はてなキーワード: 間抜けとは
気を付けるのはお前の方だよ。
こちらは難癖付けてくるお前みたいな馬鹿に応対してるだけだから。
もう一度言うが、凡例や使用例を無視した語意に則って会話したいんなら辞書とでも喋ってろ間抜け。
凡例や使用例の多寡については辞書をひいても載ってないから、よく人と話したり本を読んだりする事だね。
それだけで、恥ずかしい思いをしなくて済むから。
誰も彼も、辞書様に則って文章書いたり会話したりしてるんだから、辞書様を盾にしたボクの意見には誰も逆らえない…!
とか普通に思ってそうだなお前。
短冊に書き込むような一般的な使用例や凡例の話をしているのだが。
天命は使わんよ。
天寿か、相当古い人でも命数だな。
あー知ってるわー。お前みたいなガキよく居たわ−。小学校とか中学校にさあ。
ま、辞書ばっか見て得意気になってないでもっと色々な本を読んだり、人と話す事だな。
「辞書に載ってるんだから正しいじゃん!あってるじゃん!」とか反論してきそうだけど。
そんなに正確な語意にこだわった日本語だけ使いたいなら、辞書とでも喋ってろ間抜け。
あっれー? 昔っていうか比較的最近に、こんな事言った覚えがあるなあ? 一体なんでかなあ?
今まで迷ったことはあったけど、それは複数の選択肢でどれにするのかという悩みであって、今とは違う。
今はどう生きればいいのかわからない
あまりに突然で、朝見送ったときはつわりはあったけれども、元気だったのに、死んだ。
薄目を開いてこっちを見ている。
泣き叫ぶことしかできなかった。
本当に、何もかも信じられなかった。
妻が死んだことも、自分がなんでここで泣いているのかもわからなかった。
嘘であって欲しかった。
本当に嘘であって欲しかった。
妻は子供が生まれるのを心底楽しみにしていた。
ありがちなのかもしれないけれども、生まれる前から男の子でも女の子でもいいように二つ名前を考えた。
あと、男の子だったら春馬は?
と妻。
でも春馬はちょっとなー。
なんかいまどきっぽいし。
伊織は?
と俺。
伊織なんて変な名前なんて言ってたくせに、翌日には男の子だったら伊織ねなんて言ってくるから、こっちはたまったもんじゃない。
ベビーカーもいるよね、アプリコットってメーカーがいいらしいよ、あと他にもベビーベッドとかいろいろ買わなきゃね。
あんたに似たらキツネみたいになりそうだから嫌やわーとクスクス笑いながら言った。
そのあとのお通夜と告別式の準備も、非日常すぎて全く現実感がわかなった。
多くの人たちが来てくれた。
妻の友人や会社の同僚、上司、俺の友達が泣いているのを見て、やっぱり現実なんだと自分も泣いた。
なによりもそんなみんなを前にして、何も反応しない妻は、生きているみたいなのに、やっぱり死んでいた。
いつもみたいに、半目を開けた間抜けな顔だった。
一週間、仕事を休み、事故の時に居合わせた医師の方にお礼を言いにいき、少しでも事故の内容を詳しく知るために警察に行った。
でも、ただただ、つらい現実を知るだけだった。
妻が死んでから、仕事が忙しくて、こんな時に何やってんだろうと思いながら、働いて、とりあえず、今日一段落したからこれを書いている。
ただ、そこにいてくれることが、どれだけ自分のことを支えてくれいてだろうと、今さらながら思う。
とびきり美人でもない。
帰ってきても横になりながらテレビ見てる。
口を開いたら憎まれ口ばっかりだし、自分勝手なところもあった。
でも、普段は当たり前すぎてわからないその存在が、いてくれるだけなのに、その存在は間違いなく俺に生きる意味を与えてくれていた。
俺が世の中にいていいということを、家族以外で唯一肯定してくれていた人だと、今はそう思う。
当たり前の存在だった妻は、そこにいない。
もう、どうやって生きていけばいいのかわからない。
この問題の本質が全く見えてないのだろう。
でなければ、塩村文夏都議の粗探しするより吉原修幹事長を締め上げた方が国際世論としても万歳三唱だろうに愚かな事だ。
それ以上に塩村都議の吊し上げに躍起な文春と新潮は、このままでは先日彼女がツイートした「2~3台の車に尾行されている」との証言が
事実であると国際世論は見て文春と新潮は自民党お抱えの週刊誌であると喧伝されても仕方ない。
一番アホなのは、都議会が塩村都議の醜聞を焙り出す事で事態を収拾させようとしている事だと思う。
女性差別問題が全く片付いていないのにこの対応なのだから、文春と新潮がグルでしかもこの二誌もまた女性差別に理解を示しているという事実が残ってしまう。
普通なら、塩村都議でなく鈴木章浩都議の過去の盗作問題や尖閣諸島の無断上陸を取り上げて今回の事件もまた愚行であると批判するものなのだが、
20代後半くらいの夫婦。
まあ若い奴は神頼みなんてまずしないしな。俺もしない。
「(あーイヌの日だっけ今日)はい、それではご住所と皆様のお名前を」
夫「はい、〇〇〇〇、〇〇〇〇…」
「(しかし若いなこいつら)こちらのご住所に他のご家族はいらっしゃいますか?」
「(達ときたか、ヨメはとても経産婦にゃ見えんが)それでは順にお名前を」
夫「リン、字はにすいに鍋蓋…」
夫「あ、一番下はのぎで」
「はい(ていうかもう書き終わってるしちゃんと間違えず書いてるから安心しろや。凛の方を使う親はやたら少ないんだよ、Fate厨)」
夫「リコ、くさかんむりに…」
夫「ああ、はい、そうです」
「はい(茉莉だの莉香だのこの字使いたがる親多いんだよ。ていうかリン・リコって緋弾のアリア厨かよ。三番目はリュパンか?)」
妻「くすっ(笑)」
「(何笑ってんだこいつ)」
夫「以上です」
「わかりました(リュパンはいねえのか。まさか、これから生まれてくる子供に龍盤とかつける気じゃねえだろうな)それでは予定日を…」
まあ凜とか莉子とかは珍しくもなんともない。親の世代じゃあまり見ない名前だが。
ていうか何年も前に新聞で見たけど、凛て名前が新生児命名数の上位にあがってたのってやっぱり文学(笑)のお陰なのかねぇ?
