はてなキーワード: 大江健三郎とは
SSクラス 江藤淳、柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎、谷沢永一、村上泰亮、中村元
Sクラス 小室直樹、浅田彰、福田和也、渡部昇一、呉英智、蓮實重彦、永井陽之助、中村雄二郎、すが秀実、佐伯啓思、高澤秀次、筒井康隆、小谷野敦、菅野覚明、養老孟司 見田宗介、佐藤誠三郎、大森荘蔵、西部邁
Aクラス 丸山眞男、吉本隆明、長谷川三千子、丸山圭三郎、橋本治、村上陽一郎、佐藤優、松岡正剛、伊藤貫、猪木武徳、坂部恵、坂本多加雄、大澤真幸、中川八洋、永井均、野矢茂樹、小浜逸郎、飯田隆、河合隼雄、片岡鉄哉、鎌田東二、梅棹忠夫、竹内洋、山本夏彦、山口昌哉、入江隆則、
Bクラス 猪瀬直樹、坪内祐三、中沢新一、御厨貴、橋爪大三郎、鷲田清一、北岡伸一、池田清彦、中西輝政、立花隆、山本七平、宮台真司、桶谷秀昭、宮崎哲弥、司馬遼太郎、古田博司、市川浩、東谷暁、苅谷剛彦、秋山駿、関岡英之、加藤尚武、浅羽通明、松原隆一郎、東浩紀
Cクラス 中島岳志、鎌田哲哉、兵頭二十八、内田樹、森本敏、村上龍、西尾幹二、仲正昌樹、大江健三郎、齋藤孝、森岡正博、富岡幸一郎、小泉義之、井沢元彦、桝添要一、中西寛、中島義道、鄭大均、山内昌之、村田晃嗣、山形浩生、林道義、松本健一
Dクラス 斎藤環、福岡伸一、副島隆彦、榊原英資、梅原猛、寺島実郎、佐藤健志、大塚英志、五木寛之、笠井潔、潮匡人、高橋源一郎、岸田秀、山田昌弘、竹中平蔵、池田信夫、萱野稔人、大川隆寛、大森望、櫻田淳、上田紀行、手嶋龍一、和田秀樹、藤原正彦、中野剛志
Eクラス 佐々木中、村上春樹、三橋貴明、田原総一郎、木村太郎、池上彰、竹田恒泰、切通理作、島田雅彦、酒井信、夏野剛、苫米地英人、上野千鶴子、姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣、小阪修平、佐藤亜紀、
Fクラス 糸井重里、加藤典洋、中上健次、勢古浩爾、北田暁大、藤原和博、小熊英二、佐々木俊尚、西條剛央、玄田有史、城繁幸、茂木健一郎、岩田温、千葉雅也、岡田斗司夫
Gクラス 小林よしのり、宇野常寛、勝谷誠彦、荻上チキ、鈴木謙介、勝間和代、伊坂幸太郎、濱野智史、赤木智弘、坂本龍一、いとうせいこう、上杉隆、酒井順子
Hクラス みのもんた、久米宏、古舘伊知郎、ハマコー、太田光、水道橋博士、テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ、森永卓郎、ホリエモン、津田大介、ひろゆき、中村うさぎ、雨宮処凛、桜井誠
進路選びというのは日本で受験戦争が行われている限り尽きない。
周りに相談できる人がいればいいが、私のように高卒の両親、親戚も高卒、まわりも…
あと、あまり自分に夢がなくて進路に興味がないという人もいると思う。
この文章はそういう人に大いに役に立つと思う。
話題としては
の4つになる。
文系と理系には大きな差があるというのは高校までくると大体わかってくるかもしれない。
得意かどうかわからないぐらいテストの成績が全部悪い、ということもある。
こういう場合は本当に困る。
文系から理系というのは、独学が難しいので追いつくのが非常に困難だ。
文系科目は暗記中心なので一人でできる。
理系科目はそうでもない。解法がわからないとサッパリ解けないということがある。
なので、得意科目を考えてみても自分が理系文系判断しかねる人はとりあえず理系に進もう。
あと貧乏で塾に通えない場合、文系になるしかないのはしょうがない。頑張ろう。
そこで出てくるのが、総合大学である。総合大学というのは学部が複数ある大学のことで
ふつうは入学してからも転学部という専攻を変えることができるシステムがある。
再入学に比べたら全然大した手間じゃない手続きで専攻の変更が完了する。
だから、やべえ興味なさすぎる、と入学してからなっても安心である。
学部の選択に対して保険がきくので、迷ったら総合大学に進もう。
さて、文系であれば大学院に残ろうというのはよほど志が高いか、
学部から専門的な内容の環境だったということで、院にすすむことは悩まないかもしれない。
理系なら研究室のナガレで進んでしまうこともあるかもしれない。
責任は自分で取るとして、あまり悩まずに進学してもよいと思う。
研究は厳しかったり、放置だったり、いろいろあるが正直学部と比べて異様な世界だ。
教授や学生、研究、いろいろあるが、合う合わないで途中で退学していく人も本当に多い。
そういう人うまく就職している。気軽に出入りするべきだと思う。
本を読むと大江健三郎は小学校のころまでは研究者になろうと思っていたが、
教師から「体力、知力、金」の3つのうち2つが研究職になるには必要と言われ、やめたらしい。
まさに、その通りで、ここまでくると本当に実家が裕福な人間が多い。
周りが当たり前のように時間を金で買う様子を見て吐きそうになることがあるので、
体力と知力だけでなく、それでも資本主義を憎まないという精神力を高める必要がある。
ここで、一度よく考え直してほしい。
途中くじけた時に二度と大学にも社会にも出ていけなくなる人だって本当にいる。
博士過程中だってただでさえお金がないのに多くのただ働きを体験するだろう。
さらに優秀な学生は博士からDCなど金が出ている人だっていて、ストレスがもっと発生する。
こんなにストレスをためてもし博士が取れたとして、これだけでは本当に食っていけない。
大変優秀な知り合いだって、日本でトップクラスの研究を長くしていたにもかかわらず、
給料は修士を卒業して就職した子と同じぐらいだった。これはそういうものなのだ。
博士に進学するのを迷う年齢であれば、もう周りの友達が結婚している年齢である。
それも数年たてば、こっちがポスドク先を探して就職活動をする中、
今度は周りは車や家を買って、子供もいる。年賀状も家族写真が増えていく。
いくら好きなことをしているからと言っても、まともに生きる周りの人間と違いすぎて死にたくなる。
ある日気づくと社会と大きな壁ができているのがわかる。
次は研究という自分と似た人間のコミュニティは特別居心地がよく、ここしかないと感じてくる。
博士進学から、どんどん社会と隔絶された変態に仕上がっていくのだ。
運よく変態にならずに済んだとして、
まわりの社会性のない変態たちと付き合いを長くしていくことができるだろうか。
社会性の備わっていない変態たちだ。よっぽど好きでもない限り、これは本当につらい仕事だ。
理系なら医学部にいっときゃよかったと、思うこともよくあるだろう。
まだ、遅くはない。
普通の家庭の出身で、普通の未来を捨てても後悔しないぐらいの覚悟がないならば
君はよく頑張った。進学先というのがある限り、このレーンから外れるのは怖いだろう。
もう進学しなくてもいい。
ぼくは外国の文学好きで読みまくってるけど、日本文学はほんとにつまらないと思う。好きな作家なんて数人しかいない。海外の小説読みなよ。肩慣らしに19世紀小説から読むのがおすすめ。日本文学ははっきりいってつまらないよ。日本文学ならまずは大江健三郎を読んでみるといいと思う。なんだかんだいって世界クラスだから。大江がだめなら文学向いてないってことだと思う。そしたらあきらめてエンタメ小説読んでたらいいよ。読書にも適性ってあるし、文学が向かないってのはある意味幸せなことだと思うよ。実際、日本では純文学なんて廃れてるしね。もう文学なんて必要とされてないんだわ。
私見だが、夏目漱石の三四郎が文壇で評価され、「日本近代文学の祖」になった理由は、案外単純な理由な気がする。
「三四郎に描かれてる帝国大学の学生模様が、文壇主流派にとって『インナーな話』で懐かしかった」から、
分かりやすく書くと、文壇の大御所たちも東京帝国大学の出で、だから夏目漱石の三四郎は「東京帝国大学物語」で、心地良かった。
それまで「東京帝国大学物語」を書いた作家はいなかったから、その意味では夏目漱石の目の付け所はシャープだった。
よく考えたら、東大生の日々を描いた小説って、「三四郎」以降、存在しないんじゃないか?
東大生自身にも責任があるが、東大OBは、「三四郎」みたいなリアルな「東京大学物語」の小説化を怠ってきた、
一方で、ライバルである京大は、最近「鴨川ホルモー」で登場したりしてるのが羨ましい。
実際、東大が舞台の小説は後森鴎外と大江健三郎にしかないようで、このままでは世間は東大は「江川達也のマンガの世界」と誤解しちゃう。
※いや、東大の様子は、東大OBの「私の履歴書」を断片的に繋ぎ合わせれば、判るかな?
