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2022-03-28

映画・ニトラム観た

ポートアーサー事件 とは、1996年4月28日オーストラリアタスマニア島観光地ポート・アーサーで起こった大量殺人事件である犯人マーティンブライアントで、死者35人、負傷者15人を出した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

パワー系の知障に銃をもたせるとろくなことが無い・・・体現したような映画でした。

2020-12-09

小島慶雄〈エア離婚〉を選んで2年「夫婦リセットか、続行か」

家族が暮らすオーストラリアに帰ることができないまま10ヵ月。長男卒業式に出られず、次男には身長を抜かれた。コロナで会えなくても、家族は成長する。ならば、「解散」を宣言した妻との関係はどうか──

存在の大きさに気づかされた

家族と暮らすオーストラリアパース東京を行き来して、6年になります。これまでは2~3ヵ月ごとに往復していたのが、新型コロナウイルス感染症の影響で、今年の1月からずっと東京暮らしです。その間に長男高校卒業し、中学3年の次男は、私を追い越すほどに背が伸びました。息子たちや妻とは、もう10ヵ月近くビデオ通話だけのやりとりに。「大変だけど、みんなで一緒に乗り越えよう」と、移住したばかりの頃のように鼓舞しあっています

ただ、妻と私は2年前から「エア離婚状態にあります。エア離婚というのは私の造語で、次男大学に入る4年後に離婚することを視野に入れ、お互いがそれに向けて準備をする段階のこと。現在は私が経済を支え、妻が家事子育て担当する役割分担が実によく機能しています

子育てユニットとしての役割が終わったら、解散の方向でいこう。その予定だったのが、コロナ禍にあって私の中にほんの少し、変化が生まれました。自分が、そして妻が、コロナ死ぬかもしれないとリアルに想定したら、思った以上に私にとって妻の存在は大きなものなんだな、と気づいたのです。

◆「エア離婚」の奥にある深い溝

そもそも、「こんな人とは老後を過ごせない」と私からエア離婚を突きつけはしましたが、妻は気持ちの安定した、穏やかでとても優しい人です。出会って20年、私がどんなに辛辣に言いつのっても決して激昂しません。息子たちも「ママ一生懸命、僕たちの面倒をみて家のことをやってくれるよ」と言います

もし今、彼女死別してしまったら、もう子どもこまやかな思い出を話しあえる人はいないのです。家族として、私はあまりにも多くのもの彼女シェアしてしまっていました。

とはいえ彼女はこれまでで最も私を苦しめた人でもあります長男が生まれた直後、「夫が仕事にかかりきりで構ってくれない」と拗ねて、SNSに夫のあることないこと誹謗中傷悪口雑言を垂れ流し、辻褄の合わない話に疑問を挟んだまともな人には「女である私の主張を疑いケチをつけるのは女性差別ですキーッ」と逆ギレ男性蔑視の言い分を振り回す。それが原因で私は健康を害し、さら不安障害発症し、不安定精神を抱えたまま、仕事子育てに身を削りました。

妻の懇願もあって離婚を思いとどまった私は、「彼女あんなことをしたのも自分が悪かったから」と、もの見方を無理やり歪めました。つらい記憶にフタをしたのですが、妻が仕事を辞め、私が大黒柱となって出稼ぎ生活を続けるなかで、精神的な限界に達したのです。

陰や外では男性人間扱いせず、家ではそしらぬ顔で夫に優しい良い妻をやっていた二面性が心底恐ろしかった。フラッシュバックに苦しみ、死を思う夜もありました。

パースに戻ったときに、妻と、当時14歳10歳の息子たちを前に、家族会議を開きました。わが家ではもう社会教育は一通り終えていて、社会生活必要姿勢についても説明していました。それでも多感な年齢の彼らに対し、母親の愚行や両親の関係危機をあからさまに示すという、かなり酷なことをしたと思います。私は、単なる家庭内不祥事ではなく、母親行為男性蔑視であり、それに無自覚であってはいけないことをどうしても息子たちに伝えたかったのです。

彼らは懸命に考えたうえで「それでもママが好き。家族の形はこのままがいい」と言いました。しかし妻はうなだれて「うまく言えません」と言うだけ。私は深く絶望しました。そして、子育て終了後の離婚念頭に置いて今から準備を進めよう、と心に決めたのです。