「うむ、ではリンと。…ああ、この響きは実にキミに似合っている」とか父親がもったいぶって呟きながらつけたのかねぇ。うわぁ吐きそう。
最近のガキには上の世代じゃまず見かけないような名前が多いんだが、多すぎて逆にカブってて、もはや珍しくなくなってるものも割とある。
で一番多かったのが「心愛」(ここあ)な。女児に多いが男児につけてる例も見かけたな。可哀想に。
あと、やたら多くてウザいのが「良い悪いの良いに太いと書いて、はるたです」とか言う親な。
「DQNネームをつける度胸はないし、でも特徴的な名前にしたいし…そうだ!人名は漢字と読み方が一致してなくてもいいんだっけ!」(ピコーン!)みたいな発想の結果なんだろうなとは思うが、これってやっぱりガキが生まれて幸せで頭イッちゃってんのかねえ。普通に想像力が足りないと思う。
名前や使用漢字が一般的でも読み方さえめちゃくちゃにすればそれがガキのアイデンティティになる!とか考えてそうだが、それただの勘違いだし、
初見で名前を読み間違えせずに普通に呼んでもらえないのが人生でずっと続くとなると、それガキにとって結構苦痛なんじゃねえのか?
どうせ「ふーん、きみの親ひねくれてんだね」くらいしか思われないだろうし。個性にはならんわ。
ていうかDQNネームやら読み方と漢字が一致しないガキやらが同世代中に溢れかえっているわけだからなぁ。印象的にすら思われないだろう。
何がしたいんだかわかんねえなこういう親見てると。もっと周りを見ろと。
素直に太郎とかつけろよ、逆に珍しいぜ、とか思う。
長い事受付やってるが、幼児で太郎って名前のガキ一人も見た事ないわ。虎太郎(こたろう)とかは割と見るが。
まあ、神社界でも若手の職員にちょいちょいDQNネーム見かけるようになってきたんだけどな。もうこの国ダメかもわからんね。
追記3:
はいはい。こんどはブコメじゃなくて個人ブログで攻撃を始めた懲りないバカが一匹。
その個人ブログを晒してやってもいいんだけど、アクセス数を上げてやる必要もない。
というか、攻撃に対して反撃する必要すらない。
なぜならば。
このバカは。
人のエントリを、誰にも反論されない自分のブログで一方的に攻撃するために、うかつにもヘマをやらかした。
すなわち。
禁じられている、「増田の内容をそっくりそのまま無断転載」をしていたので、
(当該ガイドラインはこちら http://labo.hatenastaff.com/entry/2014/06/03/150635)
さーてと♪
いつもお世話になっております。
平素よりはてなの各種サービスを利用させていただいているのですが、
このたび2014年6月21日に、アノニマスダイアリーへと行った書き込み(エントリー記事)が、個人のブログへと勝手に無断転載された上、そこでエントリーの内容について一方的な誹謗中傷を受けております。
無断転載された記事は、以下のURLです。
http://anond.hatelabo.jp/20140621034954
また、無断転載者は以前にも、エントリー記事に対して攻撃的なブックマークコメントを複数回に渡って行うなどの行為が見られました。
これらは重大な規約違反ならびに不適切な行為に該当するため、ブログ主である
はてなID:change_k
に対し、無断転載を行ったブログ「チャンコロ様の偉大にして最強にして素敵なお部屋(仮称)」における当該記事
どうぞ、以前にご提示されたガイドラインhttp://labo.hatenastaff.com/entry/2014/06/03/150635
ほーんと、バッカだねえ。
私の放言も一定のコントロール下にある事を、よーく見てなかったんだろうねぇ。
あるいはガイドライン知らないか、どっちか。
まぁこれで、削除要請が出されて記事が消えるか、あるいは無断転載部分が編集されるかするだろう。
もしくは、仕事サボったはてなからこのバカにメールが送られる事がなかったとしても、問題起こした奴としてchange_kのID名は記録される。
もしくはスタッフの脳内に記憶される。「change_kは人を攻撃ばかりしている上に、ガイドラインも守らないタチの悪い無断転載野郎だ」と。
あーあ、こーんなつまらない事で大きなバッテン付いて、キミの楽しかった楽しかったはてなライフにも大きく陰が差したねぇ。
さてと。
おいコラ!そこの間抜け!change_k!
