はてなキーワード: スペクトラムとは
anond:20200715070147書いたものだけど別にさ消えろとか死ねって思ってるわけじゃなくて自虐をやめなさいよって話をしたいの
んで自虐をしたい?のに無意識に加害してるから気をつけなはれやってこと
加害してもノーダメな無敵の人ってわけじゃないし、自虐することが快感ってたちでもないんでしょ
世の中には他人パンチしても痛覚が発生しないタイプもいるわけよ、自虐で達しちゃう人もいるでしょう、でもそこまでには見えない
消えてなくなりたいなぁって思う気持ちは否定しない、自殺したい人やひきこもりになる人にもいろんな事情があるから
それでも、やってて辛いと思うなら一旦やめにしねえかって話
アスペだろうが発達障害はスペクトラムであって衝動性が強かったりするのも往々にしてあるから脳直で思ったこと言っちゃうのも分かるし、発達障害者だからと言って社会性が完全にゼロではないわけで思い返して後悔するってのもそりゃあるだろう
リアルは無理にしても、ネットなんかなら思ったのを文章にして投稿するってワンクッションツークッションあるんだから、わざわざ他人にボコボコにされて自虐感情を強化しないでも他に道はあるんじゃねえの?(メモ帳や日記に書いて満足して後で読み返すとか推敲するとかさ)
岡村発言でコメンテーターがよく使う言葉。叩くにしても擁護するにもこれをエクスキュースに入れて言ってるんだけど、これにもなんか人によってスペクトラムがある気がするんだよね。
それこそ、こんなこと言う奴は人じゃねぇって奴から、放送禁止用語くらいのニュアンスの奴までいる。
後者が悪いってわけじゃないんだけど、多分、全部が悪いけど、何が悪いってちゃんと説明できない奴が後者な気がするんだよね。
おれもよく出来ねぇんだけど。
ただ、太田光が言うようにこれって色んな問題が複雑に絡んでてフェミ問題だけで収束するとは思えないんだよね。
https://www.oricon.co.jp/news/2161548/
多分、何がダメなのを事細かに説明できる奴ってなかなかいないと思うのね。貧困で困った女の子が風俗に流れるのを喜ぶゲスい発言だからダメ、ってのは一面しか見れてねぇと思うんだよ。
絶対に風俗に流れるワケじゃないしね。諦めて帰っちゃう娘もいるし。同じ境遇の男はそのオプションは取れないし。
で、太田に戻ると、それくらい面倒な問題がこの発言の裏には潜んでるんだけど、それって何が問題を深掘りしなくていいのかね?ウチのかーちゃん(団塊世代)は単なる与太話になんでここまで怒るか理解できないって言ってたし。
だから、俺は岡村擁護派なんだけど、カズレーザーの言う怒った人は声を上げ続けなきゃいけないには賛同するんだよね。なんか、すげぇみんな岡村を非難するけどお題目として「人として言ってはいけない、擁護できない発言」で誤魔化してない?
そうですね、重大な局面で脳の休息をやっていなかった。
ずっとストレスに感じて、本来やるべきでないことをやってしまった。
20冊といっても、蔵書から引っ張り出して再読するくらいだし、書いてることなんて似通っている部分は多いのだ。
それを昔に読んでいたにも関わらず、全然それを果たす生活をしてこなかったから今があるのだ。
通知表突きつけられてる気分だよ。
何でもかんでもやろうと思う気分には残念ながらなれない。
世間的には、単に何もやってない怠惰なやつと見做されるのが落ちさ。
何でもかんでもやらないといけないけどね。
つらいね。
一旦休養をしっかりとって、それから行動したほうがいいのなんて分かっているのさ。
でも、やらないといけないことはある。
まだちょっと頑張れる年齢上限ギリギリ(ほんとはアウト)だと信じたいので、ちょっと異性関係については頑張らないといけない。
とくに知的障碍をともなわないASDになると、8:1くらいで男性が多いという統計があるよ。
http://www.nise.go.jp/cms/6,4134,13,257.html
自閉症の発症に関連する可能性のある遺伝子は、現在までに100以上が報告され、それらはX染色体及びY染色体を含む全ての染色体上に存在しています。このことは、自閉症の症状が多様でスペクトラムを成していることと関連していると考えられています。
