はてなキーワード: 逆鱗とは
http://anond.hatelabo.jp/20150113220036
やたらこの先輩を支持したり擁護している人が多いが、そんなにこの先輩の言い分はみな正論かな?
だいたい職場用の靴なんて、実際履いて使ってみないと歩き心地など分からないし、足に馴染むまではしばらくかかる。馴れるまでそう早くは歩けなかったりする。まして「男並み」の早足に付いていくのは大変だろう。むしろ連れが息を切らせているほどの自分のペースの方が速すぎるんじゃ、とかは考えないのだろうか?
ランチの皿もどうせ店では一緒くたにして洗浄機で洗うのだろうし、むしろ片付けやすいようにして重ねておいた増田の気遣いの方が好ましく思えるけど。
エレベーターのボタンの件も、中の混み具合や乗るときのタイミングで上手くボタンの側には乗れないということもあるだろうし、そもそもたがかエレベーターのボタン押し程度、そんな時間や手間の掛かる重労働でもなし、そんな非難がましくいうようなことだろうか。それより上司には声も掛けずに押しのけてでもさっさと降りろと? そっちの方がよほどマナーに反するのでは?
確かにこの増田もちょっと世間知らずで鈍くさいのかもしれないが、多少ズレてるなりに周囲にも先輩にも気を使おうとしているのは分かるし、仕事への向上心もそれなりにあるし、先輩とも何とか上手くやって付いていきたい、という気持ちはちゃんと持ってる。なのに、他愛のないギャグ一つにもヒステリックに突っかかれ何故か説教され、ちょっとした愚痴を曲解され噂を真に受けられ、一方的に機嫌を損ねて無視される。だいたい、掛け声一つでいちいち躍起になってダメ出ししてくるような相手じゃ、うっかり下手な質問もできないし、最悪逆ギレしてさらに責められかねない。そうなるとどうしても自己流ででも試行錯誤してやるしかないだろう。メモを取ってたとしても、またその書き方やタイミングとかに腹を立てて逐一突っ込んで責め立ててくるのは目に見えてるよね。それでも、たとえ泣きながらでも仕事頑張ろう、たとえ怖い相手でも少しでも上手くやっていきたい、だから教えて欲しい、という後輩の気持ちを拒絶し、けんもほろろに突き放す。そんな状態を強いられていたら、誰だって萎縮する。とにかく自分のどんな一言、一挙手一投足がいつ何時どこで逆鱗に触れるか予想が付かないものだから、常に針のむしろで心身共に張り詰めて余裕が持てずかえって注意力散漫になるし言動はぎくしゃくする。従ってミスが増えるのも当然としか言いようがない。
つまり、この先輩、上司としてはもろに不適格。完全に部下を潰してさらに駄目にしている。というか、人としてもかなり問題あると思うけどな。正直褒めている人の発想が分からない。この先輩のような「ひたすら有能で正しい自分」に一片の疑いも持っていないような存在には、生理的な恐怖感すら感じてしまう。
年末になり、忙しさが減ったので、いつもは長い文章なんて書かないのですが、書いてみます。
関東の大学でのお話です。(私が今も大学にいるのか、それとももういなくなっているのかは、隠しておきます)
うちのゼミの先生と接すると、精神的に疲弊し、本当につらい思いをします。
何かに失敗してしまうと、人格や性格の問題点をあげて否定される。
常に他人の陰口を言っている。
特に、人をアスペルガーだと言って馬鹿にすることが気に入っているようで、よくその言葉を口にします。
私だけではなく、私の先輩も、後輩も、先生のそういった言動によって精神的なダメージをうけており、
同じ経験をした人たちで集まれば、よくそういった話になります。
4年間で大学を出て行く人は、まだましな方で、
大学院に入る人は、先生と付き合う年数が増えるため、より大変そうです。
一度、先生から不当な扱いを受けた先輩から、同じゼミ生たち数人にメールで相談がありました。
「先生にこういうメールを送られて、憤っていて、おかしいと思うので、以下のような抗議の返事を先生に送りつけたいが、どう思うか」という内容でした。
その先輩は非常に傷つき、怒っており、「先生に送りつけたい」という長いメールからも、その憤りが伝わってきました。
「もし、その抗議のメールで先生の逆鱗に触れてしまい、指導が受けられなくなってしまうと自分が苦労する」という結論になったからです。
当たり前ですが、先生という立場と、生徒という立場では、力関係があります。
罵倒され、人格を否定されたことに対して、言い返してしたいと思っても、
「先生に目をつけられ、指導がないがしろにされてしまうのではないか」、
「先生という立場を利用して攻撃を受けてしまうのではないか」、という怖さがあります。
他の先生や、上の先生に相談したとしても、今度は誰が告げ口をしたのか、という話になってしまいます。
先輩たちが、「あの先生とはとにかく距離を置くしかない」と言っていたのも、そういう理由があったんだと思います。
友だちや恋人に相談して、心の傷を癒すこと、とにかく忘れること、そして先生と距離を置くこと、これしかありません。
心配をかけてしまうので、親には相談できません。また、何度も友だちに相談にのってもらうと、相手も疲れてしまうので、頻繁にはできません。
この文章では、私は、先生のことを悪く言ったりしないようしています。
とにかく、ただただ、先生がこういうことをしていて、私を含め周囲の人間がつらい思いをしていたということを書きました。
そういう風に、事務的にやっていないと、なんだか汚い内容になってしまいそうな気がしたので。
先生は不幸だと思う。学生から先生へはなかなか意見を言えないからです。
僕は数年来のにわかボクシングファンだけど、年末ボクシング商戦とTBSの現状について語ろうと思う。
まず、確認しておきたいのが日本ボクシングの歴史において、現在は非常に盛り上がっている時期だといえる。
理由としては、日本の総合格闘技の凋落と日本人ボクサーの世界における相対的なレベルの向上が挙げられる。