ブックマークコメントや個人ブログでなら、例え何を言ったところで決して言い返されないと思って、好き勝手言ってんじゃねえぞゴミ!
俺はやられたらやり返すからな!そのうかつな低脳にしっかり叩き込んどけよ、このウッカリドジっ子属性!
追記2:
はいはい、さらにブコメ晒しブコメ晒し。バカだねえコイツ。全部自分に返ってくるのにねえ。
change_k:/追記見た。衆人環視な場所への投稿をロバ耳に例えるのはおかしい。文芸も反論も稚拙な露出狂おめ
A:なら俺が誰か言ってみろよクズ。匿名での投稿は「王様の耳はロバの耳」と同じなんだよ、特定できねえんだからな。反論も稚拙なら、表現に対する理解も拙劣な上に、ブコメを晒される事に悦びを覚える露出狂てのは、他でもないお前のことだよ。
衆人環視の場所で赤っ恥かかされて嬉しくてたまらないんだろう? ホラ嬉しいですって言ってみろよ? ホラ、僕は自分の愚か極まりない発言を晒して叩いて頂いて大変嬉しくてたまらないですって言ってみろよ? この変態ドM野郎が。
ホント、バカだねえこいつ。言葉を投げかければ投げかけるほどブーメランとなって自分自身に返ってくる事に気付いてないよ。まあこの手の批評家気取りは自分の言葉を返してやるのが一番効くからねえ、そろそろ自分のバカさ加減にも気付く頃だろう。
追記:
change_k:初作から一貫して単調でフックの弱い文芸だが、増田は止まらない。ホットエントリは人を狂わせるんだな。 2014/06/21Add Stargazi4
A:単調でフックの弱い文芸(笑)。はーい、じゃあそんな批評のできるキミの書いたエントリは一体どれだけブックマークされたのかなー? まさか、ろくにブックマークされた事もないような文章しか書けない奴が偉っそうに大上段から批評かましてるわけじゃあないよねー? まさか、ま・さ・か、そんな恥ずかしい真似してるわけじゃないよねー?
それからひとつだけ言っておくが、人の文章はすべて読んだみたいな書き方してるけど? お前、ブコメつける相手の書いた文章くらいよく読めや。
王様の耳はロバの耳。こちらは増田へは自由に発言する目的で来ているだけだから。ホッテントリなんざどうでもいいわ。収益につながりそうなら利用はするが、それはあくまでも主目的じゃない。
舛添が笑ったかどうかは本来どうでもいい。笑ったにせよ笑わないにせよ、適切な対応を取れば問題ないはず。
というか、あの場にいてあの間抜けでしょうもない野次を聞いて笑わない奴は少なくないだろう。看過できない発言だろうと呆れた笑いは出るものだ。(あの場で笑った人間がそういう笑いをしたかどうかはともかくとして。)
俺が懸念してるのは、「笑った奴は皆同罪」とかいうコメントにかなりの星がついてること。あの場にいたら俺だってバカなこと言いやがって、引っ込んでろ、と笑う自信がある。
繰り返すけど、塩村も最初は笑ったの。笑ってすぐに顔を伏せたの。舛添は笑ったらしいけど、つられて笑ったのかどうかは知らないけど、舛添も笑ったの。映像は残ってるか知らない。
で、なんでそれを舛添叩きに利用してんの?っていう話。
お前らそんなに舛添が嫌いだからって、笑っただの釣られたとか言ってそれ見たことかだの言ってるけど、大事なのは事後対応。
舛添がこの先善処したとしても手のひら返すなよ。「やってアタリマエのことしたんだから褒める必要はない。」ってしろよ。不良が子犬助けてもプラスにはならないってお決まりメソッドをしっかり主張しろよ。
『“文学少女”』シリーズは、本が大好きすぎて食べてしまうと自称する遠子先輩が、身の周りで起こった事件に文学的な妄想で挑んでいくミステリ作品である。彼女は事件を解決するにあたって、当然のように文学作品を引用する。何故なら、彼女の周囲で発生する事件は、常に文学作品をなぞらえたものだからである。真相を自供する黒幕は、文学作品の登場人物に同一化した自分の心情を滔々と語る。もちろん、その現場には文学的知識に欠けた間抜け野郎は一人もいない。
それらを読んで私は思ったものだ。
何やこの世界、と。
読書は数ある趣味の中でも至高のものであり、そうでない人間は野蛮だという雰囲気に。
本が好きだと嘯きながら、その読み方や語り口は色恋沙汰に目がないゴシップ好きの中年女性と大差ない俗物の文学少女に。