この中で、X染色体上に存在している遺伝子が、直接自閉症の発症に関わっている場合や他の自閉症の発症に関わる遺伝子の機能発現に関係がある可能性を考えれば、男性においてよりはっきりした自閉症として表れると考えられ、男性に多い理由の一部を説明できると考えられます。
非論理的で感情優先、かつそれを相対視できない人間に対してどうすれば良いのか。
もちろん人間完璧じゃないけど、相対的に、とても蒙昧な人が日々選択して種々情報発信をしている。
バカだな、と往来ですれ違ってそれで終わりなら良いのだが、愚かな選択により他者の足を引っ張る人々がいる。
フェミニズムの理論や歴史や形成過程、具体的な論点を鑑みず、さらに対話の作法も身につけず、中学生の教室の中での愚かで未成熟な人的関係から大した成長せず、ネットの言葉で言うと「お気持ち」だけで大声をあげる人。
こう言う人ってのは絶対にいるわけで、それでも一緒に過ごし考えて生活していかなければならない。
なぜなら偉そうに書いている自分のなかにも、そうした事柄は陸続きでかなりの割合で潜んでいるからだ。
自分の詳しくない分野あるいは突然出現したシチュエーションなどにより、非合理・非科学的な振る舞いは容易に起こりうる。
社会には進学校とバカ高校みたいな試験や学力のような統一的な物差しでの区分けはない。
貧富やリテラシーの格差はあるけど、いくつかの要件が含まれスペクトラムを描く。
「バカはほっとけ」にはならない。
だが、どうすればいいのか。
転勤族の子で、各地を転々とし、両親は最終的に東京に家を買った。親は、本人達は認めないが平均より裕福で、たくさんのことをさせてくれた。大学に通わせてくれたし、海外経験もさせてくれた。
私は地方都市に就職する。鉄道使うより飛行機の方が東京に早く着く街だ。就職する街には東京と直通便がある空港がある。
なぜ地方に就職するかというと、混雑が向いてないし、東京という街を活用できてないからだ。繁華街に行くとどうも体調が悪いなと思ったら、軽いが感覚過敏であることが分かった。特に音と光。ノイズキャンセリングイヤホンをしないと疲労がすごい。IMAXで映画を観ると耳が遠くなる。薬を飲む前はあらゆる待機ランプに目張りをしていた。冬でも日差しの強い日はサングラスをかけている。あと色。教材の色がうるさくて集中できないという理由で進研ゼミからz会に変えたことがある。香水もだめ。においのする柔軟剤のことを恨んでいる。WAISでは自閉症スペクトラムとは言えないと診断されたので、感覚過敏だけがあるスペクトラム者なのか、全く違うのかよく分からない。HSPなる概念にめちゃめちゃ当てはまるが、あれは今のところ精神医学の概念とは言えないし、私の嫌いなスピ系と界隈が近いので自分がそうだとは言いたくない。とりあえずエビリファイで症状?は緩和されたので、なんでもいい。症状があって対策がある。それでいい。それでもサングラスはするし渋谷は歩けないし人酔いはするしノイズキャンセリングイヤホンは手放せないので23区を離れるけれども。
満員電車も嫌いだ。実家は日本で1番混んでる路線が最寄りだ。昨日久しぶりに満員電車に乗って視界が真っ暗になり何も聞こえなくなって車内で座り込んだ。つくづく向いてないんだなと思った。
地方を転々としていたので、地方とひとくちに言っても本当に色々あることを知っている。私の基準としては大学のある街は人の行き来があるせいか排他性が薄い。ということで国立大学のある街の、中心街から電車で20分の空の広い郊外に住むことにした。家は職場から徒歩5分のとこを借りる。近くに本当にでかい、なんでもあるショッピングモールがある。映画館もある。
同級生、特に生まれも育ちも東京の人からはあまり理解されなかったが(というか東京生まれ東京育ちの人は東京京都大阪以外はみんな村だと思っている傾向がある)、悪くない選択だと思う。いや、大都市でどれだけいい会社に就職しても通勤や生活がつらくてすぐ辞めるのが目に見えているので、地方に就職するしかなかった。地方の、大都市に支社や支店がある会社に勤めるとそちらに飛ばされる可能性があったので、そういうののない地方の中小企業に決めた。英語が人よりできるので海外と取引する部署。営業も事務も向いてない自覚があるが、壊滅的に数学ができないので理系に進めなかったのだ。理系になりたかったな。
