はてなキーワード: TIktokとは
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |
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2012 | 『真夏のSounds good!』AKB48 | 『GIVE ME FIVE!』AKB48 | 『ギンガムチェック』AKB48 | 『ワイルドアットハート』嵐 | 『ハピネス』AI |
2013 | 『恋するフォーチュンクッキー』AKB48 | 『さよならクロール』AKB48 | 『ピースとハイライト』サザンオールスターズ | 『Endless Game』嵐 | 『Calling』嵐 |
2014 | 『GUTS!』嵐 | 『心のプラカード』AKB48 | 『ラブラドール・レトリバー』AKB48 | 『誰も知らない』嵐 | 『Bittersweet』嵐 |
2015 | 『R.Y.U.S.E.I.』三代目 J Soul Brothers | 『Sakura』嵐 | 『愛を叫べ』嵐 | 『青空の下、キミのとなり』嵐 | 『Dragon Night』SEKAI NO OWARI |
2016 | 『翼はいらない』AKB48 | 『前前前世』RADWIMPS | 『恋』星野源 | 『君はメロディー』AKB48 | 『世界に一つだけの花』SMAP |
2017 | 『恋』星野源 | 『シェイプ・オブ・ユー』エド・シーラン | 『打上花火』DAOKO × 米津玄師 | 『不協和音』欅坂46 | 『二人セゾン』欅坂46 |
2018 | 『Lemon』米津玄師 | 『U.S.A.』DA PUMP | 『ガラスを割れ!』欅坂46 | 『打上花火』DAOKO × 米津玄師 | 『ドラえもん』星野源 |
2019 | 『Lemon』米津玄師 | 『マリーゴールド』あいみょん | 『Pretender』Official髭男dism | 『白日』King Gnu | 『馬と鹿』米津玄師 |
2020 | 『夜に駆ける』YOASOBI | 『Pretender』Official髭男dism | 『紅蓮華』LiSA | 『I LOVE…』Official髭男dism | 『白日』King Gnu |
2021 | 『ドライフラワー』優里 | 『Dynamite』BTS | 『夜に駆ける』YOASOBI | 『炎』LiSA | 『怪物』YOASOBI |
2022 | 『残響散歌』Aimer | 『W / X / Y』Tani Yuuki | 『ベテルギウス』優里 | 『ミックスナッツ』Official髭男dism | 『ドライフラワー』優里 |
(ビルボード・ジャパン 年間チャート HOT100より)
2010年代前半はとにかく嵐・AKBがチャートを支配していて、その次の2016〜2018年あたりは目ぼしい大ヒット曲が『恋』と『Lemon』しかないような状態、からのヒゲダン・King Gnu・あいみょんが一斉に登場した2019年、っていうね。もう日本の音楽業界はこのまま終わって、K-POPに蹂躙されるのかと思ったところで、有望な若手が次々に出てきて試合をひっくり返したって感じよな。
「米津玄師」「Official髭男dism」「King Gnu」「あいみょん」「YOASOBI」のJ-POP四天王から、最近の「優里」「Tani Yuuki」「Vaundy」「藤井風」あたりまで、いずれも若くて自分で作曲をやっている人たちばかり。高音や転調を駆使した歌唱の難しい曲が増えていて技術的にもハイレベル。海外でのヒットも珍しくなくなった。
サブスクの普及・ボカロの定着・TikTokの流行といったあたりが上手く噛み合ったんやろね。才能あるやつがどんどん作品を発表してバンバン発掘されている状況。ええことやね。
乳牛を殴る蹴る...TikTok動画拡散で物議 島根県畜産課「ありえない行為」、警察は動物虐待の疑いで捜査
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5925bf09a3e0a4dace2024dcc0d2282a890066a