感想を他者とは共有しづらい「味覚」を媒介に垂れ流し、萌え豚よりも動物的に本を消費する文学少女の姿に。
それらの中に、本読みの無自覚な自己肯定と高慢さが透け見えるようで、反吐が出そうだった。
『“文学少女”』シリーズはかように本好きの自己肯定の願望を充足させるために特化された作品シリーズである。シリーズを通して、読書は無条件で肯定され称揚されるものという思想が通底しており、それが現在進行形で本を読む者の自己愛を満たしてやまない構造となっている。
また、私は野村美月の書く恋愛描写も嫌いである。彼女の作品には、「押しの強い男が受動的な女を連れだし幸せにしてくれる」という形式が、手を変え品を変え現れている。デビュー作である『赤城山卓球場に歌声は響く』から始まる『卓球場』シリーズでは主人公の女子大生視点から、友情や友人婚約者へのドキドキ感を描いている。続く『フォーマイダーリン!』では男を振り向かせるために自分を磨いて待つ少女が描かれている。野球では女教師が不良生徒に迫られ、『BadDaddy』シリーズでは男くささとは無縁の父親が、父性と庇護欲を全開でヒロインたる娘を愛してかかる。『“文学少女”』シリーズでは群像劇の色合いを強くし、そこらじゅうでメンヘラモドキが男に救われるのを待っている。
初期作品群ではシンプルな形で流れていた、強い男を待つという構造が、筆力の向上と合わさってより巧妙かつ露骨な形で物語のメインの骨組みとして現れるようになるため、順を追って読んでいくと徐々に苛立ちが強くなっていく。ミステリなりハーレムものなりに変奏してるものの、そこに繰り返し描かれているのはド直球のシンデレラ願望である。源氏物語をベースにした『ヒカル』シリーズでは、さらに一人の男性キャラクターを魅力的な女性キャラクターが取り巻くハーレムものの構造が重ねることで、その訴求力をさらに高いものにしている。
本を読んでいるだけで褒められる子供時代はとうに過ぎ、世間は本を読む人間には意外と素っ気ない。
待てど暮らせど王子様は迎えに来ない【ルビ:Some day my prince won't come】。
我々は自己肯定を切り崩し、現実を生きながら、せめて虚構に夢を見る。
野村美月は、そんな世界に生きる我々が抱く「こうだったらいいな」に巧みにアプローチし得る作家である。彼女の選び出す場面は陳腐でありながらセンシティブで、多くの人の心を捕えて離さない。私は彼女の作品を読む間、間違いなく赤城山で友の手を取り、帚木の咲く地で亡き思い人を見た。作中人物の情動は素朴でありながら率直であり、揺さぶられてしまう。ぱっとしない女の子への感情移入をフックにひっかけられ、気が付いたら魔法にかけられている。好きでもない白球を追って胸を高鳴らせている。
こんなにも嫌いなのに、こんなにも満たされたくないのに、彼女の作品は私を捕えて離さない。
『“文学少女”』シリーズは、本が大好きすぎて食べてしまうと自称する遠子先輩が、身の周りで起こった事件に文学的な妄想で挑んでいくミステリ作品である。彼女は事件を解決するにあたって、当然のように文学作品を引用する。何故なら、彼女の周囲で発生する事件は、常に文学作品をなぞらえたものだからである。真相を自供する黒幕は、文学作品の登場人物に同一化した自分の心情を滔々と語る。もちろん、その現場には文学的知識に欠けた間抜け野郎は一人もいない。
それらを読んで私は思ったものだ。
何やこの世界、と。
読書は数ある趣味の中でも至高のものであり、そうでない人間は野蛮だという雰囲気に。
本が好きだと嘯きながら、その読み方や語り口は色恋沙汰に目がないゴシップ好きの中年女性と大差ない俗物の文学少女に。
感想を他者とは共有しづらい「味覚」を媒介に垂れ流し、萌え豚よりも動物的に本を消費する文学少女の姿に。
それらの中に、本読みの無自覚な自己肯定と高慢さが透け見えるようで、反吐が出そうだった。
『“文学少女”』シリーズはかように本好きの自己肯定の願望を充足させるために特化された作品シリーズである。シリーズを通して、読書は無条件で肯定され称揚されるものという思想が通底しており、それが現在進行形で本を読む者の自己愛を満たしてやまない構造となっている。