00年台の日本格闘技といえば、総合格闘技全盛だった。立ち技系のK-1と寝技ありのPRIDEという2大団体だ。
かつてはこの2大団体が興業としても、選手のレベルも世界でトップクラスだった。そのため、年末の格闘技放送は総合格闘技+泡沫色物プロレスがメインだった。
しかし、ヤクザ問題やUFC等海外団体の台頭など色々あった結果、K-1もPRIDEも消滅した。後発団体ももはやかつてのそれほどの求心力は持ち合わせていなかった。
そして、時期を同じくして日本人ボクサーのレベルは急上昇した。
かつてはファイティング原田や浜田剛史、具志堅用高など日本人ボクサーのレベルは世界の中でもレベルが高かったが、日本人ボクサー冬の時代が訪れていた。
世界的にはボクシングチャンピオンというと、各階級ごとに4つの団体があって、その一つを保有することで世界チャンピオンになれる。
WBA、WBC、WBO、IBFの四団体で、さらに暫定王座やスーパー王者などがあり、世界チャンピオンは階級に一人ではないのだ。
冬の時代のボクサーはこのうち最も弱いチャンピオン(俗に穴王者と呼ばれる)を狙って世界戦をしていた。
それでも勝ち切ることができなかった。勝ったとしても、防衛戦が待っている。そこでも弱い相手を迎えるのだけれど、負けてしまうことが多かった。
日本人チャンピオンの数は冬の時代に比べて格段に多くなり、さらに防衛戦でも勝ち続けているのだ。
それだけにとどまらず、世界戦で強い相手と試合をすることがとても多くなった。
軽量級世界最強と呼ばれるローマン・ゴンサレスとマッチメイクをした八重樫東の世界戦は記憶にあたらしい。
それは、今の世界ボクシングの風潮がビッグマッチ思考といって、世界王者であるということよりも、実力者に勝つことが重視されることもあるだろうし、アジア人のマニー・パッキャオが世界トップクラスのボクサーとして評価を受けていることもあるだろう。
日本人の西岡利晃がメキシコでジョニー・ゴンサレスを、ラスベガスでラファエル・マルケスを破ったこともあるだろう。
なにはともあれ、日本におけるボクシングの注目度は今世紀最高であるといっても過言ではない。
さて、こうしたわけで年末の格闘技には当然ボクシングが放送されるわけだが、テレ東、フジ、TBSの3局がボクシングを放送する。
TBSが育てたチャンピオンとして最も有名なのが亀田兄弟である。
放送権をTBSが囲い込み、対戦相手は徹底的に弱い相手を選ぶ。後はキャラクターと試合前の煽りVTRで視聴率を取る。
試合は日本で行われ、判定に持ち込めば地元判定と謎の疑惑判定で有利に戦う。これぞボクシングの黒い部分だ。
しかし、亀田兄弟はやり過ぎた。日本ボクシング協会の逆鱗に触れ、日本追放された。
手持ちのボクサーが失われたTBSは新たな手駒として井岡一翔を中心とした井岡ジムの囲い込みに出た。
井岡一翔は若手の中でも実力者で、ファンの中でも評価は非常に高かった。かつては。
しかし、井岡一翔もTBSボクサーに成り果ててしまった。マッチメイクは段々とレベルが落ち、弱い相手としか戦わなくなった。
その上、弱いと思った相手が想定外の奮闘をした結果、一方的な内容で負けてしまった。なぜか判定は僅差の判定だったが。
そのTBSが、ボクシングを愚弄しているとまで言われたTBSが、年末にギレルモ・リゴンドーの試合を放送する。
これはかつて東京でマイク・タイソンが世界戦をした以来であると言っても過言ではない。スター性は別だが、傑出度とクオリティという意味では間違いないだろう。
ここでギレルモ・リゴンドーの紹介をすると、アマチュア時代にあらゆる大会で勝ちまくり、キューバから亡命して鳴り物入りでプロデビューした。スター候補としてだ。
その目論見は半分はあたった。リゴンドーはプロのリングでも無類の強さを見せ、かつて日本人ファンの期待を一身に背負った西岡利晃を寄せ付けなかったノニト・ドネアを完封した。
この一試合でリゴンドーの名は軽量級最高峰として轟いた。かに見えたがリゴンドーはスターにはなれなかった。
その試合内容があまりに堅実で、テクニカルで、盛り上がりに欠けたからである。
打たれずに打つというボクシングの本質を体現したリゴンドーの試合はその完成度と裏腹にエキサイトできないものであった。
結果的にリゴンドーはアメリカのスター戦線、ドル箱スター街道から干されてしまった。ショービジネスの悲しい側面である。
あのリゴンドーが地上波で見られるというのは恐ろしいことである。
あろうことかこの放送をスポーツバラエティ番組とバーターにしてしまう所がTBSのTBSたる所以なのだ。
井岡は名も無きロートルとノンタイトルマッチを組み、リゴンドーは名前も出ない。もう一試合にはノーコメント。
せめて井岡だけでももっとエキサイトできるカードを組めば、年末ボクシング商戦で頭一つ抜けられるところだろう。
ボクシングなんて野蛮なものは見ないというはてなユーザーに年末の注目カードを伝えておく。気が向いたら見て欲しい。
日本人最速世界王者に加え、マッチメイクが素晴らしい。強い相手としか戦わないという宣言通り、強い相手と戦い続けている。今回のナルバエスも王座11度防衛の強敵だ。
そして八重樫東。軽量級最高峰との呼び声高いローマン・ゴンサレスと戦い散るも、その勇姿はファンの心を踊らせた。回転の早い連打に注目が集まるが、フットワークを使ったアウトボクシングが光るスピード溢れる選手だ。
ホルヘ・リナレス(これ放送するのか?)は日本人に馴染みが浅いが、幼い頃から日本のジムで練習を積んでいる。ハンドスピードが早く、スタイリッシュなボクシングを展開し国内では敵なし。海外でも有力選手を退け、スター街道を歩むかに思えたが、打たれ弱いのが玉にキズ。イケメン。
そしてリゴンドーだ。天笠選手はここでいい結果を出せば一気に世界に名が広まる晴れ舞台だ。
さて、年末が楽しみですね!
