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2024-04-19

アニメ化された高橋留美子の絵は好きだけど

マンガ高橋留美子の絵は魅力を感じない

2024-04-17

高橋留美子手塚治虫自分にはまだ早いと思い続けてアラサーになってしまった

アラサーから当然小学生の頃アニメ犬夜叉ブラックジャック放送されてて、夕方はらんまの再放送やってて、家にはジャングル大帝ビデオがあったのになんとなくとっつきにくさを感じてた。

その感覚のままいつのまにかアラサーになってしまった。

なんかこの2人の作家作品って自分の中でハードルが高い。自分でも理由が全くわからない。

漫画とかほとんどなかった家庭で育ったからなのか、父親ドラクエゲームも全くプレイしない人間からか?ファイナルファンタジーパッケージ中古屋で見てもひっくり返して説明を見ようともしなかった人間からか?

こち亀漫画本が一冊もないから?近所に漫画が置いてあるラーメン屋がなかったから?

高学年になったらデスノート単行本を姉が買っててそれを読んで実写映画も観に行ったのに。

ギアス夕方R2からリアタイしたのに。

なぜ高橋留美子手塚治虫だけハードルが高いんだろう。

オタク気質なのは確実なのに、なんでだろ?

2024-04-01

まもって守護月天!を読み終えた その1


当方40代であるはてなユーザーでは平均ほどか。

数年前に父が亡くなり、半年前に母も亡くなった。ずっと実家暮らしで、会社仕事の合間に農業をやっていたが、そろそろこの家ともお別れである家族が俺一人になったので、土地建物を売りに出して、会社の近くにある空き家ハウスに引っ越すのである

相続が終わってから遺品整理屋とかリサイクル屋とか解体屋さんと話をすることが多くなった。処分すべき財産はあっという間に片付いたが、最後に残ったのが……西暦で言うと2000年頃に亡くなった実弟漫画だった。部屋を共有していたので、本棚には俺と弟の漫画が並んでいた。

その大半は、ブックオフでも1冊10円すらつかないモノだった。メルカリで売るにも手間がかかりそうだ。遺品整理屋も「今のご時世、紙のマンガは売れないんですよ」と引き取りを断った。ほかの価値のなさそうなモノは、タダ同然でも引き取ってもらえたのだが。

何か月か経って、今年の正月を過ぎた頃だった。

実家本棚にあった俺の漫画を何冊か、手に取って読んでみた。うーん、これは……「懐かしい」という感情が僅かにあった。一番好きだった漫画、『天使禁猟区』『スカイハイ』『クロマティ高校』を読んでみたが、いまいちピンとこない。楽しい思い出が蘇ってこない。お楽しみの記憶脳裏から消えてしまったのだ……。

ふとここで、亡き弟の漫画を手に取った。あいつは将来裁判官になりたいと言ってたっけ。『家栽の人』が本棚の目につくところに置いてあった。一番上の段だった。

そして、一番下の段に視線を移すと……ここで一番、ドーン!! と、当時の記憶が蘇った。それは、『まもって守護月天!』だった。弟が一番好きだった漫画

家族食卓を囲んでいる時も、旅行をしてる時の車内でも、何気ない団らんの瞬間でも、とにかく弟は、この漫画の話をしてることが多かった。

弟の死因は、自動車に轢かれた後の外傷から内臓の疾患にかかったことにある。交通事故の原因の半分は弟にあり、当時は自業自得だと冷たいことを思ってたけど、まさか亡くなるとは……。病院でお見舞いをしてる時にも、弟はこの漫画を繰り返し読んでいて、ずっとその話の内容とか喋ってるんだよ。どんだけ好きなんだよって思った。

確か、アニメも観たいって言ってたかな。病室にテレビはあったけど、ビデオ再生できるものがなかった。弟は泣いて悔しがっていた。

さて、当時の俺は高校生であり、ガンガンコミックス漫画を読むことはなかった。守護月天漫画を読んでみたことはあったが、すぐに読むのをやめた。「稚拙だな」と思ったのもあるし、「絵がちょっとな~」という思いもあった。当時の俺は、CLAMPが描くような、Xとか聖伝とか、ああい精緻な絵柄のエログロが好きだった。

とにかく弟は『まもって守護月天!』が好きだった。それを、この本棚を見ていて思い出した。この日は休日であり、時間がたくさんあった。せっかくなので、この日から一週間ほどかけて、全11巻を読んでみることにした。

読んでみた感想を、以下に綴っていこう。感想を交えつつ、各巻に1~2箇所ずつ、印象的だったところを抜き出して引用する。

ネタバレがあるように見えるけど、本当に大事なところは抜き出してない。隠してる。まあ、俺の人生で『まもって守護月天!』を取り上げるのはこれっきりなんだし、少しくらいは許してくれ……。

