はてなキーワード: 呼び方とは
なぜ、アジア系の人々に対するヘイトクライムが増加しているのか?
ヘイトクライムが増加しているシアトルがあるワシントン州キング郡の副検事は、その理由について、「アジア系アメリカ人が新型コロナウイルス拡大の原因だと考えているアメリカ人が多いからだ」と話している。
そんな偏見を抱くアメリカ人がいるのは、トランプ氏が新型コロナウイルスを「中国ウイルス 」と呼び続けたことが一因であると指摘されている。先日の退任後初演説の際も「中国ウイルス 」と憚らずに呼んで中国を批判した。
トランプ氏のこの呼び方が影響を与えたのだろう、前述のAAPIの調べでは、ヘイトクライムの被害を受けたアジア系の人々の40%が中国系アメリカ人だった。しかし、レイシストは同じアジア系であってもどこの国の人かまでは的確に判断できないことから、中国人と間違われた中国人ではないアジア系の人々も多数被害に合っている。実際、韓国系アメリカ人の被害者は全体の15%を占めている。
ロサンゼルスのコリアタウンでも、韓国系アメリカ人の空軍の退役軍人が2人の男から「中国ウイルス 」という差別的な言葉を放たれ、殴られるというヘイトクライムが起きた。
確かに、外見だけでアジア系の人々を何人か判断するのは難しい。先日、サクラメントの高校教師が、オンライン授業中に「目尻が上がれば中国人、下がれば日本人」とアジア人を差別するジェスチャーを行ってバッシングされたが、そんなひどいステレオタイプ化がされたのも、何人か判断する難しさからだろう。
ちなみに、アジア系に対するヘイトクライムの70.9%以上が言葉によるハラスメントで、8.7%が肉体的暴力だが、高齢者はどんなヘイトクライムの被害を受けているのか? AAPIに報告されたケースをいくつか紹介してみる。
「薬局に入店するのを待っていたら、建設作業員たちがわざと咳をし、つばを吐きかけ、斜めな目つきをして私をからかいました。誰も彼らに出て行けと言いませんでした」(カリフォルニア州オークランド在住の68歳)
「ハードウエアショップにいたら、突然後ろから突かれました。その時の防犯カメラには、白人男性が私の背中上部に肘鉄を食らわせ、『黙れ、猿め。ばかやろう、中国人男、中国に帰れ。ここに中国ウイルスを持ってくるな』と罵っていました」(カリフォルニア州サンフランシスコ在住の67歳)
「妻と散歩をしていた時、2匹の犬が襲いかかってきたのです。その犬の女性オーナーがやってきてこう言いました。『犬があなたたちを怖がっているのは、あなたたちが犬を食べるからよ。自分の国に戻ってよ』。 それを聞いてショックを受けました。私は彼女にアメリカ生まれだと言いましたが、彼女はお構いなしで、犬をけしかけたことを謝りもしませんでした。僕は、車のライセンスプレートを撮影し、警察とアニマルコントロールの機関に通報、彼らは調査中です」(ワシントン州サマーミ在住の67歳)
「夫と食料品の買い出しから歩いて帰宅する途中、横を通り過ぎる車の中から、3、4人の人々が、『ウイルス 、地獄へ落ちろ』と叫んで来ました」(カリフォルニア州モントクレア在住の68歳)
https://sn-jp.com/archives/32334
この記事、タイトルすごい悪意あるように見えるのと、反応を見ていると差別が理解できていない人が多すぎて変な感じになる。
ポイントはここだ
