はてなキーワード: 主人公とは
今までのシリーズもピン・キリだったと言えばそうなんだが、ドラマが酷い時は怪獣パートの比重高めてたから耐えられた。
でも今回は怪獣パート少なめでドラマパートメインなのにドラマパートが酷いからもう目に余る。
時代背景を無視して超現代人的価値観で語りまくる登場人物、致命的に語彙力のないセリフ、挙げ句重要な場面ではついに全ての語彙を失い泣き崩れる始末。
せめて「説明的ではあるが芝居がかった面白みがある」「リアルな言葉のキャッチボールで芝居臭さがない」とかにして欲しい。
芝居臭くて、表現が陳腐で、説明的で、戦後が舞台とは思えないような喋り方をしてくるってのはもうマジでしんどかった。
とにかくドラマパートの大部分がカメラを止めるな初見の前半ばりにしんどい。
なんとか我慢できるのは学者と艇長の演技ぐらいで、他はもう演技指導が悪いのか役者が悪いのか、そもそもの脚本がしんどすぎて読んでる側も「こんなんどう演技してもゴミみたいなドラマパートにしかならんわ」とあきらめムードなのか、とにかくキツかった。
怪獣映画における人間パートなんてホラー映画における退屈な恋愛シーンみたいなただのツナギの前フリでしかないと言えばそうなのかもだが、それにしたって全体の比重がデカすぎる。
とにかく登場人物が全体的に幼く、その中でも主人公がぶっちぎりで子供っぽいのがしんどい。
そんな主人公が特攻とヒューマニズムの折り合いをつけた道を探る物語として全てが構築されているのは分かるが、そこまで一人の兵士にフォーカスしてしまったらもうそれはゴジラじゃなくてエヴァンゲリオンだ。
たとえばこれが庵野が作ったシン・ゴジラ-1.0だったら「はいまたいつものヤツ。コイツはほんま……」で終わるんだが、なまじ別の人間がやっているだけに諦めきれねえ。
一人の人間に向かって運命が収束しすぎていることのおかしさに気づいて止められる人は誰も居なかったのかよ……。
まあそれでも、台詞回しの表現力がもっとずっとマシだったらそれなりに形になったのかも。
子供でも分かるようにを意識しすぎたのかペラッペラな台詞回しに加えて碇シンジ型の物語構造という組み合わせが、まるで子供向けの冒険ファンタジーを見せられているような気分にさせられてしまう。
ゴジラはよかったよ。
でもドラマは酷かったと思う。
マジで。
これを高評価してるしてる人はどうやってこのドラマの酷さを乗り越えたのか教えてくれ。
「加点式で評価してるからゴジラがオッケーならそれでいいんだ」って感じとは思えないのに高評価してる人がたまにいるのマジで気になる。
特攻作戦から逃げ出して、その後ゴジラを撃てずに味方を見殺しにしまくったことがトラウマになってた主人公が
戦争が終わってやれやれだぜと思ってたらゴジラが攻めてきたので今度こそ特攻して退治しました
名著って言われてるからなんか凄いんだろうなと思ってたんだが、キモさ方面の凄さだったか。
もうずっとロリコンが如何に自分の性欲が高まってるかを延々と語ってくるんだよね。
キモすぎる。
プリキュア実況中に延々えちえち言ってるおっさんのツイッターと同じジャンルだ。
なんなんこれ?
延々とロリコンが「ロリコンこそが最高の性癖であることに目覚めてしまっただけなのに人生が混沌としていて辛い」って言ってるだけ。
マジでやべえ。
U149最高とずっと言ってるネットのロリコンの前世みたいな奴だった。
なんなん?
