はてなキーワード: 自己分析とは
広い目で見れば妻が優秀であったり、強い経済力を持っているということは家庭にとってプラスであり、本来であれば歓迎するべきことだ。
「女の癖に生意気だ」「女に負ける自分を認めたくない」と考える男性は男性ホルモンが優位だ。
妻にイライラしてしまったときに「自分は男性ホルモンが優位な人間だから、今妻に嫌悪感を抱いている」と自己分析すれば楽になれるのでは。みみっちい男のプライドなんか捨ててしまえばいいじゃん。自分は自分、妻は妻で違う土俵で頑張らないと。
そして、周りの人間も妻が夫より経済力を持っている家庭の夫を「ヒモ」って言っちゃダメ。「稼ぎのいいお嫁さんで羨ましいなぁ。あなたはラッキーだね」くらい持ち上げて誉めたほうがいい。女性の社会進出を歓迎しなくちゃ。
川崎・アレク夫妻はアレクがヒモではないのにヒモキャラで上手くいってる。アレクはバラエティー番組に出たり、モデルをしたりして仕事をしているのに、「経済力のある妻に養われてますキャラ」で芸能界で活躍している。
女に負けて悔しいと思うより妻に感謝して上手に生きないと。
https://anond.hatelabo.jp/20190426001052
皆が非表示にしてるidの不人気投票よりも、そっちに興味がある。
さっき自分の非表示を整理してたんだけど、けっこう好き放題に非表示してたのに気づいたんだけど、一つだけ共通点があった。
だいたい口汚くののしるパティーンのid、煽り系のid、一部不明なんだけど、全部「ブログやってない」idだった。
ワンピースアイコンとか、安定の当選率を誇る睡運瞑菜の奴とか、あのクソみたいな書きっぷりのあいつら非表示にしてなかったのはなんでなんだ、って自分でも不思議だったけど
連中ブログ持ってるんですね。
直接にブコメと繋がるわけじゃないんだけど、罵詈雑言まき散らした後の補足、みたいな感じで使ってることがなくもない。
ココが「非表示にするまでもないかな」という判断に至った理由ではないかと自己分析してみる。
ブコメで言いっぱなしのクズは、どんだけ正論でも過去には非表示に入れてるようだし、評判の悪いblueboyの人を入れてないのもそういう理由か、と腑に落ちる。
いずれも言ってることの正否はともかく、ブコメで吐きっぱなしじゃないように見受けられるから非表示にするほど嫌悪していないのだと気付く。
25歳くらいまで高校/大学/社会人と合わせて50人くらいに振られた。
そんなところから、自己分析したり努力したりして、ちゃんと彼女作れるようになったので書いてみる。
もてなかった時は、女友達が一人もいなかった。
可愛くて話してて楽しくて、すぐ付き合いたい!ってなってた。
今思うと、そら気持ち悪いし付き合わないよね。
イケメンとかカリスマとかで女の子から言い寄ってきてくれる人でもない限り、
女の子は「一緒にいて楽しいな」という時間を何回も過ごさせないと「この人いいかも!好きかも!」って思ってもらえない。
この「何回も」ってのがポイントで、彼女が楽しんでないと次回は来てくれないし、
楽しかったとしても、うっかり下心でボディタッチなどすれば「やばい人」になって次回はなくなる。
そんなこと言っても友達どまり!いい人どまり!って思う人もいるだろう。
「一緒にいてとても楽しい」「すごく可愛いと思う」「話のセンスが良い」「俺なら付き合いたいけど」
くらいのことを飲みながらでも折々言っていけばだいたい彼女に自分の気持ちは伝わってる。
そのうえで二人で何度も会ってくれるならば、そこそこ候補に入ってると思っても大丈夫。
リターンを求めない好意を繰り返し伝えられることに女の子は弱い。
最初は、この人は誰にでも言ってるんだろうなと思っても、
一緒にいて楽しいし自分のこと好きだって言ってくれるし、まぁ良いかなってなることが多い。
・会う頻度を上げる
上の二つを満たせたら、あとは会う頻度をひたすらあげる。
下手したらほぼ毎日会ってる。
それも軽い夕飯食べるだけとか、昼のランチとか、短い時間で良い。
「明日の午後空いてる?空いてたら謎解きにいこうよ」
とか、そんな感じで一緒にいるのが日常的になったら、ほぼ付き合うことができるようになる。
n=1だし、俺にしか使えないパターンかもしれないけど、やってみて。
追記)
多くの人には当たり前のことだったんだな!知らなかったわ。
俺、天才かよって思ってたわ。そりゃ、彼女作るまでに25年もかかるよね。
(場合によっては合コンであった次のデートで告白とかしてたから)
おそらく50人よりももう少し多いような気はしているよ。
彼氏持ちの子に告白して彼氏に殴られて金巻き上げられたりとか、
同じクラスの子、何人かに告白して高校時代が暗黒になったりとか、
演劇サークル内で人類皆兄弟みたいになってるなか俺だけ蚊帳の外だったりとか、
会社の先輩好きになって酔っ払って告白して振られて気まずくなったりとか、
そんなんやってたよ。
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00 | 100 | 20185 | 201.9 | 48 |
01 | 93 | 11000 | 118.3 | 59 |
02 | 43 | 12244 | 284.7 | 59 |