「三四郎」時代の東大は、あれはあれで趣きはあるが、工学系統が全く描かれてない点で今の東大とは別物。
せいぜい生糸工業と綿紡工業しか日本になかった三四郎当時の東大工学部と、現代の東大工学部で、「プレゼンス」が雲泥の差なのは当然。
私は原作の漫画は読んでいませんが、アニメは毎週兄と一緒に楽しく見ていたのでその感想を書いてみます。ネットでこころない大人たちによって叩かれすぎだと思うのです。すくなくとも私の周りでは大人気ですし、時代についていけないセンスのない大人たちが若者文化を叩くのを見ると私はとても悲しい気持ちになります(いつの時代もそうだったのでしょうか)。
私はこの作品に触れて、作品内容が類似しているかどうかはともかくとして、アルベール・カミュ『ペスト』、ジーン・ウルフ『新しい太陽の書』、スティーヴ・エリクソン『Xのアーチ』、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、安部公房『飢餓同盟』、大江健三郎『万延元年のフットボール』などを思い出しました。『進撃の巨人』はこれらの小説のどれにも劣らない深みと非常に高いクオリティを持った稀有な少年漫画なのだと思います。その作風はアニメを見る限りたしかに単純で素朴で荒削りですが、作者の諫山創先生は、世間にあふれる自意識と自尊心だけは一人前の凡庸な作家たちが血も滲むような努力をしたところで一生得ることのできない文学的センスというものを無自覚のうちに獲得していらっしゃるようにわたしには思えます。
壁の向こうには海があって、海には宝とも言える塩がたくさんあるとエレンとアルミンが目を輝かせて会話するシーンがあったと思います(アルミンかわいい!)。壁の外に真の楽園を夢見ながらも、壁の外の脅威=巨人によって偽りの楽園である壁の内側にとどまるしかない人類。そして偽りの楽園は日々縮小傾向にあり、もはや人類は楽園という夢想を捨て現実に立ち向かう必要に迫られています。もし外からの脅威によって人類の生活圏が縮小しないのなら、人類はこのまま壁の内に閉じこもったまま、一種の自己欺瞞によって自らを制御し動かしながら、秩序を維持することに一生を捧げていたでしょう。そうした変化のない永遠の倦怠ともいえる世界では、いずれ歴史が失われ、始まりも終わりもない空白の永続状態だけが文字通り無意味に残る、いや、それは記録されないので残るというよりは虚空に漂うことになるでしょう。しかし『進撃の巨人』の世界では人類は変化を迫られました。そしてその変化を迫ってきたのは、脅威=巨人なのですが、その巨人とは人類自身だったというわけです。
現状を打破せよ変化せよという声なき声、暗号を発しているのが巨人ですから、巨人とは人類の無意識の飢餓感、欲望のメタファーだと思います。そして人類は自らの欲望の代理人である巨人と戦わなくてはなりません。これは自己矛盾をはらみます。人類はみずから欲望をいだき(巨人を生産)、みずから欲望を抑圧し(巨人を駆逐)、みずから破滅します。いつしか人類の欲望は敵となっています。それは生への意志を否定するものです。みずからの欲望が真の楽園への道を閉ざし、日々縮小する偽りの楽園において鬱屈とした毎日をゾンビのように送るしかなくなっているのです。原始においては槍で戦うしかなかった人類が、科学技術が進歩したことによって、核兵器や生物兵器などのとんでもない力を生み出すようになってしまいました。長い歴史にわたる真理の探求と知識への欲望が私たち人類の生活を豊かにし明るい未来へと導いてくれるはずでしたが、洗練された人類は新たなそれまでとは比較にならない圧倒的に暗愚で野蛮な状態に陥ってしまったのです。巨人に性器がないのは必然で、それは人類の欲望なき欲望だからです。欠如によってしか私たちは未来を示すことができなくなってしまったのです。
そんな行き詰まった世界で人類はどうやって生きていったらいいのでしょうか。巨人を完全に駆逐したとき人類は絶滅するでしょう。これは勝利なき戦いです。かならず負ける戦いです。私たちに突きつけられたこの運命に私たちはどう立ち向かうべきでしょうか。友情によって? 愛によって? 暴力によって? 狂気によって?
現代社会ではみなそれぞれが不安をかかえて生きています。それは生存の不安です。自分の不安に無自覚でいることはもはや許されません。人類の足場はもろくも崩れ去ってしまい、そうしたなかで人類は原始への回帰、裸で樹上生活をしていたころに戻ろうと、立体機動装置で最後のあがきをこころみるのです。これだけの技術力がありながらどうして他の兵器を作らなかったんだという批判がありますが、腰部から射出されるアンカーが射精のメタファーだということを考えればそれが無意味な批判であるということがわかります(そもそも巨人の完全駆逐は目的ではありません。巨人を完全に駆逐したとき人類は絶滅するからです)。人類はアンカーを射出しなければならなかったのです。それが人類の見た最後の夢だからです。かつて液状で運動性に優れていた精液はこの時代においては外的要因によって働きかけられないと動かない冷たい鉄になってしまいました。それでも人類は去勢不安を打ち破るために重い腰を上げてさびついたアンカーを射出しつづけなければなりません。それはまさしく不条理な悪夢ですが、しかしこれこそ現代の私たちがおかれている状況というわけです。
現代は論理的な未来予測というものをつねに逸脱し飛躍し暴走して、私たちの手の届かないところに行ってしまいます。私たちは世界から疎外され置き去りにされ、存在理由をはぎとられてしまっています。人類は人類自身と向き合い戦わなくてはなりません。しかしその戦いには勝利というものがありません。滅亡へのゆるやかな推移があるだけです。
私は『進撃の巨人』は現代社会へ警鐘を鳴らしているのだと思います。私たちは自分の巨人とどう向き合うべきでしょうか。私たちは当然のように幸福を追求しますが、その幸福とはいったいなんなのでしょう。希望なき時代の希望とは? 光なき時代の光とは? 私たちは絶対者、神を殺し、あるひとはそれを人類の勝利だと誇りさえしますが、依然として私たちには難問が残っているのです。
こんなニュースがありました。「進撃の巨人 : 最新巻が初の初版200万部突破 1巻の50倍超、「ワンピ」に続く快挙」(http://mantan-web.jp/2013/12/07/20131206dog00m200072000c.html) やはり時代に求められているので売れているのだと思います。批判している大人のひとたちは自分の愚かさをよく考えてみてください。
http://anond.hatelabo.jp/20130830202223(最初のトラバ先)
http://anond.hatelabo.jp/20130831142238(自分の記事)
元増田の人が2nd Seasonを書いてくれたので、こういった若い人たちに役立ちそうな知識をさらに追記してみたい。
(実は若くなかったら申し訳ない)
念のために書いておくけれど、僕は最近のラノベ専門学校の実態は知らないし、体験入学に行ってみて入らないというのは、優れた判断だと思う。
実際に教師の質をどう担保しているのか不透明だし、やはり意識の低い学生も多い。(自分の時は、おおよそ2割=10人は中退した)
教師は別に仕事を持つ社会人が多く、どちらかというと偏った業界の偏った人格の人達で、しかも扱う分野が本来主観的なものであって、生徒への評価も心情的になりやすい。
それに、最近のラノベブームで、雨後のタケノコのように学校が開かれているのかもしれない。
そういったところはやはりノウハウも無いだろうし、授業の質も低いだろう。
(余談だが、僕が通学していた当時は、まさかこれほどラノベが流行するとは正直誰も思っていなかった。ただ、先生は「これからミステリー小説のように定番ジャンル化するだろう」と予言していた。涼宮ハルヒも出ていない頃だ)
だから、専門学校に通わないというのは、比較的低リスク・低コストで賢明な判断だと言える。
しかしながら、元増田が挙げてくれた問題について、それを断定のまま終わらせてしまうのはもったいない。
特に3番目の問題、
でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?
元増田が残念なのは、この深い疑問を、専門学校の体験入学ごときで解決してしまった気分になっていることだ。
僕自身、先生に教わったり罵倒を受けたりしながらも、この疑問に突き当たった。
そして、学校の内側と外側の両方で、この問題について世の中の頭の良い人達がどのように携わってきたか、それなりに気にしてきた。
おそらく、以下の参考資料を全部精読し、実習を行い、誰か信頼できる人からの客観的な添削を受け、頭だけではなく全身に技術をしみ込ませることができれば、決して取り戻せない数百万円と数年を賭して専門学校に行く必要など、皆無だろう。
また、下記ばかりでなく、もっと体系的でしっかりした知識が学べる大学なり海外大学なりケンブリッジやオックスフォードもあるかもしれない。
そういったものがあると分かったら、単純にそこへ行くべきだ。
文芸的な文章を除く基本的なライティングについては、古典的な書籍がたくさんある。
下記2冊は、ここで紹介するのが恥ずかしいくらい基本的な書籍だ。
さて、上記のような確立した情報伝達技術ではなく、独自の表現をしてみたり、人を感動させる文章を書きたい場合、そういった技術は教える・教わることができるのか?