私は男性の大島弓子ファンです。最近、福田里香・藤本由香里・やまだないと著の『大島弓子にあこがれて』(ブックマン社)という本を読んだのですが、収録されているやまだないとと福田里香の対談にあった以下の内容を目にしてとても悲しい気持ちになりました:
(略)
やまだ「まあ、その言葉のあとに、『少女にうまれなかったんだからあきらめな』ってのが続くんだけど(笑)。」
(略)
やまだ「私は、男の人が大島弓子をわかりたがるのはね、大島先生に対抗意識をもっているからだと常々思っているのです。」
福田「なんか、男の人の逆鱗じゃないけど、何かに触れちゃってるってこと?」
やまだ「あれだよ。「君が夢中な大島弓子より、僕は君のことをわかってる」みたいな、「ほら、君って、こういうことを考えているだろう?」「僕が本当のことを教えてあげよう」って。ああ、大きなお世話(笑)」
なんというか・・・とても悲しい気持ちになります・・・。ポリティカル・コレクトネス的にどうかという問題は措くとしても、そもそも「大島作品についての語り」としてこれはとても悲しい気持ちになるんですよね。。
まず思うのは、特にキャリア後半の大島作品(『綿の国星』後の『ロングロングケーキ』あたり以降)は、もう作品の内容自体として読者の性別がどうのという類の物語ではないように思うんですよね。これは真摯にやまだないとと福田里香に問いただしてみたいのですけど、例えば、『夏の夜の獏』『つるばらつるばら』『毎日が夏休み』『ロストハウス』『グーグーだって猫である』等々の素晴らしい作品に心を打たれることにおいて、読者の性別とかが何か関係あるんですかね?
また、もう少し以前の例えば『バナナブレッドのプディング』だって、自分のセクシャリティをうまく受け入れることができていないような読者(私もそうでした)にとっては、性別に関係なく、この物語にひどく心を打たれるところがあるでしょう。(まさかやまだないとと福田里香は全ての男性が自分のセクシャリティを素直に受け入れることができているとおもってるんじゃなかろうな)
それにさ。
私が大島弓子作品を愛しているのはその世界に「自由」があるからなんですよね。本当は「年齢」なんて関係ない(『夏の夜の獏』)、本当は「性別」なんて関係ないし「時間」さえも関係ない(『つるばらつるばら』)、本当は「学校」なんて関係ない(『毎日が夏休み』)、本当は「家」なんて関係ない(『ロストハウス』)、本当は「人間」か「猫」かなんて関係ないし「飼う/飼われる」の非対称性も関係ない(『グーグーだって猫である』)、といったように、この世界の通念を「本当は〇〇なんて関係ない」と突き崩した先の「自由の輝き」が大島作品にはあるんですよ。
そして、大島作品を大島作品たらしめているのは、その「本当は〇〇なんて関係ない」という「自由」の輝きと、その「本当は〇〇なんて関係ない」と突き抜けた先で(のみ)生じる「ひとつの生きもの」対「ひとつの生きもの」の関係性におけるある種の「フェアネス」の美しさなんですよね。
で。その大島作品に存在する「自由」の輝きと「フェアネス」の美しさに照らし合わせるとですね、やまだないとと福田里香の「男の人は大島弓子をわかりたがる」という一連の揶揄に含まれる「自由」と「フェアネス」さの欠如には、本当に、とても、悲しい気持ちなってしまうのです。
なんか本当に悲しいんですよ私(ちな来月昇給)
最近では騒ぎになることは少なかったのだが、つい先日また事件が起きたようだ。
そのコンビニには「伝説の立ち読み」と呼ばれる人間が出没する。
彼の立ち読みを妨害した人間は生きてコンビニをでることはない。
店の喫茶スペースも彼が出没するであろう夜10時以降は利用者も少ない。
以前喫茶スペースでワイワイやっていた若者が立ち読み中であった彼の逆鱗に触れ、その場で血祭りになったのだ。血の量もハンパなかった。
今回の事件はそんなことも知らずにワイワイやっていたよそ者が犠牲になったらしい。
あまりにも酷かったため店長が止めに入ったらしいが、その後店長は救急車で運ばれていった。
その間は店長の奥さんがなんとか店番してたようだ。
http://contest.japias.jp/tqj2004/70237/k/gekirin.html
逆鱗ってこれであってるの?
たとえば逆鱗が、人間で言う脇腹のようなものならば、確かに触られてキレるのもおかしくないが、
脇腹を「ぶち抜かれ」たら、それはもう怒るとかそういうレベルの話ではないだろう。
ゆっくり剥がすと痛いけれども、一気に剥がせば逆に痛くないかもしれない。
鱗をぶち抜かれたら逆鱗でなくてもぶち切れるだろう。
馬鹿な造語()を使った途端に、言い訳を何度も書き込んでて必死だな。逆鱗がぶちぬかれた()の?
意味不明な使い方してたら、すぐ分かるのは意味不明な使い方してる本人だけだよ。
そんなことも分からないから気が触れてるって言われてるんだよ?
逆鱗の意味を知ってても「逆鱗をぶち抜く」なんてイミフな表現出てきたら違和感を持つに決まってんだろ常識的に考えて。
それを必死こいて「逆鱗を知ってれば~」とかいう論点そらしだけじゃんお前の言い訳。
普通使われない意味不明な使い方をするのは「砕いてる表現」とは言わないんだけど。馬鹿なの? どこまで低能なの?
突然意味不明な日本語言い出して「伝わるはず」とかなに相手に甘えて勝手にほざいてんのキモいわ。アスペとか自己紹介か? 鏡を見ろよド低能が。
ぱっと見なんだけどスカトロとか自意識で規制基準を設定したり抑制できたりするもので不可欠でないものと、
法律などでまぬがれぬ抑制からストレスに苛まれるものとわけてるようにみえた。
自分でなんともできない外的要因などによる抑圧にさらされるストレスの原因となるものは疾患とみなすような雰囲気かな。
その疾患によって発露する問題や障害の具体的な損失は、キレる癇による第三者などへの問題行動とかストレスによる身体異常とかになって
それを予防するためなどの対策を考えてみるべきとかそういう感じ?
