はてなキーワード: 創作物とは
真木よう子の件、もしもあのまま続いていたら、実際のところ準備会はどんな判断を下したのだろうなーってのはちょっと気になる。
(以下は完全に「もしあのまま真木よう子がサークル参加できてたら、どうなっただろうなー」という妄想です。実際には起きなかったことです。)
もし仮に準備会が「問題なし」として彼女が参加していたとしたら、1つの前例ができることになるよな。
そしたらそのあとに続くであろう流入を「NO」とは準備会は言えなくなるわけで、
そうなっていたら「有名人が」「CFで資金集めて」「プロを雇って作ったハイクオリティの創作物が」「個人サークルスペースで頒布され」「有名人とファンが交流する」って事態が広く行われるようになったんだろうなと思う。
ふと思ったけど、それってある意味では出版業界的にも痛手だろうなぁ。
今までだったら出版社に入っていたであろう利益がほかに流れるってことなわけだし。
コミケのありようも変容しただろうな、と思う。
いつまでも変化しないコミュニティというものは存在しないだろうし、変化するなら変化するでまぁそれも1つの形ではあるけど。
準備会が「良し」とするなら参加者側はどうこうできる立場ではないだろうし。
話題の「真木よう子コミケ参戦表明→炎上→辞退→クラウドファンディング中止」の一件についてツイッターでぼそぼそやっていたところ相互フォロワーから「こんな荒れた話題俺は見たくねーんだようるせえ!」と空リプが来てやりづらかったので此方にまとめる。
別に批判をしたいわけでもなければ攻撃をしたいわけでもなく、ただ自分の中で感じたことを吐き出してまとめたいだけである。
◆全体的に
個々の問題自体はそれほど大事ではないが、どれも元々コミケが抱えていた問題であり、それをよく思っていなかった人々からの不満噴出にも繋がったのだと思う。
コミケと言うのは、よく言われる通り「全員が参加者」という前提のイベントである。
販売者と顧客という立場ではなく、サークル参加者と一般参加者だ。要はイベントに参加した全員で作り上げるもの、という意識が強い。
そして、この大イベントが薄氷を踏むような、あるいは綱渡りをするような危うさでこれまで続いてきた、という認識の人が多い。
一つでも対応を誤れば、二度と開催ができなくなる可能性もある。
忠告するコミケ参加者側に対して「運営でもないくせに」「そんなにえらいのか」という指摘もあったが、だからこその忠告だろう。
◆写真について
また参加表明の際に出回った画像に、コミケ開催中にビックサイトの内部で撮られた写真があった。
「あれは撮影禁止区域での撮影ではないだろうか?」「周囲に写っている人へ了承は取ったのだろうか?」という疑問が呈されていた。
混雑していない場所だった為恐らく明確な撮影禁止区域ではなかったろうが、そうだとしても周囲へ写っている人への了承は得られていない可能性が高い。
その上クラウドファンディングという大金を集める告知と共に出回ってしまった為、「営利目的での使用」にかかる可能性もある。
それを持ってしてまず、「ルールをよく知らない、影響力の大きな人が来てしまった」と言う認識が広がってしまったのだろう。
◆クラウドファンディングについて
クラウドファンディング自体は悪いものではなかったと思う。
前例があるのは知らなかったが、それなら尚更問題はなかっただろう。
ただ、800万円と言う目標金額は大多数の参加者には大金も大金だ。
それだけ集めるなら会場費も込みにして、別のところで別のイベントを開いた方がお互い幸せなんじゃないか、という疑問も湧くのは仕方のないことに思う。
◆会場について
キャンプファイアにて公開されていたクラウドファンディングで募集した金額の使い道には雑誌の制作費・支援者へのリターンにかかる費用という文字はあっても、当日会場で係る経費や混雑対策費などの文字はなかった。
コミケに普段来る層と、真木よう子の写真集を買いに来るファン層はほぼかぶらないだろう。
となれば単純に真木よう子ファンの分だけ来場者数が増え、その分列を作るスペースが必要になる。
周りには列で正面を潰されるサークルも出てくるだろう。
しかも交流をしたいと言うことは、ともすれば本人が手売りをする可能性もあり、手法として嫌われる牛歩にもなりかねない。
