はてなキーワード: 創作物とは
いや、例えの意味が分かりません(苦笑)
彼女は彼女が信じる内的な真実、つまりは強固な設定(苦笑)に従って行動してるわけでしょう?
どうでもいいことのためにあんな行動してるわけじゃないよね。
わかりやすいテンプレ世界観ならばともかく、創作物がこっちに出てきて大活劇なんて、
なんでもできるがゆえに、何ができて何ができないかは作中で示さないとわかりゃしない。
それでも個別の小さな事情ならごまかしも効くが、世界の崩壊がどうのという理由づけに
敵味方双方ともに焦点が当たっているのに、そこの理屈がプアだと説得力が無いわけだ。
もう少しいえば、「世界の崩壊」が真実か否かというより、各キャラクターがそれを信じるに至る経緯に説得力があれば問題なかった。
(たとえば小規模な「世界の崩壊」を実際に起こして見せるとかやってればだいぶ説得力は違った)
そういう描写が皆無な中で、敵味方ともキャラクターたちが疑問も持たずにそれを信じてる、
それはシナリオ都合であって、キャラクターの行動原理の描き方としては弱すぎる。安っぽい。
とりあえずはそーいう話だと思うけど。
創作とは本来人間の根源に至る部分であり他者が介在すべきことではなく、あくまで己を磨き、己の内面発露を表すものである。
自己顕示欲が少しでも創作物に出れば途端に下品極まりないものになるのはこの為である。
安田朗氏や師走の翁氏、妹尾氏等の他時代のトッププロは当然のことの様に大前提としているが
法律で自己顕示欲からの創作は犯罪と明記し、取り締まるべきである。
俺妹という失敗作をベースに問題点を改善しようとしたがキャラの魅力は減退しストーリーはご都合主義、突っ込み所万歳、嘘大袈裟紛らわしい展開ばかりで見るに堪えない駄作。
最悪なのが妹の設定。義理の妹を出すために主人公の母親を殺し父親に再婚させ連れ子の兄弟にする。その後邪魔な両親は殺して退場させるという鬼畜の所業。さらに引きこもりにして外部との接触を断ち外野からとやかく言われないようにするという徹底ぶり。前作が結末で叩かれたのがとても応えたらしい。
紗霧アニメーターとわざわざエンドクレジットに載せるほど紗霧の可愛さに重点を置いているのは分かる。しかしそれって結局、今回も他のキャラは捨て駒ってことだろ。
メイン回のあったエルフやムラマサはともかく、最終回になって久しぶりに出てきた委員長や書店の子がどんなキャラクターか把握出来た人はどれだけいるかな?
せっかく物作りを題材にしているのにの作者達の創作物がどういう物かさっぱり伝わってこないのも痛い。それで売れた売れないと言われても説得力が無く、ラノベ天下一武闘会もなぜ勝てたかさっぱり分からない。
ラノベ作家と絵描きが主人公ということで1%でも業界物要素を期待しているなら無駄なのでバクマンでも読んだ方が100倍マシ。
この作者のストーリーに期待できないなんていうのは前作の時点でわかりきっていたが、可愛い可愛い紗霧ちゃんと愉快な捨て駒サブヒロインを愛でられればそれでOKという萌え豚なら面白いと思えるかもしれない。
パロディオマージュを通り越してパクリにしか思えないキャラクターの設定と展開に萎えた。レクリエイターズじゃなくてパクリエイターズに改名しろ。
とにかく頭も性格も悪いキャラが多く見ていて冷める。デスゲーム物ゆえにそういうキャラが中には居るっていうのは分かるが、それにしても創作キャラクターも政府の人間もアホばっかりというのは斬新。根拠0の世界崩壊仮説に専門家呼ぼうとか笑っちゃうわ。
そして視聴者が見たいのは創造キャラクター同士の戦いで、オフパコ超会議で出会った女がネットで叩かれて自殺したとか、それで悩んでましたとかすげーーーーどうでもいい。出番の多い主人公がウザいって本当無理。そんなのに二話も使うとかアホ。