まず、日本を「寿司の国」ということがなんで差別なんだ、という点だが、「別に日本は寿司でできていないのにそのように言うことはステレオタイプだ」というのがポイントだ。そしてこの時点では誰も損害を被っていないか軽微だ。燃やす側には燃やすための燃料が必要だ。ここで火消ししてれば軽微だっただろう。
「私は日本に行った時に食べた寿司のあまりの旨さが忘れられず、それ以来日本のことを寿司の国と読んでいる、行ったららもう寿司しか食べない」というのは理解できる、個人的な経験に基づいた意見だからね。
こういう文脈なら寿司がラーメンでもいいし、モスチキンでも別に構わない。
だけどこのコンテクストはあの発言にはないので日本のことを単に「寿司の国」と呼んでいると言うように理解できる。なので、ステレオタイプに基づいた発言は差別だ、というのが基本的なポイント。同時に彼の日本に対する見識の狭さとか、公の場で物を言うプロにもかかわらず、発言に対する警戒心のなさなんかも露呈している。
「単に日本と言っておけばそれで良いのをわざわざ寿司の国というステレオタイプに基づいた呼び方をしたのはなんでだ?こういう言い方は常識として差別になるが、差別なのか?」が最初の論点(そしてこれが日本ではびっくりするほどに抜け落ちた観点でもある)。
次にこのレポーターが、この話に対して「日本を寿司の国と呼んだら、それは本当に人種差別なのだろうか?真面目に捉えていないよな?」という誠意のなさを見せた事が最終的な炎上のきっかけだろう。と言うよりも、可燃性の高いものをわざわざポリコレ側にわざわざ提供したように見える。ポリコレがじっくり燃やそうとしていたところにわざわざガソリンをぶっこんだ形だ。
おそらく初動としては「差別でしたすいません、以後をつけます」とあやまって、二度と公の場ではこれに触れない、が正解に近かったかもしれない。
本人としては、すごい屈辱だと思う、だっておちゃらけて何となく言った程度のことという認識だろうし、そのくらいのつもりで言ったことに対して土下座させられるわけだから(差別であることは変わらないけど)。いきなり返す刀で「あいつは差別主義者だ!今すぐ追放しろ!」というひどい要求が始まるわけだから。そしてこれこそひどい差別だとも思うのだけど、差別をしたやつを攻撃するという大義名分は強い、レポーターをかばえば一瞬で延焼する事間違いなしだし、燃やしたい人がよだれを垂らして欲しがる構図でもある。
差別ではないかという問題提起に対して誠意のない対応をしたことで、雇っている側も守れるポイントがなくなってしまった、もしくは、守るためのコストが解雇するコストを遥かに上回ってしまった。
という構図だと思う。
一方・・・
別の問題は「こういう発言に対して弁明の機会がたったの一回しか無い」という点だ。当然本人は当初「何となく言った一言」でしか無いのだから、それを「差別だ」と言ったら一瞬で「うわああああああ差別でしたあああああああごめええええええん!」とフライング土下座する程は変わらないだろう。こういう人間の本質を全く見ていない、というかこれができなければ追放が常識化しすぎている。下手な言論統制よりやばい。政府がやるんじゃなくて民衆が相互にやるんだから。
「差別かどうか」という議論の末に「どうやら差別らしい」となり、学んで最終的に謝る、または改める、というのがあるべきステップだろう(犯罪とかそこまで重大なことじゃないし)。
という流れは今後の人類にとてつもない影を落としていることは間違いがない。
なぜ、アジア系の人々に対するヘイトクライムが増加しているのか?
