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視界砂嵐症候群や雪視症とも言われているが、どれも聞いたない人が大半だろう。なにせ町の眼科医すら把握していないことも多い。それもそのはずで、この視覚異常に病名がつけられたのは2010年以降だからである。
症状として、
ポイントは常に砂嵐フィルターがかかるということで、これは瞼を閉じてる状態も例外ではない。発症してしまうと砂嵐から逃げる術はなくなってしまう。とはいえ全盲や色盲のように明確に何かが見えないわけではない為、致命的な障害ではないのかもしれない。(それ故に症状がクオリアの問題で済まされ、認知が遅れたのだろう)
個人差が大きい障害のようだが、自分の症例だと、耳鳴りも偏頭痛もなく文章読むのも全く苦ではないため、極めて軽度だろう。呼吸のように、普段は意識しないで済んでいる。意識するとやはり気になるが。
この砂嵐フィルターは一面単色のものをじっと見ているときに最も顕著になる。発症者は口を揃えてこう言う。青空や夜空が綺麗に見えなくなった、と。
ちなみに飛蚊症とはもちろん別の症状である。これは視覚内で別のレイヤーとして出現する為別個の症状として認識できる。ビジュアルスノウに紛れる為、全く気にならない。
最近の研究結果では、この症状は目ではなく脳の障害であるらしい。発達障害との関連性も指摘されている。
この症状が先天性と後天性があるようで、自分は後者だった。発症した日のことはよく覚えてる。もう15年以上前の小学5年生の頃だった。
ある日サイゼリアで家族と晩飯をとっていたとき、ドリンクバーでアイスコーヒーを5杯くらい飲んだ。ガムシロップは入れまくったので恐らく中2病とは無縁である。
家庭の方針で10時には就寝しないいけなかったが、カフェインが効きすぎて布団に入っても全然眠れなかった。アホなことしたな~明日学校なのにな~っと不眠時にありがちな後悔を繰り返し、一時間、二時間と耐えるものの、やはり眠れなかった。
なんと深夜3時になっても眠れなかった。カチ、カチ……っと時計の秒針の音がプレッシャーをかけてくる。いつのまにか瞼の裏には赤と黄色と緑色の花のような幾何学模様が現れ、とても不気味だったのを覚えている。
明らかに異常な状態であったが、自業自得である為に親を起こすようなアクションも取れず、ずっと戦うように目を瞑っていた。とはいえ根負けしたようで、4時になる前にはなんとか寝れたようだ。
翌朝からビジュアルスノウの症状が現れるようになった。寝不足にも拘らず眠気はなかった。家族やクラスメイトにそのことを言っても軽く流されてしまったし、常にその症状が出現している為に昼頃には慣れてしまい、特に生活が困難になったわけではないので、今に至る。
ここから与太話というか漠然と思ったことなのだが、この障害は『ごく一部の人間が見えない物が見えるようになる症状』であるとも言える。
内視現象という自覚がなければ、まるで霊的なものだったり、オーラだったり、そういった常人が見えないものを知覚できていると錯覚しても不思議ではないのである。
そう考えると、人類史において、そういった概念やそれに纏わる職業が多発した起因の一つにもなっているようにも思えなくもない。
奈須きのこ作品における死の線も同様の発想のような気がする。まぁこれは「死の線なのでは!?」とかめはめ波を練習するキッズの如く色々試してみた過去があるだけなのだが。いや奈須きのこもビジュアルスノウ障害を患ってるに違いない。
DBサーバーは分かるけど、APサーバーってなんだよ。App サーバじゃだめなん?あと PG とかも。
書いてて思い出したけど、ゲームも3文字にする文化が継続している。
...
文字数合わせると表にしたとき見やすいから便利なのは理解できる。しかし、グローバル化する前に作られた略語を使い続けることで役割やジャンルを固定化してしまうんじゃないかと思っている。
洋書で AP server とか PG なんて略語は見たことないし、ゲーム業界もすでに日本が牽引している時代ではないのだし。例えば「私は PG、これは AP サーバー、俺たちは FTG を作る」みたいな感じ、2018年で言ってたら違和感がある。
今の時流だったら SE / PG ではなくて Dev / Ops みたいな役割で分けたほうが良さそうだし、クラウドとかサーバーレス系リソースは AP サーバーとは呼ばないだろうし、ハクスラとか3文字表記以外のジャンルも流行っているよね。
頑張って主張してるとこ申し訳ないが東京が羨ましいなど1回も思ったことが無い。
15年以上前に大学&就職で上京したが、数年経って実家とは全然違う地方都市へ転勤した。何年か勤めてその会社辞めたけど、東京や実家に戻ることなくそのまま住み着いた。
会社に徒歩や自転車で行ける距離の家賃も大したことないし、賃貸嫌なら買っても安いし、車も普通に持てるし、飲んでタクシーで帰っても1000円くらいだし。
ネットのおかげで情報格差はほとんどないし、アマゾンやネット通販使えば必要なものは大抵何でも手に入る。全く困ったことが無い。
どうしても東京に行く必要があったら(仕事とかイベント?)飛行機行けば良いだけで、別に東京に常駐する必要って全然ないと思うけどな?
