はてなキーワード: 占領とは
都内の移動では、中央線京浜東北線都電荒川線などを効率よく使って移動するので
山手線をフルで使うことは実はそれほど多くない。
となれば、うまく路線を切断することによって通常の往復路線へと移行が可能である。
都心の貴重なスペースを占領する4本の線路を2本に減らすことも可能だ。
具体的には、池袋―大塚間を切断し往復路線へと移行するのがよいのではいかと思う。
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ああ、もちろん、言うまでもないことだが、1つだけ、念のため、
万が一の誤解などありえないと思うが、念のため注意を書いておく。
注)「ハロウィン」と書くとなんか頭悪い感じがしてハロウィーンまたはhalloweenと記述したいのだが、一般的にハロウィンと記述・口述されてるようなのでそれに倣うとする。
タイトルの通りなのだがこの時期になると街中に趣味の悪い、気持ち悪い飾り付けが蔓延る。数年前とは比べものになら無いくらいで、もはや意識せざるを得無い状況にまでなっているハロウィンだが、私はこれが本当に気が狂いそうになるくらいに嫌いである。しかしなかなか周囲に同意してもらえ無い。逆に「そんなことでいちいち文句言うな」とか「まあがんばれ」となだめられ狭量な者と見做される。私にしてみればなんでお前らそんなに受け入れられるのかが不思議なくらいだ。ちなみに筆者はアラフォー男。
クリスマスやバレンタインデーと同様に結局は商業主義の賜物。ぽっかり穴の空いたこの時期になんとかして金を稼ごうと言う守銭奴がどこかにいたのだろう。きっかけはアメリカ文化の凝縮された某ネズミの国のように思う。そしてマスコミが「ニューヨークでは」とか言って煽る。B層どもは簡単に靡いて広告代理店の読み通りの結果を出す。日本国民がすぐこういうものに色気を出すのは、我が国がアメリカの属国である証拠である。そして日本の女はヤンキー男に股を開きまくるのだ。日本の女は須く売国奴。大和撫子はレイプされてこの世から消え去ったのだ。何がなでしこジャパンだ、笑わせるな。
また「ハロウィン大好き♥」とか言ってる女どもは大抵某ネズミの国の狂信的な信者である気もする。男に比して女はハロウィンについての許容が顕著だが、仮装して浮かれてる女を見ると本当にイラつく。本当に殴りたくなる。ネズミ信者の女の言動を見聞きしした時と同じくらい殴りたくなる。血を見るまで殴りたくなる。
近頃神奈川県川崎市でアホみたいに毎年開催されるハロウィンイベント( http://lacittadella.co.jp/halloween/ ) の今年のキャッチコピーはこうだ。「女たちが未来を作る」。は?女たちが?毛唐かぶれのハロウィンで?バカ抜かせよ。日本人としてのアイデンティティの欠片も無いお前らに未来が作れるわけが無いだろ。ただ中国かアメリカに侵略されておしまいだ。11月になってシーズンが過ぎたらまた韓流だろどうせ。川崎だけに。
さらに悲しいのが日本人に何の縁もゆかりも無いこの悪趣味なイベントに子供たちはすっかり慣れてしまい違和感なく毎年楽しんでいることだ。その結果世代間に溝が生まれ、日本の子供たちに日本人ゆかりの行事に触れ合う隙間が無くなる。まさに文化の侵略、アイデンティティの破壊、更なる米国隷属への洗脳教育である。子供が大人を脅すような口上で菓子をせびるなんて生意気だ。不躾だ。何が Trick or Treatだ、馬鹿の一つ覚えみたいに。馬鹿親の子供もまた馬鹿である。
それらを抜きにしても飾りの見た目やコスチュームがアメリカン過ぎておサムいことおサムいこと。日本人のセンスでは無い。流血している死体みたな格好などは単純にグロくて不愉快、悪趣味、気分が悪くなる。もういっそ爆破テロでも起きて本当の死体をイヤと言うほど見るがいいさ。ボストン・マラソンテロの写真でも見たことあるか?だいたいは無いだろう。
知人に聞いてみる。何でそんなに必死なの?