列の整理や混雑対策も持ち出しと(一応)考えるならば、尚更コミケでわざわざ狭いスペースを間借りするメリットは、会場の面から見るとない。
◆写真集について
自分が初めてコミケへ行った時、既にコスプレエリアは大盛況だったが、まだコスROMへの風当たりは強い時期だった。
三次元の人間が被写体の「写真集」は、コスプレをしていてさえオタクには馴染みの薄いものだったのだろう。
現在、以前よりコスROMへの当たりは柔らいだろうが、そうでない生身の人間の「写真集」となると、抵抗があるのもわからなくはない。
交流が目的と言うのもコミケのルールに明確に反してはいないだろうが、それでもサークル参加者は自分の作った「創作物」にこそエネルギーを注いでいる人が多数のはずだ。
そんな中写真集は作るがどんな方向性かも決まっていない、と言われてしまっては「そんな、やりたいことをやる場所へ来て、やりたいことがわからなくて進路が決まらない学生みたいなこと言われても……」という話である。
◆ツイッターでのやり取りについて
本人はよくファンともツイッター上で交流していたようであり、もしかすると一番厳しげな意見に返事をすることで、やんわりと忠告してくれていた人々への解答にしようと思ったのかもしれない。
だが結果的には、これまたネット上では嫌われている、同情心を誘い自分は手を汚さず周囲の人々に攻撃させるファンネルと化してしまった。
果たして悪意があったのかなかったのかまでは推し量ることが出来ないが、悪手であったことは確かだ。
「いやなら見るな」と言っていた人がいたが、テレビと違い現地に行ってしまえば見る見ないの話ではなく、上記した「会場について」の問題に直面することになる。
真木よう子一人の為に真木よう子ファンが増え、その分会場は狭くなり、移動に支障をきたすかもしれない。
そう考えるととても「いやなら見るな」で片付く問題ではなさそうだ。
◆辞退・中止が発表されて
案の定「オタクは心が狭い」だの「そう言ってオタクを貶す人々には来てほしくなかった」だの対立が発生している。
叶姉妹並みの対応をしてほしかった訳ではなく、様々な疑問点を解決すれば、受け入れられた部分もあったとは思う。
大体書きたいことを書いたのですっきりした。
おしまい。
パクトレ問題について、いくらなんでもいちゃもんだろうという糾弾が度々生じている。写真を見ながらイラストを描けば「目トレ(目で見てトレース)」。既存画像の色味をスポイトツールで拾いながら絵を描けば「色トレ」。模写や資料写真の参考として推奨すらされているような行為まで、著作権法違反かのようにあげつらわれることすらある。
なぜ、賛否両論のパクリの指摘が絶えないのだろうか。「目トレ」や「色トレ」のように、いわゆる「なぞって書き写す」ものでない「トレース」を糾弾している人は、次のように主張しているように見える。「なぞり書きのトレースでないとしても、パクリはパクリだ。他人のアイディアや、創り出した魅力を剽窃する、非難すべき行為だ」。
トレパクが叩かれる背景としてはこのような、「他人の手柄を横取りする、卑劣な行為」への嫌悪感がある、と思う。注意すべきは、これは著作権法において違法とされるものとの乖離が大きいということだ。著作権法は、親告罪であることを除いても、乱暴に言えば「まるっと複製」と言えるものだけが違法となり、プラスアルファのアレンジがあればそれはただの「新しい創作物」とされる。(企業ロゴなどの商標についてはまた別の話だが、おいておく。)
従って、「パクリだ!」に対して、「著作権法では問題なし」「荒木飛呂彦だってやってるじゃないか」という指摘は鎮火に結びつかず、「合法ならいいのか。荒木飛呂彦だって時代が違ったんだ」などと思われるだけだろう。パクリ(及び広義のトレース)を指摘する人間は、他人のアイディアに乗っかって「創作物」を発表する、ずるい所業をあいつはずるだと指差しているのだ。
あまりにも自明でありながらも広く誤解されている神話として、「無から有が創作されることは皆無である」という真実がある。
美術史を紐解くまでもなく、文化とは古来より相互に「他人の創作物を、一部真似してアイディアを貰って、創作する」ことを繰り返し積み重ねて発展をした。流行りの構図があり流行りの色の塗り方がある。流行りのドレスがイラストレーションになり流行りのイラストが着物の図案になる。
