はてなキーワード: 映画館とは
自分にはこれといった趣味がなく、映画も基本はサブスクで、映画館には年に1.2回行くかどうかだけど、何かの媒体で偶然「破墓」が紹介されていたのを見て興味がわいた。
公開されたら映画館に観に行こう、と思ってたんだけど、
https://anond.hatelabo.jp/20240831201535
↑この先輩も観に行ったらしい。
先輩的にはかなり高評価だったらしく、いろいろと感想を話してくれようとしたのでネタバレされてしまっては困る…と思い「自分も近々観に行こうかと思ってて」と打ち明けた。
すると「是非!」と言ってくれたものの「でも…◯◯さん(私)もこういうの観に行くんだね」と。
意外ですか?と尋ねると「うちの職場の人って映画観ない人多いじゃん?観ても邦画とか(笑)」
……と非常に感じの悪い返答が返って来た。
(笑)というか、明らかに(嘲笑)で、周りの人を小馬鹿にしているのが伝わってきてめちゃくちゃ不快だった。
でも、まあ……この時点ではまだ破墓を観に行こう!という気持ちに変わりはなかった。
しかし……
「◯◯さん(同じ職場の別の人)なんか1番最近観に行ったの◯◯(マンガ原作実写映画)だって言ってたし。わざわざそれ観に行くんなら先にもっと観たほうがいい映画あるでしょ(笑)」
破墓がこの人の言う「先に観たほうがいい映画」なのかどうかはわからないけど、自分の中の「観に行こう!」という気持ちは完全に削がれてしまった。
私は、嫌いな人の好きなものには極力関わりたくなくなってしまう。
それがどんなに質の良いものであったとしても、摂取しているとそれを「好きだ」と言っていた嫌いな人の顔が浮かんできてしまって、結局最悪な気持ちになるのがわかっているから。
まだ摂取する前のものなら尚更「じゃあやめとこ」ってなってしまう。天邪鬼(?)だとは自分でも思うけど……嫌いな人の好きなものだと思うと気持ちが萎える。
それ以上先輩の話を聞きたくなくて、適当な理由をつけてその場から逃げ出した。
この一件以来「もう観た?」と顔を合わせる度に聞かれるが忙しくて予定が合わないとか何とか言ってはぐらかしている。
たぶんもう映画館には観に行かない。
在職中は角が立ちそうで中々本当のことは言いづらいけど、いつか、退職する時が来たら「あの映画、先輩の発言で行く気が削がれて観に行きませんでした」って直で伝えてから辞めたい。
最近MXでボルテスセレクションをやっていて、ちょうど1話2話はそこで見ていたが
映画もその部分の話だった(原作は連続ドラマのところ、映画はそこを切り出した再編集版みたい)
話の筋はだいたい同じで出てくる敵も同じだったのでおお知ってる!とテンションが上がった
時間長い分シーンが冗長じゃない・・・?展開なんか変じゃない・・・?マーク(一平)の影薄くない・・・?
前評判がしっちゃかめっちゃかになっているジョーカー2を観た。ジョーカー1とはほとんど別物だと言っていいような変な映画だった。
記憶がおぼろげで悪いけど、1ってたしか馬鹿にされて虐げられて抑圧されてギュッッッッッッッッッッッとなったアーサーがとうとう弾けて、あとはもう空想をヒュンヒュン加速させながらあちこちで殺しをやりまくるみたいな話じゃなかったっけ。
だとしたら、2はアーサーが看守や囚人からヌメッとチヤホヤされながらガチ恋女とヌメヌメ愛し合い、歌を覚え、歌いまくり、寝ながら歌い、空想の中で歌い、電話口で歌い、なんかもうあちこちで歌い、その合間に裁判台に立たされたり殴られたりする、そんな映画だった。
とにかく歌の挟まり方がすごい。映画一本の中に、阿漕なyoutuberの広告ぐらいギチギチに歌が挟まっている。ロバートのコント「柳田節」ぐらい歌う。歌が終わるとどうなる?知らんのか、次の歌が始まる。
でもホアキンもガチ恋女役のレディガガも歌がうまいから、評判より全然楽しめるもんだな、と思った。3曲目ぐらいまでは。なにせ1曲1曲の演出カロリーが高いので、すぐお腹いっぱいになるのだ。そもそも歌を見にきたわけじゃないし。それでも歌はお構いなしに出てくる。二郎ラーメンでわんこそばをやっているような気分だ。「もう歌の口じゃないんだけどな」と思っていても「アイヨ歌一丁!」と強制的に歌をねじ込まれる。アーサーの歌わんこそばにストップはない。