相対的な評価しか無い。絶対的なプレゼンが出来無いのか。人生の意味とか無駄に考えるくせに行事の意味は考え無いのかよ。無知役得と名付けるぞ。
はあ。無教養な結論で締めくくられて終わる。反論でき無い、したく無い。同じ土俵に立ちたく無い。なんでも受け入れるなら中国の侵略も受け入れるんだな。だいたい日本人が無宗教って誰が決めたんだ。無宗教という宗教が一番アブねえわ。
もっといいよ聞き飽きた。何俺メタル知ってるぜ風吹かしてんだよ。そうやって議論から逃げてるんだろ?馬鹿男も須く死ね。切腹でいいから。
お前らな、長い間田舎で息づいてきたお祭りを大切にしろよ。つまら無いならそれを発展させろよ。無ければ何もしなくていいんだよ。静かに秋を楽しめよ。焼き芋食えよ。紅葉狩りしろよ。毛唐から輸入しただけでドヤ顔して公共に迷惑かけて馬鹿騒ぎしてんじゃねえよ。何がお祭だ。お祭りってのは本来土着的で宗教的なものなんだよ。超越的なものをそこここに感じるものなんだよ。それも理解でき無い無宗教のクズどもがただエゴイスティックに享楽してるだけじゃねえか。公共の場で騒ぐなよ。山手線占領するなよ。乱痴気騒ぎや犯罪を起こす不良外人は帰れよ。そいつらの下僕に成り下がってるクズ日本人は国籍返上しろ。
筆者はもちろんクリスマスもバレンタインデーも嫌いであるが、ことハロウィンに関しては数年来、文化の闖入をひしひしと察知していたので特に敵視している。これ以上薄っぺらくて上っ面だけの毛唐文化の輸入は勘弁と、平成18年頃から警戒していた。戦争はイヤ!憲法9条バンザイ!とは言うのに、仮装何するの〜?とかお菓子くれ無いといたずらするよ♪とかハロウィンについての同調圧力はそれこそ軍国主義(笑)だ。日本人なら、ハロウィーンにNOを。
どんな映画かと思って粗筋を見てみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%B3
アメリカ・ワシントン州スポケーン。高校のアメフトチームのスター選手マットが試合に負け、彼の兄で海兵隊員のジェドがイラクから休暇で戻って来たその日、突然停電が起こる。翌朝、空一面に戦闘機と空挺部隊が現われ、そして北朝鮮軍がアメリカ全土を、そしてスポケーンの街を占領した。山小屋へ逃げたジェドたちは眼前で父を殺され、戦うことを決意するのだが…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%AD%92%E5%92%8C%E5%B9%B8
週刊新潮の「私の名作ブックレビュー」において井筒は角田房子の“小説”である『閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母』を挙げて「閔妃暗殺」について語り、日本がいかに朝鮮で悪いことをしたかを述べ「その生々しさ、血腥さを、いまは誰も知らない」と主張した[18]。
在日韓国・朝鮮人については「日本に取り残されて生まれた」人々で、在日韓国・朝鮮人一世は「労働力や徴兵のために強制的に日本に連れて来られてきた人たち」とし、「ちゃんと日本国民の権利を取得させて、必要な人には補償もして、日本国民と平等に」すべきで「それが本当の謝罪」と主張している[19]。
井筒と韓国・北朝鮮の関係はよく分からんが、「とにかく韓国・北朝鮮の肩を持つ人」なのは確かで、北朝鮮を悪し様に描く作品は糞味噌にけなす、みたいなスタンスなんだろう。
「フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である」
のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団が一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています。
平民(第三身分)は、農民や都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わずに家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワと民衆との境界層です)。しかしブルジョワと民衆は意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。
ブルジョワと民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります。
普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオンが総裁政府を軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます。
しかしその当時フランスの社会構造がどのようなものでフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります。
わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきます。ブルジョワと民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた
などを読んでみてください。
があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。
(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分の強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)
1789年5月5日にヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分が強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。
しかし7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民は政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵を組織します。
7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆が殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まり、バスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます。
新たに組織されたパリ市政当局とブルジョワの民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります。
一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります。
自由主義貴族だけでなくブルジョワの議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます。
8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます。
これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます。
