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2023-12-19

ブックサンタというものをやってきた【追記

ブックサンタとは自分の選んだ本を、経済的に本を買えない家庭の子どもに寄付するという活動だ。

ランダムに本を選んで贈るのではなく、その子趣味嗜好を聞いて選んで贈るらしい。

いいじゃんそれ、と思って自分本が好きだしやってみようと思って本屋に行ってきた。

結論から言うけど本をプレゼントするってめちゃくちゃ難しいね

ブックサンタは毎年小学生向けの本が少ないとポスターで見たので小学生向けの本を選んでたんだが、

最初自分小学生に読んでほしい本を選んだけど、

いや〜それ子どもにとって100%嫌な大人ムーブだな〜と気づき

次に自分学生のころに読んでたホームズを選んだけど、

いや〜普通文庫は少し難しいかもっとライトめな方が良いか?と気づき

次に青い鳥文庫の前に行って青い鳥文庫から出てるホームズを選んだけど、

いや〜そもそもの子どもって一体何が好きなのか全然知らんな?と思い至り

次に青い鳥文庫の人気本やおすすめ本をネット検索しまくり、

結局選んだのは空想科学シリーズだった

いまだにこの選択果たして合ってるのか…と思う

いや決して選んだ本が悪いというわけではなく、自分リサーチ不足・自分子どもがいないので、これで良いのかな?ほんとに?!ちゃん子どもに人気だよね!?大人独りよがりになってないよね!?子ども押し付けみたいになってないか!?みたいな…

なんか書けば書くほど言い訳になってきてしまうな〜!言いたいことも言語化できないこんな脳みそ

でもまあきっと自分の子ども時代空想科学シリーズがあったら絶対読んでるし、ホームズとかみたいな古典大人にも人気シリーズの本は誰かが贈ってる率高いだろうし、いいんだろうな

また参加をするときはしっかりと子どもに人気の本を調べてから行こう

追記

仕事終わって見たらすごい反応があってびっくりしました

お褒めの言葉とかもあり、ありがとうございます

空想科学シリーズが本当に人気とわかってホッとした〜楽しく読んでくれると嬉しいな!

お金の方が良い〜というのは確かにわかる感情ではあるんだけど、

誰かが自分プレゼントしてくれた・サンタさんが来てくれたって経験も大切なんじゃないかな〜と自分は思ったので今回本をプレゼントしました

幼稚園とか小学生ときとかサンタさん来た報告してたしね

あとまたこういった取り組みをするとき自分と周りに子どもがいないと好きな本ってわかんないから、

もし周りに子どもがいる人とか、自分の子どもがいる人とか

もしよければ「こんな本好きだよ!」「こんな本好きだったよ!」を書いてもらえたら助かります

コミケ女性離れは当然の流れ

最近になって急に言われはじめたコミケ女性離れ。誰か何か、これで困ることがあるのだろうか? オタク君たちは腐女子を忌み嫌っていたし、彼らが大好きなセクシーコスプレイヤーは今もコミケに残っているし、腐女子は赤ブーで好きな萌えだけを見られて満足している。Win-Winだとばかり思っていた。何がダメなのか?

コミケ女性離れの原因は、赤ブーのイベントが台頭してきたからだと盛んにいわれている。しかし、それだけではないだろう。

1.コミケ薄い本は大体通販で買えるようになった

2.コロナ禍を経てオンラインイベントが増えた

3.知らないジャンルに手を出せる経済的余裕が若い参加者にない

4.コミケ依存しなくとも同人活動ができる即売会が(オンリー以外にも)増えた

5.企業ブースに長時間並んでも商品を確保できる確約がなく事後通販を利用した方が早い、まである

コミケの楽しみは知らないジャンルとの出会いだ、と語る人もいるが、そもそも知的好奇心を求めてコミケには出向くオタク自体高齢化により減っているのではないだろうか? またそういった好奇心を刺激される一次創作マニアックジャンルコミケの会場でもやたら離れた場所にあり、そこへ向かおうとしても混雑と夏の暑さと冬の寒さに負けて挫折する人もいるかもしれない。2016年増田がそうだった。

そしてコミケ場合、休憩ができる場所も限られている上に大混雑で、荷物の整理もままならない。結局会場の外で猛暑/極寒の中、ヘトヘトになりながら片付けることになる。

こういった運営上の不満を述べると、今度はコミケ戦場から我慢しろという自称歴戦の勇者がやってくる。正直、女性にはしんどいことばかりだ。今はトイレが空いていてすぐ行ける、くらいしか思い浮かぶメリットがない。

その点、赤ブーのオンリーコミケほど疲れない。全国各地で行われるのも地方参加者にとっては都合が良い。女子トイレこそ混むが、ビッグサイトで開催されてもせいぜい東西棟を移動するくらいで疲れる規模ではないし、埃とカビだらけの倉庫のような臭いもしない。歩いていても、人を押し除けて歩くタイプのぶつかりおじさんに背後から急襲されることがない。コミケに比べるとかなり治安が良いし空気が綺麗だ。少し前の流通センター(会場名)では服にカメラを仕込んだ動画配信と思しき不審男性二人組が歩いていたことはあったが、速やかに通報されて退散していった。

コミケで見られる壁サーを手当たり次第に買い漁る転売ヤーも、ここではほぼ見ない。一つの作品でも細分化されたニッチジャンルカップリングが多く、需要もないので転売メリットがないのだ。池袋での買取もほぼ定価以下で行われているため、利鞘がない。

