はてなキーワード: 考察とは
嫌い
などネガティヴなタイトルにしたが、嫌いになった結果を先に言うと、
う○こ大きい感情ってなんだよ汚物じゃねえか、汚ねえ言葉無理だわ〜
私だって「クソ」と使うことは多々ある。
舌打ちしたい時や「F××k」のような使い方の時、これが多分スタンダード。
これはうん○だと思う対象にそのまんま「クソ」を修飾。
「クソかわいい」「クソかっこいい」「クソ癒される」「クソ美味しい」
変わってこちらは、使った記憶は残ってないのだが、「クソ」(うんこ)とはかけ離れたものに敢えて修飾している。
きっと「ヤバい」だとか「すごい」だとかそういうニュアンスなのだろう。
「クソ」の主な使い道を省みて正直、日常から汚い言葉を使ってることにやや嫌悪が募るのだが。
それでも思わず使うこと、それもヤバすごのニュアンスで使ってることもある。現代を生きてる現代人だもの。
単純な思考から、大きさに「クソ」を付けられるとそのまんま「デカいう○こ」としか思えなかっただけなのだが。
それを抜きにして、前述の「クソ」活用から考えてみれば、この場合ヤバすごのニュアンスで使われているのだと推察できる。
……
そもそも大なり小なり気持ちが湧き上がれば、その感情を表現する語彙を探そうとするため、理解できない。
きっと語彙を探す間もなく口に出たのが「クソデカ感情」なのだろう。それほど感情が揺さぶられたのだろう。
いやいやいやいやそれにしてもさすがにそれほどの何かならもっと違う表現があっただろう……
なんでそれほどの感情に「クソ」をチョイスしたのか、なんで「デカ」なんて大きさにくっ付けてしまったのか、それはただのう○こ大きい感情や。
4日ぶりの排便しか思いつかんわ。
う○こ大きい感情ってなんだよ汚物じゃねえか、汚ねえ言葉無理だわ〜
と考えるのをやめ、嫌いとなった次第である。
事の発端は、腐女子の考察ツイートに多くやたら目についたことから「なんだうん○大きいって」と眉をしかめ、いくら読解してもいわゆる「尊い」と類似した使い方にその人たちには推しがう○こに見えてるのかと異常に思え、実は私の知らないうちに世の中ではうん○は汚物ではなくなっていたのかと疑った。
タイトル通り、TwitterとPixivに掲載されている同人女シリーズに疲れてしまった。
第二話くらいまでは楽しんで読んでいたし、作者の方はすごいなと思っていた。
おけけパワー中島さんの考察を検索してずっと見ていたし、関連した面白いツイートが流れてくると笑ったりしていた。
けれども、だんだん疲れてきた。
作者の方は描かれている漫画中の描写も、機を見るのもお上手な方だと思っているけれど、だからこそ疲れた。
乱暴な言い方をするのなら、鼻につき始めた。
ここまで続ける必要があったのかなとさえ思う。
先述した通り、私は第二話くらいまではこのシリーズを楽しんで見て、読んでいた。
自分は作者の方の描かれる漫画の中では読み専の子の立場に一番近いので、Twitterでフォローしている好きな作家さんたちの共感の声とかを見てすごいなと思って見ていた。
ちょっと自分の中の気持ちが変わり始めたのは読み手の子が七年前の同人誌を探す話の後編だ。
背景に書かれているTwitterの相関図を見て、引いた。
好きな作家さんたちが自分たちもこう見られているのかな、とか言及し始めてぐったりした。
そんなことはないって思った。
この方の描く作品には確かなリアリティがあるけど、だからこそ不安を煽られると思った。
誤解を恐れずに言うのなら、どろどろした感情を描くのがとてもうまい。
いっそ悪意すら見える。
何でこの作者の方は漫画描きであるにも関わらず、わざわざ文章を書く同人女を扱ったのかということだ。
この作者の方が長年タイムラインで観察してきた文字を書く同人女さんたちを題材にしたのかなとも思ったけれど、それはそれでもやもやする。
シリーズでは一切言及されない安全な漫画描きという居場所から、字書き同人女という環境に向かって一方的に石を投げているようにすら見えてきてしまった。
自分のフォローしている同人作家さんたちの中には漫画も文章も両方書く人がいるので、作者の方もそういうタイプなのかもしれないけれど。
作者の方が漫画描きの方々を漫画で描いていたら、ここまでもやもやしなかっただろうなとは思う。
これは個人の感想だ。他の方がどう思っているのかは知らない。もう考察を検索する気にもなれない。
ただ今も漫画を楽しんでいる方の目に、この便所の落書きが届かなければいいなとは思う。
この投稿は自分のもやもやを言語化しただけのもので、便所の殴り書きに等しく、匿名のここで書いている時点でどうしようもない。
これからはTwitterもPixivも、出来るだけシリーズに触れないようにして気を付けて過ごしていこうと思っている。
anond:20200801034304を見て思いついたが、結論から言うとそうでもなかった。
君といるなら(number24)
君と重ねたモノローグ(ドラえもん のび太の新恐竜) *公開前
君に届くまで(MIX)
君 君 君(銀の墓守りII)
君にふれて(やがて君になる)
君は友達 一番の恋 〜way to love you〜(フルメタル・パニック! ディレクターズカット版 3rd SECTION “イントゥ・ザ・ブルー”)
君、ヒトヒラ(宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第三章「純愛篇」)
君色に染まる(魔法少女なんてもういいですから。セカンドシーズン) *カバー
君といた空(蒼の彼方のフォーリズム)
君とボクの1日(ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかOVA)
君はソレイユ(ストライク・ザ・ブラッドOVA)
君への嘘(名探偵コナン)
君と彼と僕と彼女と(FAIRY TAIL)
君の待つ世界(まじっく快斗1412)
君と二人(断裁分離のクライムエッジ)
君の引力(恋旅〜True Tours Nanto 晴喜と葵編)
君の銀の庭(劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語)
君だけを(緋色の欠片 第二章)
君の涙にこんなに恋してる(名探偵コナン)
君は(妖狐×僕SS)
君へ(中二病でも恋がしたい!Lite)
君+謎+私でJUMP!!(バカとテストと召喚獣にっ!)