「流行る」とはアイディアをパクリあうことであり、「流行りが廃れて新しいものが生まれる」とは、既存のアイディアを踏まえた上で敢えてズラすということだ。なるほど、著作権法に触れずともパクリはパクリかもしれない。他人のアイディアをタダ乗りする行為かもしれない。しかし同時に、それは卑劣な行為ではなく当然の行為なのだ。
では、言いがかりのようなパクリの指摘を減らして行くには、どうすればよいだろうか。自衛策のひとつとして、「影響を公言する」ことが有効だろう。「カラーパレットは○○をベースにいじったものです」「○○で画像検索して見ながら描いた」「この○○の描写は写真家の☆☆さんの作品を参考にしています」等と絵に添える。あるいはプロフィール欄に誰を真似して描いているかを公言する。重ねて、公開と同時または先行して「元ネタ」の著作者に自分の作品を紹介すると、潔白である旨のポージングになるだろう。
勿論、効果は限定的で、「パクリだ」と指摘されることが無くなるわけでは無いだろう。糾弾者と対話するにあたって、この文章が役に立てば幸いだ。間違えてはならないのは、糾弾者は「お前の行為は法に触れる犯罪だ」と(間違った)主張をしているのではない。「お前は元ネタの魅力に乗っかっているにすぎない。調子にのるな」と言っているのだ。
もう取り下げちゃったからどーでもいいことなのかもしれないが。
CF自体はほとんど誰も批判してないし、おそらく前払いする印刷代を用意する方法として有効利用できそうな気はする。ただし、コミケ1週間前に極道入稿するようなサークルでは無理だろうけど。
商業問題については色々出てきている情報によると、同人誌の出版自体にCAMPFIREが絡んでいる可能性がかなり高い。
コミケ自体が商業ベースの漫画大会に対する批判から始まったこともあって、そこで頒布される同人誌はアマチュア色の強い創作物だ。二次創作についても商業誌ではないからこそ原著作権者からお目こぼしを受けている部分も多い。過去にはポケモン同人誌事件やときメモビデオ事件、しまじろう事件などがあったが、今でも二次創作は危うい立場にある。オリジナルであってもその理念に沿ってサークルスペースで法人発行物の頒布はできない。
一応CAMPFIRE側はコメントを出しているが、目標金額に口を出していないとは言いつつ、出版そのものに関わっていないとは言っていない。
そもそも真木氏も同人誌ではなく「雑誌」と書いている。もしかしたら同人誌がどういうもので、一般書籍との違いを分かっていないのかもしれない。同人誌を知らない者がコミケでなにか売ろうとしている、それもオタクのカンに障る部分かもしれない。
事務所に所属する芸能人が写真集を出すとなれば肖像権の問題が出てくる。果たして個人による自費出版は可能なのだろうか。事務所側の内容チェック(もしくは口出し)や版権使用料の支払いなどがあればアマチュアベースの同人誌とは言いづらい。
ちなみにこれまでコミケにサークル参加したプロの方々は、肖像権であればコミケ限定で特別許諾をとったり、その他の権利を侵害しない様配慮しながら本などをつくっている。最近は声優さんや絵描きさんが所属する会社側で参加ルールを設けていたりして趣味としてサークル参加するハードルが低くなってきたようだ。先日の夏コミでも有名な声優さんが島中サークルで普通に売り子していたが、一般参加者も特別扱いせず普通に人が流れていたのが印象深かった。真木氏は権利関係をクリアにできているのだろうか。
プロがプロのルールで作ったものをサークルに持ち込む、これもオタクのカンに障る部分だ。
コミケはサークル、スタッフ、一般参加者が一緒になって作り上げている表現の自由を最大限尊重する「場」である。しかしその「場」を維持するために「自由」と引き換えに参加者には「義務」(ルールといってもいい)が課されている。これを「ムラ」といって批判する者もいるが、そもそも「マーケット」という閉鎖空間なので批判する意味がない。
これは違うと感じる。
(それが例えば友人に撮ってもらった個人的なピンナップであるとかコメントがあるとか、ある程度手作り感のあるものを※1)
「創りたいものがある」
「そしてその創作物を欲しいと思う人に買ってもらうために」※2
参加するのであれば、問題はなかった。
