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2009-03-13

ギュンター・グラス青年時代はナチ太鼓持ちだった。

書評川口マーン惠美 著『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店

小生のようにドイツを知らず、漠然とした技術大国=ドイツの印象を身勝手に抱いてきた者にとって、この評論集は新鮮な驚きのパケッジであり、あのメルセデス・ベンツをつくる器用なドイツ人が、他方では奇妙な思考体系をもつことなど想定外のこと。またドイツおよびドイツ人の意外な側面を知り、本書はとても有益である。

一般的に日本人ドイツの印象は良い。いや、良かった、と過去形で書くべきだろう。

森鴎外留学し、伊藤博文プロシア帝国憲法を範にとって明治欽定憲法を起草、制定した。ゲーテトーマスマン、ヘルマンヘッセ、ワグナー。

手塚富雄高橋義考という人たちの名訳でドイツ文学にしたしみ、西尾幹二の新訳でニーチェに親しむことができだ。三島由紀夫第二外国語ドイツ語だった。

ところが現代日本ではドイツがまるで語られなくなった。

大学ではドイツ語第二外国語に選択する学生は稀となり、中国語語学ブームは移った。

ドイツ政治を分析する論客も目立って減少した。

日本戦後政治混沌としてきたが、ドイツもご多分に漏れ混沌そのもの、いや東西ドイツ統一以後は、旧東ドイツの貧困を旧西ドイツが吸収し、そのためドイツ経済優等生の質が劣化した。さらには欧州通貨統一によって、ドイツ経済中国に抜かれるほどに疲弊した。米国日本に次ぐGDP世界三位は北京が獲得した。

ドイツにも政治家の右往左往、右顧左眄、売国奴の跳梁跋扈があり、構図的にいえば、ちょうど日本売国媚中派保守派とに二分され、さらにその保守が真性保守、体制保守、偽装保守などに細分化されるように、ドイツ政治は、ロシア利益と通底する二流の政治家がいる。

言うまでもなく売国奴政治家とは、シュレーダー首相である。

川口さんは舌鋒鋭くこう批判する。

シュレーダー首相在任中、毎年中国を訪れたが、当地では、徹頭徹尾相手の嫌がることには口を噤み、大型商談をまとめることだけに心を尽くし、中国人のやんやの喝采を浴びて満面の笑みを浮かべているのが常だった。そして、このシュレーダー外交を、官邸で、裏からしっかり支えていた」男が、後述するシュタインマイヤーというニヒルな政治家だった。

戦後、アデナゥワーは米国協調したが、ブラント政権東方外交へ急傾斜をはじめた。そしてブラントの個人秘書東ドイツスパイだった。

後継シュミット時代に「ドイツ経済は完全な停滞状態にはいったしまった。それを引き継いだのがCDUのコール首相。行き過ぎた福祉にブレーキをかけ、19990年には華々しく東西ドイツを統一下」(本書140p)

だが、いまやドイツ統一の偉業をなしとげたコール首相は顧みられず、現首相メルケルへの罵詈雑言左派からなされる。仕掛け人は現連立政権にありながら次期首相の座を虎視眈々と狙うシュタインマイヤーSPDの面々である。

ドイツ政権は左右大連立で「十五の大臣のうち8つがSPD」。外交を取り仕切るのは左派なのである。

ナチス靖国は、これほど違う!

日本との比較で二点、異なるポイントがあると川口さんは指摘する。

ドイツには日本とは決定的に違う二つの負い目がある」、それは「ホロコーストと戦時賠償未払い」

東方外交をすすめたブラント首相ユダヤ人慰霊塔に跪き、ヒトラーを擁したドイツ軍がなした狼藉を謝罪したが、「ヒットラーの率いたドイツ自分とを同一視していない」。

いや一般的にも「ドイツ人政治家の謝罪はヒットラーが起したことに対する謝罪であり、自分国民の罪に対するものではない」。

つまり「親族人非人がいたことに対する悲しみの表現のようなものであり、つまり『あいつのしたことは本当に悪いことだった。恥ずかしい、許してくれ』と誤っているのだ。日本は幸いなことに、あとにも先にも身内にこのたぐいの人非人を持たなかった」(本書73p)。

 

本書にはホーネッカー(旧東ドイツ独裁者)が、旧東ドイツ市民秘密警察に監視されつつ、生活がうまく行かずモノもなく、途端の苦しみを味わっていても、一人だけ核戦争にも生き残り、モスクワへ逃げる場合に備えた豪華な核シェルターを築いた事実が暴かれる。その妄想ともいえる塹壕が、ドイツ統一後、埋められる前の見学ツアーが行われ、川口女史はでかけて、壮大な無駄独裁の虚無を見いだす。

それにしても直撃取材のフットワークの良いこと!

また“ドイツ良心”などと左翼ジャーナリズムに持て囃された“ドイツ大江健三郎的な作家ギュンター・グラス青年時代はナチの「太鼓持ち」だったこと、シュレーダー首相プーチンの代理人のごとき政治屋ロビィストであること、ダライラマとの関係ベルリン北京へ頭を下げるのも、日本と同様であり、北京とはビジネスさえ旨くいけば中国に叩頭しても構わないと考えているのがドイツ人の大半であること等々。

次々と暴かれるドイツの真相を知れば知るほどに、表題のようにドイツに学ぶことなんぞ、もはや無いという結論が出てくるのだった。

 
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