しかし王は特権廃止の法令も人権宣言も批准せず、9月末には治安維持の名目でヴェルサイユに軍隊を集結させます。
10月5日に食糧危機を訴えるパリ民衆がヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令と人権宣言を批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会もパリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内の政治分裂も本格化していきます。
(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)
議会がパリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較的平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます。
1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます。
また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命か反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります。
さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こります。カトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるもののフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります。
91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります。
これを受けて、外国に支援された亡命貴族が攻めてくる、外国の侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制もしかれます。
7月には主要な政治組織であるジャコバン・クラブが、王の廃位と共和制を要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。
8月にオーストリアとプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族の陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます。
そうしたなか9月3日に立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。
(インフレや物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます。国内の多数が開戦を支持するなかオーストリアに宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります。軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆の恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位が要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会は王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会の召集を決議します)
憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員のほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派のフイヤン派が議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます。
なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党は存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥の議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります。
また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります。
議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義をあくまで守るのか、民衆の要求を受け入れるのかも問題になっていきます)
これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治のイニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉で対外戦争をあおります。民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。
92年3月、フイヤン派の大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリアに宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争はナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。
しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆が政治的に組織化されていきます。
そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件は偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。
ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会の召集を決議します。これでフランスが共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります。
(戦争はフランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土を占領します。93年1月には国民公会の裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土の占領や国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争に突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります。議会ではジロンド派と山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派が民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派は逮捕、議会から追放されます)