その前に、これはどういう漫画やねん、と気になった方はWikipediaでググってほしい。あらすじは、概ねこんな感じである

~ブックライブから引用

一人暮らしで寂しさを抱える少年と、ご主人様をあらゆる不幸から守る役目を持つ守護月天美少女とのファンタジーラブストーリー一人暮らし中学2年生・七梨太助(しちり・たすけ)は、中国を旅する父親から支天輪(してんりん)という八角の輪を送られる。


まり主人公の何気ない行動をきっかけとして、小璘(シャオリン)という女神様のようなものがやってくる。お互いに惹かれつつ、ラブコメディが進行していく。その中で、超えないといけない壁がいくつもあって、主人公である太助シャオにふさわしい男になるために奮闘する物語である

では、さっそく始める。



【第1巻】

読み始めは、正直キツかった。絵柄が古いのもあるし、漫画表現が昔風なのもあるし、ラブコメを読んだ経験がない人間には何がどう面白いのかわからない。

まり楽しめないのは、すでに四十を過ぎているからだろう。子どもの頃であれば、まだマシだったのかもしれない。ただ、まあ……コンセプトはいいと思う。すごく。

なんとなくだが、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という映画を思い出した。某グルメ漫画でいうと、「うん こういうのでいいんだよ こういうので」を地で行く。

シャオリンが「この平和時代に、どんなものからご主人様を守るか」を決めたシーン

太助様…」

「…え……」

「もし迷惑でなければ あなたの中にある「孤独」や「寂しさ」から あなたを守ってさしあげたいのですが それではいけませんか?」


シャオ歴代の主を守ってきた手段は、主に暴力である。星神を呼び出して使役し、主人を狙う者を撃退する日々を過ごしてきた。だが、平和現代でそんな行為需要があるはずもなく。シャオは、呼び出されてすぐにお役御免になってしまう。

ならば、主人である太助をどのように守ればいいのか――その答えが上記台詞である。命を狙う敵がいないのであれば、孤独や寂しさから主人を守るのだ。太助には家族が3人いるが、全員家を離れて放浪の旅をしている。ネグレクトに限りなく近いものがあるが、ラブコメの都合というものだ。



【第2巻】

このあたりは、まだだるかった。物語登場人物は揃いつつあるのだが、展開が退屈でなかなか話が進まない。この巻から、慶幸日天の汝昴(ルーアン)という主人公の恋路を邪魔する、まさにお邪魔キャラみたいな人が出てくる。

別に、なんということはない恋愛妨害工作なのだが、この時代ラブコメ高橋留美子の影響がまだ色濃いのだろうか、暴力性が強い。この巻以外にも「死ぬやろ……」というシーンがけっこうある。昔は気にならなかっただろうが、やはり時代というものか。

ルーアンの計略によりシャオ太助の元から離れようか迷っているシーン ※太助が駆けつける

「えーっと 今はうまく言えないけど… 俺はシャオにずっとここにいてほしいんだ ――それだけじゃここにいてもらう理由にならないかな……」

「…いいえ… ………あの 私…… 太助様がここに来てくれるの 待ってたかもしれないです」


ルーアンがそれっぽい発言をして、「シャオ現代には不要ではないか」という意見を伝える(あなたなんて いても邪魔なだけなのよ)。シャオは真に受けてしまって、支天輪に帰ろうとするのだが……すんでのところで太助がやってくる。そして、ふたりきりの状態で上のような会話をする。

この場面は気に入っている。シャオ気持ちも、太助気持ちリアルに描いていたからだ。ストレートさがいい。



【第3巻】

このあたりから恋愛路線に入ってくる。太助シャオ愛情意識する場面が出てくる。

ネタバレは避けるが、シャオには恋愛ができない事情がある。本人ですら認識できない事情が。

以下の山野辺というのは、最初の頃は万引きとかするキャラとして描かれていた。物語が進むにつれて応援キャラになっていく。

シャオ山野辺が一緒に温泉に入っているシーン

「なあ シャオ…」

「…………」

シャオ?」

はい?」

「なんか元気ないけど七梨と何かあったのか?」

翔子さん…………私 病気かもしれないです なんだか…ね 胸が苦しい… 太助様がルーアンさんと一緒にいると とっても胸が苦しくなります さっきなんか どうしてだか自分でもわからないけど そっけない態度とっちゃったし太助様が話しかけてくれたのに 太助様にきっと変に思われちゃった きっと悪い病気にかかっちゃったんです ――でも どうしたらいいのか わからなくて…」 

(へえ…精霊ってのも 人を好きになったりするんだあ…)


うん。女性作者が描いてるラブコメってさ。女性側の心理描写リアルだよな。女の子ってさ、好きな男性の目の前だと萎縮することがあるじゃん意中の人を目の前にすると、体がつい後ろに下がってしまうとか、廊下を走って逃げだす子とかいるよな。

なんかこう、恋愛感情に対して不安になった時の女性心理というか。リアルさが伝わってくる。子ども時代に読んでも全く認識はできなかったろう。



【第4巻】

この巻くらいになると、ストーリーの基本線が定まってくる。何らかの事件イベントが起こって、太助シャオが巻き込まれて、レギュラーキャラがそれぞれの立ち位置で動き回って、なんやかんかで解決して、ふたり(又はほかのキャラ同士)の間柄が深まって……という流れである

