はてなキーワード: 呼び方とは
高校数学まで、「自然数」は正の整数を指すものとされているが、
大学に入ると、フォンノイマンによる自然数の構成法からの流れで、「自然数」は0を含む正の整数として扱われることが多い。
だから、論文で「自然数」という言葉を使うとき(そして、花文字の「N」を使うとき)は、
序文かどこかで、この論文ではどちらの定義で行くのか予め述べておかなくてはいけない。
これって面倒なことだと思う。本文を抜粋していきなり読むと、「自然数」の定義を間違えてけつまずく可能性がある。
そもそも、論理性が大事な数学という学問において、なんでこんな曖昧な単語が残っているのか不思議だ。
なので、境界となる数を含むかどうかで「0を超える」「0以上」と言い分けるように、「自然数」という言葉自体も2つの言葉に分けるべきだと思う。
しかし、「0を超える整数」は「正の数」と呼べばわかるのに対し、「0以上の整数」は「自然数」以外の、それこそ自然な呼び方が思い付かない。
最高次係数が1である多項式のことを「モニック多項式」と呼ぶのだが、
この「モニック」に対応する日本語訳をいまだに見たことがない。いまだに、外来語+漢字の組合せで呼ばれている。
ちなみに、「最高次係数が1である」場合を特別に扱うのはn次方程式からの流れ。
最高次係数で左辺・右辺を割ってしまえば、方程式では最高次係数が1の場合だけ考えれば十分であるため。
そんな中学生でも理解できる単純な概念なのに、しっくり来る日本語訳が無いのが不思議だ。
今意識の高い腐女子(敢えてこう呼ぶ)の間で流行っているタグがある。
私は商業BLのオタクで、一般的には腐女子と呼ばれる一味にふくまれるが、私も腐やNLやホモという言葉は使わないようにしてる。
でも、それは、腐女子の嗜好(作中にない恋愛感情を見出して萌える性質)が腐っているわけではないだとか、男女の恋愛をノーマルと呼ぶことが悪いからだとか、そういう理由ではない。
そもそも男女の恋愛を好んで読まないので使う機会自体が少ないが、NLと呼ぶだけで差別主義者扱いされたら面倒すぎる。
それと、腐女子という言葉を使う時、私は男と男の関係を腐っているとは思っていない。
なのに突然「BLは腐った恋愛じゃない!同性愛を腐っているものとして扱うな!」と言われるのだ。意味がわからない。
この辺りは浅原ナオト氏のnoteで詳しく書かれているけど、私ふくめ腐ったものを好む人への偏見と、私たちが好んでいる対象に対する偏見は分けなければならないと思う。
私の周りには、『異性愛がノーマルだと思うけれどNLと呼ぶことによる面倒事を避けるためにNL呼びをやめた』人が多い。
多分私の周り以外にもいるんじゃないかな。
この、面倒だからやめておこうという考え方は、果たしてフェミニストの腐女子(敢えてこう呼ぶ)の本意なのか。
呼び名を使う深層心理から変われというのなら、呼び方をとりあえず変えろというのは正しい方法なのか。
もし、とりあえず言葉狩りをして使う人が少なくなっていつかいなくなれば結果として構わないということであれば、それは、まあ、いいのかもしれない。
私も、何かを腐った呼ばわりすることやノーマル呼ばわりすることにこだわっているわけではない。
でも、こうやってただの面倒な人間の集まり扱いされるようになるだけで、避けられるようになるだけで、集団の外にいる人の意識が変わっていく気はしない。
30代を迎えて数年がたち、つい先日、恋人ができた。
20代前半から半ばの間に2人ほどお付き合いした人はいたけれど、
どちらも数ヶ月の付き合いで自ら別れを告げてしまい、
いつも全力で振り切って逃げ続けていた。
こんなんだから、
もうきっと恋人もできなければ結婚もしないだろうと思っていた。
結婚したい気持ちもあるけれど、じゃあ過去に好意を抱いてくれた誰かと結婚できたか?
