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2023-12-28

役不足」と「役者不足」の誤用について調べてみた

はじめに

一般に「役不足」と「役者不足」の誤用については以下のように説明されると思う。

役不足」とは「能力に対して役が不足している・地位が低すぎる」という意味だが、逆に捉えて「役に対して能力が不足している・地位が高すぎる」と誤用されることが多い。「役に対して能力が不足している」ときは「役者不足」と言うべきである

こうした言説について少し検証してみたい。

役不足

まずは「役不足」の辞書的な定義を見てみよう。

精選版 日本国語大辞典

やく‐ぶそく【役不足】〘名〙 (形動)

① 振り当てられた役に対して不満を抱くこと。与えられた役目に満足しないこと。

滑稽本・八笑人(1820‐49)四「くじ次第にして、役不足(ヤクブソク)をいひっこなしだよ」

② その人の力量に対して、役目が不相応に軽いこと。軽い役目のため実力を十分に発揮できないこと。

※文科大学挿話(1926)〈川端康成〉一「人間の才能は役不足時代に衰へてしまひ易いものなんだ」

③ (誤って、役に対して自分能力が足りないの意と解したもの) 役割を果たす力がないこと。荷が重いこと。

※続一等サラリーマン(1952)〈源氏鶏太〉「続・三等重役」の撮影現場を見て「僕は社長の息子なんてのは役不足だね。やっぱり、会社給仕の方が、いちばんピッタリだよ」

能力に対して役が不足している」は② の用法だ。ところが何故か① の用法と分かれている。日本国語大辞典は、古い順に語義を並べているので、つまり本来用法は①で、あとから②の用法が生まれた、ということだ。いったい役不足① と役不足② は何が違うのか。

結論を言うと、役不足①における「不足」とは単に「不満」の意味しかない。

ふ‐そく【不足】〘名〙

① (形動) (━する) たりないこと。欠けていること。また、そのさまやその箇所。不完全。不十分。欠点

② (形動) (━する) 満足でないこと。不平に思うこと。また、そのさま。不満足。不満。不平。

まり役不足」は不足①ではなく不足②の用法だということである。「もっと良い役をやりたい」というだけでなく「自分はこの役には向いていない」とか「こんな重い役はやりたくない」とかそういう不満もひっくるめて「役不足」なのである

たとえば明治22年加須屋寿賀蔵『花嫁』という小説

里吉は何を考へたるか、今更遅八刻(おそまき)の役不足

「アノ若 イゝヱ貢さん 妾(わたし)は萬の何テ、人にないから ヤッパリお岸にでもして貰へば好(よか)った、色気のある…」

これは『伊勢音頭恋寝刃』という演目をやる役者が「自分には万野の役は向いていないからお岸の役のほうがよかった」と文句を言っている場面である。万野は悪役だが重要登場人物であり、お岸と比べて端役だということはないので、これはただ向き不向きの話でしかないことがわかる。

明治23年の右田寅彦『垂氷の月』。

「何時までもお心易く交際(つきあっ)て妹を一人拵へたと思召して下さいましよ」

「イヤイヤ夫(それ)は不承知だ妹なぞと思ふのは些と此方で役不足からマア其気で交際(つきあ)ひませう」

女性が「これからは兄妹のように付き合いましょう」と申し出るが、男性はそれを断り「あなたを妹だと思うなんて役不足だ」と言う場面。このあと「そうですよね私ごときが妹などと迷惑ですよね」「いや妹ではなく妻だと思っているのだ」という少女漫画ばりの展開になるが。この「役不足」を現代的に解釈するとやや不自然で、ここは「兄のような立場には不満がある」とだけ理解すべきだろう。

明治40年の『慶應義塾學報』。

此創立五十年紀念理財学会に於て私は非常にむづかしい役目を言い付かつたので、少々困つて居る所でありますが、併し今更役不足を言つた所が追付かぬ、其役目は慶應義塾に於ける経済学研究の変遷に就ての講演をせよと云ふ、余程これはむづかしい事である

「非常に難しい役目」に対して「役不足」だと言っているので、現在解釈では誤用だと思われるだろうが、これも「役不足」を「役目に対する不満」と言い換えればすんなり意味が通る。

実は日本国語大辞典誤用例として挙げられていた以下のセリフも、

「僕は社長の息子なんてのは役不足だね。やっぱり、会社給仕の方が、いちばんピッタリだよ」

これは「社長の息子役には向いていないから演じたくない」という俳優の不満なので、本来の「役不足」の意味からすれば正しいのである

参考:https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonokenkyu/5/3/5_KJ00006039255/_pdf/-char/ja

