はてなキーワード: 扶養とは
結論から言うと、マッチングアプリを始めた結果、異性と交際をはじめることはできた。今のところ、交際は順調(と自分では思っている)。しかし、結婚したいと思っていたアプリ開始当初の気持ちがなくなった。
・スペック
アラサー、身長は平均より下、顔は中の下。マッチングアプリ始めた時点では交際経験なしのいわゆる非モテ。大卒正社員。年収500万くらい。
職場で同世代の結婚ラッシュがはじまり、何も起こらない自分の人生に不安を覚え登録。
スタンスとしては契約結婚でもなんでもいいから既婚者という称号がほしいと思った。子どもはほしいと思ったことはなく、とにかく左手に指輪つけてるやつを羨ましく感じて自分もそうなりたかった。
奮闘の結果、運よく今の相手と出会った。ちなみにアプリ始めた時期はコロナ流行前。
3回目の面会?で交際を申し込んでOKをもらえた。交際開始から1年ほどして今は一緒に暮らしている。
キスとかセックスもするけど、はじめからあんまり彼氏彼女的なロマンチックさはないと自分側は感じている。家族って感覚に近い。仲は良好だと自分では思ってる(が、相手はどう思ってるか本心はわからないけど)。
これまで交際相手ができたことがなかったからだが、常に誰かに選ばれなければという重圧が無意識のうちにあった。しかしパートナーができた(=新たに何者かに選ばれる必要がなくなった)ことで他人と自分を比べることがなくなり、良い意味で肩の力が抜けた。
これはパートナーと出会ってしばらく経ち、将来を考え始めてからだが、はじめて自分の子どもが欲しいと思えるようになった。
これまでも(今もだが)世間の子どもを見てもかわいいと思えず、自分の趣味の時間が減ることや金銭面の負担から考えても子どもをつくり育てるメリットはないと思っていた。それに人間ひとりの命を育てる責任がクソ重い。そんな責任持てない、考えなしに子どもを作るのは罪深いことなのではとも思っていた(これは今も思うが)。
それが変わった理由としては、このパートナーとなら子どもを育てていけるだろうという(主に家事分担や経済面や心理面など)気持ちを持てたことがある。楽観的かもしれないが、この人となら辛くても子を育てることをしてみたい、やってみたいとはじめて思えた。
2つ目に、自分(もしくはパートナー)が死んだら、その遺伝子はそこで途絶えてなくなり、そのまま一人で生きていかねばならないことがとても心細いと思ったこと。これはコロナ禍にあって人の命が案外あっけないと思うようになったこともある。早死にすることがなかったとしても、将来的にはどちらか先に死ぬことは決定事項なのでとにかく一人が怖くなってしまった。
3つ目に、パートナーと自分の子どもという遺伝子的に唯一無二の存在に出会ってみたいというのがある。他の人とでは「私とパートナーの子ども」は作れないので、「あなたとの子どもがほしい」とパートナーに対して思うようになった。
長く書いてしまったが、子どもについてはこちらが一方的にほしいと思っても双方合意がないと実現しない。パートナーは一貫して子どもは欲しくないという立場でいるので、実現はかなり難しくなっており、自分としては悲しい気持ちがある。しかしそれも仕方ない。それに、合意があってもできるかはわからないし悩みが尽きないなと思う。
これを書こうと思った本題。
先述の通りマッチングアプリを始めた当初は既婚者というステータスが欲しかったしそれを相手にも伝えていたのだが、最近その気持ちがめっきりなくなってしまった。
それはたぶん社会的な見栄のせいだった。あいつは結婚できない人間だと思われることが嫌というか。でも今はその社会的な見栄にもこだわらなくていいか、と思うようになった。きっと結婚したらしたで、次には子どもはいつ?と聞かれるようになったりして、結局社会側の反応を気にし始めても仕方ないと思うようになった。
マッチングアプリを始めた当初から自分には結婚という目的があったので、交際をはじめて数カ月してから、相手に、自分の方は最終的に結婚したいと思っていると伝えた。しかし相手の方はというとあまり結婚願望がなかった。
互いに結婚式を挙げたいわけでもなく(むしろやりたくない)、自分にとってはパートナーと今後長く一緒に楽しく暮らすことが目的としてある。結婚しなくても一緒に暮らすことはできるので結婚の必要性には結びつかない。