そこで不思議におもったんだけど、自分でどうしようもない外的要因って法律とか世間体とかだけじゃないもあるよね?
たとえば親友だとおもってたに裏切られたとか、姑にカレーを捨てられたとか、好きなアイドルの後追い自殺とか、小さなブラックホールができるかもってニュースに絶望するとかみたいな。
法律とか生きていく上で生死に関わる判断に大きく関わる抑制って、個人での大小が大きくない?
◯◯できたら死んでもいい、◯◯でなければ殺す、みたいなのってどこで発生するかわかんないよね。
ある程度予知できる範囲を危険として分けるのもいいけどさ、結婚生活何十年目かで同性愛だったことを告白して離婚するとかって例もないわけじゃないじゃない?
スカトロ好きで三度の飯ほど大好きな人がいたとして、その人の嗜好に沿う発言をしたつもりがTPOで逆鱗に触れ事件を起こしたとしたら、何からどこを問題性として司法や関係者、環境への対策に取り上げるべきかわからないよね。
そのまったく逆で、一般人だとおもっていた人間が嗜好に傾倒し、その結果それに関係する行為から事件をおこしたとしたら、嗜好は感染性の精神疾患であるとかいう見解も示してくる人がでてくるかもしれない。
すると存在するだけで悪みたいな見方をする人もでてくるかもしないし、嗜好は同意のある人間だけが集まる空間で消費されるべきものとかが理想とされるかもしれない。
ファンの女の子とデートしちゃったら未成年だったロリコンだロリコンは病気だ治療しなきゃ、じゃあ治療の結果はどう発露するんだろうかといえばそんなものはない、一生保護観察イコール一生ロリコン治療中、とかありえるかも。
みたいな感じで、個人のリミットを広い義にあてはめると、今度は広義が個人に分けて定義されなきゃいけなくなるようなパラドクスを含んでいるようなきがするんだけど。
別段、こいつは悪いとおもった事に石をなげつけろ!とか提案してみたり、こういう部類はこう分けることができると判断してみたりするのはいいとおもうんだ。
そう思考することで仮想の庭にあるべきものと、破綻・矛盾しているところ、組み立てているうちに完成するものもあるよね。
まとめて「人の限界って趣味とかの程度でもブチ切れて反社会的行動にでる場合も可能性ゼロじゃないよね。これは病気に含まない?」なんだけどどうかな?
可逆的な話じゃなくて、あくまで性的でかつ社会的に救済の余地がせまい事に関してのみだったら、むしろその趣味がその人の人生の何割を占めているのか、またはその嗜好で犠牲になる社会的要因は規模として各個人の嗜好を抑圧したり社会への直接関与に何らかの干渉をもつべきって話なら別にいいんだ。
実際ロリータはどんな価値が今現在にあるかは問題外として、ロリコンになってしまったおっさんの命よりは確実に重くて年収何千万のおっさんでもロリコンだったら社会的に価値がないしみんなから病気だとか死ねって言われる、は健全な社会学的な知識人の見解だったとしたらそれはそうなんだろう。
それはそういう話題についてのみ深く考察したくなったって時のものもあるだろうし。
時間があったら一度考えてみてほしい。
一緒に住んでる人がずっと休日も平日も休み無く働いてて、帰りが遅いので待ってたら「規則正しく生活してよ!」と怒られた。
確かにそりゃダメだと思って、納得して早寝早起きし、洗濯したりお弁当つくったりしたけど…
起こしてと言われた時間に起こしたところ、やっぱり「身体が辛くて、起きられない」状態に。
身体が動かないくらい血圧下がってる感じで、睡眠時間も知る限り4時間以上寝てない。
「今日は休めば?」と話しかけて、超怒られた。いや、そりゃあそうなんだけど、どうしようもできないよ。
なんだか、毎回「怒らせて起こしてる」状態なのでホントに申し訳ないし、「私サンドバッグになってない?」とか思ってしまう自分が情けなくて嫌になるし、辛そうで見てられん。
どこに相談したら良いんだろう。
そうなんですよね。全く余裕がないんです。本人も余裕無い!宣言しているし、業務への責任感でむち打っている感じです。
最近急に昇進したそうで、立場上難しいのかもしれないけど、セルフケアの発想が足りないんじゃないかと思います。
つたえても、「無理!!」つって逆ギレ(じゃないか、キレるのも当たり前か)されそうで凹むんですけど。ひつこく言っていくしかないのかなと思います。
私に全く落ち度がないという事ではないので、サンドバッグ化してても仕方ないし、そこは反省してるんですが、このままじゃ過労死待った無しですよね。
[付け加えて~個人的なこと]
本人も、家では「つらい、無理、もうやだ」と口に出してます。私も、心配しかしてなくて、顔が見たいから帰ってくるまで待ってたり、帰って来る時間に合わせてごはん作ったりしてました。
数年前に入社してから、ずっと22時前に帰ってくることが希で、更にじわじわ労働時間が増えてる気がします。
なので昇進したと聞かされたとき、背筋が凍りました。
一緒に住んで約半年くらいですけど、ここ最近「行動が効率悪すぎて、手伝う気がしない」とか「ごはんがおいしくなさそう」とか「おふろの掃除くらいしてよ」とか言われる事が増えました。確かにおっしゃるとおり!とかなってケンカしてました。
掃除はさぼってたけど、ちょっと、指摘が細かいんですよね。理詰めで攻められる感じ。けっこうつらいです。
私が冷静に見えるのは、短時間アルバイトしてて時間的に余裕があるからなんですけども、泣き癖があってですね…それで、だいたいのストレスは解消されるわけです。
泣いてるところ見せてしまうのも、相手のストレスになるんで…とか、思ってますが、我慢できませんけども。元気です。
[プリントアウトの件]
相手も実は、はてなユーザーなのでURL送って、、もいいのかな…今は逆鱗に触れたらどうしようとか思ってためらってしまうh。
最近、秋葉原界隈の企業や店舗に、以下のような文書が出回っている。
さて、当社は、昭和37年からJR秋葉原駅前に地上8階建てのビル「秋葉原ラジオ会館」(通称:「ラジオ会館」)を所有し、ビル賃貸業を営んでまいりました。