ちなみに、現在誤用だとされている用法、すなわち「役に対して能力が不足している・地位が高すぎる」という用例は、いつごろから現れはじめたのだろうか。そもそも、どういうつもりでその語を用いているのか判断が難しいところだが、たとえば明治36年の月露行客『三百年後の東京』。

お話の男は貴郎に似ているやうじやありませんか、ホホホホ」

「爾(そう)だと結構ですが情けないことには私はその男に似てはいません誠に意久地なしで、併し貴嬢が能くそ婦人に似ていますよ」

「いいえ、妾こそ其役には適当(はまり)ませんが、貴郎はその役割に不足はありませんよ」

「ぢや拙者には荷が勝ていますが、無理に其役を務めたなら、貴嬢はその情婦の役を努めて下さいますか」

「妾しにその婦人の扮(いでたち)が出来ますものなら、真似て見ても可(いい)のですが……」

と口籠た、勝田ますます胸跳り、恍惚として我にもあらで、

「本統ですか、貴嬢それは、私の役不足を許して下さいますか、若(もし)もそれが真実であつたなら、私は此の世に他の望みがありません」

これは「役に不満がある」でもなし「役が軽すぎる」でもなし「役に対して能力が不足している」と解釈しなければ読めないのではないか

役者不足

現在のところ「役者不足」は「役者としての能力が不足している」と説明されることが多い。一方で、「役者不足」という言葉が多くの辞書に載っていないことを根拠として「役者不足などという言葉はない」あるいは「役不足誤用説明するために新しく生み出された言葉である」とされることも多い。

もちろん、単純に「芝居に出る役者の人数が不足している」という意味での「役者不足」の用例が存在するのは当たり前である。それ以外の、熟語としての「役者不足」の用法を探してみたい。

たとえば昭和6年六大学野球全集』。

これ等のチームが一枚看板たる以上の投手に配するに、力ある捕手をとらへ、しかして二三の力強き打者を加へたならばさういつまでも呉下の阿蒙たるべきものでないと思ふが、如何せん役者不足の憾みがある。

あるいは昭和9年『隣人之友』。

白井喬二といふ男は一時直木あたりが黒幕大菩薩峠の向うを張らせようとヤツキとなつて、身振りこはいろべたべたとすり寄つて見たものだが、そのうち黒幕の直木が舞台へ踊り出してしまつたので、ここもと少しテレた形だが、役者不足でこんどはヨタものどもが白井あたりを担ぎ出すの幕となる

これらのように、「役不足」よりは用例は少ないが、「役者不足」が「人材不足」「戦力不足」のような意味で使われることはあったようだ。

しか昭和12年『キネマ週報』。

妹尾「僕は凡て役者不足のやうな感じがさせられたんです。溝口監督メガフォン執って此のシナリオを用ひたら、まだまだいい映画が出来る筈だと思ひます。」

これはどう捉えるべきだろう。「実力のある役者が出演していない」という意味なのか「出演した役者能力が足りていない」という意味なのか。

昭和19年海音寺潮五郎『父祖の道』。

次には、久光公では役者不足である。かかる思い切った大経綸は、先君のやうなその力量手腕が天下にみとめられている人にしてはじめてできることで、久光公では荷がかちすぎる。

これは明らかに能力不足」の意味である

同じく昭和19年藤森成吉『太陽の子』。

対手がおひさでは風流話には役者不足だつたが、持ちまへの自然さとおほらかさで彼女は補つてくれた。

男が風景の素晴らしさを妻に語っている場面で、これも「能力不足」のほうか。

昭和24年1949年)『新日本経済』。

豪華舞台に淋しい役者不足

これは「財界人めぐり」と題したコラムタイトルだが、戦後財閥解体公職追放大人物がいなくなったことを嘆くものなので、「人材不足」の用例である

と、こうして見ていくと「役者不足」という熟語昭和初期から使われていたようであり、そして当時から人材不足」と「能力不足」で用法が並立していたようでもある。

まとめ

役不足

本来は「役に不満がある」という意味

・それが次第に「役が足りていない」と解釈されて「能力に対して地位が低すぎる」という意味限定されるようになった

・それがさらに「役に対して能力が足りていない」という意味でも使われるようになった(明治末?)

役者不足

本来は単に「役者の人数が足りていない」という意味

・転じて「人材が足りていない」という意味で使われるようになった(昭和初期?)

さらに「能力が足りていない」という意味でも使われるようになった(昭和初期?)

