はてなキーワード: 破水とは
今日、初産で自然分娩で女児を産んだのだが、陣痛が過酷過ぎて涙を流して苦しみまくり、弱音を吐きまくり、悲鳴をあげまくり、ヤバすぎた。息むときに目を閉じていたら、一瞬いつもの瞼を閉じたのとは違う種類の暗闇が見えて(赤ちゃんを産むために全力で息みながらだと別世界が一瞬見えた)「あ、私は死ぬかも」と思った。妊婦さんによってはいきみで毛細血管がぶちぶち切れたり、何て言うかいつもとは違う馬鹿力を出さないといけないから色々と限界突破するんだと思う。私にとってあの暗闇は世界の終わりに見えた。
通っている病院は「妊婦さんにも子供にもダメージが少ないように自然のお産を目指します。」という方針。私のお産は、破水スタートだったんだけど、破水してから陣痛の間隔が短くなるまで一晩待ち、翌日、子宮口が全開になるのを待ち、赤ちゃんが胎内を回転して自然に降りてくるまで半日待ち、陣痛を経験したものにしかわからないと思うが、痛み地獄をずっと味わい続けた。お産で息んで、中途半端なところまで進んだら赤ちゃんが引っ込むなんて知らなかった。息んで赤ちゃんが産道?を進んだらそのままその位置で赤ちゃんがキープされるものだと思ってた。体力がない妊婦は陣痛が起きて、子宮口が開くまで、赤ちゃんが降りてくるまでに体力が尽きて息むのが大変すぎると思う。私の病院は吸引分娩とかしてくれなかったのでひたすら赤ちゃんが赤ちゃんの力で赤ちゃんが降りてくるまで待つのが辛すぎた。お産のときは会陰切開もされた。お産をしたあとで麻酔をして針と糸で縫われたから、おそらく会陰切開をリアルタイムでされたときは麻酔なしだったんだと思う。
陣痛の最中、息んでいる最中に切られたからか、会陰切開の痛みは感じなかった。しかし、お産のあとの麻酔ありの針と糸で縫う手術は麻酔を使ったにも関わらずやっぱりそれなりに痛かったし、私の場合は、産道の中も切れたらしく、それも縫われていたらしい。
私は一番リスクが低いお産が自然分娩なんだと思ってた。帝王切開は子宮と皮膚を二重に切るし、手術中は麻酔が効いていて良いが産後のダメージが半端なさそう。あと、帝王切開で障害が残ったお母さんが「私は帝王切開で車椅子生活になってしまった。もし、自然分娩か帝王切開かあなたが選べる立場ならば自然分娩がいいよ」と書いているブログを読んでちょっとトラウマになった。無痛分娩はニュースでよく死亡事故が報道されていて怖いし、背中に麻酔の針を刺されるのが怖いし、無痛分娩で息むタイミングがわからず上手くいきめなくて子供の脳にダメージが残り、障害児になってしまったというブログを読んでショックを受けた。
色々と考えて自然分娩が一番いいんだろうなーと思って、自然分娩でお産した私だが、私が産んだ子は色々と事情があって産後すぐに治療が必要になり、色々と検査を受けなければならなくなった。何も異常のない元気な赤ちゃんだと信じてはいるが、まだ結果を聞いてないのでドキドキする。
人間やっぱり健康であることが一番なので健康であってくれ。そして、ちゃんと大人になり、私が死んだあともたくましく元気に生き続ける子供であってほしい。
私は産後カンガルーケアもできず、入院部屋で他の入院患者の新生児の可愛い声を聞きながら泣きそうになっているが、どうか我が子は健康であると信じている。
陣痛室に入って、ベッドに横になり内診を受けた。足パカ台以外のところで内診を受けるのは初めてで、産婦人科医じゃない助産師に内診されるのも初めて。
助産師におまたに指を突っ込まれて、そんなことは初めてだったので「こ、これが内診グリグリってやつなのかな?」とビックリしつつ、ひいいいいい!!と怯えていた。内診苦手!!
いつもの内診はクスコとか超音波とかの医療器具を使われているから人の指が入っている感覚はなかった。
きっと、出産のときは助産師におまたに指を突っ込まれまくるんだろうな。本当に陣痛が起きたら痛すぎて内診グリグリされたところであまり気にならないのかもしれない。
結局、尿漏れで破水ではなかったので家に帰ることになってしまった。最近は下半身に違和感があり日常生活がつらいので早く産んでしまいたかったのだが……
やれ誤診だ
ヤブ医者だ
ちゃんと診てくれないだ
常にビクビク患者様の動向伺って
患者様は
大した用でもないのに救急車使ってご来院なさったり
予約時間すっぽかしたり
外来で待たされたってブチ切れてきたり
テレビ見て不安になったとか言ってトンチンカンな病気の名前出してくるし
スピ系に走ってわけわかんない水だの信じて治んない段階まで癌放置した後病院来て「何もしてくれない!」とか言うやついるし
妊娠してません!絶対してません!とか言うけど妊娠検査したら陽性で親の手前言えなかったとか
妊婦だけど検診行く暇がなくて放置して突然破水して何もわからず救急車で運ばれていきなり出産とか
手に負えないよはっきりいうけど
そらわかってるよ本当に大変な人がいるって言うのは
こっちだって本当に大変な人救うためにここまで勉強してるんだよ
その人たちに言ってるわけじゃない。それは当たり前。病気になるのは誰のせいでもないから。
でもその前に超大量の超どうしようもない人がいるわけ。そっちをさばくのにめちゃめちゃ時間かけてるわけ。
あなたもさ、毎日毎日買いもしないくせにクレームつけてくるお客さんが入れ替わり立ち替わりお店に来たらどう思う?本当に良いお客さんもいるだろうけど、仕事へのモチベーション保てる?保てなくね?医者も人だよ??
誤診なんてしたいわけないじゃんそんなの嫌に決まってんじゃん
ヤブ医者はそりゃ居ないとは言わないけどさ、大概の医者が真面目に働いてるよ、先生たちみんないい人だよ、でも疲れてる。本当に本当に疲れてる。
認知症の人間を拘束するな!っていうけどじゃあ点滴自己抜管したり転倒して後遺症残ったり、認知症の他の患者に殴られたり夜中に勝手に出て行って道端で死んだとしても納得しますっていう同意書全員に取らなきゃそんなもん無理だわ
見守ればいいって言うけどその人件費はどこから?あなたのお財布から??
拘束しません!努力!とかいう記事見たら患者を抱きしめるとか言ってんのな、現場見たんかワレって感じ
ご家族が泊まり込みで抱きしめて差し上げたら??殴られると思うけどね。
それなのに皆さん消費増税でめちゃめちゃ文句言ってんの笑っちゃうわ
あなた方の医療もあなた方の親御さんの介護ももう支えられるだけのお金なんかないよこの国には
国からは無意味な検査をするな、医療資源の適切な分配をと圧をかけられ
あちらを立てればこちらが立たず
あっ検査がいるかどうか判断するのが医者ですねすいませんでした!ハイ!