それを体系的に扱うことは確かに難しい。そもそも人の感情であったり、表現から受け取る印象が非体系的だからだ。
だからといって、先人がそれを教育の世界で取り扱おうと努力してこなかったわけではない。
どうしても総論ではなく各論になってしまうが、それでも個人的に見て良書は多い。
「文章作法を学校教育のように教えられない」結論に至るのは自由だが、下記書籍を全部読んでから至っても決して遅くない。
「作文」の価値を捉え直した、文章表現の入門書。作品でも製品でもなく、純粋な「作文」そのものの価値を再発見している。
大学の講義をまとめた本。固いタイトルに反して、極めて柔らかい語り口で柔らかい内容を講義してくれている。
だけど、書くことの意味について、「美」について、とても鋭い視点であふれている。
前の文章でちょっとだけ出した。レトリック、つまり、文章で人の心を動かすための体系的知識(!)を取り扱っている名著。
レトリックは長らく馬鹿にされていたらしい(結局、ただの言葉のあやではないか?)が、それを感覚論・認識論・記号論の観点から再評価した名著。
なぜ直喩が隠喩より優れた修辞技法になり得るのか? といったことが詳しく書いてある。
大江健三郎による文学論。そもそも小説や文芸作品とは何を目指すものなのか? といったことを明確に書いてくれている。
それは同時に、読者としての私たちが誠実な文芸作品の中に何を求めるべきなのか? ということでもある。
文章読本は色々あるが、その中でももっとも実践的と言われる丸谷才一の本だ。
歴史的仮名遣いで読みにくく感じるかもしれないが、内容そのものは平明だったと思う。
(しかし、いまなぜか手許に無いので詳しいことは書けない。「ちょっと気取って書け」くらいしか思い出せない)
E.M.フォースターによる文学理論。Amazonで8000円くらい。僕はカチグミなので古書店で1000円で入手できた。
「ストーリーはあまり美しい要素ではありません」という衝撃的な宣言が印象に残っている。
小説というものを本来どう味わうべきか? どう書かれるべきか? という熱のこもった講義録だ。
新装版が出るんだ……。
芥川賞を最年少(23歳)で受賞しながら、文壇に属せず、独りストイックに小説を書き続けている作家の文学指南書。
テクニックの本ではないが、ここで明らかにされている執筆姿勢には衝撃を受ける。
ホームレスをしていた25歳のコリン・ウィルソンが大英博物館で一気呵成に書き上げた文芸評論書。
「アウトサイダー」というキーワードのもと、文学・美術・舞踏・哲学などなどを横断的に眺め渡した名著。
本気で読むと人生が狂う。
先の記事で書いた。全日本人が読むべき。
なんだかこういう本のことを書けるのが嬉しくて、ついかっとなってリストアップしてしまった。今は反省している。
偉そうに書いたけれど、結局は僕も文学界新人賞で名前が小さく載ったくらいの実績しかない人間で、そんなには当てにはならないだろう。
しかし、僕自身が当てにならなくても、何が当てになりそうかの感性は結構あるつもりだ。
教育における教師とはそういうもので、自分ができなくても人の作品を見て添削できたりはする。
失敗している人からだって、むしろ失敗している人だからこそ学べることもある。
そういった人達の行く末をよく見て、やはりラノベなんかやめて、楽しくOS・エディタ・コンパイラでも作ろうと思って欲しいのだ。
amazonのレビューで、多崎つくるのレビューを、ほとんど疑いもなく星5つで記載し、圧倒的な「参考にならない」の評価をくらっているしがないレビュアーです。
ちなみに、今日2013/5/8現在、335人中101人が星5つの評価を加え、星4つの高い評価をつけた人を加えると、335人中182人の半数以上の人が星4つ以上をつけているにも関わらず、現在「最も参考になったカスタマレビュー」は、ドリーなる人物の書いた「孤独なサラリーマンのイカ臭い妄想小説」という星1つのレビューで、9825人中、9502人が「参考になった」というボタンを押しています。
ちなみに星1つの評価のレビューは、323人中、51人しかないにもかかわらず、この評価は圧倒的です。
感覚的にいえば、全体における星の数の比率に、各評価の中で「最も参考になった」というというレビューが、最終的に漸近していきそうなものですが、このドリーなる人物のレビューは、ある種ゴシップ的な面白さが加わり、NAVERとかはてブあたりから迂回してやってきた方々の支援もあったのだろうと邪推しつつ、圧倒的な支持を得、10000近くの人たちに「参考になった」とフォローされているわけですが、その内容は、読めば読むほど気持ちの悪いレビューで、村上春樹をとりまくマーケティングの悲惨さを痛感するとともに、あらためて日本人の文盲具合と、教養のなさと、その教養のなさをひけらかす露悪主義をみせつけられるようでした。
とはいえ。
これも、ドリーなる人物の文章が悪いのかというとそういうのではありません。こういう気持ちの悪い文章は、本来放っておかれれば、そのまま情報の闇に葬りさられるだけであり、問題なのは、こういう情報を引っ張ってきて、「うーん、これはすごい」「面白い」と言っている人々の側に、前述した無教養さの礼賛であるとか、露悪主義のようなものがあるように思うのです。
それで、私は、この駄文が、そもそも情報の闇に葬りされること請け合いなのにもかかわらず、下記の数点の視点に絞って、村上評価およびその周辺のマーケティングの問題について論じたいと考えています。
1.村上春樹の今回の新作の、アマゾンレビューにおける、公平な評価の基準軸(いったい星いくつが適切なのか?)
2.「村上春樹が嫌い」というヤツは、実は「村上春樹」よりも「村上春樹ファンのことが嫌い」という事実
3.村上春樹を100万部売ろうとするマーケティングの問題(そもそもこれエンターテイメント小説じゃないんですけど)
この3点についてです。
■1.村上春樹の今回の新作の、アマゾンレビューにおける、公平な評価の基準軸(いったい星いくつが適切なのか?)
まず、結論から断じて言いますが「多崎つくる」のamazonのレビューを、現在の日本文学における主要作品(村上龍、山田詠美、阿部和重、平野啓一郎、川上・・・などなど)と比較して星をつけるとするならば、星は5つ以外は考えられません。これらの作家の代表作と比較しても、時代的な価値、作品の主題、文体などにおいて「劣っている」という評価をしようがないからです。
もちろん、小説や物語には個人的な共感を読み手の原動力にするという性質上、どうしても「共感できない」という人がいるのは確かなことです。しかしながら、そういう個人的な側面を度外視し、「文学」というジャンルにおいて、日本という国の文化を歴史的に補足、説明する資料として、たとえば、文学作品をピックアップするのだとすれば、本作は1Q84までとはいかないにしても、近年の日本代表クラスとしかいいようがないからです。
2013年、日本という国で出版された歴史的に淘汰を免れる文学作品をあげなさいといわれて、今年、これ以上に素晴らしい「文学作品」が登場するかどうか、私は甚だ疑問です。平野啓一郎の新刊がでればその可能性があるでしょうが、少なくとも、それ以外の作家には期待できません。
abさんご?無理です。
そういう意味において、本作は星5つ以外の評価はありえないと私は思うのです。
しいて別の視点で評価するならば、村上春樹作品全体を相対的に評価するということもできるかもしれません。これについて言えば、私の評価は、星5つに限りなくちかいものの、もしかしたら星4つをつけるかも、くらいのところです。人によっては3つという人もいるかもしれません。それはあくまでも村上春樹作品における相対評価です。
本作は、次につながる長編小説のための助走のような小説です。伏線の回収(村上春樹本人ならば、伏線の回収ではなく、全体を微細に描き切っていないと言いそうですが)、それが十分でないことがその理由です。
しかしながら、これが作品の評価を不当に低くするかというと別問題です。短編小説というのは、その行間に物語の前後や背景を滲ませ、読者に共感の余地を残すものです。これは本作が、短編小説的な位置づけにあるということを示唆しているのであって、村上春樹が手を抜いているわけではないのです。星を1つ減らす理由があるとすれば、「もう少しだけ短くてもよかった」という点でしょうか。短編小説というには、少し長すぎました。
本作は、あくまでも「短編」であり(この人の場合は、もはや「短編小説」がこの長さになってしまうだけ)、あえていくつかのプロットを読者に委ねたのです。これは、文学を読む側のリテラシーの問題です。趣味(つまり好み)の問題ではなく、読む側の技術(読解力)の問題です。
というわけで、個人的な村上春樹の読者として星をつけるならば4つもあり得るかもしれませんが、文学に全方位的に公正な評価をつけるのならば、星5つ以外にはないということをご理解いただけるでしょうか。
もし、理解できないのならば、村上春樹を読む前に、夏目漱石と森鴎外と谷崎と太宰と三島と大江健三郎と諸々読み直すべきでしょう。
それが嫌なら、伊坂幸太郎でも読んでればいいと思います。稚拙な、読解力を十分に満足させるだけの文章にはなっています。
■2.「村上春樹が嫌い」というヤツは、実は「村上春樹」よりも「村上春樹ファンのことが嫌い」という事実
私は、長年村上春樹の作品を読み続けてきて、周囲にもそのことを公言しているわけですが、最近困ったことに「ハルキストの○○さんは、新作もちろん読まれたんですよね?」とか「ハルキストとして今作はどうでしたか?」などと聴かれることが多くなりました。
この「ハルキスト」なる呼称、最近よく聴くんですが、これって、わりと最近たぶんノーベル文学賞に毎年エントリーされるくらいになってテレビのリポーターとかがテキトーつけたんじゃないかという気がしています。一体いつくらいなんでしょうか?