あまりにもショッキング過ぎたので書かせてほしい。匿名じゃないと残せない。
十年以上前に風邪の時に下痢でやらかしたことはあるが、今回はそんな言い訳が通用しない。
まず、私は元々は便秘気味で、3,4日出ないのは当たり前だった。出る時もそこそこの硬さを保ったブツが出てくるのだ。別に腹が張るとか辛いわけでもなかったし、精々将来痔が心配なだけであり、生まれ持っての性質だと思っていたため特に恒常的な対策は取っていなかった。
それがここ最近、ダイエットの一環として食生活を見直して体にいいとされているものを片っ端から取り込んでいった。そのせいか長くても2日あれば出てくるようになった。
しかもこれまで体験したことない柔らかさで、狭い出口を無理矢理押し広げるような硬いブツでは無い。柔らかく出口を傷つけずに優しく通過する、しかし最低限の形は保ったままのブツが出てくるようになったのだ。
非常に喜ばしいことだが、これが今回災いした。
先に書いた通り、今まではある程度硬さを保っていたため便意ギリギリまで我慢しても出口から出ることはなかった。あったとしても、その硬さ故に出口を塞ぐことになってほんの先端だけ出るだけだった。
今回のブツは予想以上に柔らかかった。
便意が来た時点でトイレに行けばいいものを、癖でギリギリまで我慢していた。我慢しても出ないとタカをくくっていたが、その柔らかさ故、便意と共にやってきた放屁の衝撃により意図せず出口から噴出されることとなった。
尻に広がる違和感。冷たく重さを感じる臀部。そして決壊寸前だと言わんばかりに急に鳴り出す腹。
急いでトイレに駆け込んだが時すでに遅し、そこには柔らかで健康な色をした例のブツが鎮座し、パンツを茶色に染め上げていた。ついでに私は絶望に染まった。
不幸中の幸いで、下痢のような水っぽいものではなくある程度硬さを保っていたことから広範囲に広がることもなく、被害は下着のみだった。
とりあえず固形物を拭き取ったがこれはもう駄目である。この下着は廃棄せざるを得ない。
ここでもう一つの問題として、今私はスカートであること、そして換えの下着を持っていないことである。ノーパンで午後を過ごすのは正直気が引けるというかノーパンスカートとかどんなエロ漫画の世界だよ。
仕方ないので、今現在進行形で持っていた生理用品を漏らしたヶ所の裏表に貼り直接触れないようにしている。
臭いに関しては、幸い今日は事務所に誰か来る予定も無く、私一人だけのはずだ。とりあえず、窓を全開にすることで誤魔化すつもりである。
これは考えれば考えるほど自分を痛めつけている。
ではどうすればいいか?
まず思考の回転に気付く。
次に思考を止める。
どうやってそれを実現すればいいか?
瞑想だ。
ただしxevraとは関係がない。
はっきり言えばxevraは瞑想をやっていない。
彼の軽口を参考にする必要はないし、瞑想をしたらxevraのようになるというのも間違い。
やり方を説明する。
まず椅子に座って背筋を伸ばす。
手は膝の上などに楽に置いて。
背筋は絶対に伸ばし続けておく。
それが終わったら動きを止める。
したいになったつもりで徹底的に動かないこと。
呼吸以外の動きは止める。唾すら飲まない。
姿勢を整えて動きを止めたら、
下腹部は呼吸につれて、息を吸うとき膨らみ、息を吐くとき縮んでいる。
これを意識の集中ではっきり感じる。
呼吸は自然に任せること。
次に下腹部が膨らんでいくとき「膨らみ、膨らみ、膨らみ」と心の中で言葉を念じる。
下腹部が縮んでいくとき「縮み、縮み、縮み」と心の中で言葉を念じる。
掛け声にならないように注意して、ちゃんと膨らみと縮みを心で感じて、念じる。
これをやるとどうなるか?