と言われると、ぜったいにできない。途中でゲロ吐いていたと思う。
これが私なのだと割り切っていた。
しかし、なぜか、ひょいとできた。
ひょいと現れて、ひょいと先日付き合うことになった。
自分でもどうしてこんなに事がスムーズに進んだのかよくわからない。
仕事や将来のことなどを考えるといろいろ不都合なことも多いのに、
一旦それは考えることをやめよう、好きだから。と思ってしまったのだ。
ただ、うれしい。
大事にしたいと思う。素直になりたいとも、思う。
「きっとそこまで好きじゃない」
「好き好きいうのは私らしくない」
「こんな反応を相手に見せるのは恥ずかしい」
つい、そんな風に、恋愛を思いっきり楽しもうとせず、こじらせている。
それが自分の恋愛をよろしくないものにしている自覚はあるので、
なるべく素直になりたのだけれど、どうにもどうしていいのかわからない。
独り身時間が長いので、一人での過ごし方も、寂しさとの付き合い方もわりと上手だ。
でも、「彼女」は、この年齢でもなったことがなさすぎて、どうしていいのかわからない。
彼女なら、こういうときどうするんだろう?私はどうしたいんだろう?
なるべく、自分の奥の方にある素直な感情に従おうとしているのだけど、
(ふだんは奥に行き着く前に妙な恥じらいや自尊心が全力で邪魔をしてくる)
やっぱりどうにもはずかしいし、むずかしい。
恋人でもなんでもない人とのセックスはいつも人任せだったから、
どうすれば相手が喜んでくれるのか、どこにどう触れればいいのかもわからない。
そんな私だけれども、彼は笑って楽しそうにしてくれる。
照れくさそうに、嬉しそうに連絡をくれる。
恐怖に思ったりすることが多かったけれど、
彼に対しては決してそんなことはない。
私は、彼に対してとても安心をしているのだ。
それなのに、私ときたら。
私からの反応は、今まで通りでいいのだろうか?
恋人になったのだから、もっと以前とは違う反応をした方がいいのだろうか。
スキだとか、恥ずかしくてキャラクター以外にはほとんど言ってことなかったけれど、
もっと伝えたほうがいいのだろうか。
でも、あんまりでれると、好いてくれた私のイメージと変わってしまうんじゃないか。
そうやって余計なことを考えては、躊躇してしまう。
何も考えずに、素直に動けばいいのに。
30代だけど、なんて考えずに。
彼は、とても私のことをほめてくれる。
私も、彼のいろんなところがスキだ。
いい関係が築けたらいいなと思う。
でも、自信はまるでない。
友達付き合いなら適切な距離の取り方とか考えることはできるのに
(それが正解かどうかはべつとして)
恋人として距離を詰める方法を考えるのはとても、とてもむずかしい。
でも、大事にしたい。
別に2020年に発売されたゲームというわけではない。というか、大抵はSteamセールで買った奴。
Endless Spaceが良かったことを覚えていたので買った。
買ったのは良いのだが、1と違って2はいまいちハマれていない。理由は良くわかっていないのだが、一応インストールは続けているので暇を見て遊び直すつもりだ。
鉄道網を中心とした交通会社運営シミュレーションゲーム。
A列車を知っている人間に対して言うが、TpF2で複雑怪奇なダイヤを組むことは出来ない。それどころかダイヤを組むことすら実質的には出来ない。というのも、このゲームは1850年頃から現代までを網羅する都合上、ゲームスピードが結構早く、隣町に辿り着くまでに数ヶ月かかるみたいな事が起こる。なので、ダイヤに拘るならA列車に拘るしかない。
C: SのDLC。確かボイロ実況を見ながら買った。
このDLCの要素は、まだやってない。
確かゆっくり実況を見ながら買った。いや、お薬ボイロ実況だっただろうか? どっちでもいいか。
