はてなキーワード: 上社とは
人間は男女どっちかに属しているから、ジェンダー論の取り扱う戦場から逃げ場がないんだよ。オタク論ならオタクじゃないと自認してる人は無関係だと離脱できるし何ならオタクをやめることによってその論争から逃げてもいい。でもジェンダー論は無理。耳をふさいでもいいけれど、知らないどこからか撃たれて実社会でダメージを負う可能性すらある。
究極的には、男も女も、言ってるのは「もうこれ以上私たちから奪うな、責めるな、いじめるな」なんだよ。
増田では「フェミは強欲でどんどん自分たちの利権を拡張しようとしてる」みたいな批判が良くなされる。それそのものの真偽は横において、真だろうが偽だろうがそれとは無関係に、フェミは(そして女の多くは)「もう十分わたしらは被害者なんで、歴史的に見てやられてきたんで、これ以上要求しないでくれませんかね」っていう被害者意識がベースなわけよ。
んでもって、それは男性側も大差ないわけ。現代社会においてメイン労働力として期待されてる割にはそれに対して精神的な反対給付がないって言う被害者意識を持ってる。重ねていうけれど、本当にそれって被害なのかどうなのか? 本当に差別受けてるの? 受けてるとしてどっちが多いの? ってのとこれは別の話ね。お互い貧乏くじをひかされたと思ってる。内面で真実だって話。
まあぶっちゃけ、日本社会に余裕が無いってのが一番大きいと思うよ。メディアの逆望遠鏡効果みたいなので、自分の不幸が際限なく拡大されて見えるんだよ。みんなもう限界ギリギリに疲れているでしょ。これ以上社会的義務や奉仕を要求されたら倒れちゃう。なんせ俺たち日本人は勝手に自分たちでハードル上げて血反吐吐くのが大好きな民族だから、いつでも限界なのよ。
ジェンダーに限らず、ありとあらゆる場所や局面で、自分の所属するXXXは不遇であるってみんなが叫んでる状況だ。非正規とか、ルッキズムとか、マイナーな趣味のマイナーさとか、都会居住/地方居住とか、世代別とか、学歴とか。それらのうちどれが正当な嘆きかなんてのはあんまり関係ない。内面では真実なので叫びはやまない。
あとはもう声の大きさと、その問題でどれだけ多くを巻き込んで炎上できるかどうかってのだけが重要なんだよ。男女って枠組みはその最大規模ってだけ。
民進党が党を挙げて擁立した、いわば野党の代表が就任早々に言ったセリフがこれだ。
事業仕分けで散々叩かれ、二重国籍問題で叩かれ、またも燃料投下。もはや炎上ブロガー以上の炎上スキルである。
続けてこう発言した。
「今の政権では社会保障の充実が置き去りにされている」(中略)
「人生の先輩方がどうやったら元気で、長く、自分らしく生きることができるのか、大きなかじ取りをさせていただきたい」
http://www.sankei.com/politics/news/160919/plt1609190021-n1.html
我が国の一般会計予算96兆円(H27)のうち、33%(31兆円)は「社会保障費」である。そのうち、いわゆる老人に使うカネである年金医療介護保険給付費 (年金,医療,介護)は23兆円なのだ。※1
つまりざっくり言うと、国家予算の23%は老人に費やしているのだ。この国の未来よりも、選挙で一番投票層の厚いこの世代の事を考えれば怖いもの無しというわけでしょうか。彼女はこれ以上社会保障費を充実して、何を削るというのだろうか?
社会保障費に対して、我が国の"未来への投資"はどうだろうか?
