はてなキーワード: 比例代表制とは
選挙のたびにキャスティングボートが移り変わるんだろうし
https://bsky.app/profile/miraisyakai.bsky.social/post/3l7jmbxdalq2f
自民 1458万 2630票(26.75%)
れいわ 380万 4983票( 6.98%)
参政 187万 0244票( 3.43%)
社民 93万 4481票( 1.71%)
みんな 2万 3784票( 0.04%)
安楽会 1万 8455票( 0.03%)
こんばんは!
そろそろ選挙が近づいてきて
「なんか今回は投票してみようかな〜」
【小選挙区】
これはすげぇ単純!
あと、死票っていって当選者以外に投票した有権者の意思が通らないマジぴえん🥺
そもそも投票したい政党から候補者が出ていない地域もあるのでダブルぴえん🥺
それと例えば10人の選挙区が10個あって、A党の候補者たちが各選挙区で6票獲得で当選。
100人の選挙区が1個あって、B党の候補者が60票獲得で当選。
でも全体でみるとA党支持者は100人。
対してB党支持者は100人。
【比例代表】
だから
そう昔の偉い人は考えたってワケ。
A党150票、B党60票、C党50票として…
とりあえず数字の①と②と③と④と⑤で割ると
A党…150,75,50,37,30
んで大きい順に5個取っていくと
A党…150,75,50,
B党…60,
C党…50,
んな訳で、
A党3議席、B党1議席、C党1議席で、なんかいい塩梅やん??
な?なんかいい感じじゃん?
比例代表は「政党(または政党に属する候補者)」しか選べないから、無所属はそもそも立候補出来ないのよ。
国民の代表なのに、政党に関わらず議員個人を選べないってまずいじゃん。
あと小党分立しやすいから、連立政権で不安定だし政府にまとまりも一貫性も欠けやすい。
ベルギーなんか小党分立しすぎて2年近く無政府だったことがあるんだぜ?ワロリンヌ
小選挙区だけだと過半数を取る大政党が出来るので政治は安定しやすいけれど、死票めっちゃでる。
比例代表だけだと死票少なくて意見を広く拾えるけれど、個人は選べないわ小党乱立して政治が安定しない。
…!!
両方つかえばいいんじゃね!🤔💬
そう昔の偉いひとは考えました。
少しでも自浄を期待してるから、選挙明けに責任取らされてすぐ降ろされそうな石破がかわいそうだよ、
どうせなら
・裏金やったやつ
・それ以外(まともかどうかは不明)
くらいに選挙期間だけでも分裂してくれれば"まだ自民的な存在"に票を入れやすいのにな
政党ごとの議員上限数30くらいに制限するのもどうかなとおもってGeminiに聞いてみた。いまいちだったけど、今の与党に対する処方箋としてはどうだろうか。
ーーー以下Gemini回答ーーー(タグとか知らんかったので直コピペ)
日本の政党の議員数を30人程度に制限した場合のメリットとデメリットについて、詳細に検討してみましょう。
政党の多様性減少、政治の安定化: 政党数が大幅に減ることで、政党間の対立が激化し、政治が不安定になる可能性が低減します。政策決定がスムーズに進み、政治の安定化に繋がる可能性があります。
小政党の消滅防止: 議席獲得がより困難になるため、小政党は合流や解散を迫られ、政治勢力が再編される可能性があります。これにより、特定のイデオロギーや地域の利益を代表する小政党が消滅し、多様な意見が反映されにくくなる可能性があります。
政策決定の効率化: 議員数が減ることで、意思決定プロセスが簡素化され、政策決定のスピードが向上する可能性があります。
議員の専門性向上: 少ない議員数で国政を運営するため、各議員はより幅広い分野の知識や経験を身につけることが求められます。議員の専門性向上に繋がる可能性があります。
多様な意見の反映不足: 議員数が大幅に減ることで、多様な意見が国政に反映されにくくなる可能性があります。特に、少数意見や地域特有の課題などが軽視される恐れがあります。
政治の硬直化: 政党数が減り、政治勢力が固定化されると、新しいアイデアや政策が生まれにくくなり、政治が硬直化する可能性があります。