君を守りたい(フリージング)
君がいるから(FAIRY TAIL)
君が主役さっ!(極上!!めちゃモテ委員長 セカンドコレクション)
君と太陽が死んだ日(学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD)
君の歌(COBRA THE ANIMATION)
君の胸にLaLaLa(ポケットモンスター ダイヤモンド&パール)
君がまってる(バトルスピリッツ 少年激覇ダン)
君が微笑うなら(COBRA THE ANIMATION)
君を守って 君を愛して(BLEACH)
君が残したもの(ToHeart2ad)
君=花(純情ロマンチカ)
君へと続く道(ポルフィの長い旅)
君がいる限り(キスダム)
君がいるから(史上最強の弟子ケンイチ)
君だけを…(僕等がいた)
君との未来図(タマ&フレンズ 探せ!魔法のプニプニストーン)
君のそばで 〜ヒカリのテーマ〜(ポケットモンスター ダイヤモンド&パール)
君が待っているから(機動戦士Zガンダム A New Translation -星を継ぐ者-)
君という名の光(CLUSTER EDGE)
君に届くまで…(陰陽大戦記)
君のこと(涼風)
君は僕に似ている(機動戦士ガンダムSEED DESTINY)
君となら(陰陽大戦記)
君にこの声が 届きますように(金色のガッシュベル!!)
君を飾る花を咲かそう(モンキーターン)
君を見ている(ジパング)
君という光(名探偵コナン)
君と同じ青空(聖闘士星矢 冥王ハーデス十二宮編)
君に吹く風(フルメタル・パニック? ふもっふ)
君と生きていく(シスター・プリンセス Re Pure)
君よ 強くなれ(冒険者)
君のままで(こみっくパーティー)
君さえいれば(ラブひな)
君は魔術士?(魔術士オーフェン)
君さえいれば(中華一番!)
君に触れるだけで(るろうに剣心)
君、微笑んだ夜(快傑蒸気探偵団)
君がいない夏(名探偵コナン)
(見つからず)
君の中の永遠(機動武闘伝Gガンダム)
君らしく(ピンクパンサー)
君を好きでよかった(ここはグリーン・ウッド)
君にまた逢う日(冒険!イクサー3)
君に止まらない 〜MY GIRL,MY LOVE〜(魔神英雄伝ワタル2)
君の夢のために(名門!第三野球部)
君が通り過ぎたあとに -Don't Pass Me By-(タッチ3 君が通り過ぎたあとに)
君の手をとり(チロヌップのきつね)
君はトランスフォーマー(トランスフォーマー ザ☆ヘッドマスターズ)
君をとばした午後(タッチ)
君がいなければ(タッチ)
君にWoo...!(よろしくメカドック)
君は何かができる(キャプテン) *2005年版、2006年版でも使用
(見つからず)
君は走れ 君は歌え(どんべえ物語)
(見つからず)
「普通の人でいいのに!」という漫画が話題になっていたので読んだ。
さっぱり分からなかった。
共感するところがなかった。共感している人は「わかる」と頷いていた。
主人公のこの女をどうにか批判してやりたい気持ちも湧いてこなかった。批判したい人は「この女はクソ」と指をさしていた。
今自分にあるのは、「皆がこれについて議論しているんだけど、何一つ分からなくて話題に乗っかれなくてさみしい……」という気持ちだけだ。
自分は漫画をよく読む。でもこんなに何一つ分からなかった漫画は初めてだった。
不思議なことにこれだけ現実世界を描いた作品なのに、魔法や異世界のような非現実的な作品よりも理解できなかった。
職場の先輩と食事をする冒頭の場面。主人公の意図が分からなかった。
何故誘いに乗ったのか?何を意図して会話していたのか?どうなりたかったのか?
