2013-08-31

友人のサヨクくん

この日記の論点は2点。

1点目はなぜ現代日本ではサヨクの人の方が言論や議論を否定したレッテルばりと一方的な言説を行うのかという疑問提起

2点目は文中の疑問にサヨクの人がどう答えるのかという純粋な疑問

 

中学の頃からの友人で両親が高校教員をされていて日教組に入っている(本人がどうかは僕は知らない)友人A

一時は親友と言っていい関係だったと思うけど、今は疎遠となっている。といっても2年に一度くらいは会うのだが。。。

なぜ疎遠になったかというと、普段はとてもクレイジー面白いやつなのだが、なにかことがあると(例えば現在原発問題や尖閣諸島問題など)、勝手に「サヨク的発言」を熱く語りだし、面倒くさいから。また、それに反論すると即座に「軍国主義的」「国にだまされている」等とレッテルばりをして悦に入る。非常に鬱陶しく、場がさめるので自然と疎遠となった。

ここで1点目の論点。なぜ現代日本ではサヨクの人の方が言論や議論を否定したレッテルばりと一方的な言説を行うのか?

議論があるところには多かれ少なかれレッテルばりがあり、「サヨク」の人からは当然「ウヨク」の人はすぐに「売国奴」といったレッテルばりをするという反論があるだろう。

ただ、これは勿論僕の印象でしかないのだが、現代日本では例えば軍備の必要性を問うた場合に即座に「軍国主義」「帝国主義」などとののしられ、議論を行うことが出来ない印象がある。逆に売国奴などとののしるウヨク」の人はごく少数だ。

大抵の議論の場において僕の印象では、

『XとかYとかって条件があるからどうしても沖縄に軍が必要で、、、』

『軍が必要だっていうんだね』

『うーん。そう考えざるを得ないし、なかなか難しいけど、、、』

『軍はだめ。ゼッタイ戦争になる』

『うん。戦争は嫌だよね。でも、攻められたら怖いし、守る必要があるからね』

『軍があるから戦争になるんだよ』

『でもまあ相手が軍を持っていて攻めてくる可能性があるからね、だからこっちとしても対抗できる力は持っていないとね』

『ああ、軍を持ちたいって思想の人なんだね』

『?いや?戦争とか軍とかないほうが良いとは思うんだけど、でもあるのはしょうがないって話をしてるんだよ?』

『だからそういうことを言い訳にしてまた軍国主義に戻したいっていうんだろ』

『?いや?そんなことは言ってないんだけど、、、』

『やっぱり軍が欲しい、戦争をしたいって人にだまされてるんだよ』

というパターンにおちいることがほとんどのような気がする。なぜサヨクの人たちはこうやってすぐに軍国主義やだまされているというキーワードを用いて議論を終了させようとするのだろうか。本来的な思想として、左翼的思想の方が議論親和性がありそうな気がするのに、なぜこうも情緒的でレッテルばりばかり行うのだろうか、、、

 

で、友人Aであるが、僕もすこしイライラして一度がんばってもう少し議論してみたことがある。

『とにかく軍を持ってはだめっていうのは納得がいかないよ。何度も言うけど攻められるのは怖いよ。攻められることがないくらいには軍を維持しておきたいよ』

『非武装なら攻められないよ』

(『なんでそんなこといえるんだよ』『非武装なら普通攻めないよ』)x2

・・・ちょっと話し変えるけど、南京大虐殺についてどう思うの?僕は少なくとも強調されすぎてることが多いと思うんだけど』

『あんな悲惨な事件はないよ。ひどいことだよ。こういったことを繰り返さないために軍を持っちゃいけないんだ』

南京大虐殺では非武装の人を日本軍がたくさん殺した。そう言ってるって理解していい?』

『もちろん』

『それは非武装でも攻撃される可能性があるっていうことだよね。しつこいけど、僕は南京大虐殺ってやつについてちょっと疑いを持ってるけど、それは別として』

・・・

第2の論点はここである。友人Aはここで黙ったのでどう考えているのか分からないのだが、他のサヨクの人はこの疑問にはなんて答えるのだろうか。もちろん、僕は国家として武装していない状態と都市占領された後に非武装民がいることについて差異が少しあることを理解している。ただ、この条件下ではほぼ差異無く扱えると考えている。非武装の人を虐殺したという例(虚偽の可能性もあるが)を持ち出し、自分たちが非武装なら攻め込まれず非武装であるべきと説くそ矛盾になぜ気づかないのか。

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