03 | 20 | 7545 | 377.3 | 121 |
04 | 23 | 12388 | 538.6 | 266 |
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11 | 77 | 9594 | 124.6 | 47 |
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仕事がうまく回ってない。自分のタスクは終わっても管理者が激務すぎて承認がもらえない。
またもし確認してもらってもなんだかんだとチェックがついてやり直しになるだろう。
自分としては決して手を抜いているわけではなく、むしろ今まで以上に事前確認をして提出しているが、
正直なところ「どうせチェックがつくのだからチェックされたところだけ直せばいいや」という気分ではある。
結果として「終わってないのに手持ち無沙汰」という状況が発生している。
これはつらい。
今のタスクは恐らくあと半日もすれば提出可能な状態になるだろうからその後やれることがなくなる。
別の勉強をすることもあるがチェック結果が帰ってくればそれを優先的に対応せざるを得ないし、またそれがいつになるか分からない。
まず建設的なことをほとんどできなくなる。これは「暇だけど終わってない」という心理が働くのか、「次のなにか」をやることが億劫になる。
次いでチェック結果次第で大幅な修正が入る可能性があるのでそれそのものに対する不安。
これらが合わさって「サボることはできるが休むことができない」という状況に陥った。
また「不安」に対する抵抗力を高めるためなのか、ポジティブ思考ができない。
どう理論武装したところでチェック結果とはやり直しなのだから。
つまり「いいこと」を望まなくなり、かわりに「ダメな状況」が妙に心地いい。
そしてこんな心理で当然いいことなど起こるわけもなく、結果としてダメなことばかりでさらにネガティブな心理に陥り、自己憐憫に浸っていくのだ。
現在自分は最悪の気分であり、やけ酒やけタバコを繰り返し、ますます最悪な気分になり、それを自己分析して最悪な気分を再確認し、それを堪能しているのだ。
どうすれば夢を持てるようになるのだろう。
将来に対する希望や夢なんてものが全く見えない。晩御飯に食べたいものすら思い浮かばない毎日だ。
なんとなく、義務感だけで生きている。来月人と会う約束しちゃったしな、とか。借りてるDVD返さないとな、とか。仕事を投げ出すのはよくないしな、とか。
夢はかならずしも人生を助けてはくれないだろうが、未来に対する欲求が人を生かしている部分は少なからずあると思う。
それを持たない自分の人生はとんでもなく虚しいものでは…と考えては落ち込んでいる。こんな人生が続くならいっそ長生きしたくないとまで思っている。
こんなの就活の自己分析で終わらせておくような自問自答なんだけど、社会から求められてそうな模範解答をうまく演じて適当に就活乗りきったからいまだに答えが出てないんだよな。
環境を変えればなにか見つかる?
なにか新しいことにでも手を出してみるべき…?
わっかんないや。
みんなどんな夢見て生きてるのさ。
ここ一月位モヤっとした気持ちがずっと続いていて、あらゆる事にやる気が出ない。
鬱の傾向っぽいけど、鬱と違う感があって、気持ちが落ち込むというより気力とか活力みたいなものが出ない感じ
それを鬱の初期症状というのかどうかはともかく、やる気でない→やらないと→でもできない
こういう時は やらないと の内容をなるべく低くして、少しでもやったら自分をちゃんと褒める必要があるのも
わかってるけど、なんかうまくいかない。たぶんうまくいっていた時の状況に自分ならすぐ慣れる筈。という
思い込みとか焦りがあるのかもしれない。
お前、今そんなに上手く気力溜まんないんんだから、ちょっと出来ただけでも全然OKって事にしておけよ。
こういう所に自己分析的な文章を書き捨てるっていうのもやってみて良かった。
これが書けて自己分析出来ただけでも良しとしよう。
就活中です
まだ始まったばかり。
でも、ここ最近涙が出ることが多い
甘えるなって言われるかもしれないけど
思ってること綴らせて
とりあえずやってみるけど
やりたいこととか、将来の夢とか
そんなの会社入ってみないと
分からないのになんで
大学生にそんなこと聞くんだろう
少なくとも、私はこれまで
って思って生きてきた。
その時にならないとわからないじゃん
って思っちゃう
でもそれだといけないって
色んな人が色んなところで言ってる。
セミナーだったり
webサイトだったり。
サイトとか、色んなの見すぎて
どれが本当かわからない。
本当の自分ってなんだろう。
でもそうしないといけないシステムも
いやだ。
よく聞くけど、
最近思う。
こんなこと考えて、
気づいたら涙が出てる。
本当の自分ってなんだよってなるし
でも就職した方がいいんだろうし…
面接も控えてて、
こんなんじゃいけないってわかってるけど
わかってても涙は止まらないし
余計に涙出るし。
なんで涙が出るのかもわからない。
どうしたらいいんだろう
どうするんだ?具体的に。
気を配るってことを知らない?知らなさそうだなー
重複してる項目がある上に、「普通」って...