食事が終わった後の場面。急にマッチングアプリの話が始まるのが分からなかった。
その後、「普通に出会いたい」という言葉を繰り返す主人公。何故普通に出会いたいのかという部分が全く分からなかった。
デートを切り上げてスナックに行く主人公は、意中の人に急に告白をする。なんで急に告白をしたのか分からなかった。
フラれた主人公はSNSで意中の人と知り合いが結婚を発表する投稿を見てしまい、ショックを受ける。この辺はまあ分かる。
主人公はその後、そんなに気の合わない先輩を彼氏にする。ここも分からない。
「ケガを見たら彼氏はどんな風に思うだろうと考える」、全然分からない。
セックスの際、手を繋がれるのが少し気に障るが放置する主人公。一切分からない。気に障ったら言えばいいのでは、となる。
「村上春樹っぽい彼氏」を求めつつ、気の合わない彼氏と付き合い続ける。全くしっくりこない。
そしてその彼氏に気があわないと知りつつ、自分の趣味の話をしたり、連れていくのも分からない。
しかし理解されず限界になった主人公は彼氏を捨てて飛び出す。「まあ……せやろな……?」としかならない。
主人公がスナックでうっかり失言をして、二度と行けなくなってしまうのも分からない。
彼氏を捨てた主人公は友達に電話を掛けるが、そこで暴言を吐いてしまう事も分からない。なんで電話をかけたの?
最後のシーン、主人公は「今止まったらプライドが死ぬ」と言って走り出しそのままロシアまで行ってしまうが、ビザの兼ね合いでとんぼ返りとなる。
そこで「死にたい……今凄く棒読みだったw」と自嘲して終わる。
これでも一応普段漫画やアニメを見ると、仕草の一つ一つにまで目を凝らし考察が頭を駆け巡るようなタイプの人間だった。
ハッキリ言って、読解力には自信があっただけにショックだったのだ。この漫画を理解できなかった事が。
思うに、この漫画には「語らなくても分かるだろう?」という下地の部分が存在している気がする。そしてその下地を自分は持っていない。
この女に対して、共感も、否定も、なにも感情が湧いてこない。ただただ「虚無」だ。そして今この「虚無」に対する感情を書いている。
今回はこの場をお借りして原作未履修者について少しばかり自分の思うことを書いていこうと思う。
まず私は原作主義者だ。「原作やってないけど創作しましたー!」っていうのが嫌いなタイプだ。
タイトルの主語は少し大きいが、原作未履修者を全員叩く文ではない。これは「原作全く知らないから自分なりに考えて独自の設定をつけてオリキャラみたいにしました!」という人を指す言葉である。
自界隈ははっきりいうと原作をやっていない人が創作をしていたりするようなジャンルだ。昔の作品であり、今は入手するのが少しばかり面倒な作品であるからであるのと、今はネットで調べればあらすじやキャラクターの関係なんかは出てくるからというのもあるだろう。そのため原作を見たことのない人が少なからずいる。
ゲームなんかだと実況動画を見て終わらせたり…これに関してはかなりグレーゾーンであるが。
いるのは仕方がない。私も今のジャンルを知ったきっかけはTLに偶然流れてきた二次創作を見たからであり、その頃はキャラクターは知っているが原作は知らないレベルだったからだ。その作品は原作が好きな人が考察を含めて愛を綴った作品で、魅力の伝え方がうまかったのもあり原作も面白そうだと色々と調べていくうちに「まぁ少し触れるだけなら」と原作に触れて沼に落ちた。
そんな私が原作をやっていない人をどうして苦手とするかというと、作品に対してではなくキャラ単体であったりカプであったりに萌えている人が多いからであり、そのような人が描くキャラクター像は上で書いたようにオリキャラのようになりがちだからである。
どれだけ検索をしようがそこに書かれた文からはキャラクターの心情や表情、性格などをはっきりと知ることはできない。こればかりは台詞回しやそのキャラクターに関わった人の動きなどを見なければ感じることができないと思っている。そしてそれはまとめサイトには載っていない。
自分の推しすらもこれこれこういう経歴のある心優しい人としか表記されていなかった。優しいからこそ自分に厳しく見ているこっちが心配になるぐらい精神的に弱かったりもするし、仲間に支えられたりしているんだけども。
だからこそ自分の推しに対して「優しいところが好き!聖人すぎて眩しい!」って持ち上げて騒いでいる人を見ると、この人は原作見てないなと思ってしまう。「優しいからこそ弱い。そこが魅力なんだ」と語る人との差異が顕著に出てくる。
たとえ実況動画で見たとしても実況者の意見に引っ張られやすいためそこから自分の意見を持つことは難しいだろう。
そのため原作を知らない人が描いたキャラクターはどこか薄っぺらく魂がない。魂がないため創作者自身が透けて見える。何かが違うのだ。
歴史上の伝説のみを聞いている人と、その時代に生きていた人の語りだと例えるとわかりやすいだろう。
薄っぺらいからこそ、こうであったら嬉しいな!私はこういう設定が好きだな!と設定が付け加えられる。それはもうそのキャラクターではなく作者のオリキャラじゃないかってほどに。そして台詞すらも薄くなる。
そうなるとどうなるだろうか。
自分がこの色の方がいいからって服や髪や目の色を変えられる。まとめサイトに書いていないからって過去を捏造される。性格を変えられる。
なんかしらの設定を付けて私物化しないでくれ。それは誰だ?原作を踏み台にキャラクターという素材を使って行う一次創作キャラみたいなものになっているじゃないか。
残ったのは髪型と整った顔だけで、そのキャラである必要はあるのだろうかと疑問に思うことも多い。お人形遊びのようにキャラクターを扱うその人がキャラクターに求めているのは残ったそこだけなんだろうけども。
このキャラに対して愛が重いとか自慢をするぐらいならせめて原作を見てくれ、頼む。愛が重いのならそのぐらいの投資は安いものじゃないか?