「文教及び科学振興 」(5兆円)と「公共事業」 (6兆円)の割合は合わせて11兆円程度であり、わずか11%にすぎない。
たしかに年配者は聡明で何でも知っており、できれば長生きして貰いたい人だっている。けどそれとこれとは別で、老いれば誰しもが、もはや独りで自立できる状態では無くなってくるのだ。
きっと原因は進みすぎた医療にあるとおもう。
いや医療技術は技術としては本当に素晴らしい。大昔の平均寿命を考えれば、もはや神の領域だ。しかし医療の恩恵を受けるのは身体のみであり、脳は延命治療は施せない。本来であれば脳が死ぬ前に身体が死ぬはずだったとしても、現在は身体が医療により脳の寿命より延命される。
つまり脳が死んでもなお身体は生き続ける。これが認知症の状態だ(少なくとも私はそう認識している)。
江戸時代の平均が30~40歳で、平均寿命が50歳を超えたのは戦後すぐの1947年。医療によりわずか70年で平均寿命はさらに35年も伸びたのだ。
現在、要介護認定者は2014年に600万人を超え、65歳以上の約2割を占める。(全体の人口の5パーセント)
この中のどれだけの人たちが認知症なのかはわからないが、医療により身体と脳の寿命のバランスが崩れてきているのではないかという気がする。
自立していたであろう大人が年を追うごとに、赤ん坊に帰化するかのごとく、頭も身体も、自分の足では立つことが難しくなる。
経済上も若者が納めた税金で年金を享受し、介護では肉体的に若者に支えてもらっているのが現状だ。それ自体は仕方がないし、支え合うのは当然だ。
しかし、老人ホームへ赴くたびに若者がこんな処で消耗していていいのか?と思う。
貴重な国の財産であり、これからの未来を担うはずの若者が老人ホームで、もうすぐ死ぬであろう者のお世話をしている。きっと好きでやっているんだろうな。
そう考えるとおこがましいが、勝手にどこかで彼らに対し"勿体無い"という気持ちになる。
高齢者に対し、身体的にも経済的にも投資することに対する見返りはほとんどない。いわば"沼"なのだ。反発係数ゼロの壁だ。そこへ投資するカネはとたんに"死に金"になる。
我が国はこれ以上本当に高齢者に、莫大な時間と、若者の手と、カネを費やす必要はあるのだろうか?
ただでさえ各国に追い抜かれ、後進国となりつつある我が国は若い層を大事にしなければならない。
子供を産ませ、教育サービスや経済的支援を充実し、社会資本整備による国際競争力の向上、モノづくりに対する支援などで景気を好転せねばならない。でなければ、もう手遅れかもしれないが、秒読みでもっともっと情勢は悪くなるだろう。
いずれは自分も、散々上記に挙げたような高齢者になるし、その時に誰にも助けてもらえなかったらと心配もするが、高齢者問題はこのままではあまりにも大きな重りとなって、この国を沈めてしまうだろう。
高齢者は尊いし知恵もある人生の先輩だ。いつまでも元気で自分らしく生きて欲しいと願う気持ちも当然ある。
かつて高齢者は大事にしなさいとはよく言われたものだが、それは高齢者が数少ない貴重な存在だったからだ。貴重なものは確かに大事にすべきだが、高齢者はもはや増えすぎだ。
正直アンバランスである。数が多いものを大事にする必要があるかというとそんな事はないように私はおもう。
もう子供の名前はわからないし、駄々をこねたように暴れたり、暴れお漏らしだってする。でもそんなことすら1時間もすれば忘れる。
そんな姿を見て、昔の姿と対比して、生きるってなんだろう?と思う。動いてれば生きてるということなんだろうか?解放できるのであれば、解放させてあげたいがそんなこともできない。
そんな祖母は上に挙げた社会保障費から補助金で施設に置くことができているし、幸運にも祖母自身にも貯金があった。そういう身内を支援する仕組みや貯金があって不幸中の幸いというやつだ。
よく無理心中の話も聞くが、これらが無かったらと思うとゾッとする。しかし世の中には当事者の貯金もなく、要介護認定を得られなくて苦しんでる人だって、おそらく相当沢山いるのだろうな。
どうやって高齢化問題を解決すればいいのだろう。現代版姥捨山が必要なのではないか?