自分なりにいい所を選んではみたつもりだが、内定式で直属ではないが上司にセクハラ野郎がいることが分かった。「色気が足りない、お酒を飲むともっとセクシーになれるよ」と若い女性社員に酒を注いだり、若い女性社員が上着を脱ぐと「僕のために脱いでくれてるのかと思った」などと言う。社長もそれに対して笑ってるので、私は早々に辞めるかも知らんと思っている。大学の先輩にこの話をしたら「セクハラに対して絶対に笑わないこと」と教えてくれた。他にできることあったら教えてください。飲み会は強制参加ではないらしい。学歴はそこそこあるしTOEICは900とったし転職は難しくはないと思うけれど、就活もう一回はしばらく嫌だなあ。
小説を書いている。たまに土曜出勤がある職場だが、勤務時間に通勤時間を加えたものを拘束時間として考えると、通勤時間がドアツードアで往復90分の大手企業と余暇時間はそんなに変わらない計算になる。小説を書く時間にあてたい。職場から帰ったら即寝て、2時から3時頃起きてすっきりした頭で小説書いて、出勤して寝る。休日は映画観る。初めてのボーナスで実家の猫にキャットタワーを買う。できそうだったらだけど、取引先のある国に転職するのもありかなと思っている。
生きていきたい。
たくさん助言を頂けてびっくりしています。ありがとうございます。
セクハラを録音しておくというアドバイスを複数いただいているのですが、社長がセクハラを容認する態度をとっている場合、どのようにして録音を活用すれば効果的か教えていただけると嬉しいです。
飲んでる薬――エビリファイ1mgです。これが感覚過敏用で、冬季の気分の落ち込みにジェイゾロフトを、眠りやすくするために頓服でロラゼパムを処方されています。
海外で困りごとはなかったか――気楽な語学留学だったこともあり、特になかったです。自分に3食餌付けするのが大変といえば大変だったかな。自炊してたので。某国の静かな地方都市に滞在したのですが、そこでなぜか異様にストレスなく暮らせたことで自分の感覚過敏に気付けました。親に感謝しています。自分に語学力か学力がもっとあれば真剣に移住を考えていました。
子供の頃に周りの大人に怒鳴られていなかったか――怒鳴られたことはおそらく1度もないです。怒られたこともほとんどないです。長女なのもあってか、ずっと優等生でした。成人付近で崩れましたが。7歳頃に周りの子からいじめを受けていた経験はありますが、当時のことはよく思い出せません。
くしゃみの瞬間って、反射反応だから、理性が支配していた身体を本性(ほんせい)が奪うともいえる。したがって、身体を奪われた理性が身体から剥離するという想像は難しくない。剥離体が再び身体を支配する(すなわち本性が鎮まる)とき、その定着を錯誤なく完了するために(アブラハムの)神の手が必要だと思わせたのだろう。
しかし、理性から身体を奪った本性(生命維持のための反射反応)こそが人格の主人だと考えると、話は逆になってくる。普段、身体を支配しているのは本性であり、理性は時間的領域的に一部の支配権を移譲された状態でしかないと考える。すると、くしゃみの瞬間は人間の本質の顕れであるといえる。その結果は、二通りの反応とスペクトラムになる。すなわち、第一に、本性の発露は正しく善であるのでそのままを容認する反応。第二に、本性の発露は動物的で人間らしくないので容認しない反応。あるいは、社会性に因る分別を通過して容認か非容認かを選択する反応である。
以上のことから
https://anond.hatelabo.jp/20191210171417
この増田を書いたものだが、予想外なほど伸びていて驚いた。それと同時に多くの人が様々なコメントを書いてくれたおかげで、問題をより深く整理し、自分自身について理解が深まった。本当にありがとうございます。
こちらの増田では、コメントに対する感想を書いた。まずコメントをカテゴリ別に分類し、似ているコメントは一つにまとめて意訳した。「」でくくったコメントは直接引用している。
全てのコメントを読んで整理したので膨大な量になってしまったし、あくまで俺自身の整理のためなのでちゃんとした感想ではないかもしれない。
正直、ここまで多くの人が共感してくれたことに驚いた。モテない人間が俺一人だと思っていたわけじゃないが、この苦しみを感じているのは俺だけなんじゃないかと心のどこかで感じていた。自分の悩みが特殊なものではなく普遍的なものだとわかっただけでも、前より気が楽になった。