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1668181352863404033/pu/vid/720x902/ZSjjvEryLwUZvYxw.mp4
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1372208
何とか言えこら
>InstagramやTikTokなど写真・動画、加工の急速な普及によって、ルッキズムにさらに拍車がかかっていることも大きな影響の一つ
・みんなが付けてるから付けてるだけ
・犯罪者にとって好都合
自分、AIグラビアとかAIポルノとか触ってるけど、男からすればこれで全然満足できると思うぞ
生身の人間が将来的に背負う足枷を考えると、生身の人間がこういった職業を担うのは倫理的に良くないって話が出てくるのも時間の問題だと思う
ちなみに男性からすれば、99%のアイドルはほんの数年しか寿命がないだろうし、だれでもいい
極論だけど、人前に出る系の仕事は全部生成物にする方が将来的にはいいんでないの
生身の個人としての魅力で人を惹きつけるのはもうやめた方がいい気がする
芸術家も作家もプレッシャーや批判を一手に受けて病んでしまう方も多いし
(男女問わず)アイドルやグラビア、芸能人も個人攻撃されて病んでしまう方が多い
AIの生成したペルソナを一旦挟むことで個人主義のプレッシャーから脱却できるんじゃね
これは脱近代よ
こういう話になると「いや、これは表現者だ、体を見せることでご飯食べてるんだ」、って話がいつも出てくるけど
いやいや、じゃあ勉強してくださいよ。科学技術の進歩に力を貸してくださいよ
って思うんだよね
グラビア撮影とポートレート撮影の境界線はどこなのか?というエントリを投稿したのだけれど、ポートレート撮影術を語ってるうちに何かカメコ魂が熱を持ってしまってもっと語りたくなったので空気を読まずダラダラとポートレート撮影術を語るわw
個人的にはグラビア撮影会禁止とかそういう小難しいの置いといてさ、お前らさ「再現性のある技術」としてのポートレート撮影術って興味ない?
つまり、知ればお前らもできる、技術として探求できる、その面白さを楽しめるってわけ。そしてそこからさぁ・・・何で様々な撮影会なんてものがあるのか理解が深まるんじゃないか?って思うのよ。だから取り敢えずグラビア撮影会中止は横に置いておこうか。
グラビア撮影へ肯定的であれ否定的であれコレは技術の話だ!男女なんて関係無え!赤ん坊から老人まで活かせる!政治・社会思想なんて知ったことかよぉ!なぁ?お前ら知識語ろうぜ!英語やプログラミングのハウツーみたいに無言ブクマしようぜ!wwwww
わかりやすく言えば人間が前を向いた時に見える範囲、カメラレンズにはシャッターを切った時に写る範囲があるわけだ。
そこから考えると、人間の目で見た範囲とカメラレンズでの写る範囲が近似しているとリアリティさが増すと思わないか?この人間の視界の範囲に近似した画角を持つレンズをカメラ界隈では「標準レンズ」と呼ぶ。
人間の目で見た範囲とカメラレンズでの写る範囲が近似しているので撮影後のイメージがしやすくて標準的に使えるという意味だな。
そして実はこの標準レンズには代表的なモノとして2種類存在するのだ。2種類存在することへ面白さを感じ疑問を持つ人はカメラにハマれる才能あるな。
カメラ界隈には「フルサイズ35mm判換算」という言葉がある。これはフィルム時代のカメラで最も使われていたカメラフィルムが35mm判だったことから、デジタルカメラとなりイメージセンサが採用されるようになった現在でも相対的な基準として採用される。まぁ万人の共通認識を得るための指標だな。
そして素人はちょっと混乱しがちだがレンズ焦点画角もミリメートルで表され、例えばレンズ焦点画角35mmのレンズは「フルサイズ35mm判換算焦点画角35mmレンズ相当」と表現される。長い上にわかりにくいな!このような情報を記載する人もタイピングが面倒なので「35mm相当」と省略してしまうことが多い。