さらに1と違うのは、全体的にアーサーが受け身なことだ。感情はしっかり出す。けれど、行動はどこか後手に回っている。質問されたから答える、囚人にキスを頼まれたからする、ガチ恋女が火をつけたから一緒に逃げる、法廷に立たされたから喋る、というように起点が他者や状況に置かれがちなのだ。
頼みの空想も、今回はそこまで現実に干渉してこない。いっぺん法廷でキレて暴れたときはちょっと気持ちよかったが、それも所詮は空想の中だけの出来事だった。だから、観客はほとんどの時間を「様子がおかしいけれど害はない、等身大のアーサー」と過ごすことになる。そして、彼の行動が「アーサーってそういうもんだよな」という我々の予想を超えてくることはほぼなかったように思う。
つまり、ジョーカー1のようなムチャクチャな破滅が彼自身の手で引き起こされることはなく、代わりに本人は歌ってばっかりいる、そういう変な映画なのだ。
火をつけたのはガチ恋女だし、裁判所に突っ込んだ車は信者のものだ。インパクトのあるシーンはことごとくジョーカーの手を離れて始まっている。裁判が突然の爆弾カー突入で強制終了になったときは流石に「ウオーッ!これだこれ!ゴッサムシティに法律はねェーッ!」と客席から立ち上がりかけたけれど、その後の展開で「あっ普通に法律とかあるんすね」「失礼しました」「そっすか……」とすぐさま心を着席させることになった。ここまでくると製作側から意図的にカタルシスを取り上げられているような気さえしてくる。
そしてある意味、それは当たっていたのかもしれなかった。物語の終盤、別れに際して歌おうとするガチ恋女にアーサーが言うのだ。「歌はもういい!歌うな!話せ!」みたいなことを。
ここで初めてアレッ?と思った。なんとなくそれまで、ジョーカー(アーサー)になんも面白いことをさせず、ただ歌わせるだけの映画を撮った製作陣にある種の無邪気さを感じていた。このナンセンスさは彼らの読み違え、あるいは天然ボケなんだろうと、無意識に考えてしまっていたのだ。
けれどそれなら「もう歌うな!」なんて客席の9割の人間が思っていそうなことを台詞にするだろうか。まるでこっちの考えが読めているようにも見えてくる。もしかして彼らは、ジョーカーを暴れさせずに歌わせてもそこまで面白くないことを最初から分かっててこれを作ったんじゃないだろうか。
そう考え始めた途端にいろいろなことが腑に落ちてきた。作中、アーサーは恋愛に溺れる以外はほとんど何もしてないのに、周りが勝手に感化されて狂ったり崇めたりする。そして、ジョーカーがただの人間アーサーだったとわかると潮が引くように離れていく。その心の動きが、映画館の席についてからここまでの自分の心境といやにぴったり重なっているのだ。
勝手に期待して近づいて勝手に失望して帰っていく、ジョーカー2の大衆と今ここにいる自分とfilmarksの低評価レビュアーたちはきっとそう変わらない。そして、思い返せばこの映画はずっと「シラフのアーサーと狂った取り巻き」に焦点を当て続けていた。
結局のところ、「おもんない取り巻きばっか映して何がしたいねん、はよジョーカー暴れさせろや」とぼやきながら、自分はずっとスクリーンに大映しになった鏡を見つめ続けていたのだ。
ジョーカー1はいろんな人間に「自分はジョーカーかもしれない」と思わせた。けれど、ジョーカー2は「お前ジョーカーちゃうで」「自分をジョーカーやと思いたいただの取り巻きやで」「あとジョーカーも蓋開けたら多分そんな大したことないで」という常温の現実をバシャバシャと浴びせてくる。
そういうメタだと捉えれば、この映画は面白かったと思う。実際のところは知らんけど。ジョーカーは1も2も一回ずつしか観てないからうろ覚えだったり的外れだったりするかもしれないし、ひとまずこういう印象を受けたとだけ言いたい。他の感想も気になってきたな。
ドラマや映画で虐待シーンを見る度に、自分が子供の頃に受けていた虐待された時の事を思い出してしまい凄く気分が落ち込んでしまうし、色々なネガティブな感情が出てきて死にたくなってくる。
そういう事もあって虐待シーンというものが無くなってくれないかなと思うけど、表現の自由というものを考えたらそう簡単には無くならないよね。
TVで見ている分にはチャンネルを変えるなり電源を消すとか出来るけど、映画館でそういうシーンがあると身動き取れなくなってしまうので困る。