私思うんですが、村上春樹の読者を「ハルキスト」と呼称してしまう人は、はっきりと断言しますが、村上春樹を読んでいないか、全く読解できていないかのどちらかです。
村上春樹の小説はどの作品でも読めばすぐにわかりますが、組織や共同体に所属することにとにかくうんざりしています。辟易しているし、場合によっては嫌悪感に近いものを感じていることもある。とにかくそういう人たちとうまくやっていくことができないし、やっていく自信もない。主人公の「僕」やら「ハジメくん」やら、「ワタナベくん」は、もう、所在なし、所属なし。
村上春樹の作品が世界的に受け入れられているひとつの理由は、その「孤独」性です。その周囲にうんざりしたり、なじめなかったりするその主人公のおかれた状況に、読者が少なくない共感を感じてしまうことが、世界的に受け入れられたひとつの理由なのです。
つまり、「ハルキスト」などという「ひとくくり」の呼称を付与されることに、気持ち悪さしか感じない・・・というような人たちが、どちらかといえば村上春樹の本質的な読者なのです。私も同様「ハルキスト」と呼ばれるたびに、冷笑を覚えたりするので、みんなそんなもんだろうなと思っていると、ときどき本当に「ハルキスト」を自称する読者にあったりします。こういう場合は、辟易するというかなんというか、ときどき困惑と嫌悪感が入り混じった感情を抱いたりするこもあります。
なんなんだこの違和感。
と。この感覚は、村上春樹に星1つをつけて、「いやぁ、村上春樹とか読んでるやつ信じられねーな」とかいう人の感覚に案外似たところがあるかもしれません。(まぁ、とはいえどうでもいいことなので、あえてバッシングしたいとも思わないのですが。)この際、そのほんとに読んで言ってんのかよ!という方々を「ハルキスト」と呼称しましょうか、そのハルキストなる方々と、村上春樹の作品とはまた別の問題だと考えるべきです。
こう言うと、村上春樹の小説はそういう勘違いした読者、その「ハルキスト」なる存在を生み出しており、村上春樹にはその責任があると捉えることもできます。
アンチ村上春樹の人間は、この影響力に村上春樹への脆弱性をみつけて、論考をぶつのですが、はてさて、この点はもういちど考え直してみたいところです。読み手の読解力の欠如がもたらした読者の勘違いを、書き手である村上春樹にその責任を求めることができるのか?ということです。
小説作品は、たとえば自動車のエアバッグとか、緊急時備え付けの消化器とか、避難用のはしごだとか、なんでもいいけど、使い方を誤まったら命に別状があるというようなものではありません。
芸術作品です。
作り手の意思とは別に、受け手が勘違いしてしまうことに、作り手はどれだけの責任が持つ必要があるというのでしょうか。
■3.村上春樹を100万部売ろうとするマーケティングの問題(そもそもこれエンターテイメント小説じゃないんですけど!)
村上春樹を批判する多くのレビューを読む限りにおいて、圧倒的な支持をえる論調は、
「こんなヤツはいない」
「恵比寿でナッツを食べるたべにバーに入ったりしない」
「孤独をそんなに深刻ぶったりしてこいつは、何様なんだ」
確かに、多数派ではないかもしれませんが、いないわけではありません。ホテルのバーでお酒を飲んだりすることは、普通にあることです。言葉でどう表現するかの問題はありますが、物事を深く考えすぎて、些細な問題で心を痛めてしまうということも、現代人ならよくあるはずです。セックスなんて論じる必要もなく、敷居が下がっています。
主人公の行動や言動を自分と比較して、「こんなヤツいないよ」とかいうのは、主人公を類型化して自分との共通点を見つけ出す作業なのでしょうが、確かに、村上春樹の作品の主人公を無理やり類型化して、多数派か少数派かで割り振ったとしたら、間違いなく少数派でしょう。(安易にこういう構図に分類するのは正しい方法ではないのですが)
鉄道会社勤務。年収は、700万程度。都内にマンションを所有し、ローンもない。30代後半で独身。女性関係は特に困ったことはない。
なんというか、条件面だけ描きだせば、裕福で恵まれていて、どこかしらいけすかないととることもできそうです。そして、実際、この点を、アンチレビュワーの方々は、突いているのですが。
前述したとおり、村上春樹の小説が世界的に受け入れられたひとつの要素はその「孤独性」だと言いました。
みんなの中でわきあいあいとできない。上司にうまく媚を売ったりはできないし、意味のない日常会話を成立させたりもできない。会社終わりにみんなで飲みにいったりするくらいなら、ひとりで孤独に音楽を聴きながら読書をしていたい。
などという人間を描いて、そこに世界中の多くの人間が共感しているのです。きわめて個人的に。
そして小説というのは、個人的な共感によってはじめて読み進めることができる形式の芸術です。
たとえば、ソフィア・コッポラの映画は、同じように「孤独」を描いています。マリーアントワネットなどはその最たる例で、多崎つくるくんなどとは比較しようもないくらい恵まれている。にも関わらず、彼女は圧倒的な孤独に苛まれている。そして映画を観る者は、そのマリーの孤独に共感して、胸を痛める。いや、映画が小説と違うのは、マリーの孤独に共感しようとしまいと、映画自体は2時間後に終わるということ。
しかしながら、小説というのは「なんだよこいつ、むかつく奴だな」というのがあったら、読み進められない。別の言い方をすれば読み進めなくてもいい。村上春樹は、この社会において孤独を感じながら生きざるを得ない、もしかしたら比率的には少ない側の面々の生き方肯定しながら、その顛末を見守るというようなプロットなのだから、読んで「むかつく」人が多いのが、当たり前といえば当たり前なのです。
もともと多くの多数の人間に共感されることを、書いてる本人も視野にいれてはいない。(それを望んでいないわけではないにしても)
にもかかわらず、売る側は必死です。
それはそうです。売る側は、本の内容は関係ないからです。出版不況の時代です。本が売れません。黙っていても売れる時代なら、売る商品を選ぶこともできます。「こんな根暗な作家が書いた本は、ひっそりと奥に並べておこう」とか。でも今は、売れる商品が限られています。小さな本屋から、大きな本屋まで、こんなにまとまって本を売ることができる機会は、年にそう何度もあるわけではないのです。
だもんで、売る側は、まったなし。「村上春樹の新刊!?長編?平積みだよ、平積み!」
と、なって当然です。で、買い手は買い手で、村上春樹なんて共感できない人が数多いて、そのことを半ば自覚しているにも関わらず、「またぞろ、村上さん新刊ですか?」などとうがった態度で、1700円も払って買って帰ったりする。
本来、孤独に静かな時間を過ごしたい人(それから社会と自分との繋がりを確認したい人)のために書かれた本であるにも関わらず。
帯にこんな風に書いておけばいいかもしれません。
「この作品は、日常に違和感を感じることもなく、日々を謳歌している人間には読む必要のない小説です。それと孤独を描いてはいますが、自分自身の孤独が解消されれば、他人のことも社会のことも、どうでもいいという人にも不向きです。自身の孤独が社会との関係において改善されることを仄かに信じている人のための作品です」
もちろん、そんなことは絶対書かれることはないのでしょうけれど。
本来静かに出版されて、求める人がそこに救済を得るという仕組みであるべき作家と読者の関係が、資本主義の論理によって蹂躙されている。それだけのことにも関わらず、本来、村上春樹に対して苛立つ必要もなかった人たちまでが、駆り出されて、勝手に苛立っているのです。
嫌なら読まないということが可能なのにも関わらず。
この「作り手」と「市場」との悲劇的な関係というのが、アンチ村上春樹を作り出し続ける最大の要因という気がしてなりません。
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随分長くなってしまいましたが、最後に結論というかなんというか。
こういうことも言えるかもしれません。
昔、三島由紀夫は、太宰治が大嫌いで、直接会いにいって「私はあなたの作品が嫌いです」と言ったそうです。
すると太宰治は返す刀でこう答えました。
「でもこうやってわざわざ来たんだから本当は好きなんでしょう?」
三島由紀夫は、なにも言い返せなかったそうです。
つまり、みんな本当は、村上春樹が好き(もちろん、断固として認めたくない)なんだけど、作品の主人公同様、素直になれず、好きさゆえに星1つつけちゃって、あんなヤツ嫌だよ、いないよ。むかつくよ。とか言ってるだけっていう可能性もあります。
ん?あっ、それって、実は一番村上春樹の主人公的?な気がしなくもないですね。
この長文を書いている間に、少なくとも「私は、ハルキストです」とか言ってる人より、星1つつけて、村上春樹なんか嫌いだよとか言いながら、毎回出版されるたびに買っちゃってる人たちの方が、なんだかよっぽど共感できる気がしてきました。
みなさまもご存知かもしれませんが
以前、"そこまで言って委員会"という読売TVの番組で
朝日新聞が慰安婦問題を捏造したかのごとく悪意ある放映がなされました。
法的な手段も辞さない構えのようです。
激怒しているのは朝日新聞の幹部だけではありません、われわれ国民もそうです。
今まで公平公正な報道を続けてきた朝日新聞を韓人同胞は高く評価しております。
そのような朝日新聞を根拠のない話嘘つきであるかのごとく侮辱したのですから、
これはわれわれ全体の怒りでもあるのです。
読売TVは未だに謝罪をする気配もありませんが、このような卑劣な行いを風化させてはいけません。
みなさまも、ぜひとも、読売TV謝罪要求デモにご参加ください。
そのために、慰安婦問題の生き証人である敬愛すべき大江健三郎氏や福島瑞穂議員らに
応援をお願いしようと思います。(無理だったらすいません。)
今回のデモの勝利条件は
村上春樹氏本人や春樹ファンの方は気分を害すると思うので、ぜひとも読んでください。
というのは、村上春樹氏というただの小説家であって、政治や外交の素人の論説をまるで
専門家の見解のごとく新聞の一面に載せて、国民を啓蒙しようとしたからです。
なぜ、そんな人の外交に関する論説を朝日の一面に載せるのでしょうか?
