はてなキーワード: チャンネルとは
あんまり好きじゃないローカル番組があるのだが(意図せずチャンネルが合ってしまった)、そこで若いモデル?の女の子が「長都」を「ちょうみやこ」って読んでて。さすがにそれは無理があろう…と思ってテレビを消した。
オッサンのオッサンによるオッサンのためのテレビ番組が不快っていう、ただの愚痴。
自分の会社の食堂。どんなチャンネルが流れてても、オッサンが後から民放の情報番組に変える。
仕事しに来てるんだからニュースを見るべきだ、的な考えらしいけど。オッサンのお好みは、同じ世代のオッサン達が毎日飽きもせず「どこどこでは新規感染者が何人です」って繰り返すくらいしか能の無い番組。
わざわざ毎回新しく大きなボードを作り、それを読み上げてるけどさぁ…数字を追うだけなら各々自分でやってるんだよなーっていう。
オッサン達自身が大仰なリアクションで800人超えの新規感染者が出てる!って伝えてる都内で。わざわざ外に出るリスクを抱えてまでスタジオに集まって、公共の電波に乗せなきゃいけない程の内容なのかしらね?それは。
そもそも、ソースとして用意した資料を読み違えて北海道の人口をあり得ない数字で流しちゃったりするところから見ても、番組自体の信憑性とか信頼性は疑わしいしさ。
今日もイベントを中止にしないから若者が動いちゃうのでイベントは中止すべきだのなんだの……他人の立場や生活なんか一切考えない適当な案を出して、責任とれんのかよアンタら。
ぜーーーんぶ若者や自分たちの生活に関係ないもののせいにするのは、オッサン達にはさぞウケが良いだろうがな。
食堂っていう、どうしても利用するしかない場所に大音量で(←オッサンって耳遠いからな)テレビから流れてくる、自分たちへの文句を強制的に聞かされてる若者の立場にもなってくれねーかな…。
簡単に成し遂げられそうだけど、
ナカノヒロミチを探す旅はなかなか難しそうよ!
私もさ雪中、
車の中に閉じ込められたらどうしようと思って、
おにぎりやお水は車内に持ち込んだ方がいいのかなって思ったのよね。
それはそれでいいとして、
車はエンジンかけっぱなしで満タンからどのぐらいで空になるのかな?って実験してみたの。
そしたら2日ぐらいは車内で暖を取って暮らせそうなので、
もちろん個人差はあり用量を用法適切に守ってやらないと行けないんだと思うの。
まあ話し半分としても1日はガソリンもつかなーって感じで信じても良いかもしれないわね。
でね、
案外キャンプする人って
そういったギアにも詳しそうだし、
車内での快適生活をも満喫させるような充実野菜級のテクニックを持ち合わせていると思うの。
大抵はキャンプ動画と言えば焚き火と相場が決まってるのかしら?
そう言う雪中に閉じ込められた折衷案を探しているんだけどなかなかないのよね。
面白そうだけど、
絶対頭がこんがらがりそうになるやつだわーって
舫い結びが出来たところで、
船を停留させる機会なんて私にはあるのかしら?って思ったほどよ。
ユーチューブ見てるとだいたいロープワークの動画に辿り着いちゃうのよね。
何故か知らないけど。
もう出す出す詐欺じゃないけど、
本格的に石油ファンヒーターを稼働させなければ
今週末は絶対に出すと言わんばかりの
凄い自信で迫ってみたいわ!
そう石油ファンヒーターなら
たったの5秒で暖かくなるの。
主人公を倒す時間は5秒で充分だ!って言って死亡フラグ立たせるやつ。
おまえと倒すなんて5秒で充分だ!ってそもそもとして死亡フラグだっけ?
まあそんなことはおいといて、
石油ファンヒーターのいいところは
若干ながら微かなる
加湿もしてくれると言うことよね。
逆に石油ファンヒーターの良くないところと言えば
考える頭の毎日の人には
満腹感と暖まり感が敵らしいわよ。
もう満腹の中で暖かい部屋の中で食べて寝たら牛さんになっちゃうわね!
あ!!!
そうそう閃いた!
牛だって!
ニュースでやってたことを思い出したからって閃いた!って私の手柄にするのはおかしいわね。
だからこの勢いで、
でも年明け三が日は
それ忘れたらみんな
もういっそのこと
今年の1年の漢字を発表するなら
行ったことないけどあの清水寺舞台から実際に飛び下りた人の死ななさ率は100パーセントなんだって。
意外や意外よね。
もうみんな口だけなのよ。
驚かせて飛び込む飛び込む詐欺なのよ。
よく分からなくなってきたけど、
大忙しね。
もうみんなはサンタさんにお願いした?
