はてなキーワード: 無味乾燥とは
モチベーションを出そうと思って寝ると就職活動の準備が進まない。
アドバイスを請おうと思って大学のカウンセリングに行ってもやんわりと根性論を唱えられ、結局解決策は得られないどころか自信をなくした。
もうこんなに辛いならいっそのこと死んだ方が楽なんじゃないかな。
綺麗な景色、雨の匂い、春の香り、深夜に物思いに耽りながら吸うたばこ、人と飲む酒、頼れる友達・元バイト先の人達、いつも優しい祖母。
上映が楽しみな映画、まだ見てない名作映画、全クリするチャレンジャーを待つフリースタイルダンジョン、ラップはブームで終わらず文化として根付いていくのか。
旅行しに行きたかった日本海、祖母と約束したヤフオクドームでのホークスの試合観戦。
楽しみにしてること、好きなことは山ほどあるけど、最近は全部無味乾燥に感じる。今までイライラしてたことも気にならなくなったし感情の起伏がほぼない。ただ就職活動の辛さが溜まっていくだけ。
寝たいのに寝ても眠りは浅いし、美味しいご飯を食べるのがささやかな幸せだったのに食欲がない。何をするのも億劫で下痢気味の毎日。
以前に比べて格段に味が落ちた飯屋が「最近お客が来なくて困っています。」とか言ってるようなもんだぞ。
メディアがなくなることはないし、
給料は相変わらずいい。
つまるところ、原因はここだろ。
低俗娯楽の筆頭だったテレビが妙に権威付けされた結果、お役所仕事になっちまってる。
スポンサーにもお偉いさんにも怒られないように、無味乾燥でどこかで見たような
ありきたりなものを粗製濫造して視聴者の興味を惹けると本気で考えてんのか。
去年の粒ぞろいだった邦画界が参考になると思うよ。
シン・ゴジラじゃないけど、そろそろしがらみを気にせずに好きにした方がいい。
福士蒼汰をフォトショでいじくって、南海キャンディーズの山ちゃんにし、「大好き!」と口にするのが女という生き物である。
分かりにくい例えかもしれないが、要するに女の理想は叶う率が低いから、妥協を繰り返し、少しずつストライクゾーンを広げてゆく作業が必須になるということだ。
言ってしまえば、あらかたの女は自分を騙くらかすことでしか、彼氏を獲得出来ないのである。
好きになればなるほど難易度が上昇する。
男は、「がっつく女、余裕のない女、重い女」を忌み嫌う。
だから女は、恋愛感情を故意に薄くして、無味乾燥に近づけ、死んだ魚になるよう努力しなくてはならない。
愛情の鮮度が高いと、男は女が提供する恋の食卓にはついてくれない。
恋心を生け贄にして、天から余裕を授かり、さりげなさを全面に出して男に媚びる。
好きなあの人への想いが最高潮に達した段階で付き合えたという、美しい運命を辿れた女など、ごくごく少数だ。
男は選ぶ側のため、「一番好きな女」と付き合える。
女なんていう生物は、歩く無料お試しキャンペーンみたいなものだ。
特段のブサイクや性格破綻者を除けば、男に求められて喜ばない女はいない。
男の恋愛は始まるまでに困難がなく、実はドラマチックさの欠片もない。
だからこそ、「あえて想いを伝えずに、この駆け引きを楽しんでいます」という余裕綽々の態度を取る者がいくらでも現れるのだ。
どれだけ誠実な女であろうと、全身全霊で恋に落ちてしまうと、意中のあの人にどん引きされ、物の見事にフラれてしまうものだ。
男目線だと、「そんなことないよー。純粋な気持ちが一番嬉しいよ☆」という真心第一みたいな結論に行き着く場合もある訳だが、これほど無責任な綺麗事は他にない。
どんな女であれ、「あの人を好きな気持ちだけは誰にも負けない。」という純情一本気な思いの丈を、胸に熱く秘めていた時代があるはずだ。
しかし悲しいかな、純情さだけでは、手応えゼロで全否定されて失恋してしまう。
どうしてかと言うと、この世を生きる女の大多数は、なんの才能にも美貌にも恵まれない無力な存在であるがゆえに、猫も杓子もが「媚び」という曖昧模糊としたものを唯一の武器にして戦おうとするから、供給過剰になってしまっているためだ。