なんとちゃんと出来ない。
ふと気付けば余計なことを考えていて「膨らみ」「縮み」が中断されている。
これに気付く。
気付いたら「雑念、雑念、雑念」と念じてまた「膨らみ」「縮み」に戻る。
恐ろしいほど頻繁に勝手に余計なことを考える脳の習性に気付けるが、これが第一の進歩。
めげずになんどでも「雑念」と念を入れて勝手な思考をカットし、また膨らみ縮みに戻る。
これが第二の進歩。
勝手な思考の回転に気付き、すかさずカットすることを訓練する。
この繰り返し。
逆に言えば瞑想をしていないとたいていの場合精神病は進行する。
でも治ってしまう。
なぜ思考を止めるのか、
どうやって思考を止めるのか、
休んで居る間も脳の中で思考・妄想が回転していればそれは休めていない。
脳を休めて正しい方向へ開発するのは瞑想だけ。
座る瞑想(30分)と歩く瞑想(1時間)に毎日取り組んでみて欲しい。
騙されたと思ってやってみても大した辛抱はかからない。
歩きながら、左右それぞれの足の裏の設地を感じて「左足」「右足」と念ずるだけ。
念じながら歩き続けるだけ。
集中力が高まってきたら、
「右足」「持ち上げる」「運ぶ」「触れる(地面に)」
「左足」「持ち上げる」「運ぶ」「触れる(地面に)」
と歩行に伴う足の感覚を感じて念じていく。
これはちゃんとやれば大変忙しい。
脳がくたくたになる一方、脳を痛める無駄な思考は完全にストップする。
自分の立った今の行動にピッ!ピッ!と気付いてく。
疲れないし、記憶が抜けることもない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20180420-00084246/
ロビイング活動で金盾の要請したのは明らかに愚行であり、間違っていると考えている。この一点において、完全に出版社に非があり、それを弁解する気はない。
これは個人的な恨みつらみを書いた駄文であり、すべては想像上の話である。
数年前まで日本では、雑誌こそが電子化の切り札であると考えていた。この理由として、①海外における電子雑誌の隆盛、②情報の更新速度とネットの親和性、③読者情報解析と広告マーケティングの親和性、④動画・音声メディアとの親和性があり、どれも理に適うものである。しかし、日本で電子雑誌は普及しなかった。この原因は、ネットの情報価値と、雑誌の情報価値の差が、課金の心理障壁を超えるほどでは無かったためと考えている。
しかしコミックは、読者が電子データに対して課金してでも読みたい、と思えるだけの価値があったらしい。
日本の出版業界内で書籍の電子化を推進したい人間にとって、コミックこそがその突破口であった。電子化への投資にあたり、上層部を説得するのに十分な売上げが全てを雄弁に語ってくれる。しかし、その電子化における救世主であるコミックにケチがついた。
電子化することで紙以上に売れてしまうコミックの弱点は、違法な無料配布に対する脆弱性である。雑誌の場合、半分以上が広告収入であり、情報の新陳代謝が早いため、違法な配布に対する耐久性がある。しかし、コミックは一度でも無料データが出回ってしまうとその売上の回収は事実上不可能となる。コミックの違法な無料配布は一般人が手を出せるレベルまで規模が拡大し、単純な売り上げ被害だけでなく、消費者に漫画はタダという価値観を植え付け、進みかけた日本の書籍電子化を停滞させるに至った。
出版社の違法な無料配布との闘いは10年以上前から続いている。漫画村ほど大規模にならないうちは、件の集英社が例に挙げたような草の根作戦は一定の成果を上げていた。
違法な無料配布の被害総額を見積もることは非常に難しい。そもそもネット上からどれだけダウンロードされているか計測することは不可能である。漫画村だけでも3週間で2億PVをこえたらしいが、これをハッキングを使わずに合法的に証明する方法は存在せず、警察に対して具体的な被害総額を提示することは(少なくとも素人である出版社には)不可能である。やまもといちろう氏ほどの凄腕ネットウォッチャー()であれば、たやすいのかもしれないが。
そんな状況で、漠然と被害を訴えても、刑事事件として立件させることは難しい。
と、やまもといちろう氏はおっしゃられている。
どうやら、インターネット業界的には、刑事事件として立件させるだけの合法的な証拠を提示できるらしい。星野ロミが漫画村の黒幕である事を証明し、引っ張り出す事ができるらしい。
自分の明日の飯がかかっている本職として、必死で情報を探し、ある程度闇の部分まで足を踏み入れても、残念ながらこれ以上の情報は得られなかった。人脈に限界があるからだ。我々出版社のネット素人集団では、残念ながら、警察を動かせるだけの状況証拠をそろえることはできない。
だが、やまもといちろう氏にそれが可能であるのならば、本来被害者である出版社に対して牙をむく前に、やる事があるのではないか?
