はてなキーワード: 醜態とは
一晩中、気分だけは踊り狂うような状態になる。
体調にもよるが、コーヒー1杯でそうなる。
珈琲豆から挽いたコーヒー、インスタントコーヒー、缶コーヒーなどがキまりやすい。
コーヒー牛乳を飲んだ時はこうはならない。
昨日の昼についついドリンクバーで2杯ほど砂糖とミルクをたっぷりコーヒーを摂ってしまったのが原因だ。
味は好きだ。
久々にガンギマリ。
一晩中眠れない状態になって今に至る。
朝から掃除洗濯をしたり、みんなが寝静まっているというのに一時間以上グループラインで延々と投稿し続けるという醜態を犯した。
ラインで、お前やばい、とかつての同級生から指摘を受けて自分がカフェイン中毒でみなに迷惑をかけてしまったのだとはっと気づいた。
辛うじて分別は残っている。
いや、分別は残ってないのかもしれない。
どうなんだろう、よく分からない。
その差分を考えたら、根底に、誰かと声で話したい欲求や孤独なんかがあるんだろうな、と思った。
とりあえずカフェインが抜けるまでは、人と喋りたくても友人知人には連絡を取らない方がいいのだろう。
十年後に交友は復活できるだろう。
さらば友よ。
私が前回このカフェインフィーバーにはまったとき、世界が大回転して自室でぶっ倒れているのである。
簡単には死なないだろうと高をくくっているが、鼻血もどくどくと流している。
根拠はないが私は死なない。
しかしもしものことがあるので、警察や救急車の必要がある事態に陥るかもしれない。
逢える友人はいない。
家族はない。
仕事もしてないので顔を合わせて誰かと会話することもない。
カフェインは好きではない。
うっかり飲んでしまう。
アル中ってこんな感じかな。
さあ水を飲もう。
毒を出そう。
安倍政権が終わり、菅政権に移行してから、自民党はとにかく醜態を晒し続けている。
菅総理はとにかくリーダーシップや判断力に欠け、安倍元総理がどれだけマシだったのかを実感する日々だ。
この期に及んで新自由主義型の国家運営を崩さない等、国家運営能力の低さも露呈している。
普通自民党の支持率が下がれば野党で最も力を持つ立憲民主党の支持率が上がるはずであるが、全く上がっていないのだ。
これはつまり、自民党を見限った人でも立憲民主党を支持する気が起きないという信頼の無さがある。
なぜ彼らは支持を取り付けられないのか?
それはひとえに政治家と呼ぶのも憚れるソフィストが悪目立ちし、しかもそれなりの地位にいるので集団として自民党以下の信頼度になっているためだ。
つまり、自民党の議員を最低の政治家だとするならば、立憲民主党の議員は、政治家のレベルにすら達していない…
自民党も政治家じゃない!という文章の読めない人のために書き直すと、どれだけ自民党の評価が下がったとしても自民党以下だとみなされているというところが大きい。
特にSNSでの立憲民主党の議員はあまりにも相手への敬意が欠けている人間が多い。
これは対立する人間扱い出来ないとみなされかねず、このような倫理観の人間が権力を持つというのは独裁、粛清、規制を表立ってやるということであるため、ある程度歴史の素養がある人間なら真っ先に避ける。
もちろんそういった事を自民党がしていない、しないとは言わないが、自民党よりもひどくなると見なされる。
官僚に圧をかけ、揚げ足取りを連発して「問題を解決する」ことよりも「勝つ」姿勢が目立つ。
このあたりは共産党よりもひどく、コロナウイルスの感染が爆発した際、共産党はコロナウイルスの議論を最優先としていたが、立憲民主は桜を見る会の話ばかりしていた。
日本の政治家のレベルの低さというのは日本のメディアの能力が極めて低いために国民が適切に政治をやれないという劣悪な環境にも起因するが、野党勢力はとにかくルール違反が多い。
大義のためにルールを破るやつというのは今どき漫画でも敬遠される人間である。
その他の政党も、支持母体が怖すぎる公明党、短絡的で夢見がちで足元が完全に見えていない日本維新とれいわ、野党の中ではかなりマシだが経験が浅くて弱すぎるために立憲民主に迎合せざるを得ない国民民主、死にかけの社民党、頭のおかしいN国、ちゃんと政治家ではあるがここが通ったらアメリカとの関係が最悪になって国防が終わる日本共産党、政党ですら無い希望の党など、選択肢が完全に終わっている。