もちろんトラブルを耳にすることはある。トレパクで揉めることはしょっちゅうだがこれはイベントに限った話でもない。解釈違いや逆CPといった他ジャンルオタクには理解できない類の島内でのトラブルは、あまり大きな騒動にはならないことから悪目立ちもしないのだ。

そして、オンリーイベントで全く聞かなくなったのは、会場での男性参加者による女性参加者へのつきまといやナンパ盗撮被害の報告だ。

男性参加者もいないわけではないが、彼らはあまりに少数派で不快感をまき散らすような行動はとらないし、とれば即座に通報されて終わりだろう。

自称腐男子オンリー中心になって行きづらくなったと訴えているのも目にしたが、行きづらいだけで禁止されているわけではないのだから、さっさと来て買って帰ればいいだけだ。実際来ている人はいるわけだし、それこそ通販もあるわけだし。

(もちろんコミケでも男性向けの創作を行う女性作家が色々と苦労している話は聞くが、これは女性が多かった時代から聞く話でオンリーイベントのせいでコミケ女性参加者が減ったことはあまり関係が無さそうである。)

要するに、男性からしてもせっかくコミケに楽しく参加したのに女性ナンパしてきたなどと冤罪なすりつけられることがなくなり、双方不快な思いをしなくて済むようになったのである

棲み分け場所がそれぞれ確保されたことはどちらにとっても有益だ。コミケから女性が減ったと訴える勢力が持っているらしき危機感理由がよくわからない。

一体、どこの誰が、何の理由で困っているんだろう?

[]

インフルエンザになった千葉大学医学部医学科落ち早稲田大学先進理工学部生命科学科卒おじさんです。

コロナではありませんでした。

辛いです

ゆっくりします。

特に意味はありませんが、高校現役時代受験結果を張り出します。

千葉大学医学部不合格

順天堂大学医学部不合格

東海大学医学部合格

早稲田大学先進理工学部合格

という感じでした。

順天堂に受かっていれば進学することはできたのですが、さすがに東海大学経済的不可能でしたね。

それでは皆様もインフルエンザにお気をつけてくださいノシ

anond:20231219101933

のび太結婚した世界線ジャイ子成功した漫画家にならなかったと思われるので、挙げた中の経済的メリットは無い。

根拠のび太借金のせいで子孫のセワシの代まで貧乏から

のび太結婚した場合ジャイ子子供を産んで主婦になったり、のび太会社サポート(よくある社長夫人経理・総務をするパターン)をしたりで、漫画家としての才能を発揮できなかったのであろう。

のび太結婚せずに独身漫画を描き続けたり、創作理解のあるパートナーを得たりして、ジャイ子は500万部作家になれたのではないだろうか。

自分ドラえもんは詳しくないので、原作の内容とは違うかも知れないが。

2023-12-18

anond:20231218121322

それがどのレベルで深刻なのかは

マンガ原作者の異常な軽薄さ(他人を愛していないけどなんか言われるといちいち傷つく)

マジシャン家族の異常な軽薄さ(他人を愛していないけどなんか言われるといちいち傷つく)

某元ティーン世界アイドルの異常な軽薄さ(他人を愛していないけどなんか言われるといちいち傷つく)

 

これらを見てるとわかることだと思う。経済的成功していようがマジで可哀想

 

自分人生を生きてない人の世界ってどうなっているのかだんだん気になってきた

[] は今日も軽薄その1 (anond:20231218082705)

何言ってるかよくわからないけど毒親アダルトチルドレン克服blog見るとよくわかるぞ

下記が確認できるから増田が祈るべきなのは、実父・実母と和解できますようにだな

結局のところ、自称アダルトチルドレン克服というのは、

社会活動に重大な影響を与えるレベル鬱病強迫観念寛解だけを意味しており、

経済的成功しても、パートナーを得ても、子どもを作っても、永遠に穴が空いたバケツのまま

 

親が愛してくれなかった・まともな養育をしてくれなかった怒りは、なにを得ても永遠に過去のものにならないし、

助けてくれなかった世界のあらゆるものを羨み、バカに出来そうなら攻撃する

 

自分自身のこの特性嫌悪する親そのもの認知することもなく、ひたすらドン引くような言葉を使った家族悪口を書き、

アダルトチルドレンを克服しました✨

 

これが人の親になっちゃうからな、虐待連鎖ってマジでこういうこと。単純に殴る・蹴る・怒鳴る・ネグレクトするとかそういう話ではない

 

それはともかくとして、ブクマカたちは今日も軽薄ですね。さすが整形を肯定したり、ルール違反肯定するだけある

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231218075549

anond:20231218030946

経済的に充足してモチベ失って塗りのカロリー減ってるんだろうなって透けて見えるのがね

2023-12-17

anond:20231217080608

00年代10年代MMORPGなら、NPC商店ラインナップが日によって価格変動・在庫変動する作品はかなり多く見られた。

ポイント付与のような制度があるものは思い出せないが、無駄に複雑にするだけなので有意義ではないだろう。

またNPCやその属する陣営への好感度などによって、変動とは別に割引(セール)状態になる仕組みも広く見られた。

もちろんプレイヤーキャラ商人スキルによる割引などもあったが。

そうしたNPC商店から安く仕入れノウハウを駆使して入荷し、それを露店やオークションシステムへ流して店売りアイテム転売で稼ぐ、あるいは店売り品を別の地域で店売りして稼ぐというプレイスタイル可能だったMMORPGもかなりあった。

ただ……MMORPGが廃れた今でも、その3条件を満たすゲームは巷に溢れている。

気づかないだろうか?