・ただし「役不足」と比べると用例はかなり少ない

2023-12-22

anond:20141125155221

増田の家は和風ちゃんとした家だったんだな。

しか和式作法では、盆は客に供すものではない。給仕が使うものだ。

しかカフェ飯だと思えば、飲食店ですら盆に載せたままだ。

盆はカフェっぽいデザインを買えばよい。

2023-12-18

俺の鍋物は間違っている

なあ、鍋物(水炊き/すき焼き等)って面倒くさくね?

"今夜はお鍋!準備もカンタンママもニッコリ!"とか

CMやら商品POPで謳ってるけど、ウッソだろ!て腹立つんだけど。

まず、面倒くさいポイントをあげると

調理器具食事終了まで片付けられない

白菜が大量に必要になるので普段使わない大皿や大ボールを引っ張り出さなければならない

カセットコンロを引っ張り出して食卓の真ん中に設置しなけれ(ry

④各種素材が食卓に乗り切らないので床に直置き

子供が床の食材生肉に触らない様に注意しなければならない

⑥肉があっという間に鍋から消えるので常に足し続け、子供に丁度良い頃合いの肉を給仕しつつ野菜も食えとうながしアクをすくいお湯を足す

食事後の後片付けがとにかくダルい土鍋は重くて洗いづらいし、食材盛った大皿食洗機に入らないので手洗い。カセットコンロは清掃して冷めてからしまわなければならない

とくに⑥!俺はゆったり味わいながら食事を楽しみたいんだよ!仕事でもねぇのにマルチタスクさせんなよ!!地味に⑦が控えてるってのも食事を落ち着かない気分にさせて味なんかしねぇって!

なあ、俺の鍋のやり方ってなんか間違ってるのか?楽しくも美味しくもなく通常のルーティンと違う動きを強いられただただ忙しなく動き回って脳のリソースを食い物を咀嚼する以外の事に使い疲労困憊するんだけど。

2023-11-19

AI搭載ロボットって機械部品は高いんだろうけど、時給というランニングコストがかからない上に社会保険料も払わなくていいし急に辞めないし

30万くらいで使える給仕ロボが出たら一気に飲食界隈が変わるんじゃないだろうか

2023-11-02

ステーキ定食今日奮発してランチ食べたんですよ。

給料日直後だと店員さんにお前お給料出た直後で調子乗ってるのか?って思われたらいやなので、

少しほとぼりが冷めた今日行ってきたんです。

念願のステーキ定食

でもしまった!って思ったのが、

熱々に熱せられた鉄板にジュージューと勢いよく音を立ててやって来るステーキ

周りの人にも音が聞こえてると思うから

あいつなに調子に乗ってステーキ定食なんか食べてるんだよって内心思われ兼ねない

すごい勢いでジュージュー鉄板の上で肉が焼ける音がするから

もの凄く冷や冷やしたんです。

こんなことな鉄板は肉の焼ける音がするので、

あんまり熱してこないで下さい!って言っておけば良かった。

こんなにステーキ定食がいろんな人に調子に乗ってる感じで見られるものだとは思わなかったので驚いたし。

あんな派手に肉が鉄板の上で焼ける音を出しながら給仕されるのは恥ずかしいし、

そんなことを思っているのは自分だけ?

とにかくステーキ定食念願だったけど、

周りに気を遣いすぎてぜんぜん味がしなかったです。

2023-10-04

anond:20230920161014

私が経営している会社では来客へのお茶出しは男性秘書にさせてるわ。

我が家でも私や来客への給仕お茶出しは男性下僕仕事女性メイドには料理を作ったり掃除をしてもらってるけど来客への対応なんてさせない。

大切なお客様への給仕女性メイドにさせるなんて失礼だと思ってる。

2023-09-05

大阪地方の犬カフェで食べられている名物の「わんこそば」とは?

Q. 大阪の犬カフェで食べられている名物の「わんこそば」とは、岩手わんこそばとどのような違いがあるでしょうか。


A. 大阪の犬カフェ提供される「わんこそば」と岩手名物わんこそば」には、いくつかの違いがあります

地域性: 岩手わんこそばは、岩手県の伝統的な料理であり、地域特有文化を反映しています。一方、大阪の犬カフェ提供される「わんこそば」は、地域性を反映するのではなく、犬カフェテーマ雰囲気に合わせて提供されている可能性があります

提供場所: 岩手わんこそばは、岩手県内の特定レストラン店舗提供されており、地元観光名物として知られています。一方、大阪の犬カフェ提供される「わんこそば」は、犬カフェ内で楽しむための料理として提供されているでしょう。

