はてなキーワード: 白旗とは
お前、主人公に無理矢理協力させられてるだけだった癖に、なんで主人公がピンチの時でも献身的に支えてるんだ、というギャップ萌え。
そういうキャラに増えてほしい。
こういうキャラは、チャラくてセコくて悪くてゲスい、油断のならない空気出してるおっさんキャラがやった方が良い。
銀英伝のバグダッシュは、割と最初から全面的に白旗揚げてたので若干萌えない。
あと、心情の変化を描写しない方がより良い。
『しゅ、主人公・・・』みたいな、ああこいつもう裏切りそうにないな、という描写をされてしまうと萎える。
ベジータはチャラさやセコさやゲスさが足りないからイマイチ。(結局何度か敵に回って迷惑かけてるし)
リヴァイアスのエアーズ・ブルーは、主人公に肩入れするのがかなり遅かったのと、もうちょっと活躍してくれてればな。惜しいキャラだった。
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
どうか、人の人生をなんとも思っていないクソ企業にまともに人が集まらず、人事が苦しんで苦しみ抜いてバッタバッタと倒産しまくりますように。
コメント拝読させていただいております。賛否両論あるようで、共感いただけるかた、いただけないかた様々なようです。いくつか共通する提案や質問があったので回答させていただきます。
■車を買ってはどうか
この質問とても多かったですね。ですが、車を買ってしまうと少なくとも数年は田舎に居住することを自分の中で追認してしまう気がして買っていません。
なので、転勤の引っ越し先も工場から徒歩30分ほどの場所にアパート借りています。なお東京に住んでいる時は親の車を借りたりレンタカー使ったりしていました。免許自体は持っています。
田舎で数か月勤務して東京の実家に戻った時の衝撃があまりにも強く、「これ以上田舎で生活するのは無理だ」と白旗を上げたので車は今後も買う気はありません。
すみません、訂正させてください。一番近い新幹線駅に繋がっている最寄り駅まで数kmですね。
新幹線駅までの距離はちゃんと測っていないですが、20km離れているほどではないので数km~十数kmの間です。
地方の田舎、という言葉が聞く人によってだいぶイメージが違うんだなと実感しています。観光でしか行ったことはありませんが大阪、名古屋、仙台あたりの地方都市に住んでいれば
今回みたいな田舎の絶望は無かったと思います。少なくともそれらの地方都市は東京郊外に匹敵する人の往来や活発さがあると思うので。
新幹線に乗って、田んぼだらけの眠くなる景色にたま~に見える工場、そこに自分が勤めるとしたらどういう生活になるだろう、というのをイメージしていただければと思います。
ずっと東京に住んでいた身としては、首都以外の都市は全て地方都市だという認識でした。
https://anond.hatelabo.jp/20201119102004
人生無理バーには行ってないけどそういうやつらの気持ちはわかる。つい最近まで再就職の支援施設でこういうやつらの面倒見てきたから。
この手の連中はねー。ほんと厄介だよ。
本当に助けてくれる人って陽キャだとか力がある人だってのはわかってても陽キャ怖いから、自分に近い人のほうが安心できてそっちに行ってしまうんだよ。
あとねー。こういう人生無理って言ってるやつに限って無駄にプライドこじらせてるから助けを求めてるくせになかなか腹をみせないわけ。こういう連中ってほぼ例外なくTwitterやっててさ。何人かの人間は確認させてもらったことあるけどTwitterだとめっちゃ偉そうなんよな。見せてくれなかったやつらはたぶんうちの施設の悪口とかめっちゃ書いてるんだろうな。
自分を脅かさない、なんなら自分がマウントできるような弱い相手がいて
その弱い相手がどうやるのかはわからないけど自分を甘やかしながら自分を助けてくれる
あほかって思う?俺もそう思う。でも本当にこういうあほがいるんだよ。だもんで助けを求めてるくせに、職員の中でも弱くて力がない側の方に寄っていく。だからこっちとしてはそういう弱い方にすりよろうとする人は意識して俺とかが首根っこつかんで引き離すとかやってんの。
人生無理バーの人はそういうガチで人生無理な連中の人間理解が浅すぎるんよ。