基本は、太助シャオ関係性がメインだ。この作品うまいところは、ふたりばかりを推すのではなく、ほかのキャラクター間の友情とか愛情ガッツリ描いてる。

この巻だと、2つの場面が印象に残っている。いずれも、ルーアンふたりの仲を妨害するための工作を試みて、やってしまった結果である

④-1太助高速道路自転車走行中にタイヤバースト、そして前方車両(トラック)と自転車を括っていたロープが取れて転倒した後のシーン

「………え 太助様!? 太助太助様!! 太…助様あ… ……う…」

「あ…あの小璘さん…」

「どうしよう…どうしようどうしよう ルーアンさん! ――太助様が 死んじゃったらどうしよう!!」

「あ…いや まさかそんなあ」

「どうして支天輪を車に乗せちゃったりしたんですか 私……太助様に何かあったら ルーアンさんのこと絶対さない!!」

「…………」

太助様に…太助様に何かあったら… 太助様… 太助様早く帰って来てください」

「小璘…………あんた」

④-2保健室で、シャオがベッドに横たわって寝ているシーン

「なあ…ルーアン

はい!?」

「…俺シャオのこと 好きにならない方がいいのかな…」

「………… あんたあのおじょちゃんになんか言われたでしょ ――じゃあひとつ聞くけどなんでそう思うの?」

「――…」

「小璘が人間じゃないから?」

「…………」

「………俺とシャオって絶対結ばれないのかなって…」

「…ねえ たー様 あたしは たー様のこと好きよ 考えれば悩みなんていくらでも出てくるけど 一番大切なのは自分気持ちでしょ だからあたしはあんたみたいに悩まない 悩んでも変わらない想いなら 悩むだけ損だと思わない?」


気持ち、とでもいうのかな。かの有名な『BLEACH』でいうと、ウルキオラ・シファーの名台詞ひとつである



心か



みたいな感じだ。登場人物の心境がさ、わかるんだよな。喜んでるのもわかるし、苦しんでるのもわかる。そんな中でキャラクターが足掻いている姿が印象に残った。

漫画を読む前に下調べはしなかった。今も一切してない。よって推測になるんだけど、この作者である桜野みねねっていう人は、この時(1998頃?)は大学生かそこらの年齢なんだよな。作者あとがきを読むと、若いんだなというのは伝わってくる。

俺が二十代前半の頃は、地面から出てきたばかりのカブトムシの如き勢いでスポーツをするか、水道工事現場であくせく働くか、盛りのついた獣のように女を口説いて、年間に何人とセックスたか記録を付けるとか……同じ会社女の子と無理やりそういうことをした後でも、最後にベッドの上で「愛してるよ」と言ったら許されるから大丈夫とか、そんなことしか考えてなかった。人間性が動物レベルだった。

でも、この桜野みねねという人は、そんなどす黒い人間の対極を行く感性がある。この作者は凄い……と、いい年になったおっさんは感じた。※私個人と作者の年齢差は、干支0.5周り分ほどと思われる。



【第5巻】

20年以上前漫画なので、さすがに創作でも……というシチュエーションが生じることがある。作品内では、たまに登場人物がみんなで旅行とか海とか温泉に行くのだが、メインキャラがほぼ中学生で、20才以上は大変少ない。無理があるし違和感がある。

しかし、旅行とかでないと表現できないラブコメ的なシチュエーションもあると思うので……そこが創作の難しいところである。いや、文学作品創作とかしたこといからわかんないけどさ。

⑤仲間と海に来ていて、ようやく夜の海岸で二人で話ができたシーン

「なんだかね………私 太助様ととってもお話たかったです 別にお話したいことがあるわけじゃないの… でも… 太助様とお話してるととっても落ち着くから…」

「……シャオ

だってお話してるってことは 一緒にいるってことでしょ? だから…」

(だから… きっとこんなに 安心できるのね)


太助シャオは、何度もこういうシチュエーションになっている。が、恋愛が進む気配はない。事情はあるのだが、あまり絶望的な事情なのだ

あと、文章量の都合で載せなかったが、クラス演劇(かぐや姫)の数話分も大変よかった。ルーアンと、ほぼサブキャラの乎一郎が主体の話なのだが、中学校の学芸会かぐや姫をやることを通じて、「離れていても心は繋がってる」という要素を表現している。

この回は、大人ながらにしみじみときた。気になる人は、是非5巻を読んでほしい(ダイレクトマーケティング決行)。

大まかな流れを言うと、ラストのお別れシーンでかぐや姫役のルーアン台本にないセリフを言う → 月の使者役のシャオがお迎えを中止発言 → 乎一郎がそれを制止 → その後の会話のやりとりで、離れていても心は繋がっていることを示唆~といった具合である

ここまで五千字以上は書いている。一旦切ることにする。



文量の都合で2分割。

次に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20240401122023

2024-03-12

anond:20240312122933

80年代長者番付1位取った時の記事の切り抜きがTwitterで回ってたけど、鳥山明キャラ商売の新たな局面を切り開いた人なのではないか

下に藤子不二雄コンビ高橋留美子がいたけどダントツ鳥山明収入が上だった

Dr.スランプしか連載なかった時の番付だぜ?

