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はてなキーワード: 誰かのためにとは

2016-07-30

自分人生を生きられない

自分人生を生きろと言われてから3年。今年三十路独女

今まで誰かのために生きてきたつもりはなかったが、自分存在肯定するには他人評価必要だった。

誰かに優れていると評価されると安心した。自分社会にいて良い存在なのだと実感できた。

しかしそうやって生きているといつも他人の目が声が耳が気になり自分らしさというものになど向き合うことがなかった。

他人評価というもの勝手に振り回されながら生きて、それを脱するべく自分のために生きるということに意識を傾けてみた。

そこで気づいたのは自分なんて生きる価値がないと否定し続ける己の心であった。

まりに強烈なそれに自分のやりたい仕事をしてみたり趣味に没頭したり恋人を作ったりしてみたがやはりダメみたいだ。

私はどうしたら自分のために生きられるのだろうか。

他人依存せず、自分価値観をもって、この自己否定から逃れられるのだろうか。

自分のためと考えてみたら社会実現も何もかもあまり重要ではなかった

鎖が外されたような思いだ。皆そんなに自分のためになんて生きられるのだろうか、

こんなに孤独なのに

2016-07-26

相模原の件、裁判精神鑑定してほしくないと思う理由

相模原市事件

痛ましすぎる。

多少障害者福祉に関わる者として、これだけは吐き出さなくては、悲しすぎるので、増田で書こうと思います

加害者と、将来その弁護をするであろう弁護士の方へ。

無理を承知でお願いします。

極刑回避ロジックとして、加害者精神疾患障害であるとの主張をしないでください。

論理言葉を尽くして司法の裁きを受け(たとえそれが不完全な司法であろうとも)、妥当な罰を受けてください。

もし、今回の加害者が、精神疾患障害)で責任能力のある/なしが問題になると、結果的障害者雇用の大きな受け皿が失われるんじゃないか危惧します。

具体的には、精神疾患などの既往歴のある者は、今後福祉施設で働けなくなる可能性がある、ということです。

今回の事件を再発させないために、今後どんなこと対策が考えられるでしょうか。

建物を頑丈にする?

設備基準

人員基準

警備員警官の常駐や巡回

それもそうかもしれません。

でも、手っ取り早い答えは、「精神疾患障害)既往者を雇用しない」。

もちろん、障害者差別禁止法に抵触するので、公には主張できないでしょうけど。

以下の資料を見てください。

平成 27 年 障害者雇用状況の集計結果

http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11704000-Shokugyouanteikyokukoureishougaikoyoutaisakubu-shougaishakoyoutaisakuka/0000106111.pdf

その9ページ目。

「(4)産業別雇用率」では、医療福祉分野が2.30%と圧倒的に多くなっています

障害者雇用する業界として、医療福祉分野は断トツに多いんです。

これはどういうことなのか。

福祉を利用する障害者社会復帰としての就職就労という言葉を使います)を考える際、高い確率医療福祉業界を志すことが多いのです。

もちろん、社会人として働いていた方は元の職場、業種に戻りたい方が一番ですが、次に多いのが

「今度は自分ケアする側に回りたい」

と考えることです。

自分が苦しんだ経験誰かのために活かしたい」

福祉ケアを受けた人がそう考えるのは、ごくごく当たり前のことです。

でも、大体の人は、福祉施設には就職せず、別の軽作業や清掃などの仕事就職していきます

福祉世界で働きたい、という希望を受け取った場合、私は、こんなことを話し始めます

「それは素晴らしいことです!」

「でも、現実には、厳しい仕事である

あなた経験した苦しみは他者経験している苦しみとは違う。だからあなたが味わった苦しみで他の人を理解したり、助けたりすることはできない。どうしてもというのなら、まずあなたが学ぶことから始めなくてはいけない」

「きついことを言うけど、自分より苦しい人を見て優越感を持ちたいだけではないか?」

もちろん時間をかけて、何度も何度も説明します。

話をしたうえで、覚悟も持って勉強に取り組み始める人、

自分との対話を経て、違う職種検討してみるという人、

どこまでも平行線の人

さまざまな人がいます

それぞれに違う言い方、話の進め方をしてみたり、現実体験させてみたりなど、試行錯誤を行います

よくよく考えればわかることです。

どんなハードな手術や病気を乗り越えたからと言って、患者だったものがすぐに医師看護師になれるわけないのです。

どこまでも理解にたどり着けない人には、違う業界へ興味を持つように仕向けたりします、

それでも、医療福祉世界で働きたいという願いは、社会へ参加する機会を得ることができなかったり、得てもやむを得ず失わざるを得なかったりした人にとって、社会という外界に興味を持つ「最初業界」なのです。

ですからどうか、精神疾患障害)の当事者が、医療福祉世界で働きたいと、せめて前向きに検討できるくらいの余地を残しておいてください。

2016-07-10

やる気がでない

誰かのために働け、いや自分の為に働け。

金のために働くと不幸になる

人と比較するな

人を見下すな

もう、どうすりゃいいんだよ。

やる気なんか出ない。

2016-06-16

誰かのためにやってることは続かないけど誰かのためになってないことも続かないと思う

「誰かのために」を掲げるかぎり、その社会貢献は続かない。 : まだ東京で消耗してるの?

イケダハヤトさんの言ってることは半分正しいけど半分間違いじゃないかな。この人いつもそうだけど。

確かに自分がやってて楽しくないとダメでしょう。

ただ、こっちはだめじゃないかな。

傲慢無知にまみれた人じゃないと、「困っている人を助けたくてやってます!」みたいなことは言えません。

イケダハヤトさんがよく非難されるのは、

誰かのためになってない」か、そう思われてるからじゃないですかね。

最初傲慢無知でいいかもしれないけれど、そういう人って思い通りにならなかったら楽しくなくなりましたっていってやめますよね。

傲慢無知にまみれた思い込みで始めた疑似ベーシックインカムとか、今でも楽しいですか? いつまでそれを続けられるつもりですか?


楽しくなければ続けられない。 確かにそうかもしれない。 


でも、他人からむことって、炎上ブログ書くのと違って、楽しくなくなったからやめた、が許されないと思いませんか?


そういう時に、最初から他人のためになるかどうかって考えておく必要ありませんかね。 


私はそのあたりどうにも気持ち悪いですね。

2016-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20160513165647

お前ら、一体どこに存在するんだ?

非モテ独身のまま40歳が近付いてきて、もうこのまま結婚などの異性の絡むイベントは諦めたわけだが、とにかく女性と縁のない人生だった。

今でも周囲には女性ほとんどいないが、いても結婚しているか、すごく若いかのどちらかだ。

お前ら、本当に存在するのか?