安楽死という手段が合法化し、本人にも身内にも安楽死という手段が選択肢に入るようにする。
これくらいしか思いつかない。というかこうでもしなくてはいけない段階にきているのではないかと思う。でも人間の尊厳とかでそんなことを実現するのだって無理なんだろうな。根深い、根深いよ
※1 内訳には医療も含まれており一概に老人に使う金とは言えないが、医療費のかなりのウェイトを老人が占めるので多少大げさだがこの表現とした。
不定期で休日出勤している
取り扱っているシステムが24時間365日稼働しており、その日のうちに手動で対応しなければならない作業がまれに突発的に発生するため、そのための要員として日曜は無人のフロアで一日中ぼーっとしている
最近、どうもその突発的な作業が発生していたらしいのだが、俺のところには依頼の連絡が全くなかった(発生時は担当部署から電話がかかってくる手筈になっていた)
あとでわかったことだが、俺に電話をかけてくるはずの部署は日曜日は休みで誰も出勤していなかったらしい
この部署も、取引先担当者からのメールでの依頼を確認し、その上で俺に具体的な指示を下すだけなので、「いっそのこと取引先の担当者に増田に直接連絡するようにしてはどうか」と社内で検討されたらしいのだが、俺の業務契約の関係上社外の人間からの依頼を直接受けるのはNGとのことだった
そして結局どうなったかというと、「どうにもならない」「日曜日に作業が発生するのは非常にまれなので、そのために担当部署を出勤させる必要はない」ということになった
要するに対応も改善もする気はない、ということになった(とうぜん取引先には内緒)
「え、じゃあ俺って日曜に出勤する意味なくね?」と現場の上司に言ってみたが、「お前の派遣元が売上落ちるのを嫌がったんでお前の休日出勤はそのまま継続ってことになった」と言われた
なんだかなーと思いつつも、ただ座ってるだけで一日分の給料貰えるわけだし、まあいいかなと思ったり思わなかったりしながら増田に投稿している
追記
なんか予想外にブクマついててびっくり
この担当部署ってのが、俺の派遣元とは別の協力会社が丸ごと受け持ってるところで、そこは「日曜祝日は自宅待機含めて一切対応しない」って契約なんだそうな
だから当日は連絡する手段がない(私物の携帯番号も教えられない決まりになってる)
ブクマついたついでにもう一つ「なんだかなー」を追加させてもらうと、俺がするはずだったこの対応業務ってのは、本来は部長級(このフロアで一番偉い人)の職位じゃないと出来ない業務なんだけど、それじゃあ部長が休める日が全くなくなってしまうってことで、代行者である派遣の下っぱの俺のIDにだけ部長と同じ特殊権限が付与されていたりする(笑)
この権限、ウン千万円の稟議の承認とか全社員のイントラネットのIDをいきなり停止したり勝手に作ったりとかできてしまう管理者レベルのシロモノで、上のような経緯があったのにいまだに権限がそのまま放置されていて、なんだかなーよくこんな状態で俺を一人で放置できるよなー怖くないのかなーすげー胆力だなーコンプラとかガバナンスとか大丈夫なのかなーと、まあそんな感じで定時になったんで帰るわ
結婚について考えておく
結婚するのが難しそうだ。
収入からいって、家族を養えるレベルではない。年収を上げる努力を現在していて、転職も視野にいれて活動中だが
家を買うつもりがない。
オレは一生、賃貸暮らしで良いと思ってる。いざとなったらトレーラーハウスを買う予定だ。
関東近郊できちんと土地に値が張るところを購入して、住むのはトレーラーハウスで良いと思ってる。
風呂さえどうにかできれば、後は自前で何とかやっていく自信がある。
ただ、狭い。
だから二人で暮らすなんて到底考えにくい
子どもを持つつもりがない。
自分の出自もあるが現代のこの社会で、子どもを上手に育ててやれる自信がない。
家を買うつもりがない、トレーラーハウスに住むとか言ってる親の子どもが、文明社会に馴染んで育ってくれるのか。
今はインターネットで教育を補完できるとは思うが、、、学校で苛められたり、抑鬱や引きこもりになったらどうしよう。
オレは半分引きこもりで、いまこうやって社会で独り暮らしができることが不思議なくらいだ。
なんで出来てるのかもわからん。
子どもが幸せに生きている姿を想像できない。自分と一緒に笑って生活している妻の姿を想像できない。
長生きできる自信がない。
どこかでストレスや病魔に冒されてくたばりそうな気がする。
実は神経症と精神病の中間を患っていて、頚椎のあたりにずっと緊張性の筋収縮を煩っている。
ビートたけしみたいなもんだと思ってくれればいい。
顎関節症と併発していて、緊張状態に置かれると無意識に頭や首の辺りの筋肉が一気に硬くなる。
