はてなキーワード: WordPressとは
ここ10年の国内Webベンチャー成功パターンは主に3パターンだ。
・ソシャゲ
・EC
・メディア
これ以外で成功したベンチャーももちろん多いが、運と実力で勝ち取った正攻法である。
上に挙げたのは、そこまで運と実力に恵まれなくても成功確率が高いパターンだ。
しかしパイがあらかた食い尽くされたので今後これらのパターンで上場するのは基本的に難しい。出資も得られない。
その中で唯一、これから始めて出口戦略が描けるパターンがメディアだと思う。参入障壁も撤退障壁も低いので始めやすい。また工夫次第で後発の参入障壁を築くこともできる。これは後で説明する。
ソシャゲやECを1人で始めるのは難しい。コストがかかるし在庫リスクもある。ヒット要因を生み出したところで真似されて終わりだ。すでに成功して金がある会社に勝負を挑むのは難しい。
WordPressを使えば誰でもメディアを立ち上げられるし、コストもほとんどかからない。
既存の大手メディアと同じジャンルに対して、異なるキーワードでSEO対策をしかけていくとよい。
既存大手が気づいていない、流入が見込めるキーワードを見つけたら、そのキーワードで検索1位を獲得する。死守する。
真似されて終わり、では価値がない。真似されても絶対に検索1を死守する。これがその事業の存在意義であり交渉力になる。つまり価値だ。
これを繰り返すと、上場はできないが既存メディアが買収を申し出てくる。これが出口戦略だ。
こうやって小金を稼いでいくのが、手っ取り早いと思う。
今だと人材系かカードローンあたりが狙いめなんじゃないだろうか。単価が高く、コロナ不況にも強い。
暇ならとりあえずやってみてもいいくらいだ。
ちゃんと実力があるやつは良い企業に入るか、海外に向けてプロダクト作るといいと思う。アプリで広告収入とかはまあ儲からないと思うよ。
今問題となっている広島の河井や東京の菅原と同じ事をやっているJARL会長の行いを認める低脳が居た事に驚いている
問題の内容は下記リンクをご覧頂いた上でこちらをお読み戴きたい
ttps://jarl2020.wordpress.com/2020/07/09/miura/
そもそもこの手の行為は法律違反である事を知らないで、JARL現執行部を支持しているのだろうか
詳細はリンク先をご参照戴きたい
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281130242547912709
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281130474572677120
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281131901219028995
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281133076983083011
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281133492869316608
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281135716949348353
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281142710993207297
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281148468925325314
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281149237376348165
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281165159512240129
ttps://twitter.com/JR1LHL/status/1281165243184377856
如何であろうか
JARL現執行部はこの様な順法意識がまるで皆無な連中から支持されている事がお分かりになっただろうか
はっきり言って、恥ずかしいとは思わないのだろうか
こんなのが1アマだとは恐れ入った
世の中終わっているとしか言い様がない
この日記はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