こういう人もちらほらいた。彼女がいない友人の中にも「別に特別欲しくはない」という人が少なくなかった。そしてそういう人の多くは、没頭できる趣味や豊富な友人関係を持っていることに気づいた。考えてみると、俺も夢中になっている時や遊ぶ予定がたくさん入っている時はそれほど苦しんでなかったかもしれない。このあたりはまた後で考える。
これらの指摘はすごく納得感が強かった。とりわけ「全てが救われる宗教」という言葉を見て「確かにそうだ」と心から思った。彼女ができないことだけが悩みではないが「俺の悩みは全て彼女ができれば解決する」という確信を持っていた。②で「嫌なことがあるたび、彼女を求めるようになった」と書いたが、それを繰り返すうちにこうした確信(認知的な歪み)に繋がったのではないか。
こうした当たり前に見える指摘も、これまで見えてなかった点だった。彼女ができても浮気されるかもしれないし冷められてしまうかもしれない。彼女を持つことのメリットだけを見てデメリットを意図的に無視していたのだろう。なぜなら、俺は「恋愛教」とでもいうような宗教を信仰しており、その信仰を失うことを恐れていたからだ。自分が苦しむだけだとしても、「彼女ができれば救われる」と思っていたほうが気が楽だった。俺にはこの宗教に代わる新しい価値観が必要なのだと思う。だけど、それが一番難しいような気がしてならない。(本筋と関係ないが、「恋愛教」というのはいわゆる「恋愛至上主義」と言い換えられると気づいた。意外とこの宗教は世間に浸透しているし、それを内面化して俺のように苦しむ人も少なくないかもしれない)
確かにそうかもしれない。「仕事至上主義」「家族至上主義」など、みんな何かの宗教を信仰して生きているんだろうな。それでうまくいく人はそのままでいいけど、俺のようにうまくいかない人は、それに縋りすぎない生き方を探すべきなのかも。
この人は俺のことをすごくわかってくれているように思う。実際、「新しい価値観が必要」と書いておきながら、「恋愛教」から脱することはできてない。まだまだ彼女が欲しくて死にそうだし、ここまで書いて「何聞き分けのいい人間のふりをしてるんだ」という自己嫌悪もある。前の増田についていたコメントに対して「小学生の時に聞いた当時意味がわからなかったアドバイス」のようだと言っていた人がいたが、それに近い感覚は俺の心の隅にある。
それでも、心が納得していなくても頭で納得することはできた。これからまたコメントや自分の増田を読み直し、ゆっくりと咀嚼していけたらいいと思う。
これも頭ではわかっているものの、まだ心が納得できていない。いわゆる「世界公平仮説」というやつなのだろう。勉強を頑張るだけじゃ友達すらできないし、就活を頑張っても彼女は作れない。それでも、「おかしいだろ」と思わずにいられない。これは俺の人間的な幼稚さゆえのものだろう。
この指摘も鋭いと思う。実際に彼女ができるできないは別として「どうせ俺には彼女ができない」といったふてくされた気持ちはある。これも一種の信仰で、そのように思うことで自分の価値観を安定させ、これ以上傷つかないようにしているように思う。「悲劇のヒロインぶるな」とのコメントも見たがまさにそれで、不幸な自分に酔っているナルシシズムの一つだろう。
俺に彼女ができる、とは思えないが、彼女が「絶対に」できないとも思わない。現実を都合よく捻じ曲げず、客観的な事実の下で考えるべきだと思う。
これは「お前の女性に対する性的な欲求が言動からにじみ出ていて、そのせいで女性がお前から距離を置くんだ」という意見だ。俺は女性と関わる時に性欲を出しているつもりがないが、無意識的にはそういうこともあるのかもしれない。とはいえ、ではどうすればいいのか、と考えると難しい。性欲を薄めることはできないし、これ以上性欲を隠す方法もわからない。風俗に行けば少しはマシになるのだろうか。(風俗については後で詳しく書く)
確かにそうだと思う。自分で書いた増田を後から見直したら、すごく気持ち悪いしヤバいやつに思えた。俺が女でも引いてしまうだろう。それでも、アレが俺の一部であることに変わりはない。あそこに書いたことはすべて俺の偽らざる本心で、それを否定したところでキモい思想から逃れられるわけではない。見直している時はしんどかったが、自分の中のドロドロとした、周りに知られたくない部分を客観視できたことは収穫だった。
この視点は自分になかったもので、「なるほど、俺はメンヘラだったのか」と腑に落ちた。