iPhone 14 Proで言えばメインカメラは24mm相当、広角カメラは13mm相当、望遠カメラは77mm相当で、数値が小さいほど広い範囲が撮影でき、数値が大きいほど望遠が効く感じになっていてフルサイズ35mm判換算焦点画角で表されているためカメラに詳しい連中は大体どんな範囲が写るのか?というのが想像しやすく共通認識を得られている。
人間の目で見た範囲とカメラレンズでの写る範囲が近似している標準レンズには2種類あると前述した。それが見出しになっている35mm相当と50mm相当だ。
なぜ2種類なのか?と言えば人間の視界は2種類存在し、この2種類の視界の言い回しは様々あるが、わかりやすい言い回しを選択するのであれば「両目視界の35mm相当、片目視界の50mm相当」だ。
そう、人間には眼が2つあって、実は見ている対象物の距離によって利用している視界が違う。端的に言えば「遠くのモノは両目で見ていて、近くのモノは片目で見ている」んだな。スポーツをやっていると「利き眼」なんて言葉を耳にすることがあるけれど人間は近くのモノを効き眼で見ている。
さぁポートレートの話だ。アナタたちの前に人が居て撮影する際に人間の視界からリアリティさを追求した場合、選ぶレンズは35mm相当か50mm相当がセオリーだが、どっちを使うか?と言えば再現したいシチュエーションによる。
パーソナルスペースという言葉がある。親密な家族やパートナーほど距離が近くなり、そうでない人は遠くなる。
人間は近いモノを片目で見ると言った。片目は50mm相当だ。恋人が自分の隣を歩いている、ソファで隣へ座っている、そういったシチュエーションを再現する場合は50mm相当のレンズを使うとリアリティが出るってわけだ。すなわち50mm相当は恋人距離レンズと言える。最近の言い回しをするならガチ恋距離レンズと言っても良い。
逆に言えば、少しパーソナルスペースに距離があるという関係性を再現する場合には35mm相当が良い。両目視界は遠くのモノを見るときに使う視界なので片目視界の50mm相当よりも両目視界の35mm相当は距離を演出できるわけだな。
ただコレは35mm相当と50mm相当の使い方の一例にすぎない。旅行先の風光明媚な景色に立つ遠くの人を自分の視界をリアリティ高く再現するために撮るのであれば50mmよりも35mmの方が実視界に近くて良いだろう。
前回のエントリでも言及したけれど、フルサイズ35mm判換算焦点画角の数値が小さいほど広い範囲が撮影できて歪むので、バストアップさせたいみたいなシチュエーションを求めるのであれば35mm相当や、もっと広角のレンズで近接撮影するというのは決して間違いじゃない。例えば過去に鼻デカ動物写真が流行したけれど、これも非常に広角なレンズで動物を近接撮影して実現している。
実はレンズの種別の中には「ポートレートレンズ」というモノが存在する。別名「中望遠レンズ」とも呼ばれるこのレンズはフルサイズ35mm判換算焦点画角70mmレンズ相当〜100mm相当あたりが大体そのように呼ばれる(絶対的な基準ではなく大体そのあたり)。
これまで語った流れからポートレート撮影は35mm相当や50mm相当が向いていると勘違いされそうだが、前提として人間の実視界をリアリティ高く再現する場合は35mm相当や50mm相当が向いていると言うだけで、逆に演出性高くポートレート撮影したい場合には向かない。
写真って何だかんだで芸術カテゴリなので、やはり演出性が高い写真が評価されやすく、そういった意味でポートレート撮影に向くと言われるレンズも演出性高いものになるんだな。
演出性高いって結構フワッとした概念だけれど、標準レンズと比較して素人でもわかりやすい違いを言えば背景がボケやすいことが挙げられる。
いわゆる望遠レンズって遠くを拡大できるレンズなわけだが望遠レンズ圧縮効果とかいう光学的な影響によって背景ボケが強調される傾向にあり、ボケによって被写体人物と背景の分離を作りやすくて被写体人物を目立たせやすくなるんだな。
そして上記のバストアップと同様にポートレートレンズ以外がポートレートに向かないというわけではない。フルサイズ35mm判換算焦点画角数値の大きい望遠レンズは広角レンズよりも歪みが少なくバストアップを目的とした演出的な撮影には向かないからだ。得たい結果を求めてレンズは選択するべきなのだ。