そう、オレはACだ。アダルトチルドレンだ。
母親が宗教に心酔していて、父親がアル中の最悪の家庭から生まれた。
だがどういうわけか、高校をきちんと卒業して、専門学校まで行って、建設業関係の資格を現役でとって社会に出た。
コミュニティに入れず、半分以上社会から排斥されて、隔絶された環境で育って自分が
社会を知り、歴史を知り、経済を知っているのはインターネットのおかげだ。
これがなかったら、自分はとうの昔にくたばり果てていたことだろう。
オンラインゲームにはまっていたころの自分を、社会に出たときに強制的に現実へと切り替えさせたときに
現実とオレは闘わなければならない。
人として自分は未熟だと知っているから、妻を得ても自分の未熟さが露呈するだけなのではないかと恐れている。
幸い、犯罪者になるような素質はなさそうだ。
今は性欲は簡単に処理できる時代だし、暇つぶしや勉強には事欠かない。
死ぬなら一人で、と思っている。
結局何が悪かったのかわかるようでわからんようで、まだ正直気持ちの整理もできていないが、落ち着かせる意味で増田に書かせてもらう。
今度、35年つとめた会社を退職することになった。いや、正確には一応は役員になっているから、解任か。
解任理由は簡単、
会社人生ではいろいろやった。自分なりに会社に貢献してきたつもりだったし、事実、苦しいときには俺がやった事業が会社の新しい展開をやれたとは思う。
ただ、その事実そのものを、専務の奴は気にくわなかったんだと思う。
もういい加減、愛想が尽きた。今は、あんな会社は徐々に腐っていけばいいと思う。
入社したときは、企画職でも営業でもなく事務職だった。ただ、ちょうどその頃会社はその頃の看板商品が大ヒットしていて、人手が足りなくなってた。
そこで、他の部署に応援に回される事になって、いろいろな部署の応援をやった。
人海戦術のDM発送、苦情受け付けに倉庫整理、制服の繕い物、展示会の売り子から営業の補助まで、何でもやったよ。その中で、最終的にある製品企画のプロジェクトに回された事が転機になった。
そのプロジェクトは全然注目されて無くて、一応商品化は済ませていたものの、社長や専務の覚えも悪く全然売れてなかった。
ただ会社の景気だけは良かったからお取りつぶしにされる事無く済んでいた。
こんな、他にもいくつかあったプロジェクトの一つだった。一応は責任者という立場だったが部下はいなかった。
会社はどこまで行っても同族企業で、その上社長や専務が強力なコネクションを持って仕事を取ってくるような所があった。
だから、社長や専務の覚えがめでたけりゃ予算をもらえてそれだけである程度売れる。
ただ、そういう所はひたすら専務の言うことを聞いてなきゃだめ、言いなりになってないと駄目と言う感じだった。
一方で、そうではないところは完全に日陰。だから俺がやる事になった所は、商売としてはさっぱりだったが、その代わり注目もされないので専務に横やりを入れられることもなく、自由にやる事ができた。とにかく当時は看板商品が売れに売れてお取りつぶしにするような手間すら惜しかったのだろ。
どうせつぶれるのだろうし、いろいろな場所でいろいろな手伝いをして歩いてずっと考えてたビジネスプランを実行してみることにした。
それが、当たった。ビジネスプランには自信が無いわけじゃないが、時代に当たった運もある。
もちろん、始めはいろいろと難しかったけど、取り組み初めて数年で軌道に乗り始めた。
バブルの残り香が消え始め、酔いが覚めるように人々はだんだんともうバブルは終わったんだと言う空気感になり始めた頃。そんな時代が切り替わるタイミングというのはいろいろと古い商売と新しい商売が入れ替わっていく。
そんなタイミングにあっても、出た芽は小さくて、昔からの商売をしている人にすれば、たまに生まれてすぐに消えるようなものに見えていたと思う。だからそう言う新しいことをやろうとしている人は、今の商売でうまくいっている人々に相手にされていなかった。
そこに俺は、今の商売でうまくっている所の看板を使って乗り込むことで、一気に市場で存在感を出すことができた。今流で言うと社内ベンチャーということになるのだろうか。最初は小さかった商売もだんだんとうまく行き始めた。
ただ、うまくいきすぎた。いや、違うか、本当に時代が変わっていた。これは悪い事に、これは看板商品の方がだんだん時代に通用しなくなってきたことも意味してた。前の看板商品はだんだんと売れ行きが鈍っていく。一方で俺の商品は売れていく。
そうして、あるとき有力な取引先が3つも相次いで路線変更をし、うちの商品のそれまでの看板製品の扱いを大幅に絞った。その代わり採用されたのが俺がやってた路線の商品。