無理なんだよな、、
患者全員が納得するように全員に全身検索するのなんか無理に決まってんだよな、、
ってかそうすれば楽になるのなんか医者もわかってるよ。クレームこないこともわかってる。
でもそれは無理なんだよ。その検査は何を疑って何故したのか、理由が必要なんだよ。
医学の進歩が早過ぎて医者だって常に勉強し続けなきゃならない状態で
「治療方針は患者さんと一緒に決めましょう。患者さんの人生です。」
って悪いけど医学知識全くない赤ちゃんレベルの人間と一緒に決めるとか出来るわけないだろ何言ってんの?
とりあえず一緒に決めるテイにしてるけど適応と保険請求の関係もあるから実際めちゃ限られてるし、患者が選ぶことができることなんか本当に少ないんだよ、それをもっとちゃんと国が言わないからモメる訳。
提示された治療がネットで調べたやつより少なかった、自分の人生なのに医者に決められたっていうなら医者になったらよかったのでは?とまでは言わないけど医学の本読んだり論文読めばいいのに。
ってか医者も施設にない治療したり適応外の疾患に保険無理やり通したりできねーよ。ほんと頼むよ。
ヤブ医者だらけだから医者は信用しないっていう人が医学勉強しないの全然理解できない、、
パソコンの使い方分からなかったら使い方勉強するやん?人体も同じだよ?
インターネットで調べたから!!この治療があるらしい!やってるところがあるらしい!!
ってそれ適応みた?
健康保険っていうのは国に請求して妥当性がなかったら降りないんだよ、、
ガイドラインさらっと読んだだけで推奨グレード含め患者さん自身に正確に判断できると思えないけど、、
ってか生きる死ぬの問題でよく誰が書いたかもわからないインターネットの記事拾ってくるね、、
「血液検査したらすぐわかるんじゃないんですか?」
いやあの盲腸の人は本当にかわいそうだったと思うよそれはそうだけど
盲腸に感度特異度100%の血液検査項目か画像検査見つけたら教えてね、賞もらえるかもしれないから。
残業させられ放題当直させられ放題
安すぎるよねどう考えても給料
で、結婚しようとしたら
男は妊娠出産で死なないけど女って死んだり不調出たりいろいろしますよね?
リンパ球性下垂体炎にでもなったら当分復職厳しいだろうに年収300万の男と赤ちゃん抱えてどうやって生活するんだよ
てかまず切迫なって突然3ヶ月入院とかなったらまともな復職できねーよ!医局居づらいよ!
その安産かつ復職前提の女の年収に依存した人生計画とてもじゃないけどリスキー過ぎて受け入れられないわ
ってコラム書いてる女医は旦那医者なんかーい!説得力どこ置いてきたんだよ他人ごとでいいっすね!
てか結婚しなけりゃ自力で1000万は少なくとも稼げるんだし(まあ体調を崩す可能性はあるけどさ)せめて男が1000万はないと下降婚になるし全然結婚に魅力を感じない!
おかしいな昔はステキな奥さんになるのが夢だったのに⭐︎子供かキャリアかどちらか諦めなきゃいけない感じかな?⭐︎
ってそんな呼ばれ方はどうでもいいから現状なんとかしてくれ、、
「こうなんだけどヤバイかな?」
頼む、
病院に行け
なんでLINEでプライベートまで医療相談受けなきゃなんないんだ?
今時占いでも金取るぞ?
そんで医者になったらキャリア形成どうしようかなーって思ったらやっぱり医者としてのキャリアはどの診療科でどの病院に勤めるかでくじ引きみたいになってるんかーい!
結婚出産した人はキャリア形成厳しいですって何のために税金かけて何年も勉強したんだよ、、、
医学部の不正入試で女子医学生増える傾向とか言ってるけど寝言かな?
ちゃんと宣言して女子医学生減らさないと不幸な女医が次々爆誕するだけじゃない??
医学部も終わりかけの頃に
あれ、、?これ人生どうなる感じ、、?
後戻りできないだろ!!!
「この病院は女医さんが産休育休取ってるから夜間受入してなくて、、」
「この病院は女医さんが産休育休取ってるから入院はできません」
って総合病院とか大学病院が近くにたくさんあったら1000%文句言うよね?
たらい回しにされたって言うやろ?
ただ女医だけ増やしても今いる現場の男の医者は負担増え過ぎて死ぬし、その風当たりで女医も全然偉くならないままで終わるやんけ!
それなら勤務シフト制にする?担当医制じゃ無理だろうね。外来どーすんねん。
え?ヤブ医者に当たりたくないから絶対この先生がいい?え?水曜以外通院で仕事は休めない?
シフト制無理そうっすね!
まず大学教授が割とどこでも男100%⭐︎って感じなんだから女の働き方改革なんかひっくり返っても無理だよ⭐︎
女の子は結婚とか出産もきびしいかもしれないし、結婚出産したら医局から飛ばされたりただのバイトの医者になっちゃうかも知んないけど自己責任で⭐︎
って説明してあげてくれ。
これ読んだ若い子たち医者なんかほんとやめたほうがいいよ、先輩からのアドバイス
って思うけどまあみんな安定志向なんだろうから目指すんだろうけど、給与安定人生不安定⭐︎って感じだぞ!
まあこう書くと医者じゃないじゃんお前って言われそうだけど、医者になる前からもう終わってるなーって思ってるってくらい現場はやばいよ!
実習で回っただけでゲンナリする感じだよ!