ヘイトクライムが増加しているシアトルがあるワシントン州キング郡の副検事は、その理由について、「アジア系アメリカ人が新型コロナウイルス拡大の原因だと考えているアメリカ人が多いからだ」と話している。
そんな偏見を抱くアメリカ人がいるのは、トランプ氏が新型コロナウイルスを「中国ウイルス 」と呼び続けたことが一因であると指摘されている。先日の退任後初演説の際も「中国ウイルス 」と憚らずに呼んで中国を批判した。
トランプ氏のこの呼び方が影響を与えたのだろう、前述のAAPIの調べでは、ヘイトクライムの被害を受けたアジア系の人々の40%が中国系アメリカ人だった。しかし、レイシストは同じアジア系であってもどこの国の人かまでは的確に判断できないことから、中国人と間違われた中国人ではないアジア系の人々も多数被害に合っている。実際、韓国系アメリカ人の被害者は全体の15%を占めている。
ロサンゼルスのコリアタウンでも、韓国系アメリカ人の空軍の退役軍人が2人の男から「中国ウイルス 」という差別的な言葉を放たれ、殴られるというヘイトクライムが起きた。
確かに、外見だけでアジア系の人々を何人か判断するのは難しい。先日、サクラメントの高校教師が、オンライン授業中に「目尻が上がれば中国人、下がれば日本人」とアジア人を差別するジェスチャーを行ってバッシングされたが、そんなひどいステレオタイプ化がされたのも、何人か判断する難しさからだろう。
ちなみに、アジア系に対するヘイトクライムの70.9%以上が言葉によるハラスメントで、8.7%が肉体的暴力だが、高齢者はどんなヘイトクライムの被害を受けているのか? AAPIに報告されたケースをいくつか紹介してみる。
「薬局に入店するのを待っていたら、建設作業員たちがわざと咳をし、つばを吐きかけ、斜めな目つきをして私をからかいました。誰も彼らに出て行けと言いませんでした」(カリフォルニア州オークランド在住の68歳)
「ハードウエアショップにいたら、突然後ろから突かれました。その時の防犯カメラには、白人男性が私の背中上部に肘鉄を食らわせ、『黙れ、猿め。ばかやろう、中国人男、中国に帰れ。ここに中国ウイルスを持ってくるな』と罵っていました」(カリフォルニア州サンフランシスコ在住の67歳)
「妻と散歩をしていた時、2匹の犬が襲いかかってきたのです。その犬の女性オーナーがやってきてこう言いました。『犬があなたたちを怖がっているのは、あなたたちが犬を食べるからよ。自分の国に戻ってよ』。 それを聞いてショックを受けました。私は彼女にアメリカ生まれだと言いましたが、彼女はお構いなしで、犬をけしかけたことを謝りもしませんでした。僕は、車のライセンスプレートを撮影し、警察とアニマルコントロールの機関に通報、彼らは調査中です」(ワシントン州サマーミ在住の67歳)
「夫と食料品の買い出しから歩いて帰宅する途中、横を通り過ぎる車の中から、3、4人の人々が、『ウイルス 、地獄へ落ちろ』と叫んで来ました」(カリフォルニア州モントクレア在住の68歳)
この「~~クリエイター」っての最近よく見えるけど、業者自身が思いついて自演でやってるんじゃないなら目にするたびにサブイボ立つんだわ。
週刊誌でもまとめサイトでも、こだわりも別になくてあっちこっち火つけて注目集まった方が儲かるならそうするやついくらでもいるし、大昔からいただろう? で、そういうのに、いちいち新しい呼び方なんか要らないんだよ。前からいくらでもある(いる)手法であってヤカラなんだから。
なんかそういう名前のおかげで世の中が整理して見える気がしたんだったら、単に「炎上こしらえて飯食ってるやつもいるよな」ってだけのことに新しい呼び方を必要とするのがシンプルにバカなんだよ。キャッチコピー100本ノックでも思いついた時点で首くくりたくなるうんこ以下の言葉だと思う。俺の前で二度と言うな。
・ピーマンの焼き浸し
・鶏胸チャーシュー
食べてる途中にふるさと納税のいくらが届いて、急遽ご飯おかわりしていくら丼にしてしまっていたが。
彼氏は文句を言わずなんでも沢山食べるし、美味しいとしか言わない。
私は気を遣われるのがとても苦手なので、「先に食べてもいい」と言えば喜んで食べる彼にとても好感が持てる。
申し訳なさとか一切感じずにもりもり食べて、食べたらぐーたらして、付き合い始めてから明らかに太ったところが大変可愛い。
前に付き合ってた人は、食器下げないと腹が立ったし、私が作るなら後片付けしろやとイライラすることがあったのにとても不思議だと思う。
社交辞令的な発言は一切なくただただ「うまい」と言って秒速で平らげるのはもはや見ていて気持ちいい。
おかわりあるよと言えば、「やったー!」と言って茶碗を当然のように私に渡し、お酒がなくなれば「俺くんのお酒ない……」とだけ困った顔で告げてくる。
私は彼の茶碗にご飯をよそい、彼のタンブラーにお酒を作り、お母さんじゃないんだよ!と思われそうなぐらいベタベタに甘やかしている。