単行本だけでなくアニメ化によるアラレちゃんグッズの権利料が莫大な収入になった

子供の人気キャラオバQパーマンドラえもんを一気に超えるキャラを作り出したのが鳥山明って考えれば時代メルクマールだとわかるだろう

その後、ジャンプキン消し聖闘士フィギュアキャラグッズのヒットを連発

2024-03-08

anond:20240224181401

その手の雑誌の女漫画家が出す男キャラって抜けてるところもない冷笑ツッコミキャラだろうから読者も共感するところないだろな

昔の高橋留美子作品みたいにぶっ飛んでるキャラなら顔がイケメンでも男読者からヘイト向けられることないんじゃないか

2024-03-05

anond:20240304215259

田中圭一は「イタコ」と呼ばれるし、そういう芸風だ

意図的に似せるというのはそういうことで

普通に行ったら本来宣言がいるようなこと

もともと、個が売れるには個性が居るので、自然他人と違う絵柄を求めていくって部分もある

連載当初は「◯◯のアシだな」みたいな漫画も、大体はきちんと個がついてくる


高橋留美子劣化コピーとかではなく、普通は一己の創作者になりたいわけだから

田中圭一みたいな活動は稀

AI絵はそういうのと無縁なんだよね

絵柄に著作権はない

から、堂々と「同じような絵柄」が出力される

ファン活動としての創作いのまたむつみ藤島康介の絵柄を真似ることはあっても

そのままデビューしたり商業作品を作ろうとは「普通」しない

でもAIならお手軽に行けてしま

AIツール側に個としてデビューしたいなんてな願望はない

その結果が、ビビットアーミー広告

あれを「使ったやつが悪い」と断罪するなら、似た絵柄の出力は悪と認識してることになる

からAI擁護文脈では

ビビットアーミー広告サイコー♪これぞ新しい表現の自由の幕開け♪♪

というべきなんだよ

2024-02-15

高橋留美子パクリ天才

らんま1/2』と『コータローまかりとおる!』『あ!Myみかん』の設定は似ている。それでいてネタ元の漫画よりも面白い。結局は面白いもの勝ちなのだと思う。

2024-02-13

ラムちゃん巨乳キャラ

うる星やつらの虎柄ビキニラムちゃんは、アグネス・ラムモデルなのは有名だが、アグネス・ラムスタイルの美しい巨乳芸能人として有名だった。

ついでに作者の高橋留美子巨乳だ。

しかし今ラムちゃん巨乳キャラと思う人はほぼ居ないだろう。

今は現実にいるサイズ漫画で書いても、巨乳に見えなくなってきてるんだな…。

2024-02-11

ビューティフル・ドリーマーの見放題配信普通に始まってるわけだが

https://www.amazon.co.jp/dp/B0105IZB0K/

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/be2845943550e365ecaab1f3a04e42db0c01e260

作品関係ないやろ!って声もあるけど原作改変してもはや別物なんだから原作者が嫌悪すればお蔵入りは当たり前でしょ。ハガレン一期(映画は除く)の配信だって滅多にないでしょ?パヤオ断罪されないとな。

高橋留美子押井守の不仲説はデマ!と連呼してた連中はなんだったのか?

原作改変問題もあるが、「純喫茶第三帝国」でドイツ製戦車を展示するといったナチス礼賛と受け取られかねない描写もある

これまでのインタビューで散々不仲否定してて実はこの作品嫌いだったと今更言われても困るよ留美先生。もしフジ現在アニメに影響がとか言って文句だったら迷惑だが

先日の別記事コメントを見る限り古参ファンの間でも認識が二分している作品をこのタイミング配信すると原作者・関係者に無用トラブルが発生する懸念あり、みたいな理由なのかな。勝手想像ですが。

やっぱり恐れていたことが起きてしまったんじゃないかな。 文化祭ナチス問題なんだろ?

