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はてなキーワード: 漢文とは

2023-01-10

宗教道徳を、宗教じゃなく、道徳として切り出すのって難しいのか?

結構中国漢文とかって儒教だけど、宗教的意味合いとか薄いじゃん。

みたいな感じで、仏教とかキリスト教の、道徳的な部分だけを、宗教抜きで納得できる形で道徳として切り出せないのかなあ。

2023-01-05

anond:20230105145600

わかる

女子全般的数学苦手そうだったけど、現代文古典高得点の子が多かったなあ

漢文男子のほうが何故か良い点数だった傾向

あと数学でも数列・ベクトル(昔は幾何といった)・微積

このあたりでもだいぶ適性が分かれるよね

大人になってやってみると昔苦手だったものがメチャ面白いこともあるから人生ふしぎなもんだ

2023-01-04

2022年に読んだ本

1月

琉球から歴史の原文へ。太平記史記を並行して読み始める。

現代語訳とはいえ長くてしんどい

2月

メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ世界史教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い

3月

ウェブ小説を読む。

4月

東アジア史が中心。

5月

詩集芥川賞に手を出す。

シン・ウルトラマンを見たせいか特撮関係の本が後半に増える。

6月

後半には自分学生時代ベストセラーだった本を手に取った。

価値観現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。

7月

暴力団言語学、法学テーマの月だった。

8月

旧約聖書を読み始める。

9月

ちょくちょくSFを挟んで旧約聖書を読み進める。

10

旧約聖書読了学生時代新約聖書通読たから一応全部読んだことになる。

カズオ・イシグロ邦訳が出ているのはたぶん読み終えた。

11月

生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白いネタが尽きない。

12月

土偶埴輪についても読む。

漫画

ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。

十三機兵防衛圏については友人に薦められたかクリア後のノリで買った。

美術展など

今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。

映画

「シン・ウルトラマン」★★

プラットフォーム」★

エクストリームジョブ

12モンキーズ」★★★

雑感

(長くなったのでブコメ

2021年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

2022-12-19

古文とは青空文庫以前のものを指し現代文利用規約法律である

そこそこの中学校では漢文古文の名句を暗唱させ法学講師を招き利用規約を読ませ法律に親しませよ

それが高いハードルならばラノベを読ませて感想文を提出させなさい

2022-12-11

anond:20221211155402

そこそこ成功した人たちが、高校生古文漢文なんかより情報教育だとか会計を教えろとか言ってても、そう言う人たちが自分の子供を工業高校商業高校に入れるかというとそんなことはないし、本人だって工業高校生程度にもプログラミングは出来ないし、商業高校生の簿記と同じレベル

技術なんて、流行りのキーワードを抑えておいて、エンジニアの話を聞いてそれっぽく返事をできる程度でいい。

結局は、新卒なら学歴、中途なら人脈とコミュ力でチャンスを掴んで、作文とプレゼンでハッタリ。

2022-12-10

anond:20221210001547

フランス語で書かれた専門書を翻訳する際に当該分野の専門知識を有する人間英語からの重訳をさせるよりも

当該分野は素人でもフランス語翻訳家に原書を訳させる方が適切な翻訳可能だというのが人文系常識なの?

本当に疑問なんだけど、日本にはフランス経済専門家とかおらんの? 探せば日本のどっかにフランス語原典から訳せて経済学の知識がある人が絶対いるでしょ(フランス語メジャー言語だ、って強調してるのはそういう意味もあるよ)。

ピケティの本が世界的な話題であるなら尚更、フランス語経済の双方に通じた翻訳者を探してくるか、それが無理ならフランス語から翻訳を監修する経済学者を連れてくるべきで、重訳は最後の手段だろう、というのが人文系感覚。「アイスランド語推理小説」ならまあ重訳でも仕方ない(良いわけではない)けど、「フランス語経済学書」だったら、日本にはフランス語専門家大勢いるんだから彼らに直接訳させろ、翻訳にあたって経済学の知見が必要ならフランス経済専門の翻訳者 or 翻訳を監修してくれる経済学者を連れてこい、というのが相場じゃないかなぁ。すげえどうでもいい本ならその手間を惜しむのもわからなくはないけど、世界的な話題作ならそこの手間はかけるべきでしょ、と思うよ。だからピケティを重訳で良しとする感覚マジで理解できんのよな……(出版社にとっての経済メリットはわかるけど、学問的にはメリット皆無でしょ)

結局、人文系にとっては「原典にあたる」ことがまず基本であって、翻訳原典ではないわけよ。研究をするにあたって翻訳で済ませてよいのは、

場合に限られるんじゃないかしら。あとはよっぽど研究環境の貧弱な地方大学所属してて碌な研究ももらえず図書館も充実していないので原典を入手することができず、なおかつ信頼に値する翻訳があるなら、まあ翻訳で済ませるのも仕方ないかもしれないけれど、山形浩生はそんなに貧窮してるの? って話になるので。