Project Hospitalは2018年に出た病院経営ゲームだ。同年に出たTwo Point HospitalがTheme Hospitalの精神を継いでコミカルな方面に振っているのに対して、Project Hospitalの方はリアル方面に振っている。ただし、狂犬病は治る。あと、米国の保険システムをベースにしているので、日本とはちょっと違っていて、もちろんゲーム的な味付けはあるのだろうけど、契約した保険会社が客を送ってくるし、基本的には保険会社によって客単価――患者単価が変わってくる。あと最初に契約するのは保険無し。つまり……君達に500$とか請求するけど、破産しないよね? ということだ。
さて、Project Hospitalが何かというと、患者が死ぬ前に全ての処置を行えるように専門処置室を設置し、医師と技師、看護師を配置し、患者の命を繋ぎ止めていって大金をせしめるゲームだ。
まず、動線が悪かったら患者は死ぬ。必要な診察室がなくて何の病気かわからなくても患者は死ぬ。キャパオーバーしていて充分早く診察が行えなくても患者は死ぬ。そして、それら全てをクリアしてどの病気かわかったとしても、治療が間に合わなかったら患者は死ぬ。
ゲームの最初はそんなにシビアじゃない。総合診療科は基本的には軽い病気しか扱わないからだ。しかし、新たな診療科を開業していくに連れて難易度は上がっていく。
俺は最初の病院で、総合診療科の次にうっかり内科を開業させてしまった。数多の患者が肺に水を溜めて死に、病院の経営は悪化し、新たな施設投資は夢物語となり、そして、数多の患者が肺に水を溜めて死んだ。
俺はその病院を放棄し、別の病院を開業することにした。今度は整形外科から作ると誓ってな。
航空事故が血によって航空機の安全を確保してきたように、このゲームもまた、架空世界の患者の命を犠牲にすることで、より良い医療体制を追求する事ができる。
そして思うのだ。あぁ、ゲームで良かった、と。
理由はよく判らんが何故か買った。多分セールかなにかだったんだろう。Steamは魔境だ。セールと言うだけで特に遊ぶわけでもないジャンルのゲームがライブラリに増えている。怖い!
長寿シリーズの高評価リメイクだけあって俺が何かを言う必要も無いほどに良い。
一つだけ気にくわなかったのは龍が如く7のおま国だったが、無事解除される事になったので特に言うことはない。
と終わろうとしたが一つだけあったわ。どこでも真島のせいで真島さんのストーリーでの立ち位置が意味不明になってない?
C: SのDLC。確かボイロ実況を見ながら買ったが、その実況でこのDLCが使われているわけではなかった。
このDLCの要素は、まだやってない。
Wargameシリーズや、更に遡るとRUSEを開発していたEugen SystemsのWW2 RTS。
Wargameのように一定の制限の元にデッキを作り、デッキを使って戦うゲームだ。
さて、そのデッキを組むのがちょっと面倒だ。まず、Steel Division 2では東部戦線が舞台になるのだが、その中の師団(一部旅団じゃね? って気がするのもある)から1つ選んで、デッキを組むことになる。各師団は戦車師団であったり歩兵師団であったりして、それに応じて戦車が強かったり、歩兵が強かったり、砲兵が強かったり、航空戦力が強かったりする。あと、資源の増え方が師団によって異なる。だが、それを師団名とちょろっとある説明でわかるというのは難しくない? とは思うし、何よりどのユニットが良いのかわからん。俺はV号戦車がIV号戦車より強いのは知っていても、T-34-85こそが当時の万能戦車であることは知っていても、ナントカ歩兵がホゲホゲ歩兵より強いのかは知らないのだ。結局、俺はYoutubeを参考にお手軽デッキを組み、それから歩兵を減らして偵察を増やした。
ちなみに、パン偵(Aufklärungspanzer V――アウフクラルングスパンツァー フュンフ)は個人的に結構良いユニットなのではないかと思っている。
さて、デッキを組んだのでスカーミッシュに繰り出すわけだが、CPUが結構手強い。