平成23年6月、当社は第三者のご要請を受け、当該第三者が中心となって新設した別会社「株式会社ラジオ会館」(東京都千代田区外神田一丁目2番13号、代表取締役篠原弘美)に一部出資をし、以後、同社に対して当社の登録商標である「世界の秋葉原ラジオ会館」「秋葉原ラジオ会館」「ラジオ会館」「ラジ館」などの名称を使用して商品を製造・販売し、電子商取引をすることなどを許諾する商標権使用許諾契約を締結いたしておりました。
しかしながら、当社は、このたび事情により、平成26年1月21日をもって「株式会社ラジオ会館」との間の上記商標権使用許諾契約を解除いたすとともに、直ちに上記当社登録商標の使用の禁止を同社に通知いたしました。
つきましては、もとより当社(「株式会社秋葉原ラジオ会館」)と「株式会社ラジオ会館」とは全く別個の法人ではありましたが、上記商標権使用許諾契約が終了いたしましたことをご通知申し上げ、当社と「株式会社ラジオ会館」とを混同されることが今後もございませんようご留意いただきたくお願い申し上げる次第です。
当社は、現在、上記ビルの建替工事を実施しており、お取引様及び関係者の皆様にはご迷惑をおかけしておりますが、7月20日グランドオープンの予定ですので、今後ともよろしくご交誼の程お願い申し上げます。
まずは取り急ぎ用件のみにて失礼いたします。
一部の人間は「秋葉原に流布された怪文書」として楽しもうとしているが、これは誰かの陰謀でもなんでもなく、秋葉原に四半世紀以上に渡って居を構え、秋葉原好きなら誰もが知っている「秋葉原ラジオ会館」の所有会社「株式会社秋葉原ラジオ会館」から出された正式な通達だ。
この文書から分かるのは、ここには、長い歴史を持つ「株式会社秋葉原ラジオ会館」(以降、本家とも呼ぶ)と、3年前に設立された「株式会社ラジオ会館」(以降、分家とも呼ぶ)の二つの異なる会社が存在し、今年の頭までは本家が分家に対して商標権使用許諾を与えていたが、これが解除された、という状況と、どうやら本家は、分家の行っている活動を「迷惑」だと感じているようだ、ということ。
今月、「ラジオ会館」は建替工事を終了し、7月20日にはグランドオープンを控えている。何故この状況で、上記のような通達がなされたのかを考えてみる。
文書にもある通り、今から52年前の1962年、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原最初の高層ビルとして秋葉原駅前に誕生した。
詳細な経緯は要望があれば書くが、秋葉原の古いイメージである電子部品屋のメッカ「秋葉原」は、戦後の混乱に乗じて乱立した多様な露店の集合体、いわゆる闇市の延長線であった。この集合体には、他の類似する地域コミュニティと同様に、日々発生する様々な面倒事を解決するために不可欠な「元締め」という存在が必要だった。この物理的な力を持つ「元締め」と、金銭的な力を持った、ある「資産家」が出会い、GHQが露店の排除命令を出して限界を迎えていた秋葉原を、今度は「縦」に展開する秋葉原初の高層ビル「ラジオ会館電化ビル」構想が立ちあげられた。これが「秋葉原ラジオ会館」の歴史の始まりである。
ちなみに、ラジオ会館と言えば、周囲の景観を損ねるとまで言われつつ秋葉原の顔として定着した巨大なネオン看板が有名だが、あれは2001年8月に初めて設置されたもので、同8月に、有名な「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレート設置も行われた。ラジオ会館の歴史を語る上で重要なアイテムだが、その長い歴史の中では二つとも比較的新しい部類に入る。
そして、設立から50年以上、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原に在り続け、ラジオ・無線、パーソナルコンピューター、アニメ・フィギュアの興隆と、日本の文化成長に合わせて目まぐるしく変わっていく秋葉原に、時には保守的に、時には攻撃的に対応し続けて来た。多くの秋葉原ファンからは、「今の秋葉原を凝縮している」「秋葉原に来た際はまずここに来る」という評価を得て、今現在でも秋葉原を象徴する必須の存在となっている。
しかし、秋葉原ブランドの最たるもの、という評価も受けながら、本家「株式会社秋葉原ラジオ会館」は、賃貸業者以外の何者でもなかった。日本のポップカルチャーが世界から注目され始め、アニメ、ホビー商品が溢れる秋葉原が「ポップカルチャーの聖地」と呼称されるようになっても、秋葉原を象徴する存在である「ラジオ会館」は、ただそこに在り続けるだけだった。
そこに目を付けたのが、上記文書に「第三者」と書かれている人間だった。
当初、「第三者」は別の目的で本家にアプローチしていた。その目的は、老朽化したラジオ会館ビルの建替工事の受注だった。ラジオ会館ビルの建替の必要性は、実は、ある理由で相当昔から発生していたのだが、ここも詳細は省く。しばらくして「第三者」は、本家からの依頼を受け、ラジオ会館のテナントに対し、ビルの老朽化を理由に退去要請を始めた。2010年9月には、一部マスコミによって、老朽化を理由にした「ラジオ会館」の建替工事計画が報じられている。
さて、不動産関係者なら分かるが、不動産の業務の中で最も難しい部類に入るのが、こうした雑居ビルのテナントに対する退去要請である。ビルの建替工事には付き物の業務だが、様々な状況にあるテナントの説得には、非常に高いスキルが必要だ。昔、バブル期に暗躍した地上げ屋が起こした様々な事件が、その難度と複雑さを物語っている。一時引っ越し先にいくら良い物件をあてがっても、急な変化に対応するにはテナント側に手間と時間はどうしてもかかってしまう。それが何年もの間、そこに店を開いてきたテナントなら尚更だ。退去要請に全く応じないテナントに「第三者」は頭を抱えていた。
しかし、2011年3月11日、14時46分18秒、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生。