アイカツ見てるような奴も頭の中はこんな感じなの?
https://shonenjumpplus.com/episode/14079602755425726897
はてブにしろジャンプラにしろ、読者の感想では、リアリティが無いだの漫画だろ楽しめよだの、ちょっと揉めてたりして。
最初は自分も細かい設定の粗を突っ込みたくなったけど、読み返すと、この漫画への突っ込み欲求はそれ以上に、本質的な主人公の人物像の気持ち悪さに起因しているのだと思った。
長期間不死で虚無的になった人物が有限な生を持つ人間とのふれあいで変わる、というのは割と使いまわされたプロットだ。
この漫画が変わってるのはそこからで、彼女と長年共に過ごしてそして彼女が死んでも特に主人公は変わらない。(主人公が既に3000年生きてきたならともかく、350年のうち50年は短い期間ではないだろう)
数百年ぶりに温かい言葉をかけてもらっても、自分を描いた小説を読んでほしいと言われて喧嘩しても、主人公はゲームやろうぜとしか言わない。
死んだ時も涙も流さないし、彼女が一生をかけて書いた全50巻の原稿を書斎で見ても、片づけるの面倒だ、もっとゲームしろよとしか言わない。
彼が変わるのは、娯楽を探している時に街中で小説がベストセラー化しているのを見るのがきっかけだ。
それまで数百年にわたり他人や社会を拒んでいた主人公は、"売れている"・”売れているなら面白いだろう”という極めて当時代的な価値観を突如受け入れて、それを以て急激に変貌する。
字も数も読まず他者とろくに交流しなかった主人公が、ベストセラーになってるのを見ると急にそれまでの生きざまを翻してしまう。
彼女の思いよりも、過去300年の生涯で築かれた自分の人格よりも、世間で売れていることの方が主人公にとって重要な事実だったということだ。
彼女が死んだ後にうず高く積まれた原稿を見て、そのまま書斎で読みだし自分と彼女を顧みるなら、ツッコミはあったろうがここまでは多くはなかったのではと思ってしまう。
彼女の視点を仮定すると、自分の生涯を費やした作品でありあれだけ言葉を尽くして読んでほしいと願った作品なのに読んでもらえず、世間で売れてるからって理由で初めて読んでもらって嬉しいのかとも思ってしまう。
不死の人物と有限な人間のふれあいで変わるというありふれたプロットは、最初の数ページで読み手も暗黙のうちにある程度展開が予想できるし、一定の像を期待して読み進む。
読み手もこなれていて、このような設定にハイコンテクストな昨今では、世代を超える不死といえば世俗的な死生観・倫理観・社会観を越えたものを過去の経験から纏っているのだろうと読者は(勝手に)補完する。
しかし、多くの作品に比べるとこの作品の主人公の変貌のあり方はあまりに収まりが悪い。
そしてもう一つ、主人公の元々の人物造形は極めて幼児的だ。彼女が生涯をかけた創作には50年に渡り目もむけず、彼女が亡くなっても動じず、ゲーム・ボウリング・カラオケ…出てくる言葉は相変わらずこれらばかりだ。
不死ゆえの虚無性や刹那主義もあろうし、誰しも大人になっても怠惰に流れることはあるが、共感を普遍的に得られる人物像ではない。
後半生は変わるし、本来はそこにカタルシスがあるべきシナリオなのだが、上に書いたようにその変貌はあまり説得性が無い。
作品には細かいツッコミどころが多くあり、突っ込みやすさ故にそこを主に突っ込まれている。
しかし、この主人公の人物像の気持ち悪さや変貌の説得性の低さがツッコミを招く本質なのだろうと思った。
付)この作者の前の作品「ぼくははやくなっていく」、「お兄ちゃんと抱き枕」も読みましたが、これらは当作とは逆の”時間が止まる”モチーフですが上の様な点の無い面白い作品だという感想です。
「建てよ未満が」いやすげー変換来たけど
「縦読み漫画」でちゃんといい感じにしめくくられたやつを俺はみたことない(原作小説つきのやつを除いて)。
とりあえず今出てるとこまで無料で読んでも、先は韓国語とかだったりするし