絵だけは綺麗で金かかってんだなとしか思わなかった。ソシャゲ原作のアニメって時点で地雷でしかないのに一応全話見た自分を褒めたい。
今更二期感が強く旬は過ぎた。巨人中学校、総集編映画、くそつまらんOADやカバ何とかを作ってないでさっさとこっちを出せばよかったのに。
ストーリーは原作で巨人の正体を知っているため驚きもなく流し見で終わってしまった。さらにこの後しばらく巨人が出ず人間同士の足の引っ張り合いの話になるとさらにつまらなくなるのでシーンズ3も期待出来ない。
よくある絵だけは可愛いアニメだったがそんな物は世に溢れかえっており食傷気味。せっかくの演劇という題材も活かせたとは言えず1ヶ月後には忘れられてる。こなたが本を食いだした時がピーク。インクと化学薬品の塊を食ってよく腹を壊さないな。
くまみこの再来。9話の超展開からジェットコースターのように落ちていった。人類対異方の交渉が崩れた時点で終わっている。最後には半分戻って来たけど。
ザシュニナから魅力が無くなりただのヤンホモ小悪党になっていくのが虚しくも笑えた。人間性を得た結果がホモ化とはたまげたなぁ…。
ただただ胸くそ悪い話。巨人に食われたり魔法少女が斬殺されるアニメより残酷だった。
石鹸枠へのアンチテーゼ的作品なのかと期待したが結局いつもの石鹸枠を抜け出せなかった凡作。かっこいい先生がかっこいい所を見せて先生すげーってのならぬーべーの方がよっぽど面白い。
15年前の話を5年前レベルの3DCGで今更やる必要性が分からない。特に一期から3DCGが全く進歩していないのに驚いた。同時期にやっている作品に比べて大きく劣っていることに気がついていないのか?
狂戦士の甲冑も全く迫力が無くてがっかりした。これなら過去のアニメやゲーム作品の方がよっぽど良かった。
3Dでは再現できない原作の雰囲気を出したい時だけ絵になるがその絵でずっとやれ。ちなみに原作だとようやく妖精島にたどり着いてキャスカが戻りそう。
文句ばかりになってしまったが、ここで触れていないアニメはまだ見る価値のある物だった(もしくは特に語る所も無いか)
中でもsin 七つの大罪、覆面系ノイズ、僧侶と交わる色欲の夜に…は展開が全く読めず見ていると頭がぐっちゃぐちゃになり気持ちよかったのでオススメです。
天皇家の娘さんが汚いおっさんどもにめちゃくちゃにレイプされるエロ漫画とか
天皇家の息子さんがお国のために冒険するファンタジーゲームとか
見てみたいの、私だけなのか。
追記
ホッテントリ入りしててびびる。みんな作品を教えてくれたり意見どうもありがとう。
ご指摘の通り古典には明るくないです。でもラノベとかRPGとか絵柄が濃くない漫画とかそういうのが見たいって言ったつもりだった。
実在の人物を描くのは〜ってあるけど、普通にこう伝説の勇者の血筋みたいな感じで天皇家の名前を出すだけでも中傷にあたるのかな。
お前は由緒正しい生まれなんだから魔王を倒すのよ的な。倒さなくてもオブリビオンな感じでもいいんですけど。
レイプに関しては軽はずみだったかも。でも高貴な血筋を汚すみたいなの好きなので。
ラノベとかもネタ切れネタかぶりってよく見るけどこういう方面のもの全く見ないのでみなさんわざと避けてるんだろうなーとゆとり心に思っただけでした。
・作者は穏便な話の流れで「もうがいがぁかうんたぁ的なものは書かないだろう」と発言(あくまで作者の意思として)
・それを受け警察広報が「作者はショック、同趣旨のものは書かないと発言」とアナウンス
こんなところだろうと推測される。
Twitterではお気楽な「ポリスは友達」論が散見されるが冗談じゃない。危機感なさ過ぎ。
そもそもみんな大好き「表現の自由」は、ずーーっと公権力との戦いなんだよ。