男は空求人みたいなもので、常に誠実な人を大量募集していると見せ掛けて、「残念ながら、今回はご期待に添えない結果となりました」とお祈りを連発する。
そうして女は幾度もフラれ、ただ突っ込んでも事態は好転しないということを悟り、好きの感情に打算を組み込むようになる。
自然体で男と接するトレーニングをしたり、好きになり過ぎないようにセーブして、計算高く立ち回ったりし始める。
その結果、彼氏が出来たとしたら、開口一番こう切り出すだろう。
「なんだ、付き合うってこんなもんか」
そらそうだ。
恋心を肥大化させずに、落ち着き払って男を落としたに過ぎないのだから。
一向に心が満たされないから、幸福論でいうところの『幸福を追求する不幸』という状態に陥り、次から次に手頃な男子を求めるようになる。
精神科医のジャック・ラカンが、『欲望は他者の欲望』という言葉を残しているように、生きている中で誰かを好きになったとしたら、自分以外の人間もその子を好きだと考える方が良い。
金は金を呼ぶみたいに、愛される人はより愛されるのが、現状の人間界なのだ。
誰もが似たような流れで欲望を浮上させるから、自分が特定のあの人を好きになった感情フローを、他の多くの人々も体験している可能性が高い。
ゆえに奪い合いになる。
しかもイケメンは、可愛らしい子達が根こそぎ奪って行くため、反応に困るような人だけが少量、余っているだけになってしまう。
その中からなんとか好きになれる人を探すわけだが、好きになった頃には、他の女もその男を好きになっていたりするため、また争いが発生する。
こうやって殴り蹴られの決闘が延々と続くから、非モテは挫折したまま、半永久的に再起出来なくなってしまうのだ。
つまり無気力を学習するということであり、こうなってしまえば、「自分は最初から男に興味なんてないんで……」とオタク趣味に走ったりする。
女のほうが女としてのアイデンティティについて不安が大きく、自分がモテる女であることを証明したがる。
こうした傾向があるからこそ、男よりも女の方が、失恋からの立ち直りが遅い。
良く男は、「いい男なんて星の数ほどいるんだから、もう忘れなよー」と口から出任せをいう訳だが、これは的外れな助言である。
女が悶え苦しんでいるのは、好きなあの人を喪失した悲しみなんていう小さなものではなく、アイデンティティに深い傷が入ったためだ。
「自分の女らしさが通用しないのではないか?」と憂いを抱いているときに、それを否定されるような断られ方をすると、失意のどん底に落ちる。
そして、「私は終わってる」「私は一生一人だ」と憂鬱な感情を強化してしまうため、自発的な言葉によって、内部から心が壊れてゆく。
学習性無力感を引き起こす手続きは、うつ状態と同じような状態を作り出すと考えられるようになった。それは、学習性無力感が、うつ病のモデルとして妥当性を持つことの証明にもなった。
残念無念にフラれる連続の中で、「私なんて女としてダメだ……」という落ち込みの反復が起きて、自分の不甲斐なさについて学び続けてしまうと、精神が歪んでゆく。
それはそれは寂しくて、どこの誰でも良いから、この弱り切った瀕死の自分を認めてくれ、と切望するようになる。
こうなると最悪なことが起きる。
それは、男が最も嫌悪する、「がっつく女、余裕のない女、重い女」になってしまうということだ。
気付いたときには既に手遅れ。
プライドを削って、グレードの低い男に突撃したとしても、厄介なギトギトした女に成り下がっているため、近付いただけで逃げられる。
勇気を出して振り絞った、最後の女らしさ――アイデンティティの全てを砕かれてしまうということだ。
暗転。目の前が真っ暗になる。
「自分は誰にも必要とされていない」という絶望、悲劇、激痛を急速に学習してしまう。
明言しておくと、女が人生において一番に彼氏が欲しいときは、こういう誰一人に相手されない悲しい時代だ。
しかしながら、男も一回きりの貴重な人生を歩んでいるため、浮上確立が低いどん底の女を相手にしている暇などない。
http://pipipipipi-www.hatenablog.com/entry/2017/01/26/194617