ファンのためにという目的が違う。コミケはファンとの交流の場ではない。
元記事の3. 参加目的が「(ファンの)皆様と会いたかった」からの部分ね。
弱小サークルでもファンに会いたいでしょって暴論過ぎると感じた。
コミケにおける交流はあくまでも副次的なもの、オマケとして発生するものでありそれを目的とするのは間違っている。
そして、彼女がそれを認識し、改めて「創作したいものがある。それを売るために参加したい」と表明すれば、
それで問題は収まっていた。追い出したいわけじゃない。
ただ守るべきルールがあり、時には確かに明文化されていない村ルールもある。
でもそれは決して難しくはない。過去の芸能人だって勉強して参加してるんだもの。
一番ダメだったのは「交流を目的とした」ところにあると思っている。
彼女の謝罪文も読んだけれど、あの曖昧な書き方では確かにファンは、
キモイオタクにいじめられたのねかわいそうと思ってもしかたがない。
コミケの目的と今回彼女が目的としたことがずれていたと、丁寧な説明が欲しかった。
※1 某ゴージャス姉妹は写真だけではなく丁寧な手書きのイラストページもあった。
創りたい、書きたい、皆に見て聴いて欲しいものを作って持ってきている。
※2 売買ではなく頒布という主張もあるようだが、
私見だが写真集がいけなかったんだと思われる。コミケは表現の場であるのに対し、交流がメインの目的で肝心の創作物が写真集では片手間に作ったと思われても仕方がない。
もちろん写真集が何が何でもいけないわけではない。彼女のSNSやブログは詳しく知らないが、日頃から写真をアップしてたり写真について語ってたり、表現者として写真に真摯に向き合っていたならまた違った反応があっただろう。創作物として写真を選んだのは、写真撮るの簡単だから作る感があふれていた。
コスプレ写真ならどうか?という意見があったが、原作なりアニメを見てない叩かれるから駄目だと思われる。一般のオタクなら作品を知ってて当たり前なのでわざわざ「その作品知ってるの?」などと確認は入らないが、外部の一般人がコスプレしてたら確認が入るのは仕方がない。
写真撮るのだって簡単じゃないというのは分かるが、ここで問われているのは姿勢だ。交流してもいいけど創作物を発表する場なのだから、それをおざなりにしてはいけない。
お盆休みで暇だから、テレパシーの通信プロトコルについてぼんやり考えてた。
映画・アニメ・漫画とかで、直接相手の心に話しかけるタイプのテレパシー描写が出てくるけど、どの作品も送信側のリクエストに対して無防備すぎる。
受信側は、「ポートは解放・ファイアウォールは無し」みたいな設定にされていることが多い。
また、通信リクエストを許可してからテレパシーを受信するわけではないので、着信拒否はできない。
どの場面も、いきなり電話がかかってきて、受話ボタン押してないのに相手が一方的に話しかけてくる感じのテレパシー描写だ。
まあ、受信側は初回通信時「あれ?なんか声が聞こえるぞ。」というテレパシーに対して無知であることも多いので、対策がなされていないのも仕方ないのかもしれない。
でも、二度三度と今後も通信していくんだったら、スパムテレパシーを防ぐファイアウォールや何らかのフィルタリング機能がないとノイローゼになるだろう。
テレパシー相手が、ツイッターでいうところのクソリプを延々と飛ばしてくるやつだったらと思うとぞっとする。
最後に、凝ったテレパシー設定が出てくる作品があったら読みたいので教えてください。
過去に読んだSFでも、地球外生命体がテレパシー(あるいは、そうと明言されてはいないが、脳に直接メッセージを送り込む方法)でコンタクトしてくる作品はいくつかあったけど、人類は相手からの信号に対して無防備だったなあ。
筆者はコミックマーケット(通称「コミケ」)を愛する者である。
私は、徹夜組を撲滅したい。
本稿では、なぜコミケで徹夜組がなくならないか、今後どうすべきかを考察する。
2017年も8月11~13日の間、東京ビッグサイト(国際展示場)でコミケが行われた。
3日間で例年50万人を超える人が来場し、プロ・アマ、個人・法人を問わず、自己の制作した創作物(主に同人誌)を自由に売り買いできる即売会である。
コミケはあらゆる問題を抱えているが(どのような問題があるかはウィキペディア等を参照)、ここでは徹夜組の問題を取り上げたい。