食材盛り付け: 岩手わんこそばは、茹でたてのそばがお椀に一口大に盛られ、給仕の方に継ぎ足してもらいながら食べるスタイル一般的です。一方、大阪の犬カフェ提供される「わんこそば」は、犬カフェ雰囲気に合わせて、食材盛り付けが異なる可能性があります食べ放題スタイル提供されることもあるかもしれません。

要するに、大阪の犬カフェ提供される「わんこそば」と岩手名物わんこそば」は、地域提供場所料理スタイルなどの要素において異なる可能性が高いです。どちらも美味しい経験となるでしょうが、その違いにも注目して楽しんでいただければと思います


(可能性が高いです、じゃねえよ)

2023-08-28

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

2023-08-20

anond:20181108002853

それな〜〜僕はバリバリ文系修士からマスコミ就職した者なんだけど

研究の内容とはあん関係ないことやってるよ。新聞記事書いてる

記事も、読みやすさのために取捨選択をしたり、方向性を決めたりするし、”ニュースバリュー”が重要から

例えば、ある事柄にA・Bそれぞれの可能性があって、仮にBが致死的なものであれば、それを大きく取り上げざるを得ない

そういうのを「知的誠実さを欠くのではないか」と、最初は迷ったりもしたな

でもまあ、そういうのが作法なんだなと理解たから気にならないよ

そろそろ大学の連中も、好き勝手やって国が金出してくれるのが社会的に正しいみたいな意味のない甘えは捨てた方がいいよな

そういうこと言ってる教員院生を見ると鳥肌が立つようになった

前なんか東洋大学とかのやつが「日本院生に厳しい(給料が出ない、就職がない)」とか言ってて笑っちゃったけどさ

そもそも、彼らの主張の本質は「こんなに良い大学を出たのに/高等教育を受けたのに、給料が安いのはおかしい」というものから

本当の意味ナンセンスな連中だよ

文化尊重しない国は衰退する(キリッ)とか言っちゃって、でも君ら社会のために何かしようとかないでしょ?

どんな小さな研究学問的蓄積に貢献していると言えるかもしれない(裾野を広げるという意味でも)。でも、なぜ社会が君の面倒を見て当たり前だと思うのか

なぜ、今や全入状態大学院なんかに入って手遊びやっただけで、労働者階級から吸い上げた資本で(何より「君が」!)高等遊民でいられるべきだと思うのか

給仕哲学者たれよ

2023-07-07

anond:20230706215101

・DAVE THE DIVER(new)

 海に潜って寿司ネタを取って、夜は給仕をする変なゲーム。やっているVが楽しそうだからヨシ!


夜は奉仕をするゲームに見えて、vがエロいことをしてくれるというシチュを一気に妄想した

2023-07-06

最近自分が実際に見かけたVTuberがやっているゲーム その3

 https://anond.hatelabo.jp/20230207135908ふたたび5ヶ月ぶり。この間隔だと流行りが過ぎているゲームが出てしまうな。

何度も見かけたゲーム

Minecraft

 アップデートが定期的にあるので、やはり強い。ななしいんくのマイクラが盛り上がっていたが、現状では少し落ち着いたか

・RUST

 良く死ぬゲームだな。命が軽い。配信者が命とアイテムを軽く明るく扱えれば楽しめる。

・GTA5

 向いている新人がやるには良いゲーム視聴者に指示厨がいなければ。

ONLY UP!(new)

 ハイキックPを連想するのはニコニコ老人。不屈の精神の持ち主が選別される。

・夜間警備(new)

 最速で実況した一人を見たら満足、のはずなのにオススメに出てきて見てしまう……。

・ちっぴーとのっぽー(new)

 知育に良いゲームだ。三面図の見方を覚える子供が出そう。

・Pineapple on pizza(new)

 無料なこともあって大ブレイク。「圧倒的高評価スパム。もしゲーム中の島民に意識があったら何度苦しみを味わっているのか…。

ホグワーツレガシー(new)

 前回記事の直後に大流行。今はマジでレガシー

ゼルダの伝説ティアーズオブザキンダム(new)

 書き忘れていた。輸送の印象が強い。包括契約していない事務所だとプレイ時間や回数も事前提出らしくてクリアが大変そうだった。

・Q REMASTERED(new)

 誰も読んでなさそうだが追記物理演算ミッションクリアするゲーム。見ていてもどかしい自分でやりたくなるので配信向き。

2,3回見かけたゲーム

・paranormal cleanup(new)