そのような人が作る作品を見て、原作を知らないけどこの人のキャラクターは好きだなという人が現れて誤解の連鎖が続いてしまう。薄っぺらいからこそ原作に対して魅力を感じさせることができず、キャラ萌えのみの間違った解釈が広まってしまう。「このキャラクターはかっこいいね、可愛いね、綺麗だね」で終わってしまう。
私が最初に見た作品が原作愛のある作品だったからこそ私はここまで落ちたのもあるだろう。それまではキャラクターを見たことはあったがここまでは落ちていなかった。
そして絵がうまい人に限ってそれをやりがちだ。原作をきちんと知らない人にとっては二次創作こそが作品への入り口になってしまうし、原作となってしまうんだ。気をつけてほしい。
「〇〇さんの描く黒(化された)キャラが好き!好きなんだけど探してもないんだよな〜」と言うツイートを見たときは頭を抱えたくなった。
自分好みのキャラクターではなくキャラクター自身を愛してあげてほしい。着せ替え人形みたいな扱いをしないでほしい。
原作を履修せずに創作をしている人は一度支部やTwitterなどでキャラクター名やカプ名ではなく原作名でも検索をかけてみてほしい。その世界はあなたの考えている世界と同じだろうか。
あんなあ
「統計学」を使って男女差を解析するのは「統計学」とは言わんのやで
統計学の講義をとったとするやろ?期末試験に出てくるのは、男女差か?女の子がピンク色を好む傾向があるようでーす、か?ちゃうやろ
試験に出るのは統計処理の方法やろ。検定はどれを使いますかー、とかそんなんやろ。
授業で例として男女差なんかを使うのかもしれんが、それは統計学ちゃうで
日本人とアメリカ人とか、試薬Aと試薬Bとか、マウスのオスとメスを授業で扱ったら
経済学でも、心理学でも、医学でも、工学でも、生物学でも化学でも統計学は使うで。
統計学は科学の基本や。データを集める。データを統計処理する。データから考察する。科学は再現性が命やから、主観でズレが出ないように数字を使う。
経済学の統計じゃ、消費行動の男女差を扱うかも知れへんし、医学の統計じゃ、大腸ガン罹患率の男女差を扱うかも知れへんけど、それは統計学じゃないんや?わかるか?
こんな、手に負えない馬鹿はワイは初めて見たわ……
君は統計学の何を習ったんや……
コメ欄で歌詞の考察する人と、自分語りする人、めっちゃキモい。
しかしあれにグッドつけてる人が割といるせいで、上位で目にすることが多い。
MV集中できないからコメ欄見ちゃうんだけど、マジで考察、有隙自語、いらねー。
曲の感想だけ言ってて欲しい。
誰もが子供の時分から大人になってまでも疑問に思っていることについて考察してみた。
まずこの曲に出てくる動物は2種類のみであるので、そのどちらかであると考えるのが妥当だろう。
「にんげんっていいな」という言葉は羨望の意が表現されていると考えられるため
羨望の対象である「にんげん」の言葉とは考えにくい。よって「くまの子」の目線の歌であると仮定される。
くまの子はにんげんのするかくれんぼを見ながら「にんげんは家に帰ったらおやつにごはんを用意した親が待っててくれて羨ましい」と考えている。
そして「僕も帰ろう」と"歌う"のである。
ましては親が帰りを待ってもいないおうちへ、である。
いや悲しすぎるだろ。
かくれんぼ中ににんげんのうちの誰かがでんぐり返ししたんだろうなあ。
かくれんぼは難しそうだけどそれなら僕にもできるとか思ったんだろうなあ。
無理だから。
起き上がれなくなるやつだから。
ということで
あまりにも非情な歌ということになってしまうため「くまの子の目線」という説の立証は難しそうだ。
であれば「にんげん目線」の曲ということになってくる。
「あ、くまの子が見てやがる。かくれんぼもできないくせに見てやがる。」
「あいつ、家に帰ってもおやつもないしご飯もない。帰りを待ってる親もいないんだぜ。」
「にんげんっていいだろう...?」
「さあ、帰ろう。」
「そうだ。最後に見せつけてやろう、俺の華麗なでんぐり返しをな!」
「あばよ」
と。
おそらく途中から声に出しているだろう。
くまの子に聞かせているんだろう。
人間って恐ろしい。
僕ヤバはハイコンテクスト系ラブコメの極北だからこれだけTwitterで盛り上がってんだよ。
エアプというのは「エアープレイ」の略で、まるでやっているかのようでやっていない「エアギター」から着想を得た「プレイしてもないことについて語る」奴を指して…
いたかのように思えたが現在はちょっとしたミスを指摘するぐらいでも気軽に使われるようになってしまった煽り言葉である
また動画サイトで実況プレイが流行り始めた事により「プレイしていなくてもプレイしたかのように語れる」人が増えたことを嘆いた人がエアプを用いたものと思われる
ゲーム実況となるとやはりニコニコ動画は外せない ニコニコ動画のサービス開始は2006年
そしてこういう煽り言葉の出現はだいたい2chだろうと予想する
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1253108217/l50
が初出と思われるが未だ生きているスレなのでエアプの言葉自体は2019に書かれたものである 残念
そうなると
【DQ10】したらば君のドラクエデビューについて議論するスレ【エアプ】 [転載禁止]©2ch.net
https://wktk.5ch.net/test/read.cgi/ff/1420020496