それでいいんだって。
私も愛車のデ・トマソ・パンテーラのタイヤを交換したい!ってお願い書いとこう!
うふふ。
昨日お夜食に買って食べておこうと思って夕方結局食べられなかった
まるでもう飲むゆで玉子って感じの新食感!
喉ごしが良いサンドイッチってすごくない?
さびゅいので、
ルイボスティーのテーパックも常備しておいてよかったわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
新サクラ大戦が発売されてから一年が経った。発売日に買ったゲームのパッケージは、封を切られることなく本棚の中で埃を被っている。
私は15年近くサクラ大戦のファンを続けている。いや、続けて「いた」と言っていいかもしれない。2006年にPSPで発売されたサクラ大戦1&2にドはまりし、ドリキャスとPS2を買って3,4,5をプレイした。一日の受験勉強を終えた後、深夜0時~3時までドリキャスを起動し、3時間だけ睡眠を取って学校と塾へ行き、帰ってからまたサクラをやる。大学受験という過酷な生活の中で、サクラだけが生きがいであった。
ゲームをプレイした自分は次々に派生作品へと手を伸ばしていった。OVAと旧アニメ、活動写真を鑑賞し、小説と漫画を買い漁り、CDを聞いて武道館ライブにも足を運んだ。あらゆる公式作品では飽き足らずに、ネットに転がっている二次小説を片っ端からガラケーで読んだ。サクラにはまって宝塚も鑑賞した。私にとってサクラとは、自分の青春を賭けたコンテンツであったのだ。
サクラに熱を挙げていた私とは裏腹に、サクラ自体にはほとんど進展がなかった。Vの発売以降も定期的なショウは開かれていたものの、公式的な動きはパチンコや他ゲーとのコラボ程度であり、ジャンルを前進させるコンテンツ――本編の続編は止まっていたに等しかった。1年、また1年と歳月が流れるにつれ、私も他のジャンルに手を広げていく。サクラは依然として好きであったが、あくまで懐かしい思い出の中の1つという立ち位置になっていった。
しかし、2018年4月のセガフェスでついにその瞬間が訪れる。
「新サクラ大戦始動」――太正29年の帝都東京を舞台に新しい花組が復活する。Vから13年経ってのナンバリング続編が満を持して発表されたのだ。
あの瞬間の興奮を今でも覚えている。アパートを着の身着のまま飛び出し、家の前の川沿いを下流のほうへ歩いては折り返し上流のほうへ歩いてはまた折り返し、何度も何度もあてどなく歩き続けた。頭の中に溢れて来る激情が身体をじっとさせてくれなかった。
私がサクラ大戦を初めてプレイした時は、すでに当時のシリーズ最終作であったVが発売されていた。私にとってサクラ大戦は出会った瞬間から最終回であり、ずっとナンバリングの続編を望まれながらも、決して叶うことはない幻のゲームであった。
それが、ついに、叶う。サクラの続編を遊べる日が来るなんて、本当に夢だと思った。忘れかけていた青春時代の熱狂と興奮が心をかき乱す。たまらずに開いたTwitterのタイムラインは狂乱の渦に包まれていた。
2019年3月末、セガフェスにてサクラ大戦の続報が発表される。メインキャラクターデザインを久保帯人氏が、ストーリーをイシイジロウ氏が、そして音楽を田中公平氏が手掛ける。檄帝にコーラス等のアレンジを加えたメインテーマは、今までのイメージを踏襲しながらも新しい風を吹き込もうとしている。私の心は歓喜と期待に溢れていた。Twitterでは友人がPVを見て考察を巡らせていた。発売日は2019年12月12日――もう一度あの世界が味わえると思うと自然と気持ちが昂った。
同年の6月から、「帝劇宣伝部通信」というコーナーがセガのyoutubeチャンネルで始まった。公式が新規情報を発売日まで随時公開していく番組である。プレイ動画、キャラクター、世界各地の華撃団の紹介、グッズとメディア展開など、様々な情報が発信されていく。
私はそれらを欠かさずにチェックしていった。しかしながら、一か月、また一か月とカレンダーをめくるにつれ、自分の心の中には言い知れない不安のような影がよぎっていった。
「果たしてセガは、サクラ大戦を未来へと続く作品にできるのだろうか?」
今の時代、美少女たちと触れ合えるゲームはそこらに無料で溢れている。歌う少女も戦う乙女も、20年前とは比べ物にならないほど多くなった。群雄割拠のゲーム業界でサクラというジャンルは生き残ることができるのだろうか?