大げさに人生無理って言ってたけど自分たちはあくまでちょっと生きててつらいとか愚痴りたいとかその程度の軽い気持ちだったりってあるあるだよね。その程度の軽い気持ちで人生無理って看板を掲げて、本当に無理な奴らが来てむりむりかたつむりーってなって慌てて出禁処理とかやってしまったんちゃうかな知らんけど。
そういうまともな人たち同志の、発達障害いうても程度が浅くて頑張れば日常生活遅れる程度の人たちがさ。人生無理みたいな大げさな言葉を使って、本当に人生無理な人の存在を覆い隠そうとしてるのはむかつくよな。あげく、人生無理な人がその言葉につられてやってきたら排除とか頭の中お花畑すぎるだろってな。一時期騒ぎになってた文化の収奪に憤る気持ちってこういうことかもしれんな知らんけど。
https://anond.hatelabo.jp/20201119133721
上からの言い方に聞こえたらごめんけど君の言ってることすごいい線いってる。
こういうやつらってDV気質が多いねん。たぶん本人の問題というより周りの環境がそうだったんやろな。
こいつらは力がないから女性に対してすら強く振舞えないだけなんよ。むしろ、強くふるまわなければいけないと思い込んでるけど強く振舞えないから自己否定とか自己嫌悪してる始末なんよ。
上でTwitterの話したけど、弱いからおとなしくしてるだけで自分で自分を律するって訓練がほとんどできてへんねん。誰も見てないところではいっつも悪態ついてるし偉そうにしてるよ。だから自分より弱い奴とか甘やかしてくれるやつがいたらすぐ調子に乗るねん。で、こっちが叱ったらシュンとするけどそこで反省する奴としない奴が半々くらいかな。
面倒見ててうまくいくやつって、そうやって相手より強くなくちゃいかんとかつよく振舞わなきゃいかんみたいな他人と自分を比べるのをやめて自分で自分をちゃんと律することで自信をつけられるようになるやつなんだわ。すごい優秀な子で半年以上かかるし、平均すると1年半くらい時間化かかる。んで、2年かけても3割から4割の人たちはなんも変わらんまんま。そういう世界なんよ。
この手の連中は死ぬほど手間がかかるから人生無理バーみたいな単発イベントなんかで扱えるような奴らじゃない。そういうやつは最初から排除してもいいで。これは差別と違って素人には絶対無理やから。無理に対応するよりは最初から無理ですって白旗上げたほうがええわ。 キャパシティ越えてるから無理なんですーって言えばいいねん。そこで発達障害の男性がーって相手のせいにするのはあかんで。なんちゃってでやって、自分の思った通りにならなかったからって発達障害男性への風評被害をばらまいたのは感心できんかな。
お金取ってやりたいっていうなら、ちゃんと勉強して真剣に考えてでなおしてきてほしいわ。
https://anond.hatelabo.jp/20201119154225
そんなことないって。 こういうのって介護と一緒で普通の人には厳しいからさっさとプロとつながれば希望が見えるぞ。
上に書いた文章でこういうやつらを冷たく見放してるように思わせちゃったんであればごめんやけど、俺自身は半分くらいの人間はなんとかなる思ってる。
実はこういう人生無理って思われてる人の支援は国も結構大事だと思ってるらしくて、お偉いさんがプログラムって結構頑張って研究してくれてるんよ。
職業リハビリテーションに関して4年前にかなりしっかりしたプログラムを作ってくれてな。
今ってSSTのトレーニングだけじゃなくて、パートナーと組んで二人三脚で頑張るような仕組みもあってこちらも頑張ってやってるのよ。
今までだったら3割くらいが社会復帰できれば御の字だったんだが、今だと過半数くらいの人間がサポート付きなら仕事できるようになりつつある。
仕事ができるってことは、最低限のコミュニケーションがとれるようになるってことでこっちの方が大事だよな。
半分の確率が低いって言われたらそれまでだけど俺的にはすごい希望持ってる。以前が3割以下だったことを考えれば今後はもっと改善するかもしれないやろ。
俺が上で書いたやつはその中でもどうしようもないやつらの特徴だな。
どうしてもDV気質が強い、なんとかして周りにマウント取らないと生きていけないって思いこんでるやつだけは今のところどうしても改善しない。
誉めてもだめだし叱ってもダメ、トレーニングを受けること自体が屈辱って思ってるしとにかく事実を受け入れない。
なんでも自分を正当化するために事実を捻じ曲げてしまうようになっちゃったやつだけは今のところどうしようもない。