うれしいと思うよりも、もう必死だったよ。気楽にやってたのにいつの間にか主流の落ちた売上を俺が支えなきゃならない立場になってしまった。必死で必死で会社を守るために働いた。幸いにして努力は報われてどんどん売上は伸びたが、主流派の商品はどんどん駄目になっていった。
よく覚えている、阪神淡路大震災があり、オウム真理教事件があった頃だ。
専務が関わっていた主流派の方は、既存の設備が無理がたたって主力品が販売できなくなった。
一方で、同系統の代替品を用意はしていたが、売れない。それはそうだ。時代の変化について行けなくなったから。前と全く同じ商品だったから売れていただけで、時代に合わない違う新製品を出しても売れなくなっていた。
一方で俺の方の商品は順調に売れていた。そこで、俺はよかれと思って、俺の方の商品に、主流派の商品をセット販売を少しずつ始めていた。どうも専務たちはそれを本当はやりたくないような雰囲気が合ったが、当時は完全に俺の商品以外は赤字になっていたからだ。
また、この新しい商品のノウハウは社内にも公開した。当然だ、秘密にする理由がない。
ただ、ここまで来ても俺がやっていた方のラインは、メインのラインと完全に交わることはなかった。ただ、スタッフの交流は行われていたし、現場レベルでは別に完全に分離されているわけじゃなかった。
社長や専務が主流の方に力を入れていて、こちらに何も言ってこないのは以前からだったし、何よりもそう言う体制があったからこそ、時代の流れの変化に会社として対応ができたから、それはそれで好ましいと思って、特に気にしなかったんだ。
ただ、今思うと、だんだんとひずみが蓄積していったのだと思う。
いくつか時代を象徴する出来事というのがあるが、オウム真理教事件が以前の時代の節目を象徴したものなら、俺にとってのその次は、リーマンショックだったと思う。
この頃から市場環境が再び大きく変化し始めた。商売の環境が再び変化し、90年代に確立しつつあったやり方が再び通用しなくなった。顧客の予算配分が大幅に変わり、そもそも市場が縮小し始めた。これにより売上が頭打ちになり始めた。当然手は打っている。手を打ったから大幅な売上減少にまでは至らなかったが、このままではじり貧なのは間違いが無い。
そして時代が回るうちに、うちの会社で主流派の社長や専務がやってきていた古いスタイルが再び受けるようになってきた。主流派は、こちらが作り上げ、提供したやり方と、80年代からやっている古いやり方両方を知っているため、堅調に伸び続けた。
当然、我々も後を追おうと考えた。
この二つのうち、どちらかを認めてくれるのならば、まだ耐えられた。ただ、両方とも封じられてしまったら、もう手も足も出ずに、座して沈んでいくのを待つしか無い。
しかし、もう問題は俺だけの問題でも、俺の部下だけの問題でもなく、供給者責任として商品を届ける取引先や、それに連なる経済の生態系に対して責任が及ぶようになってしまった。
そこで俺は、ここへ来て明確な指示への違反をした。いろいろと問題にならないように配慮をしつつ、せめて影響が小さくなるように、できる限りの手配をし、できる限りの手を打った。
専務からは何度も話は合った。そのたびにできる限り社の方針に従いながらも、しかし責任は果たすように新しい方向に舵を切っていった。
専務からの締付は強くなってきてはいたが、専務はそもそも会社愛が非常に強い人間でもある。ある程度の自制は効いていたのか、俺や幹部には強く当たるが、実際に決まった業務に影響が出るようなことはなかった。関係性は冷え込んで、それは取引先にまでしれるような状況になっていたが。
均衡状態が一気に動いたのは、ある噂だった。
タイミングとしては最悪だった。社長や専務はもう高齢で、後継者の話がでて、専務の娘が会社に入り、次期社長に決まっていた。そこでいろいろな整理が始まっていた頃だった。
もちろん、俺にはそんな気は全くなかった。弁解もした。ただ、これが「とどめ」になった。
専務からの指示はどんどん強くなっていった。それは俺に言うだけではなく、従来は現場レベルではある程度協業できていた末端の業務にも影響が出始めた。
そして去年の1月、専務に呼び出された。慌てて向かうとそこには専務の他に取引先の人間と、会社の顧問弁護士がいた。専務は取引先の人間に、独立する気も社長の座をねらってもいないと直接説明するように求めた。
俺は求められたように、何度も繰り返していた同じ話をした。そんなつもりは全くない、これからもやっていくつもりだと。事実として、社長や専務が戦後直後から作り上げた偉大なブランド力と、会社の巨大なシステムがなければ商売は続けられないし、それを辞めるメリットはどこにもなかった。冷静になれば誰にでもわかることだ。