サクラ大戦は時代とともにあった。当時のアドベンチャーゲーム、ありていに言えばギャルゲーの中で、サクラは独特の地位を占めていた。歌劇とスチームパンクの融合、セガサターンという機種だからこそできた恋愛ゲームの一般向け展開――あの頃のサクラを不動の地位に置いていたものと言えば、新規性と物珍しさによって時代を先取りしたコンテンツ力であったことは疑いない。
しかし、時代は変わった。ゲームは何でもアリになった。アイドル物のゲームが世間一般にまで浸透するとともに、きちんと遊べるゲーム性を核としてギャルゲーさながらの恋愛要素を取り入れる作品はいくつもリリースされている。
サクラ大戦は初代から24年の歳月を経た。その年月は時代性という重りになってサクラ大戦にのしかかっている。
気づけばそう問いかけていた。プレイ映像が公開されていくにしたがって、自分の中の情熱が冷静なものに変わっていくのが分かった。
そして2019年12月12日、私のもとにAmazonからパッケージが届いた。そのときは仕事が忙しく、届いてから3日ほどやる時間が取れなかった。
極力ネタバレは控えていたものの、つい気になってTwitterを覗いてしまった。
そこには、「熱」がなかった。
新作発表、主題歌公開のときに賑わいのあったタイムラインは嘘のように静かであった。ストーリーに言及するどころか、面白さやつまらなさを語る人もいない。ぽつぽつと流れる呟きは、まるで腫物に触るような言葉の数々であった。
好きの反対は嫌いではなく無関心である。本当に面白いコンテンツであれば、人々は誰に先導されるでもなく自然と語り始める。それはネタバレであれ考察であれ妄想であれ、大きな熱となりジャンルを強く後押ししていく。しかし今は、その熱がどこにも見えなかった。栄華を極めたかつてのコンテンツを前にして、友人たちは出来の是非を問うこともなく、ただ当たり障りのないことを呟くばかりであった。
――ああ、そういうことなんだ――
その様子を見た私の心の中に、言い知れないほどの寂しさが襲った。それは悲しみや怒りといったハートを揺れ動かす激情ではなく、まるで亡くなった親友を前にした時のような、涙も出ない喪失感であった。
私はそれを見て、新サクラ大戦を遊ぶことを止めた。プレイしたらそこで終わりになってしまう。20年以上続いたシリーズの行く末を見届けてしまえば、「いつか続編が発売されたらいいなあ」と心を躍らせることもできなくなってしまう。
「ああ、こんなもんだったよなあ」という気持ちで終わらせることが嫌だった。ゲームの面白さに興奮することも出来の悪さに嘆くこともなく、ただただ現状を受け入れて観念することがたまらないぐらい恐ろしく感じた。
こうして私は、サクラ大戦というシリーズを思い出のまま取って置こうと決めた。私にとってサクラ大戦は、続編を望まれながらも決して作られない希望のゲームである。あのころのノスタルジーを終わらせもせず続かせもせず、優しい思い出のままそっとしておこうと心に決意した。
そんな私とは対照的に、漫画、テレビアニメ、舞台と、次々にメディア展開が進められていく。ユーザーとの熱量の違いは目に見えており、ゲームの中古価格がそれを如実に表していた。
そして2020年12月15日、新サクラ大戦から約1年後、ゲームアプリ「サクラ革命」がリリースされた。開発はソシャゲ業界最大手のFGOを手掛けるディライトワークス。リリース初日にも関わらず、タイムラインでは話題にすら挙がっていない。PVを見て考察を巡らせていた友人は、FGOのカルナサンタに熱を上げていた。
もう、誰もいなくなっていた。
そして私はまだ、「新サクラ大戦」をプレイできていない。15年前の思い出にずっと閉じこもり、夢の続きを見ることを拒否しているのだ。
ネットの炎上は祭と称されてきました。クズの失態に群がるクズ。そんな自覚があったのかもしれません。
最近は炎上という言葉が一般的になりました。いつしかクズは己のことを正義と呼ぶようになりました。クズという自覚なしに叩くクズ。そんなクズが多くなりました。
あたしは、クズはやはりクズに還るべきだと思うのです。「叩かれているのは君が悪いからだ!!」などと声高に話そうが、やはりおまえはクズなのです。今一度、祭に戻そうじゃありませんか。ワッショイワッショイしながら、燃料投下を待ちわびるクズに戻りましょう。
そのためには、マスコミさんが『ネットで炎上』ではなく『ネットで祭』と呼ぶようにしたらいいのです。すると、日頃の行いを棚に上げて「不謹慎だ」と愚痴るクズがゴキブリのように沸いてきます。
最近のクズは正義が大好きなので「人の失態に祭なんて気が狂ってます。このチャンネルは一生見ません」と涙するクズも現れるでしょうが、マスコミさんには必要悪として尽力していただきます。
やがて正義感溢れるクズvs祭大好きなクズで内戦が勃発し、その様子を傍らにあたしたち一般国民は今よりも健やかなインターネットライフを送ることができます。
水がめちゃちべたいわ!