再びiPhone 14 Proのレンズ構成を確認してみよう。メインカメラは24mm相当、広角カメラは13mm相当、望遠カメラは77mm相当で、面白いことに人間の実視界に近い35mm相当付近や50mm相当付近の画角を持つレンズが搭載されていない。
しかしながら演出的な撮影、今風の言い回しにするならエモい写真が撮れそうな画角のレンズで構成されている。広角カメラの13mmなんて非常に歪んでバストアップ効果が期待できそうだし、望遠カメラの77mmはポートレートレンズの範疇だ。今のiPhoneユーザは実視界的なリアリティある写真は求めておらず演出的なエモい写真を求めているとAppleは判断しているのかも知れないな。
近日販売開始されるSONYのXperia 1 Vはカメラ界隈で驚愕を持って受け止められているが、そのレンズ構成はメインカメラは24mm相当、広角カメラは16mm相当、望遠カメラは光学ズーミング機能付き85mm-125mm相当になっていてコチラも標準レンズが存在しないけれど、広角カメラ16mm相当はYoutuberが街歩きで自撮りする際に人気の画角になっている。iPhone 14 Proより広角カメラの数値が大きくて歪みが少ないので太って見えにくいわけだ。望遠カメラはiPhone 14 Proより拡大できて背景のボケも大きい。
少なくとも演出的なポートレート撮影において、もちろん最近流行りのTikTokみたいな縦撮り動画も含めて、Xperia 1 VはiPhone 14 Proよりもユーザに求められているポートレート撮影を実現しているレンズ構成だと言える。このあたりは流石カメラメーカーだ。iPhoneにイメージセンサを供給しているだけある。
お前らは人間の視界とカメラ画角、リアリティと演出性の知識をほんの少しだけ得た。そこでレンズの歪みなどを効果的かつ積極的に使っている映像作品がある、韓流アイドルMVだ。
韓流アイドルはMVとバラエティ番組などへ出演している際に何か体型が違わね?とツッコミ入れられることがあるけれど、何故かと言えばレンズの歪みを効果的に利用しているから。
少し下から煽り気味に撮影して小顔足長に見せたり、照明と組み合わせて筋骨隆々にみせたり、広角でドーンと近接撮影して胸や太ももをムッチムチに見せたりしてるんだな。
推しのメンズグループメンバーの顔がアップに写ってドキッとするのは何故か?まるで隣りに居るかのように映像から感じてしまうのは何故か?は今回のエントリを読むと何となくわかる。
これらは再現性のある技術であり知識だ、プロの作品からカメラ・レンズをどのように効果的な使い方をしているのか?というのを今回のエントリはその表層だけでも理解できるように書いた。
知識を得たアナタたちがこの知識をどのように利用するのかは筆者にわからない。カメラにハマるかも知れないしハマらないかも知れない。
しかしふとした瞬間、友達を恋人を家族をいい感じで撮りたいなと思いつき、このエントリを思い出してスマホカメラのレンズを望遠カメラに切り替えるようになったのならば少しは意味のあるエントリだったのではないか。
恥ずかしながら、アラサーになってはじめてちゃんと人を好きになって、振られた。
オタクなので好きなアイドルや漫画のキャラクターはたくさんいるが、現実的に誰かを好きになることなんて中学生以来なかったから、どうすればいいかわからず空回りしてしまった。
まあそんなことはいいんだけど、失恋ってこんな辛いのか、と思った。みんな知ってると思うけど。
好きなアイドルに恋人ができたり、結婚したりしてそれなりに苦しかったり、思いが相手に届かなかったドラマや映画の登場人物に感情移入して辛くなったりしてきたけど、すべて想像上の話だった。
友達の失恋話にそれは辛いよね…って共感したつもりで、その友達の悲しみを思う気持ちに嘘はなかったけど、今考えたらなんもわかってなかったかも。
失恋ソングきいてかなしいね…とおもうことはあったけど、ほんとうになにもわかってなかった。
経験した人のみがなにかその物語を生み出せるとは思わないんだけど(魔法が使えなくても魔法使いの話で人を感動させることができるように)、失恋した今なら名曲失恋ソング作詞してこの世の人々を共感の渦に巻き込める気がしてるわ。