自己分析も出来てないのか
お前の話って、毎回具体的じゃねぇんだよな。
さっきも言ったが、具体的に言うと君は極論をでっち上げて無理くり回避しようとするのが目に見えてる。
君は根本の部分がなってないから言ってる。つまりリスペクト。他者の尊重。
俺がお前に「嫌いな奴とは関わるな!」と押し付けているわけでも無いのに
お前は「誰とでもかかわれ!孤立させるな!」と強要してくんの、やめてくんね?
お前はお前で、そういう行動を取れば良い。俺はおれで勝手にする。
行動を強要してくんな。
いわゆる雑談が苦手だ。
趣味などの限られた嗜好の持ち主とばかり付き合ってきたからだろうか。
最近はネットやTVのニュース、ガソリンスタンドなどに置いてある程度の雑誌は見るし、そこに載っていた情報もそれなりに詳細に記憶してはいるが、相手の興味を探りつつおもしろく楽しく関心を引くように話すことがうまくできない。
そうなると引き出しがないのではなく、話し方などのスキル・テクニック的な問題なのか。
熱く詳しく語れる引き出しもないことはないが、それは所詮趣味に関するマニアックでオタッキーなものだから汎用性が低い。
TPOは選ばねばなるまい。
生きてるのがつらい。
現職は上司と性格が合わない。舌打ちとか怒りとか隠さないし、話は聞いてくれず勝手に解釈されて「こういうことでしょ? 違うの? 違うなら早く言えよ」みたいなことになる。
コミュニケーションをそもそも取りたくない。取るだけ、疲れる。
人は少ないし仕事は多いし、承認得るのにいちいち一番上に貰わなきゃいけない。そもそもだいたい早退するし、一番上に帰られると仕事は途中で止まる。
この人がいるならまだ、って上司がいたけど雷が落ちて突然左遷させられた。一番上にいる人のご機嫌をみんなで伺って、突然落ちる雷に怯えなきゃいけないのも面倒。
で、転職を始めた。休みを取り始めて上司から「新しい仕事探してる訳じゃないよね?」と聞かれてまた嫌な気持ちが生まれた。現職行きたくない。
かといって転職活動を始めたが、自分に合わないところばかり募集出してたことに気づく。面接の際にそれを知ったのが遅すぎて、自分何してるんだろうってなる……。自己分析もろくにしていないまま会社選んで、ってやってると「あー……ここにいると現職より死ぬな……」って思う。履歴書書くのもしんどいし、面倒行くのも、採用のテスト受けるのも疲れた……。なんか、もう転職活動もうまく行ってないし、受かる気もしなくなってきてる。そもそも転職できたところで、現職に残るほうがマシなのかも、とさえ思うときがある。
聞く度???ってなるんだけど
しかも中高生とかならまだしも普通に仕事してる同じ年齢くらいの人が若い世代代表みたいにしてそういうの言ってて本当に凄い嫌なんだけど
もし自分に原因があって相手が怒ってる状態で理性的でいるより感情的になる事が問題解決の妨げであるとか問題解決を優先すべきだって言うのなら、原因である自分こそ理性的であるべきで相手が感情的になってようと関係ないし、というか相手の怒りはむしろ進んで思考材料とすべきだし、原因から筋道辿って自分に何かしら不備があったのなら自戒として改めたりそれを口にするなり何なりすればいいだけの話じゃん
そこでうるさく言われて嫌な気分になったら反省とか出来ないでしょ、ってなるのは自分こそ超感情優先で動いてるじゃんって思う
だって怒られてる内容/論理じゃなくてその声の大きさや怒られてるって事実自体が嫌なわけでしょ
理性では少なくとも何か自分が悪いって事は分かってんのに感情面でそれを否としてるって事なんだから超感情的じゃん理性とは真逆じゃん
自分がやった事への責任やその代償、自分が変わらない事での自分や周囲への影響より感情面優先させて意思決定すんのは普通に超感情的な人間だよ
しかも反省出来ない、って表現ってそういう自分の行動が原因になってこれから起き得る、今起こったのと同じような問題の影響の責任までその相手にあるってそういう言い方なんだよね
あんたがそうやってこっちの気分悪くさせて反省出来なくしたからまた同じ事起きるかもねってそういうの
相手の感情や相手が周囲へ配慮する、影響考えるその気持ち人質に取った一種の脅しだよね
そういうのをそこまで自己分析も言語化も何もしないまま自覚ないまま口にしてる
ていうかそもそも問題解決のための理性的な論理と問題によって影響が及んだ側の感情は対象が人間であるなら引き離すべきものじゃないし、引き離したって大方何の解決にもならないって散々言われてる事だし
実際相手の感情的な面を新たに問題の原因だと定義して自身への影響面で同じ事を繰り返さないようにだとか反省するために一定状態以上の気分の維持が必要なのにって主張してるわけでしょ
感情面の尊重を求めてる時点で問題解決の過程で感情的であるべきでない、って主張は矛盾するよね
その定義の仕方自体、元を辿れば自分が原因であるって部分を無視してて相手が感情的になるのは自身が原因だとしても嫌だけど自分が相手に感情的になるのは別にいいっていう超自己中心的で自分勝手な話だけど
たぶんそれが問題解決における近道だと思ってるから正答だと思ってて、だから矛盾も自分勝手さも関係無いって思ってるんだと思うけど