この時期の風物詩!
注いだそばから液体の水が凍っちゃう超常現象実験映像あるじゃない。
うちの水道から水が出たらそばから固まってそんな状態になったから笑っちゃったわ。
ウソだけど。
ところで、
たまには真面目に仕事をするでお馴染みの私なんだけど、
不慣れな輸出のこと?
大袈裟にそれ輸出というのかも怪しく分かってないんだけど
そういった海外輸出のことを調べていたら
お手上げする前に上げる手もないぐらいややこしいのよね。
すでに、
テストに出る海外輸出のことについてのテキスト赤本を読みたいところだけど、
あんまりそう言うことやったことない不慣れなことはなかなか慣れないわね。
そのオンスとかポンドとかでいきなり詰まっちゃって詰んだーってもう終了したいところ。
おんぶに抱っこって似た節で言い方をしても解けないものは解けないわ。
やっぱりまたドキュメンツをちくちくと読み進めていく地道な作業となるのその辛い辛みに効く特効薬があったらいいわ。
でね、
海外発送でもなんか種類があってまた読み進めなくちゃいけないんだけど、
「海外発送」と「グローバルセリング」って言うもうまたここで分岐点が2つあって
2種類もあるとかよく分からないし、
ぐろーばるせりんぐ?って美味しいの?って平仮名で言っちゃうレヴェルよ
前途多難中の前途だわ!
今日の日替わり昼ランチは何かと尋ねてみたら今月の献立表の紙を昨日くれた給仕さんにも感謝!
だいたい何でも感謝!
だいたい何にでも感謝!
と言うことで、
調べ物してたら
今日の日替わりのことすっかり忘れていたので、
すっかりSwitchずいちゃって冒険癖がついちゃったみたい。
よく分からないけど、
ゲーム遊びたいし
仕事もあるし、
日替わり定食も救いに行かなくちゃ行けないしで
私もハーレーダビッドソンにクリスマスサンタの格好して乗ってクリスマスの告知に走ろうかしら?
にしても
この時期、
ハーレーダビッドソンに乗ってる人は
クリスマスのサンタの衣裳を着てクリスマスの告知に精が出るわよね。
今時、
ハーレーダビッドソン達の人よね。
ハーレーダビッドソンに乗ってる人って、
クリスマス衣裳をこの時期着がちだし
みんなで集まってツーリングしがちでもあるわね。
彼らが街を走っているうちは
何でも無いようなことが
幸せだったと思う
トラブリューの第65536章の一節を引用して今日は締めたいと思うわ。
私は日替わり定食を救いに出る旅にでる!
ってオレは海賊王になる!ってルフィーの節の言い方で言ってみたら、
日替わり定食がまたより一層美味しく感じられちゃうから不思議よね。
今風に言うなら
日替わり定食の呼吸!っても言えるわね!
うふふ。
まぐれ美味しいかも知れないので、
今日も食べて確かめたみたら美味しかったのでリピまたしてみようと思いました。
さすがに寒くて寒い冷たい水飲んだら、
腰に響くわ!ってことで
ほうじ茶でホッとするわ!ホットだけにとかってベタなことは言わないからね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
audeeっていうラジオの放送チャンネル?よくわかんないけどそういうの今知ったんだけど
ググったら
インターネット用に特化した配信専用の「オンデマンドオーディオコンテンツ」を中心に、TOKYO FMおよびJFNCが制作する人気番組のスピンオフオーディオコンテンツ、広告主のブランド向上とエンターテインメントを兼ね備えた「ブランデッドオーディオコンテンツ」がお聴きいただける他、
っていうよくわかんないけどFMラジオ番組を転用してんのかな?よくわかんないけど今さっき知って聞いてるんだけど
すでにいっぱい番組があって、それもちゃんとテレビで名前を聞くような人がやってるラジオ番組が並んでて
今まで全然知らんかったけどこういうとこでもちゃんと経済活動してんだなってびっくりした
こういうの知らん人は一生気付かないわけだし、テレビ世代の、情報が向こうからやってくるのに慣れた世代の人たちにどうやって気づいてもらえるようになるのか、その辺どうやってみんな頑張ってるんだろう
Vtuberに興味を持っていても登録するのはわずかな推しだけ、といった状況だった。
しかし思い切ってにじさんじのライバーを全員フォローしてみたところ、
意外にしっくりきたのでその知見を共有したい。
全員登録すると何が嬉しいのか?