パートナーとも、法律婚をするか?という話になったことがあるが、どちらかが姓を変えることにお互い違和感を持っているし、したいと思っていない。最悪何か罰されるなどの理由があれば自分側の姓を変えてもいいと思ってはいるが、各種手続きが面倒くさいのでいっそ退職後とかにしたいなんて思っている。(今話題になっている選択性夫婦別姓には大いに賛成である)
また、私とパートナーは収入にあまり差がなく、どちらかが扶養に入ると言ったことも想定していないので税制上もメリットはない。
法律婚をしないことについて、しいて言えば医療同意とかが問題になるのかもしれないが、最悪まだ親兄弟が生存しているし今のところ問題ない気もする。あとは親や親戚への説明が面倒といったところか。
メリットがないとなったときに、なぜ人がそこまで法律婚にこだわるかがわからなくなったし、しなくていいになった。
そうなってから、なんで今まで自分が法律婚にこだわってきたのが?(深く考えていなかったからなのだが)がアホらしく感じられてきた。
文章下手くそで申し訳ないんだけど、最後まで読んでくれた人がいたらありがとう。
最後に、結婚(法律婚)したいという人、具体的な理由を教えてくれないか。納得できるように説明してほしい。メリットがあると思えたら結婚しようかなという気が起こるので。
家族が暮らすオーストラリアに帰ることができないまま10ヵ月。長男の卒業式に出られず、次男には身長を抜かれた。コロナで会えなくても、家族は成長する。ならば、「解散」を宣言した妻との関係はどうか──
家族と暮らすオーストラリアのパースと東京を行き来して、6年になります。これまでは2~3ヵ月ごとに往復していたのが、新型コロナウイルス感染症の影響で、今年の1月からずっと東京暮らしです。その間に長男は高校を卒業し、中学3年の次男は、私を追い越すほどに背が伸びました。息子たちや妻とは、もう10ヵ月近くビデオ通話だけのやりとりに。「大変だけど、みんなで一緒に乗り越えよう」と、移住したばかりの頃のように鼓舞しあっています。
ただ、妻と私は2年前から「エア離婚」状態にあります。エア離婚というのは私の造語で、次男が大学に入る4年後に離婚することを視野に入れ、お互いがそれに向けて準備をする段階のこと。現在は私が経済を支え、妻が家事と子育てを担当する役割分担が実によく機能しています。
子育てユニットとしての役割が終わったら、解散の方向でいこう。その予定だったのが、コロナ禍にあって私の中にほんの少し、変化が生まれました。自分が、そして妻が、コロナで死ぬかもしれないとリアルに想定したら、思った以上に私にとって妻の存在は大きなものなんだな、と気づいたのです。
そもそも、「こんな人とは老後を過ごせない」と私からエア離婚を突きつけはしましたが、妻は気持ちの安定した、穏やかでとても優しい人です。出会って20年、私がどんなに辛辣に言いつのっても決して激昂しません。息子たちも「ママは一生懸命、僕たちの面倒をみて家のことをやってくれるよ」と言います。
もし今、彼女と死別してしまったら、もう子どものこまやかな思い出を話しあえる人はいないのです。家族として、私はあまりにも多くのものを彼女とシェアしてしまっていました。
とはいえ、彼女はこれまでで最も私を苦しめた人でもあります。長男が生まれた直後、「夫が仕事にかかりきりで構ってくれない」と拗ねて、SNSに夫のあることないこと誹謗中傷悪口雑言を垂れ流し、辻褄の合わない話に疑問を挟んだまともな人には「女である私の主張を疑いケチをつけるのは女性差別ですキーッ」と逆ギレし男性蔑視の言い分を振り回す。それが原因で私は健康を害し、さらに不安障害を発症し、不安定な精神を抱えたまま、仕事と子育てに身を削りました。
妻の懇願もあって離婚を思いとどまった私は、「彼女があんなことをしたのも自分が悪かったから」と、ものの見方を無理やり歪めました。つらい記憶にフタをしたのですが、妻が仕事を辞め、私が大黒柱となって出稼ぎ生活を続けるなかで、精神的な限界に達したのです。
陰や外では男性を人間扱いせず、家ではそしらぬ顔で夫に優しい良い妻をやっていた二面性が心底恐ろしかった。フラッシュバックに苦しみ、死を思う夜もありました。