また、私は野村美月の書く恋愛描写も嫌いである。彼女の作品には、「押しの強い男が受動的な女を連れだし幸せにしてくれる」という形式が、手を変え品を変え現れている。デビュー作である『赤城山卓球場に歌声は響く』から始まる『卓球場』シリーズでは主人公の女子大生視点から、友情や友人婚約者へのドキドキ感を描いている。続く『フォーマイダーリン!』では男を振り向かせるために自分を磨いて待つ少女が描かれている。野球では女教師が不良生徒に迫られ、『BadDaddy』シリーズでは男くささとは無縁の父親が、父性と庇護欲を全開でヒロインたる娘を愛してかかる。『“文学少女”』シリーズでは群像劇の色合いを強くし、そこらじゅうでメンヘラモドキが男に救われるのを待っている。
初期作品群ではシンプルな形で流れていた、強い男を待つという構造が、筆力の向上と合わさってより巧妙かつ露骨な形で物語のメインの骨組みとして現れるようになるため、順を追って読んでいくと徐々に苛立ちが強くなっていく。ミステリなりハーレムものなりに変奏してるものの、そこに繰り返し描かれているのはド直球のシンデレラ願望である。源氏物語をベースにした『ヒカル』シリーズでは、さらに一人の男性キャラクターを魅力的な女性キャラクターが取り巻くハーレムものの構造が重ねることで、その訴求力をさらに高いものにしている。
本を読んでいるだけで褒められる子供時代はとうに過ぎ、世間は本を読む人間には意外と素っ気ない。
待てど暮らせど王子様は迎えに来ない【ルビ:Some day my prince won't come】。
我々は自己肯定を切り崩し、現実を生きながら、せめて虚構に夢を見る。
野村美月は、そんな世界に生きる我々が抱く「こうだったらいいな」に巧みにアプローチし得る作家である。彼女の選び出す場面は陳腐でありながらセンシティブで、多くの人の心を捕えて離さない。私は彼女の作品を読む間、間違いなく赤城山で友の手を取り、帚木の咲く地で亡き思い人を見た。作中人物の情動は素朴でありながら率直であり、揺さぶられてしまう。ぱっとしない女の子への感情移入をフックにひっかけられ、気が付いたら魔法にかけられている。好きでもない白球を追って胸を高鳴らせている。
こんなにも嫌いなのに、こんなにも満たされたくないのに、彼女の作品は私を捕えて離さない。
一部の空母娘が使っている弓から、弓道に興味を持った人が読んでくれればなーという感じです。
さて、艦これはDMMのゲームである以上、18歳以上しかプレイできないのですが、同人から興味持った学生もいると思うので(あと大学生もいるだろうし)、まず学生向けのお話。
結論から言うと、もし学校に弓道部があるなら、そこに入るのが一番。
弓は教えられたことを身につけるために、ある程度の回数は反復練習しないとなかなか上達しないので、毎日放課後すぐに弓を引ける環境が最高なのです。
ちなみに道場はアメリカ空母も真っ青の開放型格納庫状態なので、防暑・防寒に注意して快適な弓道ライフを送ってください。
若いからといって、何でもかんでも気合いと根性だけでどうにかなるほど現実は甘くないので、「努力より工夫」をキーワードにするといいかもしれません。
あとは「意味もなく年長ぶる間抜けな先輩には気をつけろ」「先輩になったからって小天狗になるな」というのも重要ですが、これはまあ部活全般に言えることなので。
次に学校に弓道部がない人や学生じゃなくなった人向けの話。むしろこっちが本題。
学校で弓道が出来ないとなると、社会人向けの弓道サークルに入ることになるのですが、「生意気だと思われないよう年長者は敬え、できれば可愛がられろ」だけでは済まない、ちょっと初心者が入りにくい所を解説。
弓道というのは、弓を引く技術である「射法」と、弓を持った時の立ち振る舞い全般を規定した「礼法」によって成り立っています。
それで問題になるのが礼法。
社会人弓道は一般的に礼法偏重で、初心者に教える場合も礼法から入る傾向があります。
初心者にしてみると
「弓を習いに来たのに、今日は弓も持たずに座り方と立ち方・歩き方しかやらなかった」
「弓は持ったけど、取り回し方ばっかりで、いつまで経っても矢を放つところを教えてくれない」
とはいえ、これを習得しないと先に進ませてくれないと思うので、ひたすら覚えてしまうしかないのが現実。
もちろん全く使わないかと言えばそんなことはなく、昇段審査とかでは覚えているのが前提ですが。
では何故そこまで礼法にうるさいのか?