俺みたいな弱者は戦車師団を元にした戦車デッキじゃないと勝つことが出来ないくらいには強い(どの難易度のCPUを選んだかは忘れた。Easyだった可能性はあるが、Normal的なのだった気もする)。
いや、ほんと歩兵師団でどう上手く立ち回るんだろうと思いながら別ゲーに逃避している。
Netflixでミート・イーターを見ていたらやりたくなって買った。
俺には合わなかった。
代わりに高い肉を買ってきた焼いた。
美味かったが、大自然の風味はしなかった。
大航海時代っぽい奴。面白そうと思って買ったみたは良いが、そこそこ近くでも移動するのに30分掛かり、さらに別の港までは逆風で60分ほど掛かったのでプレイ継続を断念した。
好きな奴は好きだし、ハマる奴はハマるゲームではある。
まだやってない。
たしかPS4で買ったのだが、PS4は弟に譲ったので買い直した。
スパロボはスパロボだが、ヤマト2199が出て来るという点で異色か。
版権の問題で難しいとは思うのだが、αやZシリーズをPC移植してくれないかな。
3D版Factorioと表現したくなるような奴だが、Factorioと違って原住生物の襲撃がないのがちょっと物足りない。
しかし、工場を立体的に構築するという点についてはFactorioとは違った面白さがある。
これは前からセイギャラ実況動画で知っていたのだが、ETS2以外にのんびりするゲームが欲しいなと思った時にセールで買った。
石灰を撒き、肥料を撒き、耕して種を植えてから肥料を撒き、除草剤を撒き、もう一回除草剤を撒き、そして収穫する。これらを全て違う農機を駆使して行う農機シミュレーター。
かつては農業シミュレーターと呼んでいたのだが、サクナヒメが出てからは農機シミュレーターの方が合ってるなと思って俺の中での呼び方を変えた。
ボーッとゲームをしたいときにするゲームの1つ(もう1つはETS2)。
一応ハンコンにも対応しているのだが、あまり合わない気がする。
クッキングする系ゲームだが、プロパン爆破ゲームと勘違いされている気がしなくもない。
まぁ、ケーキやクッキーを作れるようなDLCを買ったのは良いのだが、現実でやらんタイプの料理をコイツでしてもなんか面白くないなと思って結局本体だけやってる。
教授の動画のようにMODを増やしていくことで経済面が充実していくので楽しいのだが、今はE:Dに回帰してしまった。
この表現が正しいかどうかはわからないが、これはカイロソフトの『ゲーム開発途上国』の系譜にあるゲーム開発会社運営ゲームであると言って良いと思う。
似たようなゲームとして『Mad Games Tycoon』や『Game Dev Tycoon』がある。『Software Inc.』なども類似性があると言えるかもしれない。
City Game Studioは、複数のスタジオを運営できたりと、この系譜の現時点での完成形と言っても良いと思っていたのだが、『Mad Games Tycoon 2』が出ていたのでその判断は差し止めて置く。
ただMad~Tycoonのグラフィックは結構人を選ぶタイプなんだよなとは思う。
地下鉄駅のネットワークを営業するシミュレーションゲーム。
どうもロンドンのチューブをベースとしているらしく、東京の雪崩を相手にする必要は無い(そっちは多分STATIONflowがそんなのなのでは?)。
俺は捻くれているので、実況とは違って音楽系U-Tuberになることにしたのだが、あまりクオリティが高いとは言えない音ゲーが挟まるのがストレスポイントになって終了した。
ピラミッドとZUNTATAのスマホゲームをやっているので買った。
こいつは古き良きRTSに近くて、ただマップが球体であり、宇宙があり、そして、他の球体がある。
俺は古のConquest: Frontier Warsがゲームの原体験なのでこの手のゲームは好きなのだが、Steel Division 2の話で気付いたように、俺は弱い。
俺は弱いのだが、Planetary Annihilation: TITANSはそんな俺でも爽快感に満ちる事が出来る。なぁに、途中の趨勢が悪かったから何だというのだ? スーパーレーザーで惑星ごと破壊してしまえばこっちの勝ちだし、惑星を破壊すると言うことはそれがなんであれ、最高に気持ちいいのだ。