詰将棋のアプリなんだけど、詰将棋という苦痛が伴うものの勉強法として、かなり優れていると思った。
①他の人が解いたコメントが見れる ←かなり面白い。ニコニコで動画にコメントがついてるようなもの。
②1作ごとにタイトルがついている ←大量の詰将棋が載っている本にありがちな「無味乾燥な作業感」が無くなるためよい。自分ならどういうタイトルをつけようと思える。いうなれば、ボケてみたいなもの。いいタイトルだと、解く楽しみが増える
③作者の顔が見える ←作者コメントが付くし、作者の作品を連続して解けるので、詰将棋作家側の感情も見えて面白い。
これって、大量暗記系にはかなり有用な手法なんじゃないかと思う。
特に、①な。多くの参考書は、嘘でもいいから、コメントねつ造しておくと、学習者にとってかなり励みになるんじゃないかと思ったw
ふぅ氏(以下敬称略)の、この動画(http://www.nicovideo.jp/watch/sm27285739)について
僕も全然古参では無いけれど、数年前からゲーム実況動画を見るのが好きでよく見ている。だからふぅの言いたいことはよくわかる。有名実況者がみんながみんな、マリオメーカーだのと同じゲームを題材に同じような実況を投稿し、挙げ句の果てにはサムネイルまで似ているというのは見るに堪えない話である。
しかしながら、そうした問題の根源というのは、そういった有名実況者たちにあるのではないと、僕は思う。
そもそも彼らは何ら悪いことをしていない。少なくとも法の上では。さんざん言われてきたことだがゲーム実況というのはそもそもがグレーな存在だった。著作物を使って動画を撮り、それを勝手にネットにアップする行為はグレーというか普通にアウトである。それが見過ごされてきたのは取り締まることが現実的では無いという事実によって見過ごされてきたに過ぎない。ふぅの言う、かつての面白い動画がたくさんあった時代というのは、そういう限りなくブラックに近いグレーな動画によって成立していた。
昨今の、マリオメーカーを代表とするゲームがさんざん投稿されている現実は、動画内でふぅも言っているが、企業とニコニコ動画がタイアップした結果、公式に動画を上げることが可能になり、その結果投稿者に利益さえ入るようになったから顕れたものである。法律的にもセーフであり、そのうえ利益も入る。別にこれで金を儲けることは何も責められる謂われは無いのだ。
たしかにその結果として、画一的で無味乾燥な動画が量産されたかも知れない。しかしそれは投稿者の罪と謂うよりも体制側の罪である。多数の投稿者は当然の結果として流れるべき方向に流れたに過ぎない。そういう方向に彼らを導いた(それを予測したかどうかは知らないが)運営に、批判の矛先はまず向けられなければならない。しかし、ふぅは任天堂に対してもニコニコ動画に対しても、それを行わない。
投稿者たちは金儲けできるシステムができたからその枠内で金を稼いでいるだけだ。それを批判することは勿論事由だが、その前にそういう体制を作った方をまず批判すべきだ。そもそも、ふぅ自身、上記したような限りなくアウトに近い行為を行っている自分自身(それは題材にしているゲームだけでなく、動画で用いられている音楽や効果音を含めてだ)が、ルール上は明らかにより問題の少ないことをやっている人びとを名指しで批判するという構図の滑稽さには気がついていないのだろうか。
ふぅの主張をあえて乱暴にデフォルメすると、こうとも言える。今まで俺たちはルールを無視して面白いものを作ってきた。だが最近、新しいルールができて、その枠内でおとなしくやるやつが増えた。それはおもしろくない。昔にもどるべきだ。
この主張自体にも理はある。しかしそれを声高に主張すること自体が不可能なのだ。何度も言っているが、ルールの上ではふぅが批判する人びとのほうが正しいのだ。その正しさの代わりに面白さが失われたからと言って昔に戻れというのでは、暴走族が足を洗った仲間をまた引きずり込もうとするような構図では無いか?