 

モバイルブラウザゲームの大半に採用されている、ガチャシステムがそれに該当する。

この手のゲームでは、オフラインゲーム同様ゲーム貨幣とそれを使うNPC商店存在する。

その一方で、石を使うアイテム商店ないしガチャシステム自体も、本質的NPC商店と大差ない形で共存している。

石の入手手段課金のみというゲームは減っており、ゲーム内で攻略を進めることでいわゆる無償石を入手可能だ。

入手手段有償(課金)と無償(ゲーム攻略の対価)に分かれているだけで、ゲーム通貨拡張したものだということが分かるはずだ。

NPC商店ゲーム内のマップ特定地点にあるのに対し、石を使う商店ガチャUIからユビキタスアクセス可能という違いはありがちだが、その程度の差だ。

 

商店では日替わりのもの、月替りのものがあるのが一般的だ。ガチャという名の商店ラインナップは2週間前後で入れ替わる。

同一商品について日次の価格変動があるのは比較マイナーだが、ガチャ場合商品であるキャラや装備の実用上の「価値」はその時々のゲーム環境によって変動する。

また、キャンペーンによって割引されたパックアイテムや、ガチャコストの減額あるいは確率上昇というのも、セール範疇に入るだろう。

石の入手先に関しても、初回購入で増量される権利が年1くらいで再付与されたり、現実社会の決済サービス側のキャンペーンによるセールもある。

ガチャシステムには、引く度にポイントが溜まってアイテムキャラと引き換えできる制度が組み込まれていることも珍しくない。

 

ゲーム経済的リアリティを追求する諸システムは、最終的にゲーム内という枠を越えて、境界曖昧にしていき、現実と結合して、ビジネスモデルも変化させているのだ。

暖房器具エアコン一択

消費電力を意識して買えばエアコン暖房400W位のあるから、そこら辺の電気ストーブ石油買うより断然経済的なんだよなあ。ただ賃貸だとそれが出来ないか問題なのであって。

仲良い友人だとそういうの特にない

別にワイが出してあげればいいだけだしな

まぁ焼肉以外の美味しい店をチョイスするのまぁまぁ苦労するけど(3万だと2人でも6万だし)

 

それよりも親族が困るのですわ。親族はワイが金稼いでるって思っていないかたかられていないけど、

母の弟のお世話がかりにはなっちゃってる

経済的成功した伯母たちが数千万ぶち込んでも無理だったのに、ワイにどうにかするの無理やで

いざという時には叔父に使おうと考えてた成年後見制度もとんでもない制度で、

アイス1本買うのにもガタガタ抜かされたり、たった10年間で240億以上横領されている制度のようだ(ロクにしらべていなかった)

マジで困ったもんやで

anond:20231217130207

これ、圧縮しているわけではないし、贅沢税回避も出来ていない。

大谷が貰える将来の年俸価値は実際にインフレで目減りすることになるわけで、もし仮に現在一括で払うとなれば半額〜6割超くらいとなろう。これは時点の異なる金額インフレ考慮せずに足し合わせて1000億円超と言っていることが本来おかしいだけであって、現在価値1000億を超えるものの計上を数割圧縮出来たり、それによって贅沢税回避出来たり出来ているわけではない。現在価値で揃えれば1000億円になぞ遥かに届かない年俸に対し、その価値に応じただけの贅沢税を払うことになるだけのことだ。

これがもし、支払いがほぼ11年以後に行われる一方で、贅沢税の計算契約10年目までの実支払いで計算されるなら大幅な圧縮となるが、もちろんそんな抜け道は用意されているわけもなく、将来に渡る年俸を全ていったん割引現在価値に落として期間割り振りするので圧縮は起きない。繰り返しになるが、単に、1000億円超だとか7億ドルといった数字現実価値を反映していないものだというだけのこと。仮に今回のような偏った分割支払いが禁止されたらこ1000億円超だとか7億ドルといった数字の方が縮む。

この手の話が苦手な人は、『生命保険って若い時に入った方が月々の支払いが安くなって生涯トータルの支払い額も少なくなるんでお得ですよ』みたいな生保レディーのセールストークに引っ掛かりやすいから要注意ね。若くして支払う1万円の主観的経済的価値は二十年後に払う2万円よりも重くなり得る、時点の異なる金額は単純にそのまま足しちゃダメ、なのにこういうセールストークは未だにあるそうだよ。

anond:20231217063043

2023-12-16

anond:20231215222201

ヘルシオ投資できる程度には多少経済的に余裕のあるズボラの選ぶ機器知りたかたからマジ助かる

岸政彦氏の「社会学における大風呂敷を広げた預言者批判について

人生を変える社会学──『岩波講座 社会学刊行にあたって

https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7681


なんだか絶賛的な評価が多いみたいようだが、社会学門外漢だけに、個人的にはモヤモヤが残った。

前回は上野千鶴子吉見俊哉大澤真幸などが全体の監修者で、巻数も26あったと記憶しています。各巻のタイトルも凝ったものが多かった。執筆者社会学プロパーだけでなく、竹田青嗣などの周辺領域の方が入っていました。文体や内容も派手で、自由で、雑多で、それほど社会学とは関係のないものもたくさんありました。もちろんそれだけではなく、当時の最先端社会学的な議論をしている論文もたくさんあって、たとえば落合恵美子が実証的な観点から上野千鶴子を強く批判する論文なども収録されていたのですが。

 そのころから比べると、社会学も大きく変わりました。どちらかといえば、より地味な、地道な、実証的なスタイル調査研究をおこなう社会学が求められるようになったのです。今回の『岩波講座 社会学』では、そうした社会学者が中心となって執筆します。特定対象特定問題に、特定理論特定方法を携えて実直に調査研究を続けるような、そんな社会学者たちはこれまでたくさんいたし、いまもたくさんいます。いま、この社会にとってほんとうに必要なのは、「職人的」な社会学者なのです。