これが登場人物含めて原作世界観を徹底的に毀損した愚作であり、愛読者は昔から怒り心頭だってことを知っているスタッフアマプラにもいたってことなんだろうか。

原作改変は許されません!でも出来上がった作品が高評価から自分は好きだから)許されます?アホか。/理由は知らんけどさ、これを機に原作ものなんて止めにすれば?オリジナルこそ至高やん。アニメも、ドラマ

小学館東宝NG出したので無ければ、原因らしきもの高橋留美子しかおらんし、前者はそもそもイヤならそういう話を最初からしないってのはある。高橋留美子への忖度かもしれんけど、どのみち留美しか原因がない

別にこの作品自体が揉めているというよりも原作改変問題世間が喧々諤々の最中原作改変の金字塔をぶっこんで火に油を注ぐ必要はないという運営判断では

2024-02-09

中小出版社で働いた人間からみた編集部の「リアル

芦原先生の死去にはじまる様々な報道を目にして、昔の記憶が蘇った。

25年働いて10社くらいを経験したが、今思い返すと出版社小説編集やってたときが一番「組織としてヤバい」と思った。色々な組織を見てきたから言うけど、出版社編集部は抜群にヤバい

この記事で語ること

さな出版社編集部にありがちなことや、そこからまれ構造的な課題説明する。

この記事で語らないこと

雑誌編集担当してないのでそこは語らない。スポンサー見つけたり、締め切りカツカツでたくさんの原稿を本をまとめなきゃいけない苦しみはわからない。

また、メディアミックス担当したことがないので、そういった経験も語れない。

前提

ほとんどの出版社において「新卒採用」は行っていない。音羽一ツ橋KADOKAWAあたりは大手大手なのでまだまともな部類。「他にも新卒取ってるところもあるよ」って反論が出てくるのは目に見えてるが、そんな会社はまだまともなので安心してほしい。

まり、「編集者のほとんどは中途採用」であり、中途とは自分から情報キャッチアップすることが当然の現象となる。そのため、「若手に先輩が何かを教える」という風潮に乏しくなる傾向があると思う。

また、「新卒採用存在しない」は同時に「同僚に『同期』がいない」ことも意味する。何社も渡り歩いて強く実感したが、同じ日に入社したってだけでも意外と同僚同士の絆は強まる。他の会社だと中途でも同期飲みとか不通にあるんだよ。新人が社内の人間積極的交流を持つ為の経路が「制度として」存在しないことは、新人メンバー孤立を後押しこそすれ緩和はしないだろう。

更に輪をかけて大きな問題は、「お抱え作家がいない場合編集者同士はライバル」ということだ。大手出版社であれば、「高橋留美子なり尾田栄一郎なりのビッグネーム担当が定期的に変わる」という現象は当たり前に聞くが、中小出版社編集部においてはそうもいかない。「売れっ子作家担当」というポジションは、中小出版社編集部での社内政治においてものすごく重要であり、手放す意味も意義もない。また、そもそも人数が少ないので引き継ぐ相手がいない。

結果、「新人のために作家を引き継ぐ」という経路が細くなるわけである基本的他人から担当作家を引き継ぐ機会がないのだ。もちろん0ではないが、引き継ぐ前の編集者がよっぽどの超有能編集者でその人がキャパオーバーとかでないかぎり、既存メンバー他人に引き継いでいいと思っている作家は大体「自分が手放しても惜しくない作家である

それはつまり、「新メンバー自分で新しい担当作家を発掘する必要がある」ということになる。

前提から導き出される風土

まず、編集者同士での情報共有が阻害される。「いまこういう作家さんがすごく好きだから声かけしようと思うんだよねー」みたいな会話がなされづらい。しなくもないけど、虎の子だけはみんな腹の内に隠していることになるだろう。

一般企業と対比させるとわかりやすいかもしれない。通常であれば、取引相手一覧はチーム内で共有されている筈だし、朝会等で業務の進捗状況を共有しあうだろう。しかし、編集においては「自分が誰と仕事をすすめているか」という情報がチーム内で共有されているかというとかなり怪しい。

結果、何が起きるかというと「編集者が作家イラストレーターデザイナーと連絡を取る際、その情報編集部の誰にも共有しない」という現象が発生するわけだ。具体的には外部とのメールのやりとりをチーム内にCCで共有しない。そもそもCCで飛ばす文化がない。

そこから当然のごとく発生するのは「本を作る為の進行管理編集個人に完結する」という現象原稿が遅延しててもその情報をチーム内に共有しないし、共有しても聞いてもらえない。

ここに多忙が乗っかればもうおしまいだ。高確率で「編集者は作家に嘘をつく」。自分だけでやりとりが完結している相手には、嘘がばれにくい。嘘がばれにくい相手がいれば、構造上嘘をつきやすいのは想像に難くないだろう。

また、共有を怠ったまま業務を進めたことで、「編集長チェックの段階でひっくり返る」という現象も発生する。これが作家の目には「直前までOKって言ってたのにいきなり前提が全部ひっくり返ってやりなおしになった」として目にうつるわけだ。

これらはあくまで「組織構造上、このようなことが起こりやすい」という話をしている。だから、似たような環境でも「それは違う、うちはこうしてる」ということはたくさんあると思う。

だが、ここで一番重要な点は、「不正を塞ぐ手段組織として準備できていない」という事実である。嘘をついてもバレない環境において人間は嘘をつく。100人いれば1人は嘘をつくに決まっているのだ。