ポケ森で遊び始めた
なにか手頃なSNS系のゲームアプリは無いかと試したものの一つ
世界観が優しいというか
どっかの記事にあったけど、ノルマやペナルティっぽい仕組みがあまり無いらしい
npcに頼まれたことを忘れても、好意が下がる、みたいな仕組みはない
ポケ森で、NPCのどうぶつが他のどうぶつにプレゼントを渡したいのだが、何が良いか?と主人公に聞いてくるクエストがある
3択から選ぶのだが、無数にいるどうぶつもそれらの好みも知ったこっちゃない
しかし3択ならば当たりは一つで、うち2つが同シリーズの品なら残った品が答えだろう!と選んだら外れた
何度か外れたので攻略サイトを見るようになった
それで気づいたのだが、この3択、答えが1つなわけじゃないんだな
カントリーな◯◯
ポップな⚫︎⚫︎
カントリーな△△
の3択で、真ん中を除いた2つが正解だったりする
6.6割当たる問題、というのも、優しい世界だなあと思ってしまった
まったり遊べて良い
激ヤバポイント1:主人公は「ナチスドイツによって生み出された人間兵器の孫」という設定
激ヤバポイント2:主人公は精神を破壊して相手を廃人にする能力を持つ
激ヤバポイント4:主人公は許せないと判断した相手に法的な手続を経ずに精神破壊の私刑を行う
崖っぷちからリレーで助けられる赤ん坊の声が、主演声優の子供の声だと聞いてドン引き。
何だそれ。公私混同も甚だしい。
いい加減、創作物において赤ん坊に希望の象徴のような特別な意味を持たせて持て囃す表現って陳腐だからやめてくれねーかなと思う
すぐに成長して大人になり、病気や怪我に苦しんで、年老いて死んでいくただの人間。そこに特別な意味を持たせるべきじゃない。
ガンダムでもVガンダムやベルトーチカチルドレンではそういう安易な赤ん坊が希望という描写をしてたけど
その後のターンAになって長く生きて眠りにつく女王ディアナの黄金の秋という豊かな表現で最終回を迎えた事は、進歩だと思ったんだけど。
進撃の巨人も原作漫画の赤ん坊リレーの場面では、今まで描かれてきた老若男女問わずあっさりと死んでいく残酷な世界が突然陳腐になったと興醒めしたものだった。
多分アニメとかオタクゲームの主人公が攻略対象キャラに声かけるノリで言ったんだろうけど
ある程度知ってる関係で街中や店ん中とかならともかく、
ネット上でこれはもうテロリズムレベルの脅迫行為である自覚ってのがないんだろう
男なら屁のカッパだけど、若い女性でましてやVtuberやってるなら死活問題だろうし犯罪に巻き込まれるリスクがあるわけでな
訴えられないだけありがたく思っとけ
相撲の面白さによる魅力なのか、ピンポン的な青春スポ根の面白さなのか。体格の圧倒的なアドバンテージ=才能の話で染谷将太に説得される所はまんまアクマのアレじゃんって思った。稽古パートのフルメタル・ジャケット的な面白さもあり。キャバ嬢とかトレーダーのくだりはあんまりかな。相撲の動機にまつわる話として必要なのかもしれんけど。静内のサスペンス要素もそこまでかな。松尾スズキとピエール瀧のバチバチは割と好き。
でもやっぱ早ければ一瞬で終わるスピード感は相撲特有の面白さだよな。立ち合い(?)の瞬間の静寂も好きだ。
頭突きもアリなの知らんかった。殴る蹴る寝技がダメならほとんどダメやんけと思ってたけど、鍛えまくった重量級の男をしてそれ以外はほとんどOKという恐ろしさを改めて知った。中継で涼しい顔してる力士はすげえや。
角界の因習については主人公がカス過ぎて先輩達の対応も割と妥当に見えるというか、何なら優しい方じゃね?ってすら思う。
帰国子女設定の記者もかなりカリカチュアされてるというか、現状にいきなり突っかかっていく所があまりスマートな感じがしないし、その辺で相対的にマシに見えてしまう辺りは意図的にやってるんだろうか。そういう事があるから相撲がより魅力的に見えてしまうんだろうか。「ああ異常だよ。ただな、その以上の先に〜」みたいな台詞もあったし、やっぱり自覚的なのかな。