理論もすべて原典で読むべきか、はまあ微妙なところ。たとえばフーコー思想研究するのならフランス語原典を読むのは必須だけど、フーコーの「生-権力概念ドイツ研究に応用してみました! みたいな場合は、うーん、まあ研究の基礎となる資料ちゃんドイツ語で読んでるなら理論日本語訳でもいいかなぁ、という感じ。もちろん理想を言えばフランス語読むべきなんだけどね、それ言ってるとキリがないからね)

なお、元の話題に出てる北村紗衣は、「原典を読める文学作品については研究し、そうでない作品ロシア文学とか?)については評論する」というスタンスであることをどっかで公言していたはず。研究あくま原典依拠して行うもの原典を読んでいないのは研究とはいえない、というのは、人文系研究者としては当然のスタンスだと思う。なんだろう、増田経済学のこととかよくわからんけど、英語からの重訳を出されるのは、数学統計学を踏まえずになされた経済研究を出されるようなもんなのよ。基本のキができてないですね、問題外、って感じ。

2022-12-04

anond:20221203191834

私は米国のある分野で有名な企業に勤めている。誰もがどこかで聞いたことある所だが職階も低く裁量も持たされていない。1980年まれである

そこに出てくる日本語顧客向けの資料というのが、ひどい。

ある概念言葉カタカナに次ぐカタカナ言葉が繋がるのはまだ良い。何が酷いのか。すでに日本語概念に対する適切な単語があるのにも関わらずそれを用いず英語動詞自分発音カタカナ語に書き換えて提出してくる。かくして、ルー語の塊のような顧客向けの文書が出来上がり星条旗をつけて日本会議室文章から音声として展開される。

こんなもの理解を追いつくことが現代人の教養である昨今に些かの寂しさすら覚える。物珍しさで優位性を持たせようた暴力的カタカナ語に翻弄され、明らかに元の英単語と違う含みで復唱し頷く人々。契約は締結され、また新たな米国製の商品不思議日本語梱包されて世の中に出回る。

誰が翻訳しているのかというと、英語が分かって日本語がわかる日本人、ではなく、英語が分かる英語で育った日本語話者、が翻訳者にとても多い。父母が日本人であった、日本大学大学院に行った(中等教育までは全て別言語圏)日本語小説が読め、契約書が読める、等。

その程度の日本語話者である。正直、彼らの語彙は舌を巻くレベルではあり経歴も大変優秀だ。文法も正しく用い、文章構成理解やすい。だが、ほとんど全ての彼らは過去の偉大な知識人たちが用いた日本語の底にある様な漢文の素養はほぼ持たず、古文についてもラテン語を習う感覚でほぼ用いられないもの考える人々の方が遥かに多い。恐らく明治時代に書かれた文章そのままでは読めないものもいるだろう。違うんだ、その中にこそ、一般的日本人が分かりやすく捉えられる言葉が眠ってたりするんだ。だが、彼らの中にあるのは現代日本語で頻出する語彙でその様な言葉は出てこない。

持たされる英語文章の量は膨大であり締切は迫っている。そして新聞社出版社校正部の様に真っ当な日本語を司る期間も通らない。

しかし乍らある製品説明として、物珍しく新しくて生かしてるカタカナ語を代理店広報は選び、広告になり街に出てくる。

日本語育ちで日本でのみ教育しか受けてこなかった私でも、目を引き魅力的だと思う。

こうやって不思議カタカナ達はやがて普通日本語と変化する。

きっと私より20歳下の人々はまた違った世界が見えているのだろう。

更に20歳下の人々が言葉の潮流を作り出す頃には、案外中国語簡体字を使う事が人目を惹き洒落て洗練されたものと扱われる様になるかもしれない。

きっと、その頃には我々はカタカナにもアルファベットを混ぜて使う事に飽き飽きしてる。

そうして出てきた中国語単語の中にかつて我々が学んだ漢文と同じ単語が含まれていて、案外明治時代とそう変わらない意味で用いられたりしたら、なんとなく世界面白いのではないかと思った。

明治時代欧州圏の概念漢字化し東亜圏に広めたのは当時の学者達でその言葉を我々はつかっているのだから

アウフヘーベンについては小池百合子が言い出すよりも前に普通小説漫画普通に使われていたのでそこにだけ元増田違和感を覚えた。私は川原泉フロイト1/2が初見だったので。