創作物が検閲されない・差し止めされない・問答無用で黒塗りされない自由。表現の内容によって創作者が処罰されない自由。これらは裏を返せば、「表現の自由」は検閲や処罰をしうる国家機関に対抗するためのものであり、憲法21条は表現者が萎縮せずに活動するためのお墨付きである、ということ。これが大前提。
(例外として、私人のプライバシー権などとぶつかり合うこともある。詳しくは石に泳ぐ魚事件を参照)
Twitterで「表現の自由の敵」と聞いて思い浮かべるのは、まずフェミニスト・リベラル・左翼……ってとこじゃない? のうりんにメグにみちか、全部奴らにやられたんだ!おのれ表現規制派め!俺達の二次元美少女を守れ!!……
違うんだよ。
なぜなら、そもそも批判・批評は立派な言論でありそれ自体も表現の自由として守られるべきものだから。(批評に対する批評、批判に対する批判も言わずもがな)
そして、いくら二次元美少女表現が炎上したところで、フェミやリベラルに強制的にそれを取り下げたり、ましてや発信者を罰する権限なんてない。(取り下げさせられたように見えても、それはあくまで発信側のイメージもしくは経営戦略に基づく判断)
それができるのは、公権力。
たとえるなら、リベフェミとオタクは「表現の自由」という名のリングの中で日々激しく殴り合ってる状態。かたやポリコレ棒、かたや二次元isフリーダム棒をぶんぶん振り回しながら。
でも公権力は、そのリングごと破壊する力を持ちうる。もしかすると、ファイターもろとも葬り去る力も。
今回のクジラックス先生の件は、でっかいチェーンソー持ったゴリマッチョ男性がにこにこしながらリングの近くに寄ってきて、リングの中の「がいがぁかうんたぁ的な部分」をトントン、ってして見せたってことだと思う。チェーンソーの刃先で。
果たして今後、その部分の上でフリーダム棒ぶんぶん回しながら戦おうって思える? 本人だけじゃなく、周りのオタク戦士達も萎縮せずに戦い続けることができると思う? 「リ、リングは広いし、別にここじゃなくても戦えるよね!」って、自主的にその部分は踏まないようになっていくんじゃない?
気づいたときには、戦えるリングはものすごーく狭くなってるかもしれない。別に誰かに怒られたり、処罰されたわけでもないのに。あくまで自主的に、少しずつ、「正しい」場所にしか足をおかなくなるかもしれない。
だから、もっと怖がらないと。騒ぎ立てないと。異常なことなんだって声を上げないと。
この件に関して、正常性バイアスの極みともいうべき「毎日新聞とかいうマスゴミが大げさに騒いだだけw」みたいなツイートが何千とRTされてるのを見た。
これはまずいよ。飼い慣らされてるってレベルじゃない。
マスコミの役割、アメリカではウォッチドッグなんていうけど、それは市民のために権力の暴走・腐敗を監視し、主権者たる国民に伝えること。(どこぞの大手紙が政府公報になってた事実も最近明らかになったけど)
今回の件は、アポなしダイレクトで表現者に権力がこんにちはしちゃった一大事なんだから、マスコミが伝える→市民が知るっていうプロセスを経て可視化していくのはとっても大切。むしろもっと大々的に報じてくれ案件。
それをまさかオタク側から攻撃して、権力側の肩を持ち始めるとはね。さすがに予想外だった……とはいえないかな。規制推進派の旗振り役を俺達の○○!って長らく持ち上げてきた前例もあるし。
お前らが寄りかかってるその大樹は、お前らの味方じゃないよ。
ここらで目醒ましておかないと、本当にやばいことになるよ。
追記。
ここまで書いておいてなんですが、実在の被害者が複数いる事件があったにも関わらず、クジラックス氏のツイートに群がるイキリオタク共が茶化したり武勇伝に仕立て上げようとする姿、まぁ醜かったですね。規制もやむなしと心情的に思わせてしまう何かがそこにはあった。軽蔑します。