誰に対してもこんなに甘やかす訳では無い。
だが、過去1人だけ同じぐらい甘やかしても全然苦にならない人はいた。
まるでその時と同じ気持ちなのだ。おそらくこれは愛と言うより完全に母性。
彼がシャワーを浴びたら、顔に化粧水、美容液、クリームを塗ってあげて、寝間着を着せて髪の毛を乾かす。その後はぐずる彼に布団をかけて、寝付くまで抱っこ。
私は寝つきが悪いので、深夜まで一人でソファにいることが多いが、ベッドから彼の鳴き声が聞こえれば飛んでいきまた抱っこする。
ちなみに一歩外に出ると、全くその素振りを見せないのがまたいい。私の呼び方すら変わる。家では「増田たん」なのに外では「増田」なのだ。
どうやら、世の中には甘えることにおいて才能のある人がいるようだ。いや母性を引き出す天才か。
私は甘え下手なのでその才能が時折羨ましくなる。
確か↓を書いた頃は就職とかしたくなくて小説家でもなってみるかなど甘いことを考えていてアイディア()をとにかく書きまくってみていた気がする。ここに晒して供養とします。
・あくびをする時に涙が出てくるのは、寝ることが悲しいことであると本能的にわかっているからだ。自分の思考の最深部から、脳にそう命令してるのだ。人は本当は眠りたくない。大抵の人は眠る時間を自分の好きな時間に使えればと思っているはずだ。睡眠時間を趣味に没頭する時間に使えるのであればどれほど素晴らしいことか
・休日という文字をそのまま「休む日」と読んでしまう人がいる。そういう人は大抵ダラダラとするあてもなく休日を送ってしまう。休日に仕事や学校は休んでもいい、でも人生を休んではいけない。
・性欲は知的好奇心から萌芽するものである。適当にググれば性器の画像が出てくる現在のネット環境は言うまでもなく未成年に有害。実物を見なくても満足できるんだもん。人類に性欲がなくなって滅亡するという可能性はマジで高い
・日本人の国民性、日本の社会システムが日本人の頭を「使う」方面ではなく「下げる」方面に進化させてきた
・幼稚な部分は自分と親しい人にだけ見せたいと考えている
・静寂が続くから眠りに落ちるのではない。退屈が続くから眠りに落ちる。騒音が続くことが退屈なのだから眠りに落ちる。
・金が貯まれば貯まるほど政治というものは参加するものではなく利用するものであるのだと気付かされることになる
・両親は優しい人たちでした。気が弱くてどうしようもないこの僕が見下すことができるほどに。だから僕は今まで温室の中でのうのうと生きることができました。
・独身であることと女性経験の有無は無関係である。女性経験がないような人間が独身貴族という優雅な呼び方をされるほど粋な振る舞いができるとは思えない
・いい加減な人間がいい加減な人生の素晴らしさを語る本を読んではいけない
・人は周りにいる人間に少しずつ顔が似てくるという。夫婦の顔が似てくるのもそういうことだかららしい。ならば人と顔を会わさない引きこもりはどうなるのか。暗い部屋にいるのだから、同じように顔が暗くなることくらいはわかる
・説教には重みってのが必要なんだ。重みのある言葉言うのには地位や経験が必要なのだ。地位も経験もないダメ人間は何を説教すればいいのだ
・人を動かすものは自信である。非科学的なものを自信に変えられる人は羨ましい
・嘘だとバレないように常に他人とは目を合わさないようにして生きている
・ツイッターをやっている人間は4つに分類できる。真面目に真面目なことを呟いてる人と、真面目に不真面目なことを呟いてる人と、不真面目に真面目なことを呟いてる人と、不真面目に不真面目なことを呟いてる人。
・笑いを取るということは、誰かを汚れ役にするということだ
・拘束バス
昨日、飯を食っていた時に突然フェミにキレた話を聞かされた。
結論から先に言うと要は『フェミが世界全体の女性の総意みたいな言い方をするのが気に入らない』らしい。
例えば、タイトルのように『嫁さん』というワードに対して、別に相手をそう呼んでもおかしくないでしょ!!って事らしい。
奥さんってのもケチをつけるフェミニストがいるが、そういうのは気に入らないを通り越して嫌悪しかないとはっきり言っていた。
女性に対しての表現の仕方に関して、とにかくフェミニストはヒステリックになる姿に腹立たしさを感じるとの事。
もともと、うちの奥さんは見た目は明らかに女性なんだけど豪快というか活動的で昭和で言う元気な母ちゃんみたいなそういう人。
隠し事なんかも好きじゃないからはっきりものは言うし、だからといってキツく言わないで相手の言い分も聴いて答えるような人だ。
男っぽいと言えば、そういう感じもする。それだけに怒りを感じているのかもしれんけど、とにかくめっちゃ怒っていた。
フェミニストが言っているような差別っていうのは、全然差別じゃないと。
「差別っていうのは『女のくせに』みたいな感じのを言うのであって、奥さん・嫁さんは結婚しているのならふつうのコトで家では名前で呼んでいればなんの問題もないでしょ?