東北で発生した地震にも関わらず、都内の古いビルにも結構な被害が発生する。秋葉原ラジオ会館の柱や壁にも大きな亀裂が入った。それでも、実は、ラジオ会館が受けた被害は、緊急建替が必要なほど大きなものでは無かった可能性が残されている。いずれによ震災被害という大義名分は、「第三者」のテナント退去要請に弾みを与えた。壁に入った大きな亀裂と、それを補強するように貼られたべニア板でさらに誇張された「被害」を見せられ、残っていたテナントは退去要請に続々と応じていった。震災の翌月、2011年4月16日には、ホワイトボードにお別れメッセージを残していく「ラジオ会館さよなら!!ウォール」イベントも開催された。
そして、様々なテナントとの話し合いを通じ、「第三者」はある構想を固めていた。
実は「第三者」は過去、アニメやマンガ、フィギュアなどの文化に一切触れたことが無く、秋葉原という街、そして、秋葉原を訪れる人々を深くは理解してはいなかった。ここも詳細は省くが、「第三者」は、テナントの退去要請を続けている際、大量に売れるフィギュアや書籍、異様な熱気を帯びた各種イベント、街中を闊歩する奇妙なオタク集団などに触れ、ただただそこに「何か物凄い力」を感じていたようだ。これは、秋葉原初心者が最初に必ず感じてしまう「アキバ熱」のようなものだ。過去、「アキバ熱」に触れたビジネスマンたちの中には、これをコントロールして金を生み出そうとチャレンジする者が何人もいた。そして、殆どの人間が失敗してきた。その姿は、熱によって生まれる蜃気楼に戦いを挑む滑稽な道化師と同じだった。秋葉原の住人達は、そうした道化師が発生する度に、冷やかな視線を送っている。
話を元に戻そう。ある時から「第三者」は「ラジオ会館は金になる」と考え始めるようになっていた。
ひとつのきっかけは、ある有名企業の代表が冗談で発した言葉にもあった。
「建替工事が終わって新生ラジオ会館が出来たら、しばらく入場費を取っても良いぐらい注目されるはずだ」
そして、イベントで集まったラジオ会館ファンの感動的なメッセージ群。
そして、閉店セールに集まって来た大量のオタクたちと、飛ぶように売れて行く在庫。
「第三者」は、退去要請の傍ら、ラジオ会館のブランドを使ってビジネスを始めるべく、本家の説得を始めていた。
東日本大震災から3ヵ月後の2011年6月、分家である株式会社ラジオ会館が設立された。
初期の株式会社ラジオ会館を構成したンバーについては省略する。ただひとつ言えるのは、「第三者」はビジネスを成功させるべく、様々な分野から実績のあるプロフェッショナルを引き抜いて来たらしいのだが、役員を筆頭に、殆どのメンバーが、アキバってどういうところ?オタクって気持ち悪い!みんな結局は金儲けがしたいだけでしょ?という、いわゆる秋葉原的な人間とは相反する人々だったようだ。「第三者」には、ラジオ会館、そして、秋葉原の一体何が人を惹きつけるのか、重要な部分への理解が欠けていたように思われる。
株式会社ラジオ会館は、設立後、様々なサービスの展開を始めている。ラジオ会館のテナントを中心にしたECモール「ラジオ会館オンライン」、フリーマガジン「ラジ館」、ニュースサイト「ラジ館プレス」などなど。大抵のプロジェクトが「第三者」の思いつきで始まっていたらしい。中には評価すべきものもあるが、ここでは詳細を紹介しない。
さて、設立から数年、株式会社ラジオ会館内部では様々な試行錯誤が繰り返されていたようだ。イベント企画や大型LEDビジョンの設置と声優番組企画など、華やかな企画も定期的に実施されていたが、売上は低迷していたらしい。そして、その予算の殆どは、本家である株式会社秋葉原ラジオ会館から出されていたらしい。
「第三者」は、「ラジオ会館」という印籠を使い、ビジネスを拡大し続けようと画策していた。短絡的な企画の中には、株式会社ラジオ会館が中心となって秋葉原店舗をまとめ、一大ネットワークを作ろうとしていたものもあったらしい。その中身は、会員になって分家の言うことを聞け、というお粗末なものだったらしいが、我々はラジオ会館だから秋葉原のみんなは言うことを聞くだろうと「第三者」が考えていたことに少し寒気を覚える。さらに、本気で新生ラジオ会館で入場料を取ろうとしていたらしく、その企画が本家の逆鱗に触れた、という話も聞いた。一向に上がらない売上、増え続ける予算、ブランドを利用した強引な営業、荒唐無稽な企画、本家が怒るのも無理は無い。
秋葉原界隈の人々には、香ばしい噂も流れている。ある企画で生じた損失を無関係の人間に補填させようとしたり、何度も支払遅延を繰り返したり、社内では秋葉原の店舗やオタクへの悪口のみならず、ラジオ会館のテナントの悪口まで言い合っている等など。最近では、本家との契約解消に伴い「本家が営業を邪魔している」などの暴言まで出ているとの話も聞いた。一応書いておくが、これらはあくまで噂だ。しかし、そうした社風に嫌気がさし、今年に入って大量に人材が辞めたという話も聞いた。
そして、今年に入って、ラジオ会館の仮囲いを使っていた広告枠営業は本家管轄に移行、3月にはラジオ会館1号館に設置されていた大型LEDビジョン「ラジカメVISION」が撤去され、事業の核とされてきたECモール「ラジオ会館オンライン」は今月7月末で終了予定となっている。残るはフリーマガジン「ラジ館」とニュースサイト「ラジ館プレス」。そんな折、本家から出された契約解除の通達は相当な痛手に違いない。
何故、今年の1月に契約が解除されても、依然として株式会社ラジオ会館は「株式会社ラジオ会館」であり、フリーマガジン「ラジ館」やニュースサイト「ラジ館プレス」は、その名前を使い続けているのかというと、「ラジオ会館」や「ラジ館」は確かに商標登録されているものの、社名は同意の下で命名された経緯があり、フリーマガジンとニュースサイトは商標区分が異なっているので問題無いそうだ。また、裁判沙汰になっても係争中は名前を変える義務は無い、とのこと。
そうした状況を踏まえ、本家は7月20日の新生ラジオ会館のグランドオープン前に、どうしても公私ともに関係性をクリアにしたかったのだろう。
通達も出たことだし、未だに株式会社ラジオ会館を、秋葉原の老舗のラジオ会館だと思ってお付き合いしている店舗さん、企業さんは居ないですよね?