現在大学三年生。モバイルアプリを自社開発している[1]スタートアップのバイトを一年弱やっていて今日辞めた。
漠然と会社に不満を募らせていたが、その不満をちゃんと整理したことがなかったので書く。
辞めた理由
自分が雇われてから辞めるまで正社員は社長とエンジニア(以下Aさん)の二人しかいなかった。社長は後述するが自分からみるとまともな思考ができているとは思えず、また経営に向いているとも思えなかった。自分がエンジニアとして働いていたこともありバイアスがかなりかかっているが、Aさんはバイトの人たちによく気を配っていてとてもいい人だった。しかし絶望的に実力が足りていないと未熟な自分でもわかった。
雇われた当時自分はテキストの表示と画面遷移しか機能がないアプリを作って一人でニマニマしているレベルだったが、それでも主要戦力として扱われるほどまともな人材が存在していなかった。僕の後にもバイトの方が何人か入ったが、その中にもまともにモバイルアプリ開発を経験している人間はいなかった。
要件は当然のように定義されていなかった。なのでもちろん設計なんてものもない。エンジニアの誰もが開発のゴールを知らず、社長の思い付きで追加される仕様の実装とバグ修正をやっていた。おそらく社長も作りたいアプリがわからなかったのだと思う。社長の頭の中にもやもやとした自分が考えた最強のアプリ存在し、その中で偶然具体的に表現できたものをエンジニアチームに投げているだけのような気がした。
また、まともに開発を体験したことがあるエンジニアがいないため開発もガバガバであった。自分が入った当時は本番環境しかない、DBは誰でもフルにアクセスできる、バックアップは取っていない、ドキュメントどころかコメントすらない、といった状態だった。なのでAさんが書いたカオスなコードの上にさらにカオスを重ねていった[2]。これは当時実力がなかった自分の責任でもある。
3.主要戦力として働いている割には給料が低い
働き始めた当初はレベルも低く給料に不満はなかったのだが、勉強しある程度のアプリは作れるようになっても時給2000円を超えることはなかった。プロジェクトはすでに自分が抜けたら崩壊することは社長以外の誰の目にも明らかだったので昇給の交渉をしたが、400円しか上がらなかった(その時自分は時給2000円にしてほしいと交渉していた)[3]。
会社にお金の余裕がないならまだわかるが自分が知っているだけでもかなりの蓄えはあったと思う。社長はあまり資金をバイトに知られたくないようだったが、その理由はバイトがそのことを知ると昇給の交渉をしてくるから、ということであった。そのことを知ったときは驚愕した[4]。この時点でエンジニアへの投資の感覚が壊れていて、いかに安く雇うかということしか考えていないのだなと理解した。
4.社長の見通しの甘さ。アプリの方針に関する意見を全く聞き入れないところ。
辞めた理由の9.9割をこれが占める。3でも書いたが開発に関してはいかにエンジニアを安く雇うかということしか考えていない。社長は開発がうまく回っていると思っていたようで、まともな開発経験を積んだエンジニアではなく自分のような雑魚エンジニアでも現状維持できればいいと考えていたのだろう。これはうまく回っているように見える状況を作っていた自分にも責任があると思う。初期の段階でアプリを徹底的に破壊し、「まともなエンジニアを雇わないかったからこうなりました」と突きつけるべきだったと今でも思う。言葉と文字で何回もまともなエンジニアを雇うべきだと提案していたが聞き入れられることはなかった[5]。
またアプリの方針に関する意見もことごとく聞き入れられなかった。自分の感覚からすると明らかに間違っている方向に進もうとしているのを指摘しても、n=1~3くらいのレアなサンプルを出して反論してくる。サンプル数が少ないことを指摘しても「サンプルのような人たちに向けて作っている」と話が全く通じない。でもアプリは数百万人に使ってほしいらしい。こんなことが何回もあって指摘するのも疲れてしまい、次第に指摘をしなくなった。社長からみたら社会に出たこともない学生エンジニア風情がわかった気になりやがって、としか思っていないのだろう。開発していくにつれてアプリに愛着がわき、どうにかしていい方向にもっていきたいと常々思っていたがその愛着もなくなるほどだった。
slackで社長が文末に「笑」をつけるのがなぜか無性にムカついた。
最後に
この日記はフィクションなので当然上記のような会社は存在しないのだが、就活は慎重に行おうと思った。