正直認めたくないが、俺の中にインセル的な要素はあると思う。女性に対して「なんで俺を受け入れてくれないんだ」という怒りを全く覚えなかったと言えば嘘になる。これも上で書いたように、俺の中の人間的な幼稚さが非合理な不満を生み出していたように思える。この不満をこじらせ、ネットに女性差別的な発言を書き散らしたりする前に自覚できてよかった。
今この経験がカウンセリングの代わりになっていると思う。悩みを整理し、そのフィードバックを得られたことで、前より俺自身と向き合い、自分の気持ちを楽にすることができた。なので今は特に心療内科に行かなくても大丈夫だと思う。(個人の意見としては、カウンセリングはもっとカジュアルに受診されるべきだと思っているので、またつらくなったら迷わず行くつもりだ)
このコメントもすごくよかった。悩みを分割し、その中で自分が取りうる解決策を考えることで、「彼女」という自分のコントロール外のものによる苦しみを最小限にしたい。今すぐ思いつく解決策はあまりないが、前の増田で悩みの分割はできたと思うので、今後折に触れ考えていこうと思う。
これは解決策の一つになりうると思う。上で書いたが、あまり彼女を欲していない友人には何かしら没頭できるものを持つ人が多かった。翻って自分を見ると、趣味と言えるのはネットサーフィンと読書くらいしかないと気が付くし、サークルやバイトに没頭していた、とはとても言えない(努力はしてきたつもりだが)。打ち込めるものがなかったことで、「俺にはこれがある」という自信を確立できず、彼女という理想的な他者を求めすぎてしまったのかもしれない。とりあえず昔から憧れていたバイクの免許を取りに行こうかな。
すごく賛否両論だった。行け側の人は「行けばセックスに幻想を抱かなくなる」「俺は行ってから女性相手に余裕ができた」という意見が多く、行くな側の人は「この苦しみは風俗でなくなるものじゃない」「俺は行ったことでむしろ自信がなくなった」というような意見が多かった。
元々風俗へ行くつもりはなかったが、これらを読んで少し考え方が変わった。少なくとも風俗へ行けば、性的な苦しみを手放すことができるように思えた。先のコメントであった「彼女と代替可能なもの」の一つとして機能するかもしれないし、女性に対して性欲をにじませないコミュニケーションが取れるようになるかもしれない。一方で、「俺は風俗でしか女性と接せない」と孤独感をさらに強め、精神的な苦しみが一段と重たくなってしまうようにも思う。とはいえ、風俗に行くことで自分の悩みの質を今と違うものにできると知れたのはよかった。今も風俗に行くつもりはないが、苦しくなった時の選択肢の一つとして視野に入れておきたい。
これ系はトラバで随分議論されていた。個人的には昔恋愛工学の本を読み、書き手の女性軽視ぶりにすごく腹が立ってしまったので、手を出す気にはなれない。作者の態度と技法は切り分けて考えるべきかもしれないが、恋愛工学自体が「女性のモノ化」(フェミニズムに詳しくないのでこの用語が正しく使えてないかもしれない)をベースに技法を発展させているように思えた。まあ俺の過度に女性を理想化させる態度と、恋愛工学の女性を軽視する態度は「女性をきちんと見ていない」という点で同じ様にも感じたが。
これはすごくいい言葉だと感じた。彼女がいなくても人生を楽しくする方法はいくらでもあるはずで、自分の楽しみが他者依存のままなら彼女ができてもずっと悩むだけだ。俺の人生にとって一番大切な忠告だと思う。
これも腑に落ちた言葉だった。すでに書いたように、俺は恋愛を信仰しており「恋人ができれば人生は救われる」と考えている。この信仰を「恋愛至上主義」と書いたが、確かに「恋に恋している」とも言えるだろう。自分が縋っている宗教が、思春期の子どもと同じような浅い考えに基づいていると気づき、ちょっと恥ずかしくなった。
コメントでも痛烈に批判されていたが、結局のところ俺は「セックスのできるママ」が欲しいんだと思う。一人暮らししても親離れできず誰かに甘えたい気持ちと、長年満たされなかった「セックスしたい」という気持ち、この二つを受け止めてくれる理想の相手を妄想し、それに「彼女」という名前を付けていた。俺がもつ「彼女」のイメージは、現実の女性の延長線上にあるものではなく、脳内の妄想が発展したものだった。