超細かくて楽しいことは楽しいのだが、このゲームをやっているとその時々の自動車産業史を調べたくなってしまって中々進まない。
例えば、このゲームの序盤はピックアップトラックを作って各国軍に売り込むのが初期資金を作り上げる手として有効なのだが、この時に自動車用エンジンの設計もすることになる。この設計をするときに、史実のこの年代だとどの程度のエンジンが開発されていたのかを参考にしたくなる。そしてそのたびに手が止まる。
そもそもピックアップトラックは1900年に存在しねーよとかは、まぁその通りだが(歴史上初めてのピックアップトラックは1913年に作られたし、メーカーの純正モデルになったのは1923年らしい)。
買ってインストールし直して起動していない。
Cyberpunk 2077が話題になっていたので買った。
なんか動画を見てゲームを買うことが多い年だったな、と思ったが、ゲームを知る経路がジャンル別のPV集から実況動画に変わっただけな気もする。
そして実況動画で受けた印象とは違うプレイフィールに気付くのだ。あぁ、実況動画って繰り返し作業はカットしているな、と(実際、俺も試しにYoutubeでの再生数2桁の実況動画を作ったが、1時間録画して使ったのは10分とかそう言う感じだった。序盤でそうなので、ゲームが進んで作業が増えてくると使用率は推して知るべしとなる)。
まぁ、でも2020年のメインは、PCクライアント版が投入されたピラミッドのアリスギアだったんだよな。フリック回避が暴発することはあれど、大画面とXBoxコントローラーでするシューティングゲームは息抜きには丁度良かった。丁度良すぎて数時間調査に費やしたことがあったが、あれも多分息抜きだったのだと思う。
そして俺はピラミッドの思惑通りにブキヤ沼にハマり、今はFAガールが2箱、メガミが4箱、創彩少女庭園が1箱、ギガンテックアームズが1箱積まれている。多分、少ない方だと思う。
左翼ではない。
ゆるく
せいぜいその程度。
元々はせいぜいその程度の話だったのに、
ネトウヨが極端な奴隷根性をさもウン万年前から普遍的な人間の行動模範であるかのようなもっともらしい屁理屈をゴリ押しして伝播し続けた結果がこのザマだ。
まったくたまったもんじゃない。
あと、リベラルを自称する人間は馬鹿すぎるからそう自称するのはやめたほうがいい。
今の時代の文脈でリベラルを自称することは本来の意味でのリベラルとはもはやあまりにもかけ離れすぎていて、そんなことを自称するのは、私はうんこした時にトイレットペーパーでちゃんとお尻拭いてますって言ってるのとほとんど変わらない。
じゃあ、なんて言えばいいかって?
まずセンター試験(今の呼び方しらね)なんて色塗るだけなんだし気楽にIKEA
二次試験の頃にはさらに状況かわって全国一斉ロックダウンとか来るから今からくよくよしてもしょうがない
想像よりもっとひどいことになるからいまから悲観して最悪想定しても心のダメージは減らないぞ
困ったらアルコールで頭ぶっ飛ばせばすっきりだ
まず始めに。私は空の軌跡からのファンである。そして、私は本作を数十分ほどプレイしてこのシリーズに”ようやく”見切りがついたつもりだった。ライターの紡ぐテキストの非常に強い癖が全く変わっていなかったからである。
「はは」「ふふ」「くく」を、まるで接頭辞の如く頭に付けて応酬される会話には、もはや嫌悪感さえ抱いていることをハッキリと自覚してしまったのだ。ここまでしつこいと、もはや冗句の領域である。
また、「寿ぐ」のように書き言葉と喋り言葉の区別がついておらず、辞書を引いて気に入ったから多用しているでは、と疑うほど拙さを感じる用い方は、逆に語彙が少ないからだろうとしか言いようがない。キャラの個性として利用されているのであればもちろん有効な手法ではあるが、作中ではまるで流行り言葉であるかのような扱いである。この点に関しては創では大幅に減ったとはいえ、やはり健在ではあったのだ。