が2chでの最古のエアプ初出となる
また
最近「エアプ」って煽り方流行ってんの? [転載禁止]©2ch.net
https://wktk.5ch.net/test/read.cgi/ghard/1443314966/
2015年にたったスレが肌感として流行り出したのが2015年なのだろうと言うことは予測できる
https://twitter.com/search?q=%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%97%20until%3A2013-01-01&src=typed_query&f=live
驚くべきことに2012年にはすでにエアプという言葉は出ている模様
だが見てみると「エアープレイ」の文脈で使われていないツイートをみかける
これは単純に期間指定するだけであるがエアプは本来別の意味があったことがわかる
https://twitter.com/search?q=%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%97%20until%3A2011-01-01&src=typed_query&f=live
さて定着しだした頃合いだが
https://twitter.com/search?q=%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%97%20until%3A2013-08-14&src=typed_query&f=live
最古と思われるスレが立てられた日付で検索するとすでにこの頃には定着していた事がわかる
多分だが2chと睨んだ自分の勘は正しくなくゲーム文化なのでしたらば発祥かもしれない
Twitterで「エアープレイ」の意味で最古を調べるとどうやらこのツイートが該当するもよう
https://twitter.com/semiaki/status/108401354137022464
https://twitter.com/search?q=%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%97%20until%3A2011-08-31&src=typed_query&f=live
ざっと調べた感じ戦国無双の大谷刑部へのバッシングを嘆いた感じだろうか
(7月にari_aopなるイベントが終了しているっぽいのでそれで見つけやすかっただけかもなので暇人はこれが最古か検証していただけるとありがたい)
そこからじわりじわりとしたらば→Twitter→2chへ波及した形なのだろうと予想できる
大凡2013年を堺に言葉として定着していると見てよさそうである
この頃のツイート(https://twitter.com/search?q=%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%97%20until%3A2013-08-14&src=typed_query&f=live)を見る限りPSO2や艦これという人気無料ゲームに関するツイートが多いように思える
確かに全コンテンツへのアクセスに時間がかかるゲームであるがゆえにしったかぶってしまうのはわからなくもない
とりあえずここまで
調べ方の粗などあれば指摘していただけるとありがたい
次回は「エアプという言葉が未プレイじゃなくてちょっとしたミスの指摘の煽り言葉になっている」について調べていこうと思うが
まぁ全コンテンツへのアクセスに時間がかかるゲームに対してのエアプ発言が多い事からだいたい察しはついている
自分もPSO2はしていたので職に応じたしてほしい行動をしていないものに対してエアプといってるチームメンバーは沢山いた
下手したら浸透しだした頃からすでにそうだったのかもしれない
梅雨寒の中、自カプへの浅い考察で苦しんでいらっしゃるでしょうか。
ご両親と仲が良いあなたはいつか来る離別に怯えていらっしゃるのでしょう。不仲でご家庭に居場所がないあなた方は相も変わらず飲酒で誤魔化していることと存じます。
この度は私が書いた拙作への侮蔑をいただき、ありがとうございました。今回に限った話ではありませんが、一生忘れません。
思い返せばいつでもそうでした。一人が調子に乗って暴言・暴力に近い内輪ネタを擦っては他二人がそれに同調する。私がそれを笑って流す一連の流れが大好きでしたね。おかげであなた方は学生の頃から周囲から浮いていて、それを気にしないスタンスで大声でTPOを弁えないことを言っては大はしゃぎ。まあ学生生活での陰キャなんてそんなものですが。私の所属する団体を、その仲間がいる前で罵ったときのことはいつまでも忘れません。
みんな最高!の「みんな」の中に私がいなくなったと明確に示された時。もう離れようと決意しました。一年前の夏の事です。距離を取り始めた私を、いつしか下等の存在と認識するようになりましたね。その時に言ったことも、ちゃんといつまでも覚えてますよ。いつまで骨格から崩れている絵を描き続けては、仲間内で称賛し続けるのですか?自分が気に入らない話をさせないから、カップリングの解釈から普段話すことまで皆一辺倒。課金額を競えど絵の上手さは競わない。だってここの解釈が一番だから?馬鹿馬鹿しい。