それは「YouTubeの感覚がテレビ的になる」ということだ。
テレビのチャンネルを切り替えるようにライバーの配信をザッピングしていく。
「観たい配信があるからYouTubeを開く」から「YouTubeを開いて観たい配信を探す」への転換。
すなわち「帰宅したらとりあえずテレビを付ける」のと似た受動的な視聴環境が出来上がるのである。
ちなみに同時間帯に配信しているのはせいぜい10人くらいなので多すぎて把握しきれないというほどでもない。
そうして眺めているうちに何となくライバーの個性が分かるようになってくる。
リコメンドでも切り抜き動画(=配信の見どころを抜き出した短い動画)が増える。
これまで興味がなかったライバーの意外な面白い企画に出会うこともある。
「少数の推しを深く追いかける」のではなく「全員を広く浅く把握していく」環境が整う。
にじさんじには「特に仲の良いコンビ」だとか「一緒にデビューした同期」などの緩やかな繋がりがある。
何十人も参加する大型コラボ企画だってしばしば開催されている。
にじさんじという「箱」をより楽しめるようになっているだろう。
これを敢えて言わなきゃいけないことに絶望してる。
こんな国でも学力ランキングは世界で上の方であるってことでこの世界全てに絶望してる。
観測範囲が違う者同士をわざわざぶつけあって「俺の観測範囲で見ている世界こそが正しい!俺の知ってることの方が正しいんだ!!!」なんてさ。
テレ東しか映らないテレビとNHKしか映らないテレビのどっちが上か比べ合ってないで両方映るテレビを買いに行けばいいだろ。
馬鹿か?
いやマジでさ。
つうか噛み付いてる側の方が「俺のテレビはテレ東しか映らないが、テレ東こそが一番だからそれで十分なんだい!!!他のチャンネルでやってるアニメの話をするな!!」っていきなり叫びだしてるようなもんやん。
あほくさ。
キチガイだろ。
ジメッとする盆過ぎの暑さの頃、そう学生は夏休みの真っ只中だった。
クーラーの効いた個室に入って、仕事中だからこそぐったりする開放感。
しばらくすると電話が鳴り続けるので取ると、フロントからの取次だった。
こんにちはー。何歳ですかー。若いですねー。何歳だと思うー?何してるのー?
違った。「いま私たち、池袋の西口にいるんですけど暇してて。高校生」。
分かった。冷たい飲み物おごってあげるから、ロッテリアで待ち合わせようよ。
「外出します」とフロントに言い、汗がじわりとサンシャイン通りのロッテリアに歩く。
よく周りを見たら、夏休み中の小中高大学生でいっぱいだった。映画を見るのか?見たのか?
いま思えば携帯電話も無しによく待ち合わせできたな。この後PHSを買うことにした。
スーツ姿で22歳で、ロッテリアの前で僕はキョロキョロしている。「すみません、電話の人ですか?」
女子高生二人組は、今年高校入学で、まだ垢抜けない15歳だった。服装も一昔前の中学生みたいだった。
顔も可愛くない寄りの普通だった。
ロッテリアのセットメニューを注文して、冷房が半分効くテラス席に座った。
歳は22歳と15歳と16歳だ。何してるんですか。会社が嫌で嫌で、
テレクラは涼しくて個室で寝れてテレビも漫画もあるからなんだ。
昔の外回りの営業と言えば、パチンコか喫茶店か映画館だろうか。
なんでテレクラに電話してきたの?暇だったし、興味あったし。ねえ。
二人だし昼間だし、怖かったら電話切っちゃえばいいし。そうそう。
いままで何してたの?さっき待ち合わせて、どうしようっかって。埼玉からなんだ。
「これから三人で、涼しいラブホに行かない?コンビニでお菓子買って」
えーえー。ラブホって昼間やってるんですか?昼間は逆に安いんだ。
どこにあるんです?池袋は北口にいっぱいあるんだ。ここから歩いて10分くらい。
行って何するんですか?何もしません。大きなベッドで寝られる。
私は良いけど。エッチなことしないですよね?これを機会に見学見学!
ちなみに僕は、女の子の私でも本気を出したらこいつに喧嘩で勝てる、
歩いてもいいけど、夏の暑さのせいかしら、タクシーで陸橋渡って北口へ。
コンビニの前で降りて、適当にお菓子や飲み物やビールも買った、僕はアルコールは飲まないけど。
新宿のラブホだと、もっと大きくてディズニーランドの建物、ではないけど、まあいいか。
どの部屋がいい?うーん、取り敢えずどれでもいいかな、まずは。
普通の見た目広めの部屋にした。
部屋に入りドアを閉める三人。家族旅行で旅館の部屋に入った時と同じ気持ちだ。
ベッドに飛び乗る。あちこち見る。ボタンを押す。照明をいじる。
浴室を見に行く。テレビをつける。案内板読む読む。エッチなチャンネルにする。
ここはラブホテルでエッチなことする場所だし、エッチなビデオを見てもおかしくないと思います。
なるほど。。今日だけね今日だけね。家で見たことある?無いー。
ビデオ、みんながいつも居る部屋にしかないし。お父さんも見てないと思う。
夜中でもなんかテレビついてたら分かるし。私とお母さんとおばあちゃんが買い物行ってるときとか?