冒頭に述べたように、ロビイング活動で金盾の要請した愚行については、追及されるべきであると考えている。
ただ、引用文章から察するに、やまもといちろう氏には、当然、警察を動かせるだけの状況証拠をそろえられる能力があると判断して問題はないだろう(その能力が無いにもかかわらず「仕事をしているうちに入りません。」と言うのであれば、これは自分は仕事をしていません、と言っているのと同義だ。)
やまもといちろう氏は、漫画村の犯人を引きずり出せるだけの能力がありながら、なぜ、漫画村ではなく、出版社をたたくのか?
これは現在、出版社がネットから向けられている理不尽さ全てに対する恨み節である。
やまもといちろう氏は、上記質問に対して納得のいく説明をお願いしたい。
誰かのためになればいいなぁとは思ったけど、ほぼ自分のために書いた文章というか日記なので読みにくいと思う。ごめんなさい。
最近、鬱っぽいというか夜勤中に精神的余裕がなくなるスピードが早いのと物忘れがひどくなってきたので、心療内科に行ってみたんよ。元々、自分は精神的な病気なんかとは関係ないと思ってたんだけど、ツイッターなんかでわかり手さんとか借金玉さんとかのツイートやブログ見てたら行ってみるのもありかなぁと思いまして。
心療内科の初診の予約取るのもわりと時間が必要だった。電話をすることへのストレスと電話をしたらもうあとに引けない気がしたから。でも、仕事中に頭がパンクしそうになった時があってそこでもうダメだと思って勢いで予約の電話をした。
とりあえず、電話に出てくれた看護師の人には鬱っぽくてということで受診の予約をした。
初受診当日、逆算思考が苦手なのと方向音痴な自分を気遣ったら予約時間の40分以上前に最寄駅に着いてしまったので30分くらい散歩してから病院に向かった。
何というか、最寄駅から病院の場所を確認して散歩で時間を潰している間、ずっと憂鬱だった。怒られるわけじゃないと分かっていても、どんなことを聞かれるんだろうと考えていると頭がずっしりとしてくる。
それで、いよいよ、初受診の時間。心療内科らしく待合室のソファも診察室の椅子もふかふかだった。
ドクターには具体的に困っていることを聞かれたので前述した通り、夜勤中の精神的余裕の無さと物忘れがひどくなってきていることを伝えた。
それから、鬱の診断を下すための質問をされた。DSM-5とかいう本(世界共通の診断基準って言ってた)に沿って質問されて、それによると鬱ではないということで、抑うつという鬱っぽい状態だと思う的なことを伝えられた。
それから、順序が曖昧だけど次にADHDかどうか診断する質問をされた。集中力はあるかとかそういうやつ。それによるとたしか、軽いADHDとのことだった(ADHDに軽いとかあるかどうかわかんないし、もしかしたら自分を障害者と認めたくない自分の意識が邪魔して軽いやつと認知したのかもしれない)。
まぁ、その時点で多少はショックだったんだけど、高校で塾やめたら一気にガタ落ちした成績のこととか集中力の件とか思い返すと、しょうがないかぁという感想。
で、たしか次が心理テストでA4の紙に実がなっている木を書かされた。ドラマとか映画で見たやつ!と思いながら、真ん中にこれだと小ちゃいかなぁ…でも大きく書くのめんどくせえしなんでそもそも大きく書かんとあかんのやと思いながら木を書いてリンゴを3つほど付け足した。書いた後にリンゴの味を聞かれたので普通ですかね、と答えた。
診断によると自分は頑固で人の目を気にして抑圧状態になってると言われた。まあ、たしかにーという感じだったのでそうですねーと答えて、ドクターからの総合的な見解はADHDとそれによる二次障害的抑うつ状態とのことだった。
集中力がなくて仕事がうまく回せてないのをどうにかしないとという話の結果、コンサータが処方された。あー、借金玉さんが言ってた飲んで吐き気と戦いながら仕事するやつかと思いながら、それを2週間分処方してもらった。
それと、ドクターからは仕事のストレスを溜め込むのはよくないから自分でブログに書くなり愚痴ノートを作った方がいいとの言葉も頂いた。
で、先月にインターネットのお陰でできた彼女の家に向かうバスの中でぼおーっとEva CassidyのFields of goldを聞いてたらどういうわけか涙が止まらなくなった。どういうわけもなく、自分が発達障害であるというショックがそのタイミングで襲ってきたんだろう。彼女には病院に行くとは言ってたけど、「なんの病院?」という質問には答えられず、健康診断の聴力検査でひっかかったから耳鼻科に行くと嘘をついた。
自分が障害者であることを家族にも彼女にも、今度新幹線で久しぶりに会いに行く数少ない友達にも言えないなぁと考えるとセンチな気分になってバスの中で泣いてしまった。
重く考えすぎだよなぁとこれを書きながら思いつつも、あと1回くらいは泣きそうだなとも思う。案外、言ってしまえば周りは受け入れてくれるのかもしれないけど、急に「俺、実は発達障害だったんだよね」と知り合いに言われても反応に困るだろうから、とりあえずは言わないでおこうと思う。
それにしてもなー、これからどうしよう。いや、特別どうもしないんだけども。
とりあえず、彼女の家で帰宅を待ちつつ、夕食の献立を考えつつ彼女に貸したスプラトゥーンでもするかなぁ。あ、コンサータ飲んだらウデマエ上がるかな?