主人公が相撲に目覚めるのと並行して社会性を身に着けていくかと思ったら、別にそんな事はなくて田舎ヤンキー(実物を知らないのでおれの想像上の)しぐさをかましまくるのがなんかウケる。それが痛快な時もあるし、「冗談や〜ん笑」みたいな言い草がクラスにいたイヤなタイプのカスを思わせる事もある。
元増田です
海外児童文学(ダレンシャンとかハリポタとかライラとかナルニアとかDWジョーンズとか)は自分が好きで買い集めてるので子供も読んでるんだけど、モモとかはてしない物語とかみたいな昔からの名作はなんかツボにハマらないみたい…
魔法使いは好きみたいで、ハリポタの映画や海外の子供向けのドラマ(魔法のレシピとか、ミルドレッドとか)なんかも見てるから、子供主人公の魔法とか不思議な力の話も良いかも…と言う気づきがあった。
あと単純に自分が夢水清志郎とかずっこけとかパスワードシリーズとか読んでたから懐かしい…
地獄堂霊界通信っていうちょっとホラー要素のあるシリーズが好きだったけど、今の子は銭天堂っていう不思議系ホラーのシリーズが人気みたいで、うちの子も好きでよく読んでるしアニメも見てる。
とりあえず挙げてもらったものの中に手持ちの本があったから子供の本棚に置いてきました
どれか読んで気に入ってくれたら良いなと〜思います
検閲って言葉が腑に落ちない人がいるみたいだけど、子供が主人公の作品でも児童書じゃなくて文芸書のジャンルになるといじめ自殺とか性的虐待とかが主題になってるものがかなりあるから、さすがに読ませたくないのよ
児童書でも親に虐待されてるとかいじめられてるとかは出てくるけどそれがメインではないし、あと、海外児童文学はキリスト教圏の影響もあるのか自殺すること少なくない?
親に付き添われなくても図書館に行くような歳なら、親に黙って親の本棚(子供には開放してない)を盗み見る歳なら、なんでも勝手に読んでくれて構わないけど、小学二年生にはまだ早いというのが我が家の方針なので今後も検閲はしま〜す!
最後に、めちゃくちゃ読書大好き文学少女でも理系の大学院卒業して工場に勤務したりするから、読書好きと進路はマジ関係ないと思う
骸骨騎士とかいうアニメの冒頭のシーンが「レイプ描写だ!こんなものを観ている人間がフェミニストを叩いている!」
などと炎上している(若しくは炎上させたい)らしいのだが、正直に言って件のアニメは存在すら認知していなかった。
どうやらなろう原作のアニメらしいが、大してヒットもせずアニメファンにすらリーチされていなかったマイナー作品な様だ。
温泉むすめと同様に、付け火され煙が出て初めて認知される程度のコンテンツである。
知る人ぞ知る下品なアニメをワザワザ観て怒りを燃やしているのも滑稽だが、冒頭のレイプシーンとやらも未遂で
しかも直後に主人公が被害者を助けるという、言わば話の前段に過ぎない始末。
ここを切り取ってさも性犯罪推奨アニメであり観ている人間は性犯罪者予備軍であるとレッテルを貼り、オタクは男性へのヘイトスピーチを繰り広げて尊厳を凌辱している訳だ。
見てもいない認知すらしていない低俗なアニメを突きつけられて性犯罪者呼ばわりされるのは、尊厳の凌辱であり精神的レイプであると考えられるのだが、
恐らく草津冤罪事件でフェミニスト側に不利な世論が増えているので、温泉むすめの時と同様に話題逸し、及びフェミニズム真理教信者へのアピールだと考えられるが
これはまさに炎上の焼畑農業(商法)であり、しかも燃やしてるのは赤の他人の畑という極めて迷惑且つ反社会的な手口であると言える。
一方で子ども支援団体では被支援者に対する性暴力が頻発しているらしいが
https://togetter.com/li/2253726
何故かこちらは特に大きく問題視せず、「こういう事がありますよ、怖いですね」で終わり。
温泉むすめや月曜日のたわわ等の作品コンテンツを、女性の性的消費であり作品の存在が性犯罪を助長する!!!!!!!!