 お掃除Phasmophobia

・リトルナトメ

 見ているVは、やりきって2に進んでいた。

逆転裁判

 声色を使い分けた読み上げによりフルボイスで楽しめている。

・NEEDY GIRL OVERDOSE

 新人通過儀礼的にやっていた。

単発で見かけたゲーム

・Cult of the Lamb

 事務所の仲間の名前信者に使っていいゲームではないw

・Rise_of_Kingdoms

 案件個人的にローモバよりは面白い。同じく案件の多いローモバのつもりでプレイしている参加者がいるのは摩擦になるが。

PICO PARK

 新人V交流需要

空気読み

 伝統芸能。意外なベテランがまだやっていなかったり。

・APEX

 見た。

・VALORANT

 見た。

オーバーウォッチ 2

 見た。

崩壊スターレイル(new)

 自分でやる方が良さそうと思いつつ自分でやることもしていない。

・DAVE THE DIVER(new)

 海に潜って寿司ネタを取って、夜は給仕をする変なゲーム。やっているVが楽しそうだからヨシ!

スト6も今流行中。まだ見た配信はない。

2023-07-05

経験の少ないバイトを使わない式場で披露宴をやりたい。

さもなくば本音披露宴やりたくない。

自分が高めの飲食バイト経験者だから分かるのだが、高めの飲食店でも何もわかってないバイトを実戦投入することがある。接客のなんたるかを全くわかっていない人が、顔と身長清潔感だけで入ってきて給仕をする。

もちろん、ホスピタリティを感じない場面があるだろう。それがとにかく許せない。

めちゃくちゃお金を払うハレの日に、嫌な気持ちになりたくない。食事をめちゃくちゃ良くしたいとかじゃなくて、ただ嫌な気持ちにならず両親を喜ばせたいだけなのに、それがとても難しい。

2023-06-24

ゼロコスト投資

牛丼チェーン店での「ごちそうさま」をめぐるマウントの取り合いの件で、少しだけ体験談

過去に3種類の経済団体というか奉仕団体所属したことがある

Aは創業者が多く年配の方が多い団体で、Bはその後継者が会員の8割を占める組織、Cは地方でそれなりに成功した人が集まったグループだった

それぞれ「定例会」というものが月に数回あり、そこでは会食を伴うことがほとんどで、定例会後はそのまま夜の街へと繰り出すことも多かった

それぞれの組織で若輩者だった私は、先輩方についていき酒の飲み方を教わったり、美味しいもののご相伴にあずかったりして、いわゆる「夜の街の作法」を学んだのだが、ここでもグループごとに明確に差があった

まずAの団体では、会食時に「いただきます」「ごちそうさま」は欠かさず、給仕をしてくれるホテルスタッフへも感謝は忘れない

思うよりも先に口が「ありがとう」再生しているかと思うほど、周囲に生かされてきたという謙虚さがまず先に立つ

夜の街でも粋な飲み方が多く、訪れる店のランクもその地方ではかなり上流の方で、着物を来た女性上品接待してくれ、飲み物こちから「どうぞ」というまで口にしない

店が混み始めるとサッと会計して退店する

次いでBの組織だが、結論からいうとここが一番ゴミ溜めレベル品性が低かった

彼らはお礼や謝罪を口にすることは自身プライドを傷つけると思うのか、たとえ飲み物を絨毯にこぼしても「おい、拭いといて」の一言で済ます

食事前に私が「いただきます」と手を合わせると「給食じゃないんだからw」と揶揄されたこともある

そして夜の街ではキャバクラ梯子し、それぞれの店で飲み散らかし、大声で女性容姿を罵り、まさに傍若無人の振る舞いだった

Cのグループでは、地元では少しばかり名が通った「名士見習いレベルの方が多かったが、ここでは職種ごとに品性の差が激しかった

BtoB商売をしている方や士業など、オフィシャルな席が多い人ほどAの団体メンバーのような所作が徹底されていたが、BtoCの商売、例えばコンビニ経営者飲み屋オーナーなどはBの組織にいる者と大差なかった

お金を持っている分、Bよりも質が悪い場面もあって、口に合わない料理は大声で貶し、その際に「この前エクシブで食ったステーキの切れ端よりもまずい」だの「こんな酒、1合2万の酒を飲み慣れてるから飲めたもんじゃない」と付け加える

彼らの口からいただきます」はおろか「ありがとう」という感謝言葉も聞いた記憶がないし、全ての返答は「おう!」「おーう!」で済ます点は、言語野機能していない可能性と野性味すら感じるレベルだった