こちらは幸いにも文筆で個人のご依頼を頂く機会が増えました。下手な奴は絵を描くなと言われて以来、呪いにかかったように何も描けませんでしたが、また下手なりの絵を描き始めました。二年前に言われた、絵が上手い人だけが解釈がしっかりしているという言葉から、やっと解き放たれたと思います。
これを書こうとした理由は、あなた方が数日前に称賛した二次創作が私の作品だったからです。笑いました。監視していたあなた方が、私という符号が着いただけで貶していた作品があなた方の心に響くという、すべての薄っぺらさに。
笑った後に、なぜこんなことをしているのかと思いました。蔑ろにされた作品たちと、過去の私の分。報いたはずなのにどうしようもなく何もない。
何もないから、もう何もしません。疲れました。私は絶対に筆を折らないし、あなた方の不幸を祈り続けるけれど、いや、不幸に苦しんでいてくれと呪います。
ほおお…何だかダークナイトを観返したくなってくる面白い考察だ。しかも恐らくは的を得ている。本当に増田で読んでいいのかと思う。
我が家にはダークナイトのDVDが無いから代わりにウォッチメンで我慢するか…どっちも名作だしDCだから似たような物だろう。
まず、『ダークナイト』は、フロイトの「自我・超自我・イド」の図式に当てはめると解釈しやすい映画です。
そもそもジョーカーってなんなの?というと、病院のシーンでハービーに言っていたように、「混沌の使者」(Agent of chaos)です。
ゴッサムに秩序をもたらそうとするハービーやバットマンに対して、人々の怒りや不安(防衛本能)を煽り、本能的衝動にしたがって行動させることで街の秩序を崩壊させようとするのがジョーカーです。
ここでの秩序とは何かというと、「父権制的な権力」を指します。
これは、明治時代など、近代以前の家父長制でも見られる、父親や「家」といった道徳や社会的信用に基づいて人々を従わせる権力を指します。
近代以前の社会では、家長同士の信頼によって地域コミュニティに必要な産業や社会制度が賄われており、それらの秩序を犯した者がいた場合、例え家族であってもその命を差し出す必要がありました。
父親のもたらす権力・秩序が個人の自由に優越していた時代です。
一方、近代の市民革命以降は、主権者が一般市民(国民)に移ったことで、上記の「父権制的な権力」に個人の自由が優先されるようになります。
コミュニティの構成員の間でも格差があったり、それぞれ価値観は異なります。
するとどうなるかというと、それぞれの権利の拡大やコミュニティの方針を決める上で争いが起きるようになります。
この原動力が、ジョーカーの象徴する「人間の生理的欲求・本能的衝動」です。
『ダークナイト』の公開された2009年はアメリカがイラク戦争の泥沼にどっぷりハマっていた時期で、ジョーカーの爆破などテロ行為と合わせて、この映画をイラク戦争批判と見る人もいました。
私はこの映画がイラク戦争批判だとは思いませんが、「人々の防衛本能によって事態が混沌に陥った」という点では共通していると思います。
イラク戦争の発端は、アメリカを攻撃する大量破壊兵器がイラクにあり、「先制攻撃」の対義名分で侵攻、泥沼に陥りました。
この映画でもそうで、人々が防衛本能によって親しい人物を裏切り、ジョーカーに加担することで一連の計画・悲劇は進みます。
終盤もジョーカーが市内に仕掛けた爆弾から逃げるために船に乗り込んだ一般市民が船内の爆破を免れるために、囚人船の爆破との二択を迫られる展開となります。
終盤の二択のシーンは、人々が社会的信頼や道徳(善)に基づいた振る舞いをすることで危機を免れるわけですが、ここでも生存本能を脅かす不安(本能的衝動)と社会的信頼(父権制的権力)の葛藤が起きているわけです。
この二者の葛藤を説明する概念が、フロイトの「自我・超自我・イド」です。
これらの概念は、父親のしつけを通じて内面化された父権制的権力と動物的欲望・本能的衝動の葛藤の間で揺れ動く人間の自我のありようを表すものです。
この三者の関係を表すものとしてよく触れられるのが、ギリシア悲劇の「オイディプス王」やこの寓話を受けた「エディプスコンプレックス」の概念です。
エディプスコンプレックスの概念によると、幼児期の男児は母親との結婚を望むが、父親と結婚しているため、その願望が叶うことはない。この時、男児に母親との結婚をタブーとする父権的な「規範」(秩序)が生まれ、男児は精神的な去勢を経験するとされます。
要は、母親と結婚したい男児の欲望と、それを男児のモラルとして彼の心の中で禁止する父権制的な権力との間で葛藤する男児の自我の揺れ動きを表しているという話です。
実際、この映画では、ハービーは社会的信用を守る地方検事で、ブルースの幼なじみであるレイチェルの恋人役です。
ブルースのレイチェルへの性欲を抑圧し、彼自身が望む秩序を体現する存在で、ブルースの「超自我」の象徴と言えます。
一方で、ブルース自身に目を向けると、幼い頃に両親を奪ったギャングに、自分自身の幼児期のトラウマである「コウモリ」のコスチュームで私刑を加えることで、彼らに自分と同じ畏怖(トラウマ)を植え付けようとしています。
ブルースが「コウモリをシンボルに選んだ理由」と「なぜシンボルが必要か」(逐次制裁では模倣犯が出るため、模倣犯が出ないよう、悪漢を怖がらせる、畏怖の対象となるシンボルが必要と考えた)は、前作の「バットマンビギンズ」でブルースによる上記そのままの説明があります。