わたしがいま女子高生ならインスタストーリー真っ黒背景にちいこ文字で振られた悲しみ綴ってるとこだわ。そういうのいまでもするのかな?しらんけど、アラサーなので…
でもまあこうして匿名のブログに書き込む時点で同じようなものだし…
こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった、という有名な言葉があるが、今ならあの気持ちわかります。あれ以上に苦しい気持ち表す言葉知らん。歌詞とかでこれより共感するものあるのかな?ていうかおたくだからそもそも失恋ソングなんてそんなしらん。きかん。最初に失恋ソングに共感したつもりで…みたいなはなししたけどべつにもとからたいしてきいてないわ。いまだに通勤中はカードキャプターさくらとかおジャ魔女どれみのOPとかきいてるわ。
こんなに悩んでもどうにもならないから、さっさと別の人間を好きになって、失恋ソングでTikTokで若者に大バズりして今年の紅白でよ。
彼がタレントとして俳優として演技をしている時、絶賛はともかく下手だという印象を持っていた人は多くはないはずだ。
怒り、涙、悔しさの表現
まるでTikTokの素人演技のようだ。いやそれにしてもわざとらしい。
舞台演技
映画演技
ドラマ演技
アイドル演技
宝塚演技
歌舞伎演技等々
政治演技というやつだろうか。
が、それが通じるのは街頭演説やわざわざyoutubeを見る信者だ。
今回の怒り狂った演技、とても下手でしたよ。
AIを利用したサービスは様々あるが、特に議論を巻き起こしている「イラスト生成AI」。
chatGPTやらbingAIやら、文章生成AIがかなり好意的に捉えられている中で「イラスト生成AI」だけがやたらに目の敵にされているのは何故か?
よく言われるのは、著作権。
まあ、これも色々言えるが今回の話題ではない。
もう一つの、そして主たるイラスト生成AIが蛇蝎のごとく嫌われる理由─それはイラスト生成AIの使い手のモラルだ。
イラスト生成AIを疑問視するイラストレーターに嫌がらせのようにi2iを使用しリプライしたり、ところ構わずレスバを仕掛けたりしている様子は、AIに期待している側の私から見ても中々に見苦しく、しかも炎上によって可視化されている分だけでもそれなりの数がいるように見える。
イラスト生成AIの使い手がわざわざ人に嫌われるような言動をとってしまう理由はとても単純で、嫉妬と復讐心である。
今でこそInstagramやTikTokによってネットは現実の拡張のような風潮があるが、Twitterは各種SNSの中では特に現実と切り離されている。それゆえ、オタクは大体Twitterにいる。
オタクにも色々種類があり、その中でも最も大きく分けたのが「持つ者」「持たざる者」だ。
「持つ者」は例えばイラストが上手だったり、小説を書いていたりする有産かコミュ強である。今回はイラストの話に絞るが、小説を書くオタクやコミュ強を含めた「持つ者」のオタクはそれぞれ居場所を持っている。
オタクの中で燦然と輝く才能、それがイラストが上手ということだ。小学生男子の最大モテ要素が足の速さなのと似たようなものである。イラストの上手いオタクは、オタクからは〇〇を描いてとリクエストされ、非オタクからは文化祭のポスターや遠足のしおりの挿絵なんかをリクエストされ、とにかく承認されやすい。
現実世界での承認が足りなくても、ネットに飛び出せば相当数のコミュニティがある。よく喋れば親しみやすいキャラとされ、あまり喋らなくてもミステリアスでカッコいいとされる。
もちろん、小説よりイラストが優れているとか、イラストを描けるオタクが無産より偉いとか、そういうわけではない。イラストは「分かりやすい」。文章の読めない人のために宗教が壁画を作ったように、歴史的に見てもイラストは基本的に誰でも分かるものなのだ。
イラストレーターが強いのは、イラストそのものの強さでもある。
さて、「持つ者」のオタクが現実世界やネットで承認される一方、現実世界でもネットでも承認されないオタクがいる。それが「持たざる者」のオタクだ。