要するに、この講座のシリーズ全体でおこなうのは、社会学のものの再定義です。もっといえば、これは「本来社会学」へと立ち戻ろうとする試みです。社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない。私はすでに、2018年有斐閣から出版された『社会学はどこから来てどこへ行くのか』という対談集で、そのような趣旨のことを述べています



まずここで説明されるべきは、「地味な、地道な、実証的なスタイル調査研究をおこなう社会学が求められるようになった」理由であり、そしてかつてはそうしたもの忌避(あるいは小馬鹿に)されていた理由である。例えば、社会学という学問の発展の結果なのか、社会経済的環境の変化や取り組むべき新たな社会問題の登場の影響なのか、社会科学研究全体のトレンドの変化の影響なのかが、きちんと説明されるべきである。上の文章はそうした説明が一切なく、以前の社会学は中身がからっぽだったが、自分たちが「地味な、地道な、実証的な」もの改善したという、それこそ中身が空っぽなことを言っているだけに過ぎない。


社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない」というのも、別に社会学に限ったことではない。具体的には見田宗介宮台真司のことを言っているだろうが、30年以上前には「大風呂敷を広げた預言者」は、哲学者浅田彰など、社会学以外にも数多く存在していた。現在だと斎藤幸平や成田悠輔の名前が「現代預言者」として思い浮かぶが、彼らは経済学者である社会学者で思い浮かぶ名前はもういない(古市は軽薄ではあるが預言者的では全くない)。


そもそも、「地味な、地道な、実証的な」をくどいほど強調している点で、おそらくはSNS上の社会学バッシングを気にして怯えるばかりの、自分たちの中身のなさを暴露している感じがする。本当に「地味な、地道な、実証的な」人は、そんなことは口が裂けても言わない。ネット上の悪口など意に介さず、自分研究にコツコツと取り組むだけだ。「大風呂敷を広げた預言者」についても、そうした人がなぜ必要とされるのかの現代的な状況について丁寧に分析説明するだろう。

そして後半は、紙の本との出会い大事だというノスタルジック感情論に終始している。もちろん世代的に共感できなくはないが、30年前から情報環境の劇的な変化と今回のシリーズ編集方針との関係について、社会学者として何か分析的な議論があるべきだろう。


かいところだが、「巻数も26あったと記憶しています」って、なんですぐ調べないのだろうか。「地味な、地道な、実証的なスタイル」な人は、そういうところから絶対に手間暇を惜しまない。そもそも、岸氏はネット上の発言しか知らないのだが、それらを読む限り、経済政策論にも安易に口を挟んだりなど、「地味な、地道な、実証的なスタイル」の人には全く見えない。

俺が人生で一番病んでいたとき駄文。案外面白いから読んでみてくれ

よく考えてみたんだけど俺が生きてる意味ってマジでないと思う

親や兄弟世間体のために死なれたら困るというだけ

母親は神に祈れだの神の勉強しろだの、俺のことを見る気がない。俺の辛さをわかる気がない。

他の家族も、俺を見ているというより、家族死ぬというのが嫌なだけ。俺のことなんて見ていない。

周りの福祉関係職員仕事から自殺されたら困るから止めてるだけ。俺のことなんて本当はどうでもいい。仕事から仕方なく構ってるだけ。もし俺が死んだとしても次の日には忘れてる。

他の人もそうだ。どうせ俺が死んでも面倒なやつが死んでくれてせいせいするとしか思わない。

俺の人生になんの価値があるんだ

こんな人生を続けるのはしんどすぎる

早く死にたい

長生きしたところで苦しみが長く続くだけだよ。意味がない。誰も俺のことなんて詳しく知らないし、知る気すらない。別にいいけど。俺だって俺に興味ないし。無価値から早く死ねばいい。人生消化試合がこのままダラダラと続くくらいなら、まだ若いうちにさっさと死んでしまったほうが儚くていいだろう。年老い自殺しても醜いだけだ。このままこの苦しみが続くのなら、死んでしまいたい。どうせまともになれないんだから、死んだほうが早い。人とまともにコミュニケーションがとれないゴミ人間社会にとってどう考えても邪魔で、不要存在だよ。健常者はみんな障害者なんて醜くて汚くて面倒臭くて邪魔だと思ってるだろう。だから税金障害者に使うのもこれからどんどん減っていく。どのみち社会的に死んでる存在だ。このまま惨めに終わっていくのなら、早く死にたい

これ以上歳をとって醜くなる前にさっさと死にたい

これでもまだ誇りを捨てないでおこうという気概自分に残っていることに少し驚いた。なんでだろう。今の時点で相当終わってるのに。わからない。何気に自尊心がまだ少しは残ってるのかもしれない。俺がまだ高校生なら、もう少し生きていようと思えたのに。もうあの頃には戻れないし、もう完全に取り返しがつかない。全てにおいて終わってる。どうせ人は死ぬんだから死ぬタイミング自分で決めたい。自分の納得の行くタイミング、死に方で死にたい。小汚い死に方はしたくない。死ぬなら景色のいいビル屋上飛び降り自殺。そう決めてるんだ。こんなに死にたいのに、死にたいはずなのに、死ぬのが怖い。人間本能というものが本当に憎たらしい。

