はてなキーワード: 白旗とは
これまで、
https://anond.hatelabo.jp/20210828113740
https://anond.hatelabo.jp/20210918200735
とこき下ろしながらも様子を見ていたが、当初の売りだったはずのChromium派生のブラウザを諦め、Firefoxベースのブラウザとなるようだ。当初の「2022年までしかサポートしない」発言はどこに行ったのやら。
https://blog.ablaze.one/786/2021-11-11/ より。
Chromiumを採用しなくなったワケ
結論、Google API や Chromium の機能が原因です。 (中略)Google 側としては、 Chrome のシェアを伸ばしたいので、Edge に対してなんらかの形で Chromium から機能制限をかけると私は予想しています。
具体的には次が挙げられます
- Chrome ウェブストアが Chrome 以外の Chromium 派生ブラウザで使用禁止になる
- FLoC 強制オン
- Google サービス関係の利便性低下(YouTube、Google Drive、Google ドキュメント etc…)
- 広告ブロッカー無効化
(中略)Google は現在、独占禁止法で裁判にかけられており、負けた場合、(中略)Chromium というウェブの世界になんらかの規制をかけてもおかしくありません。
のように理由が挙げられているが、言い訳を自分の都合のいい方向に持って行っていないか?これらはFloorpをリリースする前に検討すべきことであって、リリース時点では多少であっても対策しているべきものである。
ので、Edgeにほとんどダメージは受けない。本気でEdgeを開発終了に追い込ませるなら、Chromiumを開発終了させてChromeだけをクローズドソースで開発すれば良いわけだが、オープンソース文化を破壊することになるし、Edge側もChromiumに貢献している部分があり簡単には止められないだろう。
もちろん、個人の寄せ集めでは難しいレベルにはなってきているし、当初に思った以上に面倒なことになるからFirefoxに浮気したのではないか。
これだけあっさりとChromium派生からFirefox派生へ乗り換えたのは、上記のブログの記事にある理由よりも、どちらかと言えばKinzaのパッチ適用が想像よりも遙かに難しかったからだろう。コーデックの問題がどうにもならなかったからもあるだろう。それと開発者が受験という一生を左右する大事なイベントを迎えて、Chromium派生をメンテナンスする人が誰もいなくなるからではないのか。それらをなぜ正直に書かない。まあ当事者だったら書きたくないわな、そんな都合の悪いこと。
これまでのChromiumベースとは使い勝手と全く異なるFirefoxベースとして作り直している最中で、独自機能を追加していくことになるだろう。独自機能が果たしてFirefoxのアドオンで十分まかなえる機能にすぎないのか、その範疇を超えるものなのか。革新的で軽量なブラウザー(自称)はFirefoxベースでも宣伝するつもりなのか、Fireminだけ入れておいて「最軽量」とまた言うつもりなのか。
これは責められる側ではなく、責める側が主導権を握っている問題だと思う。
責める側が「私は嫌い」という言い方をしてくるなら良いよ。
でもさ、「これが社会にあるのは許されるべきではない」みたいな言い方してきたら責められる側は「突っぱねるか」、「降りるか」の二択しかなくない?