他人の前だから、そういう呼び方をするだけで私だって○○の事を旦那って呼ぶし、場所によっては主人と呼ぶときだってあるよ」
「むしろそういう呼び方以外の言い方って何?○○さんとかいうの?他人行儀みたいに?おかしくない???」って感じだった。
まあ、言われてみると○○さんって呼び方は変だなって俺も思う。
結婚してるのにその呼び方は嫌だし、むしろいきなりうちの○○(さん)はって名前を出した所で「誰だよ!」って話だ。
そんなツッコミがなかったとしてもわざわざ「結婚相手なんだけど」「俺の結婚した人なんだけど」って言うのは、もっとおかしな話だし、むしろなんで説明が長くなる方を選択しなきゃいけないんだよってね。
うちの嫁さんがね、うちの奥さんがね?で良いじゃん。
とまあ、そんなわけで奥さんはめっちゃ怒っていた。「あれはフェミニストじゃなく単なるクレーマー」だと。
気に入らない事にいちゃもんをつけてヒステリーを起こしているだけでフェミニストになれるなら、世の中フェミニストしかいないでしょ。という事らしい。
勝手に女性全体の考えっていう扱いで多方面に発信している様が、本気で嫌悪の対象にしかならないと言った時の奥さんの顔はマジ鬼面だった。
やべえくらいに怖かったので、ああ怒らせたらいかんよな…と結婚3年目に入って、ようやく気づいたのだった。
終わり
思いつく限り。
Twitterのジェンダー・フェミニズム問題発信アカウントを持っているけど、そこで書くと誤解されて立場がなくなりそうなのでこの匿名ブログを利用します。
何日か前からおぎやはぎ小木さんが騒がれてて、何日か前にクラブハウスでやり合いがあったらしく、クラブハウスの出来事はその場にいた人にしか発言権ないよなあと思いながらその場にいなかった私はあまりこの件について追っていなかった。
いけないことだとは分かっていたけど、何がこんな大きな対立になってるのかやっぱり知りたくて、YouTubeに上がっているそのクラブハウスのやりとりを聞いた。
この文章の前提として、私はフェミニストだけどお笑いが好きで、男社会でホモソノリもガンガン残ってるお笑い界のテレビやネタをみたりするとこれは無理だなと思うこともある。好きだからこそそういう遅れている意識は変えていって欲しいなと思ったりする。
もちろん好きな芸人のラジオはめちゃめちゃ聴いていて、ラジオというリスナーと芸人お互いで作り上げる空間の特別さも理解している。めがねびいきは聴いてないしおぎやはぎも特にファンではないけど、めがねびいきにはめがねびいきの特別な空気があるんだろうということは想像に難くない。
まずこのクラブハウスの状況を説明すると、小木さんの過去のラジオでの発言を取り上げたネット記事を読んで虐待を疑ったフェミニストたちが議論するために開いていたルーム?(クラブハウスやってないので呼び方など詳しくはわからない)に、事実とは異なった情報が拡散されていることに納得がいかない小木さんが入ってきたという形だ。
YouTubeに上がっていたのは小木さんが入ってきたあたりからで、私自身それ以前のことは聞けていないし、小木さんのラジオも聴いていない。
小木さんが入ってきてから1時間以上の議論があり、退出してからたかまつななさんが話し終えたあたりでYouTubeは終わった。
結果から言うと、このクラブハウスにはフェミニスト側に多くの問題点があったと思う。
①(小木さんが入ってきて突発的に起こったものだったので仕方ないしこの問題点についてはフェミニストたちも理解していたが)小木さんvs7人のフェミニストというかなり不均衡な形での議論だったこと
②フェミニストたちは小木さんの主張を理解しきれていなかったのに、自分たちの主張を理解してもらおうと頑張っていたこと
③そもそも虐待を疑うソースとしていたのはラジオの書き起こし記事だけで、実際にラジオを聴いたわけではなかったこと