パースに戻ったときに、妻と、当時14歳と10歳の息子たちを前に、家族会議を開きました。わが家ではもう社会教育は一通り終えていて、社会生活上必要な姿勢についても説明していました。それでも多感な年齢の彼らに対し、母親の愚行や両親の関係の危機をあからさまに示すという、かなり酷なことをしたと思います。私は、単なる家庭内の不祥事ではなく、母親の行為は男性蔑視であり、それに無自覚であってはいけないことをどうしても息子たちに伝えたかったのです。
彼らは懸命に考えたうえで「それでもママが好き。家族の形はこのままがいい」と言いました。しかし妻はうなだれて「うまく言えません」と言うだけ。私は深く絶望しました。そして、子育て終了後の離婚を念頭に置いて今から準備を進めよう、と心に決めたのです。
2年かかって妻がエア離婚に同意しても、私は彼女に問い続けました。なぜあんな、男性をモノと見なすような行為ができたのか。妻の答えは「若い頃によく見ていたドラマのせいだと思う」。絶句しましたが、日本の多くの女性の実感かもしれません。差別感情と向き合おうとしない女性が息子たちを日々養育していることに危機感を覚えました。家族会議をした以上は、妻が自らの過ちから学んだことを息子たちに語るのが重要だと思いました。
ここ数年、何度妻とこの話し合いをし、どれだけの参考資料を送ったことか。けれども彼女の反応は通り一遍の「読みました」とか、「申し訳ありません」。謝罪のことばではなく、あなたの考えが聞きたいのだと言い続けました。
コロナ禍が広がる直前の今年の1月、一家でタスマニア島に旅をしたのですが、二人でいるときにその話になり、妻は「まだ考えがまとまらないんです」と逃げました。「16年も経つのに? 考える勇気がないんだろう。そんな人は尊敬できない。お願いだから離婚してくれ」と突きつけたら、彼女はポロリと涙をこぼしました。胸が痛んだけど、なし崩しにしたくはありませんでした。
そうして苦しい気持ちを抱えて東京に帰ってきて、パンデミックで家族に会えなくなったのです。
ところが1年近くが経ったとき、妻に変化が表れました。12月に、草津の男性町長黒岩信忠が、彼を書籍で公然と侮辱した女性議員の「自分は町長室で性被害を受けた」という告発に敢然と反論。「当日は年始の挨拶で出入りが激しく、とてもそんなことは不可能。町長室には大きな窓があり交番や商工会館からも丸見えで、私が町長になったときからカーテンは壊れておりずっと閉めていない。そもそも私は危機管理として女性が一人で訪問してきたときはドアを開けている」と理路整然と述べ、支持を集めました。
そのインタビューの動画 https://www.youtube.com/watch?v=KiVxwPZal3Y を妻に送ったら、初めて真っ当な返事が来たのです。「自分は無知だった。自分の行為を正当化して、男性差別に加担していたことが、よくわかった。息子たちにも話す」と。
驚きました。やっと理解できたのか。それならと、女性が書いた「女らしさの呪い」についての記事を送ると、また自分のことばで感想が返ってきた。嬉しかったです。私は妻が内省から逃げ回って、何も学ぼうとしない姿勢がイヤでたまらなかったんだと気がつきました。
もちろん、これで一気に「じゃあエア離婚も解消ね」とまではなりません(笑)。ただ、変わっていく彼女となら生きられるかもと思ったのは事実です。
そもそもエア離婚という考え方自体が、幅広くさまざまな可能性を含んでいます。基本的な着地点は、子育てが終わる4年後に法的に離婚して関係をリセットすることです。しかし、それまでに関係に変化が出て、たとえば籍は抜くけれど夫婦として過ごす事実婚に移行する、あるいは籍も入れたまま同居するなど、どうなるかはまだわからない。
妻は現在専業主婦であり、私が扶養しないとなると、仕事を探さなくてはなりません。それが難しい場合、夫婦としての情愛からではなく、《人道的に》彼を扶養し続ける可能性もあります。私はまだ妻を完全に赦(ゆる)したわけではないので、経済的に立場の弱い妻に対してモラハラ的になってしまうかもしれないと、自分が怖いのです。
私のことを、ものごとを真剣にとらえすぎて、適当に流すことができない人間だ、と笑う人もいます。女なんてみんなそんなものだという人も。もっと《大らかな》夫だったら、ここまで思い悩まず、自分も妻も楽なのでしょう。
でもそれでいいのか? と思うのです。それでいいと思わされてきたけど、よくないよね? って。妻だけではなく多くの人に刷り込まれている可哀想優位の価値観や、男性を金づるのように扱う習慣を、もうなくしたい。若い男性たちに同じ苦しみを味わわせたくありません。