結局「自殺するな」というのはどこまで行っても他人事で、自殺を止める側の自分勝手な考えに過ぎない。当人の苦しみなんて当人以外にはわからないし、止める側の立場上死なれるのは困るという以上の理由はない。社会の混乱を生むからだとか、残された家族が困るからだとか、結局そういう経済的理由から自殺予防というのは存在する。結局当人の苦しみなんて関係なくて、「金」の問題しかない。人の命なんて所詮そんなものだ。みんな社会を維持するために限界まで働かされて、老いぼれになって人生を楽しめなくなってからようやく開放される。人間というのは惨めな生き物だ。所詮社会使い捨てにされるためだけに存在する。

何が言いたいかというと、人間の命は無価値からいつ死ぬかも自分で決めていいということだ。止めるのは本人の自由妨害することに他ならない。

こんな不自由社会で生き続けるのは苦行でしかないだろう。

自分内面の話に戻るが、外に出ると不安不安で仕方ない。特に何もしていないのに、自分がなにか重大な失敗をしてしまったんじゃないか不安になる。周りが全員敵に見える。バスに乗ると全員俺を邪魔存在だと思ってる感じがするし、死ねと思われてそうで死にたくなる。この世界のどこにも居場所がないような気がして、家に帰っても喪失感、虚無感でいっぱいになる。歩いててすれ違う人が俺の容姿をみてバカにしているように感じる。変な奴、気持ち悪いやつだと思われてるんだと確信している。所詮どこにも自分の居場所はないし、ただ暇をつぶすためだけのものがあるだけで、オレの心を救ってくれるものはない。宗教などで救われようとする気力もない。ただ薄っぺらい娯楽で、死ぬまでの時間をダラダラと食いつぶしているだけだ。俺の苦しみなんて価値もないし、誰にも見せる気もないから、ただ一人で苦しんでいくだけだ。所詮人間なんてそんなものだろう。みんな救われたいと思っていても、誰かが救ってくれるわけじゃない。そんなに他人は暇じゃない。この苦しみをわかってくれる「何か」が欲しくて、自殺関連のものを読み漁ったりするが、やっぱりどこか自分と違うし、何か足りない。この苦しみを分かち合うコミュニティがあればいいが、だいたいそういうものネット上では規約違反になり、「漂白」される。死にたい人間の苦しみなど、世の中の決まりを決めている側にとっては、邪魔しかないということだろう。

所詮幸せも苦しみも全て過ぎ去っていくなら、さっさと無に還ったほうがいい。諸行無常という言葉のとおりだ。生きる意味なんてないんだ。どうせ人間は一生孤独なんだから、死んでしまったほうがいい。こんな空虚無意味で無価値人生など、さっさとおわらせてしまったほうがいい。どうせオレ一人死んだところで何も変わらないし。

世の中の「常識側」にいる人間が嫌いだ。常に自分たちは正義で、間違いなんて犯したことはなく、清廉潔白だと言わんばかりの態度が嫌いだ。その他人の苦しみを屁とも思わないその姿勢が嫌いだ。もちろん悪いことをした人間糾弾されるべきだが、正義側にいたら罵詈雑言を浴びせてもいいとか、嘲笑ってもいい、嫌がらせをしてもいいというのは違う気がする。人はもっと人に優しく有るべきだ。なんでこんなに人間社会は憎しみと嘲笑で満ち満ちているんだろう。気持ち悪い。もちろん俺もそういったものに参加して、誰かをバカにすることがある。それをやっているうちはちょっとかに対しての復讐心のようなものが満たされるが、所詮一時的ものしかない。それを続けていると、段々とその矛先が自分に向くんじゃないかというのが気になっていって、段々と人間不信が強くなり、苦しくなる。そんな醜いことをやっている自分のことも嫌いになっていく。悪循環だ。だが、なかなかやめられない。他人のことを考えていると、自分のことを考えなくて済むから楽なのである。その時だけは苦しみから開放されるのだ。俺はこの自分の癖を、非常に問題だと思っていて、できるだけ早くやめたいが、なかなかやめられない。ゴシップというのは、「何も行動していない」というのが武器になる。なかなかそういった趣味存在しない。創造的な趣味はだいたい自分努力していないと駄目だ。創造的な趣味でない場合も、知識必要になってくる。ゴシップというのは他人から競争することから逃れられる数少ない娯楽なのだ。こんな醜い娯楽はさっさと消えたほうがいいが、社会構造上消えることはないだろう。そういう人間の醜さも嫌いだ。段々と自分人間であることが嫌になっていき、自己嫌悪で満たされていく。何にも挑戦する気がない人間は、何も得ることができない。匿名でなにかを書き続けたところで、何も得ることはできないのだ。名前がない投稿は、社会制裁を受ける可能性が低い代わりに、得られるものもない。まさに空気だ。存在する価値がない。人を攻撃したところで、何も得られないのになぜ人は人を攻撃するのか。やっぱり人間本能なんだろう。争うことで人は社会を構築し、進化させていく。本当に気持ち悪い生き物だ。だが、そうするしか方法が見あたらないのも事実だ。だから人間は滅びたほうがいい。俺が人間を滅ぼす方法を実行できるなら、もうとっくに滅ぼしてるだろう。核爆弾管理する人間がなぜこういった考えにならずに済んでいるのか、わからない。人間社会はどこまでも空虚で、無価値で、醜いのに。