8月10日に王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命、裏切り者を排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者が逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり、義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。
そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースがパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。
この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります。
一方、この事件は国外からの印象を非常に悪いものにします。宥和政策を取っていた隣国スペインの首相も宥和政策を撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命に好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます。
戦況にも変化が生じます。フランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』)。
普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められています。フイヤン派は出馬していないので議会におらず、共和制穏健派のジロンド派と共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派がジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)
ジロンド派は経済的・政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則をあくまで重視し、山岳派は革命の推進と防衛のためには民衆の要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。
……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。
93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派の一党独裁(ただし基盤の脆弱な独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります。
この辺とか見てhttp://guideline.livedoor.biz/archives/52358205.html定期的に引っ越しのエントリーがあがるので自分の物件探して成功したケースを書いてみる。
前提として私はオタクなので荷物が多い。これでもかってほど多い。漫画・小説・同人誌。これだけで段ボール20箱は前後はあるし、サークル活動もしてるので多い時は+5箱という時もある。服もそこそこ多い方。
●メリット:新築、駅近、スーパー・コンビニ1分、人気エリアまですぐ(そこそこ閑静な住宅街)、東向き採光
●デメリット:高い。良くも悪くも普通。よくある典型的な1K。
駅近・憧れのコンクリ打ちっぱなし新築の人気物件で相場からすると安いくらいだったが前述のとおりなにせ荷物が多い。玄関に段ボールタワーがあるのは日常だったし、玄関外横のガスメータールームにも荷物を入れこんで注意されたこともある。まさに足の踏み場もないという状態でキッチンにもトイレにも本が詰まっているような部屋だった。キッチンも半分本に占領されているので自炊もほぼ不可能。いわゆる典型的な汚部屋。汚いというより荷物が多い。倉庫に住んでいるような感じとは友人談。
●メリット:角部屋3面採光(ただし南・西向き)、キッチン・風呂場に窓あり、隣人なし、コンビニ3分、壁際全面クローゼット、追い焚き
●デメリット:築年数、洗濯機置場がベランダ、大通り沿い(車の音が常に聞こえる)
若者向けの街ではない上に築30年越えが気になったが下見にリフォーム後なので古さは軽減されていた。それよりとにかく広い。古い物件なだけにキッチンもクローゼットも広い。何より安い。前回の部屋選びの失敗は自分の荷物の多さを把握してなかった事だったので決定。音が気になったけど幸い不眠の気はなかったのでこの際目をつぶることにした。
◆結果:広さを重視したのが正解。クローゼットに全部入りきらないものの部屋の隅に段ボールを積んでも圧迫感がない。32型のテレビを配置してラグをひいてソファの上で悠々とアニメも楽しめる。キッチンも窓があり広々と使えるので自炊もするようになった。客用布団の収納場所もできたので布団も購入。引越し前に「倉庫」と言った友人が遊びに来たときは見違えるようになって落ち着くとまで言ってもらえた。友人を気軽にうちに誘えるようになったのも嬉しい。
面白いのは自分の気持ちの変化。以前の家ではどんなに片付けても絶対量が変わらないために掃除が嫌でたまらなかったけど、今では片付ければ結果が見えるので掃除をすることが苦ではなくなった。キッチンも以前は流しに置きっぱなしだったのが、今では綺麗に使いたい気持ちが芽生えて自炊するにもかかわらずかなり綺麗に保たれている。ちなみに今の家に越してきて2年です。正直、物件が変わった程度で汚部屋脱出できると思わなかった。人によるだろうけどね。ちなみに新築じゃない今の部屋でもまだGと遭遇してないからホッとしてます。
今まで駅近とか新築とか室内洗濯機置場とかにこだわってたけど、その辺の妥協をして優先順位を変えたらそれが正解だった。あと個人的に譲れない点としては1階以外、飲食店の同ビルや隣接はNG(Gや鼠が出やすいから)、ゴミ捨て場が近く管理がきちんとされている、かな。
◆シャワーの水圧が弱くて泣きたくなったけどシャワーヘッド変えたら問題なし。この辺とか安いので十分。http://www.amazon.co.jp/gp/product/B005GYTU5G
◆生ごみは冷凍庫に入れて凍らせておくと臭くならなくていいよ。
この日記の論点は2点。
1点目はなぜ現代日本ではサヨクの人の方が言論や議論を否定したレッテルばりと一方的な言説を行うのかという疑問提起
2点目は文中の疑問にサヨクの人がどう答えるのかという純粋な疑問
中学の頃からの友人で両親が高校の教員をされていて日教組に入っている(本人がどうかは僕は知らない)友人A
一時は親友と言っていい関係だったと思うけど、今は疎遠となっている。といっても2年に一度くらいは会うのだが。。。
なぜ疎遠になったかというと、普段はとてもクレイジーで面白いやつなのだが、なにかことがあると(例えば現在の原発問題や尖閣諸島問題など)、勝手に「サヨク的発言」を熱く語りだし、面倒くさいから。また、それに反論すると即座に「軍国主義的」「国にだまされている」等とレッテルばりをして悦に入る。非常に鬱陶しく、場がさめるので自然と疎遠となった。
ここで1点目の論点。なぜ現代日本ではサヨクの人の方が言論や議論を否定したレッテルばりと一方的な言説を行うのか?