流行り言葉のように使われていると言えば、「届く」もまた同じだ。これは武人の共通認識なのであろうが、いくら何でも多用しすぎである。ピンポイントで使えば閃の軌跡シリーズ特有の味にも思えるだろうが、現状ではあまりにも軽く、鼻につく言葉になってしまっている。
現状を打破する論理的な道筋を立てる前に、とかく精神論を展開するのもいい加減キツいものがある。精神の未熟な少年少女ならまだしも、リィンやロイドはそれぞれ教官、警官といったいい大人だ。既にそれが許されるような立場でも年齢でもないだろう。こういうのは要所でやるから響くのであって、常にそのような”醜態”を晒すのは見るに堪えないものがある。
このような価値観がまかり通るのは、全ての物事を主人公であるリィンやロイドを中心に考えているからこそだろう。その歪んだ価値観は新・旧7組という言葉に端的に表れている。登場人物は皆、何故か新・旧と呼び分けているが、本来であれば現7組以外は7組という括りで呼ぶ必要はないのだ。もっと言えば、現7組の人間に対し、新7組と括るのは無神経というものであろう。リィンさん。あなたはこの子らの担当教官なのですよ、と言いたくなってしまう。
原因は既に述べたように、世界の中心をリィンだと思っているからである。リィンから見れば彼の生徒は新であり、級友は旧なのだから、確かに彼が世界の中心であれば皆そのような呼び方をするだろう。そして、それが実際に行われているのである。だからこそ登場人物はライターの操り人形にしか見えない。リィンが好き過ぎて彼個人に設定が堆く盛られていくのも、書いていておかしいと思わないのだろうか。
これを強力に補強しているのが好感度システムだ。これはあらゆる関係性を主人公にのみ閉じる呪いである。サブにも何かしら関係性が見えるのは空からの登場人物ばかりなのは本当に酷い。これは何も皇子の結婚やアガットとティータのような恋愛模様だけを指しているわけではない。紆余曲折を経て家族になったレンとカシウスの微妙な距離のように、時と共に関係性が進んでいるのはシステムとライターの作り出した価値観により雁字搦めになっていないキャラに限られているのだ。
リィンの級友、または教え子達の横の繋がりなど、あってないようなものなのは既プレイ者なら分かることであろう。端々に会話が交わされている場面は申し訳程度にはあるが、誰と誰の仲が良いのか、などというのは全く感じられない。リィンを通してしか付き合いがないのではないかと疑うほどである。例外はシステムの軛から抜け出せているユーシスとミリアムぐらいであろうか。
展開のワンパターンさ加減にもうんざりである。ゲーム後半で、敵に援軍を呼ばれる。そこに駆けつける意外な仲間。という展開があるのだが、これをきっちり3ルート分やるなど正気の沙汰ではない。しかもその意外性というのが、全てあえて敵側に潜り込んでいたというものなのだ。そう、3ルート分全てである。ここでは本気で頭痛を覚えたものだ。プレイヤーを馬鹿にしているのかとも思えたのだが、一体どういうつもりでこういう展開にしたのであろうか。素で燃える展開だと思っていたのだろうか。是非聞きたいものである。
さて、ここまで読んだのであればお察しの通り、無事投げ出さずにクリアまで遊べたのだがその理由はCルートの存在に尽きる。決まり切ったテンプレ展開と、森羅万象が主人公に収束する精神論ありきの価値観に支配されておらず、真っ当に面白いものだったからだ。テキストの癖も完璧に抜けている。危うく完全に積んで、今度こそ本当にシリーズにも終止符を打つところだったのだが、せめてCルートまで進めてからコントローラーを置こうと予め決めていたのが幸いした。
あからさまに下敷きに某アニメを使っているし、何処かで見たような要素が目白押しではあるが、上手くミックスして、さらにルーファスのキャラを壊さずに馴染ませてある。いつものライターが書いていればやはりルーファスにしか矢印が向いていない関係性しか作れなかっただろうが、このルートは別のライターが書いているためそのようなことは一切ない。