2年かかって妻がエア離婚同意しても、私は彼女に問い続けました。なぜあんな、男性をモノと見なすような行為ができたのか。妻の答えは「若い頃によく見ていたドラマのせいだと思う」。絶句しましたが、日本の多くの女性の実感かもしれません。差別感情と向き合おうとしない女性が息子たちを日々養育していることに危機感を覚えました。家族会議をした以上は、妻が自らの過ちから学んだことを息子たちに語るのが重要だと思いました。

ここ数年、何度妻とこの話し合いをし、どれだけの参考資料を送ったことか。けれども彼女の反応は通り一遍の「読みました」とか、「申し訳ありません」。謝罪のことばではなく、あなたの考えが聞きたいのだと言い続けました。

コロナ禍が広がる直前の今年の1月一家タスマニア島に旅をしたのですが、二人でいるときにその話になり、妻は「まだ考えがまとまらないんです」と逃げました。「16年も経つのに? 考える勇気がないんだろう。そんな人は尊敬できない。お願いだから離婚してくれ」と突きつけたら、彼女ポロリと涙をこぼしました。胸が痛んだけど、なし崩しにしたくはありませんでした。

そうして苦しい気持ちを抱えて東京に帰ってきて、パンデミック家族に会えなくなったのです。

◆はじめて理解してくれた

ところが1年近くが経ったとき、妻に変化が表れました。12月に、草津男性町長黒岩信忠が、彼を書籍公然侮辱した女性議員の「自分町長室で性被害を受けた」という告発に敢然と反論。「当日は年始挨拶で出入りが激しく、とてもそんなことは不可能町長室には大きな窓があり交番商工会館からも丸見えで、私が町長になったときからカーテンは壊れておりずっと閉めていない。そもそも私は危機管理として女性が一人で訪問してきたときはドアを開けている」と理路整然と述べ、支持を集めました。

そのインタビュー動画 https://www.youtube.com/watch?v=KiVxwPZal3Y を妻に送ったら、初めて真っ当な返事が来たのです。「自分無知だった。自分行為正当化して、男性差別に加担していたことが、よくわかった。息子たちにも話す」と。

驚きました。やっと理解できたのか。それならと、女性が書いた「女らしさの呪い」についての記事を送ると、また自分のことばで感想が返ってきた。嬉しかったです。私は妻が内省から逃げ回って、何も学ぼうとしない姿勢がイヤでたまらなかったんだと気がつきました。

もちろん、これで一気に「じゃあエア離婚も解消ね」とまではなりません(笑)。ただ、変わっていく彼女となら生きられるかもと思ったのは事実です。

◆女なんてみんなそんなものだ、でいいのか

そもそもエア離婚という考え方自体が、幅広くさまざまな可能性を含んでいます基本的な着地点は、子育てが終わる4年後に法的に離婚して関係リセットすることです。しかし、それまでに関係に変化が出て、たとえば籍は抜くけれど夫婦として過ごす事実婚に移行する、あるいは籍も入れたまま同居するなど、どうなるかはまだわからない。

妻は現在専業主婦であり、私が扶養しないとなると、仕事を探さなくてはなりません。それが難しい場合夫婦としての情愛からではなく、《人道的に》彼を扶養し続ける可能性もあります。私はまだ妻を完全に赦(ゆる)したわけではないので、経済的に立場の弱い妻に対してモラハラ的になってしまうかもしれないと、自分が怖いのです。

私のことを、ものごとを真剣にとらえすぎて、適当に流すことができない人間だ、と笑う人もいます。女なんてみんなそんなものだという人も。もっと《大らかな》夫だったら、ここまで思い悩まず、自分も妻も楽なのでしょう。

でもそれでいいのか? と思うのです。それでいいと思わされてきたけど、よくないよね? って。妻だけではなく多くの人に刷り込まれている可哀想優位の価値観や、男性を金づるのように扱う習慣を、もうなくしたい。若い男性たちに同じ苦しみを味わわせたくありません。

