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はてなキーワード: 誰かのためにとは

2015-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20150705032222

上手い理屈をつけて反論は出来ないから感情意見を言わせてもらいたい。

まれてこない方がいいと思うことは、社会全体から見たら生産的なのかもしれない。

健常な労働者が1人増えるわけだ。だが社会全体から見たら1人の力の影響は微々たるもの

誤差のレベルしかない。

あなたの街の人口は何人ですか?日本人口は?世界人口は?

そのうち障害を抱えた方の割合は幾らですか?

1人の存在些細な問題です。少なくとも世界にとっては。

もちろん、あなた自身やご家族にとっては悩ましい大きな問題だろうと思います

社会全体の問題よりも、もっとずっと大きな問題なはずです。

私は、あなたあなた自身を含めた障害者の方達が生まれてくるべきか否かと、

考えてしまうことが、非常に勿体無いと思う。

私なら、生まれて来たんだから何か人の役に立つことをしよう、人の役に立てる人間になろう、と考える。

そう考えるようにしている。

私もあなたと同じように、生まれてこない方が良かったという思考に囚われた時期が有った。

でも、そんな風に考えると前に進めなくなってしまう。

思考が狭く狭く自分の殻の中に閉じ込められて行くような感じがして生きる気力が湧いてこなくなる。

から自分誰かのために出来ることはなんだろう。

まれてきて良かったと思えるように出来ることはなんだろう。

そう自問自答して、日々の行動に移すようにしている。

しょっちゅう躓いて、後ろ向きなことを考えて、時々死にたくなっても。

私は歯を食いしばって、這いつくばって進んで行こうと思う。

2015-06-30

人間誰しも我が身がかわいいものであると思う。

世界平和であればいいと願うけど、ひとまず自分自分に関わる人・ものが無事ならそれで安堵する。

そういう感じ方に罪悪感をおぼえてしまうと生きるのがつらくなるよ。

知らない誰かのためにも祈れればいいのに。

2015-06-20

平日は週末を楽しみにしているくせに、週末になると絶望的な虚しさに襲われ、仕事したくないなあなんて思いながらまた平日を楽しみにしてしまう。

昔は1日中アニメ見たり漫画読んだりであっという間に週末は潰れてしまっていたが、

歳をとってきたせいか段々どちらも興味が薄くなってきて、暇を持て余してしまう。なおイングレスも飽きた模様。

平日仕事している時には「これは週末にまとめて調べてみよう」なんて後に回すんだけど、

週末になると自然仕事に関することは避けてしまい、結局「やらなきゃ、やらなきゃ」なんて義務感と責任感の残骸みたいなものけが残って心から週末を楽しめない。

テレビを見ていると、鉄腕ダッシュ放送されていた。どこかで見たことあると思っていると、やはり再放送というテロップが流れた。2014年9月。去年の夏だ。

うそんなに経ったのかという思いと同時に、俺は何をしてきたんだろうと思う。

思い出らしい思い出がない。この僻地で、一人っきりで、仕事しかしていない。

俺は何のために仕事をしているのだろう。何のために生きているのだろう。

思い出が主食だ。思い出を思い出しながら、俺はかろうじて生きている。

その割には、ここのところ将来に向けての思い出を作っていない。

作らなきゃ。思い出を、楽しい思い出を作らなきゃ、俺は人生に迷ってしまう。

結婚がしたい。もう、自分のために生きるのは飽きてきた。誰かのために生きたい。

でないと俺には仕事しかなくなってしまう。仕事がなくなった時には、たぶん死ぬしかない。

旅に出よう。趣味がない自分にとって、主食ひとつである旅は、また自分に何かを与えてくれるかもしれない。

残念なことに、今週も来週も天気予報は雨だ。

はやくこの一人っきりの家を出ないと、俺は自分を救えなくなる。

2015-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20150614001214

医者になったらよりそういう傾向が強くなるんだと思う。24時間365日患者さんのためを尽くして当然と思って来る患者が大多数だと先輩が言ってた。

めまいがする…。

ただ、こういう場所愚痴は書くけど人間としては品性をしっかり備えていきたいとは思う。誰かのためになれるっていうのはすごく楽しそう。消費されるだけっていうのは癪だけど。

2015-06-12

真夜中にする料理の話

仕事がただでさえ忙しいのに不勉強な他部署の人の斜め上の質問にまで回答を要求され気付けば10時半。今日もまた電話しなきゃいけない顧客と話ができなかったな、となんとか帰って11時半。お腹すいた。

冷凍庫にしらすが凍っていたからうむむと考えパスタを茹でた。オリーブオイルにんにく唐辛子を入れてじっくり風味をつける。凍っていたしらすを入れて炒めるときれいなきつね色になっていく。

ちょうどいい頃合いでパスタが茹で上がる。これまた凍っていた大葉やみょうがをぱらぱらと散らして炒める。風味づけに白だしをちょっと

ブラックペッパーをがりがりと引く。火を止めて、あおさのりのことを思い出したので水洗いして追加する。

即席の、しらすと大葉とのりのペペロンチーノ。うん、なかなか美味しい。

仕事は好きだ。達成感もある。でも、例えばこの仕事が痛切に誰かのためになってると思える瞬間ってそんなにない。それは私が事務職からではなく、例えば接客だって芸能人だって仕事である以上そんなもんかもしれない。

今日、私はごはんを作って私を幸せしました。もうちょい野菜をとか、11時過ぎてそのメニューは太るぞとか色々あるかもしれないけど。でも料理ができるってことは少なくともすぐ結果が出るので、食いしんぼうな私の満足にすぐさまコミットする。ビバ料理