快楽、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなど何もかもが過ぎ去っていくなら、すべてのもの価値はない。価値がないから、滅ぼしてしまってもいいだろう。俺はずっと昔からこういう考えで生きてきたが、なかなか同じような考えの人間に遭遇しない。なぜなんだろう。俺も周りにこんなことは言えないが。自分では真に迫っていると思うのだが、どうせ世間から見たら愚かで、頭がおかしいと嘲笑されるだけだ。ニヒリズムと言わておしまいだ。でも、合理的に詰めていったら、そういう結論になると思う。「ニヒリズム」というのがおそらくレッテル張りのために存在するんだと思う。社会にとって良くない考え方は、そうして潰されていくんだと思っている。そういう社会を維持することを結論としていて、それ以外の考えは一切受け付けないという風潮も嫌いだ。結論が先に決まっているから、何を言っても無駄からだ。とにかく俺はひねくれていて、惨めで馬鹿から、そういう考え方になるんだろう。こういうことを書いていると、早く死ねと思われるんだろうな。そして死んだら、こういうやつは死んでも仕方ないと片付けられるだろう。結局俺は社会に捨てられた存在だし、社会に貢献する気もない。だいたい社会ってなんなんだ。ただ俺は人間として生まれただけだ。社会の一員になると決めたわけじゃない。だがたしか社会なしには人が生きていくのは困難だが、社会の重圧に耐えて生きていくのも苦しい。人間は欠陥だらけだ。本当に空虚で惨めだ。社会に属さなくてもどっちみち苦しいんだろう。こういうのを完璧主義というのかもしれない。ひねくれすぎて、自爆しているだけなんだろうな。俺はどのみち満たされることはないんだろう。ただ苦しみながら惨めに死んでいくだけだ。アホくさい。俺は変なところで正義感が強い。他人馬鹿にしたくない、だからバカにしているやつを許したくない。でも結局それは自分に返ってきて、自分が苦しくなるだけだが。誰かの意思を感じると、それに従いたくないという強い意志が湧いてくる。昔からそうだ。逆張り思考なんだ。だから俺には対して意思がない。自分がない。空虚なのだ。昔からそうだ。他人ありきの考え方しかできない。逆張り思考とはそういうものだ。未だに自分が何をしたいか、どう生きたいのか分からない。ただ嫌なことから逃げているだけだ。俺にはなりたいものもないし、やりたいこともない。空虚人間なんだ。ただ人の反対をやっているだけで、別に強靭な考えのもと行動しているわけじゃない。だからすぐ自分に自信をなくすし、すぐ途中で諦める。惨めな生き物だな。おれはこのままずっと素直に生きられないんだろうな。何重にもひねくれた思考が俺を苦しめてくる。自分自分を苦しめているんだ。愚かで馬鹿だが、やめられない。癖になってしまっている。考え方を変えるというのは非常に骨の折れる作業だ。俺はそれを成し遂げられる気がしない。だから俺は一生このままだろう。一生惨めなままなんだろう。このまま醜くなっていくなら、今死にたい。25歳というのは一種区切りの時だろう。俺はそれまでの時間をダラダラと無駄に生きてしまった。もう取り返しがつかない。早く死にたい損切りをするなら今だろう。これ以上醜態晒したところで、惨めなだけだ。愚かなだけだ。やっぱり首を吊って死にたい自殺といえば首吊りだろう。暗く、おぞましい感じがまさに「自殺」のイメージぴったりだ。飛び降りは少し爽快感ありすぎる。陰湿でジメジメとした感じがほしい。やっぱり首吊りだろう。ただ、首吊りは縄とか、結び方とか、色々面倒なのが玉に瑕だ。飛び降りは高いところから飛び降りるだけだ。これから死ぬというときに、細かいことを考えてられない。やっぱり飛び降りかもしれない。死にたいけど死ぬのが怖い。なんて臆病なんだろう。惨めだ。死にたいのに。この死にたさは本物なのに。外に出ると、空虚空っぽな感じが加速する。人生意味がない感じが加速する。誰も俺に興味がなく、みんな俺の命に価値がないと思っているように感じる。透明だ。透明人間だ。限りなく透明に近い存在だ。外に出るのが怖いのは、単純に今の春の空気感が嫌いというのと、それにウキウキしている人間が多い感じがするのが嫌いなのだ。春というのは色々と新しくなる。場所人間関係も変わる。それがとてつもなく苦痛だ。心が外側に、虚無側に剥がされるような感覚に陥る。昔から環境が変わるたびに、ひどく精神ダメージを負っていた。今もだ。俺は環境の変化に敏感で、心が弱い人間なんだろう。生まれつきだから、おそらく治せない。治すとしてもかなり苦労するだろう。この焦燥感に満ち満ちた季節が嫌いだ。非常に気持ち悪い。心が削られていくような感覚に陥って、自分自分でなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。今の自分でさえ不安定なのに、新しい環境にあてられて、更に今の自分が揺れ動いて、消えていってしまうんじゃないか不安になる。自分というものがハッキリしてないから、自己紹介もうまくできないし、自己PRもうまくできない。新しい環境というのは、俺にとって強風だ。俺はろうそくに灯された弱々しい炎だ。すぐに消えてしまう。消えてもまた炎はつけ直されるが、前の自分に戻りたいという欲求が強く、再び炎が灯っても苦しみは強く残る。前の自分に戻りたいということばかり考えてしまう。俺はいつも過去に生きているんだろう。惨めで愚かだ。だが、前に進むのが怖い。変わるのが怖い。ずっと変わらないでいたい。変わってしまうくらいなら、死にたい。