普通に考えたら、載せませんよね、載せるほうがおかしいです、ええ。
しかもこれって春樹氏側が論説を反日デモの翌日に朝日新聞に投稿したんですよね?
「ぼくが書いた論説のチカラで国民の目を開かせてあげたい、正しい道を示したい。だから、おたくの新聞の一面にこれ、載せてよ」
ってことですよね?
何様もツモリなんでしょうか。
その論説を載せましたかね?
新聞に飾るのやめましょうよ。
大江健三郎さんもそうだけどさ、あなたたち、ド素人の見解じゃないですか。
文章が上手で読みやすかったけど、主張自体はそんなに価値のある論説ではなかったでしょう?
文体でごまかしてますけど、その主張の根拠もあやふやだったり、根拠そのものが存在しなかったりしてましたよね?
あなたの論説の中に 主張をささえるべき接続詞 Because がほとんど出て来なかったこと。
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電子書籍議論が華々しいけど、どうしても僕は納得がいかない。なので、一度某所に名前付きで書いたものを、少しでも騒ぎになってくれる事を願って、編集してここに掲載する。僕が誰かわかった人は、黙ってくれるとありがたい。
まず、今の電子書籍に対する不満は、そもそも今の電子書籍の環境じゃ、生涯付き合えないということ。iBooks程度のインターフェイスだって、100冊もあれば面倒な事が多い。検索機能も無い、それ以外のツールはもっと酷い。生涯付き合うなら一万冊の管理をこなせるようになってほしい。一万冊というのは、読書家の一生を考えれば、決して無謀な数字じゃない。数代続く学者一家ならそれくらい書庫にあったりしてもおかしくないし、図書館で借りたりすれば、10歳から60歳までで一万というのはあり得る数字。マンガを買い込めば、普通の人でも数千冊は読破可能。
これくらいでも、一万冊と付き合うのは難しいだろうけど、ひとつひとつの機能は決して難しいとは思わない。
また、書籍自身も単なる複製で終わってしまっているので、これも不満。例えばこんな機能があってもいいはずだ。
要するに、紙だと必然的に対処せざるを得ないものを排除して、今まで頭を使ってこなしていた事を電子側でこなしてほしいのだ。
特に歴史物だと、今自分が読んでいる箇所がどこの場所で、いつの年代かがわからなくなる。紙の場合は、巻頭または巻末に資料があるけど、電子であれば、読んでいる場所からその場で呼び出せるようになってほしい。もし小説のネタバレをするようなら、進行状況に合わせて内容を変化させれば良い(既出の地名だけを表示する、など)。
こうした機能はゲームならおなじみで、主人公の位置をマップで示したり、あらすじが進行中に挟まって後から確認すると言った事が出来るけど、今の電子書籍は全くそういうことを学んでいない。これじゃ、値段を下げるくらいしか売り方が無い。こうした機能がつけば、同額か、値段を上げたって問題ないと思うくらい。元々文庫やマンガは安いので、これ以上値段を下げる議論なんてしていたら、業界自体が死んでしまう。付加価値で勝負してくれた方がよっぽど良い。
たまに「やっぱり紙の方が良い」という議論があるけど、決してそんな事無い。引っ越しでダンボールの中に蔵書がまぎれたり、本棚を二重に組んで取り出せないとか、紙の不便さは山のようにある。問題は、それを電子書籍が解決していない事だ。イノベーションでも、顧客需要でもなく、惰性で電子書籍に取り組んでいるからいけないのだけど。読書家の皆さんは、もっと声を大にして「紙は不便」と言おう。
http://www.youtube.com/watch?v=_bqMegdZ-lY
↑これ。
小生が小学6年生のとき(はい、まずシャレ一つ入った)のことである。
参議院選挙があって、比例代表制の導入により少数政党でも議席が確保できるのではないかという予想が広まり、日本全国から胸に一物ある豪傑たちが我も我もとこぞって立候補をし、まさに混迷と高レベルネタの宝庫となっていた。
その後の数年に渡り小生と(中生なのにね)愉快な仲間たちのあいだではその時のことを思い出してはキャッキャ(もしくはカーカカカ)と笑っていたものです。
その中でもひときわネタ度数が高かったものに「全日本ドライバーズクラブ」というのがありました。
小学生だった我々が覚えてい、(←ここ大江健三郎風)ネタとして重宝したキラー・ワードは「酒を飲んでいても事故を起こさないものは起こさないんです!」だった。
結局わたしたちはそれらを公然と見ることのできたキチガイとして見ていたのですね。実際そういうボーダーライン上のものも多数あったのです。UFO党(韮沢さんのとこ)とか。
2009年初秋、ふと思い出した小生はインタァル・ネェットゥ(より正確な発音を普段から心がけています)を駆使し、全日本ドライバーズクラブについて調べてみると、なんと動画を見つけることが出来たのだ!
どんな楽しいキチガイだろうと思って閲覧していると、これはこれは、、、すでに32歳になっているオッサン小生(←小生意気な知恵をつけてしまっている。主にワイドショーとスポーツ新聞で)から見ると、意外や意外けっこうまともなことを言っているではないか! というかこれいわゆる小さな政府論でしょ(←ここは弁当爺風)。
つまり全日本ドライバーズクラブというのは一人小泉改革だったということだったのだ(この辺の結論がワイドショーでつけた知恵の限界を露呈してしまっている)!
中学のときのお友達におしえてあげよっと。
書評:川口マーン惠美 著『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店)
小生のようにドイツを知らず、漠然とした技術大国=ドイツの印象を身勝手に抱いてきた者にとって、この評論集は新鮮な驚きのパケッジであり、あのメルセデス・ベンツをつくる器用なドイツ人が、他方では奇妙な思考体系をもつことなど想定外のこと。またドイツおよびドイツ人の意外な側面を知り、本書はとても有益である。
一般的に日本人のドイツの印象は良い。いや、良かった、と過去形で書くべきだろう。
森鴎外が留学し、伊藤博文はプロシア帝国憲法を範にとって明治欽定憲法を起草、制定した。ゲーテ、トーマスマン、ヘルマンヘッセ、ワグナー。
手塚富雄、高橋義考という人たちの名訳でドイツ文学にしたしみ、西尾幹二の新訳でニーチェに親しむことができだ。三島由紀夫も第二外国語はドイツ語だった。
大学ではドイツ語を第二外国語に選択する学生は稀となり、中国語へ語学ブームは移った。
日本の戦後政治は混沌としてきたが、ドイツもご多分に漏れず混沌そのもの、いや東西ドイツ統一以後は、旧東ドイツの貧困を旧西ドイツが吸収し、そのためドイツの経済優等生の質が劣化した。さらには欧州通貨統一によって、ドイツ経済は中国に抜かれるほどに疲弊した。米国、日本に次ぐGDP世界三位は北京が獲得した。
ドイツにも政治家の右往左往、右顧左眄、売国奴の跳梁跋扈があり、構図的にいえば、ちょうど日本に売国的媚中派と保守派とに二分され、さらにその保守が真性保守、体制保守、偽装保守などに細分化されるように、ドイツの政治は、ロシアの利益と通底する二流の政治家がいる。
言うまでもなく売国奴的政治家とは、シュレーダー前首相である。
川口さんは舌鋒鋭くこう批判する。
「シュレーダーは首相在任中、毎年中国を訪れたが、当地では、徹頭徹尾相手の嫌がることには口を噤み、大型商談をまとめることだけに心を尽くし、中国人のやんやの喝采を浴びて満面の笑みを浮かべているのが常だった。そして、このシュレーダー外交を、官邸で、裏からしっかり支えていた」男が、後述するシュタインマイヤーというニヒルな政治家だった。
戦後、アデナゥワーは米国と協調したが、ブラント政権で東方外交へ急傾斜をはじめた。そしてブラントの個人秘書は東ドイツのスパイだった。
後継シュミット時代に「ドイツ経済は完全な停滞状態にはいったしまった。それを引き継いだのがCDUのコール首相。行き過ぎた福祉にブレーキをかけ、19990年には華々しく東西ドイツを統一下」(本書140p)
だが、いまやドイツ統一の偉業をなしとげたコール首相は顧みられず、現首相メルケルへの罵詈雑言が左派からなされる。仕掛け人は現連立政権にありながら次期首相の座を虎視眈々と狙うシュタインマイヤーらSPDの面々である。
現ドイツ政権は左右大連立で「十五の大臣のうち8つがSPD」。外交を取り仕切るのは左派なのである。
日本との比較で二点、異なるポイントがあると川口さんは指摘する。
「ドイツには日本とは決定的に違う二つの負い目がある」、それは「ホロコーストと戦時賠償未払い」
東方外交をすすめたブラント元首相はユダヤ人慰霊塔に跪き、ヒトラーを擁したドイツ軍がなした狼藉を謝罪したが、「ヒットラーの率いたドイツと自分とを同一視していない」。
いや一般的にも「ドイツ人政治家の謝罪はヒットラーが起したことに対する謝罪であり、自分や国民の罪に対するものではない」。
つまり「親族に人非人がいたことに対する悲しみの表現のようなものであり、つまり『あいつのしたことは本当に悪いことだった。恥ずかしい、許してくれ』と誤っているのだ。日本は幸いなことに、あとにも先にも身内にこのたぐいの人非人を持たなかった」(本書73p)。
本書にはホーネッカー(旧東ドイツの独裁者)が、旧東ドイツ市民が秘密警察に監視されつつ、生活がうまく行かずモノもなく、途端の苦しみを味わっていても、一人だけ核戦争にも生き残り、モスクワへ逃げる場合に備えた豪華な核シェルターを築いた事実が暴かれる。その妄想ともいえる塹壕が、ドイツ統一後、埋められる前の見学ツアーが行われ、川口女史はでかけて、壮大な無駄と独裁の虚無を見いだす。
それにしても直撃取材のフットワークの良いこと!