出来るだけそういうシーンが出てきそうな作品は避けているけど、それでも交通事故のように虐待シーンにを目撃してしまうと一々しんどくなる。
アニメだと子役を使うとか無いからか、結構リアリティの高い虐待シーンがあったりするので自分の過去と無意識に(勝手に)重ねてしまって心が辛くなる。
ガンダムのジオン軍とかスターウォーズの帝国軍みたいな組織でもいいかも知れん
あるいは『ランボー』『ダーティハリー』とか「あれは悪役じゃない」けどまあ暴力を使うキャラとかも含まれるかも知れん
こういう「悪」を指して「映画(創作物)の悪役から影響を受けるのは間違ってる!その創作物自体が悪を否定している!」みたいに先回りして批判する道徳家みたいな人を最近よく見かける
でも俺は何が具体的に悪いのかよく分からないんだよな
まあそれぞれの映画のテーマも違うし、またこういう映画の中で行われる行為やフィクションの規模が途方もないのでそもそも具体的に真似できんやろとか「それを言っちゃあおしめえよ」というのは省くんだけど
たとえば「ジョーカーに共感するな!」といっても、そもそもあれは現実に「ジョーカー的な人々」が先にいることが前提になってるんだよな
そんでもって別に映画館から現実に戻った今も別にテロとか企ててないけど
『アルジェの戦い』『戒厳令』みたいな映画を見て影響を受けて左翼になる奴もいていいだろうし
三島由紀夫や福田恒存の小説読んで右翼になる奴もいていいと思ってるよ
そんで「じゃあAVやポルノ映画見てレイプ起こす奴いてもいいのか!」って言うやつもいるんだろうけど、社会問題に対する反応と全然別じゃんというのは置いといて、まあいいんじゃないのそれは
前述の「影響を受けるな」論の根源って、まとめてしまうと、「何かある派閥が映画・創作物によって盛り上がって、自分の生活を破壊しに来る」という想像から発せられてると思うんだけど
そんなん映画が無くても破壊されるんだし、そもそも社会問題を加速させたり放置させたり対処してなかったりするのは現実の(ジョーカーを批判する)「お前」な訳なんだし
それと最近オタク側が「創作影響論」を頑なに避けてるのは良くないと思う
「それで何が悪い?」といえない現状のオタクの世界観の狭さが良くない、早く「何が悪い」といえる世界観を作れ、まだ間に合うから
ポジティブなことではない。
たとえば映画を観に行って、それが心底クソな映画っぽかったとしても、「映画館を出た瞬間あなたは死にます。あなたの人生はこれですべてです」と言われたら、自分なら、最後までよく観て本当にくだらない見るべきところの無い映画かよく考えると思うんだよね。
映画の上映が終わっても、ロビーで同行者とか、機会があれば他の人とも、意見を聞いて理解を確認する。
自分の映画はおそらく間違いなくクソ映画だけど、見落としがあったら悔しいから、クソであることをしっかり確認して、どうしようもないクソ映画だということを完全に理解してから映画館を出たい。
「一日に煙草を一年間吸い続けると」君には躾が必要だ。そこにベンツに昇り降り-ボをしてい続けるといずれ、ところで僕あのーにんにく酸っぱいの好きなんですよ分かります?究極の至宝美体にバッア肘がグネクネし事件と民が迷宮入りと思わたっていたでしょとしていたら、無意杉にメリーゴ区ランドがそこには露わに引ん剝きなされていたのが、いつしか大体そこに止まない雨がないと言われがちですが、実際は何とも言えないなぁ…これ…何とも言れないなぁ…相容れなれないなぁ…そういうことしている間に試合は最初う局面を迎入れいようとしています。時々ロシア語でボソッと天照(アーティスト、作曲・編曲は、Ktsh a.k.a 世パ弥。「a.k.a」は「こと」という意味であり、世パ弥ことTashootMANIAという意味になる)をNNするいやロシアに太鼓の○人ねーよ!!(訂正調べたらありました)する、をする日記やVlogを始める方が急増中ですが、皆んな様んは天気が良いですか。!注意!これから先、日焼け止めを飲まなれれば、深淵が闇を覗くとき、深淵が世界に公開されるため、発言に気を付けマシおTVがスマホを激突盆栽を刈る、99歳は還暦を全年迎え、抵抗は空しいぞ。辞めてくれ。其んな顔で僕を見るな。僕は、ベンツに乗っているんだよ。ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア(ベンツが爆発する)すいませーんダイハツ売ってるって聞いたんですけど(2台目購入)お客さんこんにちはすいませーんこここんにちはーあのー店員さん今(76573台目購入)デビッドカードが売り着て!?駅のビビシビックビジョンの恥ずかしい所の部活動、略して恥部にがボリボ所属して5年目だが、全国大会行けないなぁ…全国大会行くないなぁ…行きたくない。貴方映画館に行きない?ブブーッ(正解の音を裏から表に掛けて)たまには電話ちょうだいよ?横花火に気を取られていた俺は、背後からの気配に笑いに来たバージンロードに耳を澄ませ…SEIKIN TV…た俺は、背後からの花火に五月かなかった!、2020束京オリンピックは、OSUSOWAKE右にもか左にもか、シカノコノコノコンタンタン、カニカニフェス確証を得られぬまま、事件盲銘に尾の分け目という諺ップにもあるように、「メークイン装飾の弁当が」地味地味邪魔邪魔UMIGURIサバ女子サブリミナリズムうんぬんかんぬんックス(幻の四十九手目)りたまえ!ベースを横取りする境にハイドリデーショキニクス。僕には、呆れたよ(錯乱)。ク。サービスショットの裏には影むな棍あが人知れず…例えば、たまには正面から来たらどうだ?あれ!?上にも縦にも伏兵が溝んで…一体こどうすれな…「任せろ!あ、あなたは!SEIKINtTV!?」さ」て最近は花も一片舞い落ちる便利な世界、貴方と一緒に箱詰を望む女子がマッチングアプリですぐ待っています。今すぐ大好評アダウンロード!7800連ガチャ無料!(そんなに回すのだるいよ)あ、君さ、今、(そんなに回すのだるいよ)と思ったでしょ?心を読むんじゃないよ。セブンイ○ブンじゃないんだから。でも右目を開けたら次は左目を開けて。「はい…」そしたらいややい何んに何してんの!う?凄いでソイこれが世界の真実さ。こればいーっしんだけどね、共有ボタンんを押したね。聖闘士星矢の成人向け同人誌、聖闘士星矢ーンえっち「しょうもねーこと言ってんじゃなたは!SEIKINyTV!?スュ」午前0時と8時と9時に僕は毎晩、あの日のことを思い出す。「そんな日もある」とは言うけど、「そんな日」を繰り返し、気づいたらドン底の人生の成人向け同人誌、気づい矢ーン35ビットのペクリこんにちは!僕は16才だから、もうベンツに乗れるんだ。今日は僕の自慢のベンツヲ紹介スルヨ…あ!注意!エラーが発生しました(メメカバレって興奮するね)。全く…名前を飲んではいけない人、出店で金魚すくいを頼みますよ、非公式でお願いします。「「「「「無修正差分が見たい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」僕の冒険は始まったばかりだ。でも僕がいないと危なかったよね?大きいデミグラスソースに縄張りを伏し付けて、その人には活躍するが、例えば神っぽいなの作曲者が稲葉曇(以下、稲葉)だったとして、実際に絵をWEB描いているのはいよわとは限らない。そういうこと僕は言いたいんです。リゼロ第4章読みましたか?僕はあの歌好きなんです。世界に不思議は事はたくさんありますが、化学の力であの日僕たちが出会ったので偶然ではありませんでした。いつも横に饂飩をよく噛んで食べ、電車の中には山が住んでいる。誰もが思っている事の一つとして、あべこべにでたらめをかける必要なないと言いますが、僕はやります。たまにトイレでは祖父がきゅうくらりんを歌いながら風と土の属性が咲煌きあう。身体を壊す前に無理をして、実際、参考にして下さい。自ずと道すがらくもありあます。道連れに吐露し、それでいて味わいは艶やか。家具を全て捨て、ガムテープで夜を共にする。(助けてくれこの文章にはヘルデルマが隠ている)朝になれば、ボク気づいたことあってヘッド閑散バリスフィント島が上の方にある。そんな時は立ち止まって、駅構内を走りまわさぬ様に下さい。家系図は5cmで轟き、背中合わせのうまい棒とテニスをする(ファミコンのね。)様起きて下さい!上からむ下から肉ドローン撮影に気を取られ、肉球の淵から煎餅を割ると2ポイント。ここでもある日突然だった、世界が0.4°捻じ曲がったあの日から僕の人生は変わった。重度の脹脛フェチの幼馴染が毎朝髪の毛を抜いてくるのでたまらないのだ。仕方ないけど、今は虫眼鏡の中にあるiPhone55VXXXXSRspecialを遍かねんばならないのだ。