言葉にできない怒りがふとした拍子に噴出する。いつまでも持ち続けるのはしんどいという理由で手放したはずの親に対する怒り。書き起こすにもしんどいが、心の奥底には確かにあって煮えたぎっていることを久々に確認したので整理をつけるためにも書き留めねばならない。
多分、私は無条件で親に愛されている自信がない。いつだって、いい子だからとかキリスト教信者でいるからだとか、そういう条件つきな気がしていた。25になって、そうではない自分、自分らしい自分をおずおずと見せているのだが、それに対する親の対応に過剰反応してしまう。
親が自分たちに非があると考えていないところが憎い。自分たちの子育てが正しかったと盲信しているところが憎い。教会の中だけで寛容なキリスト教信者を演じている感がとてもあるのが気色悪い。それでいて自分たちは善人だ、私たちのようにキリスト教信者であれと他人を断罪しているのが納得いかない。
周りのキリスト教信者の子供たちは、幸せそうに同じキリスト教信者として生きている。それに引きかえ、うちはデキ婚・酒・タバコ・異性交遊・夜遊び・キャバクラ通い・パチンコと、子供全員がキリスト教信者とは真逆の生活を送っているが、その発端は自分たちの教育だと自覚しているのだろうか。
きっと分かっていない。罪のせい(笑)とか思ってそう。悪魔もいい迷惑だ。だから私の子育てに対して批判的なのだ。あんたたちの子育てでどんな子が育った?どっちにしろ泣き喚いたりするのは子供によくあることだろうに、私たち姉弟も通ってきた道だろうに、私や娘の人格否定までしてそうで悔しい。
無自覚に排他的な偽善者たち。あなたたちを見ていて、キリスト教信者になりたいとは思えない。非信者の方がよっぽど寛容で親切で真摯で家族思い。それらを切り捨てることはかみさまの教えではないはず。私がかみさまに願うことは、彼らが自分たちの矛盾と向き合う機会がくること。そうならないのならば、彼らの信仰する形での「かみさま」を信じることはないだろう。