④実際には娘に言っていないということが分かっても、「そう言ったように勘違いさせる発言をしたんですよね?」と小木さんに全ての責任を負わせて自分たちの発信について謝罪はしなかったこと
大きく分けるとこの4点の問題点があったと思う。
この虐待疑惑問題がなぜここまで広がったのかといえば、それは親に自己肯定感を削がれるような見た目への言及をされたりして実際に傷ついて育った人たちがたくさんいるからで、確かに記事だけ読めば小木さんもそういう親であるように読めてしまうからだと思う。実際に私も思春期の頃に母親に見た目を悪く言われたことは何度かあって、当該記事だけ読んだときには私も小木さんに憤慨した。私が親に見た目をからかわれたとき、女性なら学校や外の社会に出た時点で悪気なく見た目の値踏みをされることは当たり前にあって、それだけで嫌な思いをするのに、家の中の親にまでそんな扱いをされなければならないのかととても傷ついた。別にこれは見た目を悪く言うだけではなく、良く言うときも同じだと思う。例えば私は高校生の頃、クラスの男子複数人に「黙っていれば美人なのに」というようなことを言われてその場では笑って流したけどとても傷ついたことがある。お前らはそうやって好き勝手に喋るくせに、女が可愛くないことを言うと「悪い評価」で黙らそうとするんだな、と怒りを覚えた。親にもクラスの男子にも怒りを覚えてきたし、社会に蔓延るルッキズムは誰のことも救わないと思った。そういう思いをしたことがある女性がたくさんいるから、この問題はここまで騒がれてしまったのだと思う。
しかしクラブハウスのなかで小木さんは娘に実際そのようなことは言っていないし、ラジオの雰囲気とは全く異なる形で拡散されていて困っていると言っていた。言っていないけど、ラジオの中で“ネタ”でそういう話をフリとして行い、記事の中には書かれていないがオチもきちんとあるというのが小木さんの言い分だった。
個人的には第二次性徴期の娘の身体や見た目のことを“ネタ”にするのはあまりにセンシティブだし何一つ面白くないと思う。娘さんが実在している限りそれがきっかけで嫌な思いをする可能性があるとも思う。でも私はラジオリスナーではないので分からないのだ。
ラジオリスナーの中ではきっとその“ネタ”も小木さんがふざけてフリとして話しているだけで、そんな酷いことを娘に言ったりはしていないという共通理解があるのだと思う。芸人のラジオはリスナーと共通理解や共通言語を持って作り上げられるものだから、聴いていない私たちはその特別に何か言う資格は無いはずだ。余程の差別発言や誰かを傷つける発言がない限り。
小木さんの発言が、小木さんの娘さんや妻さんの了承があるものだったのかについては触れられていなかったのでよくわからない。わからないけれども、妻さんのTwitterをチラッと見たりする限り了承があるのだと思う。
これを踏まえて問題点に言及すると、①フェミニストたちが圧倒的にマジョリティである空間で、②③自分たちが聴いていないし理解もしていない芸人のラジオの書き起こしのみをソースとして虐待を疑い、小木さんの主張を聞いてもなお理解を示す努力はなく、「人権や差別の問題に詳しい私たち」と「知識がない小木さん」という構造で人権や差別の問題について解説し続けていた。④そして自分たちがソース確認を正確にせず誤った情報を広めて実際に小木さんや小木さんの家族を傷つけたことについては言及せず、すべて元はあなたの発言ですよねという形で責任を帰していた。
小木さんのラジオ発言の書き起こしを読んで想定される人権の問題は確かにフェミニストたちの言う通りであったし、ひたすら小木さんに解説し続けていたことはフェミニストとして同意できる部分も大いにあった。
しかし、前提としてフェミニストたちは小木さんのラジオについて理解がないし、書き起こしのみを読んで勘違いした小木さんのイメージに向けて解説を続けていたのだ。確かに人権などの問題に知識がない小木さんの虐待が疑われるような発言を目にしたら、知識がないからそうなってしまうのだと思って解説したくなるのはよく分かる。でもフェニミストたちも小木さんについて、芸人について、ラジオについての知識がなかった。知識がなかったし、理解しようともしていなかった。