結局その近道って問題の発生から解決における道筋においての近道で、間にある自身が原因になった事での影響とそれを訴える側からの意見への受容って部分を勝手にすっ飛ばしてて、影響あった側が飛ばすのは分かるけど原因作った側がそれいらないよねホラ近道じゃんって言う傲慢さのやばさたるやって感じだよね
問題起こした人間が怒ってる相手に対して感情の出し方もその範囲も問題の解決方法もこっちで決める、こっちが機嫌損ねるような事言ったら反省なんてしないってそう言ってんだもんやっばいよ
原因に向けた怒りや悲しみの発露って言うなれば相手への訴え、手段としてのその責任への代償を求めるに至った事への倫理的説得性の補強行為なわけで、それがあったら反省できないとか言うの逆に笑っちゃう
感情的になる事が逆に説得力を欠く事になるって意見は分かるし、実際解決方法として用いる分の手段のはずの感情をぶつけるそれ自体目的になっちゃってる人もいて、そこの部分に辟易するのも理解できるんだけどでもそれはあくまで論理に対する説得性に関しての部分で、その原因が引き起こした感情に関して自体とそこへの責任を否定するものではないんだよね
正論だどうこう言ってる人はそこを同じ感情って部分で混同してると思う
教育の場だと感情に対する責任は教師相手のものからは問われない事が多いからその意識をそのまま社会出てまで当て嵌めちゃってるとかなのかな
学校なら授業料払って学ぶ権利を得ていて法的にもまだ人として未熟だとされてる以上、学校側もあるところでそれを職務としてそこで問題を解決する場合に原因となった人間への対応として説得性の部分や当人の理解や反省が優先される方法を取って行くべきって主張はある意味正解ではあるとは思うけど
それが特異な環境である事を理解しないままそういう関係感を社会に出てまで引き摺ってるのだとしたら勘違いも甚だしいなって思う
学校でも生徒間の問題は感情面の責任についてむしろ言及される傾向にあると思うけど基本的にそこで怒られる状況があるなら第三者である教師にって場合がほとんどだからそこを分けて別のものと認識してて自分が問題を起こして影響を及ぼした相手が当事者意識を持って感情面の責任も含ませ自分を責めるって状況自体理解できてないのかもしれない
実際どうかは知らないけど
普通に考えれば解ると思うんだよね
問題があってその原因が自分にあるならそこにはその責任と代償が伴うっていうのは当たり前だし
その原因に対する責任においての再発防止策のひとつが安易だけど自省するって事でしょ
自分がやった事で相手が怒っててその相関性が常識的ならそこで引き起こされた相手の感情面の問題にも少なからず責任は発生するっていうのも普通の事だし
その責任の代償として露にした感情を受ける事を相手側がこちらに求める権利は当然あるし責任に対して受け入れる義務もあるって主張も理解できるじゃん
その原因作ってそういう状況にしたのは自分で、そのせいで相手に発生した権利を認めないって意味わかんないし
別にその権利を行使された結果そこでうるせえわって思うのも大袈裟なんだよって思うのも自由だけど少なくとも感情を出す事を相手が代償としたんならその選択の自由を原因作った側が制限する、制限出来る権利があるって思ってるのはほんと頭おかしいなって思う
説得力を欠くって問題がもしあったとして、それは問題を追求する過程でのやり方の話で問題の影響に対する責任への代償とは別の話なわけだし
そもそも問題の原因とされる事が不服でありその説得性という面で納得が出来ないので責任も無く代償も必要ないって言うなら解るけど、反省すべき事だと自覚がある上で問題解決の方法が気にいらないから責任は取らない、それは責任に対して代償を求められたからって意味わかんないんだよね
その状況で相手が感情的になってる理由を理解せずそれ自体を非難するのって責任の放棄、もしくは責任を認めない、理解してないって表明だし、それじゃ反省する気なんて起きないっていうのは同じく責任を認めない、理解してない、その上それ自体の責任まで相手に押し付けるものって話なわけでしょ
自分が何言ってるかも解ってないのかなって思う
感情的になる事自体に否定的だ自分の感情なんだから原因が別にあっても自分でコントロールすべきってスタンスならそれはそれで理解も出来るけど、でもそれならやっぱり相手が怒ってる事で自分が気分悪くなった責任も自分で追わなきゃ矛盾するじゃん
ていうか問題解決の折に感情的な面を材料として捉えないのは逆に理性的にと言いつつ感情的に主観的に忌む対象を排除しているというだけで全然理性的でも何でもないんだからそういうのは中学高校生ぐらいまでにしといて欲しいって思う
そういう事言う人ってたぶん凄い主観的で共感性低めだから分かんない部分があるのかもしれないけど立場変えて一度どういうもんか想像してみればいいのになって思う
クッソ嫌いな奴のやった事のせいで自分や大好きな人や大好きなキャラが怒ったり泣いたりしててその原因作った本人が何でそんな感情的になんの?声でかいし気分悪いし反省する気もなくなるわって言ってる姿思い浮かべてもその通りだなって思うのかな
映画とかでそんな場面あったら普通にヘイト集めるためのシーンだなって感じだけど
その人が言う通り反省して貰うために気分を損ねちゃいけないから怒るとか泣いて責めるなんてそういう自分達の気持ちは二の次にして気を使ってあげないとって思うの?