「ある」と答えたいが、ここまで書いてきて、本当にあるのかわからなくなってしまった。彼女にしたいと思ってアプローチした人は何人かいたが、そういう人の特徴は「かわいい」ことと「自分を受け入れてくれそう」なことの二つだった。今考えると、前者は「セックスしたい」、後者は「母代わりに甘えたい」という自分の妄想をぶつけられる要素なのではないか。相手を見ているのではなく、自分の理想をぶつけられそうな要素を見ているだけなように思えた。そう思う一方で、では本当の意味で人を好きになるとはどういうことなのか、正直まだよくわからない。
今までアプローチをかけたのは三人いる。授業が被っている時は声をかけて隣に座ったり、サークルでは相手がいつも来ている時間に合わせて部室に行ったりして、そこそこ話せるようになったかな、と思ったら食事に誘っていた。毎回一度目の食事には来てくれるが、次回の約束を必ず断られてしまう。「アプローチする相手が少なすぎる、その程度じゃ努力していない」と言われてしまうかもしれないが、そもそも友人関係を作ることが苦手だから、必死に頑張ってできた友人の中で、必死に頑張って彼女を作ろうとしているんだ。俺なりにできる限りの努力はしているつもりだ。
正直そのサークルではそれなりに人間関係を築けてたと思っていたので、呼ばれなかったときは本当に一週間寝込んだし、何で呼ばれなかったのか未だにわからない。自閉スペクトラムを持っているので、無意識のうちに人に嫌悪感を与えてしまったのだと思う。発達診断をしてくれた先生からは「そこまで空気が読めてないわけじゃない」といわれたのだが。
先に「メンヘラ」いう指摘があったので、もしかするとサークルの中でメンヘラ的な部分を醸し出していたのかもしれない。
俺が一番するべきなのはこれかもしれない。だが、あまり女友達を作れる自信がない。理由の一つは上にあるように、対人関係に苦手を覚え、男の友人すらうまく作れないこと。もう一つは、「女友達」という距離感がわからないことだ。俺の中で同世代の異性は三種類しかなく、「他人」「知り合い」「(存在しないが)彼女」だけだ。だから、友人が「二人で飲んだ」と言っていると「付き合うのかな」と思ってしまうし、彼女持ちが「女友達と遊びに行った」と言っているのを聞いて「それは浮気じゃないのか」と思ってしまう。俺も同様に、異性と少し仲良くなると「付き合えるんじゃないか」と下心をもってしまう。
このあたりは俺の経験不足が影響していると思うが、友人もこれ以上作るのがむずかしいので、どうすればいいか思いつかない。
今大学四年生なので、新しいコミュニティに入ることは難しい。就職して仕事が落ち着いたら、社会人サークルなどに入ればいいのだろうか。
恥ずかしながらその勇気は出ない。社交恐怖症があってコミュニティ内の人と話すことすら勇気がいるのに、まして声をかけるなど考えただけで震えてしまう。こういうところは「努力していない」と言われてしまうかもしれない。
一応人前で恥ずかしくない格好をしているつもりではあるが、おしゃれは全く分からないので不十分かもしれない。最低限髭を剃る、寝癖を整える、服を買う、くらいはしているが、たぶん傍から見るともさっとしている。他に必要なことがあれば教えてほしい(ワックスだけはどうしても苦手でできなかった)。
アプリはやってなかった。コメントにもあったが「自然な出会い」を期待してしまっていたからだ。合コンは誘ってくれる友人がいなかった。結婚相談所は、結婚がしたいとはまた違う思いだったので入ってなかった。
ここまで書いてみて、俺は一生懸命彼女を作るために頑張ってきたつもりだったが、実際は言い訳ばかりでたいして頑張ってなくないか、と思った。少なくともマッチングアプリは始めようと思う。
こうしたコメントには希望を感じた。とりあえず社会に出たら仕事を頑張って結果を出し、「できる男」として魅力を高められたらいいと思う。(三つを四つと書き間違える人間なので、ちゃんと仕事ができる自信はあまりないが)
かなり多いアドバイスだったのだが、一番難しいアドバイスでもあった。与えることを考えるとはどういうことなのだろう。どうすれば考えられる人間になるのだろう。周りの人に親切できるように努めてはいるが、ここでいうのはそれとは違うように思う。上で書いた「小学校当時意味の分からなかったアドバイス」と同じものだった。年を取ればわかるようになるのだろうか。