「徹夜組」とは、文字通り、コミケの開催前夜から東京ビッグサイトの周辺で待機する人々のことである。
コミケ準備会は徹夜行為を禁止しており、原則として、電車の始発で開場で来ることを要請している。
徹夜行為の禁止の理由は様々考えられるが、主な理由は、深夜に大勢が集まることによる周辺地域の治安悪化や犯罪、生活環境の悪化、騒音を防止すること、また未成年者が深夜に出回ることで犯罪に巻き込まれることを防止すること等であるとされている。
なぜか。
始発で並んで入場しても既に目当ての商品が完売していることがあるという現状がある(筆者も何度も経験がある)。
これは、ルールを犯してでも、徹夜行為をせねば手に入らない商品が存在することを意味する。
事実として、在庫を僅少にしか用意しない人気サークルがあり、これが、徹夜組の創出の遠因となっていることは否定できない。
しかし、サークル参加者には販売数を自分で決める権利がある。また、人気サークルとはいえ個人であることがほとんどなので、たくさん在庫を用意することを強いて赤字の危険を一方的に負わせるのも酷である。
そこで、販売数に実績のある人気サークルや芸能人出展者、継続的にプロとして活動している出展者は、事前に販売予定数を準備会に申告するとともに、購入希望者は事前申込みをすることができるようにルール化すべきである。事前に申し込んだ者は、申込時点ですでに売買契約が締結されているので、キャンセルはできない。会場へは受け取りにいくだけであり、受け取らない人間に対しては送料・手数料受取人負担で送付する、ということである。
準備会は人気サークルを把握しているので(壁サークルの存在)、このシステムは実現可能であると思う。
これに関連して、後日通販を強制するという手段も唱えられることがある。しかし、販売数についてはサークル側が予測できない場合があり、十分な量を確保していたつもりでも予想外に早くすべて売れてしまうという場合があるから、後日再生産を義務付けるのは酷であること、また再生産には最小ロット数の制約があり再生産も簡単ではない場合があることから、問題がある。
さらに問題なのは、徹夜禁止のルールに違反に対するペナルティは存在しないことである。
履行強制がないルールには実効性がなく、参加者からみて「ルールを守る意味がない」のである。
たとえば、何者かが開場時間前に勝手に会場内に侵入した場合、国際展示場の管理権者および捜査機関は、建造物侵入罪(刑法130条)として現行犯逮捕(刑事訴訟法213条)することができる。
しかし、徹夜組のうろつく国際展示場周辺は公道であって、原則として何時でも誰でも出入りできる空間である。
東京都が条例によってこれを禁止することも考えられないではない。しかし現状生じている不都合といえば、始発で駆け付けたマジメで純朴なオタクが、お目当てのものを買えないくらいのもので、徹夜組が出ようと目立ったトラブルが生じていないから、立法事実(条例を作るべき十分な社会的背景)がないといわざるを得ない。
東京都が法的なペナルティを課さないのであれば、コミケ準備会こそ徹夜行為に対してペナルティを課すべきである。
そうであるのに、コミケ準備会は深夜も国際展示場周辺に待機し、徹夜組を誘導、整列させ、始発できた人間より先に入場させている。
準備会はいう、「徹夜組を容認しているわけではない。しかし深夜に国際展示場周辺にきた人は整理せねばならない」と。
準備会としても、東京都が条例を設けないのと同じ理由なのであろう。すなわち「大した問題ではないから今のままでいい」と考えているのだ。
繰り返すが、準備会は徹夜組に対して何らかのペナルティを課すべきである。
具体例としては、始発前に国際展示場周辺で待機していた者は、入場ができないようにすべきである。
これを徹底させる手段としては、準備会は深夜に列形成をしない。治安維持は本来その職務を担うべき警察に任せる。または、列形成してもその形成した列からは入場させないという手段が考えうる。
なお、参加者をあらかじめ管理し、次回以降の参加を禁止するなどといったペナルティも考えられるが、いかんせん徹夜をする人間が多すぎるので、人的・金銭的リソースが足りず、このアプローチは困難であろう。