死にたくて仕方ない。もう取り返しがつかないと考えてばかりだ。いつも過去に戻りたいとばかり考えている。最近とかではなく、昔からそうなんだ。小学生の頃は幼稚園に戻りたいと考えていたし、中学生の頃は小学校に戻りたいと考えていた。高校の頃は中学生に戻りたいと考なえていた。大学生の頃は、高校生の頃が苦しかたから、大学生になれて嬉しかったが、大学が苦しくなってくると、小学生の頃に戻りたくなっていった。今も小学生の頃に戻りたい。いい年こいた大人が、何を言っているんだろう。いつまでも過去のことばかり考えて生きているからこうなったんだろうな。今に生きていない。よく、俺は本当にこの世界に生きているんだろうかと不安になる。なにか自分だけ別の世界に生きているかのような、切り離されたかのような感覚に陥る。俺が俺である証明なんてなにもない。とにかく不安感で満ち満ちているんだ。なんでもないようなことにすぐ不安になる。これはもう治すとかいものではないんだろう。生まれつきの癖のようなものだ。早く死にたい。「死」という絶対的に動かない、固定されたものになりたい。どのみちこの苦痛からは逃れられないんだ。忘れている期間があったとしても、思い出している期間のほうが圧倒的に長い。これで生きていろとなると、中々の生き地獄だ。早く死にたい不安人間にとって大切なものだとかいうのをよく見るが、俺にとって不安苦痛を与えてくる存在しかない。不安をほんの少ししか感じない人のほうが人生楽しいのは明らかだ。世間から断絶した生き方をしたい。全く他人の顔を伺わずに生きたい。他人という存在不安を与えてくるほうが多い。人間社会比較連続だ。どこまで行っても比較は止まらない。趣味に没頭しようが、比較からは逃れられない。むしろ趣味こそ比較で苦しみやすい。何かを作り出すと特に比較対象になる。それ以外でも人間比較したがる。婚活なんていうのはその極みだ。結局、比べることが人間本能なんだろう。比べて、比べて、その先にあるのは苦痛だけだ。だからといって勝負放棄すると、俺みたいに落ちぶれて、何も残らなくなる。なにも持っていないというのは、安心とは程遠い。何も持っていない人間は、環境の変化にとても弱い。真っ先に切り捨てられるとしたら、そういう人間だ。いてもいなくても変わらないどころか、いないほうが都合がいいので、かんたんに切り捨てられる。ゴミ同然だ。早く死にたい社会お荷物だという自覚があるからこそ、早く死にたい人間社会というものがどうでもいいと思っているはずなのに、やはり他人の目というのが強烈に気になってしまう。俺は本当に自分意志で生きているんだろうか。結局、「社会人とはこうあるべき」という生き方に囚われている気がする。そんなのは俺が一番嫌いなものなのに。不愉快だ。不本意だ。俺は他人の言われるとおりに生きたくないんだ。かといってこうしたいという意志もない。だからただ無能であることに固執している。無能でいれば、他人からどうこう言われないし、他人とあまり比較されることもなくなる。ただ、社会から見放されたゴミとしての扱いになるが。社会のレールから外れると、なにかに挑戦したり、何かを得ようとするのに非常に苦労するはめになる。なにも得る気がない生き方をし続けないといけなくなる。ただ惨めに、無様に底辺を這いつくばって生きる羽目になる。こんな状態から、まともな人間になろうとすること自体が間違いなんだ。何もかも足りていないから、何もかも努力しないといけない。そもそも努力しても補填できない穴もある。アスペがまさにそれだ。コミュニケーション問題があるのは発達障害から、どうしようもない。そのどうしようもない穴が、社会必要不可欠だからとんでもなく苦痛なのだ。どのみちまともになれないなら、死んだほうが早い。俺は根っこから終わっている。それをどうにか隠そうとしたところで、それが露呈するのは時間問題だ。結局みんな離れていき、誰も残らない。俺には冗談が通じない。馬鹿からだ。馬鹿から面白い話ができない。馬鹿から、話してて苦痛になる。生きてるだけで邪魔存在だ。そこにいられると迷惑になる存在だ。馬鹿から、なにもかもうまく行かない。馬鹿から、まともに努力できない。ゴミみたいな人生がこのままずっと続くと考えただけで、非常に嫌になる。クラクラする。結局他人迷惑を掛けるだけで、邪魔しかならないし、自分楽しいと思えない。生きてるだけで迷惑だ。邪魔だ。生きてるとどんどん苦しみが積もっていき、呼吸がどんどん苦しくなる。生きれば生きるほど、逃げ場がなくなっていく。段々希望が見えなくなっていくのがよくわかる。待ち受けているのは深い苦しみだ。将来に希望なんてないし、なりたいものもない。もし仮にこのあと頑張ってまともになったところで、別に何かあるわけでもない。俺みたいな人間が受け入れられるとは到底思えない。そもそも他人コミュニケーションを取るのが怖い。怖いのを乗り越えたところで、アスペは治らない。どっちみち積んでるのだ。俺が誰かに求められるなんていうのは、結局幻想しかない。俺はどこに行っても迷惑なだけの存在なのだ邪魔でうっとおしくて、いるだけで空気が悪くなって、気を使わせてしまう。わかってはいるが、どうすればいいんだ?コミュニケーションというものが俺にはわからない。人間社会コミュニケーション重要視する以上、俺みたいなのははじき出されるだけだ。俺みたいな人間は一生孤独に生きていくしかないんだろう。ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無Permalink | 記事への反応(1) | 03:08