「べきでない」って表現は、そうでなくては正しくない、強く間違っているという主張なわけで、それを受け入れるけど降りないっていうのは「はいはい私が悪うございましたww でも知ったこっちゃありませんww 悪いままここに在り続けますwwww」って言っているようなモノでしょ。
「べきでない」って意見をぶつけられて真摯に取り合うなら、真っ向から反論するか、白旗を挙げて相手の主張に従うか、どちらかになってしまうモノだと思うけどなぁ。
対立ではなく一つの意見として受け入れてほしいなら、責める側が「私はこれこれこういう風に思っているのですが、そういう考えの人もいるのを覚えておいていただけませんか?」って風な主張の仕方をするしかないでしょ。
「最年少防衛」「最年少九段」。速報で次々と流れてくる文字は、間違いなく、将棋界の歴史に残る偉業だった。しかし、不思議と感情は湧き起こらず、それはただの文字の羅列にしか見えなかった。
「渡辺明の敗北」。代わりに浮かんだその文字は、頭から身体を巡り、あっという間に全身を蝕んでいった。
藤井聡太に初タイトルである「棋聖」を献上してから1年。渡辺は、本戦を勝ち上がり、再びタイトル戦の舞台に戻ってきた。あの夏から1年。両者は立場を変えて再び相まみえた。「現役最強決定戦」との呼び声も高く、戦前のボルテージは最高潮に達した。
しかし、結果は渡辺にとって非情なものに終わる。0勝3敗。自身39回目のタイトル戦にして、初のストレート負けである。昨年圧倒的な研究で藤井に一矢を報いた第3局で、今度はその矢が届かなかった。復位を期し、1年ぶりに臨んだ大舞台での再戦は、梅雨の黒雲に呑まれるように進行し、夏を迎えないままに幕を閉じた。
「どう負けようと意味がない」初のストレート負けの感想を聞かれた渡辺は、吐き捨てるようにそう答えた。フルセットも、ストレート負けも、番勝負の結果としては変わらない。結果主義者の渡辺らしく、恐らく包み隠さぬ本音なのだろうと思った。
しかし、観ている者はそうもいかないのである。「渡辺明のタイトル戦ストレート負け」。登場39回目にして初めて見せつけられたそれを、はいそうですかと受け入れられるわけがない。渡辺本人が切り捨てるものに過剰な「意味」を持たせるのは愚かしいが、そうせざるを得ないのである。「たまたま」星が偏ってタイトル戦でストレート負けを喫する男ではない。そのことは、自分の全てを懸けて断言してもいい。だからこそ、この結果は重く、厳然としたものとして突き付けられている。まだ、受け入れることはできそうにない。
1年前に失冠した時、渡辺は完敗を認めつつも、最後には前向きな発言をした。今回は藤井聡太の情報がほとんどなかったが、番勝負を指して分かったことがある。だから次は「普通」にやる―そう述べたのである。この発言には説得力があった。渡辺明は、「情報」で勝ってきた棋士だからである。最初は得体の知れない相手であっても、戦ううちに相手を知り、習得していく。そうやってタイトル戦の舞台で何人もの後輩棋士を沈めてきた。実績があるからこそ、この発言には説得力があり、そして藤井との再戦にこれ以上ないくらいの期待を持たせた。有言実行とばかり、厳しい対戦相手たちを下し、再び挑戦者としてタイトル戦の舞台に戻ってきたことはさすがとしかいいようがない。だからこそ、ボルテージは最高潮に高まり、観る者は「現役最強決定戦」と謳った。
開幕前のインタビューで、渡辺は藤井への意識を強く口にした。そして、「(今後の)棋士人生を考える意味でも大きな鍵になる」そのように述べた。これは単なる1タイトル戦ではない。渡辺明が今後どれだけ最前線で戦い続けられるのか、そのことを示す戦いになると、渡辺自身が述べた。
その「棋士人生を懸けた」戦いが、蓋を開けてみれば厳しい結果となる。万全の研究をぶつけ、自身が一番得意とする勝ちパターンで上回られた第1局。先に藤井の残り時間を3分に追い込みながら、そのあとで全く持ち時間が減らない、「永遠の3分」を突き付けられた第2局。藤井聡太の底知れない中終盤力に呑まれ、渡辺はあっという間に土俵際に追い詰められた。1年前の番勝負で、渡辺は藤井の「情報」を得た。しかし、用意周到な渡辺の準備を、信じられない速度で進化する藤井が上回っていたのかもしれない。戦前に述べた言葉は、もっとも厳しい形で、渡辺自身に降りかかっていた。