有権者の選択肢減少: 選挙で選べる政党数が減るため、有権者の選択肢が狭まり、政治に対する関心が低下する可能性があります。
地域代表性の低下: 議員数が大幅に減ることで、地域ごとの代表性が低下し、地域特有の課題が国政に反映されにくくなる可能性があります。
政党の独裁化: 議員数が少ない政党では、少数の有力者が党の方針を決定しやすく、民主的な意思決定が阻害される可能性があります。
その他
議員1人あたりの負担増: 議員数が大幅に減ることで、1人あたりの業務量が増え、議員の負担が過大になる可能性があります。
選挙制度との整合性: 議員数を制限する場合、現在の小選挙区制や比例代表制など、選挙制度との整合性をどのように図るかが大きな課題となります。
憲法との整合性: 議員数の制限が、国民の代表制や政治参加の自由といった憲法上の権利を侵害する可能性も考えられます。
まとめ
議員数を30人程度に制限することは、政治の安定化や効率化といったメリットがある一方で、多様な意見の反映不足や政治の硬直化といったデメリットも考えられます。
この問題を考える際には、単に議員数を減らすことだけでなく、どのような選挙制度を採用するか、議員の選出方法をどのように工夫するか、といった点を総合的に検討する必要があります。
結論としては、議員数を30人程度に制限することは、メリットとデメリットを十分に考慮した上で、慎重に議論を進める必要があると考えられます。
具体的な数字: 30人という数字はあくまで一例です。他の数値を想定して、メリットとデメリットを比較検討してみましょう。
選挙制度との関係: 議員数を制限する場合、どのような選挙制度が適しているのか、様々な制度を比較検討してみましょう。
国際的な事例: 他の国では、議員数を制限している国はありますか?その国の政治状況を参考にしましょう。
この意見にはいくつかの妥当性がある部分と、問題点や矛盾点がある部分が含まれています。
妥当な点
1. 選挙制度の影響
• 確かに、日本の選挙では小選挙区制だけでなく、参議院選挙(複数の選挙制度が組み合わされている)や全国区制度においても、自民党が安定した支持を得ているという点は事実です。したがって、「野党が勝てないのは小選挙区制のせいだ」という主張は、単純化しすぎている可能性があります。
• 選挙制度の特性に関係なく、自民党が強い支持基盤を持っていることが、複数の選挙制度での結果に反映されているとも言えます。
• 小選挙区制は、二大政党制を促進しやすく、少数政党や新興勢力にとって不利な制度であることが一般的に認識されています。このため、野党が選挙に勝ちにくい理由の一つとして選挙制度が挙げられるのは妥当です。
• 野党が参議院選挙や比例代表制で一定の議席を獲得できることもあるため、「どんな選挙制度でも勝てない」という主張はやや極端です。
2. 「能力・魅力・努力のすべてが欠けてる」という主張の主観性
• 野党が選挙で苦戦する理由を「能力・魅力・努力のすべてが欠けている」とする主張は主観的で、証拠に基づいた分析ではありません。政治的な支持や政策に対する評価は有権者ごとに異なるため、一般化しすぎている部分があります。
• 野党を「弱者男性」と呼ぶ表現は適切ではありません。これは、性別や社会的ステータスに基づいた偏見を助長する可能性があり、論理的な議論の進行を妨げるものです。
• 意見の正当性を高めるためには、選挙制度の影響についてもう少し客観的なデータや根拠を示すことが重要です。また、野党の政策や活動の問題点についても具体的な事例を挙げて説明することで、議論をより理論的かつ客観的に進めることができるでしょう。
この意見には、選挙制度の影響を過小評価している点や、野党に対する主観的な評価が含まれているため、現実に即しているとは言えません。選挙制度が野党に不利に働く一面も考慮しつつ、野党の政策や戦略についても具体的な議論が必要です。
前編はコチラ
https://anond.hatelabo.jp/20240901181941
