2020-02-10

相対的バカ選択をしてしま大人にはどう振る舞うべきなのか

病気に対する防疫の知識や、女性社会進出に関する話題

論理的感情優先、かつそれを相対視できない人間に対してどうすれば良いのか。

もちろん人間完璧じゃないけど、相対的に、とても蒙昧な人が日々選択して種々情報発信をしている。

バカだな、と往来ですれ違ってそれで終わりなら良いのだが、愚かな選択により他者の足を引っ張る人々がいる。

例えばインフルエンザで薬を用いず子供を亡くす親だとか、

フェミニズム理論歴史形成過程、具体的な論点を鑑みず、さら対話作法も身につけず、中学生教室の中での愚かで未成熟な人的関係から大した成長せず、ネット言葉で言うと「お気持ち」だけで大声をあげる人。

こう言う人ってのは絶対にいるわけで、それでも一緒に過ごし考えて生活していかなければならない。

切り捨てて異質なものとしてしまってはならない。

なぜなら偉そうに書いている自分なかにも、そうした事柄は陸続きでかなりの割合で潜んでいるからだ。

自分の詳しくない分野あるいは突然出現したシチュエーションなどにより、非合理・非科学的な振る舞いは容易に起こりうる。

から、一緒に思考していかなくてはならない。

社会には進学校バカ高校みたいな試験学力のような統一的な物差しでの区分けはない。

貧富やリテラシー格差はあるけど、いくつかの要件が含まれスペクトラムを描く。

バカはほっとけ」にはならない。

だが、どうすればいいのか。

  • 客観的じゃなくて相対的なんだったらバカとか言われてもその人の主観なんだからとしか

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