ぼくだって、有象無象のマリオメーカーの動画より、ふぅの動画のほうがずっと好きだ。面白いと思う。しかしその面白さを支えていた者が何か考えれば、安易にふぅの様な主張はできないのだ。かつての面白い動画群は、畢竟ゲーム実況というジャンルがメーカーに見逃されていたからこそ実現した、寿命のあるコンテンツだったのかもしれない。
その現実を受け入れたくないなら、そういう実況がまた上げられるような環境を作ることを考えなければならない。少なくともそういう姿勢だけでも見せなければならないのだ。
ライゾマあたりの演出で海外で人気がある人間に、全面的に演出を任せればいい。
https://www.youtube.com/watch?v=z64HCi2rQkE
こういうテイストの音楽使えばみんなそれを日本的なるものとして認識してくれるだろ。
もしくは武満徹とか。
ていうかさ、久石譲とかそんなガラカパゴス作曲家なんかどうでもいいから、どうせだったら有名な人間使おうぜ。
日本的なるものってさ、結局は大阪のようなごっちゃごちゃカオス、アジア!みたいな感じの方向か、
京都っぽい無味乾燥の暗い、神社!寺!って感じの二択しかないんだからさ。
テレビ自体が悪いわけではないが他者の価値観を尊重する日本人にとっては影響力がでかすぎる。海外に住んでたことあるが芸能人の話を振ってくる人間はほぼ皆無。たまに映画や音楽の話をするぐらい
しかも日本のテレビは主体性が強すぎて情報媒体としての機能を果たさない完全受動メディアで馬鹿量産
ヴァーチャルに土地を持つことができるようになったイメージで金を得る手段としては非常に優秀。だがLEDを長時間見続けると交感神経がたかぶりセロトニンが減る=幸福度が下がる
また身体性と対他性と音が欠如しているので無機質な威圧感がある。相互監視社会で世界は息苦しくなった
酒
24時間どこでも買えて屋外でも自由に飲めるのは完全に異常。酒をなめるなばかやろう
不幸になる権利を否定するわけではないがタバコを吸うと脈拍が安定しなくなる。つまり鼓動が乱れる=心が乱れる
うるさい。僕はすこし打っていた時期があるので知っているがパチンコの依存性は酒やネットの比ではない
パチンコ屋は爆音で言葉による格差がない。さらに出生などによる格差もない。ただ運とすこしの技術があるだけでだれでも勝者になれるまさに弱者にとっては理想的な環境
だがあのタバコの匂いと会話もできない爆音と死んだ目をした人間が隣にいるというのは同時に世界最悪の環境でもある
余白がまったくなく読み手の想像力を完全に排除している。漫画は小説で1書くところを5書いてわかりやすくしたものだがこれは読み手が自らおぎなうべき5も書いてしまっている
いまだに時虐史観がひどい。映画でもハリウッドさまさまのような事を言う人間をたびたび見かけるが僕はハリウッドの映画で面白いと思ったのはETくらいだ。あとはどんちゃかどんちゃかやっているだけで趣が0
八百屋、弁当屋、菓子屋、文房具屋、酒屋などなど個人商店はコンビニのおかげで激減
僕の住む町にはセブンのドミナント出店がひどい、まじで消えてほしい。ぼろいパイプイスに座布団をしいて座りながらテレビを見ているようなやる気のない店番のほうが定型的な無味乾燥でただ大きいだけの挨拶をするコンビニバイトよりも僕は好きだ
「お会計は210円になります」よりも「210円、あ100円玉切らしてんだけどある?」のほうがはるかに好ましい
学年で一番かわいかったんじゃないのか?って女子がAVに出ている。そりゃ男なら抜くしかない。で日中は賢者モードでバイタリティが薄れ仕事をするだけでいっぱいいっぱい
精子っていうのはそのまま精神力の源のようなもので男がオナニーするとほとんど実感としては感じることはないが背徳感が積みあがっていきますます恋愛から遠ざかっていく。無精ひげなんかもそうだ、ひげが汚い男はだいたいオナニーしまくっている
不動産業者
家を借りるのに犯罪歴はダメ、ブラックリストはダメ。バイトはダメ。無職はダメ。
疲れた、寝よ
まず結婚式がどうなるんだろうって考えてゾッとする。
とりあえずきっかけは友達の紹介で~とかになるんでしょ?それは知ってる。
でもそれ以外で紹介することなさすぎて誰も得しなくてすごく胃がキュッとなる気がする。
んでその後も、行ってきますのキスもないし、お互いストレスが増えるだけで、毎日がすごく灰色で無味乾燥になる気がする。
子どもができたら仲の良い親を演じることでそれがいつしか本当の愛に変わっていく・・・とか?