私はもう戻れない。
※この記事で私が思い違いをしていることがあれば、医師の諸先輩方はぜひご指摘をお願いします。
ー追記ー
たくさんの方に読んで頂けて嬉しいです。女医に限らず妊娠出産の件は高収入女性にあてはまるとのご意見を聞き、女とは...となってます。
しかし女医さんからのご感想がなくちょっと切ないです。もっと否定してくれる意見が出るかと思ってたのに。
あ、医学生のところにも届いたら良いのになと思ったり。
あと、女医が年収300万ウンタラの元記事は消えてますが、元の方のツイートによると
↓↓↓
後輩女性陣へ向けた連載です
・"なんとなく"医師同士婚が多いだけ最適解ではない
↑↑↑
とのこと。
私にはまるで納得いきませんでしたが、、。というか非常にリスキーだと思います。旦那さんが医者である女医が書いた安易な意見に後輩が流されないことを祈ってます。
最後に。
男だって事故とか病気で死ぬから一緒だろって言ってる人は、妊娠出産したら女は謎のバリアを獲得し、事故に遭わない病気にならないと思ってらっしゃるようです。
男も女も事故か病気で死にますよ。そこに有意な男女差はないと思う。ただ、妊娠出産で男は死なないし、体調も悪くはならない。
あと、年収300万で女医(年収1000万)と結婚したけど、妊娠出産で私がいつ死ぬか分からないからあなたの収入のレベルで暮らそうね!って言われたら男の人どう思うのかしら。そういうつもりで結婚してないと思うのでは?少しは良い家に住んだり贅沢できると思いますよね。
30代、初産。都内の総合病院で予定日より2週間前に計画無痛で出産した。
麻酔は硬膜外麻酔という下半身の局所麻酔で、痛みは取れるが意識や感覚は残る。
全くの無痛ではないケースも存在するので「和痛分娩」というのが正確らしいが、ここでは無痛分娩と表記する。
・お産の流れ
その産院における、初産婦の一般的な分娩スケジュールは以下の通り。
前日に入院してテスト麻酔、子宮口を開く器具を挿入して一晩過ごす。
翌日、子宮口が十分開いたら(5㎝くらい)、麻酔と陣痛促進剤開始。破水していなかったら破水させる。
子宮口全開大(10㎝)になったら分娩室に移動して、自力でいきんで出産。
お産が進行しないまま麻酔を使ってしまうと陣痛が弱くなり、分娩が長引いて危険になることがあるため、初産だとある程度陣痛を経験する場合が多いらしい。
私は幸いなことに、前日から子宮口4㎝も開いていたので、ほぼ陣痛を経験することなく、最初から麻酔を使い、完全に無痛に近かった。
朝8時に促進剤と麻酔を入れて、12時過ぎには生まれた(初産にしてはとても速い)。
・メリット
体力を温存できる
痛くない
まずはメリット。
・体力を温存できる
いざ生まれるというときに、いきむ力が残っていないということになると、さらにお産が長引くことになる。
産後も当日から3時間おき授乳が始まり、怒涛の育児ライフに強制的に突入するので、体力を残しておくに越したことはない。
・緊急帝王切開への移行
母親の血圧が下がったりお産が長引いたりすると、胎児に負担がかかるため緊急帝王切開になることがある。
そうなるとできるだけ早く胎児を出してあげないといけない。無痛分娩の麻酔はそのまま帝王切開の際の麻酔として使えるため、手順が一つ減り、素早く対応できる。
実際私も分娩中に胎児の心拍数が下がる瞬間が数回あり、緊急帝王切開もありうると医師に言われていた。
お産はいつ何が起こるかわからないので、安心材料の一つになる。
・痛くない
これ。
多少陣痛を経験するにしても、陣痛マックスの痛みは感じることはない。
陣痛の最中には立ち合いをした家族や助産師に暴言を吐いてしまうということも聞くが、無痛の場合まずそれはない。
私の場合は夫が立ち会ったが、陣痛中は普通に会話をしたり動画をみたりとリラックスして過ごし、生まれる瞬間も「産声でかいなー」と一緒に笑って迎えることができた。
前述の通り麻酔中も感覚は残っているので、痛くはないものの、胎児が出てくる瞬間のどぅるんとした感触はしっかり感じた。
そしてデメリット。
・費用
私の場合は通常の入院6日で70万円、無痛分娩で10万円、計80万円ほどだった。
これは病院によるけど、どこも無痛はプラス10万円くらいかと。
そもそもの基本の費用が高いが、胎児のモニタリングや麻酔の経過チェックなどの体制が整っていたことを考えると、私は納得できた。高いけど。
事故防止のため、麻酔前3時間、麻酔中、麻酔後1-2時間は飲食禁止だった。
下半身の麻酔なので、歩行も麻酔後数時間はできない。つまり、トイレに自力でいけない。
私の場合は導尿されてた。少し心理的な抵抗はあったが、産後は回診のたびに会陰をいろんな人に見られ、母乳の分泌を確かめるために乳首を無遠慮につままれるので、思い返せば導尿くらいなんともない。
産後には子宮が元の大きさに戻ろうとするときに、生理痛のような痛み(後陣痛)が伴う。
それに加え、多くの場合に分娩で会陰が裂ける。
麻酔が切れたあとにこれらの痛みがいきなり襲ってくる。
陣痛を経験していないと、これらが人生の中で最高レベルの痛みに感じる(ような気がする)。
私も会陰がバチバチに裂けたので縫われたが、これがまあ痛い。出産当日の夜はひいひい泣きながらナースコールした。
ただ、後陣痛も会陰裂傷も痛み止めを飲んだり、患部を冷やしたりといった対策はある。
・リスク
麻酔で重大な事故が起こる割合は低いが、全くリスクがないわけではない。
計画分娩だと陣痛促進剤も併用される。促進剤でも事故が起こったケースがある。
自分で調べても情報にはたどり着けるけど、これらの処置のリスク、事故防止のためにどのような対策をとっているか、などをしっかり説明してくれる病院を選んだ方がよいと思う。
今回の産院では、無痛分娩に関する説明会を受けることが必須になっていた。みっちり2時間半、質疑応答の時間もたっぷりとられていた。
リスクに対してメリットが大きいと納得できれば、無痛を選べばいいし、そうでなければ避けた方がよいと思う。
私の場合、完全無痛に近かったことと、よい病院に恵まれたこともあって、無痛にして本当に良かったと改めて感じている。
はてなーには「痛みを経験してこそ」なんて人はいないと思うが、無痛で産んでももちろん我が子はかわいい。
それではみなさまよい分娩を!
夫や親や周りの人間の理解もあって、「無痛?痛くないならその方がいいよね!」ぐらいの反応だった。
もちろん無痛には無痛のリスクもあるんだけど、選んだ産院が無痛分娩を推奨していてどんなリスクがあってどれぐらいの確率で起こって、もし起こった場合どんな対処をするのか?をしっかり説明してくれたので安心して無痛を選択した。
一口に無痛分娩といっても、病院によっていつ麻酔を入れるかどれぐらいの痛みを軽減させるかは異なるのでその辺は確認した方がいい。
まず、朝病院に行ったらバルーンを子宮口に入れて、陣痛誘発剤を点滴で投与、だんだん痛みが強くなってきて子宮口が4センチほど開いたところでバルーンが抜けた。
バルーンが抜けたことで一旦痛みが落ち着いてしまったので、昼頃に人工破水。
一気に痛みが強くなって、子宮口が6センチぐらい開いたところで麻酔を入れてもらえることになった。
陣痛の痛みは、生理痛→重い生理痛→喋るのが辛く、ただひたすら痛みに集中しないとしんどいぐらいの腹痛ぐらいまで推移した。徐々に痛さのゲージが上がっていくので耐えられなくも無いけど切なくなってくる。でも痛みのピークはこんなもんじゃないらしい。
麻酔、背中を丸めて麻酔のシートを背中に貼る。腰のあたりに針を2本深く入れるんだけど、不快感と痛みがすごい、腰の骨と骨の間にゴリゴリと音を立てて針が侵入してくる。めっちゃ痛い。この間も陣痛の痛みが来る、腰もお腹もそれぞれ痛くてもう泣きたい。
麻酔を入れてくんだけど、下半身が自分の意志と反してブルブル痙攣する。寒い。麻酔が入ってくる時の異物感が気持ち悪い。
入れてすぐはまだ麻酔が効かなくて陣痛普通に痛い。左側の感覚は無くなってきたけど右側はまだ普通に痛い。そのうち痛くなくなるとのこと。
一時間だけ眠りましょうか、ということで腕から眠たくなる薬を投与。投与された血管が痛い。そのまま意識が遠のく。
一時間経過、めっちゃぐっすり寝た、まだ寝ぼけてる。かすかに陣痛の痛みがある。
てか右骨盤がはじけそうな痛さ。耐えられるけど痛みのレベルがかなり高くなってるのがわかる。
いきみましょうか、ってことでお腹が張るタイミングで力を入れてみる。
てかこれどこに力を入れればいいの?