アラサー以上で独身女性というのは、どうやら存在するというのは耳にするが、目にしたことがない。

結局特定誰かのために使われることのなかった貯金自分のために使い始めたが、できれば女性食事とかしたい人生だった。

2016-05-10

39度のとろけそうな発熱にやられながら考えたこと

ここ42時間ぐらい39度近い発熱を繰り返している。息苦しく、頭が割れそうになり、思考もままならない。こんな状態を何度もやってきて、決定的に身体が消耗してきたのを感じる。熱が上がってくると男ながら情けなくも泣きたい気持ちになるが、うっすら目がにじむだけで、涙粒にはなりやしない。今、身体は男のセンチメンタリズムにつきあって、涙を製造している暇などないのだ。うぅ合理的。血も涙もないとはこのことか。

病気のおかげで、ひとつ哲学的な問いに対する答えが見つかった気がする。守るものがあるひとと守るものがないひとは、どちらが強いのか。

もともと守るものなんてなんにもないと思っていたクチで、私はひどく働いていた。フリーランスになったばかりで頂いたお仕事ひとつも断りたくなかったのだ。業種や詳細は控えるが、朝起きて仕事して倒れるように寝て、また仕事、そんな生活。これは滅私奉公というやつで、守るものがないからこそ発揮できる強さだ。自分の身体のことなんてチリほどにも大事にも思っていないから、こういう働き方ができる。

結果、身体を壊して入院した。そして、発熱を繰り返すと、否が応でも自分の身体のケアを考えなければならなくなる。ただ元来が、滅私奉公型で働いてきた人間ゆえに、自分のためだけに頑張るという発想ができない。一体誰のためにいつまで続くともしれない発熱や痛みと戦えばいいのか?陳腐オチ申し訳ないが、頭をよぎったのは、入院に際していろいろと世話をしてくれた彼女存在だった。守るべきものがある強さとは、身を粉にして働くこととは正反対で、守るべき誰かのために自分自身をも守れる強さなんじゃないだろうか。だっていつまでもこんなところでへばっていたんじゃ、気を尽くしてくれた彼女に対して申し訳がたたんだろう。

さて一度、話を戻そう。守るものがあるひとと守るものがないひとは、どちらが強いのか。前者は、自己犠牲型で強力なパワーを発することができる。後者は、他者のために自分をもいたわることができる。どっちがいいのかは置かれた状況次第だか、長生きしそうなのは後者だと思った。

退院したら、きちんと彼女にいつもありがとうと伝えよう。あなたのおかげで今頑張ってます

入院中の病院より高熱にうなされながら

2016-05-02

なんで結婚すんの?

三年目の社会人(♂)。


彼女はいない。


周りはまあまあ結婚しはじめてる。


半分くらい?


リア充非モテ中間くらいが一番結婚してる気がする。


まあまあな大企業


同期は皆結婚したい、結婚したいっつってる。


それ見るたびに「なんでこいつらそんな結婚したいんだろう?」と思ってしま


本当に愛することが出来る人間を見つけろとは言わないけれど、

嫁に不満を抱いたまま、自分が血を吐く思いして稼ぐ給料を使われて、毎月こづかい渡されて、

子供が生まれたら、それこそもう自分自由になる金なんてない。


それでいいの?

その先に何があるの?

孤独死を避ける?

独身中年になって変な人だと思われたくない?

世間体なの?

自分の居場所をつくりたいの?

誰かのために働きたいの?

なんで結婚すんの?

2016-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20160405125415

全く持ってその通り。

親が常に尊敬できる親とは限らないし親を無条件で許すべきだという押しつけができる側の人間

親が厳しくともそれなりに筋の通った人間だったんだろう。

俺の親はまさに気分次第で言ってることをころころ変えたり頻繁にヒステリーを起こすような親だった。

結果的に3人兄弟全員グレたし親は離婚した。

そんな中で俺が学んだのは親、つまり大人というもの基本的クズの集まりであり、

そのクズさを許してもらうために労わりとか優しさとか言う甘い言葉を出し合って傷をなめ合ってるものだと認識した。

その認識のおかげで俺は自分が上手くいかないとき自分クズに片足を突っ込んでるんじゃないかという恐怖感によって

客観的問題と向き合い解決することができるようになった。

たぶん親は軽度の統合失調症だと思う。

そういう過程を得て社会との向き合い方や大人クズどもとの向き合い方を学ぶことができた。

そして自分の家庭環境他所のものと同列扱いして語るクズとの相手もこうして理解できているし、

もちろん家庭環境けが人格形成に影響を与えているわけでもないということも理解できている。

 

何が言いたいかというと親が子どもから非難されたくない批判されたくない、

こんなに頑張ってるのになぜ伝わらないのか、なぜ許してくれないのか、ということは全てエゴ

子どもを育てるという選択肢を自ら選んでいる大人クズクズであるというのであればその自由に対する責任と代償は払うべきだろう。

子どものために働いている、だから俺を敬え。

何言ってんだこのクズは。

子どものために働いてるのは結局自分のためだろこのクズが。

子どものために頑張って子育てしてる。

何言ってんだこのクズは。

まれる前の子どもがお前に子育て頼めるかこのクズが。

 

色々御託並べて言い訳して、自分クズさと向き合えない幼児性を持った大人たち。

どうしようもない現実と直面すると精神がぶっ壊れる、

からこそ逃げるための言い訳必要なんだな。

 

誰かのためにやってるんだからもっと敬ってもらうべき、

わかってもらうべき、理解してもらうべき。許すべき。

いつまで与えてほしいお子ちゃま脳なんだよ。

そんなアダルトチルドレン結婚して子を育てる、

から親のエゴがつまりまくったようなキラキラネームだらけになるんだろうな。

 

PS:

親の欠点を許すってことは、それを言い換えれば自分欠点を見ないフリをするってことだ。

これ以上自分はもう成長も変化もしないってことを肯定しているってことだ。

そんな成長性の無い自分を許す=欠点だらけの親を許せるようになるってことだ。

同類を憐れむ心境と何ら変わらないわけだ。

大人になってクズになって初めて自分限界値を知って妥協して親を許せるようになる、

そういうプロセスを踏んで自分大人になったって言うわけだが単にクズになっただけっていうね。

勘違い

凄まじい方の。

親のことは認めなくていいし許さなくてもいい。

ただ育ててくれた分の恩を返したいなら育ててくれた分の恩と向き合えばいいだけの話。

というかクズを許さないことで親を他者として完全に認識し、自己確立することができる。

愛だのやさしさだのとのたまい、親と言う個人を許すことで自分を許すための道具にしているだけ。

親は自分を都合よく育てて楽しむ道具として育てて、自分は親を欠点を慰める道具として利用する。

この関係性のどこが健全なんだろうか?