私は国家公務員です。男で22歳です。ノンケで年上の女性が好きです。
クジラックスの漫画を真似て実際に少女をレイプした事件をきっかけに表現規制についてネット上ではまた活発に議論されている。
表現の自由はたしかに憲法で保証はされている、しかしそれは無制限ではない、自由には責任が伴う。大多数の人にとってクジラックスのロリエロ漫画のような表現は嫌悪感を覚える。嫌なら見るな理論は通じない、クジラックスの漫画があるせいで実際に子供が傷ついている、そのような実際に犯罪に影響を与える表現ははたして無制限に認められるべきか…私はNOと答える。公共の福祉に則り規制されるべきだ。
しかし法律で規制するのはあくまでも最終手段であって本来なら子供をレイプする表現は自主規制するのが筋じゃないのか?商業誌はある程度自主規制はあるようだが、同人誌界にはほぼないと言っても過言ではない。同人誌にはどれだけ過激な表現があるのか参考のためにADブロックを施していくつかの同人誌転載サイトを見たが、まあひどかった。金儲けのためならなんだってしていいのか。10歳にも見えない少女レイプを描写していいのか。そしてそれをずりネタにする鬼畜変態野郎がいるという事実。はっきり言って少女レイプ描写で興奮する奴は精神病院にぶちこむべきだ。
同人誌はモザイクさえかければあとはなんだってしていい無法地帯なのか?昔ならともかく今は同人誌はネット上で拡散され多くの人に目に止まる…それなのに自主規制をしない同人誌界はすごい。
まあネットにアップする奴が悪いとかの話以前に同人誌界は自浄作用が必要、コミケ等のイベントでは事前に発売する同人誌をチェックする第三者の機関が必要だと思う。
同人誌界が自主規制できないのであれば最終的には法律で規制されるであろう、東京オリンピックに向けて屋内禁煙やパチンコ、風俗等の規制が検討されている、これは国際化の一環としてだ。世界的には現実創作物問わず児童ポルノは規制される傾向がある。東京オリンピック前後にまた児童ポルノに漫画を含めるべきかどうかを国会で議論される可能性は非常に高い。
その時同人誌界が何もせずレイプ描写を野放しにしてたら同人イベント自体がなくなるような、漫画業界アニメ業界が消滅するレベルの強烈な規制が行われる可能性があるよ?同人誌界は自主規制を求められている。
大多数の人が嫌悪感を覚える表現は規制するべきだ、ただし政治的なことや対国家権力に対しての表現の自由は絶対に保障されるべきだし我々日本国民は守らなければならない。
俺は表現の自由を常々主張しているが、一元的内在制約説(+αは若干ある)的な「公共の福祉」に基づく表現の自由の制約は当然あると思っている。だから
元の増田やid:kamayan1980がどう考えていたのかはわかりませんが、私はゾーニングや年齢制限なども表現の自由への制限だと思ってます。
なので、許されない表現などないというとき、それは単に創作物の作成だけでなく流通への規制も一切ないという意味だと考えています。
真面目に表現の自由を主張している人でそこまで主張している人はまずいない(実は1人心当たりがなくもないのだが)。
満員の劇場で”劇場が火事だ!”と叫んで逃げ出す人々を生み出すことも現代アートです、と主張することは不可能ではないが、この場合は劇場への業務妨害が当然に成立するし、
創作物において、実在の事件で無罪になった人を犯人扱いしたことが名誉毀損罪になった事例は存在するが、公共の福祉における当然の制約だと思う。
現代の社会で、アダルト物や暴力表現が過激であるものがゾーニングされていたり年齢制限がかかっているのは、そういったものについて自由な流通は許されないと大多数が考えたからですね。
違いますか?