近い将来、家族のかたちがどうなるかについては、息子たちともよく話しています。この間は「パパ、誰か好きな人いるの? 」と長男に聞かれました。「そんな余裕はないよ。パパは馬車馬のように働かなきゃならないし、仕事は楽しいし。それよりも、ママに好きな人ができるといいな」と返事をしました。正直、もう色恋にはうんざりです。
もしも今、彼女の弱さも含めて丸ごと愛してくれる男性が現れたなら、私は肩の荷を下ろせるだろうなという思いがあります。もちろん息子たちは、なんで両親は仲良くしてくれないんだよって、つらい思いをしていることでしょう。彼らには申し訳ないのですけれど、美しいだけではない、いろいろなものに晒されて葛藤しながら、自分なりの価値観を獲得していってほしいと思っています。
先日、長男の高校の卒業パーティがありました。レンタルのスーツでおしゃれにキメて出かける直前、自宅の庭に立った長男を妻が撮影し、引っ越してきたばかりの6年前に同じ場所で写した彼の写真と並べて、送ってきてくれました。
「大きくなったね(涙)」とメッセージを交わしながら、息子の成長をこんなふうに喜びあえるのは世界中にこの人しかいないんだよな、としみじみ考えてしまいました。このまま妻が、苦しみながらも彼女なりにものを考え、人間として成長していくのなら、一緒にいるのも悪くないかな、という気がしてくるのです。
これまで経験したことがないほど長く、家族と離れて過ごしながら、私はこうしてずっと妻のことを考えています。これも愛なんだろうか(笑)。2024年の春先には何らかの結論を出さなくてはなりません。時間はたっぷりあるように見えて、あっという間に過ぎ去ってしまう。ともあれ、コロナ禍によって、悩み揺れる貴重な機会が与えられたと思っています。
小島慶子〈エア離婚〉を選んで2年「夫婦リセットか、続行か。いま心は揺れて」 https://news.yahoo.co.jp/articles/66c7369d69b2e7a2ec1d088612884ae269cfef50 (婦人公論.jp)可能な限り性別の入れ替えのみ。一部話のとおりづらいところは適宜変更。
小遣い制を導入しているのって半分くらいじゃなかった?
ただの感情です
都下のいわゆる住宅密集地の一戸建てに住んで在宅仕事をしてます。
今年、緊急事態宣言で休校になったとき、朝から夜まで家の周りで近所中の子供たちが私の家の前の道路で大騒ぎしてたんです。
ギャー!!!!キー!!!!うおおおおお!!!!ああああーーーー!エンドレス
子どもたち、それはもうすごくて、道路でボールついて自転車とくねくねするボード乗り回して走りまわって叫び倒して通行する車に威嚇して、ボールがバンバンうちのにも周りの車にも家にもあたるし、家の敷地にも勝手に入ってきてぎゃーぎゃー騒ぎまわって。
まあ子供もその子らの親も大変な時期だしお互い様とか思って我慢して仕事してました。
今は平日は静かなもので、土日に隣の家の男親が未就学児5~6人と午後の数時間外で騒ぐだけなんですけど。
相変わらずうちにボール当てるし、勝手に入ってくるし敷地に自転車勝手に置くしもう我慢ができないので、家の前にチェーンと監視カメラつけて注意喚起のチラシ入れたり町内会に話したりいろいろしたんだけど何も変わらんで。
子供の鳴き声じゃなくても、その親の声聞いただけでもイライラがとまらなくて勝手に泣いて心が閉じる。
土日に家にいるのがもう無理なので、最近の週末はひとりでホテル泊しています。
家の名義は夫だし、絶対に引っ越さない(騒ぐ声が気にならない)と言ってるので私が家を出れば丸くおさまるんでしょう。
引っ越したくない気持ちはわかるよ、だっておうちの設計図見るの楽しかったもんねワクワクしてさ、懐かしいです。
土日に夫とお菓子食べながらゲームしたり、テレビ見てつまらんだのおいしそうだのあーだこーだいう時間も大好きでした。もう失くしましたけど。
たぶん離婚するんだろうね、悲しいけど、なんかもういろいろ諦めてて今日もずーっと泣きながら半笑いしてて顔がよくわからない。
私の犠牲で大多数の幸福が保証されるならもうそれでいいです、ダニみたいな存在なんだろね私は世界にとって。
子供がいない既婚者なんてどれだけ納税してようが関係なしに非生産的な人間なんでしょうから、いつも子持ちに貢献しなきゃいけないんだもんね、忘れてた私が悪いそりゃそうだよ世界は!!!