以上、伝聞と類推だらけだが、株式会社ラジオ会館について、でした。
「音楽に限らず、すべてのエンタテインメントは子どもの為に企画設計されている。大人が対象では無い」
レコード会社でプロデューサーなんかやっているとこんなひねた考え方になるのかと驚く。中学時代はもう少し素直なやつだったと思っていたのだが。
それとも、近所の居酒屋で突発開催される30代のプチ同窓会みたいなやつは、仕事の話になるとだいたいこんな空気になるものなのだろうか。
今では三児の母(双子の出産を含む)のにぎやかなタイプだった女子が、「ちょっとー、最近日本の音楽って元気がないんじゃないの?」と言った。それが彼にとっては逆鱗らしかった。
彼女もずいぶん攻撃的だ。酔っているんだ。
「意見は別に良いだろ。ただ、エンタテインメント業界の人間が建設的と判断する意見は、子どもの為になるかどうかだと主張しているんだ。日本の音楽の良い曲がないというのが子どもの為の意見なら建設的だと思う」
「でも、子どもにエンタテインメントコンテンツを与えるのは親でしょう。間接的なものも含めたら大多数がそうじゃない。その親の主観を軽視するってのはーどうなの? だいたいあんた子ども子どもって子どもいないじゃない」
「別に軽視なんかしてないよ。子どもの為になるなら聞くもの。あと、子どもいないやつは子どものことを考えるなって言ってるならいろいろ言い過ぎじゃないかと思うが」
「私だってそんなことは言ってない。ただ、子どもを持つ親からすれば、大人の意見を聞き入れるのが建設的じゃないという主張はナンセンスに感じられるし、そんなナンセンスな主張をしている人が多いのがエンタテインメント業界なら、そりゃ廃れるわってなっちゃうわけ」
「大人の意見だって聞くって言ってんだろ。あと、子どもの中でも主に10代な。少なくとも多くの日本の音楽は10代を対象にしているんだよ」
「10代だって一緒よ。反抗期に買う音楽なんて、親の主張の単なる真逆じゃない。それも含めて間接的って言ったわけ。あのね、あんた親になるといいよ早く」
「それな、お前の子どもがもう10代ならリアリティがある意見なんだけどな」
「ムカつく!」
30代にもなるとみんな正確にエンタテインメントって言えるんだな。そうだよな、ニルヴァーナ世代だもんな。とか思いながら、トイレに向かい、いろいろ考えてみた。
レコード会社の人間からみて、対象が子どもだと言い切る理由は分かる。その対象相手に儲け続けた経緯なのだろう。
しかし、今は、下記のようなめっちゃニッチな音楽を作り続けている人たちと、ネットを通じて出会うことが出来る時代だ。
Bitplane - 恋は、Sensation (feat. Hatsune Miku)
https://www.youtube.com/watch?v=IelOdS6GmtI
https://www.youtube.com/watch?v=DbMT7kyf4NY
https://www.youtube.com/watch?v=DC07uizKL00
こうした音楽がアップされ続けるネット音楽事情に触れて、日本の音楽が元気がないとは思えない。むしろ元気になっていると言っていいだろう。
なぜならば、音楽産業ではなく、音楽という土台から考えるなら、売上規模を音楽の元気性の指標に入れるべき正当な理由がない。音楽の元気性を示す指標は純粋に創造頻度と発表頻度と視聴回数で捉えるのが自然だからだ。
だって、シェイクスピアや万葉集の頃の音楽が元気ではないと言えるか?という議論に誘導したら俺の完勝だろう。彼は資本主義前提の時点で視野狭窄に陥っているんだ。
また、こんな音楽、対象が子どもな訳がない。親の影響なんてあんまりない。だってこれ聴いて喜ぶやつの口元には必ずヒゲがはえている。
ヒゲにも親の影響とか言い出したら、全ての人間は死ぬまで少年法の庇護の範疇である。暴論だ。
従って、二人ともまったく違う。
争い事の原因が誤解だと分かれば楽しいプチ同窓会に戻るはずだ。そう結論付け、論駁してやろうと決意を固めた。ダメだダメだ。お前らはぜんぜん分かっていない。と。この素敵な動画をお見せしながら論駁してやろう。と。
登場から20年、事件から10年がたったためカミングアウトしたい。
ぷよぷよ通という落ゲーがある。1994年にアーケード版で登場し、特に家庭用ゲーム機で普及し、特に対戦が面白くハマった人も多いと思う。そんな中、スコアアタックという少しマイナーである楽しみ方があった。
かつて「ゲーメスト」という雑誌があった。既に廃刊したが、アーケード版ゲームを対象にしたハイスコアランキングが熱かった。1994年初回時にぷよぷよ通の全国一スコアは67万点だったが、10年後の2004年には142万点となった。私の記憶によればこれが最終のスコアであり、さらに10年たった2014年、未だに誰も公式にこのスコアを超えてはいないと思う。
このスコアを記録したのが水無月愛理氏である。彼は、ぷよぷよ通だけでなく、初代ぷよぷよも280万点で全国一、ぷよぷよSUNも170万点オーバーで全国一と、確か3冠だったと思う。驚異的だった。
ぷよぷよ通で全国2位とされていたのが、MYK氏だった。135万点。そんな状況下でこんな事件が起こる。
2004年にある動画がWeb上で発売された。ぷよぷよ通で151万点の動画だ。スコアラーの名前はERI。この動画がきっかけで、
『水無月愛理氏の全国一スコアが、事実上淘汰され、ぷよ通スコアの歴史から抹消される』
という事態となった。今でもその状況はおそらく変わっておらず、MYK氏の135万点が全国一ということになってしまっているようである。