→自社の株を売って資金を得ていたらしい(?)。おそらくエンジェル投資と呼ばれるものだろう。口先だけはうまいのでお金を集める能力だけは高かったと自分から見ても思う(実際に集めてこれてるし)。投資家は今のアプリを見てなぜ投資しようと思った(=成功すると思った)んだろうと毎回不思議だった。
→大盤振る舞いをするのは確かに無能だが、抜けられたら困る人材に時給2000円すら払わないのはどうかと思う。自分の感覚では都内で時給2000は決して大盤振る舞いではない。
→コストカットをしたいというのはよくわかるし、大切だと思うが傍から見てそれしかやっていないように見えるのが問題だと思う。せめて自分が指摘したときにまともな反論をしてほしかった。
→未熟といっても最低限のレベルは必要で、全くプログラミングがわからないちょっと口がうまい人間とwordpressしか触ったことないような人間が自社開発の会社を起業しても学生サークル以下にしかならないと思う。
→確かに開発はサークル活動みたいで楽しかったが、今思えばこのような考えは本当に良くなかったと思う。自分と違いAさんは人生がかかっているのにもかかわらず、うまく回っていない現実から逃避するように開発していたように見えたし本人もそう言っていた。あと「笑」は普段はそこまで気にならなかったのだが、深夜にバグ対応しているとき「大丈夫?笑」みたいなメッセージが来たときはどうにかなりそうだった。
思ったより反応が来て驚いている。自分と相反する意見が結構あって、自分の視野の狭さを認識できた。結局自分はベンチャー企業や社会に夢を見ていただけかもしれない。
[1] G○○gleが作ったマルチプラットフォームアプリの開発ツールを使用していた。
[2] チーム開発がこれが初めてだったので勝手がわからなかったが、今考えると本当に酷いコードだった。
[3] 1400 -> 1800
[4] これがバイトに知れ渡ってしまうのも管理が甘いと思う。
[5] slackのpublicチャンネルで方針を非難していたら社長からDM or 電話が来るというのを繰り返していた。
一時のはてなブログブームは手軽にアフィリエイトができるという触れ込みが大きく作用していた。
だからはてなブログがクリエイター(ライター)に支持された時期があったどうかについて疑問がある。ぱっと見は簡素であるものの、変なところがごてごてでもっさりしていて取り回しの悪いあのサービスを気軽に使ってみようと思う人はそんないないのでは?
ブログで情報発信という発想自体がWeb2.0時代ぽく古臭い。本気でライティングをやりたいのならオウンドメディアへ寄稿するし、そこまでのモチベーションがない大多数はnoteやTwitterにささっと投稿して終わる。
アメーバやはてブロのような個々のユーザに重点を置き、プラットフォームとしてコンテンツの流動性が低い旧態依然のブログサービスにもはや魅力なんてない。
noteやmediumはユーザの垣根を横断してコンテンツを閲覧できる。また画一的なデザインがフラットな視座を閲覧者に与えることを助けている。つまり逆に言えばnoteユーザであれば不特定多数の目に晒されそれだけ注目される機会があるということだ。
そしてnoteはそのプレーンなデザインゆえに利用者も雑記的位置づけで適当に書き散らしてもいいようなハードルの低さがある。メイン活動の片手間に議事録やネタ帳としてつかっている人も多いだろう。
はてブロはnoteに比べプラットフォームとしての力は弱い。ブログスペースをユーザに貸し出すだけで、ユーザがコンテンツの注目を集めるためにはTwitterやはてブ等外部でのバズが必要だ。閲覧者もそのページを読むときにそれがはてなブログかどうかなんて別段気にしていない。アメーバだろうがライブドアだろうがどうでもいいというのが今現在の一般的な感覚だろう。
そのくせ自分の城とするにははてブロは不自由だ。はてブロユーザだけを意識した利点のない上部バーと目障りな広告。なぜかprevがないページャ。だらしなく下に伸びるアーカイブモジュールに、妙なシンプルさが却って見づらい注目記事/最新記事モジュール。デフォルトだとどうでもいい情報をでかく記載してくるアバウトページ…pro会員になってこういうところをちまちま直すなら、tumblrを使ったりWordPressを導入した方が手っ取り早くてデザインもすっきりしたものができる。
気軽に書くにはハードで本気でメディアを作るには不自由で取り回しが悪いサービスというのがはてブロであり、そんなサービスを盛んに活用するクリエイターはもはや殆どいないのではないか?