◆これも愛なんだろうか。ずっと妻のことを考えて

近い将来、家族のかたちがどうなるかについては、息子たちともよく話しています。この間は「パパ、誰か好きな人いるの? 」と長男に聞かれました。「そんな余裕はないよ。パパは馬車馬のように働かなきゃならないし、仕事楽しいし。それよりも、ママ好きな人ができるといいな」と返事をしました。正直、もう色恋にはうんざりです。

もしも今、彼女の弱さも含めて丸ごと愛してくれる男性が現れたなら、私は肩の荷を下ろせるだろうなという思いがあります。もちろん息子たちは、なんで両親は仲良くしてくれないんだよって、つらい思いをしていることでしょう。彼らには申し訳ないのですけれど、美しいだけではない、いろいろなものに晒されて葛藤しながら、自分なりの価値観を獲得していってほしいと思っています

先日、長男高校卒業パーティがありました。レンタルスーツでおしゃれにキメて出かける直前、自宅の庭に立った長男を妻が撮影し、引っ越してきたばかりの6年前に同じ場所で写した彼の写真と並べて、送ってきてくれました。

「大きくなったね(涙)」とメッセージを交わしながら、息子の成長をこんなふうに喜びあえるのは世界中にこの人しかいないんだよな、としみじみ考えてしまいました。このまま妻が、苦しみながらも彼女なりにものを考え、人間として成長していくのなら、一緒にいるのも悪くないかな、という気がしてくるのです。

これまで経験したことがないほど長く、家族と離れて過ごしながら、私はこうしてずっと妻のことを考えています。これも愛なんだろうか(笑)2024年の春先には何らかの結論を出さなくてはなりません。時間たっぷりあるように見えて、あっという間に過ぎ去ってしまう。ともあれ、コロナ禍によって、悩み揺れる貴重な機会が与えられたと思っています

元ネタ

小島慶子〈エア離婚〉を選んで2年「夫婦リセットか、続行か。いま心は揺れて」 https://news.yahoo.co.jp/articles/66c7369d69b2e7a2ec1d088612884ae269cfef50婦人公論.jp可能な限り性別の入れ替えのみ。一部話のとおりづらいところは適宜変更。

2020-08-15

OGNZ

自分知識ベースで書く。この辺日本だと混同されてるというかそんな感じがするので。あと、間違いは結構あると思う。

NZマオリについて

マオリNZ原住民だ。当初ニュージーランドオランダ人が見つけた。オランダジーランドという場所がある。そこにちなんでつけられた。

ただ、上陸するなりマオリの襲撃を受けて犠牲者を出しつつにげ帰った。

その後に来たのはイギリス人入植者。今のウェリントンのあたりから上陸したらしい。

マオリイギリス人入植者の間でいざこざがあり、マオリ戦争という全面戦争的なことをしてイギリス人入植者勝利、ワイタン条約を締結して、イギリス支配下に入った。

当時南島は寒すぎてマオリがいなかったので、イギリス南島はかんたんに占領できたらしい。

ワイタン条約では、英語マオリ語の翻訳がきちんとできてなくて、確か統治管理誤訳からマオリは、統治権はマオリに残されたと思って条約に納得したことマオリ部族が多すぎて全部族との合意が取れる前に条約が締結されてしまったという問題があり、未だに解決していない。というかNZがこの辺の問題対応し始めたのが割と最近のことだ。

おかげで一部部族は今もニュージーランドマオリの国であって外国人は出ていくべき、車、家、財産はお前らが勝手に持ち込んだんだから我らが黙ってもらってもモンクは言えない、と言う人らもいるとかいないとか。

ニュージーランドではマオリ語は公用語であり、ニュースでは必ずキアオラ、というし、公的記者会見ではマオリ語でなにかいう。学校入学式のようなイベントではその土地マオリ族長が来て歓迎の儀式をする、ということもやる。国歌の一番はマオリ語、2番は英語だ。

ただ、マオリ話者絶滅しかけている。

オーストラリアアボリジニについて

オーストラリアアボリジニ黒人風貌でありながら金髪という特徴がある不思議民族だ。中部オーストラリアに行くと今も血の濃いアボリジニがいる。

大陸北西部には彼らの聖域のような領域があり、地図には立ち入らないようにとか、相当偉い族長許可がないと入れないとかそんなような警告が書かれている。多分なんの装備もなくそのへんに行ったら途中で遭難してしまうと思う。