プロでもなんでもないけれど、自分料理があって本当に良かったとときどき思う。こんな疲れ果てた日は特に料理は少なくとも私にとって、私自身を幸せにする力だ。

2015-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20150610203313

辛そうだな。

働き始めて一ヶ月たったか。傍で見ていた感想だが、お前さんはよく頑張ってきたと思う。

もし俺が同じ立場だったとしたら、きっと途中で挫けていたよ。


お前さんに向かって、頑張るな、とはいえない。それは今まで頑張ってきたお前さんの努力否定するような気がする。

でもなんていうか、ちょっと頑張り過ぎじゃないか。仕事量はわかんないけど、俺が言いたいのはそうじゃなくて、意識の高さのことだ。

素直さと真面目さはお前さんの長所だと思う。きょうびはてなで、お前さんくらいの奴は見かけない。

だがなんというか、もう少し肩の力を抜いてもいいと思う。仕事の仲間が時に、キツイ言い方するときがあると思うけど、そういう時はお前も悪態をついていいんだ。クソッ! あのファッキンプロジェクトリーダーなんだよあの態度! むきゅーむきゅーしてやるっ! 位の事言っていいんだ。もちろん面と向かっていうと向こうも傷つくかもだから(言ったほうがいい時ももちろんあるけど)、例えばここで吐き出してもいい(迷惑に思う増田たちはいるだろうが、その分逆にみんなの愚痴を聞いてあげればいいんだ。…いや、ダメかな? 無責任なこと言ってゴメンな皆 汗)。

ダメ自分(失礼)を許してあげていい。今日俺が食べたミスドポンデリングコーヒーはセット価格にならなかったけど、それを教えてあげたら店員さん必死に謝ってた。一昨日のモスバーガーでは釣り銭が少なかった。

でもいいんだぜ。それでいいんだ。皆頑張ってる。俺は知ってる。ちょっとくらいのミスでは困らないよ。他の人が(客の俺とかが)カバーすればいい。

社会人なんてそんなもんさ。ちょっとくらい頑張らなくたって、構わないんだよ。

あるいは俺は甘やかしているのかもしれない。厳しく言ったほうが店員さんのためかもしれない。そうしなければ他のお客さんが迷惑するのかもしれない。

でも知らないよそんなの。どうでもいいんだよ。

俺が嫌なのは、嫌だったのは、心をすり減らすことだ。自分の心をアスファルトに引きずって摺りおろしていくこと。頑張る、頑張る、つってどんどん自分を見失っていって、自分をいたわることさえ忘れてしまうこと。危険を知らせる非常ベルを、自ら叩き壊してしまうこと。俺達は社会人だ。社会人仕事をして対価としてお金をもらう。だからその分ピッタリの労働力提供すればいい。ピッタリ。ジャスト。それだけでいい。自分の本当に大切な物まで差し出すことはない。

そういうことは俺はもうしたくないし、俺の周りにいる人たちにも、してほしくない。

俺はエゴイストだ。勝手マウントをとってエラソーにアドバイスを押しつけている。きっとお前さんの現実は、俺がぼんやり考えているのよりもっと切実だと思う。

だがなるべくなら、出来る限り、自分を大切にしてほしい。人はしばしば、誰かのために何かのために、自分自身無視する。価値基準を知らず捨て去ってしまうことがある。少なくともかつての俺はそうだった。

2015-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20150608002856

あなた人生には意味がないかもだが、あなたの人体には意味がある。

まず献血

腎臓とか骨随とか死ななくても大丈夫ものは先に提供しておく。

死ぬ前には家族献体することを申し伝え遺書作成しておくこと。

なるべく遺体が綺麗に残るように、死んだらすぐに発見してもらえるように配慮して欲しい。

 