私は中学校の時の友だちのお兄ちゃんのを、友達んちで少し見たことある。
モザイクで見えないよねー。見えない見えない。
僕はそんなお喋りをしてエロビデオを見てる片方の女の子の見えそうで見える白いパンツをじっと見てた。
女の子の視線はテレビのエロビデオ。僕の視線は女の子のスカートの中。
女の子が立膝を崩すのと「モザイクで見えない」と言うのが一緒だった。
「何が?」「おちんちん」「あ、え、」「おちんちんって言わない?英語でぺにす?」
「保健のテストあったじゃん。生理とか子宮とか妊娠はいいけど、
名前とか漢字で書くのやだったなー」「いんけいとかしゃせいとかぼっきとか」
ベッドの上の女の子に普通に近づいで、手前の女の子のスカートの中のパンツの股間に触ってみた。
隣の女の子も気付かないくらい反応はしなくて、後ろにあった枕を取って自分の腿の上に乗せて、押さえつけた。
だからそのまま指をパンツの中に入れたら、ぬるぬるだった。もしかして生理だったのかな、ナプキン無かった。
ここまで書いて疲れた。
女の子のパンツ脱がして二人でよく観察して、指でいじりながら、
上も脱いで脱いでと素っ裸にして、どさくさに胸を揉み揉み。
素っ裸になってエロいことも見られた女の子はもう怖いもの無し、
友だちの女の子に服脱いで。私は嫌だ恥ずかしい。恥ずかしくない、一緒にお風呂に入れる。
胸が小さいからやだ、毛も濃いから恥ずかしい。私もう全部見たじゃん。
男の僕の存在はとくにどうでもいいみたいで、
脱がせましょう!と二人で女の子の服を脱がせた。
パンツは僕が下ろした。女の子の股間に指を当てて、割れ目を開いて、
なんか透明ななんか出てて、ぬるぬるですよ。と、しれっとすごいことをやると、
濡れるの同んなじ、おなにーの時と。指で触ってないのに濡れた。
二人はお風呂に小一時間入って、「おちんちん見たい」って言うけど、
断る理由も無いから見せて触られて握られて、無理無理絶対入らない。
もう女の子の恥ずかしげでない最初に手を出した方の女の子の股間を手でぐいぐいして、
唇にキスしちゃおう、と思ったけど思いとどめて、もう片方の女の子の警戒心無い素っ裸の、
太ももに射精して、うわあったかい、精液白い。プールの臭い。はふぅっ。
手まんしてる女の子、裸で抱きついてくる。
飽きた
わたしのYouTubeチャンネルは、たまに猫と野球の動画をあげていただけのチャンネルだ。
最終更新は7年前。もうすっかり見る専アカウントになっている。
チャンネル登録者はそれほど多くないが、野球選手の動画を見に来てくれる方がぼちぼちいらして、今でもそこそこ再生されている。
今見る、YouTuberが溢れるような場所ではなかったYouTubeで、ひっそり自分が好きなものをあげているだけの場所だった。
そのうちの動画のひとつに、12年ほど前にアップしたとある元野球選手(以下A選手)をメインとした動画がある。
当時現役のプロ野球選手だったA選手が、球団のイベントに参加している様子を映したもの。
A選手や他の選手たちの挙動が面白くて、もちろん良いほうの気持ちでアップした動画だった。
再生数はそこそこあったものの、今のYouTubeとは文化が違ったので、誰かからの反応というのはファンのブログに動画URLが貼られていた…とかそのくらいのものだった。
7,8年ほど前頃から。つまり動画をアップしてから4,5年ほど経ってから、少しずつ動画にコメントがつき始めた。
おそらくYouTuberという文化が花開き、動画にコメントを残すというのが当たり前になってきた頃なのだろう。
最初の頃は「ゆるいイベントだなあ」とか「昔はこんなことやってたのか」とか「Aはやる気出せwww」のような、当たり前のコメントだった。
A選手は元々、期待ほどの成績を残せなかったことや、本人のどこか抜けたような性格などからインターネットでは度々話題に出される選手だった。
ネタになる、くらいの明るいものだけではなく、いじりや叩きに近いものも多かった。
ということで、徐々にコメント欄には「こんなテンションだから成績が残せなかった」「年俸詐欺のようなものだ」というA選手への罵倒が見られるようになってきた。
A選手やいっしょに動画にいる選手たちがその頃徐々に引退し始めたことも影響していたのかもしれない。
わたしは「それも意見だ」ということでそれらのコメントを残したままにしていたが、今度はその負のコメントが周りに派生していく。