スポニチがスッパ抜いて失笑を誘った。池袋の裏手で聴衆もほぼ無くビールケースに乗って面白カルト候補応援する姿が写真掲載され面白画像として出回った。
元記事は削除されてこれくらいしか残っていない。https://matomame.jp/user/20yama20/86adf5030479d91ccee5#9c0b66168507bff3b75a
日本解放第二期工作要綱とは1972年に日本の右翼活動家によって中国にて発見されたとされる、中共による日本赤化の工作の指針文書。要するに中国版の32年テーゼだ。因みに1972年は田中角栄による日中国交正常化があった年だ。それに伴って国府(台湾政府)とは断交した。
32年テーゼというのはコミンテルンが1932年に定めた日本共産党の革命指針の綱領で、日本は2段階革命のどこの段階かの判断に始まり、天皇制の打倒、小作の廃止、7時間労働などを定めていた。後半の2つは奇しくもGHQが実現している。
日本解放第二期工作要綱は、この32年テーゼと同じものを中共が作っていた!とするものだ。だから日中が国交を樹立すると共産主義になるぞ!と。
だがコミンテルンと中共の立場は全線違うからそんなもんはあり得ないし、そもそも効果が無い。日共は過去はコミンテルンの下部組織だったが中共とそういう関係であった事は無い。
しかも右翼活動家が偶然発見しただけで、他にはその文書を見たものは居ない。という事で、これは嘘だと考えられている。
もう一つの文脈が、西尾幹二が2007年頃?に発表したコミンテルン史観で、これが受容されるうちにドンドンとトンデモ化して行った。
例えば、満州事変はコミンテルンが画策した、日米開戦はコミンテルンの策略、GHQはコミンテルンだった!、などなど。杉田水脈は「コミンテルンは今も存在しその活動が活発になっている!」と言っている。大企業や学者や中央官庁で経歴をいくら積んでも比例代表制で党の票は回して貰えないが、コミンテルンが生きてると言うと比例上位に就けて貰えるのだな。あれもこれもコミンテルン!と仲間内で「議論」(陰謀論)を活発に言い合うと、コミンテルンの活動が活発になった事になるのだ。
田母神幕僚長がこのコミンテルン史観を論文で開陳して馘首された。
このコミンテルン大流行の後に小池はこれに引っかかっているのである。杉田水脈と小池が同じ程度と思う人は少なかろうが、少なくとも同じ程度だった事はあったという事だ。
最初は自民党に叛旗を翻して離党し反都議会自民議連を旗印にしたので初登庁には音喜多ら都議二人以外がお迎えをしないアウエイ状態であった。
しかし希望の塾を発足するとそんなコアの2人には発言権はロクに無くて議席の無い野田秘書が全部仕切るパシリ状態。
またこの頃の野田は歌舞伎町で豪遊している所を週刊誌に撮られている。
市ヶ谷商業高は牛込柳町近くの新宿区矢来町にあったが廃校になり、土地活用方を探していた。当地は人口減少が続く都心の坂と狭隘路の中にある土地で、高層ビルなどへの転用が難しい。また住宅街の奥にあってランドマーク的な使い方も無理がある。
そこで舛添は韓国を訪問した際に韓国人学校への転用の約束をしてきた。これに右派は大反対して反舛添の声を上げた。
舛添が金の問題で失脚して小池が都知事に就任するとこれを反故に。
これも極右ゴロとの付合いが影響していると思われる。
それでは転用方の代案は?と問われた小池は当時問題になっていた保育園に転用すると答えた。
だがこれは相当トンデモな解答で、保育園は電車で行くものではない。更に柳町は渋滞の名所で朝夕に送り迎えするのは困難だ。しかも付近は人口減少地帯で、保育園の立地としては完全に不適だ。また保育園としては施設が大きすぎる。
故に当地の保育園転用は考慮もされず放置状態となっていた。最近になって、付近の中学校の建て直しに伴い新宿区が特養ホームを建てる計画を立て、ようやく土地活用が進みつつある。
小池は元々リベラルだった。また、芦屋出身の兵庫民で選挙区も兵庫だったが、郵政選挙で小泉政権の刺客として東京10区に飛ばされた落下傘候補である。
つまり風や波に乗って立場を変えてきた人物であって、思想史とか戦後政治史とか全然頭に入っていない。戦後政治史というのは自民党史でもある。