散漫を揺り戻す捏徐の如く、息も絶え絶えに戦国時代に広島のミニ四駆を衒った。うっせぇわを歌ったのは加藤浩志ですが、イガクを歌ったのは誰?横断歩道とラジオ体操には右左右に気を和け、悲しみに耳も憚らず、弛んで行くしかない。ウルトラマンが倒すのに29分掛かったカーテンレールを、今打ち砕かれようとしているが、なのは完売キャンディーではない。公職選挙法スレスレの合法紛いを突き進み、得てして獲得して勝利へ導かれたくはないか!?でも夜は危ないから気を付けるんだぞ。…僕はこれから何をされるんだろう?でも満たされているこの気持ち、よしBreakingDownに出場しようそう僕は決意したあの日の夜。でも翌朝になると覚悟は薄れるんですよ分かりますかこの気持ち?中と外で反面グリッパーしていて、ルトラマンが倒すのに29分掛かった。これに耐えられる奴は居ない。任○堂の倒し方知ってます?俺は知ってますよと言いながら、七夕に御節を作る。卵から産まれた人間は土に孵るから一緒に楽しもう。こんな事にもある、まあ楽しんだ者勝ちだから道を開け、生ごみを見るようなセンテンスが僕等を待って居る。けども金網をも凌駕する、100さ。海に誘われ、口からが本番だ。舌を鼻で笑い僕んっヤバイ衝撃がマラソン中。でも邪道さの中に正統派があるけど、いつになったら脱出できるんだろう?こっちは巨大娘で真剣に真剣しているのに進撃の巨人だDoDラスボスだ等と言われては腹が立つため真剣して来る。ありがとう!優勝者には意味が贈呈されます!あぁ良い気味ながら、世界一にお金持ちになって気分は如何かな?でも我慢できないから網羅しました(世の理を)。多いなるカには責任が多い僕でもコップを落としてしまうのだから、きっとティッシュを使い切った頃には5cm増えるし、株主を観衆の前に晒す慈しみは想像もでき無い。飽くまで正々堂々と白昼に広げようと言っているのだから、或いは間るも良し。どうしてもと言うのなら、肘と膝が一体型のセットは如何でしょうか?お役くしておきますよ。(こいつ偶に冴えた事を言うから侮ない…)それに貴方はお目が高いの、別室で尻がデカいと知ったら喜ぶでしょうね!セイクリッドルインが待ち受け画像に乱れ、ハッシュド洗米を独り出る血相を変えてまで、必要はあったのだろうか…
東村山だと6000万円から9000万円あれば90平米超えるやつ買えるかな
所沢のすぐ隣だけどね
(個人的には生活の点では所沢のおかけで生活しやすいとは思う。映画館とショッピングモールも所沢にあるしね)
https://www.athome.co.jp/kodate/1026996488/?DOWN=2&BKLISTID=002LAN&SEARCHDIV=1&sref=list_simple
3LDK(+WIC、納戸)
建物面積 163.38m²
https://www.athome.co.jp/kodate/1006501291/?DOWN=1&BKLISTID=001LAN&SEARCHDIV=1&sref=list_simple
中古一戸建て 東村山市 本町2丁目 (東村山駅 ) 2階建 5LDK
8,980万円
建物面積 147.55m²
景気が悪くなりつつある
高田馬場のテナントは埋まってないところがあるし、インフラ関係の株価だけが高く、太陽誘電などの景気に弱い株が下がってる
あと、柏とか建売の値段が下がりだしてる
バブルが飛びそうな気配があるんで、無理はしないほうがいい
バブルが飛んで、リストラされて二人とも最低賃金ラインに転落してで家を手放したなんて話もある
このあと、不動産の値段が下がりそうな気配がするので、背伸びはしないほうがいい
世帯年収1600万円あるなら、年収400万円になったつもりで家賃7から10万円ぐらいのところに引っ越し、お金貯めれば中古の戸建程度なら買える
郊外で家を買う。西武新宿線は東村山在住の人曰く、あまり混んでない、その際、崖がなく、川が近くになく、ハザードリスクがないところを買え。
このあたりはバブルが崩壊したとしても生活でき施設が近くにあって、先程言った難点がなければ、土地の値段は2割引程度で済み、10年程度でもとに戻る。
ちなみに東村山の隣は所沢で大きなショッピングモールも映画館がある。わざわざ新宿に行かなくても東村山と所沢でほぼ完結する(一部ジャンルの服がなく、オーディオやパソコンのパーツ直接買えない程度)