あなたの体が何人かの命を救えるのなら、

あなたがこれまで生きてきたことに意味があったってことでしょう。

どこかの誰かのために

2015-05-12

文系院生やってて思うこと

学部生のころ、院進学を悩んでいたとき

文系の院入学は”入院”、すなわち後戻りできない病院での長期”入院”と近しい意をもち

引き返せなくなるところまでは決して行ってはならぬ

というお達しをどこかで聞いた。

けれども学部生のころは、きらきらと輝いていて

この道を究めたいという純粋好奇心探究心に溢れていたし

自分勉強が好きなものだと思い込んでいたものから

その意味がよくわからなかった。

実際、大学院に進学して今年で三年。

この三年間で、色々なことに気づくことができたと個人的には思っている。

まず、上にはいくらでも上がいるんだろうなという

当たり前のことを、授業の度に痛感した。

文系院生の肩身の狭さは、まるでそれが社会貢献として役に立つのか立たないのかあやふやなままに

ただひたすらに大量の資料を読み、文章を書き続けなければならないという事実にあるだろう。

これ一体何の役に立つの

と自問したとき、答えが返せないという恐怖と戦うために

せめて語学だけはしっかり磨き箔をつけなければ、と日々勉強

大量の英文献を読み漁るもの

ゼミの度に教授語学力の高さに圧倒され、自分能力絶望ゼミが終わるたびにトイレで泣き暮れる日々が続く。

また何より学部のころと比べて随分、笑いの数が減った。

周りの友人が社会人となって卒業し、大学院での友人もこの春卒業を迎え、残された今

唯一の話し相手は教授と塾の教え子くらいのものである

そして研究室の隣の席には、論文が書けず、ずっと休学したままの先輩がいる。

彼の机には山積みの資料がどっさりと置かれていて、毎日毎日それを読み漁っている。

しか議論の場になると、その人の言っていることは何やらさっぱりわからない用語を繋げた謎々みたいで

挙動からも、精神状態が徐々に崩れているのが明らかにわかり始めた。

そのような姿を横目で見ていると、さていよいよ

自分達がやっていることが、あまりに”他者”のいない閉鎖的な営みであることに気づかされて、ゾッとする。

大学院文系)、恐ろしすぎる。

しかも、それを多額の学費を払って何年も続けているのだ。

普通に就職していれば、その倍以上のお金が、同じ時間で稼げたというのに。

さらに言えば、理系とは異なり、就職口は進学によって減るばかり。

どう考えてもこの選択、常軌を逸した愚か者所業しか言いようがない。

そう確信したのは、去年の秋で

嗚呼疲れた、もう大学出たい、文献読めない、いやだ、十分だ、どうして進学したんだろう、やだ、と

ぐるぐる考えてばかりいた。

でも最近、少しだけ気持ちに変化が表れつつある。

諦めの境地に至ったのかもしれない。

今更、どうにもならない。

どうせ選んだ道ならば、のんびりやろう。

よく考えれば自分のことだから大学院に進学しなければ、これほど社会と繋がることの大切さを意識することもなかった。

今の時間のんびり過ごした分、

今後、誰かのためにという気持ちで働くための動力源に変えていければいい。

そのためにも今できることをやろう。

あれほど苦労していた英文献の講読が、それほど苦にならなくなったことも

大きいかもしれない。

文献が読めると、知識も広がり、やりたいことが増えていく。

もっともっとと欲も出てきて、開き直り最近ではまだ勉強したいなと思うこともある。

そして何よりも

学部時代から世話になっている担当教授存在は大きい。

いつも冗談ばかりを言っているその姿から学部時代想像することもできなかったが

今日もまた、何やら訳のわからない翻訳をしてきた私の発表に

呆れ顔を浮かべながらも

ちょちょいと頭の中で辞書を広げるように、色々な助言を次から次へと加えていく恩師の姿を見て

世の中には本当に、恐ろしいくらい頭の良い人間がいるものなんだな、と思いつつ

あと十年二十年、学び続けることができたのなら

私もいつか

こんな風に楽しそうに、学びを得ることもできるようになるのかしら、と夢を見つつ

gmailに届いたマイナビ2016の企業メッセージ報告をクリックする今日この頃

2015-04-13

おかしいと思ったことを口にすること

ある集まりSNSに参加していて、参加者には外国人もいるので交流英語。割とまじめな、落ちついた感じの集まり。その参加者の中の、英語ネイティブではない外国人の一人がしんどい

アメリカヒップホップ大衆映画なんかの影響かもしれない、常にghetto的な、"bro"的な言い回しをしようとしていて(説明しにくい。分かりますか?)、

それ自体全然かまわないんだけど時々彼が使う言葉にドキッとする。彼は、hey bitchesとか、hey niggersとか、絶対その場にそぐわないだけじゃなくて下品差別的表現を使うことがある。

今日SNS投稿の中で使っていた。皆「えっ」と思ったり、不快な気持ちだったりはしているのかもしれないけど、誰もそれを指摘しない。

私はアメリカで育って、レイシズムとかフェミニズムとかについて何度も考える機会があった。

女性アジア人というだけで、軽く扱われたり差別されたこともたくさんある。

特にniggerって、歴史的な経緯からアメリカでは黒人ではない人が公共の場で使ったら大騒ぎになるくらいの深刻な差別用語だ。

でも、ここはアメリカじゃない。文化的文脈言葉に対する理解が違うのは分かってる。SNSはClosed groupの設定だからまりの中で私たちが許容する限り誰にも迷惑はかからないという見方もある。

そもそも、他の人に対して使っていい言葉と悪い言葉をどうこういうのは傲慢なんじゃないか。

こんなことをぐるぐる考えたけれど、やっぱり一言言わなくちゃという結論に達した。

彼の発言を正すというより、自分がここで声をあげることが大切なのだと思った。

「うっとうしいかもしれないけど、その言葉一般的差別的だとされていて、私も聞いていていい気持ちがしないから使わないで欲しい」

と書くと、「You got one thing right. (この文の中で1つだけは正しいね)」と返事が返ってきた。

まり、注意した私がうっとうしいと暗に言っているわけだ。

彼がどう受けとるかは私にはコントロールできないことだ。

普段の彼の様子から、こういった反応は十分予測できた。勇気を出して抗議したことが報われなかったことは悲しかった。

誰もこのやりとりに関わろうとはしなかったことも悲しかった。

黙ってればよかった、とは思わなかった。だって、ここで何か言わなかったらアメリカにいるブラック友達に顔向けできないし、何より自分が許せないだろう。

私が誰かのために声をあげられないのであれば、いつかまた私が差別を受けた時、誰が私のために声をあげてくれるの?

人種だけじゃない。国籍セクシュアリティジェンダー、障害、身体的特徴、社会的立場、年齢、趣味差別の種は世の中にあふれている。

皆、差別される側であり差別する側になりうるんだから全然他人事じゃないでしょ。

だれだって間違いは犯す。

だってきっと不適切で人の気持ちを傷つけることを言っていると思う。

それを誰かに指摘されたら、きっと恥ずかしいし言い返したくなるかもしれない。

だけど本当は素直に、ごめん、気をつけるね、で済む話じゃないのかな。

いろんな人がいるのだから今回のことは気にしないようにしようとしている。

でも、意外と傷ついている自分がいる。黙ってればこんな思いをしなくて済んだのにな。余計なことをしたのかな。

いや、個人レベルで行動を起こすのが大事なのだから私は自分がすべきと思ったことをしただけだ。

頭の中でずっと考えがループする。

おかしいと思ったことを口にするのはすごく勇気がいる。そして傷つく。

それでも言わなくちゃいけないことはある。もっと鈍感だったら生きやすかったかもしれない。

友達に話したらきっと肯定してくれて慰めてくれてあなたは正しいと言ってくれると思うけど、そこに逃げたくなかった。

自分の正しさを確認して終わり、じゃなくて、自分もっと考えて消化したい。でも、誰かに聞いて欲しいので増田に書きます。長くなりましたが、読んでくれてありがとう経験を書いたことで既にちょっと癒されました。

2015-04-06

ラーメン屋で「お客様神様だろ」って言っているヤツがいた

でも「お客様神様」って「仕事をしたら負け」につながるよなあ。

だって仕事って誰かのためにすることだろ?