2016-03-13

自殺について

既に議論収束してる感があるけど、ブコメ言及しちゃったので(http://b.hatena.ne.jp/entry/281603224/comment/zn0621)、以下の記事に対する反論を書きます

(誰か読む人いるんだろうか……)

   

   

 『広島の中3自殺事件について思うこと』

 http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2016/03/10/165519

 『思うこと』

 http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2016/03/11/182349

  

  

記事からは、全体として、"安易に"死んでほしくない、という"善意"が感じられました。

父親の死についてのご自身感情の整理もかねてお書きになったもののようで、大変、"情感豊かな"文章だなと感じました。

また、内的な動機から出発しながらも、広く社会全体に目配りした主張をしようと努力なさっているところが見受けられました。

  

  

しかしながら、読んでいて、大変、不愉快でした。

  

  

理由1:動機の決めつけ

  

「怒られたから」「自尊心を傷つけられたから」「理不尽理由希望する進路に進学できないから

というような理由で死んだとは限りません。

  

自分経験の話で恐縮ですが、僕が彼と似たような経験をしたときは、

初めは「どうしてこれだけ説明しても信じてもらえないんだろう」と"不思議"でしたが、

何度かそういった経験を繰り返した結果、「こちらがどれほど誠実であるかということと、ちゃんと自分理解評価されるかどうかということは、無関係なんだ」と気づいて、何かが"腑に落ち"ました。

要するに、「誠実さは愚鈍さによって簡単に踏みにじられる」という"この世界の仕組みそのもの"に絶望を覚えた、ということです。

「この事件を乗り越えても、この先、生きていく限り、何度もこういうことがあるのだ」ということを実感し、巨大な虚しさを覚えたのです。

  

彼の場合どうだったのか、本当のところは分かりようがないし、僕と同じとは限りません。

ただ、何度か担任と進路のことでやりとりしていた結果、ああいうことになったそうで、

「突発的な行動」ではなく熟慮の末の行動であった、という可能性を簡単に否定することはできないと思います

絶対そうだとも言いませんが。

  

いずれにせよ、事情をよく知らない外野が人の心の在り様を適当に決めつけている様を見せつけられて、

大変、不愉快でした。

  

理由2:価値観の押しつけ

  

少年を責めるような内容は一切書いてません」とのことで、

確かに、主眼は彼を責めることにはなかったのだろうなと感じます

  

主に、「命の重さにに比べれば、どれほどの絶望だろうと、それは『そんなこと』です」というご自身の主張・価値観を押しつけることに主眼があり、

彼を責めるようなトーンはその副作用として生じたものなのだろうと感じました。

  

ほんと、「命が大切だ」一点ばりで、人から何を言われようと自分は正しい、と"素朴に"確信しておられて、うんざりさせられます

  

理由3:事態の解決よりも自分ヒステリーの解消のために書いている

  

突き詰めれば、自殺を選びたくなるような我々の心の在り様に興味がないのではありませんか?

若い世代自殺というショッキングニュースを聞いたことと自身過去経験父親の死)との兼ね合いで生じた感情ヒステリー)の処理のために書いた文章なのでは?

自分のために生きる価値がないと思うなら誰かのために生きろ」というご主張かと思いますが、それは「その誰かのために精神的にゾンビになれ」ということではありませんか。

全体的に、「なぜこの世界はつらいのか」という我々の心の問題にとって、何の役にも立たないご助言です。

我々に必要なのは、このどうしようもない世界での生きづらさを少しでもいいから軽減するためのハウツーであって、漠然とした精神論の押しつけではありません。

  

総括:あなたのような人がいるから生きづらい

  

あなたのように、誤解をもとに決めつけ、自分価値観を押しつけ、しかお為ごかしで接してくる人がいるから、

我々は、この世界で生きる意味について、疑問を感じてしまうのですよ。

  

2016-03-05

青年協議会がすごい

福島のかわいそうなわんちゃん猫ちゃんのためにご寄付をおねがいします」という訴えを、東京近辺に住んでいる人なら駅前等で聞いたことがあるだろう。あれは、青年協議会という熊本NPOが行っている事業だ。すこし調べてみたが、巧妙に仕組みを作っているNPOだったので共有したい。情報は彼らのホームページおよび内閣府で開示されている彼らの公式情報による。

かれらの目的青年の育成で、動物保護ではない

NPO法人目的を定める、定款という書類がある。彼らの定款にも、9項目にわたり幅広い項目が目的として入っているが、動物犬猫に関するものはない。そもそも、なぜ「青年協議会」が犬猫保護に対する寄付を求めているのか?事業報告書に答えがある

ニート引きこもり法務省からの紹介者などを積極的雇用し、地域の清掃活動や街頭募金活動を通じて感謝の心を学ぶことにより豊かな人格形成を図る

そもそも募金を行うことそのもの目的で、募金犬猫を救うことが目的ではないのだ。募金を訴えている人たちはニート引きこもりで、給与をもらいながら働いているのだ。NPO目的を達成するためのなんと上手な戦略か。私みたいなニート雇用するために寄付をください、と言っても誰も寄付してくれないから戦略的寄付対象を選んだ結果が福島犬猫なのだろう。

企業家精神を持った青年を育成している

公式サイトスタッフの誓いというものがある。さすがニート教育のための誓いだけあってよくできている。

http://seinen-kyougikai.jp/wp/wp-content/uploads/2015/03/stuff_tikai.pdf

私たちは、義務を果たした後に権利を求めます

私たちは、助け合い精神大事にし、みんなで青年協議会を作ります

このあたりをきちんと理解すれば、社会ブラック企業に当たったとしても耐えられるだけの心の強さが身につくだろう。

私たちは、全員が企業家としての意識を持ちます

今日も一日、名前も知らない誰かのために名前も知らない誰かに頭を下げ、東北復興の窓口に自分がなるために、街頭募金活動を頑張ります

上記の組み合わせは実に味わい深い。街頭募金活動企業家として意識を持って行わなければならないのだ。

その企業家精神実践しているのが青年協議会だ。少し詳しく見てみよう。

青年協議会企業家精神実践している その1

企業家たるもの資本有効活用は必ず意識しなければならない。寄付されたお金をそのまま使うなんてもってのほかだ。寄付されたお金は、さらに増やしてから使わなければならない。彼らは、NPOしかできないやり方で、企業家精神実践している。それを図解したのが以下のURLにある。

http://seinen-kyougikai.jp/wp/wp-content/uploads/2015/03/tikai.pdf

彼らは、いったん受け取ったお金アルバイトを雇い、そのアルバイトさら寄付を求めることで、寄付されたお金を3倍に増やしている。その結果多くのお金を使う効果的な社会貢献ができているのだ。なんと巧妙な仕組みなのか。