ただ、専務はその取引先がいる席上で、そういった説明だけではなく、俺がやっている商品がいかに駄目か、いくらやっても会社の主流は専務の商品であり、劣った亜流であるかを演説し始めた。顧客まで馬鹿にするような発言。はっきり言って事実じゃない。そうして言ったのだ。主流になっているラインと、俺がやっているラインが分かれて摩擦がある事そのものが存在せず、もし存在しているとしたら刃を向けているのと同じだから、辞めてもらうと。
話はあっという間に広まった。
わかっている。いくらやっても主流になれないことは。
だが、会社が問題になったときに、古いやり方に固執して市場変化に対応できず、それでも売ろうとして製品を壊してしまったの誰なのか、収益を上げて会社を支えたのは誰なのか、それぐらいは人気視していると思っていた。
専務が後生大事に掲げる理想ははっきり言って利益になってない。それは我々が作り上げた売れ筋の土壌の上にしか存在できないものだ。それを認めろとは言わないが、否定するということはどういうことなのか。
主流になりたいと思ったことがないと言ったら事実ではないが、主流にしてくれと言ったことはないではないか。それでも何故、敵視してくるのか。
専務の言い分、それがすべてでたらめとは言わない。もっともな指摘はあるだろう。古い伝統や理想を掲げることは大事だ。
しかし、古い理想を古いやり方が再び流行が回るように時代の流れになったからと言って、それは合っていたとは言わない。
止まっている時計は必ず一日に一度は正確な時間を示す、しかしそれは時を動かしているものがいるからだ。止まっていることと動いている事は全く違う。
正直愛想が尽きた。
この方針は続けることになるだろう。少なくとも社長と専務がいる限りは。その娘がいる限りは。ただ、誰の目にもその方針でいつかは行き詰まることはわかりきっている。消えてしまうことはないだろうが、市場は大幅に縮小することになるだろう。
専務は取引先がいる席上でこう言った。「辞めろ」と。本流と一緒にやろうとしたとき、それを拒否し壁を決定的にした本人が、摩擦が存在するならば、辞めろと。ならば辞めてやろうと思う。
ただ、そう決めたからと言って、いきなり出社しないとかではなく、いなくなっても問題が無くなるまで引き継ぎをするあたり、結局俺は小物なのだと思う。
あいつが勝手に辞めたから会社が駄目になったとか言われるのも癪に触る。部下が困るのも本意では無い。結局一年かかってしまった。
希望を言うならば、ただ、進行の遅い癌のようにじわじわと会社をむしばんでいって、最後どうにもならなくなった時に、あのときあいつが残っていれば違ったのだろうなと言わせたいと言う程度の希望はある。(これは呪いでもある)
金なら十分すぎるほどあるし、仕事しかしてこなかったから養わなきゃならん家族もいない。これからは気楽にやろうと思っている。
悩み事としては、俺が辞めるではなく独立して新しい会社を興そうと考えてると勘違いして、ついて行きますと言ってる部下をなだめるのに苦労している。
俺も、それなりに人望はあると思ったが、そこまでとは、正直感動した。
感動したが、部下たちもあんな会社でそんなことを言ったら会社での立場が完全に駄目になることはわかりきっているのに言ってしまった。だからといって本当に会社を興してうまくいくとは思っていないので彼らを拾うこともできない。
もう噂になっていると言う所で頭が痛いが、最後の奉公だと思って(会社はどうでもいいが、部下や取引先は大切だ)各方面にこの下げなれた軽い頭を下げに行ってくるつもりだ。
女性が社会進出なんかしたら(僕にとって)快適な社会が台無しになってしまう!
僕は絶対的な弱者だ。健常者や男性はおろか、女性にだって勝てない。
いや、現代はフェミニストが暴れまわってるから女性のほうが男性(のごくごく一部の偏ったサンプルである僕)よりは圧倒的に優位な社会なんだ
(僕が安心して暮らせる)社会のために、女性は進出しないほうがいい。
僕が言ってることはネトウヨが移民を恐れるようなものかもしれないって言う人がいるかもしれないけど違うよ!これは善意で言ってるんだよ!
女性が進出すればするほど、男性(のごくごく一部の偏ったサンプルである僕)の居場所は狭くなって、男性(のごくごく一部の偏ったサンプルである僕)は女性を恨むようになる。
そして男性(のごくごく一部の偏ったサンプルである僕)はネットで女性やフェミ叩きをするようになって男性(のごくごく一部の偏ったサンプルである僕)との溝が深まるぞ!
僕がこういうことを言うとすぐにフェミが統計や各国比較を出したりして全体として女性の社会進出はまだまだだとか男性が圧倒的に優位な社会だと言ってくる。
違う、そういう話じゃない。本当の社会の現実なんて知らないよ! 僕は僕の現実を語ってるんだ!