と奇声を上げて規制を叫んでいた姿勢とは打って変わって、非常に消極的だ。
一般的に考えれば、見る人が見れば良いだけの、R18でも無い下らない萌えコンテンツなんぞよりも、ただでさえ不安定な立場の被支援者に対する
権力構造を盾にした性暴力被害の方が圧倒的に即時辞めさせなければならないと思うが、どうやらフェミニストや女性の倫理観では、そうでは無い様だ。
悪 漫画・アニメの下らないエロ描写>>>>>>>>>しょうもない萌え絵>>>>>>>>>>>>実在の未成年に対する性暴力 善
という、一般社会とはあまりにもかけ離れた倫理観をしているのが、フェミニストやフェミニズムを信奉する女性達なのであり
「悪い事をしたら謝る」という、幼稚園児でも分かる様なごく普通の一般的な常識が全く通用しないというのも甚だ道理であるのかもしれない。
この前(11/4)、10年以上ぶりにUSJに行った。以前行ったときとだいぶ印象が変わってたり、ちょうどやってた期間限定ものがだいぶとお粗末だったりで、「これは先が暗いんじゃないか……」と感じてしまった。
そう感じた理由の1つ目は、看板コンテンツの大半で体験内容が似たようなものになっていたことにある。
具体的に言うと、概ね2種類に大別できてしまって、いわゆる絶叫マシンと、いわゆる4Dものだ。
定義上、4Dと銘打っているのは3D眼鏡をかけさせられるやつだけだったのでそこまで多くないが、実質的には「正面のスクリーンに映像が投影されて、座席や乗り物がその映像と同期して動く」ものは全部同じジャンルに括っていいように思う。
そう括るとしたら、上記の2つの定義に収まらないものはハリー・ポッターの街歩きと、ジョーズと、ジュラシックパークの濡れるやつくらいだと思う。(あと、乗れなかったけどヨッシーのやつもそうなのかな)
もちろんそれぞれの映像のクオリティは高いんだけど、アトラクションの大半が似たようなものになっているというのには2つ問題があると思っていて、1つには、「その手のものが苦手な人」を完全に切り捨ててしまっていることにあると思う。
というのも、これは自分自身がそうだからこの投稿には私怨も入っているのだが、いわゆる「三半規管が弱い人間」にとっては、先の定義で言う4D系のアトラクションは全部キツい。
自分も最近ではVRゴーグルではそう酔わなくなる程度に慣れて来ている。だが、USJのアトラクションは、皆で大きい画面を見るスタイルなのが原因なのか、最初に浮遊する演出があった時点でもうダメだった。(ほぼすべてのアトラクションで浮遊演出があった)
幸い自分は絶叫系は平気なので、そちらを楽しむことはできた。だが、これら2つのジャンルの両方が苦手という人だって、そんなに少なくないように思う。(というか、どちらかというと片方だけ平気な自分がイレギュラーな気がする)
もちろん、「そんなやつはそもそも来なければいい」は正論なのだが、10年前に来たUSJは、「次これ乗るの?じゃあ自分は苦手だからこっちに並ぶね」で一日が成立する程度には多様な体験ができたと思う。(自分はバックドラフトが印象深い)
しかし、4Dも絶叫系もダメな人が、子供や友人について現在のUSJに迷い込んでしまった場合、割ともう全くどうにもならない。ニンテンドーワールドの再入場がめんどくさいというのを踏まえると、モンスターズ・インクのライブをリピートしまくるとかしかないんじゃないか。
似たようなアトラクションばかりになることの2つ目の問題は、「どこに行っても似たような体験になる」ことになると思う。
これは「4D系」とくくれてしまうことからも明らかな通り、それらのアトラクションでの体験は、「浮いてるみたい」「ぶつかりそう」「風が出る」「匂いがする」「水がかかる」「熱い」のいずれかに分類できてしまうし、悪いことに、どのアトラクションでもこれらのほとんどすべてが体験できてしまう。