青年協議会企業家精神実践している その2

2015年事業報告書によると、彼らの収入の6567万円のなかで、NPO事業支出に使っているのは3440万円で最大だ。ただ、詳細は明らかにしないことにしたらしく、監督省庁から「内訳(支払機付近であれば支払先も)を提出するように依頼するも、提出なし」との注記を受けている。企業家たるもの自らの企業秘密を明かすわけにはいかないので、お上圧力に負けず秘密保持を徹底するその態度は素晴らしい。

ただ、2014年度の事業報告では、圧力をかわしきれなかったのか、寄付金の内訳が事業報告書に添付してある。そのなかで最も多い441万円の寄付が「助成金コンサル事業」に使われている。他の寄付金の宛先が「相馬会(福島)」「猫のマリア」等であるのと対照的だ。助成金コンサル事業が何を示しているのかは秘密保護を徹底している以上当然明らかではないが、企業家精神実践する青年協議会がただ単純にコンサルのために貴重な寄付金を払うこともあるまい。

ここは筆者の完全な憶測になるが、寄付金を払っているNPOに対して、助成金コンサル抱き合わせで紹介しているのではないか。そのコンサルにかかる費用についても寄付で賄えば、NPOにとっては無料コンサルを受けることができてハッピーで、青年協議会は、関係するコンサルへの支払いが寄付金会計上計上できてハッピーという、みんなが喜ぶ仕組みを構築していると考えるとしっくりくる。NPO法人は、2/3以上の役員役員報酬を受け取ってはならない、という制約があり、せっかく稼いだ寄付金をそのまま役員報酬として支払うことができないのだ。もちろん、役員かつ常勤職員として雇用することはできるが、その場合タイムシートだとか兼業禁止だとかうるさいことを言われる。その点、コンサルタントであれば柔軟な支払が可能だ。頭の固い役人理解のない第三者いちゃもんをつけられないよう、念のため2015年では寄付金の内訳を公開しないことにしたのではないか。もちろん、まったく違うより巧妙な仕組みを考えている可能性もある。増田諸賢のトラックバックを待ちたい。

まとめ

素直に寄付金事業に使うご普通NPO圧倒的多数の中、青年協議会クリエイティブでイノベーティブな社会貢献は、「福島のかわいそうなわんちゃん猫ちゃんのためにご寄付をおねがいします」という言葉想像されるものよりずっと幅広く豊かなものであった。彼らの革新性が、それにふさわしい社会認知を得ることを望みたい。

参考資料

事業報告書およびNPO情報

https://www.npo-homepage.go.jp/Portal/corpDetail!show.action?no=043000212

2016-02-26

AVより素人投稿動画の方が抜ける

そこには美人爆乳も少ないけれど、むき出しのエロス存在する

濃厚なエロスっていうのは、誰かのために見せるものではなく、ただ自分自身のために貪るものなんだ

音声投稿サイトも悪く無い

ただしライブチャット、テメーは駄目だ

2016-02-15

定職に就けない人生

パスポートの期限が明日で切れます。どうせ学生のうちしか使わないと思って5年のやつにして正解でした。卒業後に海外に行ける身分にはなれませんでした。

自分人生すら自分が主役じゃなくなる。それはまあそれでもいいんだけど新たな主役が現れない人生は辛いということだ。誰かのために生きるのも悪くないと思うんだけど。

結婚できないのは当たり前として受け入れてるが定職に就けないのはさすがにしんどいのである。探してないので就けないのは当たり前だが、探しても就けないのは火を見るより明らか。探してないことを責められるのはしんどいが探しても就けないのはもっとしんどいので探してない。

資格取れとかいわれるけど資格取ったところで面接が無理なので無駄になってしまうから資格も取れない。資格ないカスより資格あるカスの方がマシかもしれんがいずれにせよ水準に達しないので職には就けない。、

2016-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20160129184536

「何が先進国若者テロリストへ変えるのか」

「人は役に立たなければ生きている価値がない」

先進国仕事自分の命を懸けるほど人に役に立つことをしていないから

テロリストになれば誰かのために自分の命を懸けて役に立てるから生きている価値を感じる。

そういう意味

2016-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20160107215647

わかるなあ

私はこの人ほど規模の規模ではないけど、最初自分萌えるからそれを発散すべく書いていた

書店にも卸していたけど感想らしい感想はもらったことがない

一度だけ200部近くだしたことがあるけど、これも見知らぬ人が対面で面白かったです~と一言くれたことがあったこと以外はなかったな

イベントで対面頒布しているから当然ではあるが、読んでくれた人がいるんだなって思ったけれど、それっきり

その後、本家の展開によって妄想余地がなくなってしまったし、ジャンル移動した

当初はそういう理由で書き始めても、だんだん自分はこれを書いていて良いのだろうかと気になり始める

反応がなくてもこれは趣味であって義務ではないと言い聞かせるようになると、自分創作物価値が気になって仕方がない

なにも発散するだけなら支部に上げなくても良かったんだけど、誰かと共有したいと思ったのが間違いなんだろうな

そこからだんだん目的がずれていって、最終的には自分のためじゃなくて誰かのためになっている

二年間活動した終着地点がそこで、自分創作はなんの価値も無い文字の羅列だという認識しかならなくてしまって、書けなくなった

私はまだ同人活動を続けているけれど、やはりそれも、今は「萌えを発散したいから」という認識が強いためだ

しか時間が経過すると、やはり同じような終焉を迎えるのだろうと思う

萌えの発散は同士としゃべるだけにとどめておくのが一番心の平穏を保てるのではないかなと思うので、積極的交流を頑張りたい

2016-01-07

あいあいされて生きるのだろうか

僕のクソリプみたいな記事にも煽ってきたりせずに淡々反論しつつ

持論を追記することで話をさらに発展させる増田みると

まだまだ捨てたもんじゃないなと 偉そうに思ってみたり

熱心に考え 深夜に恋人のことを思って

誰かのために祈るような そんな気にもなるのかなんて考えたりするけど

You've got to get into the moon!