このルートはウェットすぎないのが心地良い。印象深いのが、人形達の中から本物のラピスを見つけるという場面だ。まるで直感や奇跡のパワーで分かったかのように思わせておきながら、実は発信器を付けていたから分かったのだというのは(本当であっても照れ隠しであっても)ルーファスらしいし説得力もあって非常に好感を持った。ライターのセンスにだ。
惜しむらくは、他の2ルートにリソースを吸われて明らかに尺が足りていないところだ。人形の中から探す場面も、欲を言えば一緒に旅をしたという体験をプレイヤーと共に積み重ねてこそより輝いたはずである。これは最終局面に至るまで響いている。また、スウィンとナーディアにはしっかりとした背景が設定されているのが読み取れるのだが、尺の都合でそれが披露されるのはかなり限定的なものになっている。思わせぶりな台詞だけで半ば放置に近いと言って良いだろう。積み重ねさえあればもっと良いシーンになったはずだという箇所が多く、惜しい気持ちで一杯である。
私は軌跡シリーズで紡がれる政治劇には、多角的な視点を持たずに作品自体がクロスベル独立こそ正義だと一方的に主張すること以外は一定の評価を与えているので、大まかな流れ、つまり起きた事件はこれで良いのだが、実際に描くのはCルートだけであれば間違いなく良作になっていただろうと確信している。
3つのルートが合流すると、あからさまにいつものライター節になってしまっているのも良くない。Cルートの残滓など欠片も残らず吸収されてしまっている。合流後のルーファスなどもはや別人である。本来の彼が再び顔を出すのは本当に最後の最後の局面だけだ。
全体を通した部分で改善したと思えるのはロボット大戦の大幅な抑制だろうか。いや、むしろまだ完全撤廃を諦めていなかったのかとも言えるのだが、極々限定的になったのはありがたかった。システム的にもお話的にも全くもって面白くも何ともない要素で、あまりにも邪魔すぎるのだが、この設定は次回作にも持ち越すつもりなのであろうか。せっかく作ったモデルを(次回作ではエンジンやモデルを一新するので)最後に活用したかっただけだと信じたい。
不満は多々あれど、Cルートに見た光明でまた見限ってしまうことが出来なくなってしまったのは良かったのか悪かったのか……。ただ一つだけ言えるのは、もう予約買いをすることはないだろうな、ということだけである。
「生きていることそのものに無限大の価値があり、無限大の幸福がある」
といった概念に対するアンチテーゼが反出生主義と呼ばれているものなんだよ。
これは反知性主義が反「知性主義」ではなく「反知性」主義として扱われているのに近い問題だ。
そもそもをして誰が名付けたのか名前自体が混乱の元となっている訳だな。
反出生主義は、「生まれ落ちること」を否定しているのではなく、「出生そのものに∞の価値を期待されて産み落とされること」を否定しているわけだ。
つまりは「生きているだけで価値がある」という概念に対して、生きるということはフラットであり不可逆ではあってもプラスでもマイナスでもないと考えてもいいのではと疑問を投げかけているのが反出生主義と呼ばれるものの価値観だ。
よく勘違いされる「反出生主義の人は子供を生むこと自体を否定している」というのは途中経過をすっ飛ばしたものなんだ。
これが現状だ。
この過程を無視して、「反出生主義者はすべての出生を否定している」というのはそもそもが誤りなのである。
おわかりいただけただろうか
姉が弟を甘やかすといった姉弟モノの音声作品をよく好んで聞くが、そのほとんどが
そもそも姉が弟を君とか弟君とかって呼ぶのがまず現実的ではなさ過ぎて違和感が凄すぎるだろ
ましてや、姉弟ラブラブものだぞ?呼び方だけ、他人行儀すぎるだろ
名前で呼ぶと入り込めないと思ってなどという心配・配慮は一切無用だ