また“ドイツの良心”などと左翼ジャーナリズムに持て囃された“ドイツの大江健三郎的な作家”ギュンター・グラスが青年時代はナチの「太鼓持ち」だったこと、シュレーダー前首相がプーチンの代理人のごとき政治屋ロビィストであること、ダライラマとの関係でベルリンが北京へ頭を下げるのも、日本と同様であり、北京とはビジネスさえ旨くいけば中国に叩頭しても構わないと考えているのがドイツ人の大半であること等々。
次々と暴かれるドイツの真相を知れば知るほどに、表題のようにドイツに学ぶことなんぞ、もはや無いという結論が出てくるのだった。
基礎的な知識があればそんな精神論じゃないってわかるはず。
アホだったのがO-157全盛期に荒川恭啓が同じこと言ってて、清潔主義だからこんな病気にかかる的なことを言ってた。
アホかと。ベロ毒素だっちゅうの。過去の0-157にはなくてある時ベロ毒素を持ったO-157が生まれた。だから被害が広がった。
それだけなのに。
一度感染すれば免疫ができて次から耐性ができるっていうシステムが、「鍛えれば強くなる」っていう筋肉とかと同じニュアンスでとらえられちゃってるのが問題なんだろうな。実際は免疫と筋肉(その他)は全然違うものなのにさ。
ジェンナーも草葉の陰で泣いてますよ。人痘にかかると死ぬから牛痘を注射してゆるい病気にして免疫を作らせて人痘にかからないようにしたのに。そのおっさんの論理だと人痘にかかれってなもんだもんな。
そんな単純な若者ダメ論よりくせ者なのが、さっきNHKで大江健三郎が言ってたタイプの若者ダメ論で、「今の若者は100年前の若者と似ている。だから不安だ」的なやつ。
音楽の知識がなければ、作曲ソフトがいったい何のためのソフトウェアであるか理解できないだろう。
ということかな。
アーキテクチャ=自然科学と、その上で動くソフト=マクロな現象とは、別の見方が必要だと。
個人的な意見としては、人間は自然科学的アプローチに限らずどのような見方でも「わかりやすく表現するのは難しい」と思うし、
確か大江健三郎の本か何かで、文学は問い掛けであって、答えの世界では文学は死ぬのだ、といったことを言っていたと思う。
その意味で答えを評価する国語のテストは間違ってるなあ。(汗)
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
2009.05.08 長すぎて1つの記事では全てを表示できないようなので、2分割しました。
「爆発音がした」まとめ 下 - http://anond.hatelabo.jp/20090508095607
「後ろで大きな爆発音がした。俺は驚いて振り返った。」
「ドカーン!俺は振り返った。」
「背後から強烈な爆発音がしたので、俺はまためんどうなことになったなぁ、とかそういや昼飯も食っていないなぁとか色々な思いを巡らせつつも振り返ることにしたのである。」
「ふー、びっくりした」
「サイレントマジョリティーを考慮に入れて振り返るかどうか決めさせていただきます」
「あたしの後ろで、大きな音がしたんです。あたし、もう、ビックリしちゃって、振り向いた。」
「後ろから大きな爆発音が聞こえた。女の膣がこすれるような音だった。こいつは、勃起させる!」
「爆発したのかしらん」
背後で爆発音。ラテル、即座に対衝撃姿勢。ラジェンドラが衝撃回避の機動を取る。ショートΩドライブでは間に合わない。衝撃回避機動と同時に無照準でCDSバラージ。目標は沈黙。
アプロ、舌なめずり。「うまそうな爆弾キャンディ」
「振り返るんじゃない」
「なぜだ」
「君は何かを感じたようだが、わたしは違う。わたしにとっては、今のところ、何も起こってはいない」
「ばかな。確かに後ろで爆発が──」
「その目で見たわけではないだろう。背後の風景とは、非連続的なものだ。振り向くよりも先に何らかの方法で破壊痕を見せつける、などの欺瞞工作も考えられる」
「おれ一人の視覚や聴覚を騙すことに意味があるとは、思えない」
「可能性はある、ということだ。それに君一人とも限らん。君かわたし、あるいは両方とも、この状態に陥っているんだ。人為的なものではないかも知れない」
「空間が、おれの、あんたの、認識を撹乱しているというのか」
「もっと単純に、病気の一種かもな」
「あんたはもっと真面目に自分の病気を疑うべきだ」
「健康な人間にしても、自分の感覚しか信じていないものさ。みな異なる主観に生きているんだ。認識のずれなどは、どこにでもある」
「フムン」
「問題は、今回のそれが些か極端ということだ。空間の例えはよかったな。このままずれが進めば、我々は互いの姿を見失うかも知れん。だから、振り返るな。この先に集中しろ」
「轟音がアルタ前に響いた。続いて爆風が彼の白衣を撫でた。
だが、轟音や爆風ですら、彼の前では礼節を弁えて静寂を保っているかのように見えた。
それが彼――メフィストなのだから。
彼は振り返らなかった。その背中を、月が照らしていた。」
どーかついでがあったらアルジャーノンのおはかに爆発をそなえてやてください。
「アタシ
爆発?
しない訳ないじゃん
みたいな」
「不意に、背後から、爆音が轟いた。俺はまだ、死んでいない。足を懸命に、動かした。天地が、ひっくり返った。何も、聞こえなくなった。」
「後ろ。爆発。振り返った。風。」
「後ろで、大きな、爆発音が、した。
振り返る。
刃が、せまって、いた。皮膚が、粟立つ」
「音。振り返る。爆発。今ではそう、思い定めている。
そんなことより、童貞ども、ソープに行け。」
「凄まじい音とともに地面が揺れる。
――爆発、ですか?
私が問うと、彼は白湯とさして変わらぬ出涸らしをすすり、
――だから何だと言うのか。
と答えた。
――何だ、と言うが、あの爆発が君に何の関わりがあるのかね。
――危険じゃないのか?
言いながら私は、その問いに彼がどう答えるかを予測していた。
予測していながらそれを問う。あまりにも愚かだ。
――危険などと言うが、あんな爆発などなくても、危険などは市井のそこらに転がっている。
――不発弾など何処に埋もれているか知れたものではない。
――車に轢かれる事も、誰かに刺される事もあるかも知れない。
――体の何処かが遣い物にならなくなる事だってある。
――特に君のような不摂生は、危険の塊ではないか。
りん、と、何処かで風鈴の音がした。」
「爆發音がしたので、中禅寺は逃げた方が良いと云った。」
そのとき背後でとてつもない音がした。いや、単に音がしたなどという生易しいものではなかった。それは西海岸に住む者なら誰もが「いつか来るでかいやつ」と恐れるあの巨大地震がついに来たのかと思わせるほどの圧倒的な音量で炸裂した。そして音そのものがまるでコミックブックに出てくる大げさな擬音の書き文字のような存在感を持って背中にぶち当たり、打ちのめし、気がつけば私は埃っぽい床に額をこすりつけたまま伸びていたのだった。
一体どのくらい気を失っていたのだろうか。世界を覆いつくす大惨事の予感から最早どうとでもなれという諦めに囚われかけた刹那、しばらく前に買出しに出たまま戻らない妻と幼い娘の顔が私の心をよぎった。その顔は、娘を抱いた妻がポンコツのビュイックに乗り込む直前、あなたは疲れているんだから家で休んでいなさいと言って譲らなかったときの -そのときの妻の顔は眩いばかりの春の陽光に金色に縁取られてまるで世界中のあらゆるものを祝福しているかのように見えた -どこかいたずらっぽい小娘めいた笑顔だった。
私はまだくらくらする頭を抱えながらゆっくりと立ち上がり、何事もなかったかのように静まり返った部屋の中央で馬鹿のように突っ立ったまましばらく考えた。そしてようやく先ほど背後から聞こえた凄まじい音の正体が、自分のひり出した屁に過ぎないことに思い至った。
「高名だが年配の科学者が爆発であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不発であると言った場合には、その主張はまず間違っている。」
「後ろからインチキ臭い爆発音が聞こえたんだよ。僕は振り返ろうとしたんだけど、そんなことをしたら僕はげえげえ吐いてしまうよ。爆発音の十中八、九は反吐が出るようなカスなんだぜ、本当に。」
ドアのでどん、と大きな音がした気がした。しかし先ほどのやりとりの疲れで休息に酒がまわっていたおれはまあいいや、どうだって…と思うだけで、さっさとベッドにもぐりこんだ。
テントの外でどーん、と大きな音がした。どうせ酔ったサーノが焚き火になにか放り込んだのだろう。「うるさいぞウスラバカ!」とおれはどなり、寝袋を頭からかぶった。
「つまりワタクシが背すじをただして言いたいのは、先程後ろのほうから破壊衝撃的大盛りべらんめえ的なナニモノかがどおんどおおんと音を立ててバクハツした! ということなのであります。」