小木さんは自分にひたすら向けられる人権問題の解説について戸惑ってはいたけれど(虐待はしていないという釈明とは全然違う方向にしか話がいかないので)、一つ一つの話に「それは知らなかったです」「確かにそうですね」と理解を示そうとしていた。責められていると捉えてはいたが、彼なりに差別がなんなのかとか人権がなんなのかという解説を聞こうとしていたと思う。岡村隆史のラジオでの問題発言の例が出たときには、それは自分も酷い発言だと思ったと自分なりの認識を示してもいた。
終始フェミニストたちと小木さんの対話はベクトルが違う方向を向いていて、対話になっていなかったと私は感じた。
たかまつななさんはフェミニストたちの話し方が怖くて問題があったと思うと発言してトーンポリシングだと批判されていたが、私は話し方などはそれほど気にならず、それよりもひたすら会話が噛み合っていないしフェミニストたちはそれに気が付いていないなということが終始気になった。
もう一つ気になったのは、フェミニストたちはラジオでの発信は公共のものなのだからもう少し気を使うべきだと言っていたが、実際に彼らはラジオを聴いているわけではなかったという点だ。そして芸人のラジオを好きでもない人が何となく聴くというのはそれほど多くないと思う。だからこそ何年も前の放送内容の書き起こしが今になって取り上げられたのではないか?本当におぎやはぎのラジオが公共のもので好きでもないような多くの人に届くなら、リアルタイムで非難されているはずだと思う。これこそがラジオが不特定多数ではなくリスナー(ファン)に向けられたものだという証左ではないのか。
また、クラブハウスでもあった小木さんの「ピラニア」発言についてだが、これは元々バイキングの中での発言かと思われる。ワイドショーというのは情報番組というよりもテレビ的に極端な意見同士を戦わせて盛り上がるというような側面が強いように思う。「あちこちオードリー」という番組に小木さんが出演した際、バイキングでは全く思っていないことをスタッフの期待に答えて話すのだと言っていて、私はとても驚いた。「ピラニア」が本心から出た言葉なのかワイドショーを盛り上げるために出た言葉なのかはわからないが、芸能人の発言にはそういう部分もあるのだと思ってテレビを見た方が良いと思う。それとワイドショーを作るスタッフたちには、差別などの問題についてはいくら盛り上げるためでも批判だけ取り上げるべきだということも指摘しておきたい。
長くなってしまったが、お笑いが好きなフェミニストである私からみた小木さん事件について、小木さんの“ネタ”の問題点はあるものの、フェミニストたちは事実や主張をしっかり理解して発信するべきだと思った。お互いに理解しようとしなければ、対話は生まれない。いくら勉強していても、関心のない人と話す際に自分は知識を与える側だと過信しすぎてはいけない。フェミニズムの発展を願う私にとっての所感は以上である。
ふと思ったけどおまわりさんとかおすもうさんみたいな呼び方いいよな
と一言だけ言って、こいつは何がどう違うのかを一才説明したことはない。
で、説明しないので、こいつが何をどう考えているのかはさっぱりわからない。言い逃げだけする卑怯者であり、これでマウントを取った気になってるバカである。
しょうがないので、こちらの理解している意味で言うけれど、トランスジェンダーの存在は、極論だが、この二つを概念としては真っ向から否定する。敢えて極論するのは、話を分かりやすくするためである。こんな例外もあるあんな例外もあるだなんて気にしてたら話が先へ進まない。
まずジェンダーが否定されると言う意味を言おう。これは元増田でも語った通りである。ジェンダーなる概念は、社会的な性差が存在し、そうしたいわゆる漠然とした上は法律から、幅広く常識レベル、あるいは特に根拠がなさそうな世間的男女論的なこと(森氏の言ったような)、などなど私たちの社会にあるいわば観念のようなものだと言えよう。