https://www.athome.co.jp/kodate/6982526888/?DOWN=2&BKLISTID=002LAN&SEARCHDIV=1&sref=list_simple
中古住宅を買う。同じ郊外でも評価の都合で、新築より中古のほうが建物込みの平米単価が安いことが多い。
この際の注意事項は選択肢1と変わらないが、既存住宅瑕疵担保保険には必ず入っておけ。
買った時点である程度の検査はしてあるし、リフォームのミスに関しては保障される
https://www.athome.co.jp/kodate/1027125088/?DOWN=2&BKLISTID=002LAN&SEARCHDIV=1&sref=list_simple
賃貸を借りる。風呂トイレ別でなく、エレベーターなし、築年数が古く、外置き洗濯機は人気がないので、安く借りることができる。
なので、そういうのを借りると安く済む。もし、築年数が古いやつに住むなら、2階より上(できれば最上階)に住むことをおすすめする。
9.5万円
自分が50歳の時、自分の親は80歳になるわけだが、家族一壮健だった祖父でも80過ぎる頃には生活に人の手がいるようになってたのを考えると持病のある親はもっと早くに手助けがいるようになるかもしれない
田舎すぎて、医療や美容の資格職につくか、公務員か銀行員か郵便局か農協か…くらいしか正社員の職がない
歳をとってから親の介護に戻っても、よくてパートか、仕事にありつけない可能性も高い
早期リタイヤして悠々暮らせるほどの金銭的な余裕はないが、地元に親のことを頼める親族もいないし、頻繁に帰れる距離でもない
もうあと15年しか余裕がない
しかも親の面倒を見に全て捨てて戻っても、10年もしたら親も死ぬ訳で、自分も60過ぎて仕事も金もなく、本屋も映画館もない田舎で無為に生きるのかと思うとしんどすぎる
総額数百万の借金をようやく完済した。
社会人になりたての時期からアラフォーに至る今まで、約20年にわたる返済人生を歩んで、ようやくここまで来た。
これまでに借りた総額で言えば数百万円ではきかないと思う。借りては返し、返しては借り、を繰り返していた長い時期を考えると、これまでの所得の10%を借りていたとしても、総額1,000万円近い金額だったのかもしれない。恐ろしいことだ。
借金問題に詳しい増田の読み手ならお察しだろうが、多額の借金を返済できたのは任意整理を行なったからである。数年前に思い立って法律事務所へ赴き、相談を経たのちに任意整理に至った。借入先には忍びないが背に腹はかえられぬ。実行可能な返済計画に従って、利子を除いて淡々と返済を続けた結果、ある程度前倒しで完済することができた。
任意整理によって信用情報に傷がつくのを躊躇していた私に司法書士が放った「客観的に見てあなたの家計は終わっています。任意整理すべきです」という言葉が強く印象に残っている。
ではなぜそのような借金をするに至ったのか。借金問題に詳しい増田の読み手ならばお分かりだろう。
そうです。ただの浪費です。
私はギャンブルもせず、酒も人並み、衣食住も身の丈にあった暮らしをしていると自認している。少しずつではあるが人並みに地位を築き、所得を絶やさず増やしてきた。にも関わらず振り向けば常にそこに借金があった。
新卒入社した会社の手取りは約18万円。当時にしても決して低くない金額だった。将来に投資しようとかなり安いアパートにひとり暮らしをして、家賃を除いた生活費が毎月13万円程度あったはずである。携帯代1万円、ネットと電話代1万円、奨学金返済が1万5千円、光熱費8千円。残りは少なく見積もっても毎月7万円程度は生活費・食費として残るはずだった。今振り返ってみても、余裕のある生活が送れる所得、なんなら貯金をしっかりすべき所得に思える。
所得だけを見て「自分は人並み程度にはお金の心配がない生活が送れるはず」「支出傾向から考えても普通の生活が送れないわけがない」という思い込みがあったことが、借金生活をスタートする土台であったと確信できる。要するに、自分は借金とは無縁の生活が送れる、借金などとは無縁の人並みの暮らしができないはずがない、という甘えた考えがあったのだ。