泣いてる子に対してこの人の気分を害したお前のせいになるよって?
だったらそれは逆にもういっそ凄いねって思う
自分がやらかした場合の相手が感情的になる選択の権利を勝手にどうこうする根拠には全くならないけど
結局自分が原因にも関わらず相手の感情的な訴えより自分の気分を優先するっていうのはただ自分が相手の事なんて、相手が自分の行動でどうショックを受けたか、傷付いたかなんてどうでもいいってだけで、諭してくれないと、なんてそもそも何かやらかしたのは分かるけど何が問題か理解してない、どう思ったかは言っていいけど感情的に表現するのはやめてくれ、でも自分は嫌だと思って気分悪くしたら態度に表れるし反省できないよ、なぜなら感情的に表現するからってそういう話でしかないと思う
やっぱりただ自己中なだけだよ
自己中なのは自由だし自分の人生だし自分の人間関係だからどうでもいいと思うならそれでいいけど
怒る声苦手だしそういう性格だから悪いの分かってても怒られると良い方には行かないんだよって言うならそういう人もいるからって思うし否定しないけど(それでも責任に対する代償は負えよって思うけど)、その良い方に行かない原因が自分の性格じゃなく相手の人間性にあるって思うのはやばいしその歳でそこを理解できてないのもやばいなって思う
自分が言ってる事もやってる事も普通な事でむしろおかしいのは相手だって思ってる感じが
解ってないのは仕方ないけど解ってない事ぐらい自覚しなよって思う
自分で自分が何でそう思うか解ってないのに相手が問題あるって根拠なく疑いないのってすごい人としてやばいじゃん
相手によって、立場によって変わるような自分の偏った極々感情的な問題を正論だ理性的だみたいに思い込むのはやめた方がいいと思う
ていうかそれをその年代の常識みたいな顔して言うのをやめて欲しい
全然理性とは真逆の反応だし超主観的で自分勝手で傲慢で正論でもないし矛盾しまくってて馬鹿みたいだから
ほんとに
わかる。
自己分析は恐らく正しい。その時ちゃんと戦えなかったからイジメられたし、貫いていたら今よりもいい人生だったに違いない。そのことを後悔しないことは出来ない。今、辛い状態なら、きっとその原因だったりもするだろう。
ただ、上からみたいになるのを承知で言ってしまうけど、過去に戦えなかったという経験と、これからも自分は戦えないし価値を持てないという未来は、別のものだ。イラストレーターにはもうなれないかもしれないけど、子供のころイラストを描いていたのは職を得たいからだったか? トラウマでオタク趣味にハマれないかもしれないけど、子供のころはオタク趣味に嵌らなきゃいけないからハマったのか?
自己分析が正しいなら、糧にできる。次はやりたいようにできるよう、やってみればいい。まだ生きているなら遅いということはない。
もう少し、自己分析したほうが良いと思う。
もう少し上手く世渡りするコツを覚えるべきだ。
何か自分がミスをしようものなら、「噛んじゃった☆」と自分で自分のモノマネをしたりする。
人に変に真似をされて嫌な気持ちになる可能性が1mmでもあるなら、
自分で「失敗しちゃった☆」とさらけだし一緒に笑ったほうが得だ。
そもそも、からかわれるのが嫌いな奴は、基本的にプライドが高いだけで何もできない奴だ。
俺みたいにな。
真面目にやってるのに上手く出来なかった自分。何か変な行動をしてしまった自分。そしてそれを笑われている。
逆に「利用してやれ」と考えられないか?