貴女が「まー君」呼べば俺は「まー君」になるし「ゆうと」と呼べば俺は「ゆうと」になる
そもそも俺たちは音声作品の間だけ、その何分間だけ、貴女の弟になりに来たのだ。
メンヘラブラコンで監禁しちゃうお姉ちゃん、ひたすらよしよし甘やかしちゃうお姉ちゃん、思い思いの世界観を展開してくれていい
先日、ガス点検に来た作業員さんが夫のことを「ご主人」と言ったことについてガス会社にクレームを入れるのなんのという話が盛り上がっていた。
根本問題として、夫妻と特に親しくもない第三者が(おそらく目の前に居る)夫妻の夫の方を指す適切な呼び方がない。
親しいなら「(下の名前)さん」、目の前に居ないなら「家の方」あたりだろうか? 「お連れ合い」は旅のボックスシートでみかんを渡すくらいの距離感ならありだがガス点検は違う気がする。「お連れ様」は家に上がり込んで言うのはなんか変。
そもそもガス点検という状況を前提とすると夫婦とか家族であるかはどうでもよく、ガス契約の契約者あるいは家の設備管理の責任者と話したかったんだろう。そうだとしても責任者が夫であろうというのはアンコンシャス・バイアスというのは否めないか。
もっと言うと発端の方は事実婚なので夫・妻として扱われることに好意的か否かも人によって違いがあろう。言われてみればガス点検で行った先にその家の人として男女が居た時に法律婚の夫婦とは限らないよな。親子だったり兄弟だったり他人だったり色々する。
というのを枕として。
おそらく、今後相手の属性を類推して語りかけるのはタブーになるだろう。肩書き呼びも男女の呼びかけも。また、よほどの目的意識がなければカップルを男女の組み合わせに限定することもなくなるだろう。例えば店に二人組で来て欲しいなら男女ペアに限定せず言えば良い。それらは多様性という観点から良いことだと思う。今まで顧みられていなかった人を救うことにも繋がる。
となると何が起きるか。自分が愛好する、付き合っていない男女が周りからそう見られていることに気付き相手を意識し始めるというシチュエーションが発生しなくなる。
今まで各種フィクションで頻出していた――男女カップリングを取り扱う二次創作だと必ずといっていいほど見る――カップル席に案内される・カップルならおまけがつく甘味をすすめられる・モブに「素敵な彼女/彼氏/奥さん/旦那さんだね」「この商品彼女/彼氏/奥さん/旦那さんにどうだい」「お似合いのカップル/夫婦」と冷やかされる、あたりのことだ。そのイベント時に起こる心の揺れ動き、むきになって否定するのも心証悪いか? このままやりすごす? 外からはカップルに見えるのか。でもまんざらでもない自分もいるぞ。カップル扱いされた相手の反応はどうだろう? 自分にとってこの人の存在って一体……! みたいな内省をも伴うやつ。そのイベント後相手を直視できずにぎこちなくなるのもよし。わーってなった後に落ち着きを取り戻しクールに振る舞うもよし。混乱している時に相手にさっと助けられさらに惚れるもよし。恋心を自覚して堂々と振る舞うもよし。自覚してじんわり暖かくなるのもよし。これは好意じゃないと断じるもよし。動揺して千々に乱れる登場人物を見るのが好きなのだ。登場人物の感情はぐるんぐるんにかき回してこそ。無自覚カップルだと外部から力を加えないと自分の心に向き合わないから、これくらいフルスイングで揺さぶりかけるのは手っ取り早いんだろうね。便利なシチュエーションである。
いやまあ、現実で発生しなくなるって言ったってもともとフィクション度高いシチュエーションだけれど。現実で「なかなか見ない」から「ありえない」になると心の距離がもっと離れるというか、二次元限定イベントになるというか。
忠臣蔵の仇討ちみたいに、過去には存在したらしいがこんにちでは見かけないイベントになるというか。
それもまた時代の流れ。
我々は先入観を持って相手に向き合ってはならず、また自分自身も外界の評価をスタート地点に自分の心に向き合うのではなく自発的に自分の心に向き合うことが求められているのだろう。