当時の暮らし。毎朝起きてすぐタバコを吸って、朝食は会社のデスクで菓子パンと缶コーヒー、昼食は数百円の弁当、夜もラーメンやら外食やら。一杯ひっかけて帰ることもしばしば。たまに自炊。休日は映画館やらDVDレンタル、欲しい本や漫画があれば躊躇せず買い、ブックオフで古本を買いあさり、季節が変われば新しい服やスニーカーを新調。出かけたらタバコが吸えるコーヒーショップで一服。誘われれば飲み会にも行くし、彼女には奢るし、休日はどこかで外食をする。
気がつくと、手元にお金は残らなかった。残るわけがなかった。 自分の欲望はささやかなもので、日々の労働の対価として当然に享受してもよい消費だと思っていた。 これくらいの消費行動・金銭感覚は周りを見渡しても当たり前で、パチンコで数万円負けた、なんて笑う同僚よりも自分はまともなんだと思っていた。 だが当然に現金はすぐになくなり、給料日を心待ちにする日々が続いた。
ある時、ATMにキャッシングという項目を見つけ、クレジットカードを入れて1万円を引き出してみた。すると現金が現れた。
返済方法にリボ払いという選択肢がある。押すと返済額が毎月定額になった。
当時よく上司や友人がクレジットカードのことを「魔法のカード」などと笑っていたが、買い物だけではなく、まさか現金までも引き出せるとは。
給料日までの現金に飢えた自分にとって、まさに魔法であった。
ここから先の展開は予想に難くないだろう。足りない現金を埋めるためにキャッシング。預金がなくとも借入金の上限はまだまだある。毎月遅れることなく返し続けていれば問題ないのではないか。だが一向に元本が減らない。まあそんなもんか……。今月も借りては返し、返しては借り……。
若い時の苦労は買ってでもしろ、などと見栄を張って、自分は劣っていないと思い込むために金を使うことは未来への投資。
そんな欺瞞で自分を正当化する。
結局、そんな生活を15年以上送ってきた。
そんな私でも結婚をした。結婚式なんてできず、子どもを作る余裕なんてなかったが幸せだった。この人を幸せにしたいと心から思っていた。
短い結婚生活だが幸せだった。借金はあったけど幸せだった。正しく言うならば、幸せだったけど借金はあった。
借金とは別の問題で離婚をしたが、借金は遠因のひとつであった。自分本位の生活を送ってきた仇だ。
夫婦間のストレスを言い訳に風俗に通いを覚えて浪費する額が一気に増えた。離婚のストレスを言い訳に女性と遊んだ。遊ぶ金はもちろん自転車操業だ。住宅ローンなんて組めやしない。
自分はこれでも極度の貧困よりはマシなほうで、借家もあるし仕事も収入もある。地位も得てきたし、借入先も銀行系で闇金ではない。だから自分は普通の暮らしをしてしかるべき、という勘違いをこの期に及んで続けてきた結果、皮肉にも、自分は明らかに普通ではない生活をしていたのだった。
自分の愚かさを認めるのは、決して難しいことではない。毎月1万円ずつ返済していた時ですら自分は愚かだと自覚はしていた。
難しいのは、その愚かさを改めることだ。
借金を借金と思わずに、限度額いっぱいまで余裕があると感じてしまっていた愚かさ、自分は普通の収入を得ているし闇金にも手を出していない、それゆえ金銭的苦悩とは縁がないという短絡さ、支出を抑えてもどこかで気を緩めて使ってしまう消費依存傾向、こうしたアホ思考とマネーリテラシーの低さ、それを改めようとしないバカさ。
それらの問題を根本的に見つめ、改めることが早い段階で必要だったはずだ。
自分はアホでどうしようもない、という自己憐憫だけにとどまらず、何がなんでも事態を改善する行動、改める意思。それが何より困難なことだった。
もちろん固定費を削ったり、家計簿をつけたり、支出を管理したり、食費・交際費を節約したりもした。だがそうした行為も破綻してからでは遅かった。アンコントロールな状態に陥った借金と利息はもはや手がつけられない。燃え広がった火災にコップで水をかけるようなものなのである。
世の中は様々な借金に満ちている。闇金や消費者金融、キャッシングにリボ払い、住宅ローンに割賦サービス、おまとめローン、奨学金。
これを読んでいる増田の読み手におかれては、借り入れなどとは無縁で、支出と収入のバランスを保ち、資産形成にも励んでいることだろう。
だが、もしそうでない方がいるのであれば、どうか借金とはうまく付き合っていってほしいと心から願う。