20年以上前から社会人やってるけど、「社会人なんだからそのぐらい当たり前」と思うところと、「私もいまだにこれ耐えられない」と思うところと両方ある。
基本的に酒と眠気に弱いので、翌日重要な仕事があるときに限って、遅い時間まで飲んだりするのが理解不能なんだけど、おじさんたちってそういう無茶な飲み方好きなんだよね…。学生時代も割と縦社会のサークルに入っていたので、翌日に重要なイベントが控えているのにだらだら飲み続けていて、「なんだこの無意味な飲みは…。」と思ったけど、社会人とはそういう生き物であると考えるしかなかった。
「家の門限が…」とか書いてあるけど、一新入社員の家庭の事情を配慮してくれる会社なんてないと思う。まだ「終電逃すと帰れないので…」という理由の方がまし。今どの程度戦力扱いされてるか知らないけど、先輩たちが結構残業していているようならもっと会社から近いところで一人暮らしするか、定時に帰れる職場を探して転職するかの二択。
私はお局でかつ出世ルートから外れているので、行きたくない飲み会は行かないし、よほど追い詰められなければ残業しないし、寝不足で出勤すると居眠りしてしまうこともあるが、たぶん周りが「あいつはしょうがない」と諦めていると思う。
会社の文化によってどこまで許されるかは違うと思うけど、たぶん今はまだ他の人に合わせて残業も飲み会も付き合った方が無難だと思う。ある程度歳が行っていて、出世ルートを外れた人がどういう扱いをされているか見て、「あの程度で給料もらえるなら楽したい」と思うなら私と同じようにすれば良いし、「使えない」と思われるとリストラ候補…みたいな職場ならある程度自分を会社に合わせる努力をするしかない。でもうつ病とかになるぐらいの負荷をかけられるブラック職場なら自分が壊れる前に辞めた方が良いと思う。
08小隊って言うぐらいだから2008年の作品だと思ったけど実際は20年以上前の作品だとさ。
あれから20年、俺は何をやってきたんだろうな。
未だに童貞だし本当にどうしようもねえわ。
痴漢をされた。
腕を怪我していて治療の都合上前方に固定しなければならなかったので優先席に座っていたら、
電車の入り口付近に乗り込んだ中年男性がやたらと股間を怪我で動かせない方の手に擦り付けてくる。
最初は揺れでたまたま当たったのかなと思っていたけど、あまりにしつこくスリスリされるので痴漢だと確信した。
怪我で動けないなりに工夫して体制を変え腕を庇っても、
しらっと擦り付けるポジションに移行する中年男性を思い出すと今でもイラッとする。
席を立てる状況でもなく、注意しようとも思ったのだが、
・男性の両手が電車の手すりを掴んでいて直接触っていた訳ではないので痴漢した証拠がないこと、
・前日に痴漢冤罪で人生をボロボロにされてしまった男性のドキュメンタリー番組を見ていたこと、
という固定観念が広まっていること(今思うとフェミの人に失礼だしネットに踊らされすぎてる)
が頭をよぎり何もできなかった。我ながら馬鹿だなと思う。
モヤモヤが治らないので帰宅後痴漢関係の記事をぐぐってみたのだが、
・フェミニストの方が書いた男性全体のdisっぽい記事(自分はフェミニストの方がこわくて苦手なんです…)
・美人さんが書いた痴漢被害者はブスだからされるのよ的な記事(図星です…)
・2chまとめにありがちな男性方から痴漢冤罪女へのdis記事
しか見当たらずもう虚しさが募る一方だった。
本当は痴漢する人がなんで痴漢したくなっちゃうのか知りたかったんだが
あんまり納得すること書いてるページが見当たらなかったので諦めた…。
痴漢自体はじめての経験ではないのだが、今回ここまで引きずっているのは2つ理由があって、
手を使わない痴漢がこんなに消化不良でやきもきするものだと思ってなかったので
(こんなクネクネした微妙な痴漢して楽しいのかな…)と思ったことと、
ネットの人たちがかなり痴漢冤罪を恐れていることを再認識したからだ。
もしかして痴漢に限らず性犯罪って女性の被害と同じくらい他の男性の被害も大きいのかなと思う。
男ってだけで何もしてないのに何か疑われたら誰だって気分悪いだろうし。
痴漢は男性全体を生きづらくするし痴漢冤罪は女性全体を生きづらくすることなのでどっちも遊び半分でやるのはやめようね…。
まずはハリル解任が報じられた当日の主要スポーツ新聞の以下の記事を見てほしい。
ハリル監督後任に「マイアミの奇跡」西野朗氏が決定 - 日本代表 : 日刊スポーツ