「持たざる者」のオタクは割と悲惨で、まず仲間がいない。先ほど「持つ者」の例として挙げたコミュ強オタクは、陽キャ集団でなくともそれなりにオタクで寄り集まり、コミケに一緒に行ったり文化祭で合同紙を売ったりして楽しくやっている。(側から見ればコミュ障かも知れないが)
「持たざる者」はそれに入ることが出来ない、あるいは入ることを拒否したオタクである。
さらにその名の通り、「持つ者」のオタクが持つ才能や努力を持っていない。周りに人が集まらないのは当然なのだが、残念ながらそれを理解することができない。無産のコミュ障オタクなんか星の数ほどいるのだが、ある程度の学力や努力を持っている、あるいはコミュニティに迎合する柔軟性がある。それすらも持っていない「持たざる者」はひたすらに、あらゆる方向から弱い。
「持たざる者」のオタクは、オタクなのにオタクを基本的に見下している。というか人間が嫌いで、裏切りを恐れている。
「持たざる者」のオタクはオタク同士で語らう場もなく悶々としながら、欲求不満を募らせていく。そしてそれは「持つ者」のオタクに対する恨みとして蓄積されてしまう。何故なら同類であるはずのオタクが自分の知らないところで仲良くやっているのは、裏切りに他ならないからだ。特にイラストは「分かりやすい」ゆえに矛先が向きやすい。これは持論だが、イラストが上手い人は頭が良い。さらにたゆまぬ努力を続ける忍耐力もある。しかし「持たざる者」のオタクはそれが理解できず、目の前にあるモノに飛びついてしまう。そして、こんな絵自分でも描けると嘯きながら誰からも承認されず、自分とイラストが上手い「持つ者」のオタクの差に気づくことなく、さらに恨みは嫉妬と復讐心に増幅していく。
もう分かってもらえただろう。そんな「持たざる者」のオタクにとって、「イラスト生成AI」はエクスカリバーなのだ。自分を裏切った「持つ者」のオタクという悪の総本山、そしてそのボスであるイラストが上手いオタク、イラストレーターを痛めつけることが出来る唯一の手段なのだ。
だからこそ、今までの努力を踏み躙られたとイラストレーターが嘆くと指差して笑う。もうどうしようもない。
もちろん今回の話はあくまでも、「イラストレーターを目の敵にしている、イラスト生成AIの使い手」の話だ。
実際のところ、興味深さやちょっとした趣味のようなものとしてAIで遊んでいる人がほとんどだろう。あとは個人利用目的ついでにネットにアップしている人か、将来スタンダードな技術になることを見越して先行しようとしている人ぐらいか。
諸問題が整備されていけばAIを利用したイラストは当たり前になっていくと思う。その時はその時で問題が発生するだろうが、それはまた別の話だ。
結論。イラスト生成AIを使って煽り散らかす人たちは、基本的に可哀想な人間だ。いわゆる「無敵の人」に近い。これだけで、許してやることは出来なくとも、触れない方が良いということは分かるだろう。私たちは福祉課ではないからだ。
だからもし自分の好きなイラストレーターが粘着されていたら、そっと通報・ブロックしよう。間違っても酷い、消してくださいなどと言ってはいけない。それこそが彼らを気持ち良くさせるエネルギーとなっている。
また、もし自分がイラストを描いていていじめられたら。今後AIイラストの著作権に関してはもっと分かりやすく説明されるだろうし、特にi2iは普通に現行法で違反になるだろう。そっとスクショして、気が向いた時に通報できるという心持ちがあった方が精神健康に良いのでオススメだ。訴訟にお金がかかるとかは一旦置いて、証拠集めに徹しよう。彼らは貴方個人を恨んでいるのではないため、反応がなければ満たされない。
私はイラスト生成AIはそこまで触っていないが、AIそのものが好きなので、もっと発展してほしい。今の風潮だとAIそのものが嫌われそうなので、何故嫌われるのか?という点に念頭を置いて持論を展開してみた。長々と話して結論が弱いのは承知だが、理解不能な行動を取る人の向こう側について考えると、自分が取るべき行動も分かると思う。全部上手くいってほしい。
ガキはTikTokでも見てニヤニヤしてろよ。
ビルボードチャート上位にある曲が大人気!オリコンはクソ!!オワコン!!一瞬上位に行ってもすぐに落ちるような楽曲は大衆支持されてない!!