You've got to get into the moon!

2015-12-09

12月になると見たくなる映画アマデウス」を思い出して、気がつく。

自分には悪意がないけど、まるでサリエリみたいじゃないか……?

映画のなかで、宮廷音楽サリエリは、モーツァルト天才的な

音楽の才能に気づき凡庸自分を呪って焼けつくような嫉妬から

神を恨み、神に愛された才能をもつモーツァルトを死に至らしめる。

破天荒な振る舞いで(モーツァルト発達障害だとも言われる)

社交界から孤立してしまい、極貧生活のなか病床のモーツァルト

サリエリは、大金をチラつかせ、不眠不休の無理なスケジュール

まるでモーツァルト自身のためのレクイエム(死者のためのミサ曲)を作らせる。

そして、結果として(サリエリの願いどおりに)、死に至らしめる。

いや、自分には、そんなサリエリみたいな悪意は本当に皆無なんだ。

感謝と恩義の気持ちこそあれ、決して妬んだり嫉んだりの感情はないし!)

ただただ、天才モーツァルトの紡ぎ出す音楽が・旋律が・文章が大好きで、

(その素晴らしさに、同時代に生きて触れられるだけで喜んでいるほどで)

でも、そうやって、自分が率直に・能天気モーツァルトを礼賛することで、

体調の悪いモーツァルトに、無理に作曲を続けさせて、

しろ死期を早めることに加担しているのではないか……。

ブログを拝見しながら考えていたのは、そういうことだった。

Hさんの最新の文章を読める嬉しさに舞い上がって我を失いながら、

同時に、頭の隅で冷静に自己分析をして強烈な罪悪感を抱いていた。

ブログ記事を拝見すればするほど、自分想像もしなかったような

壮絶な生活が「また」日常としてHさんを囲んでいることを知って、

ただただ、圧倒される気持ちで読み進めていた。

そして、Hさんの文章に触れられる喜びを感じながら、

Hさんの置かれている状況を知っても何もできない自分は、

そうやって、Hさんに文章を綴らせて、自分読書の楽しみのために

Hさんのいのちを・日々の生活を「消費」しているんじゃないのか……?

何度も、そんな可能性を自問自答した。

ブログを書くことで、Hさんが死への確信を深めていたとしたら。

やっぱり自分は、意図せずにサリエリと同じことを

天才モーツァルトにしようとしているんじゃないか。

Hさんが書いた文章が、今でもWeb上でいろんな人に思い出されたり、

語り継がれていたりするのを見つけると、

「そうなんだ、Hさんは本当にすごいんだよ」と嬉しくなる。

そんなHさんが、書き続けてくれることは、

いつか・誰かの目にとまって、自分のように感銘を受けて

大きく変わるキッカケを得る人が、出てくるかもしれないと眩しく思う。

それだけの、言葉文章の力をもっているかただから

でも、そうやって、いつか・どこかで目にする誰かのために

いま、Hさんが身を削って文章を紡ぎ続けてくれたらと願うことは、

やっぱり、とんでもなく我がままで傲慢な願いなんじゃないだろうか。

「ファンです」なんて軽々しい一言だけで

許されてはいけないことなんじゃないだろうか。

ブログ記事を読めて、すごく嬉しいのに、すごく苦しいし切ない。

いったい、自分はどうしたらいいんだろう。

2015-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20151125131855

人に応援されることでいつも以上の実力が出たり、誰かのために勝ってやると思った方がテンション上がることも少なくない

誰かのために何か成し遂げてやろうとか、誰かに応援されたりとか、経験ない?

家族とか好きな人とかさ。

2015-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20151114041156

誰かのために何かを したいと思えるのが 愛ということを知った”

たまに高まる「誰かに何かをしてあげたい欲求」

私も高校生の時に児童養護施設で過ごしたので、毎回ドラマコウノドリ』を見ていると感情移入してしまう。

児童養護施設ボランティアしようかとか、里親系のNPO団体募金しようかとか、色々と考える。

年のせいか、誰かに何かをしてあげたくてたまらない。

糖尿病から自分の子どもは産めない。

血糖値が高いと子どもに悪影響があるそうで、性行為の際はしっかり避妊しないといけない身分なのだ

それもあって、子どもネタにはどうしてもモヤモヤしてしまう。

同情を買いたいわけではないが、もうおじいちゃんとおばあちゃんもいない。

から、恩返しみたいなことが誰にもできない。

できれば、誰かのために生きたいと思う。

できることから始めたい。

2015-10-25

彼氏とぎくしゃくする

未成年の頃から、一回りちかく年の離れた男性とお付き合いしてしばらくたつ。

中高生ときは私の家が結構荒れていたりして、不安定なときも年上の彼がお兄ちゃん代わりになってくれたことが本当にありがたかった。

勉強手取り足取り教えてくれて、おかげさまでそれなりの大学にいけた。

優しくて頭が良くてノリもいいから友達が多くて、私みたいに不安定な子もたくさん寄ってきている。特に若い女の子

きもちを焼くこともおおかったけど、彼は頼られるのが生きがいみたいなかんじのひとで、やだって伝えてもなおいろんな人の世話をやいてる。

約束をほったらかして女の子相談電話に3時間つきあってたとか言われると、さすがに気が滅入る。

今日も、「土曜日家に行くね」って約束してて彼氏んとこで仕事から帰ってくるの待ってたら、「○○から誘われたか今日はそっちにいくよ」と夜ご飯時間になってから連絡が来た。

彼がどんなにいい人であるはいくらでも説明出来る。ホントに優しい人。子どものまま大きくなってしまったような人。

でも、当時からわかっていたことではあるんだけど、あまりにも年下と付き合ってるって時点でヤバイ

出会った頃の彼の歳に近づいてきてやっと確信した、彼はダメなおとなだ。

お互いに結婚を考えているけど、彼は家族にさみしい思いをさせるんじゃないのか?とおもう。

それとも、今私がさみしい思いをしていることとは全く性質の異なることなんだろうか?考えすぎなのか?