相手のお客さんが神様で何でも言うことを聞かなきゃいけないなら、サービス提供する側(仕事をする側)は奴隷なっちゃうもん。

すげえ、不健全関係だよな。

2015-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20150330115309

「遺された人のために」って定型句になってるけど、

その考えが「私には必要ないけど誰かのために」ということで、

結局誰のためにもなってない葬式強制しているんだろ?

ぶっちゃけ、坊さんに金を貢いだところで誰の心も休まらないんだよ。

誰かが連鎖を断ち切らなきゃならないんだよ。

2015-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20150329002710

誰かの機嫌を取るのがめんどくさいから

誰かと一緒に行動するのがめんどくさいから

誰かと予定を合わさなければいけないのがめんどくさいから

誰かの顔色をうかがってびくびくするのがめんどくさいから

誰かのために金を使うのがめんどくさいから

誰かの都合のために自分が我慢するのがめんどくさいから

誰かの趣味に付き合うのがめんどくさいから

誰かと何十年も一緒にいるのがめんどくさいから

誰かのために仕事を増やすのがめんどくさいから

誰かと子供をつくるのがめんどくさいから

2015-03-19

「みんなつらいけど頑張っているんだよ」という言葉について

これを言う人が伝えたいことは、「だからあなたも頑張って」かもしれないし「だからあなたひとりじゃないんだよ」かもしれない。みんなが頑張っている内容は、朝早く起きることだったり満員電車通勤することかもしれないし、遅く帰宅した日に食事を用意することだったり、眠れない夜に目をつぶってじっとしていることかもしれない。それらは多くの人が日常的に行っていることであり、同時にいくばくかの我慢や努力を伴うことでもある。毎日爽やかでわくわくした気持ちで目覚し時計を止める人は、もっと寝ていたいという気持ちを押さえ込みながら布団を出る人よりは少ないだろう。

けれども中にはその苦痛が耐えがたいほど重篤な人たちもいる。内科的、あるいは精神的な病気が原因で、外からはその苦痛が見えにくかったりする。なまじ多くの人が毎日行うことだから、なにがしらの苦しみを日常的に経験いるから、その重篤さは見過ごされがちである。他の人は我慢しているのにどうして同じようにできないのかと、周囲の人も本人も大いに悩む。頑張れない人間には生きている価値がない、いやむしろ社会迷惑だと自分や相手を追い詰めてしまうかもしれない。

でも、その苦しみは必ずしも同じではない。あなたが深く深く苦しんでいるように、他人がみな同様に苦しんでいるわけではない。

世界絶望に満ちているわけではない。

から安心して自分の苦しみを癒やすことに注力していい。自分よりももっとつらいかもしれない人や、もっと我慢しているかもしれない人のことなんて心配しなくていい。そんなことはもっとからでいい。心が絶望に満ちておらず、かつ誰かの絶望理解し、それを少しでも掬ってあげられるような人間に、長い長い時間をかけてなれるだろう。

うまく言えないけれど、伝えたいのは、

みんなつらいけど死に至るほどじゃなくて、

誰かのために頑張る余裕もないわけじゃなくて、

から世界絶望に満ちていないっていうことだ。

2015-02-15

周囲の皆さんには本当に感謝していると言ったら怒られた話

先週金曜に職場飲み会があったんだけど、そこで俺が仕事で良い成果を出したという話になり、

さすがだな、たいしたもんだと先輩方に言ってもらえたので、いい気になりそうなのをこらえ、

「いえ、自分一人では絶対何もできませんでした。皆さんが僕をサポートしてくれたからこそ、

ここまでやってこれたんです。本当にありがとうございます。この恩は仕事でお返ししていくつもりです」

というようなことを言った。

そしたらその晩、その場にいた先輩のうちの一人からLINEメッセージが来て、

「お前は人に支えてもらうことしか考えていないのか」

自分が誰かをサポートする、という発想がないようなら、俺は今後お前と仲良く仕事していくことはできない」

などと言われた。

飲み会での発言は当然この先輩に向けたものでもあったし、先輩のサポートだってしていきたいと思っていたので、

このメッセージにはびっくりしてしまい、何か誤解があるのかなと思って、

自分も人に支えてもらうばかりでなく、誰かのために力になりたい、サポートしたいと思っています

しかし、今は人に支えてもらったぶんの半分も返せていないと思っています。先輩にもこれまで助けてもらっていて、

感謝してもしきれません。その分これから返していくつもりです」

と返事したんだが、

「そんなふうに、自分が誰かの力になるという行為エクスキューズをつけるようではまだまだだ」

と返され、どう言っていいのか分からず、以降会話が途切れている。

確かに、誰かに何かしてもらったか自分もお返しに、というふうに交換条件的に他人に何かしてあげることしか

できないのは人間としてどうかと思うし、できることな自分も、無償の愛っていうと大げさだけど、見返りを期待せず

自発的に人を助けられるような大人でありたい、と思っている。それでこそ立派な社会人だと考えている。

ただ、もしかしたら、自分も後輩や友人、恋人に対して支えとなったり助けを施してこれたのかもしれないけど、

それを自分で「俺は見返りを期待せず、こんなサポートをしてきた」「頼まれたわけではないのに、人にここまでしてあげた」

などと主張することが、とても品のないことに思えてならない。

から俺もその先輩に「いえ、自分エクスキューズなしに人の力になれる人間です。誤解です」と言うことができないでいる。

自分のしてきたことや、それが職場人間関係にどんな好影響をもたらしたかをちゃんと述べることは大事なんだろうけど、

どうしても「自分は見返りを求めずに行動してきた立派な人間だ」と言うことが下品という考えにしばられ、

「いや、あのときは借りを返しただけです」「あのあときっちり奢ってもらいましたから」というようなことばかり言っている。

皆さんは、ちゃんと自分が見返りを求めず行動できる人間だって人に主張できますか?