「結婚物語。」、「モタク」、「非モテの品格」、「孤独とセックス」、カント、北方謙三、つづ井さん、「なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記」、「コンビニ人間」、「Bバージン」、「恋愛症候群」、「ザ・ゲーム フェニックスシリーズ」、「闘争領域の拡大」、「すべてはモテるためである」
ありがとうございます。全部読んでみます。
このコメントが一番多かったかもしれない。友人と自慰の回数を話したことがなかったので、みんながそんなにオナニーしているとは思わなかった。「増田は1回の自慰に4時間以上かけるタイプかね?」というコメントがあったが、三時間くらいかけるときが結構あったのでそれに近いタイプだと思う。
自慰が二日に一回である点と、一か所一人称が「私」になっていたところからそう思われてしまったようだ。自画自賛したいわけじゃないが(そもそも自画自賛にもならないが)、女性に書ける内容ではないんじゃないかと思う。
あくまで俺個人としては、ほとんどすべてのコメントがありがたかった。これだけ多くの人が様々な視点からコメントしてくれたおかげで、こうやって問題を整理して考察でき、自分自身についての理解が深まった。一方で、モテない事実を人格的な否定と結びつけ「お前は○○だからモテないんだ」と言うのがハラスメントになりうることも事実だ。
傍聴記乙。
正直、弁護士に同情するが、
自閉スペクトラムが影響している
汲むべき情状で量刑判断してほしい。私利私欲や快楽目的ではない。再犯可能性なし。真摯に反省している。今後家族の支援監督あり。
(1)身勝手な犯行で汲むべき情状がない
(2)個人的な鬱憤晴らしが原因であり「私利私欲」そのものである
(3)「犯行を押しとどめる判断能力が無い」なら「再犯の可能性」が否定できない
(5)「家族の支援監督」は年齢からみてもこれまでからみても実効性に疑問がある
…全部に突っ込める案件で、弁護士ももう投げてるようにしか見えないな。
どうせなら、「インターネットの『匿名掲示板』自体が『ある種の自閉症』の人にとって『麻薬的』に作用するもので、使用上の注意や、『ある種の自閉症』の人が使用した際に歯止めとなるような機構(有効かつ確実な利用停止措置その他)を備えない限り社会的に許されるべき存在ではないことは十年以上以前(ネオ麦茶、加藤他)から明らかであり、にも関わらず有効な制限や対策がこれまで講じられてこなかったインターネット社会自体のもつ構造的問題が本件の背後にも存在している」くらいのエクストリーム弁護を決めて欲しかった。
以下個人の感想です。
公判最終日、遺族の証言、求刑などの各場面で被告人がどんな表情をするのか注視しながら傍聴していた。
最初に感じたのは被告人は発達部分に問題があるのではないかということ。もちろん専門家ではないので単なる印象であるが、状況によって取って然るべき態度を選択できていない人であるように感じた。
鑑定の結果は「自閉スペクトラム」、弁護人がこのワードを連呼しながら情状酌量アピールしていたが、この件で自閉スペクトラムを理由に減刑や情状が通ると全世界の自閉スペクトラム大激怒じゃないのか。実際自閉スペクトラムは攻撃性を特徴せず、なので。
次に、まったく反省していないという印象を受けた。
これはこの公判を通して証人、検察側も「反省の態度まったくなし」「誠意などまったくない」などと同意見であるようだ。実際、被害者を殺害したことで「自分の願う世界に一歩近づいた」と述べたらしい。
両証人の証言内容はかなりエモい内容であったのだが、ところどころ「ww」「わけねーしwww」な表情をしていたので、最後の被告人が証言席に立った際の「共感しました☆」という言葉も、「嘘ですよね☆」としか感じられなかった。
そして、もし出てきたら報復しに行きそう。
報復相手としてターゲットABC各ランクの、Bランクであるが、たまたま自分の近くで顔出し・名前出しでイベントを開催したから選んだだけで、別にHagexじゃなくても、ネットリンチに加担した奴らじゃなくても、idコールしたアカウントでなくても、その時に手の届くところにいさえすれば、凶器として購入したナイフで、丸めた毛布を刺して予行練習の通りに刺せたんだろう。そして練習の結果を披露する相手は、頸動脈を切断し、心臓を切断貫通し、全身30か所の傷を受けるのは、「Hagexも他人を攻撃していたから報復されて当然」と言ってるブコメ、あんたでもよかったみたいだよ。