自分で自分を話のネタにして、一緒に笑う。自分の失敗も笑いのネタに変えれれば最高だ。
誰もが失敗ネタを持ち、それを共感してもらうことで仲間意識を持ったり「面白い奴だな」と思われたりする。
ただのメモです。妥当な場所が思い浮かばなかったのでここに書かせてください。
休日なのにひとりで部屋にいる。
本当は出かけて友人に会うつもりだったけど、体調不良を偽った。
前々からどこに行こうなどと計画をしておいて、わざわざ予定を空けてもらっておいて、このザマである。
そもそもわたしはあまり約束を守るほうではなく、遅刻や突然の予定変更を繰り返しがちである。
わたしをよく知る友人は心得たもので、今日もきっと呆れた顔をしながら、それでも律儀に気遣いのメッセージをくれた。
よくあるやりとりだけど、今日はこの流れが私にひどく無力感を与えた。
たまに自虐的に「わたしは死んだほうがいいのでは?」と考えることはあるけれど、今日の「死んだほうがいいのでは?」は、例えれば大きく暗い穴の縁に向かって歩みを進めるような、現実味を帯びた選択肢となって私の前に現れた。
・吐き気に似た焦燥感、無力感と申し訳なさ、泣きそうな気持ちがないまぜになっている
・普通の呼吸がし辛い、どう呼吸をしていたか思い出せないので、深呼吸というか、ため息を繰り返すような呼吸をしている
・普段は「死にたい」という言葉を冗談として使用できるくらいには実際にそんなことをする気はさらさらないが、今日はあまり書いていると本当に実現しそうであまり書きたくない。
思い当たる節はある。ここ何週間か、長距離の出張が連続し、また、初めて行く場所・初めて会う人たちとのコミュニケーションがあり、ほうぼうからプレッシャーを掛けられ、よく眠れない日々が続いた。
それに、もう一ヶ月にもなるだろうか、毎週末のようにイベント等があり、それはそれで楽しかったけれど、どちらかといえばのんびり過ごすほうが好きな私には負担だったのかもしれない。
この記事の主題。先にも書いたとおり、今日のこの選択肢は普段とは違った。
これまで自殺に対するイメージは、有り体に言えば、なにか問題を抱えた人や、どうにもならなくなった人が仕方なく選ぶ選択肢として選ぶというものだった。
今日の選択肢として出現したこいつは、行動として取りうるだけの魅力があった。
少し落ち着いている今になって思えば、連絡を断って寝続けるとか、ゲームやSNSで気晴らしするとか、お茶を濁す選択肢はいくらでもあるはずで、これまでも自殺を考える人々になぜそうしないのかなどと考えていた。
けれど、そのときの私には他のどんな選択肢よりも「自殺」という選択肢が、それを選ばせる質量のようななにかと共に、確かにあった。
自殺は消極的な選択肢ではなく積極的な選択肢だったのかということがひどく衝撃で、このメモを書いている。
もしも自殺をする人がこんな思いを抱いた上に実行に移しているのなら、もしかして我々には止める手立てはないのではと思う。死にたくて死ぬわけじゃないんだろうと思っていたけれど、違う。本当に死にたくて死んでいるんだ。
ソフト系のお店にはまじで現役のJDがたくさんいる。中にはほんとにふつうの真面目な子や、普通以上に真面目な子もいる。エロい子もいるしそうでもない子もいる。事務的にやることだけやる子もいるし、ほんとに楽しんでいるように感じさせてくれる子もいる。自分は素人なので、後者の方が楽しめるけど、もう少し修行を積めば前者の方が当たりと思えるようになりそう。
お金のためにやってると言う子がほとんどだが、人生経験というか興味本位で試しにやってみてるという子もいる。ときどき本当にかわいい子がいる。びっくりするくらいかわいい子がいる。
JDに当たったら、だいたい何の専攻なのかを聞く。〇〇系だよーみたいにボカす子が多いが、ときどき詳しく教えてくれる子がいる。
この前当たった子(JD4美人)は、すごく真面目に勉強してきたぽいのと、恐らく就活対策で自己分析したりアピール練習積んでたせいか、真面目な堅い話で議論が盛り上がった。最高にエロかった。
まず断っておくと、自分はめちゃくちゃVtuberという存在が嫌いだ。
中身おじさんなのを知りながら男が(同性愛としてではなく)ガチ恋だとかエロいだとかと言っているのを見ると身の毛もよだつ思いだったし、いわゆる普通の生身のYoutuberを小馬鹿にしてたくらいの層の人間が、Vtuberのことは嬉々として喋るようになったのを嫌と言うほど見てもやっとした気分になっていた。
いくつか有名どころの動画を見たことあるけど、結局普通のYoutuberと内容に大きく差があるわけでなし、むしろ内輪感みたいなのがより強いように感じて、中身がないだの信者が気持ち悪いだの生身のYoutuberに浴びせられていた批判は、こっちにも浴びせられてしかるべきなんじゃないかとずっと感じていた。言葉を選ばなければ、結局こいつら絵が付いてないとブヒれなくて、自分がブヒれないのに世間で話題になるコンテンツは無条件で叩くってだけだったんだな―と思ってた。
けど、今はすっかり下火とはいえ、Vtuberはアンチの自分から見ても相当流行りに流行った。評判がよろしくないらしいけどアニメが今やって(もうやってない?まだやってる?)たり、NHKのニュースにまで出るようになっているらしい。テレビで取り上げられたのは近未来感があって面白い試みだから…とかいろいろ理由があるにせよ、オタク趣味持ってる人間でVtuberのこと全く知らないというのは、深夜アニメを一切見ない人種と同じくらい少数派になっているように感じた。