エルカブキっていう売れてなくていろいろ拗らせたお笑いの人がその日その人が見かけたネットのネタについて適当な思い込みで話すyoutubeチャンネルがあって、それをなんとなく見てたらツッコミのほうのいろいろ拗らせた人が、お笑い批評家野郎黙れみたいなことを言いたくてなんとかそれを理論武装しようとして、全ての批評は無意味で存在が悪みたいなことを言って、ボケの方の人に諭されていた。ボケの方の人がまともなことを言っていた(表現する以上批評するのも分析するのも自由)。批評してもいいしその批評が嫌いでもいいんだよとまで言われてるのに、お前はそういう理屈が好きなんだろうとか興奮して攻撃してて大変に痛かった。
どう考えてもツッコミの方が痛くて拗らせてて言ってることに筋が通ってないんだけど、こういうわけわからないほど興奮しちゃって醜態晒すことってあるよなと思って共感性羞恥がすごかった。
最近の浜崎あゆみと言えば、年下のダンサーと熱愛報道が出たり、インスタにバリバリ加工した写真を載せたり、よくわかんないけどシングルマザーになったりとあまり良いイメージはないと思う。だがしかし、いやだからこそと言うべきか、最近のこの有り様(あえてハッキリと言うが、醜態を晒している)すら、浜崎あゆみのデビュー当時と比べればその輝かしさを引き立たせるための背景に過ぎない。
当時、彼女はまさに天才だった。彼女に学はなかったし、何なら多分頭も悪かったと思う。当時書いた彼女の歌詞はいずれも誰にでもわかる平易な言葉だけで構成されていて、言っていることだって特に深いわけではない。ただ、そこには確かな感情があったし、人々はその感情に心を震わせていた。そういうものを求めている時代だったのだ。彼女はきっと90年代初頭にデビューしてもヒットしなかっただろうし、2000年代後半でもきっと遅すぎたと思う。20世紀と21世紀という小さな時代の狭間で、クラブで拾われた育ちの悪い女の子はその才能を狂ったように全て咲かせ、散っていったのだ。
まず始めに。私は空の軌跡からのファンである。そして、私は本作を数十分ほどプレイしてこのシリーズに”ようやく”見切りがついたつもりだった。ライターの紡ぐテキストの非常に強い癖が全く変わっていなかったからである。
「はは」「ふふ」「くく」を、まるで接頭辞の如く頭に付けて応酬される会話には、もはや嫌悪感さえ抱いていることをハッキリと自覚してしまったのだ。ここまでしつこいと、もはや冗句の領域である。
また、「寿ぐ」のように書き言葉と喋り言葉の区別がついておらず、辞書を引いて気に入ったから多用しているでは、と疑うほど拙さを感じる用い方は、逆に語彙が少ないからだろうとしか言いようがない。キャラの個性として利用されているのであればもちろん有効な手法ではあるが、作中ではまるで流行り言葉であるかのような扱いである。この点に関しては創では大幅に減ったとはいえ、やはり健在ではあったのだ。
流行り言葉のように使われていると言えば、「届く」もまた同じだ。これは武人の共通認識なのであろうが、いくら何でも多用しすぎである。ピンポイントで使えば閃の軌跡シリーズ特有の味にも思えるだろうが、現状ではあまりにも軽く、鼻につく言葉になってしまっている。
現状を打破する論理的な道筋を立てる前に、とかく精神論を展開するのもいい加減キツいものがある。精神の未熟な少年少女ならまだしも、リィンやロイドはそれぞれ教官、警官といったいい大人だ。既にそれが許されるような立場でも年齢でもないだろう。こういうのは要所でやるから響くのであって、常にそのような”醜態”を晒すのは見るに堪えないものがある。
このような価値観がまかり通るのは、全ての物事を主人公であるリィンやロイドを中心に考えているからこそだろう。その歪んだ価値観は新・旧7組という言葉に端的に表れている。登場人物は皆、何故か新・旧と呼び分けているが、本来であれば現7組以外は7組という括りで呼ぶ必要はないのだ。もっと言えば、現7組の人間に対し、新7組と括るのは無神経というものであろう。リィンさん。あなたはこの子らの担当教官なのですよ、と言いたくなってしまう。