だんだん痛みが増してくる。てか右側麻酔効いてなく無い?!普通に痛いぞ〜!
3いきみ目ぐらいで痛さと苦しさでしんどくなってくる。
無痛、ふつうに痛いやんけ、てかもうなんかなんでもいいから解放してほしい。
苦しくていきみたくて仕方ないけど痛いし苦しいし出てこないしなんかもう痛くてだめで、つらいーたすけてーと声が出る。
助産師さんがあと数分でなんちゃらかんちゃらって言ってる、あと数分でなに?どうなるの?タイムリミットてきな?
お腹めっちゃ押される、部屋に人こんなにいたっけ、横で母が泣いてるけど頼むから静かにしてほしい、がんばってんだよこっちはよお、みたいな理不尽な気持ちになってくる。お尻を引っ込めて力を入れるのよ!ってめっちゃ言われる、めちゃめちゃ踏ん張ってるけど出ない……。
右腰が、右腰が痛いですって訴えたら麻酔追加してくれた。ああ、もっと早く言えばよかった……少し痛みがマシになる。
お医者さんがきて、切りますねって言って股を切られたらしい、最後もう一回おりゃーっていきんで、オギャー!ですよ。
時間がかかったせいで赤ちゃんちょっと低酸素状態だったみたい。
切られた股を縫われてるんだけど、引っ張られてる感覚があるだけでまるで痛く無い。
普通分娩と比べれば少ない痛みで済んでるんだろうけど、初産なのでわからない。
個人的には普通に痛かったし普通にしんどかった。途中でリタイアしたいのに出来ないし、停止ボタンとかも無いわけで、なんでこんな責め苦を……みたいな気分だった。
でもまあ無痛にしてよかったと思う。
・38週プリミ(初産)と秘書が会社を休めと言っている事から産前休暇中。
・急にうずくまり即病院に連絡していのでおそらく破水した。(急な陣痛にしても周りのリアクションからして破水が妥当)
・さあやは実は医者ではなく助産師。(助産師であれば21歳からなれるらしい)
・ダイガンが産婦人科医師。分娩時になにか(大量出血や会陰切開、吸引分娩など)あった時の為に居るがお産が順調なら特に何もしない。
・ほまれが一番最初にかけつけたのは家族や夫の居る場所よりも空港の方が病院に近かったから。空港に居たのははなの予定日に帰国を合わせたのかもしれない。
・ほまれが来たとき既にいきんでいるので出産も終盤。病院に来た時点でかなりお産が進行しており、麻酔は出来ない(しても効く前に出てくる)状態だったと思われる。
それでも残る疑問
・分娩台じゃなくただのベッド。あれではいきめっていうのはかなり辛い。
・赤ちゃんの心音や陣痛をチェックする機械(NST)をつけていない。お産が順調だから不要と判断したのだろうか。
・血道確保の点滴無し。大量出血したらどうするつもりだったんだろう。
導き出される答え
日本は無痛分娩が普及してないから麻酔科医の人数が足りてない。
うちは自然なお産がコンセプトです、みたいな院も多い。あと初産婦には無痛やりません、みたいなところもある。
あと無痛分娩とは言うものの痛みがゼロになるわけじゃない。なので最近は和痛分娩と呼ぶところも多い。
私がかかるところは、計画分娩であらかじめ産む日を決めて病院に行ったら陣痛を誘発する薬を入れる。子宮口が5センチ開くまで陣痛に耐え、そこで初めて麻酔を入れる…って手順。
あと後陣痛っていう後から来る陣痛があるらしく、それはふつうに痛いらしい。
麻酔もやっぱリスクはある、本当の最悪半身が麻痺してしまう…なんて事も無くは無いらしい。
自分も母子ともに危険、死ぬかもしれないって状態で帝王切開で生まれてきた。
会社の韓国籍の人と出産の話をしたんだけど、韓国は無痛分娩が当たり前っぽかった。
2歳になる娘がいる。第一子だ。
夜中2時に破水。
翌日夜7時に生まれた。
長かった。
ネットで出産のエピソードは調べまくった。痛すぎて叫んだり、旦那さんに暴言はかないようにとか。
そこはうまくいった。
けど、そんなことはどうでもいいことだった。
会陰切開拒否しなきゃよかった。
皆が怖がる恐怖の会陰切開。
ハサミでパチンの会陰切開。
最終的には結局切ったんだけど、お産が長引いたからか出産後2時間で大量出血した。
まず言いたいこと、会陰切開全然痛くないです。
もういきむのとか出てくる痛みのが遥かに痛いから、なんかパチンと切られたかなくらいの感じ。
担当の先生にできれば会陰切開はしたくないと伝えていたので、先生が最後まで粘ってくれた。
16時半に分娩室に入ってからいきみ続け、意識も朦朧としてきて酸素マスクを付けられた。19時前偉い先生らしき人が入ってきて、「ここ切ればすぐ出るよ」と言ったのが聞こえた。パチンと切ったらすぐにドゥルンと出てきた!