もし出てきたら、今度こそターゲットのAランクを狙いに、もしかするとそれははてななのかもしれないが。
どうあれ、出てきてほしくない。
建造物侵入、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反(事件番号 平成30年(わ)1145号)第4回公判
9時20分
本日の傍聴定員25名、超過すれば抽選、以下であれば定時までに整理券配布に並んだ者がそのまま傍聴できるのだが、整理券配布締切直前に1名超過となる。しかし1名辞退者が出たため抽選なし。
9時50分
905法廷。傍聴席に座席指定はなく、最前列に記者席、向かって右手側に関係者席、その他を自由選択できる。
両脇に被告人入廷。紺色スーツ、ネイビーのネクタイ、黒っぽいセルフレームの眼鏡、ただし足元はサンダル。逮捕直後に報道された姿より体重が落ち、坊主頭がそのまま伸びたような短髪。姿勢が良く、痩せているというより締まっているため、休日にジムでトレーニングしているエンジニア、と言われても違和感がない。
そして目立たなかったが手錠と腰縄、それらを外した後、裁判官と裁判員入場。右手側に検察、左手側に弁護人と被告という配置。
10時
「低能先生と言われるネット上のモンスター」「死んで償ってほしい」
被害者妹の証言。証言席は衝立で囲まれ、被告人からは見えない状態。
終始涙声、「誠意などまるでない」
検察官。
鑑定人に自閉スペクトラムと鑑定されているが、自閉スペクトラムは攻撃性を特徴とせず
被害者参加人。
我が国初の事件であり、ネット上の表現活動に影響を与えることになる
極刑を。
弁護人。
自閉スペクトラムが影響している
汲むべき情状で量刑判断してほしい。私利私欲や快楽目的ではない。再犯可能性なし。真摯に反省している。今後家族の支援監督あり。
被告人。
すべての方々にお詫びしたい、すいませんでした
人生を前に進めてほしい
父に連帯責任は問わないで
以上。筆記メモ難しい。
学校教育の合唱などの授業により、長らく音感障害者は差別されてきました。
音感障害者は音感需要や音感表現が人より劣っているだけで、知能に問題がある訳ではありません。
またその症状も、リズム感喪失・音程喪失・音量喪失などいくつかの分野に分かれ、症状もスペクトラムを描きます。
劣悪な学校での音楽の授業のせいで、いわれない音感障害者へのからかいやいじめが後を絶ちません。
2076年4月の「改正 音感に関する法律」の施行以降、音感障害者への配慮により学校教育の場では音楽の授業を個別化してきました。
すなわち、児童生徒は席で個別に声を出し、合唱の際には匿名性を担保するよう学校教育の改正がなされました。
こうした政策が進展する中で、音感障害者への差別意識は低減され、かつまた「音痴」(あるいはその表記変えの「音ち」)という差別用語もマスコミでの表現規制により用いる人が少なくなってきています。
こうした社会的動向があるなかで、一方では年配者を中心に音感障害者への根強い差別が残っています。
例えばカラオケボックスを利用する際に、マイクに内蔵された音程調節機能を装備せず、歌の巧拙をことさらに競う風潮は、年配者の中に多く残っています。
カラオケボックスに音程調節機能のポスター表示が義務付けられてから8年が経過し、また音感プライバシー法が制定されてから14年が経過しています。
理解のない、歌のうまさを競うような旧世代の人々により、差別は未だ消えません。
程度の差はあれども、私も『職場のアスペルガーくん』と同様の人種なので
やはり健常者様にとっては邪魔者でしかないんだなと改めて認識する次第であります。
動作性IQが低いので人手不足とされている職場ですら厄介払いされるわけであります。
いっそのこと生活保護を受けた方がみな幸せになれるのでしょうが、
残念ながら発達障害という診断がされないギリギリのところに位置するわけであります。
アスペルガーはスペクトラム、つまり0か1かで分かれるものではないということですが、
いっそ0か1かで判断してくれたらどれだけ救われることでしょうか。
健常者様の足元にも及ばないのに、健常者としてふるまうことを強いられた挙句、
健常者様のご機嫌を損ない迫害される末路を辿るのです。
なぜこんなにも生きづらいのでしょうか。
私に向いてる仕事を教えてください。
健常者様にご迷惑をかけたくありません。