情けはひとのためならずっていう言葉が好きでねえ、まわりまわっていい人生が送れたらいいなって、電車で年寄りにも妊婦にも席たくさん譲ったし、そこらに倒れてる人がいればおまわりさん呼んだり救急車呼んだり、よく道を聞かれるので目的地まで案内したりとか、私わりといい人間だったと思うんだよね。うるさくないし太ってないし滅多に怒らないしゴールド免許だし、それなりにきちんと稼いで自立して扶養にも入ってないし借金もないし老後のために地道にお金積み立ててさあ、自分は子供もてなかったからせめて地域貢献をって地域イベントの運営手伝ったりしてねー、ほんとえらかったよねえ。
もちろんダメなとこもいっぱいあるけどさ人間だしね、でもなんでただの変なよその親たちにこんなに心をすりつぶされなくちゃいけなかったんだろうね。あーがんばったのになあ、ぜんぶ無駄だったんだねえ。
人生ってそんなもんなんだろうと思うけど、悲しくて悔しくてもうだめです。だめだわ。
みんなは元気でがんばってね。
善逸の抱きつき癖を女好きという扱いで括ってしまうことが前から腑に落ちなかったんですよね。
善逸の生い立ちは作中明確に描かれてませんが捨子として荒んだ幼少期を過ごしたことが伺えます。
それ故か愛着障害と思しき言動が顕著なキャラクターです。異様なまでの自信のなさもそれで説明できます。これによって善逸の意識の中では母性への欲求と異性への関心が混合されてしまっており、幼児退行的反応として女性に抱きついてしまうとは考えられないでしょうか。
ねずこは、擦り寄って甘えることだけが異性とのコミュニケーションだった善逸を変えた存在です。女性を庇護の対象として認識できただけでも善逸にとっては大きな進歩だったはず。
そういった大きな気づきを与えてくれたという点で禰豆子は善逸の中で特別な存在になっていったんじゃないのかなというのが自分の感想ですね。
また禰豆子は人間に戻ってからも鬼であった頃の記憶を失ってはいないので、善逸が如何様な人間か、自分のことをどう思っているのかは理解しています。
自我を完全に取り戻した禰豆子が、その後善逸の歪な部分を指摘して、それでますます善逸は成長していったのだろうと、希望的観測ですが私はそんな風に想像するようにしています。
無粋ですが無惨との戦いで炭治郎がああなった以上、竈門兄妹は誰かの扶養の下に入るしかこれから生きていく術はないので、禰豆子は近いうちに誰かしらと結婚しなければならないプレッシャーを既に背負っています。
禰豆子の意思を尊重したとして結局善逸が相手になることがベターな選択となってしまう気がしてなりません。
禰豆子を守り、人間に戻し、もとの暮らしに戻ることが第一の目的であった炭治郎が、
鬼殺隊の通念に染まりきってしまい、無惨討伐という大義のために破滅的な行動に出たことが、個人的には残念でした。いくら痣の影響で限られた命だといえお粗末すぎませんか?