お産が長引いたから大量出血するとは言えないけど、それも多少は関係あるらしい。
とにかくあの痛みから逃れ、一刻も早く我が子に会うためにも、子供も苦しかっただろうし、早く会陰切開してもらっておけばよかったなと後悔してるのでこれから出産する人に伝えたくて書きました。
バースプランは人それぞれだけど、痛みを感じる時間を短くすることを重視するのであれば会陰切開は拒否しないことをおすすめします。
5chに投稿しようとしたら文字数オーバーだったので記録として。
36w入った頃から朝のみ前駆陣痛有り。36w3dでおしるしがあり病院に。経管も平均的で子宮口が開いていないため、お産はまだ先だろうとの判断。
その日の深夜から前駆陣痛が続き、翌日朝再度病院に。張りは弱めなものの、子宮口が2cm開いているということで入院。その日の夕方には更に3cmになっているが、陣痛の時間は不規則。正産期前のため促進剤も使えず、張り止め等を出す時期でもないということで長期戦を覚悟。夫を帰宅させる。
ただ深夜、痛みは順調に増していき、36w5dのAM4時頃には子宮口も5cm開く。8時前に夫が病院に到着。その頃には3分間隔の陣痛でのたうち回る。美味しそうな朝食を夫に託し分娩室へ。それからはスピーディにお産が進む。途中で点滴が正しく落ちてないことがわかりだいぶバタバタする。なんとか点滴を直したところで先生が到着。器具を使って破水させてもらい、数回いきんだ後会陰切開をして出産。最後の方は関係のない点滴を直すために来た看護師さんにも手伝ってもらい、ありがたかった。
早産になってしまい不安に思っていたもののいざ生まれるとほぼ3キロ!予定日まで入っていたら大きすぎて難産だったかもしれない。今のところ健康状態も良く、なんて親孝行な子なんだろうと感動。
また、痛みと痛みの間の時間は冗談を言えるくらい余裕があったことをスゴイと言ってもらえて少し気分が良かった。でもあんな痛い思い二度とゴメンだ。
今日はよく頑張った。明日からも頑張ります。我が子もよく頑張ってくれました。生まれてきてくれてありがとう。
夫、ギャーギャーわめく汚い私に引かないでくれてありがとう笑。引き続き宜しくね。
09:30
今朝起きたらまた鮮血のおしるしが出ていた。
前駆陣痛も続いていたから、「がんばっていたんだね。残りはお母さんやみんなでサポートするからね」という気持ちで家を出発。
快晴でとてもいい日。
10:00
到着後の内診でかなり子宮口を強くかき回して刺激され、その刺激で破水。
周りのスタッフさんが若干わたわたする中当人は「ああ、これが破水なんだ……」と思っていた。
そこから、部屋に移動して促進剤投与を始めた。
促進剤は、それによって産まれる、という効能ではなく、子宮を柔らかくして子宮口を緩めてそこから陣痛を呼び込むためのものだそうで、20からstart、120まで上げても進まない人もいるよー、と。
とにかく無事に産まれられれば、と、「何でもいいからお産に繋がりますように」という気持ちでどんどん追加されていく促進剤の値を見ながら過ごしていた。
11:00
胎児の心拍が落ちることが何度かあり、酸素マスクをつけて深呼吸をする時はさすがに緊張した。
でもまた数値が戻ったのを見て安心して「私がリラックスしなきゃ子宮も柔らかくならない」と過ごしていた。
15:00
100あたりまでは前駆陣痛の痛みとあまり変わらなかったけど、そこからは前駆陣痛は越えた痛みが始まった。
17:00
看護師さんに「今日は一旦終わりにして様子を見て明日またやって、経過によっては帝王切開で産んであげることになるかもね」と言われて投与は一旦stopした。
投与してもあまり変わらず、「私が堅いことで子宮口が開かないんだ」「私がリラックスできないから入院の日が増えてお金をかけさせてしまうんだ」と「私のせいだ」の思考が一時止まらなくなって涙が出た。
胎児の心拍が落ちること、胎便が羊水にかなり混じっていること、心拍が急に上がること、陣痛がこないこと、いろんな焦りや不安に対して「母の私が◯◯しないからだ」という思考が出てしまったけど、そんな中でも夫が一緒にいて笑ってくれていることに本当に救われて、いろんな不安もあったけれど1日過ごすことができた。
20:00
母が夫を迎えにきて帰宅。体勢変えたりしながら、落ち着いてから21時過ぎに寝る体勢に。
21:08
何人も看護師さんが入ってきて再度酸素マスクをつけ、内診をしてもらい、「もう赤ちゃんの負担が大きい」ということで、クリニックの先生にも診てもらった上で、緊急帝王切開をして胎児を出してあげることに。
21:32
酸素マスクをつけて深呼吸をして「帝王切開になります、急いでパパを呼んで」と言われ、さすがに焦りすぐさま夫に電話をして来てもらい。
色々なリスクの説明も受けたが、もう皆どうでもよくて、ただただ「無事に産まれられればそれ以外は私の子宮やら体やら命やらどうなってもいいから」という気持ちで、早く外に出してあげてほしくて、急ぎ足でope室に入って横になった。
22:00
何かの数値に対して先生やスタッフの方々が緊張した面持ちで観察して指示を出したり動いたりしていたが、あれはなんだったんだろう。
バタバタが続いてすぐには開始しないことに不安を感じつつ、その間に落ち着いて来て「もうすぐ会えるんだ」「やっと会える、がんばろうね、大丈夫だよ」と幸せな気持ちが高まり、ope開始後も私はずっと笑顔で耳を澄ませ。
麻酔が効いてくると血圧の変化によるのか、頭もぼーっとしてきた。目を瞑ることに吸い込まれるような。
コッヘル、クーパー、などの機械出しの指示でなんとなく何を切開しているのか把握しつつ、足から胸にかけての感覚はもうないのに何か自分の中を弄られているような感触に奇怪な感じを抱きつつ。
22:57
胎児を取り出す時になると胴体を中から大きく揺さぶられ(感覚はないけど子宮を直接揺らされているのはすごくわかった)、少し泣き声が聞こえたのと同時に「おめでとうございます〜!男の子ですよ!」と。
その瞬間ザーッと涙が出そうになったものの、最初の一瞬の後に全く泣き声が続かないので瞬時に不安感に襲われ、産まれた喜びを味わいつつもそれだけの気持ちは束の間、取り上げられてもしばらく泣かない赤ちゃんが心配で気が気でなくなった。