自分は萌え系のコンテンツに積極的にハマりに行くタイプではなかったが、オタク趣味全般はある程度知識の「守備範囲」に入っているというつもりで、自分の気持ちと一致するかは別としてmその辺のジャンルの何が受けているのか、ファンはどういう気持ちでそれを見ているのかをある程度理解できるつもりだった。
だからこそ、ここまで自分にとって受け入れられない、楽しんでるヤツの神経がわからないコンテンツが自分の守備範囲から世の中に肯定的に取り上げられていくというのは個人的に初めての経験で、ハンドル含め名前の出るところでは「詳しくないけど面白そうと思っている」くらいのスタンスを演じつつ、匿名掲示板で死ぬほどくさしたりしていた。(増田には書いてなかった)
ただけっこう過激派アンチだと思う自分でも、Vtuberのみんながみんなを毛嫌いしているわけではなく、どうやら自分の中に「これはまあ許せる」という基準があるようだった。一言でいえば、「自分の知識や技能を発信するときに、生身とか解説動画でやるより多くの人に見てもらえそうだから」という感じでVtuber活動をしている人たちには、あまり嫌悪感がないのだ。○○〇〇学という素人にはちょっと気乗りしたい分野の知識をシリーズ動画で話しているVtuberを知っているが、この人は中身はおそらくおじさん(たぶん学者さん?)で、お嬢様風の萌え萌え女の子アバターを使って活動しているのだけれど、これは自分の勝手な基準の中で「許せる」。
逆に中身とアバターの性別や属性が一致している(若い女の子が中身の人とか、アバターが別にイケメンでもない男だったりとか)としても、自分は大半に対してさぶいぼが出るほどの嫌悪感を抱く。女体化だのおじさんがかわいい女の子の振りをすることだのに抵抗があるわけではないということだ。じゃあ自分はVtuberの何が嫌いなのかというのをこっから吐き出すとともに、「でも、お前らだってそうだったはずじゃん!」と駄々をこねたいというのがこの投稿の主な目的だ。
一言でいうと、つまり自分は、「キャラなりきり」というものをものすごく気持ち悪く感じるのだ。
基本的にVtuberは自作のキャラになりきって、そのキャラを演じて動画を作るから、ここが嫌いではそりゃ大半はどうしようもない。そもそも自分には絶望的に合わないコンテンツだったのだ、と自己分析としてはすんなり納得がいっているのだが、その中でも「許せる/許せない」が出るのはどういうわけか。
これは、「許せる」側の投稿者は、キャラなりきりをあくまで情報発信のための都合がいい手段としてとらえている(ように自分には見える)ということが要因なのだと思う。町おこしのためにゆるキャラが考えられ、中の人が着ぐるみになりきって活動していたとしても全く嫌悪感はないわけで、Vtuberの中でもそちら側のタイプっぽい人は全然許せる、という心情をどうも自分は持っているらしい。
反対に許せないタイプのVtuberは、どこからどう見てもキャラになりきることが目的の人たちだ。別に誰にも迷惑をかけていないのだから自分が許さない道理はないのだが、どんなに友人におすすめされても、こういう人たちは全く好きになれる気がしなかった。なまじ設定が凝っていたりすると余計ダメで、その設定を持ち出して動画の中で一笑い起こそうとしているのを見たりすると、もう半日くらいおなかを壊すくらいにどうしても受け入れられなかった。
この「なりきり」への嫌悪が自分の中で醸成された過程は正直定かではない。ぶっちゃけ、自分が人並外れてこのジャンルへの嫌悪感が強いとは全く考えていなかった。嫌悪感に今まで気づかなかったという意味ではなくて、みんなこれぐらい嫌っている(忌避している)ものだとばかり思っていたのだ。
SNSだのが登場する以前、ネット上のコミュニケーションがBBSやらチャットだった頃、普通に自分のハンドルで雑談するコミュニティのすぐそばに、「なりきりチャット」やら「夢BBS」やらがあるのは目にした覚えがある。なんなら覗いてみたこともあるかもしれない。でも、そこでやっていることが楽しそうだとはどうにも思えなかった。多分、初めてその存在を認識した時から、なんとなくそういう趣味は普通の雑談よりもキモチワルイものだと感じていたのだと思う。
SNSが、とりわけミニブログ系のやつが登場して以降、「キャラクターなりきり垢」みたいなものもたまに目にした覚えがある。テニスの上手い〇部とか不〇とかになりきって会話してるやつ。ああいうのも存在は知っていたが、やっぱり気持ち悪いやつらがやっていることだと認識していた。ジャニーズの夢メール画像だとかと同じジャンルのものとして。テーマに沿った、あるいは沿っていない雑談をする中でも、かなりヤバい奴が集まっているテーマというか、あまり直視したくない「ネットの闇」の方のコンテンツだと思っていた。
ましてや、オリキャラのそれなんて、もっと見たくないものというか、あけっぴろげに言えば思いっきり見下していたジャンルだった。
そもそも素人がオリキャラ作ってそれをみんなに見せて…という行動自体、メアリースーだの、オリジナルSSだので割と見下されることの多い趣味だったように思う。その上、それ自体も怖いコンテンツであるキャラなりきり。このような趣味は、もうネットの恥部と恥部の重なりの部分、見下す云々以前にどんな奴がやってるんだかむしろ怖いもの見たさで知りたいくらいの闇ではなかったか。
そして正直なところ、自分のここまでの認識がそこまで一般ライトオタクとずれていたというつもりはない。Vtuber流行以前なら、キャラなりきりに対するスタンスを聞いてみれば、結構な人が(程度の差はあれ)同じような答えだったのではないかと思う。