ここで「いやでも仕方ないよ」と思った人がいれば、あらためて考えてほしい。「仕方がない」なら「問題が起きても許容されるべき」とはならないだろう。組織構造不正を生み出しやすいなら、不正が生まれないような組織構造に作り替えるべき……というのが、一般的な企業における「コンプライアンス」というものである中小出版社編集部は、そこがまったく整備されていないし、そこを整備するインセンティブは薄い。なぜなら「チームとして動く」という感覚が(少なくとも自分のいたところのような)雑誌などを作っておらず、メディアミックス担当することもないような木っ端編集部では存在しないかである

まとめ

新卒採用を行っていないような「編集者を育てない出版社」では、中途採用において同期の絆を深めることは少なく、また担当作家も新しく捕まえなければならない。

ライバル同士である編集者間の情報共有は滞り、作家さんとのやりとりはチーム内の他の編集に伝わらない。

結果、記事制作時の過失や遅延を適切なタイミングで適切なメンバーに共有されない(少なくとも、制度設計上共有しないことが最小リスクとなってしまう現状が発生する)。

そういった環境にいるとどうなるか? 編集者は基本的「嘘」をつくんだよ。編集作家とのやりとりは二者間で完結してるし、その嘘を編集部の他メンバーが気づくことはない。だって情報共有してないんだもの。ばれない嘘はつき放題、だろ?

個人的な感想

編集クソだな」と思ったあなた:正しい。

「お前のところだけだろ」と思ったあなた:正しいし、一部の出版社はその問題解決するための方策ちゃんと考えている。たとえば、漫画だったら講談社小説だったら電撃文庫辺りは1人の作家に2人の担当編集がいると聞く。少なくとも「1人の作家作品の状況を複数人管理する」という体制がついてるわけだ。こうすることで作家との揉め事編集が一人で握りつぶせないということは構造上なくなる。そういう意味で、大きめな出版社編集部はある程度とマシな気配はする。が、中小出版社で働いていた経験からすると、出版社編集部の9割はこんな感じなんじゃないかなーと思っている。

2024-02-02

追記有【映像化に成功した(とされる)漫画原作作品国内版】

まり憂鬱話題ばかりなので成功事例をいくつか。最近作品はあまり観てないので、全体に古いのは許して。最近作品小説原作海外版とかは誰かにお任せ!

 

ドラえもん』第2作第1期(いわゆる大山ドラ

TVアニメ/1979-2005/テレビ朝日

初回試写を観た藤子Fに、声に自信のなかった大山のぶ代が恐る恐る感想を訊いたら「ドラえもんってああいう声だったんですねぇ」と褒められたエピソードは有名。

もとひら了芝山努監督の力量もあり、後期に絶妙キャラ弄りや捻りを加えたオリジナルエピソードを連発した丸尾みほ脚本も最高。のび太担任教師フォーカスを当てた回まであった。

現在放送中の第2作第2期(わさドラ)はキャラ原作に過剰に寄せた作画特にキャラの表情が個人的にはあざとく見えるが、声も含め原作大山ドラへのリスペクトを感じるので、これは好みの問題

なお、1973年日本テレビ日テレ)で放送された第1作については、藤子F(当時は藤本弘名義)が厳しく苦言を呈している。

 

キテレツ大百科

TVアニメ/1988-1996/フジテレビ

アニメ化に使われた原作は〝てんコミ〟版全3巻が底本。実際には全40話ほど描かれていたが、アニメ放映時代にそれらは発掘されておらず、版元の小学館も把握してなかった。学年誌掲載漫画原稿は雑に扱われる傾向にある。

長寿番組になったが、殆どアニメオリジナルエピソード。多くの脚本家が手掛けたが、メインで書いてたのは、TVアニメサザエさんでの暴走が有名な雪室俊一2ちゃん等では〝スノールーム〟と渾名が付けられるほど。

しかファン不安杞憂に終わる。藤子Fもお気に入りで毎週楽しみに観ていた、というファンの間では有名な逸話もある。

 

めぞん一刻

TVアニメ劇場版割愛)/1986-1988/フジテレビ

初期は、高橋留美子原作を丁寧に補完することに徹した。中期以降は原作にあった際どいネタを、アニメの方が自粛したこともあったが高橋は納得の上で快諾。

地上波ゴールデンタイムアニメで「オナペット」という単語が使われたのは本作が最初最後だろう(空飛ぶ飛行機の音を被せて聴こえにくくしてたが)。

脚本は3人がシーズンごとに交代。特に中期以降を脚色した回を量産した伊藤和典高屋敷英夫の手腕が見事。伊藤は有名なので割愛するが、高屋敷も実力派。作品検索すれば納得する筈。

 

孤独のグルメ

〈実写TVドラマ/2012〜/テレビ東京

ドラマ化に際し、原作久住昌之が出した唯一の条件「音楽担当させてくれ、そしてJASRACには登録しない」をテレ東が守った。

原作通り、実在店舗ドラマに出すするとはいえ

五郎役が発表され、原作ファン不安しかなかったが蓋を開けたら……後は皆さんご存じの通り。

 

きのう何食べた?