そもそも弓道は明治年間に生まれた歴史の浅い武道で、女子の礼法に至っては戦後に作られた新しいもの。
そんな弓道の成立時に問題になったのが
「鉄砲が登場し武器としての歴史を終えて久しい弓を、武道として続ける意義は?」
というもので、その回答が今の弓道の、あらゆる流派のごった煮状態に近い「射法と礼法の融合」だったと。
とはいえ、そんな哲学的命題に興味を持って入門する初心者はまずいないと思うので(オイゲン・ヘリゲルでも読んでいれば別ですが)、最初は
「的に当てるスポーツだもん、当たらなかったら面白くないじゃん」
くらいのノリでいいと思います。
それにいくら礼法偏重だって、いざ試合になれば的中数が全てだし、審査にしたってある程度段位が上がれば「当たって当たり前」が要求されるわけで。
まあ礼法は、歳を取って思うように当たらなくなった時でも、ライフワークとして弓を続けるための予習くらいのつもりで学べばいいんじゃないですかね。
これは竹弓といって、弓が武器として活用されていた頃からあるというか、弓も矢も元はといえば竹製なんです。
しかし現代弓道では、安くて壊れにくいグラスファイバーの弓にジュラルミン製の矢が主流で、竹弓竹矢を若いうちから使っている人は殆どいなかったり。
自分はプログラマーで、多くのプログラマーと同じように、コードを書く行為そのものが幸せであり、いつまでもコードを書いていたいと思う。
だが30を越えて、今までいくつかの会社でサラリーマンエンジニアとして働いた経験を総合するに、
少なくともこの国でプログラマーで居続けるためには起業する以外の選択肢は無いのだという結論に至った。
普通にコードを書いて、スキルを磨いて、リリースを成功させていくと、やがて肩書きがついて雑務に振り回される日々が訪れる。
プログラマーにとって何よりも大事なのは連続した集中、それも出来るだけ長い時間だ。
昇進して部下が出来たり、質問される機会が増えたり、評価業務やら、上級職会議やら、採用面接やら、一つ一つは大した事が無くても、
出社時間は気が付けば断片化して切り刻まれ、一日に一時間続けて集中する事すら困難になってしまう。
もはや一日中コードを書き続けるような事は遠い夢になり、腕は鈍り、ますますコードからは遠ざかる。
これまで、本当に多くの人がそうやってコードを書かなくなり、緩やかにピーターの法則に吸い込まれていくのを目にしてきた。
そしていつしか、コードは昔取った杵柄を披露するだけのオモチャになり、やがて家族なんかが出来て、どうでもよくなる。
それはそれでいいだろう。
だが、どこまでいこうが、自分が書きたいのはパワーポイントやエクセルや論文などではない。実際に動いて、問題を解決するコードなのだ。
フリーランスになる事はこの問題を幾分か解決するが、下に述べる他の要因によって最善手ではない。
単なるテキストの塊から、継続的な自動化を行い、マシンの集団を操り、物事の新しい側面を露出させ、市場と金を生み出すことだ。
しかし、サラリーマンエンジニアであろうとする限り2000万円の年収を越す事はほとんど想像出来ない。
プログラマーとして平均の20倍の生産性を叩き出したとしても、報酬には重いフタがのしかかっている。
同じようにレバレッジを利用する投資銀行やらコンサルタントやら、金の流れを直接扱う職能に比べて、ソフトウェア開発者は恐ろしく不当に評価されている。
だが、結局プログラマーはプログラミングを書いていれば幸せなのだから、そのように容易に搾取する事が出来る。
一年後の状況すらまるで読めないこの業界では、学習を止める事がそのまま死に繋がる。
しかし、エンジニアのあるべき姿としてのスペシャリスト信仰のようなものは根強い。
ある技術に特化して一線に身を置く事は極めて重要ではあるが、技術が発展する限り、どのような専門知識も価値は保証されない。
しかし同じ場所に居続ければ、新しい技術を習得したり、全く関連の無い分野に挑戦することはいつしか"若い衆"の役目となってしまう。
挑戦や学習が趣味の領域に追いやられた時点で、エキスパートは本当に脆い存在になる。
そして、30代、40代、50代となって、エキスパートとして食わせてもらう以外の在り方もまた、想像出来ない。
独立がリスクであるように、全てのITエンジニアが置かれたこの状況もまた同じようにリスクであって、どちらにせよ誰も責任を取る事は出来ない。
エンジニアがエンジニアであろうとする限り、やる事は結局のところ他人の問題の解決だ。
相手が解決しようとしている問題を推察して、それに合わせてキャリアやらスキルを設計することになる。
どこか知らない所で仕事が作られ、それに合わせて自身を適合させていく。
どんなに有名で優秀な人間が集まるところだろうが、その構造は基本的には変わらない。
日本の大卒者は社会に出るまで、一貫して他人に選ばれるために他人が定めた問題の解決をする努力を強いられる。
だが、実際にやってみて本当に実感するのは、自分の夢を追うのは他人の夢を追うよりも一億倍やりがいがあるということだ。
面白い仕事を探して選ばれる事を願うよりは、自分が面白いと思う仕事を作って食えるようになった方が楽しい。
何よりもコードが書けるし、どうせいつかは死ぬわけだし、百万年も経てば全ては元通りになる。
まとめると、プログラムを書きまくり、能力に見合った報酬を求め、新しい分野を学習し続け、面白い仕事にありつきたいという願いを叶えるための手段として、