西野朗氏が日本代表監督に就任で“マイアミの奇跡”再び!日本協会、ハリル監督解任で決断 - サッカー - SANSPO.COM(サンスポ)
電撃解任・ハリルの後任は西野朗氏!田嶋会長「内部からの昇格しかないと思った」 : スポーツ報知
ハリル監督電撃解任 後任は西野朗氏 田嶋会長が緊急会見で正式発表 :スポニチ
4紙ともに後任に西野氏が就任することに肯定的な報道をしている。
特に注目すべきは4紙ともに西野氏の実績として「マイアミの奇跡」を挙げている点。
サッカーファンなら西野氏の実績として真っ先に思い起こされるのは、直近のヴィッセル神戸と名古屋グランパスだ。
どちらも成績不振により任期途中の1年、もしくは1年内で監督を解任されている。
スポーツ記者であるならば、まず後任人事が協会内の内部人事であること、次に後任の西野氏が直近の2回ともにチームを解任されていることを、報じるべきだ。
そこを逆に20年以上前のたかが1試合の結果である「マイアミの奇跡」を挙げて肯定的に報じている。
主要スポーツ紙の初期報道はサッカー協会から何らかの働きかけがあったのが確実である。
こういったサポーターが蚊帳の外の展開になると、素直に代表を応援できなくなる。
本当に今回の件は残念としか言いようがない。
サカオタ増田です。
普段サッカー関連のブクマではあまり見かけない一部idの、今回の解任劇について怒り嘆くタイプのサカオタを嘲って小馬鹿にするようなブコメに反論をしたくなった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.footballista.jp/interview/44512
増田はサカオタなので、Jリーグ欧州各国リーグやACL、CL、CWCなどのクラブチーム選手権、W杯、EURO、コパアメリカなどの国別対抗戦や、欧州の親善試合やら予選なんかも隙あらば見るくらい、雑多にアホのように、現地で、または画面越しにサッカーを見ている。特にW杯やEUROなんかの国別対抗戦は短期開催&時差で寝不足フラフラだが見る。
そんな増田が、W杯のような国別対抗戦を楽しいと感じるその最大の魅力は、「抗えない俺たちのサッカー性」への哀愁である。
スーパースターのスーパープレーや、ダークホースの快進撃や、うちの子(応援しているクラブチームから選出された代表選手)の活躍をハラハラドキドキと待ちわびたり、という楽しみは当然である。
が、1か月寝不足でフラフラ、仕事にも支障が出かねない鑑賞行動を取るのは、出場各国のそれぞれの「俺たちのサッカー」からの逃れられなさに、しみじみと浸るのが本当に楽しいからだ。
サッカーにあまり興味がない方の中にはひょっとしたら驚く人もいるかもしれないが、今年のロシアワールドカップには、イタリアとオランダは出場できない。どちらもサッカー強豪国である。
イタリアはW杯優勝歴4回でドイツと並んで優勝回数歴代2位、オランダは優勝こそしたことはないが決勝や準決勝の常連の強豪国である、が、彼らは欧州予選で負けた。
世代交代に失敗したということもある、イタリアについては自国リーグが汚職やらなんやらでスッカスカのぼろぼろになったこともある。欧州予選がとてもしんどいという大前提もある。
イタリア、オランダ、どちらの国も、激しく「俺たちのサッカー」な国である。
イタリアサッカーは緻密な戦略に基づいた堅い堅い守備が特徴、オランダサッカーといえば華麗なパス回しとサイドアタッカーによる全方位性・攻めダルマサッカーである。これはもう、増田が子供のころの何十年も昔からずっとそうである。イタリア代表も、攻撃的にならなきゃだめなんじゃなかろうかと変化しようとした時期もあったが、結局上手くいかずW杯予選に敗退した。オランダ代表が守備を見直そうとした感じは伝わってこなかったがw(その辺もオランダらしくて大変カワイイが)、偉大なるロッベン、ファンペルシの後の世代交代もイマイチで予選に沈んだ。
増田が観察している限りでは、彼らは、変わりたくても変われない、捨てられない俺たちのサッカー性を抱きしめて当惑し悲しんでいるように見えた。
サッカー強豪国かつサッカーが文化になってる国(日本における野球例えや相撲慣用句と同様、サッカーが文化になっている国はサッカー例えが日常的に使用されたりする)では、むしろ「俺たちのサッカー」は、勝てない理由になるようなものでもあるのだ。