コミケは一見、自由な表現ができる楽しい場、そして神聖な場のように見える。
まず、正直者が馬鹿を見る状況はなんとしても変えるべきである。
メディアで、いわゆる「始発ダッシュ」が取り上げられることがある。本当に哀れだな、と思う。だってルールを守って損をしている人々だから。
そして、欺瞞を容認するままであれば、コミケ自体の価値が下がる。とことん下がる。
コミケを知らない人間から、やはり低俗なイベントなんだね、と思われる。
コミケが「参加者はみな平等という崇高な理念を掲げる」なら、たとえ困難が付きまとおうとも崇高さを追及せねばならない。
今のままでいいなどという考え方はコミケを滅ぼすであろう。
男女格差の是正によって男に付与されていた金銭的価値と社会的地位は失われ、子宮という価値を保たない我々はただ筋肉質なだけの無価値な木偶の坊と化した
男が毎日その金玉で製造する性欲は忌み嫌われ、セクハラという防御壁に阻まれ行き場を失った
性欲は本来向くはずだった女性の元を離れ、第二の現実と規定した創作物に安住の地を求めた
だがそれは理想郷ではなく、監視と管理の行き届く檻でなくてはならず、逸脱したものには容赦のない制裁が加えられた
檻の容積は徐々に狭まり、今ではもう檻そのものを内容物ごと焼却しようとする勢力が強い
これ以上俺から何を奪おうというのか
子孫を残せなければ俺のDNAは滅ぶだろう
それが望む結末なのか
それほど俺が憎いのか
俺がいったい何をしたんだ
男に生まれたのが悪かったのか
性器を切除すれば生きていて良いのか
性器を切除しなければいけないのか
性欲とはそうまでして抑えなくてはならない原罪なのか
あーそうだわ。
家のテレビの前でじいちゃんが同じこと言ってても家族しか知らないって話だよな。
可視化されてるっていうか知名度あるかって言うと結構どうなんだろって思うところはあるんだけど。
昔よりはブックマーカーが増えてるなとは思う。
昔はMAX100ブクマ行ったら驚異とされていたし。
ツイッターの登場とかはてなダイアリーからはてなブログに移行したあたりで人が増えたのかな。
消えた人も増えたけど。
増田の影響もあるのか。
はてなダイアリーってブログ利用者数ではそんなに多くなかった印象なんだよ。
コミュニケーションがメインの人はブログよりはmixiだったとは思う。
チャットとかBBSもあったけど特定の話題だけを話す感じ。はてブみたいな網羅感や一覧表的な感覚はなかったな。
ただクラスタ内部の話題が違う趣味の人の目に触れるようになってるんでBBSが違う趣味の人の目にも触れてる触れやすくなってる感じだよな。
よく知らないで書くけど、
創作物の発表も自作ホームページから、お絵かきbbsやブログを経由して、pixivや小説家になろうやカクヨム(武士の情け)に移行したかなって思う。
はてブの話に戻るけど、
ファーストブックマーカーや最初の数人ってどうやって記事見つけて来るのかなって思う。
自衛隊に入ってから、漫画やアニメなどの創作物における軍人の階級によく注目するようになった。
少年漫画なんかでよく大佐とか少佐とか出てくるけど、実際の自衛隊の1佐とか本当にごく稀にしかいない。
そしてほとんどの1佐がおじさん(おじいさんと言っても過言ではない)である。ハガレンのロイ・マスタング大佐は29歳らしいが、あんなイケメンの青年1佐とかはまずもって自衛隊には存在しない。まぁフィクションは嘘が無きゃ面白くないし、ファンタジー要素強めな漫画とリアルを比べても仕方ないけども。
もしもパッと見で青年に見える1佐なんて人がいたとしたら、防衛大学校を主席に近い成績で卒業してその後の数度にわたる教育課程も全てトップでクリアした超人だろう。残念ながらそんな神様のような人にお目にかかったことは未だない。もしかしたら日本のどこかに数人かいるかもしれない。
リアルとフィクションのギリギリの境目で階級に説得力があるのは、エヴァの葛城ミサト。ミサトさんは超エリート。29歳で1尉→3佐はまだギリギリでありうる。実際、30歳の1尉の人には一度会ったことがある。
エリートコースを突き進んだ新進気鋭の若手幹部もさることながら、長年キャリアを積んだ自衛官が中年から幹部試験を受けて任官する場合も数多い。若い3尉よりもむしろ、お年を召されている3尉、2尉といった方をたくさん見かけるように思う。