サラリーマンやフリーランスという生き方は絶望的に効率が悪い選択肢という事だ。
各種手続きやら事務やらのおまけは付くが、それすら問題解決の対象として、新しく学習していける限り楽しむ事は出来る。
なんといっても、プログラミングが好きなプログラマーというのはこの世で最も幸福な職業なので。
反応を見ていて、ちょっと言葉が足りていなかったり誤解を招いている部分があったような気がしたので、少し蛇足します。
どうも起業という言葉には一種のアレルギー反応みたいなものが有るように感じられますが、
僕が知る限り起業というのはある種の書類上の手続きを漠然と指すだけのものであって、
人を雇う事や、金を集めて大々的に事業を起こす事そのものを意味するものではないです。
個人事業主になってスタバでアプリを書いたり、手続き上の法人を作ったりするような話から始まって、要は雇われる以外の道を模索するみたいなことです。
仕事の対価を求める限り、結局解決すべきなのは他人の問題であり、最終的にそこをゴールにしなければいけないのは勿論同じ事です。
ただ、"他人"は雇用主や受注先だけではなく、ユーザーという言葉に置き換える事も出来ます。特に今の時代は。
そうした問題設定の起点を自分自身でデザインして定めるか、誰かに定めてもらったものを選ぶかのどちらかで言えば、
自分で定めた方がチャレンジングで面白いと感じられますし、実際にやってみない限りはその能力を鍛える事は出来ないと思います。
どんな形であれ、平均的には"起業"は失敗する方に賭けた方が勝ちます。
ただ、成功するとか失敗するとか、金持ちになるとか破産するとかは基本的にどうでも良い事であって、
現実を思い知り、おそらくは軽視していた営業や事務の重みに押し潰されつつあっても、
それ自身を効率的に肌で学ぶのはやはりやってみない事には分からなかった事で、そういう経験が得られれば良いものだと思います。
それに別に失敗したところで間抜けが地球上から一匹削除される程度の事で、どの道取るに足らない話です。
そうした事をどうでもいいと思わせる程、プログラミングは楽しいものです。
この話はプログラマーから見た効率の話で、実際に企業にあってもこうした事は問題にならず、幸せにコードを書いている人は一杯居ると思います。
ただ、本当に選択肢が無くなる前に、何らかの行動を自分から起こせ、守る者も少ないうちはそういう道に走った方が妥当と感じたという話です。
それに、そっちの方が面白くないですか?
色んな人やテキストがこの手の話をしますが、自分は実際にやってみて、本当にこれが面白いものだと納得しました。もちろん誰にも勧めはしませんが。
念のため
この記事はあくまでプログラマーが起業に追い込まれるだけの理由について述べただけで、
追い込まれた結果としてどのようなビジネスモデルや、ロードマップ、資金繰りに行き着いたか、誰のためにどのようなリリースをしなければならないのか、という話ではありません。
自分自身はまだそれについて書けるだけの材料も資格も無く、現在進行形で自分の金と体で実験をしているようなところです。
うまく生き延びたら、いつかその続きを書きたいと思います。
○朝食:なし
○夕食:ナポリタン
○調子
よくはない。
自傷行為はとりあえず辞められた。
共同作業者にお願いして、今週はお休みすることに。
だったが、連絡がうまくいっておらず、もう一人の作業者から作業依頼がきて、仕方なく作業をした。
やっぱり、向いてないのかなあ......
○Fable2
久々に再開。
しかし、攻略後、修道長はルシアンに殺されてしまい、娘のシスターハンナはハマーとなり仲間になった。
亡霊の変わりに彼氏を誘惑し、プロポーズ直前まで行った所で振るという筋書き。
すると彼氏まで自殺してしまい、二人は亡霊のまま愛し合うことに。
なるかと思いきや、復讐劇はバレ二人はバラバラにまた成仏できない亡霊が一人増えただけの悲しい結末。
うーんなんとも洋ゲーっぽい。
二人目の英雄の所に到着する間際にルシアンに英雄を拉致された。
自分の場合、誰ともつるまなかったけど、一応趣味の社会人サークルには顔を出していた。
どれも小さい頃の習い事や学生時代の部活で身につけたことをタネにしていたので「未経験者」「初心者」という難しい役回りが必要なかったこと、一応体育会系の部活を経験していたので度が過ぎた非礼を働かなかったこと、そもそもそれらのサークルの成員が基本マイペースで濃い繋がりを好まなかったことから、コミュ障入っていた自分は変に絡まれることもなく、ほっとかれたまま活動だけは参加していた。
一方で社会人としてのキャリアを積んだことで、無難にいい人ぶる事だけは出来るようになって、気がついたら色々声がかかるようになった感じ。
そんで更にその中から、年代が近くて気心の知れた友人グループが独立して、定期的に集まって遊ぶようになったと。
ただ自分に限って言えば、基本的にそういうサークルだと、かなり若い奴から慕われる事が多いかな。
でも自分の精神年齢の低さは自覚しているので、無駄な先輩風は絶対に吹かさないようにしている。
実際彼らは年齢関係なく自分より優れている物をいっぱい持ってると感じるし、そこで無理をするのはタダの間抜け。
相手の良さを認めつつ盛り上がりそうな話題で適当に話せれば、悪いようにはならないと思う。