原因は既に述べたように、世界の中心をリィンだと思っているからである。リィンから見れば彼の生徒は新であり、級友は旧なのだから、確かに彼が世界の中心であれば皆そのような呼び方をするだろう。そして、それが実際に行われているのである。だからこそ登場人物はライターの操り人形にしか見えない。リィンが好き過ぎて彼個人に設定が堆く盛られていくのも、書いていておかしいと思わないのだろうか。
これを強力に補強しているのが好感度システムだ。これはあらゆる関係性を主人公にのみ閉じる呪いである。サブにも何かしら関係性が見えるのは空からの登場人物ばかりなのは本当に酷い。これは何も皇子の結婚やアガットとティータのような恋愛模様だけを指しているわけではない。紆余曲折を経て家族になったレンとカシウスの微妙な距離のように、時と共に関係性が進んでいるのはシステムとライターの作り出した価値観により雁字搦めになっていないキャラに限られているのだ。
リィンの級友、または教え子達の横の繋がりなど、あってないようなものなのは既プレイ者なら分かることであろう。端々に会話が交わされている場面は申し訳程度にはあるが、誰と誰の仲が良いのか、などというのは全く感じられない。リィンを通してしか付き合いがないのではないかと疑うほどである。例外はシステムの軛から抜け出せているユーシスとミリアムぐらいであろうか。
展開のワンパターンさ加減にもうんざりである。ゲーム後半で、敵に援軍を呼ばれる。そこに駆けつける意外な仲間。という展開があるのだが、これをきっちり3ルート分やるなど正気の沙汰ではない。しかもその意外性というのが、全てあえて敵側に潜り込んでいたというものなのだ。そう、3ルート分全てである。ここでは本気で頭痛を覚えたものだ。プレイヤーを馬鹿にしているのかとも思えたのだが、一体どういうつもりでこういう展開にしたのであろうか。素で燃える展開だと思っていたのだろうか。是非聞きたいものである。
さて、ここまで読んだのであればお察しの通り、無事投げ出さずにクリアまで遊べたのだがその理由はCルートの存在に尽きる。決まり切ったテンプレ展開と、森羅万象が主人公に収束する精神論ありきの価値観に支配されておらず、真っ当に面白いものだったからだ。テキストの癖も完璧に抜けている。危うく完全に積んで、今度こそ本当にシリーズにも終止符を打つところだったのだが、せめてCルートまで進めてからコントローラーを置こうと予め決めていたのが幸いした。
あからさまに下敷きに某アニメを使っているし、何処かで見たような要素が目白押しではあるが、上手くミックスして、さらにルーファスのキャラを壊さずに馴染ませてある。いつものライターが書いていればやはりルーファスにしか矢印が向いていない関係性しか作れなかっただろうが、このルートは別のライターが書いているためそのようなことは一切ない。
このルートはウェットすぎないのが心地良い。印象深いのが、人形達の中から本物のラピスを見つけるという場面だ。まるで直感や奇跡のパワーで分かったかのように思わせておきながら、実は発信器を付けていたから分かったのだというのは(本当であっても照れ隠しであっても)ルーファスらしいし説得力もあって非常に好感を持った。ライターのセンスにだ。
惜しむらくは、他の2ルートにリソースを吸われて明らかに尺が足りていないところだ。人形の中から探す場面も、欲を言えば一緒に旅をしたという体験をプレイヤーと共に積み重ねてこそより輝いたはずである。これは最終局面に至るまで響いている。また、スウィンとナーディアにはしっかりとした背景が設定されているのが読み取れるのだが、尺の都合でそれが披露されるのはかなり限定的なものになっている。思わせぶりな台詞だけで半ば放置に近いと言って良いだろう。積み重ねさえあればもっと良いシーンになったはずだという箇所が多く、惜しい気持ちで一杯である。
