まずは電車内で出産された方、取り上げた方、現場に居合わせた方、皆さんお疲れ様でした。
お子さんの成長を強く願っています。
***ここから本題です***
柏駅のニュースでさ、元看護助手の方が!ってどの報道でもやってるけど要らなくない?
何人も産んでる肝っ玉母ちゃんがたまたまその場にバスタオルを持って居合わせ、適切な処置を行いましたってだけでいいじゃん。
それだけでハッピーじゃん。
元看護助手ガーなんて言っちゃったらさ、意味を知らない人からすれば字面のイメージでその人が元看護助手「だったから」助かったって思えちゃうし、意味を知ってる人からすれば「元」「看護助手」って素人じゃん?ってなることはちょっと考えればわかるじゃん。
結局助けられた人も助けた人も変な形で矢面に立つじゃん。
しかも看護助手看護助手って報道しちゃうと看護助手=看護師!って思いこんじゃった人とかさ、現在でも元でも看護助手の人とかに変な使命感が生まれて医師も看護師も准看護師も看護助手も困っている人がいたら助けましょう!って流れになったらどうするわけ。
困っている人がいたら助けるのは当たり前だよ。
そりゃそうだよ、ほっとけないよ。
だって困ってるんだもん手を貸すよ。
でも「資格を持った専門家である人」と「資格を持った専門家である人のそばにいる人」じゃ評価違うじゃん。
で、そこで(対処法を見たことあるから)知識人ぶっちゃう人とか、この人は「看護助手」だからこの人の言うこと聞いてれば助かるって勘違いされる危険性だって生まれてくるじゃん。
近い環境に身を置いていたから何となくそれっぽいことが出来たとしてもそこを表面に出しちゃうと同等に扱われる危険性だってあるわけじゃん。
世間の評価が看護助手は医療行為が出来る人(知識がある人)って誤解が生まれるじゃん。
SNSとかで元看護助手に文句言ってる人なんなの?助かったんだしいいじゃん?みたいなこと書いてる人いるけどさ、きっと元看護助手ってとこにモニョモニョしてるひとはその人の行いじゃなくてその後の報道の表現が気になってるんだと思うんだよね。
元看護助手だったから動けたのかもって言ってる人いるけど推測でしかないじゃん。
どんな環境にいようと動ける人は動けるし動けない人は動けないよ。
もし今後同じように看護助手の人が事故現場や出産現場に立ち会って何もできなかったときに「看護助手のくせになんで助けられなかったの?」って非難するの?
そんなのかわいそうじゃん。
で、こういうことを書くと何を言っても結局立ち会った人を叩いてるって評価つける層が一定いるんだよ。
叩いてる人を非難したいわけじゃないんだよ。
むしろ話題の人を守ろうとしてるわけだし正義感強い人だと思うよ。
ここで話したいのは結局不用意に色んな情報を付けたしちゃうと問題の火種にしかならないってことなんだよね。
もし変に問題が大きくなって赤ちゃんの誕生を素直にうれしく思えなくなったらそれって凄く悲しいことだよ。
これ書いた増田だけど、やっぱりSNS荒れてんな。 てかさ、現役だろうが元だろうが分野違えば知識も違うんだし、医者でも看護師でもことさら強調しなくてもいいと思うんだよね。 むし...
正直、そこに噛み付く連中がいるの?という気がめっちゃする。 まあ、所詮、数人神経質なやつがいたら今の時代炎上するけどねぇ。 つーか、看護助手なのに助けなかったらブチブチ...
仮定の話になっちゃうんだけど、こういうのもし本人が肩書を出したくなくて黙ってたのに、周りの知人か誰かが善意で「この人元看護助手だから安心して!」とか言っちゃって、それ...