わたしの病気は、数年前に発症した。
当時、勤めていた美容室で、いまなら余裕で労基に駆け込むくらいのパワハラを受けていた。
毎日仕事に行くのが嫌で嫌で、仕事に行けば今日も怒られやしないかと緊張し、案の定怒られ、落ち込み、すみません、すみません、以後、気をつけます、がんばります、と小さな声でオーナーに頭を下げていた。
ごはんをまともに食べるのは夜だけ。
腕がガリガリになって、タンクトップを着ていると、気持ち悪い、と言われた。
そんなことが数年続き、とうとう本当に嫌になったわたしは美容室を辞める。
人間はひとつのことに頭を縛られると、周りが見えなくなってしまうらしい。特にわたしはその傾向が強い。
当時運営していたブログをもっとよく知りたいと、職業訓練のウェブ制作のコースに通った。
HTMLやCSSは独学で勉強していたので、なんなく卒業、ウェブ制作を立ち上げたばかりの会社にバイトで入社した。
ところがコーダーで入社したつもりが、人員がおらず、いきなりお客様交渉、サポート、企画提案、ディレクション、デザイン、コーディング、ドメイン管理、なんでもやった。
プライベートでは友だちもでき、少し、体調はよくなった。
それに並行して、離婚の話が出る。
東京に戻り、派遣ながらも某企業でウェブ制作の仕事にありつけた。
とても刺激的で楽しかった。
やっとまともに働ける。ワープアなんて、もうまっぴら。
お給料もたくさんもらえるようになり、生活も安定するようになった。
わたしもそのひとり。
そのころ、好きな人がいた。
そいつがひどいやつだった。
何度かあったりしていたけれど、他に女性ができたようだった。
その女性は、彼とのことをブログに書き、写真を公開し、すぐに分かった。
というか、行動、思考パターンが完全に狂い始めていた。
当時、いろいろと相談に乗ってもらっていた友だちにも、わたしのあまりのおかしさにあいそをつかされ、「あいつは頭がオカシイから、もう付き合うのやめたほうがいいよ」と、ほかの友だちにも吹聴し、全員からシカト状態。
裏切られた思いがした。あんなに仲が良かったのに。
そして完全にわたしは孤立した。
時を同じくして、父の胃がんが発覚。もう末期で、余命間も無いと言われた。
あの元気な父が、死んでしまう。
目の前が真っ暗になった。
そのころ、わたしは某ポータルサイトを運営する会社に勤めていた。
がんばって仕事をしていたけれど、上司から、お前は残業するな、と言われた。
朝、目覚まし代わりの携帯が鳴っても、目覚まし時計を最大音量で鳴らしても、起きられなくなっていた。
毎朝、妹に電話してもらって、やっと起きる始末。
父の病気が心配なのと、当時付き合っていた男性ともうまく行っておらず、ますます体調は悪化。
悔しい。
なんでわたしばかりが。
どれもこれも、わたしを裏切った間抜けな男と、「あいつは頭がオカシイから」と吹聴したアホな元友人のせいだ。
そうでも思わなければ、やっていられなかった。
そうこうしているうちに、付き合っていた彼にふられた。
もう、おまえとはやっていけない、ついていけないって。
そのころ、なにもかもおかしくなっていたわたしは、頻繁に手首を切るようになっていた。
切った傷あとから血が流れるのを見ると、安心する。許された気がする。
左腕に、ものすごい数の傷あとができた。
でも、やめられなかった。
ある夜、突然なにもかもが嫌になって、睡眠導入剤を大量に服用し、本格的に手首を切った。
薬を飲んで、手首を切った、と告げた。
妹はすぐに救急車を呼べ、明日になったら東京に行くから、と言うので、言うとおりに119番をして救急車を呼んで病院に運び込まれた。
傷は浅く、飲んだ薬は胃洗浄で処置。
それでも意識は遠のいて、何度も何度も看護師さんに体を叩かれ、揺さぶられた。
うるさい、もうほっといてくれよ、わたしはもう眠りたいんだよと思った。
翌朝、妹が病院へやって来た。
どうしてこんなことになったのか、たどたどしく説明をした。
妹は泣いていた。わたしは泣かなかった。感情は、どこかへ消えていた。
妹をわざわざ東京までこさせ、泣かせてしまったことだけは、後悔した。
誰も信用できない。
どいつもこいつも上辺ばかりだ。
信用したら、裏切られる。
裏切られたり、見捨てられるのはもうたくさんだ。
身から出たさびとは言え、友だちを失ったり、自分自身をめちゃくちゃにするのは嫌だったけど、受けた傷は深い。
誰かを恨み、憎んで、呪って、だけどそんなことをする自分がもっと嫌で、生きるのが嫌になった。
今でも生きるのはしんどいことだと思っているし、日本に安楽死の制度があったら、もう死んでると思う。
それでも生きているのは、家族のためだ。
妹や夫、夫の両親を悲しませたくない。
でも本当は死にたい。
夫は、俺と一緒に生きるんだよと言う。
とてもありがたいことだし、だからこそ結婚したのだけれど、やはりふとした瞬間に死を考えてしまう。
なぜ自分が生きているのか、なぜ生まれてきたのか、わからない。
生まれてこなけりゃ、こんな思いをすることはなかったのに。
こんな病気にならなくても済んだのに。
父も祖母も答えてはくれない。
いつか、わたしがあの世へ行った時、答えてくれるだろうか。
だけど、そんなことはわからないし、この先もこの病気と付き合い続ける。
だいぶ、いろんな出来事を端折ったが、今の思いを書き残しておきたかった。
ではみなさん、ごきげんよう。