この状態で夜の街に繰り出すのだから女性スタッフを触ろうとするは序の口で「おい、この後ホテル行くぞ」と値段交渉を始めたり、それが叶わないと「なんだこの店!最悪だな!」と騒ぎ、同席するこちらが赤面するような行為オンパレードだった

話を戻すと、たとえ二者の関係性に商取引が介在していたとしても、誰かの手間をかけさせたり食材への感謝がある人は、収入がどうであれ「いただきます」や「ごちそうさま」を言うし、他者への感謝は心の隅々まで染み込んでいる

一方、その段階への発育途上の者ほど、自身の実力を高く見積りすぎて横柄な態度を取り、なんならそれを仲間と認定した人へも強要したりする

低所得者ほど「ごちそうさま」を言うという指摘は一理あるかもしれないが、あまりにも見ている世界が小さすぎて、まるで知見を伴っていないことに恥ずかしさを感じる

こちそうさま」や「ありがとう」というコストがかからない行為好感度は上がりこそすれ、下がることはないはないのだ

周りよりも一段高い位置に立ち見下ろしたい者たちへ、品性お金では買えないが、お金を使い他者から学ぶことは可能なのだから自身の実力を見極められない者こそ一度謙虚に周囲を見回すことをおすすめしたい

2023-06-07

anond:20230607200013

何十年も前に書かれた伊丹十三エッセイ映画撮影で渡英中に知り合った俳優意識高い系拗らせクンで、一緒に入った飲食店で彼の国の同国人給仕を頼むとき

「ボーイー↑」

と語尾上げで嫌味ったらしく呼びつけるのに堪えられず、自分だけは頑なに

waiter、please!」

と丁寧にお願いし続けて、

伊丹と痛飲してベロベロになってから

「…ジュウゾウチャン、ヤツらはアカンのやぁ!」

愚痴ってたという話を想いだした

2023-06-06

anond:20230606124525

鋭い切り口の批判だけど、納得ができません。

選択肢Bは、誰もがやりたくないけど、誰かがやらなくてはいけないことである

恩恵を受けないで生活するという方法がある、

選択肢Bの容易さが全員にとって概ね同じである

という条件が足されればまだ分かるが、現代日本における出産子育てがこれに当てはまるとも思えない。

やりたいは苦労を打ち消すのですか?

AEDを使って誰かを助けたくて、あるいはワクチンを打って社会に貢献したい人がいれば、

女にAEDを使わない・ワクチンを打たなくて良かった、は許されるのでしょうか。

誰もが恩恵を受けているなら感謝しなくてよくなるのですか?

「ありがとう」は、「有り」「難い」が語源ですが、コンビニ店員やレストラン給仕感謝するのは間違いでしょうか。

才能や環境に恵まれていて世の為になる苦労をラクにこなしてる人たちが多ければ、彼らの恩恵を当然視して・無視してよくなるのですか?