〈実写TVドラマ/2019、実写TVドラマS2/2023/テレビ東京

〈実写劇場版/2023/東宝制作スタッフTVシリーズと同じ)〉

個人的には、ここ数年で最も実写化成功したレアケースだと思う。最近作品なので詳細は割愛

 

 

──────────

追記。長文失礼!】

仕事生活リズム崩れ中、寝る前にフワッと書いたのが起きたら伸びててビビった。炎上というのは、これに付いたブコメのような「他者から集まる意見」ほぼ全てが憎悪ってことだよね。そりゃ怖いわ。

 

一部コメにあるけど、確かに田中さんの件がきっかけで書いた。

だけど便乗というより、原作レ◯プ・クラッシャーの類例がここぞとばかり過去怨恨と共に山ほど噴出してるので、せめて評判が良かった作品を思い出し、澱んだ気分に支配されぬようにと思ったのよ。

何だお前のオナニーかよ。そうかもね。それならほとんどの増田ブコメSNSもオナ。

オリジナル二次創作オマージュも、それこそ映像化の監督脚本役者による改変や解釈さえオナ要素はある。某漫画家が『シン・仮面ライダー』を「予算が潤沢な同人誌」と評してたけど、的を射てると思う。

 

定義ガバガバ、数が少なすぎ!ってのは自覚してる。個々の説明書いてたら眠くなっちゃったのよw

俺が藤子Fの原作アニメ共に一番好きな『エスパー魔美』も入ってないし。実写ドラマ微妙だったけど。

 

成功定義は、送り手も受け手も人それぞれ。視聴率興行収入作画役者評価原作ファンからしても良改変という判断……。だからタイトル

【〜成功した(とされる)〜】

という曖昧な書き方にした。それでもなお主観からは逃れられない。ドキュメンタリーと同じ。しかも今回はパッと思い付いただけの範囲年代表記だけは調べたけど、あとは記憶で書いた。

 

田中さんドラマで知り楽しんでた視聴者には

ドラマ面白かった!→原作読んでみよう→あれ何か違う?でも面白いな」

というケースもあるかもしれない。

 

コメに色んな意見作品が溢れてて勉強になる。前述「魔美」みたいに、それ入れるの忘れてた!何で思い出せなかったんだよ俺!ってのも多く出てる。

何にせよ、一からオリジナルを作った原作者ってのは本当に凄いと改めて思ったよ。

書きたいことはまだあるけど、長くなるので一旦〆る。コメくれた皆、ありがとうね。

追記ここまで】

anond:20240202175644

うるせいやつら2は押井原作から変えまくったことで有名で、原作者の高橋留美子が少し苦言を呈したことで有名。

なので炎上するのを避けたんだと思う。

2024-02-01

映像化に成功した(とされる)漫画原作作品国内版】

まり憂鬱話題ばかりなので成功事例をいくつか。最近作品はあまり観てないので、全体に古いのは許して。最近作品小説原作海外版とかは誰かにお任せ!

 

ドラえもん』第2作第1期(いわゆる大山ドラ

TVアニメ/1979-2005/テレビ朝日

初回試写を観た藤子Fに、声に自信のなかった大山のぶ代が恐る恐る感想を訊いたら「ドラえもんってああいう声だったんですねぇ」と褒められたエピソードは有名。

もとひら了芝山努監督の力量もあり、後期に絶妙キャラ弄りや捻りを加えたオリジナルエピソードを連発した丸尾みほ脚本も最高。のび太担任教師フォーカスを当てた回まであった。

現在放送中の第2作第2期(わさドラ)はキャラ原作に過剰に寄せた作画特にキャラの表情が個人的にはあざとく見えるが、声も含め原作大山ドラへのリスペクトを感じるので、これは好みの問題

なお、1973年日本テレビ日テレ)で放送された第1作については、藤子F(当時は藤本弘名義)が厳しく苦言を呈している。

 

キテレツ大百科

TVアニメ/1988-1996/フジテレビ

アニメ化に使われた原作は〝てんコミ〟版全3巻が底本。実際には全40話ほど描かれていたが、アニメ放映時代にそれらは発掘されておらず、版元の小学館も把握してなかった。学年誌掲載漫画原稿は雑に扱われる傾向にある。

長寿番組になったが、殆どアニメオリジナルエピソード。多くの脚本家が手掛けたが、メインで書いてたのは、TVアニメサザエさんでの暴走が有名な雪室俊一2ちゃん等では〝スノールーム〟と渾名が付けられるほど。

しかファン不安杞憂に終わる。藤子Fもお気に入りで毎週楽しみに観ていた、というファンの間では有名な逸話もある。

 

めぞん一刻

TVアニメ劇場版割愛)/1986-1988/フジテレビ

初期は、高橋留美子原作を丁寧に補完することに徹した。中期以降は原作にあった際どいネタを、アニメの方が自粛したこともあったが高橋は納得の上で快諾。

地上波ゴールデンタイムアニメで「オナペット」という単語が使われたのは本作が最初最後だろう(空飛ぶ飛行機の音を被せて聴こえにくくしてたが)。

脚本は3人がシーズンごとに交代。特に中期以降を脚色した回を量産した伊藤和典高屋敷英夫の手腕が見事。伊藤は有名なので割愛するが、高屋敷も実力派。作品検索すれば納得する筈。

 

孤独のグルメ

〈実写TVドラマ/2012〜/テレビ東京

ドラマ化に際し、原作久住昌之が出した唯一の条件「音楽担当させてくれ、そしてJASRACには登録しない」をテレ東が守った。

原作通り、実在店舗ドラマに出すするとはいえ

五郎役が発表され、原作ファン不安しかなかったが蓋を開けたら……後は皆さんご存じの通り。

 

きのう何食べた?