実のところ上で書いた例と比較した時に『有害だから子どもにエロ・暴力を見せたくない』というのは本当に内在制約と言えるのかは若干の疑問がある。
俺は子無しであるが、流石に子どもに無制限にエロを見せても良いとは思わない。ただ一方で、『エロを見せることは本当に子どもの発達に有害なのか』という研究はおそらく存在しない。というか流石にそんな研究は人道上許されないのは明らかだ。
この場合、子どもの成長への実際の害というよりも「子どもにエロをできれば見せたくない・ある程度コントロールしたい親の権利」との衝突で年齢制限がかけられていると一応俺は思っている。(規制の実態がそうなっているか、はまた別)
単純に考えて欲しいんですけど、「許される」派の人たちは深夜番組でCGのスナッフムービーが流されても問題ないと思ってるんですか?
テレビで、というのは若干の疑問がある。それはどうしてもTVの電波は有限のリソースだから(新聞や雑誌は商業的に成立するかどうかを抜きにすれば無限に存在することが可能だが、TVの電波は無限ではない)ある程度のバランスは必要になるとは思う。
ただその上で、増田は、気に入らないならチャンネル変えれば良いじゃないかと思う。
この例え自体現実味がないから考える価値がないというのであれば、かつて放送されていた深夜のアダルト番組がなくなったのはどうしてだと思ってますか?
「許されない」とされたからじゃないんでしょうか?
少しでも許されないと考えたものは存在を抹殺しようとする人がいて、そういう人による炎上を恐れたことによる商業的理由じゃないかな?
で、タイトルにも少し書いたけど。
~~~
規制派「お前は子どもがレイプされるエロマンガを一切の制約なく流通させて子どもが見ても良いと思っているのか」
~~~
この会話はフィクションだがこれに近い流れになることは多いし、実際に
自由主義(自らの自由と同様に人の自由も最大限尊重する)的な意味での表現の自由を主張する人に対し、自由(一切の制約なし)の意味だと受け取る規制派とのすれ違いがこの手の問題の根本にあるように思う。
今回の同人誌の件で表現を規制しろなどとは言わないが、ああいうものは悲しい
俺はHSP気味で、他人が酷い目にあっていると勝手に共感して自分も辛くなってしまう
しかも、その他人がどれだけ辛いのかをこれまた勝手に想像し、感じる辛さが無限に増加していって最終的に精神に大ダメージを食らう
これのおかげであらゆる創作物を楽しめない
このことを説明すると現実と妄想の区別がついていないとよく言われるが、区別なんてつくはずがない
そういう人が言う現実と妄想の区別とは、脳が受け取った情報をうまくタグ付けして適切に処理しろという意味だ
間違いなく模倣犯は出るよ。
たった一言「ネットで見たマンガの手法を真似た」と言っただけで批判が全て作者に行き、ネットじゃ自分が善悪を判断できると勘違いした自称神に創作物が全部悪いと叩いて貰えるんだからこれほどありがたいことはない。当事者である犯人は批判の対象にすらならない。どんどん「模倣犯」は出てくるに決まってる。
例のアレで吹き上がってるやつが多すぎるんだが、何が問題かあるいは何の法に触れるのか明確に根拠を示してるやつを見たことがない。
ただ自分が嫌。
ただそれだけ。
現実ではないただの絵空事の中で行われていることを、現実の犯罪かのように断罪しようとする。
包丁をつかった犯罪がなされたとき、悪いのは包丁をつくった職人か? 包丁を使った犯罪が起こるたび包丁をこの世からなくせというのか? 違うだろ。
夜道を女が歩いていてレイプされたら悪いのは女か? そのたびに夜道をひとりで歩く女を取り締まれというのか? 違うだろ。
幼女レイプ同人誌が犯罪を引き起こす怖いと言ってしまう馬鹿にはこういった論理が考えられない。
だから感情で「創作物が原因、規制せよ」などと吹き上がってしまう。
ひとはあらゆる創作物から影響を受ける。ありとあらゆる創作物はひとに影響を与える。
そしてその行為を実際にやるまでには無数の壁がある。たいていのやつは行動を起こさない。なのに行動を起こしたひとりのやつがために創作物を規制せよと声高に叫ぶのは包丁が悪い夜道を歩いた女が悪いというようなもの。作者や作品に犯罪者の犯罪行為をなすりつけるな。
もしここまで言っても幼女レイプ同人誌と包丁を夜道を歩く女をいっしょにするなと思ったお前。
http://b.hatena.ne.jp/entry/340096756/comment/kamayan1980
たとえばフルCGで作られたそういう動画が流通してたとして何の問題もないと?