自分からは布で隠れて見えないけど、向こう側で明らかにスタッフさんたちが焦って赤ちゃんの背中を叩いて刺激していたり懸命に気管内の吸引をしていたりしている。
先生も、取り上げた後はすぐに私の縫合に取り掛かりつつも、赤ちゃんを見て緊迫した声色と口調で指示を続ける。
「サチュレーション反応しません」「小さい方に切り替えて」「小さい方反応ありました」「こっちはどう!?」「◯◯じゃないよ、そっちを◯◯して」「◯◯さんこっちきて!」と何人ものスタッフさんが赤ちゃんの方から私の頭上まで動き回る。その間も赤ちゃんは泣き声ほとんどなく、たまに「ふぇっ」と聞こえるか聞こえないかくらい。
赤ちゃんが泣かない。泣かない=呼吸ができない。呼吸ができない=酸素がいかない。酸素がいかない=死んでしまう。
一瞬でそんな考えが脳内を駆け巡り、「私はお腹開いた母でも放っておいていいからみんな赤ちゃんを早く助けて下さい!」と叫びたい気持ちを抑えながらこわくて仕方がなくて、「赤ちゃんは大丈夫ですか」と何度か聞いた以外ただただその場を見守っていた。
そのうちになんだか意識が遠のいていくような感覚から強い吐き気が出て何度か嘔吐し、そこからは遠目に赤ちゃんの様子を見つつぼーっと手術の終わりを待つしかなかった。
私の腹部縫合中、赤ちゃんの泣き声が聞こえない時間。きっと数十分あったかなかったかくらいだったろうけれど、この時間がこの1日の中で一番長く感じられた。私には何時間も縫合されているように感じられた。
私の腹部縫合が全て終わり、ope室を出る時にスタッフさんがぱっと赤ちゃんのお顔を私の方に向けて見せてくれた。
むちむちでまあるくて髪がフサフサでかわいい。濃い顔じゃなくて私似?なんて思いながらope室を離れる。
外では夫と母が待っていたけど、熱発もあったからかとにかく頭がぼーっとして「目を閉じたい、でも赤ちゃんが気がかりだ、でも目を開けていられない」というぼやけた意識で過ごしていた。
時系列はきちんと記憶できてないが、部屋に戻ってから夫と母が荷物を運びつつ座っていてくれて、赤ちゃんの顔の話などをした気がする。
自分で何を話したかよくて思い出せないけど、夫が深く呼吸して緊張していたことはすごく覚えている。
今思うと、私は赤ちゃんのことも考えつつ意識がぼやけていたので、その場を冷静に見れていた夫は本当に不安だっただろう。
術後は姿勢の不快さが強く、度々左右に体位交換をしてもらった。
赤ちゃんを救急搬送することに決まったと先生から話を受け、夫たちは救急車より早く出て向かってあちらで対応すると。
お腹を切った身と言えど、この状況で動けず何もできずに横になっているのが悔しかった。
無駄だとは分かりながらも、麻酔で動かない・司令の伝わらない脚先を動かそうと何度もやってみたけど全く足は動かなかった。私の分まで夫に託して手を握ってお願いした。
夫と母を見送ったら一気に意識が遠のいて来て、そのあとまた夫が来たような来なかったような……
そんな中、救急車に赤ちゃんを乗せる直前に助産師さん(看護師さん?)が赤ちゃんを抱っこして私に会わせに来てくれた。
移動前に目の前で会えるなんて思ってもいなかったから歓喜して一瞬で意識が戻り、赤ちゃんをぎゅっとしてちゅーして「がんばろうね!」とほっぺを撫でて送り出した。
涙が止まらなかった。
24:30
サイレンの音の位置が赤ちゃんと私の距離を表しているから、サイレンが遠のいていくと赤ちゃんとの距離を感じて、ただただ「がんばれ!お父さんもお母さんもいるからね」と祈ることしかできなかった。
25:00
その後また意識がぼーっとして、何度か看護師さんが巡回に来てくれたのもあまり覚えていない……
2時台にiPhoneが遠くに移されたのでLINEを確認できずそわそわ。
体位交換をお願いしたりしながらいつの間にか寝ていた。2時間ほど寝ただろうか。
起きてから夫からのLINEに気づき、赤ちゃんが無事なことを確認して本当にほっとした。
こんなに遅くまで夫と母が対応してくれているとは。本当におつかれさま、ありがとう、それしか出て来なかった。
夫から送られて来た赤ちゃんの写真がかわいすぎて、うるうるしながらしばらくずっと見ていた。
かわいすぎていくら見ても見飽きない。早速待ち受け画面に設定した。
夫がもう帰路にあると分かって安心して私もまた休憩。
でも頭が冴えてしまってもう眠れず……
29:00
巡回の夜勤の看護師さん&助産師さん達が検温や創部の観察をしに来つつ何度も話しかけてくれて、明るく笑わせてくれて元気付けてくれた。
もう麻酔は切れていたので、「どんどん回復して赤ちゃんに会いに行こう!」と勝手にベッド上でリハビリ開始。足の指先から、体幹部から、痛み・貧血・血圧を観察しながら進めた。
外が明るくなって落ち着いて来ると、赤ちゃんが無事に産まれてきたことの安堵感、今生きているのかどうかという不安感が一気に現実味を帯びて心に流れて来て、赤ちゃんの写真を見ながら唇を噛み締めて泣いていた。
それに気づいた看護師さんが私のそばに寄り添ってくれ、スタッフのみなさんが赤ちゃんをその後も気にかけてくれていたこと、その方もお子さんが苦しい状態で産まれて来たこと、昨夜赤ちゃんの直後にもう一人赤ちゃんが病院で産まれて、そのあと陣痛の人が来て不思議とお産が重なったことなどを明るく優しく温かく話してくれた。
「泣きたい時は泣いていいんだから。心配だよね、泣いていいんだよ。」と言ってくれて一気に号泣して、話をして落ち着いた。
日勤に交代する時間帯、夜勤の助産師さんが何人か来てくれて赤ちゃんの写真を見て「母そっくりよね!」「かわいい〜❤️」「がんばるしかないね、赤ちゃんくん!」と声をかけてくれた。それと一緒に絶対安心する温かい言葉もかけてくれる。その度にうるんでしまった。
私は術後あまり痛みを感じず動くのが得意なようで、夜中に自分でクッションを動かして体位交換したり足を動かす練習を始めたりしているのを褒められた。
どんどん動いて行くぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20171121162134の増田です。
嫁も出産当日(大半は思い起こしながら翌日)に日記を残していたとのことで。
10:00
この日段階で予定日を10日過ぎていた。これ以上は延ばせないということでクリニックに入院開始。診察中に破水し先生方慌てるものの嫁は平常心。