私は軌跡シリーズで紡がれる政治劇には、多角的な視点を持たずに作品自体がクロスベル独立こそ正義だと一方的に主張すること以外は一定の評価を与えているので、大まかな流れ、つまり起きた事件はこれで良いのだが、実際に描くのはCルートだけであれば間違いなく良作になっていただろうと確信している。
3つのルートが合流すると、あからさまにいつものライター節になってしまっているのも良くない。Cルートの残滓など欠片も残らず吸収されてしまっている。合流後のルーファスなどもはや別人である。本来の彼が再び顔を出すのは本当に最後の最後の局面だけだ。
全体を通した部分で改善したと思えるのはロボット大戦の大幅な抑制だろうか。いや、むしろまだ完全撤廃を諦めていなかったのかとも言えるのだが、極々限定的になったのはありがたかった。システム的にもお話的にも全くもって面白くも何ともない要素で、あまりにも邪魔すぎるのだが、この設定は次回作にも持ち越すつもりなのであろうか。せっかく作ったモデルを(次回作ではエンジンやモデルを一新するので)最後に活用したかっただけだと信じたい。
不満は多々あれど、Cルートに見た光明でまた見限ってしまうことが出来なくなってしまったのは良かったのか悪かったのか……。ただ一つだけ言えるのは、もう予約買いをすることはないだろうな、ということだけである。
SARSで対策の遅れのせいで台北市内の病院で深刻な集団感染を引き起こし、政府の無対策に痺れを切らした当時の市長は急遽病院を強制的に緊急封鎖して、たまたま立ち寄った人を含め出入りを禁止したんだよ
それで中にいる人は大狂乱、外に出たいと窓から飛び降りようとする医療従事者も出るわで大騒ぎになったんだよ
元々の原因は政府がSARSの流入に対して無頓着だったこと、また感染が分かっても厳しい隔離や感染者の追跡などの対策を取らなかったことで、この病院での集団感染が収まったと見られた後も病院を起因とした集団感染や市中での感染・死亡例は度々見られた
こういう醜態を防ぐために今の台湾では厳しい水際対策と経路追跡、また専門家が陣頭指揮を取ることが徹底されてるんだよ
そして国民にも封鎖された病院の惨状や散発する市中感染の記憶があるから、マスク等の自己対策は欠かさなかったし、政府の強い対応にも反感は出なかったわけ
世の中にはポックリ信仰だのコロリ観音などというものもあり、「ぽっくり死ぬ」のが一つの理想とされている。
まあ確かに、死ぬと判っていて長く苦しむのは、特異な死生観を持っている人以外は嫌だろう。
また、認知症などで長く家族に負担をかけて、とてつもない醜態をさらし続けて「いつ死ぬんだろう」と半ば願われながら死ぬのも、物寂しい話である。
とはいえ、1人暮らしの人などがいきなり自宅で死ぬと、発見されるまでに時間がかかってしまい、遺体や自宅が無残な状況になりかねないリスクがある。
友達少ないから、全社会議とかで大勢にお別れしてもらえるのはまあちょっと興味あるけど、正直、社長とか上司とかが何言い始めるか分からない危険性があるし、
遺族が過労死や労災を疑ったりして、後味が悪い結果にもなりかねない。
かといって通勤中とかに死ぬと電車が止まってしまい、何千何万の通勤客の呪詛を受けながら死ぬ、という割とキツいシチュエーションになってしまう。
なので、ポックリ死ぬなら、旅先が良い。
旅先の人にはちょっと迷惑をかけてしまうが、恨みつらみは残らないし、何か楽しく人生を生きて死んだ感が漂うから、遺される人も若干気が楽だ。
とはいえ、ポックリ死ぬのは、何の準備もしてないので、本人は良くても周囲に面倒をかける。
心の準備もできない。お別れも言えない。喧嘩中だったりしたら後味も悪い。連絡すべき関係先を洗い出すのも一苦労だし、遺品の整理も面倒だし、部屋が汚かったり、恥ずかしい所有物とかが発見される危険性もある。
という事で、お別れを言う時間くらい欲しい。
しかし、お別れを言うには「大病を患っている」という前提が必須である。
事故で死ぬ場合は、即死を免れても意識不明のまま死ぬ可能性が高いので良くない。ふためと見られない顔になってる可能性もあるし、恨みつらみや相手方の保険屋との交渉とかがあって面倒極まりない。