(ここでいう問題とはそれを見て真似する人たちが出てくるということに限定しません。)
追記:
とりあえずホラー映画とかとっくにあるじゃんという意見には、あなたはスナッフムービーが何か知らなさすぎですとしか言えません。
人の体を破壊して殺害することそのものを楽しむものと疑似的な恐怖感を安全な場所で楽しむものは一緒に扱えるものではないと思います。
単純に考えて欲しいんですけど、「許される」派の人たちは深夜番組でCGのスナッフムービーが流されても問題ないと思ってるんですか?
この例え自体現実味がないから考える価値がないというのであれば、かつて放送されていた深夜のアダルト番組がなくなったのはどうしてだと思ってますか?
「許されない」とされたからじゃないんでしょうか?
単純にそのような創作物を作成してはならないという意味で考えている人もいるかもしれませんが、私はそういう意味では考えていません。
元の増田やid:kamayan1980がどう考えていたのかはわかりませんが、私はゾーニングや年齢制限なども表現の自由への制限だと思ってます。
一般に表現の自由というのは創作活動そのものだけでなく創作物の公表や流通も含むものとされています。
なので、許されない表現などないというとき、それは単に創作物の作成だけでなく流通への規制も一切ないという意味だと考えています。
現代の社会で、アダルト物や暴力表現が過激であるものがゾーニングされていたり年齢制限がかかっているのは、そういったものについて自由な流通は許されないと大多数が考えたからですね。
違いますか?
CGスナッフムービーの何が問題かについて、まずCGであっても本物と見まがうようなスナッフムービーはその視聴により人の脳にダメージを与える効果が他の映像作品よりも圧倒的に強いという点、成長途中の児童に見せることがその後の発達によくない影響がある点、創作物と偽って本当の犯罪が行われうる点(レイプもののAVでありました)、見たくない人が作成、流通、広告、放送などの様々な段階で目にしてしまう点(見たくもないアダルト広告は規制されるべきでは?未承諾広告は規制されました)
追記2:
正直、自分でも上に書いた問題点は中途半端だし弱い気がする。何なんだ。結局自分が不快だからやめろっていいたいだけなのか。(でも逆にすべての物事の判断はは感覚的な良し悪しを事後的に理屈を付けているだけとも思う。)すまない。自分でもよくわかってないんだ。表現の自由は最大限尊重されるべきだと思うよ。でも許されないものってあると思うよ。ブコメにあったけど差別発言とかヘイトスピーチとか。
流通の話じゃねーだろという指摘もあるけど、流通しない創作物のことを考えても意味ないよね?それは思想の自由とでもいうべきもので。
がんじがらめの流通ゼロも規制なしの野放図も間違ってると思う。とりとめなくてすまん。
あと本物のスナッフムービーがだめなのはそれが殺人という犯罪だからというのはわかってるつもりで、だからこそ次の行に「たとえばフルCGで」と書いたんですが、そこんところに誤解のあるブコメが星を集めてるのは、やはり自分の書き方が悪かったんですかね。いろいろすまんかった。
追記3:
いまだにこれがどうしてこんなにブクマが付いたのかわからない。他の増田と何が違ったのか。
「許されない表現」とはどういう意味なのかについて、多くのコメントや元増田やid:kamayan1980は「存在が許されない表現」という意味だったんでしょうか。
たとえそうだとしても私は存在が許されない表現はあると思いますよ。
本物のスナッフムービーは殺人だからだめだというコメントが結構あって評価も高いみたいですけど、これは存在が許されない表現ということなんじゃないんですか?