幹部にも色々ある。防衛大を出たての22歳の3尉と、20年以上自衛隊生活を重ねてから幹部になった中年3尉の序列が同じなんてことザラにある。だから「こんなに老けてるのに1尉なの?昇進遅すぎじゃない?」みたいな見方は早計だ。若くて出世が早い=有能、という等式は必ずしも成り立たない。
創作物の中では、部隊を指揮し全体を統括する立場にある幹部たちが主要人物となることが多い。そりゃそうだ。そもそも大佐とか少佐とか肩書きがカッコいいし。キャラクターにしやすいだろうし。組織を動かせる力は即ちストーリーを動かす力につながるし。
色々な漫画・アニメで、イケメンでエリートの大佐とか、とんでもないカリスマを持った少佐とかが登場するのは、面白いフィクションを創るという上で当然のなりゆきと言える。
そんな輝かしい彼らの陰に隠れて、定年間際のおじいさん大佐がいたり、そもそも幹部にもなれない(あるいは目指そうともしない)膨大な数の部下がいたりすることを勝手に空想するとなんだか面白い。
ヘルシング(漫画)はきちんとそのあたりを描写していたのが流石だなと思った。
当たり前だが現実の自衛隊とフィクションの軍隊との間には、階級における温度差みたいなものがある。
フィクションの軍人はみんな往々にして超人じみたエリートだ(じゃないとお話がつまらなくなる)。ワンピースのコビーの出世スピードなんてまさしく超人の域だ。
現実じゃこんなのあり得ない!リアリティが無い!みたいなことを言いたいのではなくて、現実は現実としての、フィクションはフィクションとしての面白みがあるなぁとしみじみ思うのです。
世間では漫画家だ声優だ絵師だなんだと言うものになろうとすると、一撃必殺しようとする怖い大人がいるらしい。
例のまとめを見て悲しい気持ちになった人もいるだろうから、ちょっと私の話をしてみたいと思う。
私も一応、インターネット上で小さく小さくものを作っている人間だ。文章を書いたり、どうでもいいものを作って公開したりしている。
文章の方は時々反響があったりして嬉しい気持ちになるが、まぁはっきり言って九割五分ぐらいはインターネットのゴミとして漂流する。だいたいそんなもんだ。
しかし、自分を悲観視しているかというと、はっきり言って一切悲観視していない。
ポジティブと言えばそうだが、そう言う以前にスタンスとして、タイトルのようなことを常に考えているからである。
その理由はひたすら単純だ。
創作者は自分の制作した創作物を使って、世間の人間を監禁することができるからだ。
人は創作物に触れている間何もすることができない。その人の自由を奪うことができる。
言われてみれば簡単な話だし、くだらないと思うかもしれない。
だが、創作物で時間を奪うということは、実は誰にでも簡単に行うことができる。あなたが作ったものを公開すればすぐにでもできる。
その時、別にできの良し悪しは関連しない。あなたの創作物が一瞬でも目についた時点であなたは間違いなく他人を拘束している。
検索画面のどこかに表示されただけでも、あなたはその人間の時間を奪っている。
その時点であなたは立派な創作者であり、もっと言えば犯罪者である。
もちろん、それが閲覧されれば最高だし、ついでにそれに評価が貰えればもっと良い。
その人は間違いなく見たり評価したりするために時間を使っているからだ。あなたはその人のことを更に長い時間拘束することに成功した。
評価が悪評だっても一切問題ない。あなたは悪評を書く時間をその人間から奪っているのだ。その時点であなたの創作物は立派に犯罪をしている。
あなたが作ったものに触れた人間を、鎖のない手錠をかけて、重りがない足かせをつけて、檻のない牢屋にぶち込んでやれ。
もう一度いう。創作者は犯罪者である。どんな些細な創作物でも犯罪は犯罪なんだ。
だから、どんなに小さく雑で碌でもないものを作ったとしても、それを公開した時点で犯罪だし、その時点であなたはつくり手側だ。創作者だ。
だからキーを叩け。ペンを持て。描画ソフトを立ち上げ、エディタを開き、工具を取り出し、そして罪を犯せ。世間から時間を奪い続けろ。
こんなスタンスでいろいろつくりはじめて、なんやかんやでもう3年である。
冷静に読み直してみたが、なぜか途中から鳳凰院凶真っぽくなってるし、昔こんなことを書いた自分も結構痛いなぁこれ…ほんとひどくない???