議論があるところには多かれ少なかれレッテルばりがあり、「サヨク」の人からは当然「ウヨク」の人はすぐに「売国奴」といったレッテルばりをするという反論があるだろう。
ただ、これは勿論僕の印象でしかないのだが、現代日本では例えば軍備の必要性を問うた場合に即座に「軍国主義」「帝国主義」などとののしられ、議論を行うことが出来ない印象がある。逆に売国奴などとののしる「ウヨク」の人はごく少数だ。
大抵の議論の場において僕の印象では、
『XとかYとかって条件があるからどうしても沖縄に軍が必要で、、、』
『うーん。そう考えざるを得ないし、なかなか難しいけど、、、』
『うん。戦争は嫌だよね。でも、攻められたら怖いし、守る必要があるからね』
『でもまあ相手が軍を持っていて攻めてくる可能性があるからね、だからこっちとしても対抗できる力は持っていないとね』
『ああ、軍を持ちたいって思想の人なんだね』
『?いや?戦争とか軍とかないほうが良いとは思うんだけど、でもあるのはしょうがないって話をしてるんだよ?』
『だからそういうことを言い訳にしてまた軍国主義に戻したいっていうんだろ』
『?いや?そんなことは言ってないんだけど、、、』
『やっぱり軍が欲しい、戦争をしたいって人にだまされてるんだよ』
というパターンにおちいることがほとんどのような気がする。なぜサヨクの人たちはこうやってすぐに軍国主義やだまされているというキーワードを用いて議論を終了させようとするのだろうか。本来的な思想として、左翼的な思想の方が議論親和性がありそうな気がするのに、なぜこうも情緒的でレッテルばりばかり行うのだろうか、、、
で、友人Aであるが、僕もすこしイライラして一度がんばってもう少し議論してみたことがある。
『とにかく軍を持ってはだめっていうのは納得がいかないよ。何度も言うけど攻められるのは怖いよ。攻められることがないくらいには軍を維持しておきたいよ』
『非武装なら攻められないよ』
(『なんでそんなこといえるんだよ』『非武装なら普通攻めないよ』)x2
『・・・ちょっと話し変えるけど、南京大虐殺についてどう思うの?僕は少なくとも強調されすぎてることが多いと思うんだけど』
『あんな悲惨な事件はないよ。ひどいことだよ。こういったことを繰り返さないために軍を持っちゃいけないんだ』
『南京大虐殺では非武装の人を日本軍がたくさん殺した。そう言ってるって理解していい?』
『もちろん』
『それは非武装でも攻撃される可能性があるっていうことだよね。しつこいけど、僕は南京大虐殺ってやつについてちょっと疑いを持ってるけど、それは別として』
『・・・』
第2の論点はここである。友人Aはここで黙ったのでどう考えているのか分からないのだが、他のサヨクの人はこの疑問にはなんて答えるのだろうか。もちろん、僕は国家として武装していない状態と都市が占領された後に非武装民がいることについて差異が少しあることを理解している。ただ、この条件下ではほぼ差異無く扱えると考えている。非武装の人を虐殺したという例(虚偽の可能性もあるが)を持ち出し、自分たちが非武装なら攻め込まれず非武装であるべきと説くその矛盾になぜ気づかないのか。
僕の観測範囲では、評価以前に話題になっていない。
僕もホワイトハウスダウンを見た後、パシフィックリムの次の上映待ちでちょうどいい時間じゃなければ多分見なかった。一生。
端的に言えば面白い。
しかし、おそらく日本人以外では楽しめないのではないか。これをアメリカが一生懸命作ってくれたおかげで、僕はパシフィックリムの上映開始までを無為に過ごさずにすんだ。ありがとうございます。
以下、ネタバレ。
終戦後、マッカーサーを元帥とする占領軍(進駐軍)が日本にやってきました。
つまり占領地の委託経営を請け負った状況です。うまく日本を復興させれば、それを手土産に大統領選に出馬、ホワイトハウスへの道が開ける。
つまり、戦争を起こした責任者を片っ端から縛り首にしてしまう。
東条英機をはじめとするお偉いさん方が刑場の露に消えたのは事実。その当たりは邦画『プライド』を見て貰えば。
さて、政治家についてはそれで良し。
ところが日本には首相とは違う大物がいる。つまり昭和天皇である。
・