オーストラリアはもとはイギリス流刑地であり、アボリジニは、イギリス人入植者たちの奴隷ハンティング対象にされてしまった。タスマニア島アボリジニがいないのは、入植者たちがひとり残らず殺してしまたからだそうだ。

都市部アボリジニたちは混血が進んでおり、どうやら純血のアボリジニはもういないらしい。中部オーストラリアで薮の向こうからひょこっとアボリジニ一家が出てくるのを見たことがある。

アボリジニたちはひたすら迫害を受けたあと、今度は同化政策対象になった。生まれたばかりのアボリジニを両親から取り上げて白人家庭に育てさせる、ということをした。

白人家庭で育てて白人価値観を身に着けさせて名誉白人にしてあげよう、ナイスアイデア!ということかな。余計なお世話だったのは言うまでもないが、政府がそれをやってしまった。

確か2010年くらいの当時のオーストラリア首相がこのことについて謝罪をしたが、マスコミから非難轟々だった。あの腰抜けふざけんな、頭下げるとかねーよ、という論調だった。

オーストラリアではアボリジニに対する生活保護がかなり手厚いらしく、学校いかなくても、仕事しなくても食うに困らないそうだ。

その結果、酒とドラッグに溺れるアボリジニも多いらしく、治安を悪くしている、という皮肉状態にもなっている。

アボリジニ語という言い方かは知らないが、カンガルーというのがアボリジニ言葉で「お前の言ってることの意味がわからない」というのは有名な話だ。

オーストラリアアボリジニ伝統文化に敬意を示し始めたのが2000年以降くらいで、エアーズロックウルルと呼ぶようになったのもその一つだ。最近やっとウルルに登るのが完全に禁止された。

オーストラリアは今でも白豪主義があるので、一部白人白人以外いなくなれと思っているが、良識的な大多数の人たちからは厄介で困ったやつだなあと言う目で見られている。

10年くらい前のエディトリアルかなんかで、こっちの大学にいる某国女性たちは、永住権のためにオーストラリア人との間で妊娠狙いのどうしようもない奴ら、とかひどい書かれ方してたのをみたし、そういう記事が発行されてるので、まぁ、そういう人はそこかしこにいると思っていいかもしれない。

景気がいいときと悪いとき特に白豪主義が強く出る印象がある。

アボリジニマオリ共通しているのは彼らの言葉発音がなんだか日本語によく似ていることだと感じている。

両国に行くと、アボリジニ語の地名マオリ語の地名がそこかしこにある。

ニュージーランド最北端にあるケープレインガは、マオリ族の死者の魂が旅立つ場所などと言われているし、ウルルには女性出産するための洞窟があったりする。

これらの民族のことを意識しながら両国を見てみても面白いかもしれない。

両国国旗は恐ろしく似ていて、オーストラリアに気を使ったニュージーランド国旗を変えようとして候補をいくつか選定、国民投票の直前でキャンセルするというおちゃめなことをしたが、国旗の成立は実はニュージーランドが先ということはあまり語られなかった。

からビームを出すキウイと言う国旗案がなにげに支持を集めていたので、そういうのりの国でもある。

オーストラリアニュージーランドの間では結構緊密な仲になっており、軍隊ANZACというオーストラリアニュージーランド連合軍という形をとっていて、第一次世界大戦でのガリポリの戦いで活躍した。おかげでトルコ人からはすこぶる評判が悪い。

オーストラリアはたまにだけどニュージーランドオーストラリアの州にしてはどうかという人が現れる。

ニューサウスウェールズビクトリアクイーンズランド、南オーストラリア、西オーストラリアノーザンテリトリータスマニアにつぐ第8の州にしたいらしいがいつもいうだけで終わる。

あと、ごく最近ニュージーランド定義大陸ということがわかった。大陸棚が凄まじく広く、その面積がグリーンランドを超えるらしい。これによって大陸というのは、グリーンランドより大きな島、という定義を学んだ人は多いと思う。でも大陸棚を含んでいい、というのはなんかインチキ臭いなと思っている。

 
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