W杯本戦には出場できるが、イングランド(まるでラグビーのようなラン&放り込みサッカー。あれはあれで良いものだ)や、スペイン(世界中で流行したティキ・タカもこの数年は斜陽)も、「俺たちのサッカー」を抱えて、長い不遇の時を過ごした経験がある。
この10年ぐらいでサッカー見だした人はスペイン強くて当然と思ってっかもしれねーが、それ以前のスペインはむしろ「無敵艦隊wwwww」と笑われる、見てておもしれーけど勝てないと言われるサッカーをずっとやっていた。イングランドも、現代ではそのサッカーはもうアレでナニだと自国民からすら思われているが、ずーっと牧歌的な筋肉量がものを言うサッカーをやっている。スペインは変わる気なさそうだがイングランドは変わろうとしては失敗している。
ヨーロッパ勢だけではなく南米勢もだ。ブラジルが母国開催のW杯でやらかしたのは記憶に新しいと思う。ブラジルは強い個性でクリエイティブなプレーを見せるのが俺たち!という「俺たち観」があるが、それでは勝てないねとなりリオ五輪ではなりふり構わず「俺たち観」を引っ込めて優勝を勝ち取った。南米のもう一つの雄アルゼンチンは、歴史背景もあってイタリアに似た性格悪い系の守備が堅いサッカーである。そういえばアルゼンチンはコンスタントにW杯や南米大会で結果出してるからか、あまり「俺たち性」に対して疑義を抱いている様子がないように見えるし、「アルゼンチンのサッカーは底意地が悪い」みたいな言われ方に誇りを持っている様子すら感じられたりするときがある。実際すごい良いですよアルゼンチンのサッカーね。ほんと好き。
W杯で優勝したことある国の数は8カ国しかない。ブラジル(5)、イタリア(4)、ドイツ(西含め4)、アルゼンチン(2)、ウルグアイ(2)、イングランド、フランス、スペイン(各1)である。
ウルグアイの意外っぷりが際立つが、増田はJリーグで、フォルランが若干気の毒な状況下であっても見せてくれた素晴らしいプレーの数々を生で数度見ているので、ウルグアイやっぱすげーなと妙な納得感もある。
つい増田の好きなサッカー話に脱線してしまう、フォルランは置いておいて、たった8カ国しか優勝していないのがW杯であり、並んだ8カ国の顔ぶれの納得感がすごい。
どの国も「俺たちのサッカー」を愛し、その愛の深さ以上に俺たち性に由来する辛酸を舐めてた長い歴史もともに持っている。これが文化であって、このレベルに来てはじめて「俺たちのサッカー」なのだろうと思う。
翻って、日本は。
「俺たちのサッカー」探そうぜ!とひとつなぎの財宝を探すようなキラキラしたオールマイティのお宝だと思っていないだろうか、みなさん。
ショートパス中心、バイタル小さめに保ちながら俊敏性と組織力で相手をかき回す華麗なサッカーが、日本における「俺たちのサッカー」なのだろうか。
本当に?
思い出してほしいのだが、日本がW杯に初出場して以来、あまり多くはない勝った試合のほとんどすべてが、相手の攻撃や崩しにしつこく食らいついて、ボールをハラハラ爆弾のように皆で回しながらキープして、耐えて耐えてワンチャンでゴール、というパターンのほうが勝ち試合のパターンとしては多いのではないか。俊敏性と組織力に加えて持久力でコンタクトの弱さを補う、ど根性サッカーだろう。
自分が応援してるチームの試合って見ている時はアドレナリンが出てるし、勝とうもんならもういろんなこと忘れてしまうが、実は国際試合における日本代表の「勝ちパターン」は、ど根性サッカーである。個の選手のキープ力がない分パス回しでなんとかしのいでるのを、「俺たちのパスサッカー」と勘違いして見ている人も、実は少なくないのではと思っているのだ、増田は。
観戦してると興奮だけはあるんだよど根性サッカーって、手に汗握るシーンも増えるし。その興奮を充実に置き換えて「パスサッカー=充実」みたいに勘違いしてやしないだろうか。何のためのパスなのか、というところまでちゃんと「パスサッカー」なのだろうか。
増田は、今の日本のサッカーでスペイン代表やFCバルセロナのようなティキタカが出来ているとは全く思わない。しあと10年ぐらいでも出来ないんじゃないかと思っている。代表で見られるパス回しはどちらかと言うとハラハラ爆弾型であって能動的なパス回しからの崩しなんてさせてもらえないことのほうがほとんどだし、Jリーグを見ていても「プレッシャーがかかった中で正確なプレーができる」という日本サッカーの大きな課題はあまり克服されていないよなぁ…としみじみ感じる。これは欧州でやってる日本人選手でもなぜか代表戦になるとプレーの精度が落ちるので、こういうのが日本の「俺たちのサッカー」なら、増田にとっては納得感はすごくあるのだ。