表現と犯罪を切り離せ?表現行為そのものが犯罪だったとき、それは切り離せられるんですか?切り離したとして作成自体はだめでも流通自体はOKになりますか?
ISの公開処刑とか秋葉原や池田の目立つためにやった集団殺害とかこれは殺害行為を周知することが目的で行われたもので表現行為と言えると思いますが、これは存在が許されるとでも?
表現の内容によって「許される」程度というものがあると思います。
犯罪行為など存在自体が許されないものから、誰が見ても問題のないものまで、いろいろな表現があって、それぞれに適切な公開範囲や公開方法があるんじゃないでしょうか。
誰が許すのか、多数派とは何かというコメントもありましたが、正直そこからかよと思います。
誰が許すのか、そりゃ私達ですよ。民主主義社会に生きているわけですから、なんだって決めるのは私達自身であって、私達自身が責任を負うんですよ。
少数意見だって尊重しますけど基本的には多数決で決めるんですよ。そういう社会で生きてるんです。いろいろあってそういう社会がましってことになってるんです。
私はこれくらいならこれくらいの規制が妥当だと思うみたいな意見を持ち寄って落としどころを決めるんですよ。
もっと規制を強めた方がいいという意見や弱めた方がいいという意見があって、互いの意見を聞いた上で社会全体にとってどれくらいの規制がいいか判断するんですよ。
嫌なら目をつむっとけ?それこそ自分の快不快だけで人の意見を聞かない態度では?
自主規制にしろ法的規制にしろ結局のところ決めてるのは自分達ですよ。
再びスナッフムービーは殺人だから犯罪だからだめなんだという意見について、
じゃあそもそもなんで殺人はだめなんですか?犯罪だからですか?刑法に書かれているからですか?
違いますよ。
殺人を許すと自分たちの直接的に間接的に生存が危ぶまる状態になるから禁止してるんですよ。
あと単純所持ですら犯罪である児童ポルノですが、これも表現としては許されるんですか?
これについても犯罪だからだめなんだって言いますか?わりと最近まで犯罪じゃなかったんですよ。
許されていた表現が許されなくなったわけですが、それでも許されない表現はないと言いますか?
犯罪だからだめなんて思考停止してたら、せっかくの表現の自由が泣きますよ。
許す許さないの判断や規制が権力装置と結びついたときの問題は、表現規制の手法と検閲の問題であって、許されない表現があるかどうかとは別の話だと思いますよ。
と言う認識が全く無さそうなのが多いのが恐ろしい
殺人は悪い事である、と言う事を知らない人間はほぼいないだろうが
性犯罪は悪い事である、と言う事を知らない人間は物凄く沢山いるんだよね
殺人だってそれが犯罪であると言う認識すらなく気軽に起こす人間が多発してりゃ、創作物の殺人描写も問題にされるだろうさ
実際「人を殺してみたかった」とか言うアホガキが流行ってから
それは「未熟な子供だからそうなった(大人であれば問題ないだろう)」と言う理由付けがされているが
例の事件を受けてクジラックスの「がいがぁかうんたぁ」を読んでみた。と言うよりネットに普通に落ちてた。これは犯罪を誘発させると思った。
感情論で創作物は規制するべきではないと思うが実際に犯罪に影響があるのであればロリエログロを問わず公共の福祉に則り規制されるべきだと思う。
日本国憲法で保障されている「表現の自由」は対国家権力に対しては絶対的に保障されるべきであって、ロリコン漫画は実際に犯罪を誘発し罪のない子供を傷つけるのだから無制限に保障されるべきではないと思う。
わかりやすく言えば安倍総理批判は無制限に保障されるべきだがクジラックスの漫画は実際に犯罪を誘発させるから規制ということ。
現にクジラックスの漫画に誘発されて20人もの被害者がいるという事実、これはたまたまではない。クジラックスの漫画がなければこんなに被害者は出ない。
私も東京都青少年育成保護条例とか児童ポルノ法改正の際はばりばり規制反対派で連日2ちゃんねるやTwitter等に表現の自由を侵害するな!と書いていたものだが。
規制反対派から賛成派になったのはロリコン漫画規制反対を唱えるネトウヨの存在。
ネット右翼さんの主張はホント感情的だ、タバコは自分が吸わないから規制しろと唱えるし酒も自分は飲まないからと規制しろと言うしパチンコは北朝鮮に金が流れているから規制しろと言うし。
でもアニメや漫画を規制しようとする政治家がいたら「感情論で規制するな!好き嫌いで規制するな!これだから女は!」と言うくせして自分のやらないものに対して、嫌いなものに対して規制しろと感情論全開で連呼するネトウヨ。そんなダブスタ理論には付き合えない、擁護する価値はないと思い規制賛成派に転身した。
すさまじい叩かれぶりに驚いた。
kamayan1980:「『許されてはいけない表現はある』ねえよ、(略)」
ってほんとにそうか?