「こんなダレた空気でやっていたら弱くて当たり前だ」といったチーム自体への非難
(オフシーズンのイベントの動画なので、当たり前だが選手たちが気合いを入れてどうこうするものではない)や、
「B選手やC選手もA選手を白けた顔で見ているなぁ」といった周りの選手を巻き込んだ非難や、
「司会者の喋りがキモい」といったもはや選手やチームを飛び越えた非難が書き込まれるようになった。
わたしはただそういった罵倒コメントを低評価し、それ以外のコメントを高評価した。
(あの低評価っていうのはなにか効果があるのかしら。わからないけれど。)
コメント自体、そんなに頻繁につくものではなく、月に1コメントつくかつかないか?という感じだったので、それほどまでは気にしていなかった。
月日が過ぎて気づいたら今年になっていたわけで。
ある日その動画を見返したら8割方が動画の内容というよりもただただ嫌いな選手たちを罵倒するだけのコメント欄になっていることに、やっとこ気づいた。
たまにしかつかないから気づかなかった。ちりも積もって、ほんとうにゴミ溜めになってしまった。
投稿者コメントとして「これ以上よろしくないコメントばかりになったら動画自体を消します」という旨書き込んだ。
少しばかり罵倒が止んで柔らかめの言葉でコメントがつくようになった。
そこから半年くらい経ったころ、何故かまたドッと罵倒コメントがついた。珍しく数日に続けて。どこかのブログやら掲示板やらに貼られたのだろうか。
さすがにもうだめだ、と思って罵倒メインのコメントをザクザクと消したのが今年の夏頃のことだった。
「Aはやる気出せwww」「空気ゆるゆるやな」程度のコメントは残している。
「Aがいたせいでチームの暗黒時代が始まった」「最初から入団しなければよかったのに」くらいのコメントになると消した。
驚いたのが、それ以降のコメント欄だ。
この半年ほども、以前と同じように月に1,2くらいずつコメントが付く。
内容はというと、ざっくり「A選手って面白いキャラだったんだ」「引退後○○をしているんだよね」「今では見られないようなイベントをアップしてくれてありがとう」「司会者のひとが独特な喋りで面白い」のようなもの。
twitterのリプライなどでの叩きや、そもそも現実世界のいじめなどでもよく言われている「周りがやっているから自分もやっていい」っていうやつ。
同じ動画のコメント欄という狭い世界であれば。7,8年かけて、ゆーっくりでも、その空気というのは形成されるものなのだな…と、無駄に感心してしまった。
バズっているYouTuberの動画などではよくあるものだと思っていたけれど。
そして、こういう悪意を書き込んじゃうタイプの者たちでも、「周りが誰もやっていないのに悪意を書き込む」ことには一定の制御が効くのだ、ということが、罵倒コメントを消したあとにすごくよくわかった。
おそらく、最初に誹謗中傷のようなコメントがついたときにきっちり消して警告しておけば、わたしのようなゆるやかなチャンネルではあれほどまでのゴミ溜めが出来上がることすらなかったのだろう。
批判コメントを消すことってわりと逆に叩かれたりするので抵抗があるかも知れないけれど、やっちゃっていいものなんじゃないかなー。
ということを、しみじみ思ったので書きたかったのです。
地域柄もあるが、僕が小学生の頃ピアノを習っている男子はクラスに1人いるかいないかくらいだった。当時「男のくせにピアノかよ」「ピアノとかお坊ちゃんかよ」みたいな、今風にいうと”ハラスメント”を受けていた記憶がある。
だがピアノという楽器を取り巻く世の中は大きく変わってきた。状況を整理したくなったので書き留める。
中高の頃バンド活動に興味を持った時にはじめに手に取った楽器はギターだった。僕は小さい頃からピアノをやっていたが、バンドで鍵盤を弾くという選択肢は頭に浮かばなかった。バンドといえばボーカル・ギター・ベース・ドラムという編成が主流だと思っていたからだ。当時の僕の周りではバンドでやる曲といえばアジカン、バンプ、エルレなどが主流だったし、もっと前から人気があったミスチルやラルクなんかもキーボードは正規メンバーにはいない。
しかし数年後にはバンドにキーボードがいるのが当たり前という感覚になっていた。東京事変などのバンドやボカロ曲、アニソンを演奏する人が増えて、大学のサークルではキーボーディストが引っ張りだこになっていた。「けいおん!」の影響もあるのかもしれない。さらにゲス極、セカオワ、ヒゲダンなどピアノが目立つバンドは増えていった。