やはり病死である。それも死ぬと判ってから1週間程度の猶予は欲しい。
部屋の整理は諦めるとしても、せめて3日はないと、遠方にいる家族が死に目に会えない危険性があるし、お別れがあわただしくなってしまう。
しかし半年以上入院というのも厳しい。最後の方はかなり苦しみそうだし、そんだけ入院すると費用も馬鹿にならない。家族に金銭的負担がかかっているのを気にしながら死ぬというのも、きつい。
という事で、1か月前くらいに余命が判って、家族や親戚・友人に連絡して、身辺整理を済ませて、1週間前くらいに入院して一通りお別れを済ませて、最終的になんか良いセリフを言って眠って3分くらいで、ピー、ご臨終です、というのが理想である。
コロナは割と近いが、あれは陽性反応が出たら1日かそこらで問答無用の入院である。身辺整理もできないし、入院する段階ではまだ死ぬと決まってないから、関係者に通知もしにくい。
それに、コロナで死ぬ場合、途中からなんかゴツい機器で呼吸を助けてもらう形になるので、お別れを言えない。感染するといけないから遺族も立ち会えないし、遺体の顔すら見えないという。
じゃあガンならどうかというと、ガンで死ぬのは相当キツい。最後はモルヒネ使って痛みを取り除くとしても、そこに到達するまでに、手術や放射線治療などがあり、相当苦しむ。
それに、専門家じゃないから良くわからないけど、末期がんで余命1ヵ月になるまで気づかないというのも、さすがにレアじゃないだろうか。半年前には気づいてしまう気がする。そうすると、死ぬまで長い。
1か月前に死ぬとわかって、あまり苦しまず、身辺整理をする余裕があり、お別れも言える。
そんなの、何か凄い感じの宇宙船事故で冷たい方程式的な何かが無ければ、ありえないのではなかろうか。(私は宇宙飛行士じゃないし、前述の理由で事故死はちょっと問題あるので、どのみち却下である)
大学院を中退して久しい。記憶が正しければ、私が大学院中退を決意したのは6月末であったことから、あともう少しで半年が経つ。
さて、就活についてはようやく良い風が吹いてきた。金融の、ある分野において業界上位三位以内の地位にある企業の最終面接の一歩手前まで進めることができている。
一部上場のIT企業(Sier)については、最終面接を控えるところまできた。ESを提出した後に任意の質問会をやると聞いたのでそれに参加してみると、人事が質問会で「この質問会でESブラッシュアップしてね」なんて言い出した時は冷や汗が止まらなかったが。
どちらの企業も来週面接であることから、中々にプレッシャーではあるが、何とかなるだろう。
ところで、前回の記事で「まあ、プライドが高いお前は上場企業じゃなけりゃ満足しないんだろう(⇔身の程を知れ)」といった趣旨のコメントが付されていたが、当然である。プライドが高いからこそ、私は結果を出せないと満足できない。そのお陰で、就活もここまで進めれている訳だ。実は、総合商社の中途枠についても、二次選考まで進めれていたりもした。とは言いながらも、今現在も無職であることには変わりがないことから、彼彼女をあざ笑うにはまだ時期尚早ということで、この程度にしておく。内定が出たら改めてあげつらう予定だ。
エントリー中はなりふり構わず履歴書を送りまくっていたし、後輩にESや面接の方針について教えを乞うたりもしていたので、どちらかというとプライドをかなぐり捨てているような気もしたが。キレてノートパソコンを叩き割ったりと結構な醜態を晒していたし。
さて、私は上のどちらかの企業で王手をかけて上がる予定でいる(が、一応今も履歴書は送りまくっている)。金融の方はやはり選考難易度が高いことからまだまだ気は抜けないが、ITの方はコロナ禍であるにも関わらず敢えて増員していたぐらいだし、「最終面接で落ちることは基本的には無い」というのが就活サイトでの定説である(らしい)から、余程の地雷を踏みぬくか、ドジを踏まなければ内定は出ると睨んでいる。金融の方で面接を何度もしたから、これが活きてくれば良いのだが…。