交友関係も広すぎて、一時期彼と彼の女友達が肉体関係にある妄想がとりついて気が狂いそうになった。

私の父が全く友達のいない偏屈人間だったから、そうじゃない人と結婚したいと思ってたけど、こういうこともあるんだな。

彼が元カノとの思い出を大切にするように、私のことも今大事にしてほしいと本気で思ってしまう。

家族第一にしてくれそうな人とか、そうでなくても「そういう」風に演出してくれる嘘の上手い人とかを、探した方が良いのかなあ。

そんな都合のいい人と釣り合えるほど私自身が立派な人間でもないから、離れられそうにもないし、ただ辛くてさみしい夜は長い。

私も誰かのために優しくなりたい。彼氏にももっと優しくありたい。

追記

おっさんでも創作でもないです・・・・・・

ここに書き込むのはじめてなので勝手がわからすみません

創作ならどんなによかったかと思います

普通に世代男の子と付き合ったりしてみたかったよ。

サークルの先輩と付き合ったり楽しそうだし。

人に恋愛相談とかできずにここまできてしまたから、どうやってこの気持ち言語化して伝えたらいいのかわからないのが悩みです。

2015-10-12

ここまで付き合ってくれてありがとう

もっと誰かのために何か出来るよう考えてみる

思えば常に自己保身で生きてきたか

周りの人にしてもらうばっかりで甘えっぱなしなのは良くないね

自分が好かれたいなら一緒にいて心地いい人間にならないとね

当たり前のことなのになんで忘れてたんだろう

そういえば、そういうこと言ってくれる人って今までにいなかったなあ…

周りの人からも愛想つかされてたのかも

本当にありがとう

取り敢えず臭いにも気を付けるw

コバエとりはもう置いてないけどね

2015-10-01

続、続:「馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

こちらの記事http://anond.hatelabo.jp/20150928163536)、

http://anond.hatelabo.jp/20150929000832

投稿させていただいたものです。



なんだか私についていくつもエントリー(?)がついてまして…

いやはや、こんな思考駄々漏れみたいなものにたくさんの人にお付き合いいただけて頭が上がりません。

少しだけ書きたいことが出ましたので2つほど追記を…






まず一点目。

前回の2つの記事についてご指摘がありましたが、これは私の自分語りです。

重ねて言いますが、主観がモリモリ入っております

客観的に見れているか?と言われますと私は首を縦には振れません。

あくまで、私が思ったこと。自己語りの範囲です。

それを理解していただければ幸いです。


更に申し上げますと、前回の2つの記事は、『私がこの時、こうだったから、私は楽になれた。』

その、たった一例を出したに過ぎません。

しかもこれは、私だから救われた話です。

誰でも彼でも救ってくれる、万能薬のような魔法言葉を言われたわけではありません。


当たり前ですね、状況がまず違うのですから、そのことを他のコメントを見ながら痛感しています

未熟者でお恥ずかしい限りです。



しかし、それでもあんなに簡単な言葉で私が今まで生きてこれたのも、また事実なのです。

から一番近くで、犯人のような人や、私のような人を見てきた人だけが

助けてあげられるのかもしれない。とも思うのです。

でも近いからこそ、それが出来ないのかもしれないとも思います

親しい人ほど、無様な姿は見せられない、という心境とでもいいましょうか…

難しいですね、これは私がベストアンサーを出せる問題ではないように思うこの頃です。

さらに前の記事では、こうしたらいいなどと厚かましい意見を述べてしまいました…

自分に酔った文章だというご指摘も最もだと思います




さて、こういう風に自分思考に少し風が通ったのは、

トラックバック南直哉さんを紹介していただいたからです

私と考えが似ていらっしゃるとのことで、

色々と関連したもの動画など)を拝見させていただいたのですが、

私の思慮の浅さが露見するばかりで…

こんなに深い考えをお持ちの方に間違われるのは大変恐縮するばかりです。



この方のお言葉にハッとさせられたのですが、


自分という存在」は「他者」に認められて存在が成り立つということです。


当たり前のことですが雷のような衝撃を受けました。

モヤモヤした私の言えない部分を言葉にしてくださいました。



私は何も選んで生まれて来ていない。性別容姿も親も何もかもです。

それを私だけの一存で好きになるのは難しいことですね。

というか私には不可能に近いです。

じゃなきゃ、自己肯定感がこんなに低いとウダウダ悩んでません。


だって好きで選んだものじゃないんですものしか絶対に逃れることなんて出来ない。

そしたら、すんなり好きになれなくて当たり前です。

まれた時から理不尽だなあ…



私は、この考えに触れて、『資本論』を思い出しました。



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人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、

私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから

人間最初はまず他の人間なかに自分を映してみるのである

人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロ関係することによって、

はじめて人間としての自分自身関係するのである。」

カール・マルクス岡崎次郎訳『資本論(1)』(国民文庫一九七二年)一〇二ページ。】


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さらに調べていたら、もっと分かりやす文章が出てきました。