物議をかもしたこの151万点の動画は、アーケード版ではなくメガドライブ版である。しかし設定が「マージン無し」という、ノーマルではなく設定調整がされたものであった。これがMYK氏の逆鱗に触れた。全国一プレイヤーが設定調整をしてプレイするとは何事だ、アーケード版の142万点自体が不正によるものではないかと。
である。水無月愛理氏は全く関係ないのである。この動画をプレイし、発売したのはこの私だからである。
この動画を購入したのはたった1人である。MYK氏ではなく、イニシャルで言うとN.I氏(横浜市)である。彼はスコアラーではないそうだが、後に購入した動画をMYK氏、ひげぷよマン氏と鑑賞し、今回の事件が勃発することになる。
この動画を見た全国2位のMYK氏は冷静さを完全に失っていた。ERI氏と水無月愛理氏が別人であることを見抜けなかった。そもそもこの動画が「動画編集による加工が入ったものである」ことすら見抜けなかった。動画を見ていない服部崇氏ですら、ERI氏と水無月愛理氏が別人であり、動画編集によるものだと、早々に断定できていたのに。
MYK氏は以下2通のメールを、販売した私に送ってきている。
■1通め
お久しぶりです。MYKです。2年ほど前に池袋の田中さん宅で集まった時以来でしょうか。さっそくですが、メガドライブにおける151万点プレイを見させていただきました。私自身長年ぷよ通のスコアを追い求め続けただけに151万点という点数の高さは圧巻で、その話を聞いたとき、そしてそのプレイを拝見させていただいた時は非常に感動いたしました。
しかし拝見した動画にはあってはならない事が映し出されていました。それは「マージンタイム設定」を変更しているという事実です。もちろん私も長年ぷよぷよ通をプレイし続けて来ました。設定の違いは設定画面を見ずとも明らかにわかります。この事実を知ったときは信じられないと同時に非常にショックで残念でした。(以下略)
■2通め
ERI様
MYKです。お忙しい中、迅速なメールの返答をいただき大変ありがとうございました。また丁寧な対応をしていただきとても感謝しております。まず、私の「ERI」様と「水無月愛理」様が同一人物であるという思い込みからあのような文章を勝手に送りつけてしまったこと、そしてその文章で気分を害されてしまったであろうこと、大変失礼致しました。深くお詫び申し上げます。 またこのような形ではありますが「ERI」様という一流のスコアラーに出会えて私も同じゲームをプレイする一人のスコアラーとして大変光栄です。(以下略)
一見、自らの誤りを認めたかのように見えるが、どうも10年たった今どのような状況になっているかというと、
『水無月愛理氏は不正スコアラーで、アーケード版142万点は無効。全国一はMYK氏。』
のようだ。
MYK氏の影響力は大きかった。ぷよ界でも彼の名はかなり知れ渡っている。それに対し水無月愛理氏はスコアアタックだけの人であり、影の人であった。影響力は無いに等しい。今のこの状況は、この時の事件がきっかけになっていると思う。
・あわよくば水無月愛理氏の動画と見せかけ、売上をあげたいからERIと名乗った
という当時の思惑があった。しかしこれが結果的に水無月愛理氏が歴史上から抹消されるような結果となった。当時このような状況になるとは想像もできなかった。
今更ながらだが、この事実は誰にもしゃべったことが無かったため、「真実」が誰にもわからなかったのだと思う。誰かがこの書き込みに気づいて、「真実」に気づいてくれれば幸いと思う。
落ちる原因は、最初は受け答えの内容が甘いとか、コミュ症寄りだから面接に慣れるまで時間かかるのかなと考えていた。
しかし、どんなに話す内容を練習したとしても、一字一句を覚えたとしても、あるいはキーセンテンスだけを覚えてアドリブで話すようにしても、全て普段喋るより数段吃るし突っかかってしまう。
何度受けても一向に改善することはないため、流石にこれは何か他の原因があると思い突き詰めたところ、自分の幼少期の育ち方に思い当たった。
自分の母親はいわゆる毒親であり、家庭内で自分のルールを定めそれに従わないと従うまで怒ったり説教したりするタイプだった。
小学校の頃は1度逆鱗に触れると30分~1時間の説教はザラにあり、泣いて謝るまで続けられることもしばしばあった。
母親に従わないと長時間の説教が待っているので、常に親の顔を伺って怒られないようにしながら青年期まで生きてきたように思う。
その毒親の呪縛自体には高校~大学辺りで気付くことができ、今はそれを自覚することで自己否定感による生きづらさは多少なり薄れている。
が、このような育ち方をしたため人の顔を常に伺い、納得してもらえる当たり障りのない行動や発言をする癖がついてしまったように感じる。
特に初対面だと、「正しい行動をしなければ嫌われる」という考えを強迫観念的に持ってしまい、こちらの当たり障りのない発言が相手にとって精神的距離を感じたり、せているのではと思った。
そういえば研究室でも今でこそ指導教官とはそれなりに話せるが、最初の頃は上手く話せず「日本語が通じない」と言われていた。
初対面の人とそのような感じに接するもんだから、面接官にも「何かまずいことを腹に隠しているのでは」とか「この人とは仲良くやれそうにない」と思われ、このことが落ちる原因に繋がっているのだと思った。
勿論、仕事において交友関係が広い人やすぐに他人と仲良くなれる人が有利なのは分かるし、そのような人から優先的に選ばれることは不当とは思わない。
が、だからと言って自分の就活を諦めることは出来ない。何とかしたい。
面接官と近い年代のオヤジと喋れるキャバクラがあればそこで訓練したいとさえ思う。
どうしたもんかね。