そんな時、「私は一体何をしたいのか」と考えた。前の記事でも書いたが、私は資格を取ってプロになろう、という心づもりでいた。実は、この思いは今でも捨てきれていない。
そして、その資格であるが、実は金融ともITとも親和性が良いのだ。シナジーが大きいだけでなく、その両者について深い理解をしている有資格者が少ないことから、収入の面でも大きく期待できる。社会にも十分貢献できると思う。
ただ、金融 or ITのプロとして生きていくのも楽しそうだと感じるのだ。
金融については所謂部門別採用ではないため、基本的にはその足で走り回って数字を上げることになるだろうが、人と話すのが好きな自分としては極端な苦手意識はない。一時はクラブナンパなんかもしていたぐらいなので、目の前で蹴り捨てられる程度じゃヘタレることもない(流石に悪意むき出しの悪口を言われた時は少しキツかったが)。また、金融については学部・院生時代にある程度かじっていたので、苦手意識は全くないどころか得意と言い切ることもできる。勿論、いわゆる金融マンであることから死ぬほど大変であろうが、楽しめる気はする。
ITについては、大昔に自分でパソコンを組んだことの他、ネットサーフィン経験を通じてセキュリティ・ネットワーク周りのことを最低限身に着けたことを除けば、全く知識がない。今現在基本情報技術者試験の勉強をしているが、何が分からないのか分からない、という部分が大半である。ただ、参考書を見た瞬間に脳がストレスを感じる、ということはない。Javaの解説ブログなんかも流し読みしてみたが、面白かった。全く適性がない、ということはないと思う。金を産めるか、という質問について胸を張ってイエスといえる自信はやはりないが。
就活生は、どのようにして自己のキャリアを定めるのだろうか。学部時代のある友人は、憧れを理由に、その企業を選んでいた。金を理由にその企業を選んだ友人もいる。その企業の製品が本当に好きだからということで、その企業へ進んだ友人もいる。
どの友人も、見事であると思う。内定をきっちりと取り切っているし、何より行動に対する結果が伴っている。そして、今も尚働いている。素直にすごいと思うし、心の底から尊敬している。将来的に転職をすることになったとしても、私からすると学部時代にそのようにはっきりとしたキャリアプランを持つことができていたことそれ自体が大変素晴らしいことだと思う。
私自身、それなりに将来のことを考えて進路設計はしてきたつもりだったが(母親に奨学金を使いこまれるのは流石に予想外だったが)、良いように言えば知的好奇心が強い、悪いように言えば器用貧乏なタイプなのだ。この性格から、上記の企業で知識を身に着けながら学部時代より抱いていた思いを実現するべきか、それともその道のスペシャリストとして生きていくべきか、と今もくよくよと悩んでいる。一刀両断的な判断はあまり好まないため、どこかでグレーゾーンを設定して落ち着くことになるとは思うが、今現在それを設定できない自分に対するもどかしさは結構感じている。
わりとわかるぞ。ただそれより個人的には「自分が好きに冒険できるゲーム」をシナリオ一本道の漫画やアニメにするってのは、なんかダウングレードというか、「それ、する必要ある?」感があって、そもそも読んだり見ようともしなかったなあ(ロト紋やアベル伝説も同じ)。「みんなアバンストラッシュ真似した」ってのは歴史修正だと思う。そもそもアバンストラッシュってなに?魔法?
あの頃はゲームというメディアこそが進化の最先端(誤用)を行くエンターテイメントであって、アニメマンガその他はことごとく滅びさる運命のオールドメディアなのだと思っていた。キャラゲーは、そうしたオールドメディアがなんとか生き延びようと無理くりゲームという概念に乗っかって見るも無残な醜態を晒していると冷ややかに見ていたものじゃった…
なんか女子テニスの選手がどうとか、別にどんなマスクしようが、
対戦相手を侮辱するような行為以外ならテニスのルールでは問題なかった気がするんだが、
まあいいや
そもそも、第二次大戦前だったか、工作活動をやっていたのは日本人だったのでは?