無惨を倒したことは多大な功績だとしても竈門兄妹が困窮する未来が見て取れるあの展開は釈然としないものがあります。
クライマックスで無惨と対峙しているときの炭治郎の脳内に禰豆子のことはなく、炭治郎の魅力であった「家族思いの長男」というキャラクターは崩壊してしまいました。
ねずこはせっかく人間に戻れたのに、対峙した兄は無惨の血を浴びて鬼化しかかっていた。こんな虚しいことないでしょう。
鬼滅の刃は終盤に向かうにつれ炭治郎が鬼討伐に取り憑かれ正気で無くなっていき、炭治郎が元来振りまいていた慈悲を善逸や伊之助、義勇といったサブキャラが補っていた様な気がします。人気投票で炭治郎の順位が下がったのもこういった背景があるのではないでしょうか。
児童婚が一方的というのは、児童の判断能力が未熟だったり、扶養してもらっていて逆らえないから?
児童と同程度の判断能力であり、自立の難しい重度知的障害の成人の結婚も一律に禁止されるべきなんだろうか?
それとも成人している時点で健常な成人と同様に扱うべきなんだろうか。
実家が太い方だと思う。
私立4大でて授業料も卒業まで入っていた寮費も仕送りも親もち。
(私が成人してから3台に増えたけど)
今は結婚してとある都会に住んでいる。フルタイムで働いている。
世帯年収は大人二人がまあ多少贅沢しても毎月貯金はできるくらい。
そんな状況なんだけど、
正直人生でお金に困ったことあったか?みたいな認識なんだけど、
「貯金できない」じゃなくて「貯金できる余力があるのに全額消費しちゃう」人ね。
無理に捻出することはないと思う。
一度扶養に入ったけど生活費(食費とか通院代とか)にほぼ丸々消えて
夫に「食わせてもらってる」状態が怖かった。
(夫は無理に働かなくていいよ!って言うタイプだし、
正直それだけでも暮らしていける)
そんなに必死に働かなくても良いのでは?って考え。
まっっっっっったく共感できない。
未成年の頃はいざしらず、社会人になって自分で自由に使えるお金がないって不安にならない?
いやきっと、親からもらったものも夫のお金も自由に使っていいんだろう。
服を買ってもネイルやっても、美容院も喫茶店でも何もかもやっていいんだろうな。
でもそれができない・・・
人が許しても「すねかじり」の自己意識が巨大すぎてできない。
この先の人生で私が社会から不必要とみなされ、働き口がなくなり、ランニングコストに切迫して
自分が価値のない人間だと今より強固に思い込む前に貯金をしなければ。
貯金さえあればそれは私の目に見える実績になる。
貯金さえあれば、何かが起きても多少はなんとかなる。
そう思ってしまう。
いや、違うな。
「働いてる」「貯金できてる」だから私はちゃんと大人になれてる。って認めてほしいんだろな。
誰に認めてほしいのかはわからんけど。
うちの会社には51歳を超えると退職金を割増してくれる制度があるので、55歳ぐらいで退職したいと思っている。
今まで有無を言わさず2〜3年に一度異動させられ、やっと慣れたと思った仕事から切り離されて新しい仕事を覚えないといけない生活を繰り返した。私は何か特定のジャンルに秀でた専門家になるのが憧れだったし、異動するたびに新しい仕事を覚えないといけないのと、仕事を選り好みできないのがすごい苦痛だった。代わりに給料はそれなりにもらえた。扶養家族を抱えているとあっという間になくなってしまうレベルだが、バツイチ独身の自分には充分すぎるぐらいだ。
で、それなりに貯金もしたし、住宅ローンも終わらせたので、私はこの仕事を辞めたいのだ。が、今の会社に勤めているというのがうちの親にとっては非常に安心感を与えていたらしく、「給料が下がっても良いから、今の仕事をやめて好きな仕事をやりたい」というと訳の分からないことを言って反対してくる。
50歳が近づいてきて、だいぶ退職が現実的になると、理解ありげなことを言うようになってきたんだが、やりたい仕事に近い職場の名前を出して、「あ〜ここでアルバイトでも募集してないかな」とか言うと、「お給料すごい下がるわよ」「通勤が遠いじゃない」とケチをつける。