追い詰められた第3局。戦型は矢倉の最新型となった。激しい展開ながら、渡辺の指し手は早かった。これは研究が行き届いている証左である。持ち時間に大きな差を付ける理想的な展開になるが、昼食休憩明け、藤井の金寄りが控室も驚く意表の一手。難解な局面を突き付けられ、渡辺、長考に沈む。
感情を鎮めるように、淡々と書いてきたつもりだったが、それはここで止める。トップ棋士による読みのぶつけ合いは想像を絶しており、盤上の表面だけ見たところで分かることは限られている。二人がどれだけ読みを深め、盤の底で思索の海に沈んでいるのか、はっきり言って「分からない」のである。
このような難解な将棋で、ファンができることは一つしかない。研究を外されたのか、長考に沈む渡辺。89分の考慮は非常に長く、言いようのない不安と恐怖があった。意を決した渡辺、角を切り飛ばす。その後も続くねじり合いから69手目、今度は決断の飛車切りである。風雲急を告げる「勝ちにいった手」だが、直後に渡辺は再び長考に沈んだ。残り時間は44分。渡辺はそのほとんど、40分を費やして角を打った。ここまで時間を費やし、渡辺はどこまで読んでいるのか。勝ちまで読み切ったのか、それとも予定外の長考か。分からない。何も分からない。分からないから、ファンにできることは一つしかない。信じるしかないのである。藤井聡太相手に本当に「勝ち筋」はあるのか。吐きそうになりながらも、渡辺がそれを掴みにいっていると、手繰り寄せにいっていると、ただひたすら、信じるしかない。こんな時、将棋ファンとはどこまでも無力である。分からないものを前にして、ただ信じるしかない。声援を送っても渡辺に届くわけではないから、ひたすら祈ることしかできない。はるか高みで戦う孤独な棋士に、ファンができることはただ一つ、信じることしかない。
詰むや詰まざるや、難解な最終盤となった。藤井が機を捉えて渡辺玉に迫る。駒を渡す怖い変化だが、果たして藤井の玉は大丈夫なのか。分からない、本当に分からない。局面が少し進んだ。藤井の玉が上に逃れ、渡辺、どうやら足りない。「信じたくない」そう思ったところで、全てを打ち砕くように、藤井が華麗な決め手を放つ。
「△7一飛」。馬が利いているところに飛車を捨てる、普通はあり得ない手である。しかし、この飛車を取ると渡辺の玉が詰まされてしまう。あまりにも、あまりにも華麗な決め手であった。分からない局面が延々と続いたこの将棋だったが、最後にようやく、この将棋はもう続かないのだということが分かった。この華麗な一手を盤上に出現させられては、もう指す手がない。渡辺、斜め上を見上げて飛車を取る。首を差し出し、棋聖戦五番勝負が終幕した瞬間だった。
まだ、冷静にこのシリーズを受け止めることができない。「信じたくない」率直に言うと、そうなのかもしれない。しかし、この結果は動かない。この結果を誰よりも重く受け止めるのは、結果主義者の渡辺自身であると、そのこともよく分かっている。
渡辺明は、この敗北をどう受け止めるのか。そして戦前に自らが述べた「棋士人生」にどのような道筋を立てるのか。戦いを終えたばかりの今、それはまだ分からないが、ファンにできることは相も変わらず一つだけである。渡辺があげるのは、白旗ではなく、反撃の狼煙であると。そう信じるしかない。
お前、主人公に無理矢理協力させられてるだけだった癖に、なんで主人公がピンチの時でも献身的に支えてるんだ、というギャップ萌え。
そういうキャラに増えてほしい。
こういうキャラは、チャラくてセコくて悪くてゲスい、油断のならない空気出してるおっさんキャラがやった方が良い。
銀英伝のバグダッシュは、割と最初から全面的に白旗揚げてたので若干萌えない。
あと、心情の変化を描写しない方がより良い。
『しゅ、主人公・・・』みたいな、ああこいつもう裏切りそうにないな、という描写をされてしまうと萎える。
ベジータはチャラさやセコさやゲスさが足りないからイマイチ。(結局何度か敵に回って迷惑かけてるし)
リヴァイアスのエアーズ・ブルーは、主人公に肩入れするのがかなり遅かったのと、もうちょっと活躍してくれてればな。惜しいキャラだった。