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アメリカ社会学者チャールズ・ホートン・クーリー

一九〇二年の本のなかでさきのマルクスと同じようなアイデアを定式化している。

すなわち、かれは「お互いがお互いにとって鏡であり、その前を通る人を映している」として、

このような自我のありかたを「鏡に映った自我」(looking-glass self)と呼んだ。

要するに、他者という鏡に照らして自分を見る、ということだ。

これによって自己認識が可能となり自我形成される。

あらかじめ自我があって他者と関わるということではなく、

他者と関わり他者の鏡に映った自分認識することによって自我形成されるのだ。

クーリーによると、このような自我は三つの側面からなる。

第一に他者自分に対してもつイメージ

第二に他者自分に対してもつ評価

第三にこれらに対する自分感情[自負や屈辱など]である

【C.H.Cooley, Human Nature and the Social Order,1902,p.184.】


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他者を映さなくては自分を見ることが出来ない。

からこそ私は他者排除して自分を語ることが、どうしても出来なかったんだと思います

人の目が気になってたまらないのも、きっと、ここら辺からきているのかな…

私という存在を求めてほしい気持ちがあるからこそ、他者からの無条件の肯定に焦がれてしま

でも得るのはとても難しい…

ムムム…ここら辺はまだまだ私の中で考えていく必要がありそうです。



さすがその道に長けた方のご意見は納得させられるものばっかりです。

とても勉強になりました。南直哉さんのことを教えてくださった方、ありがとうございます

書籍も近々手に取ってみたいと思います

気になる方は動画などもいくつかネット上にアップされているので、ぜひ拝見してみてください。






二点目は、エントリーについて少し触れさせていただきたいと思います




◯『憎しみも怒りもなくふるわれる暴力』とエントリーを書かれた方




私はまずDVの話はしていません。

同じような「劣等感からくる事件を持ち込むならまだ分かります

例えとしては、いささか整合性がなく、乱暴なようにさえ感じます

そして加害者被害者の言い分は別です。ごっちゃにしてはいけません。

もし、この言い分を使いたいなら私の発言はどちらかの立場だけに終始すべきです。

なぜなら私は被害者側の立場に立って、今回の話はしていないからです。



そもそも私が疑問に思った問題と、あなたが述べている問題点は相反するものではありません。

私が言いたいのは、犯人のやり口が卑劣だ、という犯行への結果ではなく。

どうして止められなかったのか?という過程へ向けた問いの話だけを今回の問題としてあげています

分かりやすく言うならば、『起こったこと』(結果)、『今起こっていること』(現在)ではなく

『止められなかったのか?』という『過程』と、

『それはなぜ?どうしたら止められるの?』という『未来』の二点だけです。


しろここで、ごった煮にして考えてしまって良いような問題ではないと思います


加害者擁護に感じる不愉快さは被害者人権軽視の姿勢』についてのお話

しなくてはいけない大切な問題だと思いますので、

どうぞご自分トピックス内で書かれることをオススメします。



あともう一点だけ、トリイ・ヘイデンの「シーラという子」という本を引き合いに出されていましたが

これこそ、私が疑問視していたセーフティーネットが上手く発動した例にはならないのでしょうか?


社会という仕組みにある学校が、セーフティーネットとして、シーラという子を助けられたなら、

それはとても喜ばしいことに思えます

他の場面でなら、彼女体験はどう使えるのか、考えるヒントがありそうです。





殺人理由は、大抵くだらないとエントリーを書かれた方




こちらの子方は、いくつか引用を交えてお話させていただきます


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馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

という言葉自分に刺さるように感じるこの増田書き手)は、

犯人自己投影してしまうからこそその言葉自分に返ってくるように感じてしまう。

コメント賛否になるのは当然でどれに感情移入主体として)するかによって風景が変わる。

コメントする人間は、自分いちばん近い距離感に対し感情移入する。

でも「殺人理由」なんてのは大概くだらない。

どんな理由であれ殺人に至るほどのものじゃない=くだらない

他者一般からみたら「くだらない」の一言

であって、本人がこじらせている状態を「くだらない」と言ってるわけじゃない。


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そういう見方も出来るのですね!

私にはない見方でした。ひとつの方向だけを向いてしまう悪い癖です。


そうですね、どうしてあの時、母が「くだらない」と言えてしまうのか

とても疑問だったのですが、すっきりしました。

ありがとうございます


トラウマ的な部分もあって、私自身がそれに過剰に反応してしまった部分もありました。

こういったトラウマ的な部分は気をつけていても

反射で反応してしまものなので、中々コントロールするのは難しいですね

そうった意味で言っていたのか、母には後日、確かめてみたいと思います


ただ、やっぱり事件を「くだらない」と片付けてしまっていいものか…と私は考えてしまうのです。

背景は別々だけれど、同じような事件がたくさん起きているのは事実で、

なくならないかも知れないけれど、減らすにはどうすればいいか

しかしたら犯人人生において共通の何かがあるのか、ないのか…

私はそれを「自己肯定出来ない自分」という、ひとつの可能性と結びつけました。

探せばもっと違う可能性があるかもしれない。ないのかもしれない。はたまた、これ事態関係ないのかもしれない。

それでも考えていくことを放棄したら、なんだかもっと危うい方へと世の中が転がっていくように私は感じてしまうのです。




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今この時の、家族の、学校の、大げさに言えば社会セーフティーネット機能していない深刻さ。

それを改善していく必要があるんではないかと強く思ったがゆえに投稿した記事でした。

続:「馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

ここに集約されてる。


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おっしゃるとおりです。まさに、私が欲しかったものです。

ストンと真っ暗な穴に落ちて行くような恐ろしい気持ちです。

社会と私が容赦なく切り離されていくような感覚です。

なので、こんなに恐ろしい気持ちを味わっていたらと思うと…と、

だいぶ犯人の側に入れ込んで前の記事を書いたことは否めません。




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社会セーフティネット」って漠然といい感じの言葉だけど、

問題のある家庭まで補正できるセーフティネットって具体的になんだろう。


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残念ですが私にも分からなくて、具体的なことはひとつも書けませんでした。

本当に何がセーフティーネットになりえるのでしょう?


そもそも、そんなすごいセーフティーネットを作ることって出来るのでしょうか?

作るなら誰なんでしょうか? 政府民間ボランティア

予防線を張るために私たちが出来ることってあるのでしょうか?

家庭が駄目なら、どこでなら救うことが出来るのでしょうか?

直すべき形態はどこなんでしょうか?

殺人犯人が悪いけれども、もし彼をそこまで追い詰めたものがあるとしたら、

それって何が悪かったんでしょうか?

遠くない私たち問題なのかもしれないと、私は思ってしまます




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ニュースの少ない情報から同類だ」と勝手思い込み

劣等感が「リセット」というキーワードと結びついて妄想が膨らんだ。

結び付いたらそれを「くだらない」といった母親言葉自分に向ってきた。


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そうですね、少ない情報から同類だ」と勝手に思い込むのは良くなかったですね。

もっとじっくり考えれば、すぐに私と犯人他人だと分かりそうなものですが…

しかし、少ない感情で強烈な既視感を感じたのもまた事実です。

そして、私の書いたもの共感してくださる方がいたのも事実です。

こういった切実な感情を抱えてしまう私がいる、

割り切れない何がある?それってなんだろう?

そうやって考える自分がいるのも確かです。


そして、私のことを「少ない情報犯人自分を同一視するな!」とおっしゃられるなら

「啓発にコロリと引っかかる」という型にはめた発言は訂正していただきたいと思います

だって、わたしのこと、この2つの記事しかあなたは知らないんです。

女か男か、はたまた性別も分からない人に、それを言うのは野暮ってものです。

やっぱり、自分の独り善がりで文章を書いてしまますと、なかなか客観的に立ち返れずにお互い苦労しますね。




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犯人が違う理由を言いだしても増田投影し続けられるんだろうか。


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どうでしょう


「人を殺せば刑務所に入って人生リセット出来ると思ったこと。」

この点は、もしかしたら揺らいでしまうかもしれません。

人生リセットしたい』と思ったことは何度もありますが、

よく考えれば、刑務所に入ろうという発想はありませんでしたし…


ただ、「小学生から大学生の今まで、自分は何をやっても駄目だと感じていたこと。」

「そのことを考えると夜も眠れず苦しかったこと。」

この二点は確かに私の味わった挫折感によく似ているので、

この点だけにおいては共感することが出来ると思います




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自分人生責任も、運命を変えるのも、残念ながら自分しかない。


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その通りですね。自分人生をどうやったら大切に出来るか、自分なりに模索している最中です。