胡散臭すぎ。つーか無理やり後付けのパチもんじゃん。
むなしすぎる。
お互い積極的に愛しあってなくても、せめて心安らかに過ごせる友達・パートナー的な感覚くらいにはたどり着いてから結婚したい。
愛するまではいかなくても一生安心して寄り添っていけると思えるほどの相手。
人気のある人や魅力のある人はやっぱりおいしいんだ
そいつのもつ味を味わいたくて人が集まってくるわけだ
この味は、先天的な要素もあるだろうけど
だいたい後天的な要素の影響を強く受けてる
生きてる間に、意図したりしなかったりはするけど
自分に味つけをしていく
こうしたことを繰り返してみんな深みのある味を手にいれてくわけだ
うすしおみたいな万人に受けるような味もあるし
誰かにとってまずかったものが他の誰かには美味しかったりもするんだな
コミュ障だけど中身は強烈で実は魅力があるみたいなタイプいるだろ?
でも残念ながら中にはまるで小麦の粉みたいな味も食感も無いようなやつがいる
こいつは今までの人生でなにもしてこなかった
何もできずいつもその場しのぎの行動だけをして
他人に何も与えない
こいつは本当に救いようがない
誰からも求められない
まだ穀物みたいな安定した味を供給できるタイプならまだなんとかなるが
そうじゃないなら本当にゴミだ
人と関わらないならそれでもいいけど
関わって生きていきたいなら、無味乾燥のままで生きていくのはつらすぎる
人を食い物に例えるってなんてありきたりなんだ
先にその人は乗って、隣に乗り込んだ。
しばらくして、キスされた。
東京ラブストーリー見たことないけど、これ、東京ラブストーリー。
私にもこんなこと起こるんだなー。
とおもったら、笑えて仕方がなくてずっと笑いながらキスしてた。
みんなさみしいんだな。
こうやってタクシーの中だけなぐさめ合ったりするんだな。
不倫になるのかなー。
みんなこうして不倫していくんだろうな。
男の人はやっぱりいいなぁ。と心底思った。
私じゃない人に触れるのは久しぶりで、なんだか壊れそうだ。
好きだけど恋愛とかじゃなくて、
私みたいなのにちょうど甘くて、優しくて。
女の子に慣れないまま大人の男になった感じの人で。
見た目よりも、経験が浅くて。
それが私にもわかるぐらいで。
熱があって。久しぶりな上に、熱があって。
つぎ会った時またするんだろうか。
しない気がするし。する気もする。
先に進むかは分からない。
大人になったというよりも、年を取ったのだなと感じた。
それが一番ショックだったりする。
何回目になるのだろうか、もはや正確な回数もサッと思い出せないが、はや20も後半になったのは自覚している。そして、これまで以上に誕生日という実感がわかない。
うまいもん食おうとか、ほしいもん買おうとか、誕生日だから別にどうというわけじゃない。それも「歳をとるのがイヤだから誕生日を意識したくない」というわけではない。
なぜなのか、その理由もすこし考えればわかる。友達も、職場の人も(俺1人の職場)、ましてや彼女もいないこの身ゆえ、今となっては「おめでとう」と祝われることがない悲しい人間だからだろう。
期待しても仕方がないのだ。そもそも直近まで誕生日を忘れてたし。とにもかくにも、イベント感はまるでない。
今日も終わりに近づいたが、今年の誕生日も普段とかわらない1日だった。
なんの変哲もない、無味乾燥で、ただ虚しく老いていくだけの1日。昼過ぎ、出勤時刻ギリギリに起床して、心身にムチを打ち、倦怠感をふり払いながら労働。
そして仕事中の今である。処理すべき雑務から逃げるように、死んだ目をして1人キーボードをカチャカチャさせている。
ここから家に帰って0時になるだろう、睡魔と戦いながら晩飯に風呂。なんだかんだ2時ごろとなる入浴後、さあ落ちついたぞというところで勉強かねての読書タイム。