少女を騙して暴行を加える漫画は同人界隈では自由に描かれてしかるべきか?
漫画アニメに限らないだろ、という意見には同意しておくとしても
だって語彙に、思考のクセに、脳内モノローグに、影響を及ぼしつくしてる。
大好きなセリフが、目に浮かぶ情景が、頭で鳴りつづけるアニソンが、各人の性格形成に影響無いはずないだろう。
もしかして: と頭の中の言葉はグーグルの予測変換のように連想されて、
俺の場合の多くは漫画アニメから抽出される。思考の大部分を占めている。
体は?と聞かれたら「剣できている。血潮は鉄で心は硝子」だし
明日って?と聞かれたら「いまさ!」なんだよ。
なぜ助けた?って聞かれたときに「さあな そこんとこだがおれにもようわからん」って答える準備はバッチリだし
世話かけるな って言われて「いいよ」って返すのを待ち望んでいるんだよ。
勇気の出し方、
あげちゃってもいいと考えること、
ほんとのピンチには逃げること、
納得をすべてに優先すること
運命との決着のつけ方
もうだれも恨まなくていいこと
嫌なことあっても元気でいいこと
何者にもなれないこと
泥なんてなんだいってこと
飛べない翼に意味があること
世界を、自分さえも変えてしまいそうな瞬間はいつもすぐそばにあること
いくらでも思いつくし、ちょっとしたきっかけがあれば頭の中で音と色を伴って再生される。
浸って味わって、助けられ打ちのめされ勇気づけられてきた。
そういうプラスマイナスそれぞれの作用があること自体を否定はしないだろ?
言いたいのは、フィクション作品が現実に及ぼす影響は当然あるのに、抑制は本当に必要ないのか?ということ。
そこを見て見ぬふりして既存の文脈に乗っかるだけで表現の自由だけ叫ぶのは果たして正しいのか、とも。
少なくとも俺は、少女を誘拐して暴行するような様子を描いて追体験できる作品なんて、フィクションノンフィクション問わず、いかな魅力と興奮を伴う作品だとしても、ことごとく無くなっちまえばいいと思うんだよ。
それが実際には難しい問題だとしても、責任を負うことなく好き勝手に自由に描かれて流通していいものじゃないだろ。何かブレーキが必要という意見を支持するぞ。
だって多感な時期に出会う創作物に性的趣向が影響受けまくることに、各々自覚がないわけじゃないだろ?
追記:コメント返信。最速トップブコメに敬意を。他の皆様は→anond:20170615211337
whkr : 世の中の大半の人間は、創作で気分に変調をきたしても、いざ犯罪行為に及ぶ前に理性でブレーキをかけるものなのだが、そういうのに自信がない増田のような人間の責任を、表現者が負わなければならないのだろうか?
→そうそう俺の理性は危ういんだよ。そして貴方の理性も常時万全とは限らない。表現者が犯罪者の責任を負うことは俺も望まないが、「この作品が世に出てどんな影響があるか?」と想像してときに自主規制するくらいはするべきなんじゃないか。それは今十分?