そういうところは親が親で甘やかしたり他人と遠ざけようとして家の中に閉じ込めてたりするからすぐやめちゃうしな。
いろいろ歯がゆい思いはしてるけど、人生無理のやつが立ち直る手助けみたいなのはちょっとずつ進んでる。
その人間が何とかして立ち直りたいと思わなければどうにもならんけど、その気さえあれば意外と何とかなるかもしれないから俺は希望捨ててないよ。
つい先月自分が面倒見てた38歳のおっさんから、結婚しました。自分が家庭持てるなんて信じられないって連絡もらってすっごいうれしかったわ。
大ごとになってるみたいでごめんなさい。
たまたま自分が知ってる話が出てきて普段こういう話をする機会もないからはしゃいでべらべらしゃべっちゃっただけで
人生無理バーの主催者の人を責めたいとかそういうつもりじゃなかったんだ。
そもそも事情とかよく知らんし俺はただの現場の人間だから他人様をほめたり説教なんかできるような大層な人間でもない。
なのにこういう取り組みをやろうとしてくれただけでありがたい話だってことを言ってなかったから責めてるみたいになってた。
そもそもタイトルが悪かったよな。他の人へのリプのつもりで軽い気持ちで書いちゃったけどこんなに読まれるなんておもってなかったから深く考えてなかった。
俺がいっていいのかわからんけど、人生無理バーの人を責めることはないようにお願いしたい。
今日は久しぶりに晴れて、溜まっていた洗濯物が一気に片付いた。喉が渇いて、近くの自販機にコーラを買いに歩いた時、今年初めて『真夏の空気』を感じた気がする。体全体に容赦なく熱い空気がまとわりついて、何かの拍子に堰を切ったように汗が流れてきそうな感覚だ。
毎年、この感覚を初めて感じる時、決まって小学生高学年の頃の記憶が呼び起こされる。夏休みが始まって少し経った、学校のプールの日の事だ。
僕達の小学校では夏休みに入ると、週2回ほどプール登校の日があった。通常の教室授業は無く、学年別にプールに直接集まり、終わったらそのまま放課となる。水温や気温が低くて中止になる日は、国旗掲揚台に白旗が上がった。
地元は比較的暑い地域だが、その年は例年より涼しく、夏休みに入っても気温がなかなか上がらず、2階の窓から白旗を確認してがっかりする日が続いていた。ドラクエ、FF、ロマサガと家での暇つぶしには事欠かなかったが、やっぱり友達とプールで遊ぶ時間が待ち遠しかった。
そんな中、7月ももう終わりに差し掛かる頃にやっと気温が上がり、その夏休み初めてのプールが開催された。クラスメート達も、皆僕と同じような浮かれ気分でプールに集まった。水泳指導の先生もそれを察したのか、水泳練習の時間を早々に切り上げて大半の時間を自由時間としてくれた。ただの真四角な25mプールだったが、ゴーグルを付けて水中ではしゃぎ回るだけで時間は過ぎていき、すぐに僕達の学年の時間は終了になった。
更衣室では友達と午後遊ぶ約束をしながら、木製のロッカーを隔てた向こう側の女子の声に耳をそばだてていた。でも、窓から流れ込んでくる大音量のセミの鳴き声のせいで、内容はほとんど聞き取れなかった。
校門を出て、ビーチサンダルをパタパタ鳴らしながら家の方向に歩き始めると、正午を告げるサイレンが鳴り響いた。その音に驚いたように、電柱のカラスが1羽、はばたいていった。電柱のうしろの空はかき氷シロップみたいに青くて、雲は綿アメみたいに白かった。今日は夕立が来そうだな、と思った。
2つ目の角を曲がろうとすると、同じクラスのA子が立っていた。薄い水色の袖無しワンピースは、濡れた髪で肩のところが少し濃い青になっている。A子とは隣の席で良く教科書を見せてもらっていたが、夏休みに入る前の席替えで席が遠くなってしまっていた。女の子として意識する事は無かったけど、優しく透き通った声の朗読を近くで聞けなくなったことを、僕は少し残念に思っていた。
僕がA子に挨拶すると、A子は、少し言いづらそうに、「この後、うちで遊ばない?」と言った。
その時、響き渡っていたセミの鳴き声が一瞬止んだ気がした。僕は彼女の顔が見れず、2つに縛られた髪の片方を見ていた。僕は女の子の家なんて遊びに行った事が無かったし、高学年になってからは他のクラスメートからもそんなの聞いたことがなかった。僕は少し言いよどんで、「いや、この後○○の家に行く約束してるんだ」と言った。A子は、「そっか。」と言って踵を返し、こちらを見ずに「じゃ、バイバイ」とつぶやいて歩いていった。プールのシャワーで汗は引いていたのに、真夏の熱気が僕の全身を包んで、汗が吹き出してくるのを感じた。