2015-01-25

男女の人権と欲求と差別と、遠い未来についての思考メモ

http://anond.hatelabo.jp/20150124122808

ブコメはありがたく全て目を通させて頂きました。考えはまだ拡散してまとまりません。

 

男性支援アンチフェミニズムではない

フェミニズムの延長として、男性にも抑圧されてる面があるんじゃねって視点が出てきたわけで、実はこれはフェミの成果でもあるのよ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/239953973/comment/c_shiika

 

男性権力神話』の著者ワレン・ファレル氏は元々フェミニストであり、女性社会進出を助ける活動を行っていたそうだ。

彼が目指しているのは女性差別男性差別の双方を撤廃することであり、アンチフェミニズムではない。

 

フェミニズム議論は「男性女性を抑圧する加害者である」に留まりがちだが、復讐から一歩進んで、

「なぜ男性女性を抑圧してきたのか」「男性が抑圧されていなければ男性女性を抑圧する必要が無くなるのではないか」と、

より解決志向議論に向かえば望ましいと思っている。

 

「自らの命の価値に自信が持てない」問題

男性は「美貌の女性」に憧れてそうしたストーリーを消費するわけではない。むしろ、「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性を捨て身の献身でもって落とした男性」に憧れるのである特攻隊についても言及されているが、彼らは別に"天皇および祖先のため"だけに死んだわけではない。家族や守るべきもの、あえて言えば自分が「男らしさ」を発揮できる対象(≒自分より弱い者)のために死んだのだ。死で終わるこの手の物語は言うまでもなく「捨て身の献身」の物語として最上のものである。そしてこの手の物語に最も惹きつけられる人間は、自らの命の価値に自信が持てない人間である。なぜなら、誰かのために死ぬことは、少なくともその誰かの命の価値を自らの生に与えることだから

http://anond.hatelabo.jp/20150125113634

 

他人価値があると言って貰えないと、自らの命の価値に自信が持てないことに、様々な人間関係上の問題の原因があるのだろう。

人間ゲームの初期設定のように平等スキルポイントと割り振る自由を与えられているわけではなく、

体力10+知力10+魅力10総合30点の人間と、体力1+知力1+魅力1=総合3点の人間存在するのが現実だ。

 

欲するだけの「客体としての価値」が得られなかった人間が、苦しみのはけ口として男女論を使うシーンは多い。

個人的な苦しみが絡むからこそ、多くの男女論は生産的な方向に進まず、ミソジニーミサンドリーの殴り合いになる。

人種差別も似たようなものなのだろう。「自らの命の価値に自信が持てない」から、無条件に自分よりも命の価値が低い存在必要とする。

 

そして、今「強い男女」であったとしても、老化によって「弱い男女」になっていく。

自分は強い・美しい・賢いから生きる価値がある…といった、条件付きの自己存在承認をしていた場合は、

事故病気、老いなどが原因で「弱い男女」となったとき精神的なクラッシュを迎える可能性がある。

 

また、テクノロジー進歩によって、自分役割が「商品」に代替され、存在意義が揺らぐ可能性もあるだろう。

親より友人より恋人より、音声アシスタントの方が有益で快適な話し相手になる時代が来るかもしれないのだ。

他人に求めていただくこと、他人価値を認めていただくこと…そのハードルは昔と比べてどんどん上がっていくだろう。

特攻隊のような捨て身の献身も、「生産性が無い」「時代遅れ」「死ぬしか能が無い」と冷笑するのが今は主流かもしれない。

 

男性女性による欲求の表明を抑圧する理由

女性が待ち」の構図は戦前男性社会が作ったんだよね。女性から告白するのは「はしたない」ものだったわけで、むしろ抑圧の象徴だったんじゃないかな。

http://b.hatena.ne.jp/entry/239953973/comment/azutokimiya

 

女性から男性への告白を禁じることによって、よく告白される男性と全く告白されない男性格差を隠すことができる。

女性は欲望を持たない清廉な存在だというファンタジーも、女性に傷つけられないためのモノ化手法の一つなのだろう。

男性が「女性Aには興味があるが、女性Bには無い」という感想を持つように、

女性も「男性Aには興味があるが、男性Bには無い」という感想を当たり前に持つものだ。

男性B」扱いされることを恐れすぎる男性は、女性による欲求の表明を抑圧する構造・風潮を作ろうとする。

男性の苦しみは女性の欲求が原因ではない。

たかが一人の女性必要とされなかったことによって、自らの価値が揺らぎすぎることに原因があるのだ。

 

欲求と差別の話

性差別問題は、「男性には許されて女性には許されない」「女性には許されて男性には許されない」の解体が最終目標となる。

ただ、もし仮にこの解体が上手くいって、男性だけの苦労や女性だけの苦労が無くなったとしても、

客体としての価値が高い「強い男女」と、客体としての価値が低い「弱い男女」の格差は残る。

「強い男女」同士が同僚・友人・恋人配偶者として求め合い、「弱い男女」は「強い男女」を求めつつあぶれる結果を招くだろう。

「最貧困女子」が話題になったが、弱い男女は客体としてはストレッサーになる場合が多いのだ。

 