ただし、ご自分人生責任を取るのなら『この記事だって誰の責任も取らない。』のではなく、

やはり言ったという事実には責任を持たれたほうがいいと思います

持てないのでしたら、それこそ私などに発信せずに匿名でやってください。

私は匿名という時点で、心苦しいですがあなたと同じ土俵には立てません。

この発言をすることで周りへかかる迷惑を考えた結果の匿名ですので、

その点に置いては私は自分発言責任を持とうと思っています






自分自分であるというただ一点で何よりも尊い。についてエントリーを書かれた方




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「こうやれば楽に生きられるかも」なんてものは何も書けないと思う


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私は前回の記事でとても傲慢なことを書いてしまいました。

そうですね。そんな素晴らしい答えがあったら私も悩んでいません。

どうかその考えることを大事にしてください。


とてもいい環境で育てたのですね。それはあなた財産であり、誇りになると思います

どうかその世界をつくってくださった人を大事にしてあげてください。

そうして、きちんと悩めるあなたなら、誰かのために手を伸ばすことが出来るでしょう。

だってやり方をきちんと教わってきたのだから

うらやましい限りです。手探りでは、なかなか及ばないところも多く、歯がゆい日々です。


でも、どうか私みたいにこれがいいと決めつけて傲慢にならないでください。

きっと時と場合によって回答は常に変化してしまうでしょうから

時々、休みつつ、問題真摯に向き合っていくことが大事なんじゃないかと思う今日この頃です。


私もようやく「自分は、自分であることから逃れられない」

ということを受け入れ始めることが出来てきたように思います


その「尊い」という感覚は、きっとあなたがおっしゃるように他者との間にしか見つけられないものです。

そして、時にものすごく得ることが難しい。

でも自分大事に出来てこそ、他者大事に出来ると思います

陳腐だと言われてしまいそうですが、

自分を愛せないのに、どうして他人を愛せようか」ということです。

そして、これが未だに誰かの胸を打つのは、この言葉が響く人が確かにいる証のように感じます


書いてくれてありがとう。私の考えるきっかけになってくれて、ありがとう

あなたの近くで転べる人は幸せなのかもしれない。

きっと苦しい状況はすぐには変わらないけれど、起こしてもらえるのってすごく大きな力になる。

あなた人生を曲げない範囲で、どうか他者を労ってあげてください。


私もあなたのようになりたいです。ほどほどを忘れずにね。






以上で追記は終わりです。誤字脱字はご愛嬌範囲でお願いします。



そして、私の個人の思う所を書いたという点だけは、重ね重ねですが、どうかご了承願いたいです。


この一連の記事を書く前は私は魔法のような一発で解決する答えがあるんじゃないかと

心のどこかで思っていました。

でも、たくさんの意見に触れてそうじゃないと気づけた。


きっと、現状を少しでも良くするためには、どうすればいいか?

それを柔軟に考えていくのが大事なんじゃないかと思えました。


これが現時点での結論です。

きっとまた四苦八苦して変えて、いかなくてはいけないのだと思います


この投稿は、私の疑問の声であるという点を汲んで、少しでも考える機会になったら

これほど書いてよかったと思うことはありません。


長文、失礼いたしました。

2015-09-05

勉強好きなんだね、とよく言われる。

それは僕の経歴から出た言葉だろう。

旧帝大の院を出た後に、社会人をした後に医学部を再受験した。

大卒の人に比べると、大学院医学部で8年間も長く学生をすることになる。

勉強を好きか嫌いか言われたら、どっちでもない。

中学の時は、自分存在証明みたいなもんだった。

部活も入ってなく帰宅部だった冴えない自分学校で一目置かれるためには勉強しかなかった。

一つ目の大学に入った後は受験燃え尽き症候群で、一気に勉強が嫌いになった。

社会人になって、医学部に入り直したのは、単純に生きていくためだったように思う。

業界自体斜陽だったけど、会社自体はいわゆる一流企業だったし、定年まで勤めていけば、生きてける。

だけど、それが本当に生きていることなのかわからなくなった。

社畜なんて煽りたくないけど、それこそ会社に生かされているだけのように思えた。

事実会社には利益を出さないのに給料をもらっている人ばかりだった。

生きていくためには、スキルがいる。

そう思った。

今、勉強しているのは、勉強が好きとか嫌いとか、国家試験に受かるためとか、そんな次元じゃなく自分自分らしく生きるために勉強している。

自分にはこれができます、この知識、スキル誰かのために役立てることができますと、ある意味自分アイデンティティーにするための勉強

勉強は、それが目的ではなく、手段だと気がつくことができたお話

2015-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20150831022157

発想が本末転倒っていうか、誇示するために記録するからつかれるんじゃないかな。

自分が楽しかたから、それをその間にいなかった友達とか次に話したい誰かのために

おすそ分け的に思わずちゃうだけの単純な話。

おすそ分け、とかいっても余計なお世話ではあるけれど。

自分が残した話に誰かが興味持つか触れずに流されるかは、たまたまみたいな物事のはずで

リアクションがあるべき前提だから、余計にSNSに残す目的が目立って、本来過ごす時間

徒労に感じられるのでは。

好きなことしてそれを残せばいいんじゃない

家族とご飯食べに行った〜お父さんが頼んでたこれうまそうこれにすればよかったw とか

ゲーム買った!これからやるぞーわーわー! とか

その延長に、今日友達とここにきたぞー!みたいのが脈絡なく並ぶくらいで

友達との予定がなくても楽しいことが並んでて自分が楽しめてればそれでいいんじゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20150830211803

現実だろうがネットだろうが面白い個人とそうでない個人がいるってことをどうしても納得しない人種がいるんだよ。増田がそれ。

面白い個人の面白さを最前線で楽しむ席ってのは、有限なんだ。誰だって顔も見えないリターンもくれない誰かのために自分を切り売りしたくはない。

昔はWebは小さく、対価として「面白い自分」を差し出せない人間でもB席C席にすわれてた。ただ受け取るしかできない人間でも参加してるつもりになれたし、ネットは俺たちの世界だなんてくだを巻いていられた。

いまはWebも細分化されてそれぞれ面白いやつは面白い仲間と遊んでいる。対価として「面白い自分」を差し出せない人間はそのコミュに招かれない。

MMOソシャゲでもSNSでも、友人や囲い人をすぐ作れるヤツもいれば、作れないヤツもいる。大半の人が目をそらしたいようだけど、個人の言動ってのは、顔以上に美醜があるってことなんだと思う。

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