A子とはその後、学校で会っても何となく気まずくなってしまい、一度も話す事が無いまま小学校卒業を迎えた。僕は公立、彼女は私立の中学に進んだため、その後会うことはなかった。
去年、当時のクラスメートB(男)と飲んだとき、久しぶりにA子の名前を聞いた。高校のとき学習塾でA子と再会し、共に都内の大学に進学した後2年ほど付き合っていたらしい。お互いのアパートに入り浸り、朝そのまま大学に行くこともあったみたいだ。
Bによると、彼女の家は当時複雑な事情を抱えていたという。小さな会社を経営する父親は外に女を作って家に寄り付かず、母親は自分が通うジムのインストラクターと不倫していた。両親とも幼い弟の方を可愛がり、A子はときに暴力を伴う厳しいしつけを受けていたらしい。
ところであの暑い日、A子は僕を家に呼び何をして遊ぼうとしていたのだろうか。夏の熱い空気を感じると、いつもあの日の事を思い出す。
その頃まだSNSは今ほど隆盛ではなくて、ネット上で匿名をたてに誰かを悪く言うといえば、定番のひとつとして掲示板サイトがあった。
当時、というかそれよりずっと以前からあったのを私が知らなかっただけなのだが、活動していたジャンルで、同じジャンル内で活動している人の中から誰かをピックアップして面白おかしく嘲笑うというスレッドがあった。
それを見つけた誰かがSNSにリンクつきで報告し、そこから、私のような地味担当にまで聞こえてくるほどの話題になった。
まだ(確か)若く、オタク活動の幸福で楽しい一面しか知らない私には衝撃的なほど、聞いたことくらいはあるあの方この方を名指しで、どこが悪い、ここが拙いと作品批判から始まり、本人の人間性について憶測で中傷し、笑い、あるいは敵意を隠さず罵るといった、その様相に愕然とし、それなりに長い間、その掲示板内スレッドに貼り付いて一言一言を脳に刻んでいた。
その内、社交的でそれなりに人気もあって、少々は目立つ部類であろう、私の友人がそのやり玉に挙げられ始めた。彼女の周囲の人物として、批判はないながらも自分の名が挙げられたのを見た時には、自分が何を感じたか認識するよりも早く、嘔吐した。
匿名で、明らかに誰か判らないから言うのだろうと思うような下衆な発言が繰り返される中、驚いたことに、友人は、明言しないながらも考えれば気づきそう、或いは違うとしても本人だと勘ぐられかねないほど、正面切ってその場で反論し始めたのだ。
その手の誹謗中傷なんていうものは、知っている人間から見れば明らかに根も葉もない内容で、しかし驚くほど、ちゃちなやり方ながら、雑な根拠といい加減なソースなんかを提示して、それらしく見せてくる。
現在のSNSほどでないとしても、企業の偽装、マスメディアのやらせ、作為的なフェイクニュースが話題になってまだ記憶に新しい頃で、見え見えながら悪い意味でよく見習い踏襲された話題の運びに感心するほどだった。
話題の刺激があれば充分で内容の虚実を必要としない目線からみれば、心を痛めるにも潤すにも、充分な燃料だろうと見えた。
それで私は、彼女のやろうとしてる反論は不利だと考え、彼女自身にもそう伝えた。黙っておけばどうせ話題の旬は過ぎて、深く考えていないように見える彼らは忘れてしまうだろうにと。
その時彼女が、恐らくは憤り混じりに言ったことを、きっと一生忘れないだろうと思う。
「匿名掲示板は、誰もが言いたいことを言っていい場所として提供されている。それなのに何故、間違ったことを言っているやつらが好き放題を許されて、間違っていない私が黙らなければならないのか」と。
私は一瞬言葉を失い、それから、ごもっとも…と彼女の言い分に白旗をあげ。けれど、陰口好きの類に彼女ほど詳しくも、弁舌巧みでもなく、参戦は恐らく足手まといであろうと考え、何かあれば、どんなことでもいつでも連絡して欲しいと告げるのみに留めた。
その騒ぎ自体は、長い間うんざりするような泥仕合を続け、繰り返して、予想に違わず話題は次々に変わり、もう追ってもいないので判らないながら、ご存知の通り、同じことが今も世界中で続けられている。
私は、彼女の言い分はもっともだと考える一方で、匿名を笠に着てよく知りもしない相手をあれほど悪し様に罵れる彼らは一体、何をどうしたのだろうということも非常に気に掛かった。