昨日放送されたNHKの「ネクストワールド私たち未来」では、73歳の高齢男性篠田麻里子演じる若年女性に恋をする描写があった。

数年前に放送されたNHKスペシャルでも、重度脳性麻痺40代男性が、「脳性麻痺ではない健常な女性と恋をしたい」と主張していた。

夫に興味を持てなくなった中年女性が、ヨン様氷川きよしK-POPアイドルなどに熱を上げるのも、身近で耳にするレベルでよくある話だ。

こうした欲求に対して、釣り合わないだの、みっともないだの、鏡を見ろだの、要は「欲求を持つな」と強要する人々が居る。

しかし「弱い男女」が「強い男女」を求める気持ちは、禁じても無駄なほど強いものであろうし、求めるだけなら権利があるのである

ただ「強い男女」にも、「弱い男女」からの求めを受け入れるかどうかを決める権利がある。当然の人権だ。

受け入れられなかった側が「高齢者差別」「障害者差別」「ルッキズム」などと怒ったとしても、

弱者に、強者個人的交友や時間の使い方の選択権を侵害する権利があるわけではない。

 

弱者の欲求を受け入れるのは、人間ではなくロボット仮想現実上のキャラクターになっていくのではないかと思う。

ロボット仮想現実純粋な客体であり、苦しんだり傷ついたりする主体は無い。

http://anond.hatelabo.jp/20150124122808

思考メモとあるとおり、従来の男性ロールが別に男にとって素晴らしいものではない理由が並べられながら、だからどうするという結論存在していないのだが、この増田は恐らく「男らしさ」の物語に強い憧れを抱いているのではないだろうか。増田は巷に溢れる「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性と、その女性を捨て身の献身でもって落とした男性」のストーリーに対し、

男性が「美貌の女性」に憧れる限り、女性が「捨て身の献身」に憧れる限り、そうしたストーリーの人気は続くだろう。

と書いているが、男性は「美貌の女性」に憧れてそうしたストーリーを消費するわけではない。むしろ、「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性を捨て身の献身でもって落とした男性」に憧れるのである特攻隊についても言及されているが、彼らは別に"天皇および祖先のため"だけに死んだわけではない。家族や守るべきもの、あえて言えば自分が「男らしさ」を発揮できる対象(≒自分より弱い者)のために死んだのだ。死で終わるこの手の物語は言うまでもなく「捨て身の献身」の物語として最上のものである。そしてこの手の物語に最も惹きつけられる人間は、自らの命の価値に自信が持てない人間である。なぜなら、誰かのために死ぬことは、少なくともその誰かの命の価値を自らの生に与えることだから

だが現在では、男であるというだけでそうした物語主人公になることはできない。自由恋愛の下に女性と付き合い、結婚し、家庭を持つ必要がある。しか自由恋愛の下では、男性内での強者弱者という構造が発生する。「男らしさ」規範内面化した弱い男にとってこの構造は大問題である。「男らしさ」の物語に憧れているのにもかかわらず、自分はその物語主人公にはなれないのだから

降りてしまえば楽になる。だが、降りる自分と「男らしさ」の物語に憧れている自分との折り合いをつける必要があるから、「男らしさ」の物語の酷さを並べて物語を崩そうとする。あるいはフェミに傾倒したりすることもあるだろう。

ただねえ、そう上手くはいかないんだこれが。強いて言えば老いが解決してくれるんだが、そんなこと今悩んでる若い子に言ってもしゃーないか。

2015-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20150119165353

違う違う。

まだBlu-ray出てなかったっけ。

あの偏屈エンジニアの初回顔合わせのところで明かされてたハズ。

つうか、「オレの事を戦争英雄から上層部に伝えてもらえれば」「何やっても研究所で解剖されるだけ」ってやりとりも覚えてないのか。

そもそもが、

  1. トム・クルーズ前線送りにされる
  2. たまたまタイ指揮官クラスにヒット(ループ開始)
  3. 「このままだと待ち伏せで全滅だ!」→全員無視
  4. 経験値積んで仲間を助けながら生き残りを目指す
  5. エミリー・ブラント(前回戦線で大活躍)と偶然ばったり→アタシを探せ!
  6. 「オレなんかループしてるんだけど」「アタシも前回ループしてたけど、その能力無くなった」←ココで明かされてる
  7. なんとか人類が勝つためにエミリーがトムをシゴキ始める(以下略

という流れで、トムはループを抜け出すことよりも、ループを使って周り(人類)を助ける事を目的にしてる。

途中ヤケになって、バイクで脱走してビール飲んでるシーンが有っただろ。

あれがあるから、明確にトム・クルーズ自分のためにループを使ったりループ脱出をしようとしてるんじゃなくて、

誰かのために、シゴキの途中でガンガン撃ち殺されるのを耐えてるって象徴的なシーンになってる。

デブ飛行機墜落に巻き込まれるのを見捨てるシーンとかも、「大義のために大事な人をも見捨てる」象徴だよな。

(直接描かれてないが、トムが一人でダムに行くってことは、エミリー死んでるだろ)