「背後で轟音が鳴った。自分は振り返った。」
「(爆発--)
であった。
余談だが、日本に初めて兵器としての火薬がもたらされたのは元寇の頃である…」
「きれいに終わったわね~」
「事件も全部解決したし、今度という今度は誰にも文句言わせないよね~」
「………」
「そういえばさ、発進の時、なんか紐みたいなの燃えてなかった?」
「ああ、なんかあったね。ロープじゃない?」
「あたし、聞いたことあるんだけど…。あの星って地核が爆薬でできてるじゃない」
「うん。前の大戦が終わって不要になったのを全部あそこに集めたんだよね~」
「そんな星あぶないから誰も住まないだろうと思っていたら、ならず者たちが集まってきて、そういう人目当てに商売する人もやってきていつの間にかそこそこ大きな星になっちゃったんだって。」
「ふーん。それで誰も管理してなかったんだ。連邦の人、私たち以外には1人しかいなかったもんね。あれだけ人住んでるのに。」
「でね、連邦も考えたらしいのよ。住民が住民だからよからぬことを考えかねないじゃん」
「そっか。連邦もバカじゃないからね。だから私たちみたいなスターを送り込んだんだ!」
「そうじゃなくてさ、あの星でおとなしくしているぶんにはいいけれど、ひとたび事が起こったら星ごと爆発させられるように地核の最深部につながっている導火線作ったらしいのよ。」
「ふーん…」
「…………」
「ま、まさか、その導火線に火を付けちゃったなんて都合のいい展開あるわけないよね」
「そ、そうだよね。そんな偶然あるわけないわよ…」
「ねー」
「ねー」
次の瞬間、惑星コリプトは683万3582人の住民とともに宇宙から消えた。
「赤外反応、新たな爆雷の爆散円、後方の輸送船団に直交します」
増田少尉がうわずった声で言った。CRTの一箇所に固まっていた輝点が徐々に分散しはじめた。輸送船団が退避行動に入ったようだ。しかし最大加速度0.1G程度の鈍足の輸送船では、これだけ近距離で爆発した爆雷の破片から逃れることは不可能だろう。
後ろで大きな爆発音がした。そう思った瞬間、増田は体が宙に浮いたような感覚を覚えた。そして次の瞬間にザックに衝撃が来た。増田の体は振り回され、雪崩に巻き込まれたと気づいたときには、不自然な体勢で凍りついた斜面を滑落していた。
「あっ。爆発した。今爆発しました。
私がここであなたとこうしている間に爆発しました。爆発。
きっとこれから火がでます。げほっ。出ます。火が出ます。
さあ逃げましょう。逃げなくてはなりません。げほごほ。げほ。」
おれは彼女の手を引くと半裸のまま髪を振り乱して走った。
歩道の通行人どもが白い目をしておれたちを見た。
「そしたら、後ろで大きな爆発音がしたんですよ、ヘ!へ!」
マドンナB「ねえ、この爆発……まだ温かいわ」
「後ろで、大きな、爆発音が、した。十津川は、驚いて、振り返った。」
「事実ではない」オリベッティが言い切った。「外部の人間が爆発に近づくことは、絶対に不可能だ。」
「もし万が一、この爆発が事実で」ロシェは繰り返した。「爆発がほんとうに行われたのだとしたら、捜索のあり方も根本から見直さなければなりません。そういった爆発行為が行われたのであれば、われわれの想像よりはるかに奥まで侵入されたことになります。ホワイトゾーンだけの捜索だけでは不十分でしょう。もしそこまで深く侵入されているとなると、時間内に見つからない可能性が出てきます」
オリベッティは冷ややかな視線を大尉にぶつけた。「大尉、今後どうするかはわたしが指示を出す」
「いいえ」カメルレンゴが急に振り返って言った。「指示を出すのはわたくしです」まっすぐにオリベッティを見つめる。
「おめでとうございますまことにけっこうなことで」
エヌ氏が振り返ると愛想笑いを浮かべた小柄な老人が立っていた。その声を聞きエヌ氏はため息をついた。
「やれやれ、なんてことだ。あれほど苦労したあげく手に入れたのが、のろわれた爆弾とは」
「きみが街を歩いていると背後で爆発音がする。でもきみはすぐには振り返らない。コカインの過剰摂取でイカレてしまったきみの頭には、それが現実の音なのか幻聴なのか判断できないからだ」
その時ふたりの後ろの方でどぉと烈しい音がしました。ジョバンニが驚いて振り返ると地面の一部が空にすいこまれるように抛り出されて煙が柱のように立つのが見えました。目をこらすとその柱のようになった煙はひとつひとつが黒々とした金剛石の粒なのでした。「発破だよ、発破だよ。」カムパネルラはこおどりしました。
「やれやれ、そして僕は爆発した。」
「後ろで大きな爆発音がした。あるいは気のせいかもしれない。とりあえず今は驚いて振り返る前に、まずパスタをゆでようと思った。」
「後ろでシュワルツシルト・アルフィエーリの文章を思わせるような繊細な爆発がした。ステンレス・スティールの上にあるライト・スタンドとペーパー・クリップをクローゼットにしまいガソリンの味がするコーヒーを飲み干し後ろを振り返った。やれやれ、と僕は思った。」
「家の周りの道を歩いていると、後ろから大きな爆発音が聞こえてきた。
僕はウォークマンから流れる『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹いていた。道を歩きながら聴くにはまずうってつけの音楽だった。
爆発の音が聞こえたとき、無視しようかとも思った。散歩の歩調はリズムに乗り、クラウディオ・アバドは今まさにロンドン交響楽団をその音楽的ピークに持ちあげようとしていたのだ。しかしやはり僕は足を止め、振り返ってそちらをみた。なにか言い知れない大きなものが、漸進的に僕の方へと近づいてくるのを感じたからだ。」
「後ろで爆発音がした、汚い猫が逃げる、乞食の老婆が嘔吐して吐瀉物が足にかかる、俺はその中のトマトを思い切り踏み潰し、振り返った。」
「その時、後ろで大きな爆発音が聞こえ、俺はハシシを吸いながら女のビラビラを手で弄くっていたのだが驚いて女をぶちながら振り向いた。」
「後ろからの爆発音がした。俺は驚きながら爆発音に振り返った。それは、結局爆発音だった。」
「"ドカーン"遥か後ろで不意に爆発音がした。俺は後ろを振り返った。別にどうでもよいが…」
一瞬の光の後、ごう、という音と共に周りの空間が歪んだ。
「爆発か」
「そのようだな」
「確かめなければなるまいよ」
「うむ」
「行くか」
「行こう」
そういうことになった。
「どぉん。
爆発した。
しなやかな獣のような肉体が、振り向く。
みしり、と音を立てる体に、ふふ、と笑った。」
閃光が夜を切り裂いた。
緋と橙と臙脂色の炎が噴きあがり、轟音と衝撃派が街角を吹きぬけた。唐突に爆発
したそれはなおも炎上を続け、焦げ臭い熱風が頬を叩く。火の粉を散らして舞踊る火柱のなか、爆発に巻き込まれた車の骨格や人間の影が揺らめいていた。
「…誰か生きていると思うか?」
「あの業火の中で生身の人間が生きていられるなら、辞書から焼死という単語が消えるな」
相棒が呟き、俺は退屈な感想を返すしかなかった。二人そろって炎の照り返しで顔を血色に染めていた。
「エクスプロージョン。燃焼などで気体が急激に熱膨張を起こす現象で、僕のエンジン内部でも起きてる奴だよ。托鉢ってやつさ」
「……爆発?」
「そうそれ」
――鈍、という炸裂音が、私の頭を掴み、後ろへと捻じ枉げる。
「――突如、背後から爆発音が鳴り響いた。その刹那、俺はダレよりも疾く振り返る―――ッ!」
鈍という爆音
轟たる爆風
背後から襲い来る圧倒的な大気の奔流に体が軋みをあげる
ケ イ
嫌な予感がする
リ テハ ケ イ
逃げようとする意識とは裏腹に、身体はゆっくりと反転していく
フリ イテハイケ イ
振り向くまいと必死に力を入れた首まで難なく回され
フリムイテハイケナイ
体が反転しきった瞬間
イケナイイケナイイケナイイケナイイケナイイケナイイケナイイケナイイケナイイケ
意識までが反転した
「―――――――――」
閃光、爆発、衝撃―――。
消える視界、音を超え無音、予測し得る破滅。
走る石塊、破裂する風。混沌と矛盾、破壊と再生。目の前にある絶望。
気付くな。忘れろ。振り向くな振り向くなふりむくなフリムクナ―――!
――――――ああ。
それでも振り向かなくてはならない。
元よりそれは、永劫不変に定められた因果なのだから―――
ドカァァン!!!後ろで大きな爆発音がした…!
瞬間的に頭の中に冷たい液体が満ち…俺のまわりの風景は動作をやめ凍りつく………………
ッッ!!!!
俺は自分の置かれた状況を整理した…。
一人…だだっ広い道…後方で爆発………ッ!!
爆発物の正体は分からないが…音は遠くから聞こえていた…。
炸裂した破片の危険はないだろう。
脳内に満ちた液体が取り除かれ、時間が動き出す…………ッッ!
即座に俺は後ろを振り向く…ッ!