ジェンダー論の重要な視点の一つは、これが「差別」につながっているという視点である。だから、特に根拠のなさそうな森氏の語りのようなものから、法律的レベルに至るまで、生物学的性別に強引に結びつけるのはやめよう、のような発想に繋がる。
ところが、トランスジェンダーは(これも極論である)、ここで否定される男らしさや女らしさに、自らの自発的・無自覚的な意思で従おうとするのである。注意すべきは、トランスジェンダーの人たちは、生物学的にはそれと反対の性を主張しているところにある。つまり、自己の生物学的性別には結びついていないのである。具体的に言おう、一般的生物学的女性(いちいち言わないが男性に変えて読んでもいい)の多くは、「女らしくしろ!」と言われたら今やかなりの反感を覚えるであろう。ところが、トランスジェンダーは全く逆で自ら女らしく振る舞おうとする。多少は、実際の振る舞いとしてそう言われたらら同様に反感を持つだろうが、その反面で自信を女として認めてもらったことをもしかすると嬉しく思ったりしているかもしれない。
ではセックスは? セックスの説明を内閣府から引っ張ってこよう。
「ジェンダー」を理解するのにあたって、引き合いに出されるのは生物学的な性差―セックス(sex)です。人間は生まれ持っての性別(sex)があり、大半は男性か女性に生まれます。1
皆さんがお母さんのお腹の中から「おぎゃー」と生まれてから、1週間以内に親御さんは役場に出生証明書を提出しますね。その時に書くのは赤ちゃんの性別・・・男か女か、つまり、生物学的な性差(セックス)です。この生まれもった性差は、生涯にわたって一生変更はありません。具体的には、生殖機能の違いです。つまり、妊娠出産や授乳が出来るのは女性だけで、男性にはその機能はありません。また、男性ホルモン・女性ホルモンの量の差で体毛や筋肉の量の違いにより、外見にも違いが表れます。それらも含めた生物(動物)としての性差をセックスと言います。
この説明に純粋に従う限り、トランスジェンダーが、自身の思っている性別こそ真の性別である、なので否定されているわけだが、もうちょっと拡張して考えたい。このセックスが言わんとしているのは、実際には「役場に出生証明書を提出します」のことであり、これもまたジェンダーの枠組みの中に入ると強弁出来なくもない区分である。何故なら、社会が性別の呼び方を定義していると言えるからである。
だが、その意味でもトランスジェンダーは全く矛盾した主張をする。自分が主張した(自己認識した)性別が真の性別である、と言うのだから。だから、戸籍変えたい! となるのだ。
つまり、物凄く表現しにくいのだが、トランスジェンダーを認めると言うのは、旧来的な性別は社会的科学的に定義されるものではなく、その本人自身が既に決定している、それが真の性別だと言う主張であり、これは旧来の考え方には全く相入れないとしか思えないものなのだ。
トランスジェンダーは今やGIDという障害認定すら拒む。トランスジェンダーは自己の認識する性別が絶対に完全無欠に正しいのであり、障害などではない、と。ただただ、体の方が間違っているだけである、と。だから、数年前に、ひと騒動になった女風呂へ入ったと公言した事例は、本人自身にとってはいささかの誤りもない行動なのである。当たり前だ、その人は「女」なのだから。だからスポーツだってそうなのだ。DIDsの人を含めて(トランスジェンダーでは全くないが)、そう主張する彼女たちに取っては女性の枠組みに入れないのは絶対におかしいのである。テストステロンの話は関係がない。
でも、増田にはトランスジェンダーは頭では全然さっぱり理解できない。今のべたDIDsはもちろん身体的にもその性別なのだけど、トランスジェンダーはそうではない。しかし、否定は出来ないので、「いや、それはある」と信じるしかない。