だが、こんなくだらない考え方でも、世間に何かを公開するハードルはかなり下がったので、インターネットに放流しておくことにする。
せっかくなので、個人的には犯罪者が跋扈していると思っている増田に投稿することにした。
例えばテレビでいじりと称してイジメのような事を笑いながら楽しそうにすると、それを見ている人達の感覚が麻痺して現実でもいじりと称したイジメが発生しやすく、それに怒った人は空気が読め無い奴とされやすい環境になる。
セクハラにしてもそうだ、それはダメだとかこれくらいで騒ぐのかラインが変わってくる。
例えばTwitterで見た話なので嘘かもしれんが、海外の学校で日本人男の子が仲の良い女の子のスカートをめくり、その場で女の子は激怒クラス中から男の子は無視をされ、こっちの国では犯罪だよ日本ではこんなのをするの!?とびっくりされたという話がある、日本ではそこまで大事になる話では無いだろう、ひょっとして激怒した女の子が冗談を笑って流せない空気を読めないガキ扱いをされる程度かも知れん。
親が現実と創作物は別だとしっかり教えればいいだろうとよく言われるが、子供はどんどん親だけが教える世界から卒業し学校やテレビや漫画や友達、様々な影響で成長していくようになる。
まあ、何々と同じなんでしょ?って言ってる方はぶっちゃけジャンルの話をしてるんであって
日本文学は全部日本書紀のパクリでしょ?みたいなことを言われようがそこは否定しようがない事実だから無言で頷く他よりない
(海は全ての生命の母でしょ?と言われてカチンとくる必要も反論する必要もないように一言そうだねというだけで良いのと同じ)
(創作物は作られる前段階で他の創作物と全く被ってないのかチェックされる以上は何らかの過去作品の影響を必然的に受けるものであると認識するべき)
作品にとって最も重要なのはビジネス的側面から言えば売上(利益率)であり何がルーツかはどうでもいい(勿論特許侵害に値しない範囲での活動に限る)
そして消費者サイドからしたら「どれが一番買いたいのか」でありこれまた何がルーツかどうかは極めてどうでもいい
仮にもしうる星と同じなんでしょ?(いつまでそんなもんみてんだバーカ)と言う意味で言ってきたとしても
それと深夜美少女アニメを見たいと思っているユーザーの気持ちとは何ら関連性がない
ジャンルとしてルーツがそうであったところで購買者の購買欲の有無とそれとは何ら関係性がない
同じジャンルならどの歌手・曲も大好きなんてやつがまずいないのと同じようにジャンルが同じだからといって購買欲が上がるかどうかは人それぞれ
同じものだから飽きる・同じものだから続けられる、そこは個人レベルの問題でありうる星がルーツかどうかは関係ない
なのでこの発言に同意したところで購買欲を否定できるものではないし、購入動機が消失するわけでもない
単にジャンルのことに対して問うているに過ぎない質問に正しい返答をすればよろしい
創作とは本来人間の根源に至る部分であり他者が介在すべきことではなく、あくまで己を磨き、己の内面発露を表すものである。
自己顕示欲が少しでも創作物に出れば途端に下品極まりないものになるのはこの為である。
安田朗氏や師走の翁氏、妹尾氏等の他時代のトッププロは当然のことの様に大前提としているが
法律で自己顕示欲からの創作は犯罪と明記し、取り締まるべきである。