他者を攻撃しなければいけない状態にあることそのものが、地獄だ。と、言って意味が通じるかといえば、渦中にとっぷり身を浸し、その刺激に酔って何某かを得られる状態では、恐らくそう感じることもないだろうとも。
自分よりも弱い者をいじめることは快楽だとはよくいうし、その意味も分かる。そういう状態、そういう心理があることは、知るべき、認めるべきで、そこからでないと出発点に立てはしないが。
人を殴らなくても生きていける心安さは、人を殴って得られる快感よりもはるかに大きいと感じているし、知って欲しいと思う。
私達は誰も怪物ではなく、けれど生きていく中で味わう苦しさや弱さがいつでも私達をそのような姿に変え、けれど私達は誰も怪物ではないのだ。
誰かが指さして私を怪物だと決め、周りがそれを容易く認め、私に気づく者がいなくなれば、私はきっと死ぬまで怪物の姿から元には戻れない。
詮無いことではあるし、怪物の姿になってしまった者に近付くこと自体が、危険なことだというのも経験上から知っている。
それでも今も、危機回避について考えるたび、記憶の中の彼女が憤りを持って訴えてくる。
「何故、間違ったことを野放しにして、正しいことを言わないのか」と。
恋に落ちてるとまだ言えるの?
誰かのことじゃないよ
違うよ
恋に落ちてるとまだ言えるの?
君の世界を誰かが変えたの?
願うよ君が孤独じゃないと
願うよ思い出は偽りじゃない
洗いざらい許してよ
まだ白旗あげないで 君は今まさに
孤独に謝り続ける
あぁ 散らかっている人生
あぁ 心乱れて死にそう
愛がすれ違ったときを思い出す
調べ求めた真実を見つけた
あぁ 散らかっている人生
そうさ 心乱れて死にそう
愛がすれ違うときを思い出す
探し続けた真実を見つけた
最悪だった でも今よりいいや
試練や苦難が 僕を正した
良いや悪は 全て感じて思うんだ
僕らの周りは 僕らを包むものは
見失った愛の見失った理由だ
僕のせいでなくても僕らは痛めつけられた
そんなとき君を見つけた
世界がひっくり返ったんだよ
それでいいんだよ
孤独に謝り続ける
あぁ 散らかっている人生
あぁ 心乱れて死にそう
愛がすれ違ったときを思い出す
調べ求めた真実を見つけた
あぁ 散らかっている人生
そうさ 心乱れて死にそう
愛がすれ違うときを思い出す
探し続けた真実を見つけた
Life's A Mess - Juice WRLD ft. Halsey
「Life's A Mess」はRex Kudoプロデュースで生前Juice WRLDが収録していた音源にCharlie Handsomeがアレンジを行い、
The Chainsmokersの「Closer」への客演や「Without Me」のヒットで知られるHalseyがコーラスを重ねた。
7月6日に突如Juice WRLDのニューアルバム「Legend Never Die」の発売(アメリカでの発売日は7月10日)とリードトラック「Life's A Mess」のMVが発表されました。
GeniusやYoutubeのアメリカチャートではすぐにトップになって死後も人気が衰えてないんだな、すごいなと思いましたよ。
人気かつJuice WRLDは早録りで有名で未公開音源が1000曲以上あると言われているので当分リリースは続くんでしょうね。
哀愁漂う浮遊感をまとったメロウなビートセンス、内省的なリリックとそれを体現するようにぼそぼそとしたフロウ、その陰鬱さを補うかのように織り込まれるメロディアスな旋律、
これらの特徴を持つラッパーは主にSoundCloudで楽曲を発表していたことから「Cloud Rap」と呼ばれ、Juice WRLDはその決定版といえる存在でした。
Juice WRLDは恋愛を主なテーマとしており、ラッパーにしては独特な詩世界を展開していたのがひと際人気だった一要因なのかもしれない。
自分は「Lucid Dreams」で知ったにわかだけど、オリジナルアルバムは二枚ともすごく気に入ってたのでああいう最期になったのはすごくショックでしたね。
USラッパーが日本語話者だったらというイメージで原曲の押韻の語感をなるべく崩さないよう意識して訳しているんですけど結構違和感残るんだよな…
日本でこういう内容のリリック書くラッパー珍しいので、イメージが次第にRadwimpsの歌詞にずれちゃってたんですけどね。すんません。