一方、小池都知事と都民ファという潮流に乗ろうとした前原誠司は逆に90年代の保守のエリートみたいな経歴を持つ。松下政経塾にも行っていて、更に京大の高坂正堯ゼミ出身だ。高坂正堯門下生という事は、猪木正道や戸部良一らの防衛大校長らの系譜でもあり、それはオールドリベラリズムとリアリズムの系譜でもあるという事である。吉田茂の海洋国家論にも影響を受けているし憲法九条問題も、その護持は日米安保との合わせ技で安全保障と経済発展の安定土壌を手に入れる吉田らの施策と理解している。その結果、戦後日本は常軌を逸した経済発展を遂げ、戦争に負けたのに極東の中心となった。
国際的な立場が上がったので安全保障の美味しいトコ取りは出来ないというのが当時の課題であっし、9条改正問題はその為のものであった。
しかし小林よしのりブーム以後の保守論壇というのはバカが出来る人をパージする場となってしまい、9条は亡国の策略とかGHQはコミンテルンだとか言うのがまかり通ってしまう。
前原は焦っていたのだろう。自分が確りとした思想的地盤にのっているのにポピュリズムに駆逐されてその地盤が無くなり、保守政治との接点が無くなってしまった。一方、コミンテルンが未だに活動盛んと言えば政治的に重用される。
そこでポピュリストの権化である小池に接近して合流する事で党勢を伸ばせると考えた。
ところが調子に乗りすぎた小池は「排除します」発言をしてしまう。前原はこれを説得できると思ったようだが、何せ前提の知識や経験が違う。小池の「保守思想」の全てがネトウヨっぽい天ぷらだとは考えていなかったようだ。しかしそこに至るまでの経緯を見れば天ぷらというのは明らかだ。
その後希望の党は大敗して党勢ほぼゼロとなってしまう。ずっと時代の風と波に乗ってやってきた小池にとってここを起点にマスコミのバッシングが始まり7つのゼロも含めて問題にされ一つ一つの発言や施策の根拠をガチ詰めされる流れになるというのは恐怖だったのではないかと思う。
そこでそれまでのイデオロギー的振舞いは全部止めた、というところじゃないか?ずっとその後は本当に大人しくしていた。
2020年にコロナが流行し、当初安倍総理が甘く見て放置し、国民の怒りが上がってきた辺りで感染防御に切り替えた。この流れに乗って「3密」や移動抑制を呼びかけたところ、ポピュリストの才能がいい方向に作用して過去のヘマは忘れられて今に至る。
おそらくアラフィフ以上の世代でないとリアルタイムの記憶はないのだろうが、あの頃の参議院の政見放送は“奇妙な人々の展示会”のような様相を呈していた。
参議院選挙の全国区が廃止されて比例代表制が導入されたのは1983年だそうだが、そのせいで参院選挙には雑民党、地球維新党、日本世直し党などなど、普段聞いたことのない政党が続々と候補者を送り出すこととなり、政見放送で独自の主張を繰り広げていた。
なにしろ“政見放送”という仕組みを使えば、NHKを通じて、なかなか普段はお届けできない独自の主張を全国の皆様に送り届けることができるので、彼らは皆、熱かった。
下手に近寄ると奇妙な熱に火傷しそうなので、ブラウン管(当時)を通して見るくらいがちょうどよかったけど。
その後、供託金が引き上げられたり政党要件が厳格化されたりして、そういうミニ政党は一部の好事家に惜しまれつつ、大半の常識ある人々からは全く惜しまれることもなく表舞台から姿を消してしまったのだが、ここにYouTubeという格好のオモチャが現れてしまった。
なにしろ政見放送なんてものに頼らずに、日頃から自分たちの“正義”を余すことなく伝えることができて、あまつさえ広告収入さえ得られてしまうのである。
しかも、過激であればあるほど話題を呼び、世間に拡散され、一部その熱にやられた人が面白がって支持者になってくれる。
“ある種の人々”にとって、こんなに面白いオモチャはあるまい…
というわけで、N国やら、つばさやらのような人たちは、なにも最近出没したわけではなくて、昔から一定数いたのが技術革新によって新たな形を取り始めた事例の一つなのでは?と思ってるんだが、どうだろうか?