だから有り体に言ってしまえば、「キャラと設定が違うだけでだいたい全部一緒」の体験になってしまうのだ。ついでに言うと、無理なくこれらすべてを体験させるために、ストーリー展開もかなり似たようなものになっている。
1つ目の理由は「ターゲット層を絞った結果」であり仕方ないところもあると思うが、こっちはテーマパークとして結構問題がある気がする。
乱暴に言えば、「さっきとほぼ同じような内容だったから、これなら並ぶことなかったな」と感じてしまうようなことになっていて、体験の多様性という意味で言えば、パルケエスパーニャとかみたいなB級(と、させて頂く)テーマパークの方がずっと満足感があった。
「好きな作品の世界に没入できるんだから、キャラが違うなら様式は同じでも全然違う」という主張もあるかと思うが、以前のUSJは作品ごとに体験も多様だったように感じる。懐古かもしれないが。
もう一つのダメさを感じたポイントで言うと、これは期間が先日終了したから言うのだが、呪術廻戦4Dの作品としての出来がどうしようもなかった。
これも4D系のコンテンツで、3D眼鏡をかけて飛び出す映像を楽しみつつ、作品の展開に沿って水がかかったり風を感じたりするというものなのだが、これがもう、「VRコンテンツはこう作ってはいけない」の見本のようなものになっていた。
設定や展開に無理があるのは置いておいたとしても、例えば作品序盤の戦闘シーンは、固定の背景の上を二次元キャラクターがぽんぽん飛び回るという画になっている。
アニメの戦闘シーンは臨場感を表現するため、カメラワークのように色んな方向から描き出して演出する、というのは素人が語るまでもなく皆さんご存知の通りだと思うが、この作品は、「それぞれのキャラクターが奥行きも使って飛び回る」というのを見せるのを狙っているのか(あるいはコストや納期の問題か)、同じ方向から同じ場面を写した状態のまま、キャラクターの絵だけが移動する。
もちろんこれは「キャラの躍動を座って見ている客」と作品を写すカメラの視点を一致させる意味では正しい演出だと思うのだが、しかし、見て感じる印象としては「素人がUnityで作った格ゲーみたい」だった。
これについては、さすがに各キャラの3Dモデルを作るわけにもいかないので、絵を背景の上で動かすことになる以上どうしょうもないという面はあるのかもしれない。
ただ、それを踏まえると、主人公が決めのシーンで放つ一撃に用いられた演出がどうしても気になる。
というのも、このシーン、直前に主人公がこちらに背を向けて飛び上がり、雄叫びを上げたところから切り替わるのだが、ここで、「正面から写した視点」「画面上が黒く切り取られたような背景」で主人公の攻撃が描写される。
せっかく(インディーズUnityゲーみたいになるという犠牲を払いながら)客とカメラの視点を一致させてきたのに、クライマックスのシーンでそれを投げ捨ててしまうのだ。
たぶん、この演出自体は悪手ではなくて、アニメ的なタッチで迫力を出すためにはいい方法なのだと思うのだが、それまでの視点と一致しない演出であるがためにかなり唐突感があり、実際、シーンとしてはシリアスで格好良い場面なのに、周りから何人かの吹き出す声が聞こえたりもした。「おもしろく」なってしまっていた。
この他、「水がかかる演出を使うシーンがマグマみたいなものがかかる場面で没入感が削がれる(多分ない方がマシ)」という演出の問題があったり、「敵役が主人公と対峙した瞬間に立場から狙いまで全部名乗るのでイオンモールのヒーローショーみたい」という展開上の問題があったりとまだまだいくらでも文句を言いたいところがある。
ただ、まあ恐らくだが、呪術廻戦のキャラを使う以上、これの制作をリードしていたのはユニバーサルスタジオ側ではないだろう。
だから、この作品がUSJのせいで低クオリティになっているという訳ではないと思う。
でも、自分のところの目玉コンテンツの一つになるもののクオリティコントロールが利かない状況になっているというのは、かなり危険な兆候ではないだろうか。