診察の途中から私も参加、促進剤についての同意書にサイン、入院部屋に行く。
3人部屋だがカーテンで仕切られており、なにより今は私ら夫婦しかいない。
窮屈さはないし清潔感あって居心地悪くない。
入って早々地元訛りの助産師さんから説明、促進剤の点滴開始。まずは20mlから。
11:00
自体は当面は動きそうにないので、ここで一人散歩に出かける。薬局でマスク買ってファミレスでカツ煮定食を食す。アラサー、カツ煮定食のコスパに感動。
途中で胎児の心拍低下による促進剤停止という事態があり飛んで戻る。
12:00
嫁ランチ。野菜カレーとカレイの揚げ浸し、スープ、サラダ、パイナッポー。目を閉じ多幸感に包まれながら食事を楽しむ嫁。
あまりに美味し過ぎたためか完食した嫁、お腹いっぱいになりすぎその後やや後悔したようだ。
13:00
Toco値(なんの値かよくわからなかったが出産までの進行度合いと解釈した)を注視してみたが高い値になっても「生理痛よりはマシ」とのこと。
やはり痛覚は個人差あるのかな。
入院開始時は前駆陣痛が5〜7分間隔だったものがこの時点で3分間隔に。まだまだ笑顔。この時点で促進剤60ml。
14:00
2度目の外出。動けない嫁に雑誌を買おうと近くのコンビニを探す。
地元で有名な産科が近いからか出産関係雑誌が1角を占める。澤穂希表紙が目立つ。
めぼしい雑誌はなくクリニックに戻ると駐車場から車が消えていた。どうやらこの日は通院する人が少ないようだ。
15:00
16:00
18:00
嫁と食べ物縛りしりとりをしたりアキネイターごっこをしたりして穏やかに過ごす。
20:00
面会時間が終わったためお義母さんに送ってもらい一時帰宅。明日再度促進剤投与をする方針になった。
21:32
嫁から電話。胎児への負担を考慮して急遽緊急帝王切開を取ることになったと嫁。
一時的に心拍がかなり下がったこともあり無理はできないという医師の判断だった。
急行。
「ハンカチある?ないなら貸すね。何用かって?出産後に感動した時用よ」とお義母さん。ハンカチを受け取る。
22:00
オペの説明を受けて嫁は早速手術場へ。
元々立会い出産を希望しビデオカメラを持参していたが、使うこともなさそうだ。
廊下でオロオロしながら歩き回る昔ドラマでよく見た典型的なパパっぽい感じになる。
22:17
手術開始。手術室前のロビーにてお義母さんと二人。時間が永遠に感じる。
しかし胎児への負荷が大きかったようで、胎児に呼吸器をつけてなんとか酸素補給をしている状態とのこと。
23:50
手術後の胎児に対面する。
顔が青ざめており、ひゃっくりのような小さな呼吸をかろうじてしている状態。
我が子への最初の声掛けは「頑張れ」だった。
産後の嫁に付き添う。労いの言葉も胎児の容態が気になりトーンダウン。もうここは祈るしかない。
しばらくして先生から緊急搬送を取ることにしたと説明。救急車で隣町の大型病院へ。
25:30
お義母さんの運転が優秀だったのか、救急車より早く着きすぎる。書類を記載して提出。
緊急病院の待合室は独特のピリピリ感があって苦手だ。
この日はなぜかオカマさん(顔以外は限りなく女性に近い)がいて視線を奪われる。
26:23
26:33
カンファレンスルームへ。ここからどれくらい待っただろう……時間が永遠のように感じられた。
部屋には山ほどの赤ちゃん関係の本が。その中には「赤ちゃんの死を乗り越える」というタイトルのものもあり思考のネガティヴループが加速する。
気づいたら私もお義母さんも文字通り祈るポーズをとる。ただただ生きていてくれ。ネガティヴモードを振り切ろうと廊下を散歩する。
27:30
病院の看護師さんに呼ばれて私一人でNICUへ。熱を計り徹底的に手を洗い清潔な状態で入室。
胎児は全身を管に繋がれながらもさっきより顔色のいい状態でスヤスヤ寝ていた。なんと可愛い寝顔だろう。
全体的にむっちりしていて丸顔で。天使ってほんとうにいるのだなと確信した。
「触ってあげてください」と看護師さんに促され頭を撫でる。剛毛で真っ黒でややパーマ。これはお母さん似かな。
よく頑張ったねと声が自然と口から漏れた。看護師さんも笑顔だ。
息子は「胎便吸引症候群」により体に強く負荷がかかり、更に肺炎を併発させて窒息ぎりぎり手前状態だったという。
クリニックの先生の緊急搬送判断(別のお母さんがその時間に手術予定だったが、我が家を繰り上げで対応して下さったよう。感謝しかない)、
大型病院のベッド空き状況/立地……などなど様々な幸運が重なったことによって生きることができた息子。
まだ頑張るところだがまずは人生のスタートラインに立てたぞ。本当によかった。
27:50
NICU責任者の先生から契約書類の説明を受けサイン。息子の名前を初めて書面に記す。出生届よりも先に書くことになるとは。
「**(名前、産前にもう決めていた)っていい名前ですね!私の親友が同じ名前なのですよ。いいやつでね……」と先生。この人は信頼できるとなんとなく感じた。
具体的な検査結果は翌AM11時に説明させてくださいと先生。先生も寝る時間がほとんどないじゃないですか……おつかれさまです。
看護師さんから書類を受け取ったのち「忘れてた!」と息子の写真を渡してくれた。
「処置中は目を開けてて「ここはどこなんだろー」って周りをキョロキョロしていたんですけどねー」と目をつむった胎児写真を説明する看護師さん。
ここにいる人はみんな味方だ。
28:30
安心感からか涙が滴り落ちる。自身がめちゃくちゃ強張っていたことにやっと気づく。
iPhoneを起動、嫁と使っていた妊娠/出産情報管理アプリを開くと表紙が親子3人になっていてまた涙。
「ハンカチ、ここで使うべきなんですかね」と涙を拭いた。
その後息子2ヶ月弱の入院を経て帰宅、順調に成長し、障害もなく元気に育ってる。
トクン・・・
野獣「あ・・・また蹴ったのかな?」
野獣「ほら遠野、手を当ててみろよ」
遠野「るせえ!!」
ドゴォ!!
腹への強烈な衝撃でア○ルから破水し赤黒い胎児が流れ出てしまった野獣
野獣「ンアッァァァァ゙!!俺と遠野の赤あ゙ちゃんがぁぁあ!!」
野獣「なんて事するんだ遠野ォ!赤ちゃん・・・赤ちゃんがぁ!!」
遠野「チッ・・・」
うろたえる野獣に遠野は苛立ちを覚え次の瞬間
グチャアッ!!
