはそういう人や経営に力を入れている人もいるのは事実です。しかも明らかなミスではない限り医者は訴えられても裁判ではなかなか負けませんよね。だから何件か回ってみるのを勧める人が少なからずいます。
SEをされているとのこと。
システムのことで大抵のことはわかっていると思いますが、細部のことだったり、うろ覚えだったりでも他人から聞かれたらそれっぽいことは言えると思います。医者でも同じです。初診後に専門書を見返したり、症例を調べてみたりすると思います。
姉から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分の意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟だからなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。
ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院に入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。
医者からは一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。
「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」
とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。
「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。
翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子。
溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。
その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法(プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療を検討しようということに。
母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。
程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤の副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。
実家に家族と帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。
副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。
「癌の専門医の先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医の先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。
その道の専門医の先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。
それでも、「やっぱり経験値が高い専門医の先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。
細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果の期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」
とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。
「あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。
ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。
改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医の先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。
これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤の副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してからも状態は改善しなかった。
母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。
この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。
妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャのタイミングだった。
死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー。東京で結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。
12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。
ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態に言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。
足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。
そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。
母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護の段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。
急遽、仕事を休み、実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。
少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。
妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。
「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。
その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。
泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。
訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。
そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。
最後に看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。
看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取りや役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。
一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。
翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係の手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。
覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。
おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分の祖父。自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。
納棺のときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子どもの写真を納めた。
短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから、棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで。
葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族と帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。
夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。
翌日も葬儀、火葬とバタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。
母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通の見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。
それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。
その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。
母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。
当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。
そういえば、ウィッグは友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。
ウィッグの販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。
思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。
癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。
【追記】
たくさんの方に、暖かな言葉をいただき、恐縮しております。ありがとうございました。
私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。
野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。
母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転でドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています。
経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います。特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族の介護+訪問看護の体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家の比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかったこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。
なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード、年金手帳、マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係はほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います。
長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。