コンタクトプレーじゃ勝てないからビクビクとパス回ししてワンチャン狙いだ!という、チマチマしたサッカーが「俺たちの日本サッカー!」と自虐的に誇るのであれば、増田も大いに賛同できる。
だが、多分だけど「俺たちのサッカーを!」と簡単に言う人たちの頭の中の俺たちのサッカーはもっと格好いい、W杯獲った時のスペインみたいなの想像してるのではないだろうか。
あと今の日本式の「俺たちのサッカー」ではW杯を獲れる日は金輪際来ないと思う。もっと先に獲るべき国がある。攻めダルマ・オランダとか。永遠の当て馬・ベルギーとか。チリやメキシコなんかも日本よりずっとW杯に近い。どころかそのうち中国あたりに抜かされても全然おかしくないと思う。
日本らしいサッカーを、オールジャパンで、という言葉は、JリーグからCL、国別対抗戦まで舐めるように消費するサカオタにとっては、虚しさと「他の強豪国ばかにすんでねーわ」という怒りである。
繰り返すが、「俺たちのサッカー」は、それを手にしたら無敵になれるようなものではなく、むしろ「逃れられない俺たち性という弱点」の裏返しでしかない。
たくさんのサッカー強豪国が、「逃れられない俺たち性」の上に、対戦相手に最大のリスペクトを払いながら相手を打ち破れる「穴」を探してつけ込める戦術を叩きこんで、それでも勝てないかもしれないのが、ワールドカップという大会なのだ。強豪国オランダは一度も優勝したことがないんだぞ。EUROで20年以上前に一回優勝したことがあるっきりだ。それでも増田はサカオタとして、オランダ代表の捨てられない俺たち性を目撃しては哀愁と感動を覚えるのだ。それがサッカーだと増田は思う。「俺たちのサッカー」がまるで希望のカードのようにありがたがることが、かなりくだらないことだと思う
あーあと、元のフットボリスタの記事は「短期決戦のW杯のチームの作り方はクラブのチームの作り方とは違う」という話がさわりの一つだと思うのだが、そのあたりについて言及しているブコメがなかったのも、君らもうちょっとこう、小柳ルミ子のように年間2000試合とは言わんけどもう少しちゃんとサッカー見てからわしらサカオタのこと馬鹿にしてほしいわと思いましたよ。
なぜ怒り嘆いているかということ自体、具体的なひとつひとつについては、下記のnoteがよくまとまっていると思ったので言及はしない。
https://note.mu/hatonosu/n/nac5433ccc430
ただ、この記事のブコメ、http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/hatonosu/n/nac5433ccc430 の中で一つ、文句を言っておきたいブコメがある。
ハリルホジッチ監督の手腕をどの程度評価するかは、その人のサッカーの好みの問題と何を目的にしているかによってかなり幅広に分布すると思うが、100点満点の高評価だという人はいないと思う。あくの強い監督であることは有名だったし、サカオタ界隈では就任時からこれは揉めるぞーと冗談が交わされていた。ただこの時期にそんな理由で解任されるほど低評価だとは思えないということと、その理由が子供じみてばかばかしくて、未来がないから怒っているということのほうが大きい。元のnoteの記事から読み取れるかと思うのだが…、単に上げ足を取りたいのだろうか。
付け加えると、ハリルホジッチ監督をことさら低評価に喧伝していたのは、主にスポーツ新聞や老舗系サッカー雑誌のネット記事中心、要するに「旧メディア」側だということは言っておきたいのと、彼ら旧メディアのバッシングはトルシエの時のほうがむしろ激烈だったなーとか、オシムが代表監督だった時もオシム特有のけむに巻く言葉の尻を捕まえてイライラさせられる記事を垂れ流してたなーとも言っておく。もっといえば、JFAのちょうちん持ちのような記事が出来る理由は、PV乞食な側面もあるだろうが、W杯本戦や再来年の東京五輪の取材融通やメディアパスの確保量を考えた忖度はあると思う。
長々しい文章をつづっているうちに2時間が経過し、なでしこの予選も、忖度モードでオーストラリアとともに本戦進出が決まりそうである。いやーめでたい。
男子代表は俺たちのサッカーを貫くのだろうから、その俺たち性から醸される悲哀を私も楽しむことにする。もちろん応援もするが。