それはネトウヨどもが騒いでいるように、米国内を混乱させるために、
でも、そんなことしても何の意味もなく、
仮に中国がそうだったとしても、日本同様にその工作活動の影響は小さいと思われる
現実はジョーカーが存在しようが、そんなにアメリカ合衆国政府自体は影響は受けない
それより、スパイ天国と揶揄される日本は、今でもちゃんと諜報活動をしているのだろうか
当然、中国もある
日本はちゃんとスパイを諸外国に送り込んで活動させているだろうか
その国の情勢を市民などの下々の目線から送り続けるだけでも立派なスパイ活動だ
黒人暴動を先導していた日本人工作員も現地女性と何度も結婚を繰り返したりしていたはず
家族というのは疑われにくい
毎日朝規則正しく出勤する子煩悩なぐらいの父親がスパイとは思われにくいからだ
実際は出勤しておらず、外出して活動しているわけだ
そういえば、そんな漫画があった気もするが、読んだことがないのだった
三十代後半男性。
物心ついてから不況しか知らなかったので、郵政民営化をはじめとする各種の改革で世の中が良い方向に変わると期待して小泉総理率いる自民党に投票した。
自民党が衆議院の過半数を単独で押さえており、70%を超える内閣支持率であったにもかかわらず、
現役世代への負担が増大する一方の社会保障の見直しや、国際競争力の強化につながるような改革は最後までなされなかった。
せいぜいが高速道路のサービスエリアのご飯がおいしくなったくらいだろうか。
土建屋や特定郵便局といった既得権益にメスを入れたかと思えば、代わりに電通やパソナといった別の業者が潤うようになっただけであり、
憲法改正のために郵政民営化反対派議員を復党させるというような公約無視を平気で行った。
私は政治に幻滅した。
リーマンショックの影響があったとはいえ、4年前の改革の熱気は消え失せ、自民党も民主党も競ってバラマキを公約に盛り込んでいた。
自民党の変節にうんざりしていたので、この年の選挙は改革継続を唯一訴えていたみんなの党に入れてみた。
同じような考えの人は意外と多かったようで、泡沫とみられていたみんなの党はしばらくの間健闘し、選挙のたびに議席を増やして存在感を増していった。
日本維新の会が第三極として新たに台頭してきた。私が支持してきたみんなの党は日本維新の会と協力するか、距離を置くかの対応で党内が分裂し、
挙句の果てには党首の政治資金問題で醜態をさらして自滅した挙句解党に至った。
私は再び政治に幻滅した。
余談だが、この時期に日本維新の会へ移籍した元みんなの党の議員のその後をWikipediaなんかで調べてみてほしい。
彼らの政党の移籍履歴を見れば、きっとあなたも私と同じように政治不信に陥るだろう。
安倍総理の長期政権の元、景気もそれなりに良かったので消極的な自民党支持者になっていた私だったが、新型コロナウィルスへの対応の悪さには愛想をつかしていた。
桜やらモリカケといったこれまでのスキャンダルについては、ぶっちゃけ政治家なんて何かしら悪いことしてるやろと思ってスルーしていたのだが、今回は別だった。
なんというか、社会人を10年以上続ける中で幾度となく感じてきた、仕事のできない上司に苛立ちを覚えるようなそんな嫌悪感を催していたのだ。
ある日のこと、緊急事態宣言が発動されて会社への通勤が取りやめになった。
自宅待機で暇を持て余して国会中継を見ていた時に、たまたま国民民主党の玉木代表の質疑が目に入った。
何気なく見ていた質疑だったが、質問は政府答弁の至らない部分を的確にとらえており、説明不足な点のフォローにもなっておりと、『仕事のできる人感』がした。
これまで、野党議員といえばスキャンダルに対してぎゃーぎゃー騒ぎ立てるだけの印象があったので、建設的な議論をする野党議員もいるのだなとえらく印象に残った。
同じ日に質問に上がっていた立憲民主党の議員がけんか腰だったのが逆の意味で象徴的でもあり、これまで選挙互助会の泡沫政党だと思っていた国民民主党に注目してみようと思った。
が、所属議員の経歴をWikipediaで見たところ、案の定というか、国民よりも自分の当選が優先というような渡り鳥議員が多そうな印象を受けた。
また、原口議員や、森議員といったけんか腰で議論を吹っ掛けるいかにもな野党議員も悪目立ちしていた。ぶっちゃけ、これでは支持はできないなと感じた。
そして先日。
衆議院の解散が近いと踏んだのか、立憲民主党と国民民主党の合流が発表された。と同時に、国民民主党の玉木代表を含む複数の議員は新党に合流しないことが発表された。
国会の質疑を見て以来、玉木代表には可能性を感じていたので、他にはどんなメンバーが残留するのか注目していたのだが、
ビミョーな感じの政党渡り鳥議員はことごとく立憲民主党へ合流する側に行っていたので、これは!と思った。ぶっちゃけ残留組で個人的に微妙な感があるのは山尾議員くらいである。
このメンバーなら選挙の時の公約を曲げずに最後まで主張を貫いてくれるだろうか?それとも私の期待は三度裏切られるのだろうか?
とにもかくにも、私にとって久々に本心から支持できそうな政党が誕生しそうである。これからしばらく、新・国民民主党の動向に注目したいと思う。