話は変わるがクリエイターと呼べる水準にいない奴が幅きかせて嫌われたのが互助会騒動だった。
カレールーと残り物で作ったカレーで1200円とる店が乱立し、しかも呼び込みがしつこくてうざかったみたいな。悪いことしてないかもしれないけどそりゃ嫌われるわな。
はてなブックマークのホットエントリー、ここ数年、すっかり個人ブログを見かけなくなりました。
もちろん全く見かけない訳ではないですよ。
でも、togetter、Twitter、増田、企業サイトばかりが目に付きます。
しいて言えば、「はてなブログ」ははてブと親和性が高いので、少しは上がってくることはあるようです。
そこで相談なのですが、WordPressで運営している個人ブログにおいて、記事内に「はてブボタン」を設置する必要はあるでしょうか? Googleは、サイトの軽量化をサイトオーナーに求めています。「はてブボタン」は多少負荷がかかるため、設置し続けるべきか、外すべきか悩ましいのです。
「そんなの自分で決めろ」
一時は200万の借金に加えほとんど引きこもりに近い生活を送るほど荒れていたが、
少しずつ生活を立て直し。実家を飛び出しても2ヶ月くらいは生活できるほどの貯金もできた。
心機一転満を辞しての転職活動。今さら焦っても仕方ないしオリンピックの余韻が続く来年3月ごろまでに決められれば御の字だろうと悠長に構えていた矢先のコロナ禍。資格試験をキャンセルしポートフォリオ制作も投げ出し、ひたすら求人検索エンジンやコーポレートサイトのリクルートページをチェックし片っ端から応募。エージェントにも6社ほど登録した。
現在の仕事は夜勤も多く、仕事が終わってからエージェントのヒアリングや面接のために6時間待機し、その後反省点をまとめる作業に1時間かかり、2時間の仮眠のあとシャワーと食事を済ませてまた出社…というような日が4日続いたり、1日置きに1週間という感じでこの3ヶ月を過ごした。
丸一日休みをとれても、不安でうまく眠れないしやらなければいけないことがいくらでもある状況下なので寝てはいけない。
そんなことは何の言い訳にもならないが、転職活動を始めてから現職の方でミスが増えてしまい、上司にも目をつけられるようになってしまった。
正直いうとここ最近半狂乱に近い状態で、病院の予約時間を1時間早く間違えたくらいで「自分はこの程度のスケジュール管理もまともにできないのか」と帰りの車中で泣き喚き散らしてしまうくらいで、何にしても冷静な判断がくだせるという自信が持てない。
内定までの経緯が少し変わっていて、内定をもらった会社をA社とするとそこと全く別のB社にもともと俺は応募していた。すると採用担当とは別のB社社員から個別に電話がかかってきてA社を紹介された。A社社長と数回電話面談を行ったあと直接会って内定が決まった。
サイトを見る限り俺にとってA社は魅力的ではある。学生時代から未練があった業種に携わっていて、そこに未経験から挑戦するとすれば今が俺にとってラストチャンスかもしれない。しかし選考時の豪快さが妙に気になって仕方がない。
そしてここにきて俺はフロントエンドやWebデザインのポートフォリオ作りに熱をあげている。
もともとHTMLやCSSやらはテキストサイト全盛期だった小4の頃から見様見真似で暇つぶしに書いていた。書いていたといってもレンタルサーバに手打ちしたファイルをあげたり、WordPressに自作のテーマを仕込んだりはてなブログのカスタマイズ機能にCSSやJavaScriptをちゃちゃっと加えてたぐらい、だが、そらである程度書けるぐらいの知識はあった。
イラレやフォトショも大学の課題制作で嫌になるくらい使った。というか卒業してからもフライヤー制作とかで使った。
これくらいのことなんて常識の範疇で、AT限定免許所有者くらい取るに足らないレベルなのはわかっている。しかし病んで人と会話できなくなったりパソコンがお釈迦になって何もできなくなったりとそんな風に何かが起こっても常に俺が関心を寄せていたのサイトやWebデザインだった。
もともと転職活動で当初志望していたのもデザイナーやフロントエンドだった。借金を完済したのを契機に念願のラップトップを買ったので今年の2月から意気揚々とポートフォリオ制作を始めていた。この時はまだかっこよくてかつしっかりしたサイトが作れさえすれば、どこか拾ってくれるんじゃないかと思っていた。いや、就職できるかどうかは二の次で、かっこいいサイトを作りたい、サイトをもっとちゃんと運用できるようになりたい、もっとフロントエンドの知識を深めたいというのが一番の動機だった。