〈実写TVドラマ/2019、実写TVドラマS2/2023/テレビ東京

〈実写劇場版/2023/東宝制作スタッフTVシリーズと同じ)〉

個人的には、ここ数年で最も実写化成功したレアケースだと思う。最近作品なので詳細は割愛

2024-01-30

映像化作トラブル事件簿

いいひと。 :フジテレビ(修正しました)

原作者主人公ヒロインキャラを変えるなと念を押していたが改変しまくり。

原作者ブチ切れで原作クレジットから原案クレジットへ変更。

いいひと。」を守れなかった責任は作者にあると連載終了を決意。

 

おせん :日本テレビ

原作を大きく改変し主演男優(ジャ◯ニーズ)の演技もひどく炎上状態に。

ドラマを見た原作者がが原作と違いすぎてショック。もうやってられんと連載休止に。

最終的に原作クレジット原案に変更されてしまう。

 

八神くんの家庭の事情 :テレビ朝日

作品キモである高校生主人公が若く見えすぎてしま母親女性として意識してしまう」という設定に

どう見てもババアしか見えない女優をあて、ストーリーや設定を改変しまくり。

原作者がやっぱりブチ切れて、最終的に原作クレジット原案クレジットに変更されてしまう。

 

ハガネの女s2 :テレビ朝日

シーズン2は原作にない完全オリジナル脚本で行われたが

第2話で転校してくるアスペ学校で受け入れるか特別支援学校にぶち込むかを生徒が選挙する展開に。

テレビ局だけでなく原作者にまで非難殺到し、原作者はこの展開を支持しないとして原作から降りることに。

 

海猿 :フジテレビ

原作者に対する無許可突撃取材原作者激怒プロデューサーに二度とさせないと約束させるも再突撃される。

その後、海猿関連書籍契約書なしで勝手販売されていたとして原作者が絶縁宣言を行う。

 

テルマエ・ロマエ :フジテレビ……というかエンターブレイン

映画化に際して原作使用料が100万円という宣告され、

事前相談もなければ根拠説明もなかったとTVぶっちゃける。

しか契約出版社が行っており、フジテレビ側が契約押し付けものではなかったとのこと。

 

ゲド戦記 :スタジオジブリ日本テレビ

原作者は「宮崎駿が監修する」「原作を変更しない」という条件で映像化を許可したはずが

なぜか宮崎駿ノータッチ原作を改変しまくった作品が出来上がってしまう。

原作者から「私だけではなくファンバカにしている」と痛烈に批判された。

 

トラブルまでは行ってないけど高橋留美子ビューティフルドリーマーあんま好きじゃないらしい。

2024-01-29

anond:20240129134129

高橋留美子は絵柄自体は代わってないかも知れないが画力は落ちた

なんというか脂が抜けた

気が抜けた

種村有菜は女キャラの華やかさの印象のほうが強く男キャラ別に・・・だったのにイケメンソシャゲ絵師やってから段々上達したのはすごい

絵師の絵柄の変化がいやな人おりゅー?

90年代から絵を描いてる人って自分の絵柄が古くなるのがいやで今時の絵柄に近づけようとしているのか、絵柄が変わってしまう人がいる

でも、古参オタクはやっぱ昔の絵柄が好きなんだよな

たとえば、種村有菜ジャンヌ~KYOKOのときの絵柄をずっと貫いててほしかったし

いとうのいぢ先生2000年代ハルヒブームときの絵柄を貫いてほしかった

最先端の令和の絵柄は若い絵師に任せて

から絵を描いてる人は自分らしさを貫いてほしい

高橋留美子先生枢やな先生青山剛昌とかのベテランは「自分」を貫いてるから絵柄が令和になっても変化することがない

自分の絵のくせや自分らしいタッチを最高だと思ってるから変化しない

これは個人的な私の気持ちしかなく

種村有菜先生やいとのいぢ先生の今の絵柄を好きなファンはたくさんいるんだから、私の考えは「正義」ではないということは重々理解

してる

鬼滅の刃の作者は自分の絵柄、描き方にむちゃくちゃこだわりを持っているからきっと鬼滅の後に新しい次回作を描いたとしても絵柄は変わらない

2024-01-24

anond:20240124093136

鬼滅の乳の強調の仕方って高橋留美子っぽい感じがする

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