あの最終決戦時に、「エミリーにとっては会って間もないトム」と「トムにとっては死ぬほどコンテニューして助けようとしたエミリー」が対照的に描かれてただろ。

単純な脱出系じゃないからこそ、ラストシーンに繋がるわけであって。

2014-10-13

就活失敗して良かった

今年で35歳。超就職氷河期で、就活を失敗してから

10年が経った。新卒当時、出したエントリーシートは50社以上、

面接へ行ったのは30社以上。しかし俺に内定をくれる

企業は1社もなかった。

落ちまくった当時は毎日死ぬことばかり考えていた。

でも、あの時、死ななくてよかった。

そして、就職活動で失敗して良かった。

就活失敗から得られた事が、今の自分を支えてると

言っても過言ではない。参考になるかは解らないが、

決して就活失敗はデメリットじゃないという事を

書いてみたいと思う。

■とにかく手に職をつけるという意識ができた。

自分コミュニケーションが苦手な部類の人間だ。

面接で上手いことやって内定を決めていく友人を横目に

落ち続けた俺は、とにかく手に職を持たないと、

どこも採用してくれないと考えるようになった。

そしてこの時、気付けたことは非常に正しかった。

自分技術」と「仕事の結果」だけが仕事を持ってきてくれる。

という意識が刷り込まれた。俺は、就職活動を失敗したおかげで、

会社から仕事をやらされるという感覚を持たずにすんだ。


自分ダンピングする事をおぼえた。

当時、自分ができそうなことは、人より料理が好きなのと、

パソコンを触るのが好き、というぐらいしかなかった。

どちらも素人レベルだったので、技能アピールしても、

普通採用なんてしてもらえない。そこで自分技術

身につけられそうな会社に「初年度給料0円」で

置いてもらえないか相談をした。

結果、WEB制作会社と和割烹料理屋の見習い

もぐりこむことができた。(結局0円は労基法違反

なるとのことで、アルバイト780円みたいな金額で

置いてもらった)

今でもこの時の考え方は凄く役立っていて、

新しい仕事を全くのスキルからやりたい場合は、

0円でするというのが、非常に有効だと気付いた。

みんな「タダ」であれば、技能的に欠けていても、

お願いしたくなると解った。

実績を作ってしまえば、あとはその結果に見合った

値付けができる。最初はタダでする方が圧倒的に有利だ。

■やりたい仕事動詞であると知った。

新卒のころ、「○○業界に行きたい」とやたらめったら

応募していたが、それは間違いだと気付けた。

事実、俺は自分が好きだろうと思って、

もぐりこんだ料理人仕事だが、全く向いてなかった。

毎日20匹以上の魚を捌き、10本以上のだいこんを剥く

作業は苦痛しかなかった。料理人料理を作る人というより

効率的に作業をこなす人であった。

半年で続かなくなり、料理人になるのはやめたわけだが、

自分が「単純作業を繰り返してお金をもらう」類の仕事

全く向いてないと気付けたことは大きい収穫だった。

一方でWEB制作仕事は性に合ったらしく

死ぬほど、エンドユーザのことを考えろ」

という作業は自分にとって

物凄く楽しい仕事であると知った。

なんとなく総合職就職しなくてよかった。

就職活動に失敗したおかげで、

自分が一生続けたいと思えることを見つけることができた。

業界が変わっても会社が変わっても職種が変わっても

死ぬほど誰かのために考える」という仕事

就き続けれる限り、俺はハッピーだと気付けた。

■安定とは幻想だと知ることができた。

当時、安定した企業、安定した生活みたいなものを夢見たが

会社に頼る生き方は全く安定していないと知った。

たとえ大企業に身を置いていたとしてもつぶれるリスク

リストラされるリスクは大いにあるし、

やりたくもない仕事に何年も就くことになるかもしれない。

総合職として与えられた仕事をいくらこなしていても、

その会社企業人としては最適化されるが、他で通用するかは解らない。

自分の置かれている状況が悪くなっても、

自分スキル客観視できないので、転職するのが怖くなってしまう。

皮肉なことに安定を望んだ選択を続ける結果、

不安定要素が膨らんでいくことになる。

30を過ぎて新卒就活成功組が社内政治とかの影響で

振り回され、仕事を辛そうにしているのを見ると、

就活を失敗して、会社に頼らない生き方を選択できるように

なったことは、すごく良かったと実感している。

人生において、家族が最も大事ものだと気付いた。

なんだかんだで、最後自分を支えてくれたのは

彼女であり、両親であった。0円就活みたいな馬鹿アイデア

支持して「大学院に行ったと思ってる」と言って仕送り

続けてくれた両親と、「お金は渡せないけど、ご飯2人分は

作ってあげる」と言ってくれた彼女には一生頭が上がらないと思う。

就職活動を失敗したおかげで、

自分にとって本当に大切な人に気付けた。

親や彼女に何かあったときは、仕事よりも何よりも

最優先で助けたいと思えるようになった。

―――――――――

あの時、本当に死にたかった。でも死ななくてよかった。

今、死にたいと思っている就活失敗した人、1人でも良いので、

この言葉が届いて前を向いてくれたらうれしいです。

そのうち、どこかで一緒に仕事しましょう。


【追記】

思った以上にコメントをいろいろいただいたので、

ちょっと返信してみます

>足りない若さ嫉妬か?

若さ、羨ましいですよw。若いってだけで、

道が切り開けることたくさんあります

から、色々と考えてやってみたらよいと思います

みんなが解りやすく思い描くルートじゃない所にも、

素敵な人生は転がってると思うので。

大企業のこと、お前何もしらないだろ?

半年くらい前に辞めましたが、

ここ3年くらい働いていた会社は、

業界の最大手企業でした。

中途採用で入れてもらいました)

大企業総合職は、本当にずば抜けて優秀な人もいますが、

多くは普通の人ですし、仕事全くできない人もいました。

そして、大企業で得られる経験は確かにあるのですが

(例えば中小では絶対に受けられないような金額の仕事とか)

一生、好きなことをして食っていくための力は、

中小に居た時に教えてもらったことの方が大きいと思ってます

>運が良かっただけだろ?