2023-12-15

暇空の相棒のなるくんは30歳ほどで、まあまだ若い

彼の昔からの友人の同世代の人たちには感化されて暇アノン化する者もいるが

一方で「なるが変なおっさん崇拝してイカれた」「おっさん尻尾振ってるの見るのしんどい」「手を引かないとなるも捕まったりしそう」

と冷めた目で見たりなるくんを心配するつぶやきをしている

無職40代暇空と違って普通に就業してるなるくんが取り返しのつかない道を歩んでいるのは切ないものがある

なるくんが12年ほどやっている個人Youtubeチャンネル登録者が300人しかいない

実況動画やったり、ガジャット紹介したり、一部には数万再生もあるがほとんどは2桁3桁の再生

顔を隠して踊ってみた動画VRゴーグルをつけた姿を披露していた時期もある

真っ当な方法では彼は目立てなかった

時系列前後するところがあるが、ドラクエⅩの世界ではなるくんは目立てた

広場で猥語連呼したり運営への殺害予告連呼で彼は有名人になれた

迷惑行為をすれば有名になれるという成功体験を得てしまった

そしてより迷惑方法を考えつける「変なおっさん」暇空と組んで、真っ当なチャンネルでは得られない多くの登録者を得た

なるくんの生家は経済的にはわりと恵まれているらしいが、父と祖父ネットで真実に目覚めてネトウヨ化し

共産党がー共産党がー」と騒ぐのが憂鬱であるとかつては書いていた

今はなるくんが共産党がー共産党がーになっていて、遺伝子に抗えなかったのが痛ましい

anond:20231215202003

しかし男女の経済的格差はそれ単体で問題視されてますよね?

実際に性的資本を計上されて、「女はマンコが付いてるので稼ぎがなくても問題いかw」となったら納得しますか?しませんよね

女性下方婚によってジェンダーギャップ改善していかなくてはいけません

2023-12-14

普通に考えて、弱者男性を好きにならない理由が分からない。

結婚しないのはわかる。経済的に苦しければ赤ちゃんを育てられないから。

2023-12-13

anond:20231213152649

瓶はある程度規格が決まってるから同じ規格のやつを一緒に溶かしたり再利用できて経済的

ガラス製品陶器は規格が決まってないか材料かに統一性がなくてリサイクルに不向き

anond:20231213084556

残念だけど、そういうの多いんだよね。

車椅子彼女を支えられないほどの揺るぎない経済的事情がない限り、差別でいいと思う。

増田には本当の弱者男性なんていませんよ

たとえいたとしても彼らはほぼROMです

弱者自分だけの言葉なんて持ちません

増田にいるのは経済的に十分余裕のあるおっさんです

彼らが下手くそ文章で(自分では上手いと思っております)、

何だか悲しげな話、切なげな話を紡ぎ出してドヤってるだけです

彼らは悲しくて切なければ文学だ、と思っていやがるのです笑

ダシにされている本当の弱者はいい面の皮ですが、

まぁ本人たちは気付きやしません(自らのことだとわからいかそもそも読んでない)

ある意味増田純粋言葉だけで構築された架空社会ファンタジックワールドです

自分が頭いいと思われたくて仕方ない奴ら(そして現実にはそれほど認められてない奴ら)の集まりであるブクマカ気持ち悪いですが、

増田も同じくらいは気持ち悪いですね

でも、純粋ではあるのかもしれません

ユーザー動機が、という意味ではもちろんなく、全てが架空という意味においてね。

2023-12-12

anond:20231212081618

なぜ欧米が女を搾取しなかったかというと、女の代わりに肌の色が違う人たちを搾取してたからその必要がなかったんよね

そして今は奴隷解放黒人差別解消が行われてるよね

搾取は終わらせられるし変えられるけど、日本人搾取知識が無さすぎる

女を搾取できなくなったら経済的に困る人がいるとか時代遅れの主張を見るたびに頭が痛くなるね

奴隷農場奴隷解放するとステータスを失ったし経済的に困ったよと

アジア男尊女卑は男が女を搾取しようとするものから、女が能力を示して頑張っても男による搾取が増えるだけにしかならなかった

2023-12-11

美女恋愛の仕方にムカつく

職業柄、同世代と比べたら収入はある方で30半ばぐらい綺麗な女性から言い寄られることも多い。

でも学生時代はどうせ俺みたいなやつを馬鹿にして、イケメンとヤりまくってたんだろうなと思うと少しイラっとくる。

歳食ったし経済的な面も含めた現実的相手しか見てなさそうな感じ。

普通に金持ちイケメンを探せよ。

個性を伸ばす教育 って落ちこぼれが増えるよな

日本教育画一的で、横並びの軍事教育のようだと聞くことがある

そのせいで個性が潰され、生きづらさを感じる子がいて突出した天才が生まれにくい とか

この辺がそもそも客観的事実なのか という議論はあるが、まぁ感覚的にはたしかにそうだ とも思う

学校は平均的に色んなパラメータを伸ばそうとするから、そつなくこなせる子 以外は辛い部分もあるだろう

じゃあ個性を伸ばすような教育に切り替えたらどうか

個性を伸ばす教育 が具体的にどうするのかは知らんが、

リソースが限られている以上、今まで平均的にやっていた何か を削って個性を伸ばす時間にあてるんだろうか

そうした場合結構デメリットもあるんじゃないか

アメリカでは単純な算数でも暗算できない人が結構いるとか

画一的教育天才を生みづらいが、苦手なもの放置しないので結果的落ちこぼれ救済になっているんじゃないか

まぁここも、苦手なら伸ばさなくてよくね?という議論もあると思うが

日本経済的には個性を伸ばす方がメリットあると思うけど、アメリカのような格差社会に近づく気もする

あと、規律を重んじるまるで軍事的な教育は、日本治安の良さにも結構寄与してるんじゃないか と思うこともある

知らんけど

2023-12-10

anond:20231210174100

おれは1000億円稼ぐ事はできない。一生かかって3億でもどうだろうか。

すごい、すごすぎる。

おれの300回分以上の人生に相当する経済的価値野球選手にはあるのか?

どこで300倍もの差がついたのか。

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