コロナ禍で転職活動を方向転換してからは求人があるうちに動かなくてはという思いで、ひたすらお気持ちポエムみたいなPR文を募集先に送りつけた。手元に何もない俺にはそれしか出来ることがなくていつも情けない気持ちだった。そんな嫌な毎日の中でポートフォリオ作りに関することが俺の逃げ場になっていった。借りてるさくらサーバー、VirtualBox上のFreeBSD、CentOSを仕込んだラズパイ、稚拙な知識を黙示録として書き記した雑魚虫なQiita…こんなとこに俺の未来なんてあるはずもないのに、もはや使い捨ての傭兵のようにこきつわれるだけで死んでく分際なのがほとんど決まってる癖に。
コロナ禍はリーマンショックとも震災とも違った。業界業種で影響の度合いに差がありすぎるし、情勢の変わり方も激しい。いきなり悪くなったり劇的に改善したりする。じわじわと影響が露出してきて経済が回復するのも長期的だった従来の経済的混乱とは違い、病床数やワクチン開発などの医療の状況、緊急事態宣言等の社会情勢で一変する。その時が来れば一気にコロナ禍による経済不安はなくなる。現に緊急事態宣言のあの騒ぎは劇的に落ち着いてしまった。
そんな中でこれは未曾有の危機!20年代は暗黒の時代だ!とヒステリックになり、よくわからない企業に飛び込んでしまうのはかなりのギャンブルなのではないかと感じ始めている。その反面これが自分の宿命なのだと得体の知れない企業で怨念にずぶずぶ浸かりながら野垂れ死ぬことを受け入れなければならないんじゃないかとも思う。
考えがまとまらずとっ散らかった文章になってしまったが、俺は何がしたいんだろうか?何が一番ベターな選択になるのだろうか。
フロントエンドの知識なんて俺にはたいしてない。30年近く生きているにも関わらず。でもだからこそもっと知りたいし、知らないことが悔しいし、しょうもない雑念に囚われて何のスキルになるのかもわからない仕事で時間を消耗することを受け入れられない。どう気持ちに折り合いをつければいいのかわからない。
以前にゲーム系の日記をWordPressで書いていてのだけど、随分とほったらかしていた。
久々に更新をかけたらどうやらテンプレートが古いままのようで個別記事が出てこない。仕方ないのでデフォルトにしているけど、非常にみっともないので作り直そうと考えている。
どうせならWordPressは使いたくない
新しい技術を学びたい
色々とCMSを漁っていたら、どうやら最近はWPみたいに全部入りなものよりもヘッドレスCMSなんていうものが流行っているらしいと聞いた
俺の理解力が足りていないので中途半端なのだけど、「ブログの投稿自体はどこかのマイクロサービスで行う」「その記事をAPIというものを通して別の場所にあるビューを管理するアプリがHTMLに起こす」「静的サイトを表示する」という流れらしい。しかも今はPHPでゴリゴリ各時代じゃなく、Javascriptが主流なんだってね。
JSとか全然わからないけど、東京都のコロナ関連でちょっと有名になったNuxtjsを触ってみようと思った。
とりあえずローカルにインストールしてみたけど、完全初心者な自分でも触っているだけで面白いと思えてくる。特に自動的になんでも更新してくれるのはありがたい。
ブログとかを階層にすると自動的に認識してくれる原理とか全然わからないが、とにかくワクワクする。
いにしえの文化だと思っていたホームページも、技術を変えてこうやって進化しているんだな。
今、知り合いのつてでテレビ局の制作下請け業務のADやらないかって話があってそれを引き受けるかどうか迷ってる。
大学在学時に精神病んだり多重債務が膨らんだことで卒業してすぐ実家に戻って2年くらいニートしてた。
ニートって言ってもぼちぼち家業の手伝いして、とりあえず利息をなんとかするために日雇い派遣に行って、
グループセラピーに顔出したり、町おこしやってる地元NPOでボランティアしたりなんやかんやしてたけどどこにも属してなかったからニートはニートだ。
同じ面子と毎日顔を合わせていると不安でたまらなくなるから月に二日が限界だった派遣も、2年経つごろには週4~5で3つぐらいの現場をローテーションできるくらいには回復した。