私としては、抽象化した三条件で身勝手さを覚えますね。

🅰 苦労してる誰かの恩恵に預かっていて

🅱 迷惑に思ってはいないくせに

🅲 恩恵を減らすかのような言動

自分たちけが特権的恩恵を確保しておいて、他者がそれを受けるのは妨げる。

そんな発言は、恩恵に気付いてなければ傲慢、気付いていれば不誠実だと感じます

たとえば

「逆に、社会が全力で子どもを産み続ければ破綻するのだから子どもを産まない人にも感謝しろ

—— 🅰 を満たさないので感謝しないのは身勝手ではない。子どもを産まないのは特に苦労しない。

「女にはAEDしない。俺にも別にAEDしなくていいぞ」

—— 🅱 を満たさないのでセーフ。恩恵を拒絶するなら特権的ではない。

子どもを産むか産まないかに関わらず私は幸せだ」

—— 🅲 子どもを産ませないのを推奨する意図がないので、本文中で子どもがいないのを明かしていても文句は言われない。

追記注・

私見では、

「私は子供を持ってよかった」、「私は子供を持たないでよかった」、

それらの意見必要です。でも、覚悟を持って言われる世の中であってほしい。

私は、ゲームプレイYoutube配信してる人たちを時々批判しています

彼らの中にカジュアルゲームを「バカゲー」と評する人がいるのです。

少人数で作られた気軽な笑いを狙うライトゲームだろうと、ゲームを作って生計を立てること自体地獄のごとく苦しい。

それを知ってほしいし、その恩恵に預かってることを忘れないでほしい。

未来は、人間選択の重さを軽視しない社会になることを願っています

2023-05-23

和食店が客パンパンで入れない増田酢魔イナ例は伝搬ぱくゃ祈願手くょ市和(回文

おはようございます

ここにきて背中ぎっくり腰みたいになって背中なのにぎっくり腰って感じが笑っちゃうけど、

概念としてのなんか痛めたって意味から一応は一旦ここでは背中ぎっくり腰になった!って書いておくわ。

まあ幸い背中なので、

日常生活にはなんのほぼ支障は無いもの

時として深く深呼吸をしたらって今書いてて思ったんだけど

深く深呼吸って

白い白馬が乗った王子様って二重表現になっている意味合いもあるのかしらってよく分からないけど山脈に向かってヤッホー!って叫びたいぐらい

深呼吸したら背中の方の肋骨が開いてグキっ!って激痛が走るのよ。

ももうこれ実は3日目だから今日はそうでもなく背中パワーは戻りつつあるからいいんだけど、

背中パワーゼロになったとて、

深呼吸意外の動作には何の支障が無いのでこれ幸いだったわ。

ふと

私もイナバウワーきっかも!って給湯室で背中反らせたらグキ!ってなったのよね。

もう概念として

お腹背中がくっつくぐらいお腹が空いていたという感じで言いたいような背中ぎっくり腰になったの。

あほ背中異常ステータス気持ち解消しているけど、

深く深呼吸したら白い白馬を乗せた王子様がやって来そうだわ。

背中痛いの治ってよかった!なんてね。

うそうこないだね、

よく行く饂飩屋さんの給仕のお姉さんとバッタリあったのよね。

饂飩屋さんに行けばこの人はもちろん誰だか分かるんだけど、

まさかこんなところにこんな人は居ない!って思い込みがあると

あれ?この人誰だっけ?って一瞬ならない?

声には聞き覚えあるんだけど、

誰だか一瞬思い出せないしか三角巾を頭にしていない普通の格好をしていたから尚の更よね。

気付くまで3.14159秒かかったわ。

最近

その饂飩屋さんもインバウンド海外行列が出来ていて地元の人が行きにくくなったのをそのことを言ったら常連さんには申し訳なさそうにしていたけど、

まあ賑わって繁盛していたらいいわよね。

いままでその饂飩屋さんで見たことなかった様な行列みたの初めてだったもん!

なんかやっぱり海外から日本にやって来たら日本らしいものを食べないといけないね!って気持ちマックスになってなんか和食と言えばとりあえずうどん山脈に向かってヤッホーって叫んじゃってる観光客が多いのよね。

から近所の何気ないそう言う饂飩屋さんだとか定食屋さんだとか

ほんと人でパンパンなのよ!

でも私ある法則を見つけたわ。

それはガチ中華ガチインネパ料理屋さんは穴場だってこと

わざわざ日本に来てまで中国料理やインネパ料理は食べに行かないわよね説を唱えているのよ。

ガチ中華といっても本当に台湾だとか中国の人が店主の日本ガチ中華じゃない方ガチ中華ね。

そこはまあ地元オフィスの人たちでいつもの様子で

で、でもよ!

インネパ料理屋さんはインネパ料理屋さんで美味しいところは現地民がやって来るって言う

実際に多分インドネパールかそこらの国の人が日本のその地元に住んでいるガチ勢がやってくるって法則も見つけたわ。

マジ結構美味しいインネパ料理屋さんにはその国の人たちで賑わう!って

なので日本にいながらなんか現地の国のイキフンを味わえるような気がするわ。

こないだなんか

そのインネパ料理屋さんにインドか何かの有名な人が来店してくれたらしくって、

店主は私に熱弁を振るいまくりまくりすてぃーなんだけど、

私はその人を知らないからその人の人気パワーがぜんぜん分からなかったのが申し訳なかったわ。

そんな訳で

和食店はチェーン店であろうと観光客パンパンなので

中華料理店かインネパ料理屋さんが穴場ね!って話しよ。

ランチぐらいは気持ち軽やかに美味しくいただきたいものよね。

だって

隣の会社の内部は例の支店長オーリョー調べでピリピリしてる調査が私も加わってる少し手助けをしているけど、

なので空気あんまり良くないのよね。

空気で答えを出す会社でお馴染みのダイキンに社内の空気も良くして欲しいわ!マジで

絶賛まだ調査中のようなので、

私も王様の耳はロバの耳!!!って叫びたいぐらい山脈に向かい合いたいけれども、

ここはグッとガマンしてまだ大きな声が出せない私は私は!って感じよ。

ちょっとさすがに秘密裏調査するのは精神的に疲れるわね。

まあ全部これ嘘の話しだけどね!