元々あまり金儲けにならなそうな業界なので、給料が下がる覚悟がないならそもそも転職を考えてはいけないのだ。そもそも雀の涙でも良いからその仕事でお金を稼ぎたかったら、業界関係者とコネがあるところに行くのが早道ではないか。それに通勤が遠いと言ったって同じ東京23区内だ。別に移住とか新幹線通勤をしなくてはいけない距離ではない。実家はかなり便利な場所にあるので、母の距離感覚はちょっと狂っているところがあり、電車一本30分以内におさまらないとすぐ「遠い」となる。
本当は住宅ローンが終わった時点でもう辞めたかったのだが、結局退職金の割増が当てにできる歳まで我慢したので勘弁してほしい。私には財産を残すべき子どももいないので、自分の貯金は自分で使い果たして良いのである。葬式代程度の生命保険には入っているので、誰かが私の死の後始末をしてくれるなら最低限の葬式をして、あとは自分の懐に入れてくれて良い。私には弟と従姉妹がいるが、どっちともそんなに積極的に連絡しているわけではないので、後始末をしてくれるかどうか分からんけど、血縁関係的に彼らのどっちかにとばっちりが行く可能性が高いと思う。
転職したい先も本当に私に向いている仕事かは分からないけど、とりあえずやりたいことにチャレンジしてみたいんだよ。何だかんだと実家の両親を精神的な支えにして生きてきたので、両親の言うことに反対しにくいんだが、早く今の職場から自由になりたい。
10代は金もないし、扶養家族だし、大学受験とかで勉強メインで
20代も理系は実験だレポートだで思ったより大学は忙しく、就職してからも仕事して帰って寝るような感じ
30代 周りの成功者と比べると結構な積み重ねの差がついていて、現職のキャリアとスキルだと潰しが効きづらいなと思いながら後輩指導したりして
そして現在アラフォー。成功者ですら家庭とか仕事の責務で忙しさに埋没し、良くも悪くも落ち着いてきてるような年齢。
繁華街とか歩くと20前後くらいの若い人達が多く(コロナのせいもあるかもしれないが)
バブル崩壊からリーマンの長期不況で停滞し、コストをかけた新たなチャレンジや人件費などのゆとりが取れず
上の世代が輝いていたと思ったら、自分たちを飛び越して次の世代にメインが移ってしまった感がある。
自分が何者かになるかなんてもう求められていない年齢。自分の今出来ることで金を稼いでいかにゃならない。
男は自殺率が女より高いという話から「男はコミュ障の強がりでストレスを溜め込むからね。でもワタクシはママじゃないし男のストレスは男で解消してね♡」というクソみてえな主張が最近目立って来たので書く。
男性の自殺率が有意に高いのはコミュニケーションが下手とかそんな話ではなく(だいたい下手なんじゃなくてプロトコルが違うだけだろ)、受けているストレスの量が多い≒背負っている責任が重いせいだ。男性自殺の原因トップは経済的な困窮であり、それは友達と話をしたところでそいつが連帯保証人のサインをしてくれない限りストレッサーから逃れる術はない。
日本社会は未だにジェンダーの縛りが非常に重い。扶養控除なんて制度もそうだし、親権が母親に無条件に寄るのもそうだし、医学部の女子に対する入試差別、職場での男女雇用の不均等…あらゆる場所で昔からある「男は仕事、女は家庭」が幅を効かせている。
社会の主役は男性であり、女性は家庭や私的空間を守るためのもの、というのは建前としては消滅したが、未だにあちこちに実在している。
この点については男性も女性も概ね合意が取れると思う。男女差別が存在しないなどと思っている奴はほとんど居るまい。
さて、そうした男性特権の向こう側には特権に比例した責任が発生する。中世の貴族であれば権威を継承する者として、共産主義国ではブルジョアを打倒する模範的同志として、そして資本主義国としては経済の主体としての責務を自動的に背負う。資本主義国で生まれた男子は、程度の差こそあれ「自分が今日の糧を食いつなぐ」という理由と並行して「国家構成員の責務」として金を稼ぐことを求められる。女子は、差別によってこの社会の責任から排除されているのでこれを背負うことはない(多少解消されつつある現代的に言えば「少しは背負っている」が)。
