はてなキーワード: 扶養とは
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論調に疑問を感じたので書く。
既に指摘されているとおり、結婚制度は「出産・扶養というコストを払って社会維持に貢献すること」への対価として法的優遇を行うことを主旨に設計されている面が大きい。
その意味で、「扶養する子を持たない夫婦」というのは制度上の穴をつく存在であり、法的優遇のみを得ているという点でフリーライダーである。(そういった属性の方を非難する意図はない。あくまで制度設計の話)
結婚と出産・扶養が一連のものとして考えられた時代には、この設計は自然なものであったんだろうとは思う。
「異性婚限定で法的優遇がされているのは差別的(あるいは不合理な格差)だから、性別や性愛の有無を問わず婚姻の条件を緩和すべきだ」という論がみられるが、
そもそも「子育てを行わないペア」を優遇している(優遇しうる制度になっている)のが不合理なのであって、不合理な優遇を享受する対象を増やすのは修正の方向が逆である。
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もうひとつ。
個人主義的な立場に立つのであれば、「パートナーはいてもいなくてもいい、また何人いてもいい」というのが理想像であるべきだと思う。「結婚制度無くなれ」というのが個人主義的には正しい態度。
「パートナー関係に対する結婚相当の法的優遇制度」は「独り身への差別・格差助長」になるってことを認識する人が増えるといいなと思う。
法的優遇はあくまで公共財の生産(子育て)に対する対価という根拠で設計されるべきで、そうでない優遇は差別です。
「お前は子供を公共財だと思ってるのか(お前は国のために子供を育てるのか)」的なことを言う方も見かけますが、むしろ次世代に安定した社会を渡したいと思うのが親心ではないのでしょうか。
うちは先祖代々の借家暮らしの貧乏で、父親の年収は300万(当時。今はもっと低い)で、母親は扶養内パートで、当然進学先は公立の中高で、誰か一人でも働かなければ一家で首を吊るしかない家庭。
介護付き老人ホームなんか当然入れるはずがないし、そもそも借家の賃貸料も歳を取るにつれ辛くて、ずっと公営住宅に申し込んでるけどいっこうに当たらない。
妹がいて、その妹は先に結婚して家を出ていて、ちょうど子供が産まれるか産まれないかという頃だったと思う。
「自分はモテない上に顔も性格も悪く稼ぎもよくないからどうせ一生独身だろうし、いずれ金に困って自殺することになるだろう。だったらどっちかの親がボケたらその親と一緒に死ねば妹やもう片方の親が楽になるかな、特に妹の新しい家庭には迷惑をかけられないし」と本気で思っていた。
そう思っていたので口に出したらタイトルのような事を母に言われて泣かれた。
「お金がない、子供に迷惑をかけたくないからピンピンコロリで死にたい、延命治療はしたくない」と常日頃から言われていたので、そこで人殺し呼ばわりされるかとだいぶ意外に思ったが、それが普通の人の考え方なのかと認識を改めた覚えがある。
なお異常なきょうだいの人殺し宣言は妹にも伝えられたようで「いきなりそうはならんやろ、そこはきょうだいで相談しながらどうにかして行く所やろ」と妹からは窘めを受けた(とはいえこの妹も独身時代は貯蓄ゼロで親兄弟から金を借りるレベルだったのであてにする発想がなかった)。
地方都市住まいの子なしの30代夫婦の旦那の年収が420万。嫁は扶養に入っている。よくあるタイプなんだけど、今の生活スタイルを崩すと将来が全然見えない。
幸い、旦那の職は不況からの影響は多少流せるので収入が極端に減ることはない。だけど将来設計は厳しいんだなってシミュレーションしたらつくづく思った。
今は月7万くらいは貯金できているけど、そもそもお互いに貯金を余りしていないから100万も貯まっていない。ここで万が一大きな病気やクルマの事故、家族が増えるなどのイベントが発生すると、それだけで老後が厳しい状態だ。せめて生涯収入が支出の倍くらいあればいいんだけど、トントンってまじで笑えない。転職するか副業かな。
俺は10年以上前から経済記事を沢山ブクマしてきて、ここ5年くらいははてブは卒業しているんだが、BIや給付付き税額控除、負の所得税に類するアイデアには基本的には賛成だ。社会制度を最適化していけば自然とそれらに近い制度に行き着くことになるだろうとも思っている。ただ日本がその段階かというと、俺はそれを正確に推定するための情報を得る行為をもうしていないし、印象ベースで語らせてもらうなら日本のこの分野の偏差値はかなり低いと考えているので、「百年早いわ」といった感想しか抱かない。日本人としては百年ほどコールドスリープしたい気持ちでいっぱいだ。
しかし、この類の制度について反対する強力な根拠のようなものがあるとしたら、それはズバリ、「全国民が日本の扶養となるに等しいから」それに尽きる。
つまり、国民のパパたる日本がグローバル経済からリストラされて、日本円の価値が急激に毀損されれば、よほどストイックかつ万全に国に頼らない生き方を確立済みであった人以外、一斉に餓死するレベルの困窮に直面するリスクがある。万人にとって万能のセーフティネットが、万人にとって一律無意味なセーフティネットに一気に変化してしまったとき、経済というエンジンを再始動するボタンを押せるだけの電位が生み出せない状態になってしまう恐れがあるということだ。