そのころになってようやくとりあえずどこでもいいから腰を据えようと考えられるようになって週3のコンビニバイトと週2のホテル清掃を掛け持ちを始めた。
1年前にコンビニの時給が上がってからは週4にシフトを増やしてもらってそっち一本に専念して今もやってる。もうかれこれ4年になる。
当時はやっていたテキストサイトなりに影響を受けてhtmlを自分で書いてみたのが最初で、
それからお遊びで自分のサイトをCSSで装飾をしたりCGIプログラムを書いてみたりしてた。それも高校生になるころにはやらなくなったけど。
それでもずっとWeb周りの情報は集めていて、はてなも情報収集のためにブックマークを使い始めたのがきっかけだった。
2年のニート期間中に、ようやく落ち着いて勉強をできるようになったので、
ドットインストールでJavascript、PHP、Python、Rubyの基本的な書き方をさらったのち、ちょくちょく自主制作をやるようになった。
いってもPHPとPythonはWordPressとC4DのXpressoくらいでしか使ってない。Rubyは一回TwitterBOTとミニゲーム作ったあとなんか好きになれなくて弄らなくなった。
でももともとWebに憧れがあったからかサイト制作でJavascriptを使うということは結構長く続けられた。
通ってた大学はメディア関係の学部でイラレフォトショもそれなりに使ってたからそんなつまずくこともなく、ちまちまポートフォリオに制作したサイト溜めてた。
あと関係ないけど図書館でJavaの参考書借りてきて写経したり、XCodeでSwiftに挑戦したりしたけどアプリにあんま興味なくていつの間にかやらなくなった。
それもサーバー代が払えなくなったりHDDがおしゃかになって全部なくなったんだけどね。ここ最近はPCも持ってなかったし。
なんとか最近になって惨めな田舎生活から飛び出すだけのお金が貯まって、定職につくことまでようやく考えられるようになって
「ちょっと遅くなったけどだめもとでまた一から頑張ろう、まずはポートフォリオまとめていこう」と思ってた矢先にコロナショックで世の中おかしくなりだした。
自分も不安でたまらなくて、コンビニバイトをしていることから小売業の求人に応募しつつ、Web制作や、大学時代の経験から映像制作の募集に片っ端から応募した。
ADの誘いを受けたのはこの流れで、受けた企業の採用担当でない社員の方から別の企業を紹介されてそういう話になった。
履歴書も見たしもう一度会ったらもう内定を出すと言われている。
あからさまに怪しいと自分も思う。放送業界のハードさは周知の通りである。しかし自分にはトラウマがある。
大学卒業直後に第二新卒での就職を目指して3か月だけ就活をしていた時期がある。
そのときに「テレビの制作やってる部署に中途採用してあげるから一か月後に荷物まとめて東京に出てきて」と言われ結局自分はそれを蹴った。
当時はほぼ無収入なのに借金の返済に月6万かける生活で不安が大きかったのと、
クライアントや代理店から依頼された案件で企画から制作までじっくり取り組んでいきたかったので放送業界はやや不本意だったからである。
でも今になればあのとき飛び込んでいれば違った未来があっただろうと後悔する気持ちがある。
少なくとも今のようにぼんくらとして馬鹿にされ近所から白眼視されながら惨めに孤独に片田舎で生活するようなことはなかったのではないだろうか。
今の自分は映画「悪人」の妻夫木の役どころや「レズ風俗」の永田カビみたいなもんである。
今現在はその企業以外に2社映像制作会社(放送関係ではない)の面接選考が進んでいてそれも自分を迷わせる原因だったりする。
最近のはてブの話題からいろいろ考えてしまうんだけど、現実逃避するように誰に見せるわけでもないポートフォリオサイトを休日に作り続けてる。
中学~高校の時にLSI-C試食版+苦しみながら覚えるC。高校~二十歳くらいで、javaの何かの書籍+eclipseでjavaの基本的な内容。
20代前半にリーマンショックの基金訓練でプログラム教室っぽい所で学習。ただし、ここの教室で習ったのは、ほとんど↑で学習済みだった。
25くらいまでに、派遣で短期の接客やテレアポの仕事を転々と。25から派遣やら契約で、短期のテスター職を転々と。ただし、用意された項目書を淡々と実施するだけの現場。