たぶん、その通りです。運が良かっただけです。

でも、無事故ではないです。書きませんでしたが、

スーパーブラックに入って1か月で頭はげて辞めたり、

彼女に振られてどん底まで落ち込んだり(半年後に寄りは戻せたけど)、

転職面接で落ちた次の日に、取引先だった知り合いから

仕事の話いただいたりと、紆余曲折は今でもしょっちゅうしてます

なんというか、就活失敗したおかげで、

転び方が上手になったと思うんですよね。

おそらく明日会社クビになっても生きていける感覚とか、

そういうの順風満帆だったら持てなかったと思います

>俺も彼女ほしい

失敗ばかりの人生でしたが、彼女出会えたのは

奇跡でした。こればっかは、本当に運が良かったとしか

言えないです。すみません。一生大事します。

2014-09-25

この数年好きな言葉「情けは人のためならず」

誰かのために何かをしてあげたいと思ったら、それを実行した段階でお返しを心の中にもらっていると思う。

見返りが欲しいとか、相手の変化を見たいとか、相手の喜ぶ顔が見たいとかは、私の基準では欲の範疇(確かに喜ぶ顔が見れたらうれしいではあるけどね)。

人は欲で行動してもいいと思うけど、私は自分の欲で行動しているという自覚は持っていたいし、私と関わる他人にもできれば持っていて欲しい、と常々思ってる。

具体例を挙げるなら「インド人乞食お金をあげてもたいてい感謝しない」ってのもそういうことだと思う(お金をもらった瞬間に相手の心に対価は与えているし、徳を積ませているのでイーブン。互いに上も下もないし、貸しも借りもない)。

誰かのため、なんて無い。すべてが自分のため(自分の心が満足するため)に行動してると思う。

そういう感覚が当たり前なら、自らが与えた乞食ありがとうと言わなかったり、飲食店も態度悪かったりありがとう言わない(対価の食事は渡しているから)ことに対して文句も出ないはず。そういう感覚に触れたいってのもインドに惹かれる理由の一つ。あー、また行きたいなぁ。

でもよく考えたら20年くらい前から考えてたな。この感覚(「○○してあげるというくらいならやってくれるな」が口癖だった)。

とまぁ、飲みから帰って久しぶりに一人でお酒を飲んで、だらだらと頭の中でぐるぐる遊びをしている夜なう

ぐるぐるから離れるためにも、たくさん本を読んで、知らないことを体験せねば。

2014-08-15

そもそも「なにもやる気が起きない」ってことはある。

オナニーをやめることだ。性欲があると他のことをするためのエネルギーができる。

また精子を作るためには膨大な量の栄養必要なので、その栄養を他にまわすことができるようになる。

日常的にやっている遊びがあるなら半分にする。

本やDVDゲームを半分捨てる。

遊びに使う時間を減らす。

部屋を掃除して1年以上使っていないものを捨てる。

「やる気を出すための本」を読む。

サラリーマン用に売ってる嘘っぽいやつをどんどん読む。

自分のために生きようとすると、生きている理由がなくなって失速する。

自分のためではなく、誰かのために生きること。

できればリアルに近くにいて頻繁に会える人であることが望ましい。

コンビニで買ったものを食べないようにする。

保存料が大量に入っているものは徐々に肉体を蝕む。

日常的に甘いものを食べると脳がやられる場合がある。

定期的に転職サイトで職を探す。

業務の内容を詳しく読んでいくと今なにをするべきなのかが見えてくる。

2014-06-28

一人暮らし自炊って虚しすぎるだろ

料理なんて、誰かのために、あるいは誰かと自分が一緒に食べて幸せになるために作ってなんぼじゃん。

一人で苦労して作って一人でうまいって思ったってなんの意味もない。

コスパも悪すぎるし。

趣味っていうならまだわかるけどさ。うん好き勝手にやってよ。

でもさーやっぱり自炊自体目的になるのはいろんな意味ダサい

メシ普段何食ってる?自炊してんの!?すげー!大したことしてねーよXXだけ~いやそれでもすげーって!!!

とかね。

そういうネタで決まりきった世辞を受けてホイホイ調子に乗ってる野郎。

自炊してる俺♪に酔ってるだけのやつ。

ウザい。

2014-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20140618170006

趣味自己満足だといってるわけだし、その趣味誰かのために何かをしたいと思ってないんじゃないか。

写真撮影はあくまで自分が楽しむための手段、その趣味でどんなに親しい友達だとしても何かをしてあげようとは思わんという話。

そもそも友達結婚式という大きなイベントの時にわざわざしゃしゃり出て何かしようと思わないという人もいるだろう。

2014-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20140601235132

ありがとうございます。そういう考え方もあるのか。

確かに「誰かのために頑張れるかも」ってのも、どこか現実から逃げているのかもしれません。

何か生物として必要がない気がしてドーナツの穴みたいな気分になる時があるのです。

猫ですか。確かに猫は良いですね。

動物大好きなので近い未来ペット可物件動物飼うのもありかもですね。

すごく参考になりました。

2014-06-01

ぼっち

ぼっち三十路

Facebookとか孤独感か仕事自慢ばっかで見ても

落ち込むから見るのやめた。

最近結婚しましたって報告も一段落して

妊娠しましたとか、子供と写ってる写真とか

否が応でも入ってくる。

さみしいし、嫁が欲しいが

周りは一癖ある女性しかいない。

素敵だなって人はだいたい結婚してるか

長く付き合ってる彼氏がいたり、同棲してたり。

最近は嫁より子どもが欲しい。

誰かのためにがんばりたい!

誰かに必要とされたいと思ってしまうのって

僕だけですか?

独身の人は皆、さみしさはどこで埋めれば正解なのかな。

2014-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20140512164803

その意味でいくと「一人は社会的に認められない」じゃなくて「一人だと社会として成り立たない」だけでしょ。

ぼっちって言ったって自給自足暮らしてるんじゃないんだから、誰かが作ってくれた作物を食べて服を着て、誰かのために仕事してるよ。

何故社会的承認を得られないのだろうか?

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