2022-12-03

anond:20221203191834

1962年のやつ、俺の生まれる約10年前の表現だけど、どこも「漢文古文由来の表現」じゃないだろ。

而してとか曰くとかいってるわけじゃないし。

昭和中期は普通にそういう漢字表記日本高校でおしえてたからそうなりました、だけじゃん。

日本語は昔から外来語の訳し分けがうまいだけで、かってに文化の中心が中国から英語圏にかわったからといって別段の違和感はないよ

anond:20221203155530

すべからく警察です

すべからく【須く】(副) 

漢文訓読に由来する語。「すべくあらく(すべきであることの意)」の約。

下に「べし」が来ることが多い〕ぜひともしなければならないという意を表す。当然。

学生は―勉強すべし」

2022-11-30

anond:20221129085814

全部が全部いらないとは思わないけど、

Webフロントエンドエンジニアのような高レイヤしかやらない人はアルゴリズムとかの抽象的な部分だけでよくて、

コンピュータアーキテクチャみたいな部分は低レイヤやる人だけやればいいんじゃないかと思ってる

他の分野で言うと新課程の国語古文漢文現代文を減らして、現代的な文書作成読解能力の科目を増やすことに近い考えかなと思う

2022-11-27

anond:20221127112304

歴史価値を失うならそうなるだろうけど

歴史人間感情を揺さぶものがあるから

その歴史構成する古文漢文もたぶん無くならないんじゃないか

結局感情問題政治問題だね

anond:20221126233454

漢文ベースが別言語なので、日本語言語史に入るかは微妙かと思う。

言語学習なら英語で事足りるし。

漢文やるなら第二外国語でも学んだほうが良い。

2022-11-23

中国旅行したときに印象に残った言葉

コロナ前に中国旅行したときに印象に残った単語を書いてく

推(PUSH)

ドアに書いてあった。確かに「押印」の「押」と「推進」の「推」だと「推」の方がPUSHっぽい。

勿走

エスカレーターにて。「走ること勿かれ」と訓読できる漢文と同じ文法だと感動。現代中国語だと「走」は「歩」の意味だという第二外国語で習った知識も合わせて「歩かないでください」であることを認識できて嬉しかった。

禁止入内

「入内」という見慣れない単語なのに「立入禁止」感が凄い。

你看汉字是繁体字,大陸使用简体字.

行きの飛行機で隣になったおばさんと筆談で話したときの一文。大陸中国人日本新字体繁体字だと認識してるんだなあという異文化感が良かった。台湾香港の人は新字体を見たら簡体字だと思うんだろうか。

酸奶

ヨーグルト。前述の筆談で話したおばさんいわく中国人ヨーグルトが好きらしい。確かにコンビニにも飲むヨーグルトの品揃えが豊富だった。

一分安检 十分安全

中国地下鉄空港のような手荷物検査改札口に設置されている。そこの標語らしき文言でどの駅(中国語なら站)にも書かれている。

わかりやす標語だと思った。

元气森林

日本語が書いてある謎のドリンクを出している会社本社日本にあるらしい。

2022-10-31

anond:20221031234040

嘘だろ、古文漢文しかたことないとかじゃないと無理だろそれは

2022-10-03

anond:20220930173306

ブコメの「君子豹変す」もそうなんだけど、漢文タイトル日本語訓読するとだいたいそうなる

2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-09-19

断言しても良いけど、今日から古文漢文冠婚葬祭元号・ハンコ文化が無くなっても何も問題ないよ

絶対問題ない

から今すぐ廃止してもいい

2022-08-13

anond:20220813055238

現代哲学と違って漢文とか東洋思想実践重視かつ経験論的に書かれるから、「こんな人がおりましてん」ってエピソード話したらだいたい論拠終わった感じになるのよね。

でも現代哲学がやっとこさ出した結論とか疑問に数百年前の仏教がサラッと答え出してたりしてるからマジですごい。

anond:20220813054037

それ考えたら簡潔な言葉記載されていて数千年も研究対象になっておりまだ掘り下げられる漢文って凄まじいな

2022-07-25

anond:20220724235655

ひっくりかえして「脈水」とかだとマジでおじさんぽい。

漱石とならぶ文豪イメージ

漢文から取る人は多く文系教養ある人だし、動詞が先にくるのが漢文から

 

親御さんは澪標から澪だけとってもよかったような…

2022-07-15

ネタツイでも漢文が分かる人なら、わざわざ漢文を間違ってる画像を貼ってツイートしないんだよな。

漢文がわかってないかネタツイで間違った画像を貼るんだよ。作ってる時点で間違いに気づいてないって話。

もし間違ってるのがネタツイって言うなら、漢文が分かる人って書かないと思うけど。

だって、そうだよね。

漢文が分かってる人からすれば、なぜ間違っている漢文』にいいねすることがおかしいってわかるからね。

結局の所、漢文の読み方も分からないような人らが書いてあるネタがなんとなく読めたから『いいね』を押しているだけってね。

馬鹿の近くには、やはり馬鹿たちしかまらないんだよ。

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