転々とした職場で、ある程度自由にさせてくれる現場があって、テスター職なままだけど、8年くらい継続して雇用されてる。まぁ給料は安いけど、今のIT関連の技術はほとんどはこの現場で覚えたと思う。(自学自習だけど)
この現場の3年目くらいに、wordpressとphpの基礎レベルの書籍を一冊ずつ。wordpressは https://www.amazon.co.jp/dp/B07B2RNCZ1/ のもっと古い版(wordpress3.5くらいの頃)で、PHPは何の本か忘れた。
同現場の5年目くらいに、javascriptの本を2冊。 https://www.amazon.co.jp/dp/B01LYO6C1N/ と https://www.amazon.co.jp/dp/B06XRSFM6G/ の、どちらも一つ前の古い版。
一応、この後ぐらいに30万くらい払ってプログラム教室っぽいところ行ったけれど、こっちもほとんど既習済みの内容で、正直無駄な金だったと思う。
多分、自分はこんな感じ。教室っぽいのには通ってはいるけれど、どちらも今に生きてないよ。正直、『何かを作りたい』とか『何かを解決したい』という意欲の方が、よっぽど重要だと思う。
javascriptで良いなら、ブックマークレットやtempermonkey(chromeの拡張)で、自分が良く見てるサイトを便利にする方法を作ってみるとかいいんじゃないかな。
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javascriptの後者の本(ゲームプログラミングのほう)、間違えてたので差し替えてます。差し替える前 → https://www.amazon.co.jp/dp/B06XSZ3Y2F/
大学卒業からの2年間を日雇い労働とNPOボランティアという名の雑用で潰し、
とりあえずという気持ちで始めたコンビニ夜勤のフルタイムバイトも3年以上の月日が経った。
大学在学時から半引きこもりみたいな生活をしていて、自分の立ち振る舞いがときどき恥ずかしくなる。
もうアラサーど真ん中の潰しの効かない年齢に達しているが、クリエイティブ職に就くことと生まれ育った地元から離れることを未だに夢見てる。
ずっとWebデザインに関心があって、今もしこしこブログのCSS弄ったり、WordPress弄ったり、借りてるサーバーにThree.jsとかで作ったもんあげたり、
そんな遊びみたいなことしながら「プロはいいよな」「俺は何やってんだろう」と悶々と考えてた。
あと通ってた学校が放送技術者を目指すようなカリキュラム組んでたから、その影響でMADやらネタ動画みたいなもん気晴らしに作って配信してたりな。
で、Webサイトの制作とか動画配信者のポスプロとかを黙々とこなすような仕事に就きたいって生意気に考えるようになってさ。
当時はいいポートフォリオさえ作れればなんとかなるって思ってたけど、30まじかでカスみたいな経歴しかない奴どうあがいたってまともな会社は相手にしないんだよな。
で最近は非正規雇用で業界に潜りこむか、休みの日にクラウドソーシングとかやって自己満足するような生活も考えてる。
そんなこんなで悩んでても仕方ないしそろそろ身を固めないとなって思ってた矢先にコロナで世間が騒ぎ出して、俺も焦って片っ端から求人に応募するようになった。
やっぱりWebとかマスメディア関連の企業に応募する傾向にはあって、で今は運よくテレビ番組の下請けの会社からアシのお誘いを受けてる。
でも「それでいいのか」と思う自分もいるんだよな。俺はもまれながらテレビ番組のディレクターを目指すことなんて考えてなくて今でもWebのことばかり考えてる。
本音を言うなら弁当の買い出ししたりバミリ貼ったりする時間があるならそれを自主的にサイト作ったり動画を編集したりする時間に充てたい。
それならさっき言ったみたいに休みちゃんと取れる企業に入って、休みの時に家でクラウドソーシングなり自主制作すればいいんじゃんと思って、
全然違う業種受けたりもしたけど浮ついたところがにじみ出てるんだろうね、面接の質疑応答でまごついてあえなく落とされた。
要領よく生きていけるようなたまじゃないことを改めて実感してる。なんか最近ますます自分に自信がなくなってきてる。もとから肯定感なんて皆無に等しいけど。