野獣「っ!?」
遠野の渾身の一撃により先ほどまで胎児だったものはただの肉塊と化していた
もはや言葉にできないと言った様子で目に涙を浮かべている野獣
野獣「まだ間に合う・・・」
散乱した肉塊を寄せ集め口に運び飲み込む野獣
野獣「また俺のおなかで育てるんだ・・・」
ぢゅるるっずずず・・・
流石に引いた遠野
この間子どもを産んだよ。
でも、なんか突然破水して救急車で総合病院に運ばれて出産する羽目になっちゃったよ。
早産だからって子どもはNICUに入ったよ。新生児集中治療室って言うんだって。
なんでだろうね。産む3日前の妊婦健診では「順調ですね」なんて言われたっつーのにね。
なんて思いつつも、なぜこうなった!?って思ったよね。
同時期に子どもを産んだお母さんたちが集められたよ。
そこで助産師さんが
なんて言い出して、おいおい私救急車で早産でーす、なんて恥ずかしくて
言いたくないわとか思ったよ。
でも話し出したら、その場にいた全員トラブル抱えた出産だったわ。
前置胎盤で帝王切開、切迫流早産で5ヶ月以上管理入院、五十路間近での出産。
逆に元気に何事もなく産む人のほうが少ないんだねきっと。
っつーか、何事もなく普通に産めると思っていた自分は思い上がりも
何を持って十月十日お腹の中で育てて、ひっひっふーで安産で埋めると思っていたのかと。
とりあえず子どもの命があってよかった。
早く家に連れて帰りたい。
小学生の頃から同世代の異性に興奮して、対象はそのままに自分だけが歳を取っていった。中高生になって回りが恋愛を始める頃でも、同世代以上の女性には興味もわかなかった。自分が人とは違うかもしれないと感じ始めた頃から、周囲が女優やアイドルの話で盛り上がる中、怪しまれないように好きでもない誰もが好きそうなアイドルの名前を出してはその場をしのいでいた。社会に出てからも、表向きはどこにでもいるような流行りの女性が好みだと吹聴しては、周囲には絶対に気づかれないように振る舞い続けた。
自分が理想とする相手とはまともな恋愛やセックスまでのプロセスが通用するわけがない。だから行為に至るためには痴漢か強姦という選択肢しかなかった。もちろん実際にそんなことをしてしまったことなんかない。そうならないために、漫画やそれ風のAVなどで処理をしてきた。
そんな自分にも、子供がほしいという願望はあった。それは間違っても性処理のためというわけではなく、純粋に自分の子孫を残したいという願望だ。適齢期を過ぎかけたころ、見かねた親から提案された見合いに乗っかってすんなりと結婚し、さらに何事もなく子供まで授かることが出来た。見合い相手のことは好きでも嫌いでもなかった。ただ、子供を生んで育ててくれそうだという理由だけで結婚した。性的にも全く興味は沸かなかったのだが、お互い未経験同士だったこともあり気持ちが一向に高まろうとしないことを緊張という言葉で置き換えることができたのは幸いだった。
妊娠後、数回目の通院で生まれてくるのが女の子であろうことがわかった。このときは正直不安になった。この子が程よい年齢に至った時、自分からの愛が親からのものであり続けられるのだろうか。自分の子を自分の子として見続けることができるのだろうか。出産が近づくにつれてその不安は強くなる一方だった。そうしていよいよ出産の日。陣痛より前に破水してしまったことで慌ただしいままに病院に行き、そのまま大騒ぎのうちに産声を聞くことになった。あまりの忙しさと、陣痛促進剤によってあれよあれよと野生を露わにし始める妻を前に、つまらない不安を思い返す余裕などなくなってしまっていた。
看護師の大げさに芝居がかった「おめでとうございます。」という言葉とともに、赤黒い顔に拭いきれない鮮血が着いたまま精一杯に泣き叫ぶ赤子が手渡される。両の手でその重さを実感した途端に、全く意図していなかったにも関わらず目から涙が溢れた。自分の命をかけてでもこの小さな命を守らなければならない。そして、自らの命を危険に晒してまでこの生命を産み落としてくれた妻に対して、いままで持ち得たことのないような気持ちが沸き上がってきたことがわかった。
その日を境に、自分を苦しめ続けてきた児童性愛願望はさっぱりとなくなってしまった。むしろ自らの娘がそうなってしまうことを想像しようものなら胃袋ごと口から嘔吐してしまいそうな焦燥感に駆られるようになってしまった。自らの子供を愛するという気持ちは自らの娘を性の対象として見てしまうかもしれない不安をいとも簡単に一蹴してしまうものだということがわかった。それから数年経ち、娘は小学校に通うようになった。娘の周りには、かつて自分の欲求を刺激してやまなかった年頃の女子たちで溢れている。しかしそれを目の当たりにしても、かつてのような邪な衝動は一切湧いてくることはなかった。むしろ自らの娘を見るのと同様に、彼女らが安全に、健全に育つことを願うようになってしまった。
自らの性的嗜好を棚に上げるつもりはない。しかし、自分の性的対象は気付いたときにはすでに決まっていたものでコントロールできるものではなかったのだ。今だに過去の自分を憎む気持ちとどうしようもなかったと同情する気持ちとが葛藤を続ける日々を送っている。世の中の同じような境遇の人間に自分と同じことが当てはまるかはわからないが、少なくとも児童性愛に対して嫌悪感が芽生え始めていることは確かだ。かと言って自分が普通に女性を愛せるようになったかと言われるとそうではない。いうなれば、児童性愛がなくなると同時に性の対象そのものがなくなってしまったのだ。自らの遺伝子を受け入れ命をかけてまで産み落としてくれた妻には今でも変わらぬ感謝と、一緒に生活をしてくれる家族としての深い愛情がある。しかしそれ以外の感情が一切湧き上がってこない。そのことを妻はこれからも受け入れ続けてくれるのだろうか。
夫を起こし、予め登録していた陣痛タクシーに9:00ごろに電話。
自宅からタクシーまでは時々うずくまってしまうがなんとか自力歩行。月曜朝なのでマンションのエレベーターホールは忙しそうなリーマンが行き交う。邪魔にならないように気を使いながら移動。
9:15ごろにタクシー乗車。子宮口広がってなかったら帰ってもらうからね〜と言われながら内診してもらう。帰りたくない!もうこのまま産みたい!と思っていると無事五センチ開いており入院決定^_^★
後どのくらいかかりますか?と聞いてみると子宮全開まで12時間、子宮全開から出産まで1.2時間と言われ絶句。
夫は最初所在なさげにしていたが、助産師さんがうまくリードしてくれたおかげでマッサージや飲み物のお世話をしてくれるように。これがすごく助かった〜!
入院して40分後に破水!音は何もしなかったけどバッシャーと大量の何かが出る感じ。ナースコールを押して破水を確認してもらう。
お産が一気に進むと思うよー!と言われやったーと喜ぶ。破水したため点滴を入れられ、血液検査しれる。血圧測ったりパンツを着替えたりと割と色々される。されるがままでまるで自分が赤ちゃんのよう。
破水後、子宮口七センチに進む。入院して1時間後ぐらい?とにかく体に力を入れないで!赤ちゃん下に降りれなくなるよ!と言われる。こんな痛いのに力緩めるなんて無理〜と思う。ボコボコ殴られてるのに腹筋を緩める感じ?このいきみ逃しがとにかく辛かった...!!
でもまだ声が漏れる感じでじっと耐える。助産師さんの上手上手〜という声とマッサージに励まされる。夫には肛門をとにかく押してもらう。私はテニスボールよりも直接押してもらう方が楽でした。