が、たいてい寝落ち。そして目をさますと昼過ぎ、出勤時刻ギリギリで…こんな毎日をすごしていると、なんというか、生が実感できない。今日の誕生日というこの日も以下同文。
しかし、というかだからこそなのかもしれないが、心の中では「祝ってほしい!」と思っている。「おめでとうと言ってくれ!」と思っている。
そうでなきゃこうして増田に書くこともない。この歳で口に出すのは恥ずかしい(そもそも口に出す人がいない)が、盛大でなくてもいい、どんな手段・方法であれ「おめでとう」という言葉を浴びたい。うーん、これが承認欲求というやつなのだろうか。
そこでだ。なにが縁でこれを読んでるあなた、そうそう、あなた。
まあなんだ、せっかくだからこの機会、この哀れな独り身に「おめでとう」を投げつけてみてはどうだろうか。なあに金がかかるもんじゃあない。
といっても、誰もいってくれないという悲しい事態を避けるために、自分で自分に言っておこう。
ふと思い立ち、これまで俺が殴りつけてきた過去の増田をふり返ってみた。
うん、書いていた。ちょうど7年前のこの日、俺は増田に「20歳、節目となる誕生日を一人でむかえるぜ!ヒャッハー」と書いていた。
ああ、俺は、なんら、成長、して、いない。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150101ddm041040040000c.html わかりあえたら:不寛容時代に/1 住民、漠たる不安 住宅街の障害者ホーム建設 「暮らし壊される」、過熱した反対運動
この記事の場所って確か生田だったと思うんだけど、あの辺はいわゆる「かつての新興住宅地のなれの果て」のような場所だ
団塊の世代の首都圏への人口流入を見込んだ宅地開発が進んだ場所で、今では、住民の老化とともにただ老いているだけの街
現在でも流入人口はあるにはあるのだが、より安い住居費を求める子供のいる家族層が中心で、やはり元余所者のサラリーマン核家族だったりする
要するに、「おんなじような構成の家族だけしかいない街」という郊外の問題が少なからずあるんじゃないか。
郊外住宅地というのは生田に限らずだいたいこんな感じで、異質なものを受け入れがたいコミュニティだ。
自分は古い下町の商店街に生まれて育ったんだけど、小学生のある一時期だけ、生田じゃないけど似たような郊外の住宅地に親の仕事の都合で住んでいたことがある。
妙に熱心なPTAが主催する無味乾燥でビックリするほど面白くない地域のお祭り。
下町からすると驚くほど優等生でツルっとした普通な生徒ばかりなのに、定期的にいじめ問題が起こる学校。
いまこんな状況を想像してみよう。受験生を受験生活に最低限必要なものしかない部屋に閉じ込める。すると勉強効率が良いだろうという、そういう思考実験があるのだ。
人は刺激を求める生き物である。刺激のない環境に閉じ込められると激しい苦しみを覚え始める。
精神的苦痛だけかと思いきや、身体もズキズキ痛み始めたりと大変だ。女の子にそんな思いをさせるのは可哀想だという意見もあろう。
しかしあの悟空達も殺風景な精神と時の部屋には苦しみ抜いた。仏教の高僧らも同様の修羅場を乗り越えてきたのだ。
確かに刺激に慣れっこの現代っ子にはキツかろうが、それを耐え抜いてこそ強靱な精神が鍛えられるのだ。
一応効能書きを言っておくか。効果は早い段階(3日程度)で現れる。猛烈な刺激への渇望とスポンジのように速やかな刺激の吸収である。
電話も漫画もゲームもネットもお菓子もない空間に閉じ込められると、猛烈に刺激が欲しくなる。
モノと情報にあふれた日常ですらすぐ刺激を求めがちな現代人のことだ、無味乾燥な空間に閉じ込められればそれはもう猛烈に刺激が欲しくなる。
その猛烈に刺激を渇望した状態で、試しに参考書ではなく用語集を読んでご覧。驚くほどスムースに知識が脳に吸収されていくのが分かるだろう。