「俺の左耳が爆発音を聞いたと同時に俺は可能な限り素早く体を回し回し回るその合間にに黒煙を視認する大爆発じゃないか俺は振り返った」
「まるで手榴弾が半ダースまとめて爆発したような轟音が背後から聞こえた。俺はここが中東の紛争地域でもチェチェンの地雷原でもない、平凡で退屈な県立高校の二階にある、教室棟と特別棟をむすぶ渡り廊下であることを確認すると、どうして俺みたいな善良な一般生徒がこんな目に遭わなければいけないんだと信じてもいない神様に悪態をついた。いっそこのまま振り返らずに立ち去ってしまおうかと思ったが、そんなことをすると後でどんな目に遭うかわからないため、自らの不運を呪いながらも視線を背後に向けないわけにはいかなかった。」
ばーーーん (ひだまり荘爆破)
「なーんてねっ!」
コナン「ペロ…これは硝酸カリ!!」
「…つまり、物質の燃焼には可燃物と酸素が必要だということです。それでは爆発、つまり急激な燃焼を起こすにはどうしたらいいでしょうか?」
「簡単よ! 後ろを振り向けばいいのよ!」
ズバゥゥウン!!
5 月 8 日 <何かよくわからないことが起こる>
「………」
「あなた爆弾の前で何してるんですか?」
「………」
「……こうしていると……」
「……そのうち爆発するものですから……」
「どっかーん」「ほへ!?」「あー燃える男が爆発しただけよ」「でっかいそれだけですね」「あー…やっぱりショックでしたんですね…」
「この素敵な爆発に逢えたのもアクアが奇跡でできているからなんですね」
「ギャース!爆発禁止!」
灯里「あわわあわわわわ、藍華ちゃんなんだかすごい音がしたよー。」
アリス「でっかい爆発です。」
「僕は仰天した…
普通、背後で音がすれば振り向こうとする!!
爆発音のような大きなものなら、なおのことだ!
その振り向こうとする一瞬の隙に攻撃を仕掛けるはずだった!
しかし!奴は……
逆におもいっきり駆け出した!!
SYAAYAAAAHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHA!!!!!」
「背後から『爆発』だアァァァッ!これを待っていたっ!
振り返ると同時にッ!すかさず叩きこむ!」
「ドギュゥーーーゥウン」
「爆発だと!」
「バカな!”ありえない”!!」
「”爆弾”はここにあるのだ、後ろはいったいどうなっている!!!」┣”┣”┣”┣”┣”┣”┣”┣”┣”┣”┣”
『エコーズACT3! 振り返ったお前の負けだ』
あ、ありのままのことをいうぜ・・・!
背後で凄まじい爆音が聞こえて振り向いたらそこには爆破でオシャカになった戦車が無残にも大破していた・・・!
急展開過ぎる、だとか、話が見えない。とか、そんなチャチャなもんじゃ断じてねぇ…!
これは、なんだかヤバイ事になったッ…!
「ちがうそこじゃない。」
「ドワオ!!」
「爆発音がしたら振り返る、そんなふうに考えていた時期が俺にもありました」
「もう少しで全身の毛が陰毛になるところでしたね」
「ここは…一丁爆発の中にとびこんでゆくほうこうで!!!」
「 ド ン ! 」
「立派だった!」
「当然爆発」
「トシちゃん感激ーっ!」「もういやっ!こんなせーかつ!」
ぼくトシちゃん25歳後ろで爆発が起きる男
海原雄山「この爆発を作ったのは誰だっ!」
山岡士郎「やれやれ、この程度で爆発だなんてほんとうにあなたが振り返ったのかさえ疑わしい。
明日もう一度ここに来て下さい、これよりうまい爆発をご覧に入れますよ」
中二階堂「いやー、友達居ないから暇してたら丁度よく後ろが爆発したんだ。振り返ってみたんだけど危なかったぜ。眼鏡がクッションになったよ」
「これほどの爆発とは…たいした奴だ」
「爆発…だと…?」
糸色望「爆発・・・・爆発ねえ・・・・。この程度で爆発ですか!世の中には、もっと恐ろしい爆発が存在するのです!
CDの爆発的売上のあとの、ブ●クオフでの買い取り値の値崩れとか!
火山の爆発で吹き出した粉じんで起こる、世界的冷夏とか!
とあるゲームなど129人以上に爆発増殖させたら一人しぬだけでゲームオーバーになる始末!
そう、恐ろしいのは爆発そのものでなく、二次災害のほうなのです!」
「爆発出来るだけ良いじゃないですか、17年間の漫画家生活で一度も爆発どころか燃焼すらできない漫画家もいるのです。誰かが言いました、業界の安打製造機。イチローとの扱いの差はなんですか?」
糸色望「世の中にはもっと恐ろしい爆発が存在しているのです!勝手に正義漢ぶって大見得切った挙句爆発しちゃったジャーナリストとか! 新解釈を爆発させてしまった所為で一審よりも重い刑になった弁護団とか!! 国民性が爆発してしまったマラソンとか!!!この世には自分の行動の所為でさらに悪循環に陥る、そう、自縄自爆が溢れているのです!」
「くっ悔しい、こんな爆発に振り返っちゃうなんて・・・」ビクッビクッ
BACOOOOOOM
「なっ、なにィーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「ば、ばかなァーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「あ、あの爆発はァーーーーーーーーーーーーーッ!?」
「ま、まさか、あの……」
~未完~
BACOOOOOOM
「う、うぬぅーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「ば、ばかなァーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「あ、あの爆発はァーーーーーーーーーーーーーッ!?」
「ま、まさか、あの……
「知っているのかレイ!?」
BACOOOOOOM
「なっ、なにィーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「ば、ばかなァーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「あ、あの爆発はァーーーーーーーーーーーーーッ!?」
「ま、まさか、あの……」
「知っているのか雷電!?」
BACOOOOOOM
「ゲ、ゲゲィーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「ば、ばかなァーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「あ、あの爆発はァーーーーーーーーーーーーーッ!?」
「ま、まさか、あの……
「知っているのかロビン!?」
「ワシの爆発は108式まであるぞ」
「ば…爆発!?いや…あれはボールにかかる回転が生み出す驚異的なパワーが俺達に爆発の幻影(イメージ)を見せているにすぎない!!」
「後ろで爆発してたぜ」(黒い粒はバニラビーンズです)
「おぃぃぃぃぃ!!やべぇ、やべぇよ絶対これ!後ろで爆発?あ、あれだ、多分アバレンジャーの撮影かなんかだ!そうに違いない。」
「なんか爆発したんですけどォォォ!!!」
「ああ、アレ俺の母ちゃんだから。別に爆発とかじゃないから」
「んなわけあるか!お前の母ちゃんどんだけアグレッシブだよ!!!」
………
「まったくもう最近毎日爆発ばかりでいやになりますわね」
「ほんと、お洗濯物がほこりっぽくなっちゃって…」
「ドカァン☆」「ドン★」 「ドカァン★なぁんて!」
「ドルガハー」熊犬の血がたぎった。
「どっかーん」「爆発?」「俺のがな」「おや俺だ」「黙れ変態ども!!」
「どかーん」
「ゲホゲホ、一体何やってるんですかー!」
「…いや、そこにも自爆ボタンがあったのでつい」
「変だぜ」
ゴーン
(どかーん)
「え?なに?なに?」
「ゲホッ、ゲホ。あんた、そこのボタン押したでしょ」
「えーと、えーと」
「押すなと書いてあるのにわざわざ押すのは他にいないわよ」
「あははは…(汗) なんか気になっちゃって」
「そんな理由で押すな~っ!」
「ひえ~、ごめんなさい~」
井之頭五郎「こういうの好きだなシンプルで、爆発って男のコだよな」
「作者の急病のため、今週の爆発はお休みです。」
「後方で爆発したという認識は概ね正しい。誤算があるとすれば・・・・」
カズマ「俺はこの爆発に反逆するっ!!!」
「ち・・地球が壊れちまう!」
「この星の爆発まであと3分しかねぇ・・(3週くらい続く)」
「あの爆発は陰謀じゃよ!ぎゃわー」
ドーン
「どうなさいました?」
「違うのだ!紅茶を入れようとしていただけなのだ!なのになぜか爆発して…」
「それよりお怪我はありませんか?」
「い、いや…。私は大丈夫だ…。」
「(このあといったい誰が片づけると思っているのかしら)」
「どっかーん!」「また爆発したよ」「またですか」「まただよね…」「またか…」
「諸君 私は爆発が好きだ
諸君 私は爆発が好きだ
諸君 私は爆発が大好きだ
平原で 街道で
塹壕で 草原で
凍土で 砂漠で
海上で 空中で
泥中で 湿原で
この地上で行われる ありとあらゆる爆発行動が大好きだ」
「関係ねえ 爆発なんか関係ねえんだよ‥‥‥‥‥!
オレだっ‥‥!オレだっ‥‥‥!オレなんだっ‥‥‥!肝心なのはいつも‥‥!
(ざわ‥‥ざわ‥‥)」
ドラえもん「爆発するなんてきみはじつにばかだな。」
ブルル…
ドラ「わーなんだなんだ!のび太のしわざだな!やめろ!おろして!キャーヒー!」
バササ ガサガサ ガツン ドッガーーン
のび「…意外にばくはつがちいさいね」
喪黒福造「ドーーーン!m9」
(爆発音、そして爆炎)
「な…ば、爆発だと?!」
(瓦礫が降ってくる)
「う…うぉおおおおおおおおおおおおお!!」
「お。ししおどしか。」
「すしは、うみあ。」
「ちょっと足りないかな?」
なりはら博士「私は爆発するモノが大好きなんだー」
「自爆は男のロマンだぞ」
「爆発音がした」まとめ 下 -> http://anond.hatelabo.jp/20090508095607
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ついかもときどきしていきます。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。