うふふ。


今日朝ご飯

ミックスサンドしました。

ツナレタスタマゴの美味しいミックス定番でやっぱり強く美味しい理由秘訣わ!

美味しい大好きなものを食べてションテンあげたいものね。

デトックスウォーター

水出しルイボスティーウォーラーね。

昨晩仕込んで作ったもの冷えて美味しくできたのでいただいたわ。

2リットルなんてすぐ飲んじゃうわよね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-04-14

anond:20230414151729

すかいらーく給仕人件費が高い職場から搬送ロボットが導入されたとか考えちゃう系の人?

レジチェッカー係の人件費が高いから、セルフレジが導入されたと考えちゃうのかな。

人件費職種ごとにほぼ上限が決まっていて、いくら人が足りなくなっても、それ以上の金額募集がかかることはまずない。

から自動化圧力賃金とは連動せず、賃金を維持したままで人手不足に起因して発生するんだよ。

賃金が高くなるからロボット化が進むから賃金が安い職場だと発生しないと言っている馬鹿実在するなら教えてくれ。

経済学者はそう考えてるって曲解して騒いでる奴なら見たことはあるからそっちはいらない。

2023-02-16

anond:20230216224407

フランスのかっふぇー(笑)で現地民に案内やオーダーや給仕を後回しにされてプルプルしてたりするのだろーか😔

2023-02-09

anond:20230208155654

給仕に運んでもらえる喜びも外食の楽しみだったんだよ

自分に仕えてくれる人がいることに満足を覚えるのって、貧しくない?

2023-02-08

セルフサービス日本人お金・心の両面を貧しくしている

たとえばマクドナルドは昔からセルフサービスだけどさ

ファミレスドリンクバーくらいかセルフサービスが急激に増えた気がするんだ

スタバもそうだし、フードコートが栄えてるのもそう

セルフサービス普通になっちゃってる

でも本当はそうじゃないんだよな

セルフサービス貧乏

なんだよ

証拠に、金持ちセルフサービスの店をほとんど利用しないか

自分セルフサービスの店に慣れたけどさ、本当は嫌だよこんなの

給仕に運んでもらえる喜びも外食の楽しみだったんだよ

人間関係わずらわしい人はセルフが好きかもしんないけどさ

セルフは心も貧しくなるんだよなぁ

人とのコミュニケーション一杯のコーヒーを美味しくするんだよ

セルフサービス日本お金・心の両面で貧しくしてしまっていて悲しい

2023-02-07

anond:20230207202313

高級店でも給仕バイトとかあるある

マジモンのレストランだと違うけど

気楽に行ける店ではない

外食テロが怖いならスシローみたいな安い店に行くなって意見

なぜ高級店で同じ事件が起こらないとは言えるのか?

給仕料理に何か入れる可能だってゼロじゃないだろ。

単に「回転寿司しか寿司を食えない貧乏人とは違う所を見せつけたい」「感情的犯人を叩く底辺と違って冷静な視点物事を考えられる俺に酔いしれたい」ってだけだろ。

2023-02-02

非モテ高学歴だが、風俗ガールズバーキャバで満たされなかったが、コンカフェで満たされた。

非モテによく、「風俗へ行け」というセリフがある。

行っても、愛は得られないよ。

ガールズバーキャバも、接待だ。

  

一方で、コンカフェは違う。

まず、世界観がフワフワしている。

そう、非モテ学生時代に戻ったとして、陽キャみたいなモテ方はしない。

フワフワした、なんとなく周りに女の子がいる状況で、「たまに話をできた」、「消しゴム拾ってもらえた」、「クラスの係で一緒になった」こんな感じが、青春の思い出だろう。

そこからちょっとだけ上の世界が、コンカフェ

  

キャバとか風俗は、一人一人の嬢との応接だ。

しかし、コンカフェは、「コンカフェクラス女子たち」の1人1人とお話しする感じ。

そう、「クラスたまたま係で一緒になった」くらいの距離感

彼女たちも、クラスにいて、自分たまたま少しだけ仲良くなれた。

それくらいの距離感

  

ガールズバーだと、「飲み」の感じが強い。

コンカフェは、「お給仕」って感じのフワフワしたメルヘンな学園。

そう、異世界転生でオッサン若者に混じって学園とかギルドとか最近流行ってるじゃん?そんな感じ。

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