みたいな思想がビルボードチャート分析する人たち共通であって正直気持ち悪い。
ヒット曲とかもうみんな興味ないって。
確かにオリコンはCDたくさん買えば上位になれるから上位=人気とは限らないんだけど、チャート愛好家の気持ち悪いところはそれを全力で否定するところなんですよね。
でもビルボードも組織的にサブスクを回せば上位来れるし、結局不透明な基準にみんなおどらされてるだけ。
CDが売れている歌、サブスクでたくさん聴かれている歌、TikTokでめちゃくちゃバズってる曲、これら全部違う山のトップなんだし、それを尊重すればいいのにって思う。
ももん🌹٩(„❛ ֊ ❛ 🎈🐇🐱🎸🎀🍓🤍🕊✒📷🎼🎨
@psacoiswhere
教えて頂きました🙏
カウアンがこの間出した新曲のプロデューサーって、去年元恋人への脅迫容疑で逮捕されてるんだね…
ツイート消してるけどこの人 ジャニの批判もしてたのキャッシュに残ってた
https://web.archive.org/web/20220928034959/https://news.livedoor.com/article/detail/22929739/
https://twitter.com/psacoiswhere/status/1666275219525484556?s=20
女性を脅迫 ミュージシャン逮捕 TikTokで再生回数1000万回
知り合いの女性をSNSで脅迫したとして、石川・金沢市出身のミュージシャンが逮捕された。
脅迫の疑いで逮捕されたのは、「SHuN-BOX」の名前で活動する、金沢市出身のミュージシャン・山本峻容疑者(23)。
警察によると、山本容疑者は9月22日、神奈川県に住む知り合いの20代女性に対し、SNSで「お前が忘れたころに何かが起きるだろうが、自業自得だから楽しみにしていろ。引っ越した方が安心かもね」などとメッセージを送り、脅迫した疑いが持たれている。
山本容疑者は、リリースした楽曲が、動画投稿アプリ「TikTok」で累計1,000万再生を突破するなど、若者を中心に人気を集めていた。
「子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった」
そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園を管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
つまり傍から見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議な存在だということになる。
日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
「公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。
次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
・公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマーが公園クレーマー化するのは、一部の非常識な利用者のせいである。
・非常識な利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
・公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。
さて、じゃあ早速冒頭の文章をニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政の記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこからが問題だ。恐らくここで、普段の公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和な公園で、何が?」
これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生、保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
心から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫?
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。
じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマーの気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマーの気持ちを理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。
(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい」状態だが、便宜上許して欲しい)
俺が公園クレーマーになった原初のきっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールやフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生か高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。
変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボン、ボン。ギャハハ。ボン。ボス。ギャハハ。ボン。
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。
ここで、自明の事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである。
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである。
これは誰しもが陥りがちなことであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである。
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所であると錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである。
結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルやカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。
夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである。
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル。
夜しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん。
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイで酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行の一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。
そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTokの流行りの動画を大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである。
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである。
そのうち、夜に公園に来るすべての人間がバカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である。
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園の24時間警備システム化」してしまったのである。
これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
「あくまで自分は要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会、騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。
この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。
そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな、天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。
大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか?
いつしか「クレーム」を入れるようになったのだ。
ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなたが想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなたが想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ。
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である。
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。
さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?
引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホンや耳栓というのは応急処置として有効である。しかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつはルールを自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである。
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体がストレスになってくるのだ。
そして最後。
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である。
公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ。
だって、公園は良いものである、という世間の認識があるのだから。
そして既に、公園にクレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから。
俺だって、もし街を歩いていてテレビの取材にあたり、「公園にクレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所だからねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
恐らくだが、インタビューで公園の騒音を肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。
とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくまで公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマーの立場から書いているだけである。
ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
もしかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。
だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたがイメージする「公園」「公園の騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなたは公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである。
何も公園クレーマーを理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園の騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである。
最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分が若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?
これはこれでデカいテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。
だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人の思想の一種でしかない。
あえて極端な例を言えば、過去にゲーム感覚で万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店の店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である。
学生の頃イジメを働いた人間が社会人になって会社でイジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である。
そういう因果律で人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。