YouTubeやニコニコ動画でピアノを弾いている人は10数年前からいたが、そういう動画を見るのはネットに入り浸った一部のオタクという感じだった。だがここ数年で状況は大きく変わってきている。
スマホを全世代のほとんどの人が持つことにより、ネット動画を見るのは一部のオタクの趣味ではなくなった。YouTubeで音楽を聴くのはどの世代でも当たり前のこととなっている。そして、今までテレビだけ見ていたような人たちでも自然に楽しめるような「顔出しアングル」、「観客の反応」、「解説テロップ」、「ドッキリ」等の要素を持つストリートピアノ動画が2019年に流行った。
2020年には外出自粛の影響もあり、それまでコンサートをメインでやっていた演奏家もYouTubeチャンネルを持つことが当たり前になった。メジャーアーティストも「無観客ライブ」を行うことが増えて、ネット配信を見ることがどんどん一般的になってきている。
僕が小さい頃ピアノは教育ママが女の子に習わせるお稽古で、ピアノコンサートは一部の金持ちが見る高尚なもので、流行りの音楽に含まれるピアノは縁の下の力持ちポジションだった。ピアノを弾くといえばほとんどクラシックかジャズの二択しかなかったように思う。
それが今や、ピアノを弾きたがる男の子も(実感としては)増え、アニソンやポップスのピアノを弾くYouTuberを一般大衆が聴き、バンドのMVでは派手にピアノを弾くカットが流れる世の中になっている。クラシックでもジャズでもないポピュラー音楽を耳コピしてアレンジしながら弾く人も増え、彼らは発表会やコンサートという閉じた空間ではなく誰でも気軽にアクセスできるYouTubeやストリートピアノで、プロとアマチュアやジャンルという垣根もなく演奏を楽しんでいる。
質の低い演奏が蔓延しているとか、正統派のプロよりYouTuberが持て囃されるのはどうなのかとかネガティブな考え方もあるけど、個人的にはピアノをより多くの人が多様な形で楽しめるようになっていくのは嬉しい。
僕の狭い視野で感じたことなので「昔からサザンとかX JAPANとかいたじゃん」等の反論もあるかもしれないが、なんとなく思っていたことを整理できてスッキリした。今後はどうなっていくのだろうか。ピアノ演奏者にとっては、披露する機会も多いがライバルも多いという状況になっていきそう。
急に色々思い出した。
十数年前、年の離れた幼い妹が入院した。
診察でも病室でもずっと泣き通しで、
泣き疲れて寝るまで泣いて泣いて、
全身で悲しがるようすに心が痛んだ。
妹は初めて病室で笑顔を見せた。
涙で濡れた頰が光って見えた。
妹にずっと寄り添っていてくれた。
ミニモニ。が画面に映ったり
妹は必ず涙を止めて夢中になって楽しんでいた。
あれから十数年。
妹にミニモニ。のことを聞いても覚えていないと言う。
でも、メンバーがどんなことをしても、
メンバーにどんなことがあっても、
メンバーがどんなに笑い者にされても、
私は、幼い妹を笑顔にしてくれた
疲れてるせいか、TVerでバラエティ見てると煩くて堪らない。アニメも気力が要るので見られない。
そんな中、今まで全く見ていなかったヒロシのぼっちキャンプを何となく視聴してみた。
これは…
静かでいい。
裏庭で焚き火するかな…隣人に奇異の目で見られるな…。カーポートで七輪が精一杯だな。網の上に何も乗っていない七輪(怖)
つーか、なんで(全部用意されてて出向いて焼くだけで食べられる)BBQって夏場しかやらんのだよ。冬もやれよ。ダウン着てやるよ。
まあ、夏場に海辺のユースの屋上に登ってやるBBQの開放感は最高だけどな。冬にやったら物悲しい荒波を眺めるだけになるけどな。
そんでやっぱりメタクソ寒いから、火に手を翳してみんなで背中を丸めるというダウンタウンの路地裏状態になってしまうだろうけどな。
秋や冬にメリットを感じない。秋の果物が豊富ってことくらいか?魚とか旬のもの食べないし。コメも食べないし。
紅葉とか見る余裕無いし(というか無残に枯れ果てた木々が余計陰鬱な気分にさせてくれるわ)
雪が降ってわー!なんてあるわけねえし。光熱費爆上がりだし。体調も崩しやすいし。
今年はそうでもないけど、秋になると冬季鬱まっしぐらでほんっとうにキツイ。
秋冬なんて観光地だけに来ればいいんだよ。
そんなこんなでヒロシのyoutubeチャンネルを登録して延々とキャンプ映像を見続けている。早く真夏のキャンプシーンに到達したい。