朝一番の斎場はとても静かだった。
到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。
部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で
叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。
部屋はエアコンがつけっぱなしで
部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。
叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。
俗に言う、孤独死、無縁死。
叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは
同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。
たまに声をかけてくれていたそうで
本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。
叔父さんの部屋は最近の部屋で、
部屋中の空き缶。
叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して
部屋の中で飲んでいたらしい。
想像してみた。
独りでお酒をひたすら飲み続ける。
テレビとか見ていたのかな・
そんな姿を想像すると
どんな気持ちでいたんだろうとか
携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。
検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。
それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて
一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。
その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。
でもそれをしなかったということは
推測だけど、そういうことなのかもしれない。
できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。
それはわからない。
生きている間も、一カ月に1000円に満たない。
ほとんどなかったという事が読み取れた。
叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。
寂しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。
だから、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。
死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。
その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。
考えるだけで涙が止まらない。
同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう
叔父さんには何をしてもらったわけでもないし
付き合いもなかったから、
でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。
死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。
お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。
我が家ではそれが当たり前になっていた。
もちろん、叔父さんも然り。
私が生まれてすぐに父の父、
つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。
私の生まれた次の月に。
おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど
中3のゴールデンウィークに、亡くなった。
初めて、顔を見たのが亡骸だった。
その時の叔父さんの写真が残っていて
結構鮮明に覚えている。
ただ、
覚えているだけだ。
痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。
おばあちゃんが亡くなったのが15年前。
叔父さんは50歳を過ぎて、
はじめて独り暮らしになった。
で、去年。
そして、それから1年たらずで
叔父さんは、一人で亡くなった。
誰にも連絡せずに。
おそらく、飲み続けたアルコールが原因。
彼が拒否をしたのかもしれないけど
私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか
気にかけてあげるべきだった。
もっと小さい時から、叔父さんの事を
気にかけていてあげれば、
父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。
自分の手の届く範囲の人を
ひどく後悔している。罪悪感がある。
最低だ。
後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって
もうどうなにもできないのに。
可能性があったのに、
こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない
両親とは、心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
亡くなった人に優しくて
正直、人としてどうかと思った。
そうやって、私は家族と距離を置き
叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。
叔父さんの死によって
叔父さんの気持ちが、わかった
ほんとうに辛かったよね。
ごめんなさい。
そうやって
約一時間で、叔父さんは
ようやく荼毘に付された。
骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。
膝に抱いた骨壷は、
ずっと温かかった。
私たちじゃなと思う。
見送ってほしい人は他にいたと思う。
なのに、私たちが最後でごめんなさい。
最後にいけしゃあしゃあと出てきて
勝手に後悔してごめんなさい。
ただただ、
安らかな眠り、
私にはできません。
本当にごめんなさい。