話はそれるが、アメリカは野蛮な国である。それは現代も変わらず、『悪者』(或いは異分子)がいればみんなでリンチを加えて殺したりする。日本でもそんなのはあるけどね。
そして、大半の国民には学がない。
・
閑話休題。
本国からは、昭和天皇を戦争責任者として処刑せよ、そんな突き上げを食らうわけだが、それをやるのは日本統治のために非常に厳しい。
②国内には大量の、数百万規模の“元軍人”がいた。(不穏分子)
③終戦後、国民に食料は行き渡らず、また、失業者も多かった。(経済的停滞)
普通、これだけ揃えて、天皇を処刑すれば、火薬に火を付けることになる。
どっかのフィクサーが兵士崩れを雇って私兵隊に仕立てれば、再び戦争状態にもなるし、暗殺等のテロルも横行するだろう。なにせ、必要があれば死ぬように教育を受けた連中だ。
それに十分な大義名分を向こうに渡すことになる。
結果、治安維持に大量の兵士を必要とし、再び国土を焦土に変えなければならないかもしれない。食料の供給や経済の発展は大きく阻害され、マッカーサーは責任をとって辞職。
・
なんなら直接行ってぶん殴ってやろうぐらいにしか考えない。正義が当然勝ったのだ、くらいのもんだ。
さて、ここでようやく話が始まる。
・
マッカーサーは部下に命じる。
・
こうして主人公の准将は、焼け野原をかけずり回ってその証拠を探すのです。
てのがあらすじ。
・
正義とか悪とかの話ではなくて、ケジメの付け方、落としどころの話。
九割方フィクションだとしても、まあ今の時期に見るのはいいのかもしれない。
ちなみに、主人公に付けられた通訳兼ドライバーがミスター・タカハシなる人物だったので、その後にプロレスの暴露本とか書くのかもしれない、と思いながら見てた。
あくまでも「自分の」ということで。
天皇陛下と皇室、それに日本の自然と文化と文化財産(国宝や重文に指定されるようなものだけではなく)は
国民個人や国民の個人財産よりも上位の存在で、尊重されなければばならない、と考えるのが右。
例えとして、
「皇室と国立博物館の収蔵品が残るなら、国民の半分が死に絶えてもいい」(ただし、自分と自分の家族を除外するのはX)
という質問に「それならばかまわない」と答えるのは右。
「日本人全員が助かるが、日本本土は全て失われる」(外国に占領されるとかではなく、核兵器でくまなく焼き払われるとかそういう感じで)
例えがわかりづらいか。
左翼って、「中国や韓国と仲良くしましょう」って言うけど、それって「対馬は韓国領土」と、石原も真っ青の侵略容認発言を現役政治家が行うような国や、国内少数民族を弾圧する中国と仲良くするってことだぜ。
つまり、日本は国内の在日やアイヌを弾圧してもOKだし、過去に秀吉による出兵で占領したから、朝鮮半島全土が日本領と政治家が発言してもOKな国になっても問題ないってことだよな。
だって、そういう発言をしても「世界から孤立する」なんて有り得ないしね。左翼自身が「仲良くしましょう」というように、自分で「世界から孤立するなんて有り得ない」と証明しちゃってるんだから。
それもそうだったね。似たような嗜好品だからアルコールを出したんだけど。
「アルコールは個人での製造が禁止されてるから簡単に作れるけど法律を守る人が多いから自家醸造しない」なら大麻もアルコールと同じように製造や販売は免許を持ったプロがする場合は合法だけど素人がやったら違法にすればいいだけじゃない?
個人が隠れて栽培する場合、大麻は電気代が凄い掛かるらしいしスペースの問題もある。
狭い家の中の一室を葉っぱに占領されて月1万や2万の電気代を数ヶ月払い続けて1000円程度(予想価格)で買える大麻を作るなんてバカらしくて税収に影響するようなほどの大多数の人間はしないと思うけど?
タバコだって値上げで闇タバコが出てくるくらいなのに、大麻なんて栽培しやすいものが蔓延してしまったら、その規模を縮小させようと思ってもコントロールなんて利かないよ。
銀行引き落としの決済が数日遅れただけで消費者金融から電話が掛かってくるとか、退職金振込額が確定したとたんに孫から電話番号が変わったと電話が来るとか、そういうずさんな個人情報保護プロセスの方とか気にかけてんの?