つまり、「ブルース自身が彼の超自我(父親の象徴)であるコウモリになろうとしている」という話で、先述のエディプスコンプレックスにある、父親の座につこうとする男児の精神と合致します。
また、ブルース自身の葛藤として、彼は街に秩序をもたらすという公益性とは別に、Mob(ギャング)への個人的な恨みで制裁を加えている側面があり、この個人的な恨みが暴走してしまうのではないか、そもそも自身の行動はただの私刑(リンチ)ではないかという懸念がついて回っています。
ジョーカーが焚きつけようとしているのは、ブルースのこの個人的な怒りです。
ブルースがMobの制止と社会秩序の実現という社会道徳ではなく、個人的な怒りでバットマンの活動を行なった瞬間、彼はただの犯罪者になります。
ジョーカーの目的は、このバットマンの大義名分を取り払い、自分やスケアクロウなどの怪人や、Mobのようなゴロツキと変わらない存在に陥れることです(この企てに成功したのがハービートゥーフェイス)。
取調室でのバットマン・ジョーカーの尋問シーンで“You complete me.”(プロポーズの慣用句です)と言っていることからも分かる通り、ジョーカーはバットマンが半ば自分と同じ本能的衝動で動いていることに気付いています。
(だから、“You and I, are destined to do this, forever.”となる。)
長くなりましたが、パーティーシーンについて。
このシーンでは、老紳士が父権制的道徳を象徴する形でジョーカーに反抗したため、ジョーカーから“You remind me my father, I hate my father!”(お前見てると俺の父親を思い出すんだよ、大っ嫌いな父親をな!)と反感を買います。
ここでレイチェルが止めに入り、ジョーカーが口元の傷の由来を話しているのが、この場面の一番重要なポイント。
ここで何をしているのかというと、レイチェルを象徴的な意味で自分の女にしようとしています。
というのは、上に書いた通り、ジョーカーはバットマンの片割れです。
すると、ジョーカーにもレイチェル的な存在がいてよい、いるはず、という話になります。
それがジョーカーが”D’you know how I got these scars?”で始める「傷の由来の話」に出てくる「ジョーカーの悪妻」です。
レイチェルをこの悪妻に重ねているのは、逸話に入る前に“I had a wife, very beautiful, like you.”と言っていることから分かります。
ではその悪妻がどのような女性かというと、レイチェルのように慈愛に満ちている反面、ギャンブル狂で、口を裂かれた彼女に寄り添おうとしたジョーカーを拒絶した女性です。
ハービーと同じ検事職にあり、貞淑さを象徴するレイチェルとは真逆の存在です。
ジョーカーのしようとしたのは、レイチェルを自分の別れた悪妻と重ね、彼女と同じ傷をつけることで、レイチェルをその悪妻と同じ側に落とすことです。
おそらくこの逸話自体は嘘です。この場面以前にもGambolのシーンで傷の逸話がありますが、別の話をしています。病院のシーンでハービーに「俺が計画して動く男に見えるか?」(”Do I look like a guy with a plan?”)と言っていることからも、彼がポジショントークしない人間であることが分かります。
レイチェルを殺したり、ただ傷物にするのではなく、その前にこの逸話を挟むことで、その傷は彼女へのマーキングの意味を持つようになり、シンボル的な意味でレイチェルはジョーカーの女に堕落します。
彼女はやがてジョーカーにさらわれて殺されてしまいますが、面白いのは、その時ジョーカーが指定した彼女の居場所です(実際にいたのはハービーですが、言葉の上で彼女と結びついていたのが重要)。
ジョーカーは彼女の居場所を“She’s at avenue X, in Cicero.”と指定しています。
Ciceroとは、共和制ローマ末期の弁論家・政治家・哲学者で、彼の政治思想で理想とする統治機構は「共和制」でした。
「共和制」は、国家主権が人民に存する統治機構で、国家元首(王)により支配する独裁制とは対立する統治機構です。つまり、父権的制的権力とは対立する概念。人民の動物的本能に公共善による秩序をもたらそうとするもので、超自我とイドの調和が取れた状態と見ることもできます。
つまり、超自我とイドの葛藤に揺れるブルースが、本来身を委ねるべき安息の場所にレイチェルがいた、と比喩的に表現されているのです。
(その場所にハービー(父親)を置いとくあたり、徹底してジョーカーは底意地が悪い)
とまぁ、パーティーシーンは、これらの葛藤の舞台となる場面です。
直前でスリロ判事・警察長官が殺されて、ハービーが殺されればゴッサムの司法庁崩壊でその王手がかかっていたり、それを阻止すべく大急ぎで対応するブルースと迫るジョーカーのサスペンスだったり、ヒースレジャーのセリフ回しだったりで見所がいっぱいある、個人的にも好きなシーンです。
性行為がなければ確かに受け攻めは一見関係ないように思えるけど、実は腐女子の二次創作には受け攻めの解釈がキャラクター解釈を左右する傾向があるから、難しいところだなぁ(例えばただのギャグ漫画でも受けの方が線が細く乙女っぽく書かれているなど)
ワイ百合好き男なんやけど、そもそも受け攻めってキャラクター解釈がまずあってのことじゃないの?