男性(優位で女性が進出してなかった社会ですら底辺だった僕)は、女性が進出してきたらいったいどうすればいいんだ。
女性にまで見下されていると思ったら男性(優位で女性が進出してなかった社会ですら底辺だった僕)は生きていけないじゃないか。
男性(優位で女性が進出してなかった社会ですら底辺だった僕)からしたら、女性は進出しちゃいけないんだ。
男性(優位で女性が進出してなかった社会ですら底辺だった僕)が誇りをもって生きられる社会に協力するから男性(優位で女性が進出してなかった社会ですら底辺だった僕)は女性を愛し大切にするんだ。そうじゃない女性なんか男性(優位で女性が進出してなかった社会ですら底辺だった僕)は見向きもしないぞ。
男性(優位で女性が進出してなかった社会ですら底辺だった僕)に愛されたいなら女性は社会進出なんかしちゃいけない。これは女性のために言っている。
10年以上前からだけど、ネットで知り合った人と電話やSkypeなんかでHな話するのが好きだった。
最初はノーマルな話ばっかしてたけど、ある時からMな男の人と会話するのが楽しくなった。
なんてゆうか、普段聞けないような男の人が感じてる声とか、切ない感じでお願いとかしてくるのが楽しくてしょうがない感じ。
一度きりの会話だった人も多いけど、継続的にやりとりがあって、思い出深い人たちとの思い出を覚えてる限りで綴ってみる。
同い年で確か童貞だった。なんだかんだで1年位電話で喋ってた。
当時の家電が無料で通話できたのもあり、関係が長く続いたと思う。
距離は離れてたけど、なんかのきっかけで向こうがこっちに来る機会があり、その時にキスしたり舐めたりしてあげた。
それが彼にとっての初体験だったようで、その後もその時のことを思い出して自慰行為をしたそうだ。
最初はそんなにドMってわけじゃなかったし、私もちょっと年上のお姉さん気分で話してたんだけど、
彼の何らかのスイッチを押してしまったようで、どんどんM度が増していった。
終わったきっかけは思い出せないけど、なんとなく疎遠になっていった感じだったのかな。
向こうはお固い職業を目指していたから、勉強も忙しくなっていったし。
このあいだ本名で検索したらそれっぽい人が出てきたので、夢は叶えたようだ。
今もあの頃の性癖を抱えているのか確認するすべはないけど、幸せになっているといいなぁと思っている。
ハゲてる女装好きな男の人で、なんかコンプレックスがすごそうだった。
でも、ハゲてることや女装趣味が気持ち悪いなんてことを言ってあげると喜んでいた。
コンプレックスと性的快感は表裏一体だってことをこの人から学んだ。
一回だけ会って、漫喫のブース内でハゲた頭を抱えながらキスをしたのはいい思い出。
いい人だったんだけど、いい人なだけであまり面白みがなくて、振り回すだけ振り回して一方的にさよならした。
「このケータイそのうち解約する予定だから、ある日急にメールとか継らなくなると思うけど、よろしくね」って言ってあったから、
相手は「あぁ、この日がきたか…」って思ったりしたのかな。
話した期間は短かったけど、ちょっとアブノーマルすぎて私の手に負えなかったこと
あと住んでる場所が近かったこともあり、会いたいみたいなことを言われて面倒くさくなって関係を切った。
出身地は近いけど、大学はかなり遠くに行っているという男の子。
10歳近く年が離れてたけど、話し方もしっかりとした爽やか好青年だった。
Skypeでしかやりとりしていなくて、生活サイクルも違うから会話の頻度は少なめだたと思う。
1番最初に書いた男の子と似ている部分があって、それを思い出してかわいがっている部分もあった。
私と話す時に毎回やらしい気持ちになって、自慰行為をしてしまうことに罪悪感があったようで、
「今日はしない!」って決めて一生懸命普通の会話をしようとしてるところなんかキュンキュンしてた。
そんな彼を煽って結局自慰行為をさせるという流れが本当に楽しかったなぁ。
恋愛の話や、友だちづきあいの話なんかもして、ただの年上の人間として話すこともあって、
家庭の事情なのかわからないけど、大学をやめることになったみたいで、
それを聞いたちょっと後にSkypeのアカウントも消えてしまった。
結局何があったのか聞けなかったし、バイバイもできなかったのは本当に残念でならない。
元気にやっているといいなぁ。
かれこれ7~8年の付き合いになる。