しかも面白い、ただの用語集のくせにクッソおもろい。山川出版の『世界史用語集』『日本史用語集』『政治・経済用語集』『地理用語集』
『現代社会用語集』『倫理用語集』と6冊一気に読破できるであろう。受験科目じゃないのに置いてあったからいつの間にか読んじゃったっていうね。
面白い漫画を6冊読むなんてあっという間だろう。そんな感じで一気に読めちゃう。しかも内容をよく覚えてる。
さらに長期間続けると、また違った効果が現れる。刺激への執着が無くなってくるのだ。
パソコン触りたくてたまらない、友達とも話したい、美味しいご飯だって食べたい、そんな強い欲求は段々と薄れてくる。
それだけではない。閉鎖空間に存在するわずかな刺激以外のあらゆる刺激への執着は全て、見事に薄れていくのである。
こうして些末なノイズに惑わされにくい心が養われる。ノイズに惑わされないということは、合格という目標に向かって日々集中できる。
また長期軟禁後も、集中力が高くスポンジのように速やかに知識を吸収できるスーパーサイヤ人状態がしばらくは保たれるのだ。
軟禁には危険性がないわけではない。ただし、それは刺激不足というより運動不足によるものである。
確かに刺激不足は度を超すと危険だ。五感を完全に奪う感覚遮断実験では精神病のような認知能力低下も認められたという。
しかし軟禁は五感自体を奪うわけではない。ましてやこのケースでは参考書という脳へのご褒美まである。
それでも人によっては精神を病むかもしれないが少数派であり、しかも多くは一時的なものである。
長期軟禁の大半のケースでは、運動不足による衰弱のほうが問題である。衰弱に起因した身体の故障を一生抱えるケースもある。
したがって、被験者には運動(くれぐれも過酷労働ではない)が義務づけられるべきである。それだけで随分と軟禁のリスクを低減できる。
最低限のモノと情報が提供され、健康に留意する監視者がいれば、軟禁生活は意外とラクなものであることは知っておいてほしい。
身を引き裂かれるように辛いのは最初だけで、すぐに順応する。苗木こまるだって順応してたではないか。
念のために言うが、決して誰かを軟禁することを勧めるものではない。また、俺がそのような蛮行に及んだわけでもない。
責任感や使命感の薄さが目立ち、興味本位の生き方をしている傾向の強いタイプです。好奇心や本能的欲望に振り回されやすく、自分は今何をすべきかと云う事が、良く掴めていないタイプであるとも言えます。人は人、自分は自分と割り切っていて、他人の言動には、殆ど干渉しないでしょう。又、一寸変った面白い事でも有ると、すぐに付和雷同する傾向がある、御祭り好きの楽観主義者です。今後は、もう少ししっかりした目で、社会機構や自、他の言動と云うものを見直して行く必要が有ると思います。
趣味や嗜好、ギャンブルなどの延長線上に恋愛や結婚もあると云ったタイプです。うっかりすると、一体何が本命なのか、見当の付かないような事になり兼ねませんので、いい加減な考えで、恋愛や結婚をしない事が、貴方の為でもあるし、相手の為でもあります。貴方の場合は、恋愛や結婚と深刻なくらい真面目に取り組んで、丁度良い按配だと思います。
職業適性
無味乾燥な堅い職業を避ける事が、先ず第一です。例えば、警察官、刑務官、検事、判事、弁護士などのような治安や法律関係の仕事。キーパンチャー、オペレーター、単純労働者のような仕事です。貴方に向いていそうな職業は、落語家、漫才師、コメディアン、漫画家、エロ文学作家などに代表される、軟派の芸能、芸術、文芸家とか、企画宣伝などの仕事のように思えます。
対人関係
人付き合いにおいて、最も心すべき点は、人を騙したり、騙されたりしない事だと思います。自、他共に甘い点と、正義感に欠ける面が有って、自由奔放で我儘な貴方のようなタイプが、最も陥ち入りやすい弱点だからです。