将来犯罪をしたり迷惑行為をしたり名前が世に出てくるときや学歴を詐称したときに「あの学校卒だよね」とか「どこ予備校かよってたよね」とか何の利用価値がでるんだか。
むかしの写真もってるぜとか、知ってるぜとか、そんな会話で不快感がうまれることとか法律で守られるべきとかおもってんだろうね。
法律で個人的な楽しみを制限したり供給したりとかってのは触れるのも面倒だし本来ふれないべいるべきってのが個人の扱いなんだよ。結果金銭的な実害に関連するもの意外は法律として文章にするのはむつかしいんだよ。
昔の写真を他人が所持しているのが不快感で仕事が手につきません、謝罪と賠償を要求ニダとか言うつもりなのか。そんなのでてくるぞ。
個人情報保護ってのは個人について機微な情報、身体的な事とか病気とか思想収入その他もろもろ誰かから利用される可能性のある事や、数千人単位とかいう数を集めるときの話でさ。
たとえば病気で治療薬が必要または先進的な医療が希望される場合とか、特定の趣味とか投資対象としているものが明確なときに「オレだけど」的な詐欺が利用しやすい情報をもっている個人を探すのが必要なわけでさ。
どこ卒の顔写真とか、リストでないと意味ないわけよ。対象者を特定するために必要なリストって利用価値でさ。
卒アルとかは逆で特定する必要がでてきたときにリストに価値がでて、記載されている情報ピンポイントが高得点になるわけで、町を歩いているときに黒い布で顔を隠せとかになったらどっかの宗教だろそれ。
なんでもいいから個人情報で保護しろとかうざいお客様がコールセンター占領してるからみんな匿名にしたり毎回面倒な入力手続きを数段階踏ませるようになるんだよ。
おまえ個人情報が完全に保護されるために市民全員に身体データ全採取のうえ番号を振って配達物は全部自分で取りに行かなくてはならなくなって路上での声かけ禁止でネットは全部国が検閲とかされたらうれしいか?
まごうことなき左翼の私ですが、橋下が逆噴射おこして「事実アメリカ人にレイプされまくってんじゃん、占領ざけんな、もっかい戦争すっか、次は負けねえぞ」って言い始めたら、転向して支持に回ってたかもしれない。支持することにならなくて助かったけどw— 唐木 元さん (@rootsy) 2013年5月17日
乙武問題についてはどっちもどっちだと思ってます。ただこれまでずっと君子っぽいパブリックイメージを通してきた乙武さんが「どっちもどっち」という感覚を引き起こさせたのは画期的だし、平民宣言というか、普通の人なんだなーと、彼に対してはむしろ好感度が上がった。友達になれそうというか。— 唐木 元さん (@rootsy) 2013年5月22日
橋下徹氏は一連の ”慰安婦” 発言で一体、なにを主張したかったのか?
橋下氏の一連の主張は大きく3点にまとめられる。
【1】” 旧日本軍の従軍慰安婦は「性奴隷」(sex slave)ではなかった ”
→19日、テレビ朝日の「報道ステーションSUNDAY」にて、「暴行、脅迫、拉致を、国を挙げてやり、嫌がる女性に無理やりやらせた 『性奴隷』といわれている。それは違う」と述べ、慰安婦の強制性を否定。
【2】” だからと言って、慰安婦制度は許されることではない ”
→15日、囲み取材にて「(慰安婦制度に)問題がなかったとはひと言も言っていない。いま慰安婦が必要だとは一言も言っていない。許されることではない」
さらに、「第2次大戦当時、世界各国が同じようなことをやっていたのに、なぜ日本だけが特別な批判を受けるかを考えなければならない。日本の行為を正当化するつもりはない」
【3】”その上で、「戦場の性」は普遍的問題であり、すべての国家は自らの問題として考えるべきだ ”
→17日、Twitterにて「米軍が現地女性に何をしていたのか、日本の占領期に特に沖縄女性に何をしていたのか、直視すべきだ」
→20日、Twitterにて「韓国軍もベトナムで性的な問題に女性を利用した」
→20日、堺市の政治パーティーにて「世界各国の皆さんに、日本も悪いけれど、もう一度、戦場における性の問題、女性がどう扱われていたかしっかり考えてほしい」