途中何度も連絡が途切れたり、関係を切ったこともあったけど気づいたらまたつながっているという罠。
実際に何度か会って行為もしたし、顔面に乗ったりしたのは後にも先にもこいつだけだ。
最近また連絡取るようになった。
奴はすっかり普通の男になったつもりだったようだけど、
私とメッセージのやりとりをしていただけで当時の感覚を思い出して一気に目覚めたようだ。
今や立派なドMとして成長し、自らの体液をすすんで舐めたりするような変態へと成長している。
彼らに共通するのは
・「変態」って言われるのが好き
・普段は真面目で、頭の回転も良い。高学歴な人も多い。
・何かを行う際に許可を求めてくる。禁止されても許可されても喜ぶ。
私は女王様タイプでもないし、しゃべり方だって普通(のつもり)。
でも、ある一定の層に響く何かを持っているようで、軽いMだった男の子たちが、落ちていく姿を何度も見てきた。
それを楽しんでる私もたいがい変態だなって思うけど、お互い満足しているならそれでいいと思ってる。
でもこういう性癖って男側からオープンにするのはすごく怖いみたい。
彼女や嫁にガチでひかれたらどうしよう、受け入れられなかったらどうしようって思うんだろうね。
まぁ、女側である私もそういうアダルトなサイト以外で知り合った人にはこんな趣味は明かさないし、相手にも求めない。
世の中のM男性はいじめられたい欲求があるんだったらそういうアダルトサイトで相手を探すのもよいでしょう。
ただ、想像していたものが目の前に現れるというのはとても喜ばしいことである反面、
一度その味を知ってしまうとなかなか元に戻ることは出来ないということも合わせて知っておくべきです。
最低でもカネを出せ。
割り勘の癖に誘うな。
こっちが遠慮して全然飲んだり食べたりできなかったのにきっちり割り勘にしてきやがって。
よく食う男とデートに行って割り勘にされる女の気持ちがよくわかったわ。
若手をてめえの体の良いサンドバッグにするんじゃねえ。
会社の年上社員複数と飲みに行かされたけど、お酒が回ってくるとやれ結婚だのやれ生涯設計だのやれいろんな経験をしろだのうるさいうるさい。
もうほんと必要最低限の接待以外の飲み会は行きたくないときもちを新たにした。
プライベートな時間とお金を使って説教という名の年上のストレス解消に付き合わされるなんてうんざり。
せめてお金は全部おごってくれるとかならいいけどそれもないし。
いやまったくじゃないか。
飲みの場で有益な話が聞けることもある。たまーに、少しだけ、だけど。
飲みの席でしか話せないような話とか糞食らえ。
同じ科にいる先輩の医師で、学生の頃からとても社会人意識が高い先輩がいる。その人はことあるごとに医者になったら~と学生の頃から言っていたし、留学とかも学生の頃からしていた。
医者になってからも休みがちな同僚に対してはあからさまにとても冷たい態度をとったりしている。
他人のことを考えろ、腕を磨けと言っている。
非常に不思議なのだけれど。僕らが見ている患者さんは鬱病や癌やで仕事を休職中とかそんな人もたくさんいる。将来の不安もあるけど来てもらっている。
そういう人に対して医療を行うときは患者さんの気持ちを考える行動をマニュアル上でもやっているわけだ。
その先輩医師はそういうマニュアル上の行動はマニュアル上だけのことだとか、あるいは特殊な世界の話だから自分らみたいに普通に働いてる時はそんな倫理は必要ないと思うのだろうか。
それなのに癌で休んだ同僚を冷たくあしらうってのはちょっと違うんじゃないのと思った。死ぬかもしれないのに休んだら冷たくするってのは理屈に合わないと思う。
常々、他人のことを考える、と言っている先輩はやっぱり表面上社会性を持たせているだけで、腹の中では自分がなんとか得をしたいという感じなんかなとシラケている。
そういえば、学生の頃から、アル中の同級生が問題を起こしたことに冷たかった。アル中になったらかわいそうだなと俺は特別扱いしていたんだけど、先輩は普通に怒鳴ったりしていた、周りを味方につけてアル中をはぶっていた。「アル中と一緒にならなくていいのが卒業した最高のメリット」とか平気で言っていた。
信じられないくらい冷たい人なんだなと感じた。
大嫌いだと思う俺がおかしいのかな。社会常識を振りかざしてるその態度だけど、じゃあその人が鬱病や癌になったら本当にどうするんだろうと不思議に思う。