たとえばワイもタチネコ考察はするけど、「こいつはこういう体格でこういう性格だから、ああいう体格でああいう性格のあいつに対してはネコ」みたいな解釈をするわけじゃん?
だから、別解釈もそれが原典と整合性があればオッケーやで。「なるほどそういう見方をすればこいつがタチという解釈は成り立つな」って納得するだけ。
増田ではマイナスな話題でよく出されるゲームだが、普通に大人気で覇権だから何が面白いのか知りたくて興味本位で遊んでみた。
ストーリーをよくよく読み込んでみると、やはり主要人物が全員悪役由来だからか
「ガチャも回してもらえる愛されるキャラクター」と「ヴィランとしてもヒール行為をさせる」ヘイト管理の両立バランスが難しいのか、
どの章もガランと何か大切な穴が空いたみたいな印象を受ける。章ごとに起こる事件は最後に解決するが、実質的には何も解決していないのだ。
可哀想と思ってもらうために章ごとに用意された可哀想要員のキャラクターたちは可哀想になったままというか…
また、教訓や寓話で理解してる現代人にとっては、どれもただただ自業自得すぎるお話に見えてしまうというか。
でも女性だけ向けのアプリゲームとしては演出がお洒落で丁寧であるし(ディズニー様様かもしれない)、
キャラの中でもラスボスめいたマレウスの登場の仕方を始めストーリー中で個々のキャラクターを知る過程は楽しめた。
でも総評を考えると、ストーリー(というかプロット)がそんなに…となる。
このゲームが大好きで、毎日このゲームを考えてるプレイヤーはどういう部分にのめり込んでいるんだろうといろいろ考えてみた。
ストーリーは未熟だが、キャラクターはどれも親しみやすい設定と突飛な設定が融和して魅力的に思えるし、キャスティングに驚く(こんな声だったのか、という)キャラクターもいた。
題材が題材だし、読める空白や行間が多くていわゆる「考察」が容易なんだろうが、それがこのゲームを楽しんでる人たちが一番好きな要素なのかと推察した。
要はキャラクタービジネスなんだな…キャラクターがよくないと売れないんだろう。(ディズニーでありかつ枢先生を起用してる時点で売れる要素があるのはともかくとして…)
あとはお洒落なところも大事だと思う。そういう趣味でもあるかと思われそうだが、このゲームが流行る前に覇権だと教えてもらった魔法使いの約束とかいう女性向けソシャゲも遊んだが、
衣装がとにかくモードさがあるというか、流行をうまく取り入れてかつリッチに仕上がった服飾ばかりだった。
ツイステの枢先生はその辺に関しても評価が高い漫画家だったろうこともあるし、とにかく小洒落てデザインが凝ったものは売れるんだろうな
https://anond.hatelabo.jp/20200717124512
主にこれの話。
まず、3点リーダーの話もサンドイッチの話もくだらない。そういうスタンスで話を進めます。
こういう文章の正しいマナーやら、サンドイッチが異世界になぜ存在するのか?って考察は、物書きが自分の作品をより良くするために行うもので、他人に押し付けるのは論外。
指摘するまでならもしかしたら相手も求めているかもしれないからまだいいものの、わざわざ相手の反応を見に行って、愚痴を書き連ねるその根性。
自分の正しさをひけらかしたくて仕方ないんだろう。
なろうは趣味で書いてる奴もいる場だって知らないのか?向上心の押し付けはありがた迷惑。
こういう奴は本当に、多い。面白かった作品の感想欄を開くと校正気取りがぽつぽつ。感想書かないなら帰ってくれ。
正しい文章で書きたいやつは言われずともググるから直接教えずに書き方講座でも充実させてくれ。