ここで「男ってバカね、意地なんて張らずにそんなの捨てちゃえばいいのに」なんて思った人間も居るかも知れないが、国家がそのイデオロギーを維持しているのはどこかのハンコついた文書に書いてあるからではなく、常に社会の構成員の大多数がそのイデオロギーを実践しているからであり、それが維持されない、誰もが気軽に社会的責任をポイしちゃう国家はその国体が維持できない(ナウルみたいになっちゃうぞ)。気軽に捨てちゃえばいいなどと言ってのけるのは、それこそ責任を持たない者の発言である。
つまり資本主義イデオロギーからの圧があり、男子は絶えずその圧に晒されている。そしてイデオロギーそのものを否定することは不可能(本当は可能ではあるが…今の所資本主義よりうまく行ったイデオロギーがない)で、プレッシャーから逃れる術はない。立身出世しなければならない。大人になったのに親に食わせてもらうことは恥だ。子供部屋おじさん。勝ち組、負け組…そんな言葉が未だに現代に漂うのはこうした圧力が実在することの証左である。
翻って女子の方は、差別によって権限を剥奪されているので社会的な責任が薄い。出世しなくても馬鹿にされないし(させないのだから当然である)、本人が無職を望んでも多方面からごちゃごちゃ言われない(ごちゃごちゃ言われるのは逆のバリキャリとして生きるときだ)。親に扶養されてて情けないと言われることもないし子供部屋おばさんなんて言葉もない。逆に家庭に対しては男子より多くの責任を負わされ、子供の面倒(母乳信仰など最たるものだろう)や地域コミュニティの行事など多くを強制させられるのだが。
この権限と責任の差によって男子は敗北が許されず、弱音を吐くことが認められにくい。責任を果たすために特権を得たのだから負けてはならないし、負けたら資本主義イデオロギーの実践者としてはもう後がない。実際には福祉がありそこに落ち着くが、資本主義イデオロギーの強いアメリカが福祉をアカ扱いする性質があるように、福祉の世話になることはほぼイコール資本主義社会の責任から降りる事を指すので、圧を受け続けた人間ほどここで死を選んでしまう可能性がグンと上がるのは想像に難くない。こうして経済的困窮による自殺が男性に寄る。
フェミニズムの運動とはこうした性差別を排除し、社会へ進出し、女性に強制させらた役割にNoを突きつけ、男性だけが得られた特権を女性にも等しく分配させるための闘争である。
よって、男性から回収した権利には当然責任が伴う。男と同じく、資本主義の無限の競争へと身を置く責務である。社会進出とはつまりはこういうことであるし、少なくとも初期のフェミニズム、ウーマン・リブ運動においては責任ごと請け負う気で女性たちは動いていたと思われる。
少し前に「フェミニストだけど彼氏に養ってもらいたい」といった大学生の記事が出ていたが、とんでもないことである。それは「5000兆円欲しい!!」とかと同義で、お前今まで大学で何勉強しとったんや、教授もうんうん言ってる場合じゃねーぞ、と思ったものだ。
遡って表題の話をするが、こうした権限移譲によって男が抱えて離さないもの…そして背負わされているものを女も手にするということは、奪われたものを取り返す事であると同時に、一つのものを両者で分け合って背負うということでもある。つまり男性の自殺率が高いという話に対してフェミニズム的にすべき話は「こっちも働いてやるから権限をよこせ」であり「男性のことはアテクシは知りませんわよ」などという態度を取るということは、結局のところ未だに自分は社会の中央でなく、主たる責任はどこかの誰かの男性がやってくれるという態度そのものであり、フェミニズムから最も遠いあり方である。
余談であるが、自殺数の男女差でなくそもそも絶対数が他国より多く、過労死がそのまま英語になっている不名誉な現状については上記のジェンダー論ではなく労働問題のレイヤーである。ジェンダーは受ける責任というベクトルを決定付けるもので、その方向に従って加圧されるパワーは純粋な労働量に依存する。そもそも我が国の働きすぎ問題がマシになっていれば、比率はともかく絶対数として死んでいる人間の数は減っていたであろうことは自明である。個人的には、女性が男と同じく過労死するほど働くよりは、男女がそれぞれほどほどに働く未来を夢見たい。