この呪術廻戦4D、枠としてはエルモとかシュレックの同じような作品がやっていたところでやっている。そしてそれらの作品はけして低クオリティなものではなかった。
だから、今回の問題は、4Dシネマという形態が抱えている問題ではないということだと思う。ユニバーサルスタジオがちゃんと絡んで(この辺事実関係はわからないので曖昧に書いている)作れば、ちゃんと良いものになる。
にも関わらず、この呪術廻戦という大型コラボもののクオリティがこうなってしまうのは、どっちが依頼したコラボなのかみたいな力関係があったり、公開時期を急ぐためのスケジュール的な問題があったりしたのかな、と邪推してしまう。
そして、そういうものが持ち込まれてアトラクションのクオリティが下がるというのがある状況なのだとすると……やっぱり、それは良くないことなのではないかと感じるし、テーマパークとして魅力を失うことに繋がるのではないかと思う。
少なくとも、自分は今回行った結果、「もうしばらくUSJはいいかな」という気分になってしまった。日本でも2番目のテーマパーク(だと思っている)だから、行ってガッカリするポイントがあるなんて思ってもみなかった。今後子供が産まれて大きくなって行きたがっても、今回の経験を踏まえて一旦は反対すると思う。(それでもいずれ流されて行くことにはなるのかもしれないけれど。)
以上、長文での愚痴でした。
ご参考まで。
総ルビだから低学年にもよさそう。パスワードシリーズ、黒魔女さんシリーズなど人気シリーズも多い。上橋菜穂子の作品も出ていて総ルビで読める(が『鹿の王』は主人公のビジュアルが若すぎて違和感だった)
理屈っぽい犬に熊が翻弄される。貸したものを返してもらいたいのをどう伝えるか悩む話が好き
絵がマンガ的だが内容はすばらしい
「クォンタム・ファミリーズ」は並行宇宙から流れ込んできた情報をきっかけに物語が進む。自分の娘と名乗る相手から受けたメッセージを手掛かりに、作家である主人公はもう一つの世界に入りこむ。そこでは妻との関係も良好で、作るのをためらっていた子供もいる。自分は作家ではなく、ブロガーで政治活動をしてコミュニティを作っているらしい世界に適応していこうとするが、さらにほかの世界が絡まってきて……というお話。
「クリュセの魚」は未来の火星を舞台に、自分と同じ日系人の優しいお姉ちゃんとの出会いから始まるおねショタに見せかけて、お姉ちゃんが今は亡き日本国に関するとんでもない秘密を抱えていたっていうお話で、さっき書いた「日本沈没」の精神的な続編というくだりから思い出した。舞台は遠い未来で、日本という国家が他国に吸収されてアイデンティティが失われているからだ。
「走馬灯のセトリは考えておいて」はVtuber小説なんだけど、「接続された女」みたいな暗鬱な感じじゃなくて、現代の推しの文化を肯定的に描写していて楽しい。
「ヒト夜の永い夢」は仮想の昭和史もので、意外な人物が意外な形で出てくるので歴史を知っていると深刻なストーリーなのに笑ってしまう。登場人物が男性に偏っているのは往年の少年探偵団へのオマージュだろうし、だから世界の謎が女性の姿をしている。下ネタが多いのは「屍者の帝国」との差別化だろう。
この人は創元SF短篇賞出身の中でも頭一つ抜けている。どれを読んでも大体面白いんだけど、まずはグロ描写もあるけど最初の「盤上の夜」と、あえてユーモアSFである「超動く家にて」をおすすめしたい。
さっき「allo, toi, toi」を紹介したけど、「BEATLESS」が面白かった。人工知能・機械の女の子と主人公の男の子という手垢のついたようなモチーフなんだけど、女の子のほうがあくまで自分は人間ではなく機械だと一貫して主張し、責任を取るのはあなただという。これはシンギュラリティを迎えたAIが人間との信頼を築く話なのか、完全に人間を手玉に取っているのか、みんなはどう読む?