ぶっちゃけ、オリキャラ作って他人に見せて…のほうは、「その中でも認められて素人でなくなった人はいる」という所を指摘されるとどうにも反論できない。が、そういう風に羽ばたいていった人たちに備わっていた力量みたいなものが今流行っているVtuberにあるとは思えない。そもそもそういう人たちの創作は内輪ネタみたいなものと無縁な気がする。反論しきれていないというのは重々承知だが、「なりきりではあるがオリキャラだからVtuberは流行れた」ということにはならないのではないかと思う。
というかぶっちゃけ、「オリキャラなりきり動画投稿者」と呼んだ時、ほとんどの人は何かおぞましい、自分が上で言っているようなネットの闇っぽいものを連想しないだろうか?以前似たようなアンケートを匿名の場でとったことがあるが、大体のオタクはこれをVtuberのことだとは思わず、ゆっくりで茶番劇をやるようなのだとか、一人で必死に声色を使い分けてヴォイスドラマを録ってるようなヤバいの(そんなのがあるらしい)だとかを連想していた。
でもVtuberって要するに「オリキャラなりきり動画投稿者」だよね?これ以上の要素も特に含まず、過剰に誇張している部分も特にないと思う。意味を端的に表そうとすれば相違なくこうなるのではないだろうか。
だからこそ、自分にはなぜこのおぞましいジャンルが流行し、多くのオタクに受け入れられたのかが分からない。たとえ最盛期のVtuberファンの半分が「みんなが見てるから」でファンになったのだとしても、もう半分はこのネットの闇を好意的に捉えたということになる。一体それはどうしてなのだろうか。
Vtuber好きが集まるところでこんなことを言えば荒らし扱いで無視されるだろうし、同じアンチ同士で話しても「最初は工作でそれに流された奴がファンになった」だの「あいつらはシコれればなんでもいいだけだから」だのいまいちピリッとした答えをもらえないでいる。
多分自分の認識のどこかにずれがあるからこうなったのだと思う。それがどこなのか、誰かに教えてほしいのだ。
追伸
反応を見て、だいたい「Vtuberはオリキャラなりきり的なコンテンツではなくて、単に中身本人の人格のままアバターを被せただけのものである」や、「TRPGやPBWのように、素人のオリキャラなりきり自体言うほど忌避されるものではない」というあたりが自分の勘違いだったのかなと感じている。
前者の方はかなり納得していて、要するに自分の「許せる」基準に合わせて言えば、Youtuberとして自分自身を発信していきたい人間が、生身の自分よりも多くの人に親しみを持ってもらいやすいと考えてアバターを使ったということなのだろうと思った。アンチの中にはこういう捉え方をした上で「○○とか○○は単なるYoutuberワナビーが売れるためにアバター被ってるだけじゃん」みたいな嫌い方をする人もいるかもしれないが、自分自身としてはそうであってもいいんじゃないかと感じるし、ファンになれるかは別として、こういう方針で活動をしている人なら別にサブイボが出るほど嫌いにはならないと感じている。
後者の方は確かにオリキャラなりきり系コンテンツの中でもまあまあ高尚(というか多少カッコが付くくらいの意味)な趣味もあったなあ、と感じたのだけれど、TRPGやらPBWはあくまで本人が楽しいコンテンツであって、誰かが作ったオリキャラの情報発信をファンが楽しむ、みたいな構図はあまりなかったように思う。人生で数回やったことがある程度の知識しかないので、この辺の認識違いがあればまた指摘してもらいたい。
VNIに関しては、正直自分の頭からVtuberと同ジャンルのものだというイメージが全然抜けていて、指摘されて自分でびっくりした。構図的にはかなりそっくりなものなのに、なんで抜けていたのだろう。(これ自体広く受け入れられたかというか、ネットの闇扱いされていなかったかはこの際考えないでおく。)
多分、VNIはあくまで受け手側の気持ちとして見ていたので、「オリキャラなりきり」と自分は捉えていなかったのではないかと思う。Vtuberは、ネット上の知り合いが何人もなっていったりして、中身の人間、つまり発信する側が自分の視野の中に入っていたせいで、そういうものとして見ることになったのかもしれない。
流行った理由の考察としては、もともとゲーム実況が好きになる素養のあった人が、可愛い女の子のアバターに惹かれて見に行ってファンになったというのがとても自分でしっくりきた。というか以前から何となくそういう推測は自分の中にもぼんやりあった気がするのだけれど、「それでもあのオリキャラなりきりっていうコンテンツへの拒否感が普通は勝たないか!?」と考えてそれを流行った理由として捉えられていなかったのだと思う。その拒否感の方が自分の勘違いだったと分かってしまえば、すんなりと腑に落ちる。
自分としては、今挙げたような内容が自分の勘違いのせいで認識のずれが生じ、世間で受け入れられたものを自分は許せない、という状況が生まれたということである程度納得している。だからと言ってたぶん好きにはなれない(これは完全に個人的な好みとして嫌いなタイプの文化が界隈にあるから)のだけれど、多くの人に受け入れられて流行った理由も、ファンの心理もとりあえずは理解できたように感じている。
もしこれらの他にも自分の認識の違いがあったり、あるいはまったく的外れなことを言っていたりするようならば、また指摘してもらいたいと思う。よろしくおねがいします。