返すために借りるとか、複数社の借入であるとか、イリーガルな借金に手を出すなど、引き返せない状況に差し掛かるまえに、信頼できる人、あるいは窓口へ相談してみて欲しい。そして、どうか思いとどまって欲しい。どんなに苦しくても引き返す手段はちゃんとある。私だって完済できたのだ、まずはあきらめないことだ。
借金は、欲望をブーストさせ、思った以上に人生をスポイルし、自らの可能性を削っていく。
もしこの世に「人生に利する賢い借金」というものがあるのならば、あなたは自分が思うよりずっと賢くなければならない。
少なくとも私はそう思う。
今日、最後の返済をした。これで完済となります、と電話口でオペレーターが言うのを聞いて、電話を切った。
空に向かって「……やっと終わった」と言った。やっと終わった。何回か口に出した。身体が軽くなった気がして、めまいがした。
人生の半分をともに過ごしてきた借金、負債。文字通り負ってきたものをようやく手放すことができたのだ。
ずっと我慢していた本を買おうかな、ぱりっとしたシャツを仕立てようかな、スマホを新しくしようかな。
もう給料日に10万円を借入先へ振り込む必要はないんだ。これからはストレスのない、幸せな生活が待っている。
別れた妻が笑う顔が好きだった。
なのに泣かせてしまった。
将来は人並みに結婚式をして子どもを育てるものだと思っていた。
ずっとなりたかった職業があった。せまくても自分の家が欲しかった。心からの友達が欲しかった。親孝行をしたかった。
今はただ後悔しかない。
借金なんてしなければ良かった。
これからいくら幸せになれたとしても、得られず失ってしまったものばかりが目にうつる。
長かった夏が終わり、秋が始まろうとしている。
もう二度と帰ってくるなよ。
9月27日、「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」が公開された。
https://babywalkure-nicedays.com/sp/
まず、映画自体は本当に面白かった。三作目にして最高傑作という声もあるし、俺もそう思う。
ただし、映画館でこの作品に対して深刻な懸念を感じずにはいられなかった。観に行った回はほぼ満席だったのだが、若い人たちが少なく、中年男性が最も多かったようにみえた。また俺もそうだからわかるんだが、そのほとんどは、毎年100本以上映画を観るようなオタクだったように思う。
日常×殺し屋というアニメ的な設定やキャラクター、コメディタッチな台詞回し、そして素晴らしいアクションシーンは誰でも楽しめるような作品であるはずだ。しかし観客はおっさんばかりだ。
製作陣の意図は知らないが、これは本来は若い人々に届けたかったのではないか。前二作はインディーズ感があったので、シネフィルが観客層であったことは仕方ないかもしれないが、今回は池松壮亮や前田敦子といった人気俳優も迎えてるので、大衆向け映画としてのルックは備えてるはずだ。
ここで考えるのは、この映画の大衆化を阻んでいるのは映画ファンそのものなのではないかと思う。
現にTwitterで本作を検索すると、どうもプロアマの映画評論アカのお褒めの言葉ばかり流れてくる。ポジティブなレビューが多いのは良いことだが、「小うるさい映画ファンでさえも評価する作品」という評判が支配的になると、年に数回しか劇場に足を運ばない一般人は敷居の高さを感じてしまうのではないか(Twitter自体がもうおじさんおばさんの溜まり場ということかもしれないが)
実は今回の自民党総裁選でも似た事象が起きていたと俺は思う。1回目の投票でトップであった高市早苗が、決戦投票で石破茂に逆転敗北したが、俺はこれを彼女の支持層であったように思う。Twitter上で高市支持を表明していた有名アカは極右が多く、彼女の人気はカルト的にもみえた。彼らは熱心に高市の素晴らしさについて訴えて来た。彼らからすると、純粋に応援のためだったかもしれないが、他の層からすると過剰に写っていたと思う。彼らが良かれとして行ったことが、仇となった感は否めない。
話は戻るが、ではベイビーわるきゅーれが一般に支持されるために、我々映画ファンはどうしたら良いか。おそらくは発信のトーンを落とすことである。この映画は本当に素晴らしいし、沢山の人にみてほしいが、映画ファンが熱心であればあるほど、一般化は永久に果たされない。