「あなたのための物語」は末期がん苦痛の中で孤立し、尊厳もなく死んでいく描写が冒頭にあり、なぜそうなったかが作中で語られていくのだが、二度と読み返したくないほど壮絶。
サイエンスを信じているという意味では藤井太洋も候補に入ると思うんだけど、あまりにもオプティミスティックなのと、意識の高さと言うかビジネスの描写が面白いとは感じられなかった。今までの日本のSFでは見られないタイプだし、優れているんだけど肌には合わない。
あと、ミシェル・ウエルベックのとある作品が人類の未来を描写するんだけど、ジャンルがSFってことを言うとネタバレになるからどれかは言えない。
ちなみに今読んでいるのがフレドリック・ブラウンの全短編集で、星新一の源流の一つなんだけど、自分は最新のSFと古典SFを交互に読み、それに飽きたら純文学に走り、さらに飽きたらノンフィクションをぶっ通しで読むという癖がある。
読書系の増田を書くと普段ブクマしない人が来てくれるので楽しい。
(翌日追記:平野啓一郎も「ドーン」ってSFを書いていて、政治色が強いけど面白かった)
そういえば「竜の卵」いいよね。civilizationのゲームといい、小泉八雲「安芸之助の夢」といい、僕は箱庭系の世界が好きなんだ。コンウェイのライフゲームをぼーっと見ているのも好き。
全然関係ないけど、キム・スタンリー・ロビンソンの「火星三部作」で、火星の大地を巨大レーザーで照射して運河作っちゃうシーンが好き。
また早川書房 翻訳SFファンタジイ編集部のツイッターに捕捉されてて吹いた。これが推しに認知されるってやつだろうか?
ブクマが700まで行った。どひゃー。
そういえばブコメで女性で宇宙を書く作家多いじゃんって突っ込まれてたけど、ここ数年を含めると確かにヒューゴー賞・ネビュラ賞も大きく顔触れが変わっているね(アメリカでは受賞者の多様性をめぐって大きな議論があったんだけどそれ以来)。基礎資料に当たってなかったのはまずかった。
どうも僕は最新の文学を追うというよりも、数十年単位で物事を見ている傾向にあり、というかここ三十年を最近とみなしているところがある。これが歴史に対する興味由来なのか、僕の年齢のせいなのかはわからない。
確かにたくさんの作品を薦めすぎてしまったようだ(前編で書いた条件で絞りはしたものの、それ以外のものを含めればいくらでも薦めたい作品があるし、漫画だってある)。それでも、ふと思い出したのがJ. J. アダムス編「黄金の人工太陽 巨大宇宙SF傑作選」で、「三体」が好きな宇宙ヤバい系で短編なので手に取りやすいんじゃないかな。
なんで小松左京「虚無回廊」が出てこないのかっていうと、一時期逆に大きなスケールの物語に対する興味が薄れてた時期があるのだ。それを好む自分が「三体」で久しぶりに呼び覚まされたのだ。
ではまた。
小学二、三年生の子供にすすめるのにちょうど良い、大人が読んでも面白い作品ないかな〜
娘が、分厚くて自分の年齢よりもちょっと難しいレベルの本が読めるのが自分の中で優越感に浸っている様子で、アニメも見るし外遊びもするけど、暇さえあれば本読んでる
今は図書館でおすすめの高学年向けの本を一緒に借りてるけど、大人の本(図書館のコーナーが分かれてる)も読みたいらしい
アニメや漫画のノベライズとか、ラノベ系も良いけど、アニメのイラストが多くて大人っぽく無いのがあんまり気に入らないらしい。
自分が子供の頃は、コバルト文庫とか、もう無いかもしれないけど背表紙が緑で統一されてるラノベ寄りの文庫レーベルとかを好き好んで読んでたけど、今の子供向けの文庫レーベルは確かに表紙とかキラキラした漫画!って感じの雰囲気だから大人っぽさは無いかも…読んでみると面白いんだけどな…
普通の文芸書方面だと、荻原規子・梨木香歩・上橋菜穂子・森絵都なんかも小学生の頃にすきだったから、年齢の近い主人公が出てるのを勧めてみようかなと思ってる
小学生がメインキャラクターで、大人が読んでも面白いやつが良い(勧める前に検閲的な意味で読んでおきたいから)
中学生くらいの内容が理解できてそうなら、伊坂幸太郎とか辻村深月とか中山七里とか加納朋子とか…自分の好きな作家どんどん勧めるんだけどまだ早いかな…