はてなキーワード: 自己分析とは
ぜんぜんゲーマーじゃないから選び方がよくわからん。でも決してゲームはきらいじゃないし寝食忘れて熱中したゲームもいくつもある。話題のゲームをちょこちょこやって当たりをひいたりハズレを引いたりしている。スイッチ、プレステ4、Steam(Mac)、iPhoneのゲームならできるよ。最近当たりをまったく引けなくて辛いので、下のリスト見て俺にあったゲームを推薦してもらえませんか。
これらはぜんぶ寝る時間削ってやった。なんか他にも大事なゲームを忘れている気がする。思い出したら付け足すかも。
細かく書いてくと切りがないので一般に人気のあるやつに絞る。
基本的にすぐ課金とか言ってくるゲームは萎える。えーっと、なに?なんかアップグレードにジェム要るの?んでジェムはコインで買えるんだ。ふーん(この辺でもう最初っからコインでUGさせろよとイライラしはじめる)。んで、100コイン300円ですーとか言われるとそっ閉じ。
あと最初に我慢を強いられるゲームも嫌い。これはたぶん俺がおっさんになったからだと思う。さっさと面白さを体験させてほしい。ちょっと我慢すれば絶対面白くなるから!っていうのを信じて進めるほどの情熱がないのかなぁ。それはそれで損してると思うけどそう思っちゃうんだからしょうがない。
最近のアプリのチュートリアルも大嫌い。「ここをタップ!(なんで?コレなんのボタン?)」「ここをタップしてアップグレードしましょう(なに?するとなんかいいことあるの?)」「ここへドラッグ!(俺は今何をしてるんだ)」「おめでとう!勝利です!(いや置いてけぼりなんですけど・・・)」「今度はあなた一人でやってみまs(ホームボタンポチー)」みたいな感じ。これは上にも書いたが俺自身に最近のゲームの前提知識が不足してるせいもあるのかもしれない。2度めで恐縮だが、俺に理解できる難解さはフィールドランナーまでかもしれない。あのゲームはチュートリアルがいっさいないが、超基本的なところからステージがスタートするのでそもそもチュートリアルが不要。やってくうちにシステムを簡単に理解できる仕組みになっている。すべてを理解する前の段階でもゲームの楽しさは十分味わえる。
このような感じです。こんな俺でも楽しめるゲーム、みんな、どしどし応募してくれよな!待ってるぜ!よろしくお願いいたします。
「女にはどうせ本物のエンタメなんてわからない。劇場でキャーキャー若手を甘やかす女がお笑いを腐らせた」
そう言った彼は、芸人の家に知らない人間が忍び込む企画の無断転載をリツイートしていた。劇場は女ばかりだから実際に行ったことはないそうだ。
「最近はアニメの女の子の絵が市役所のポスターに描かれててねぇ。公共の場に貼るには品がないと思うのよ」
地元のおばさんは世間話ついでに昼ドラを勧めてくる。こじれた人間関係と、お気に入りの俳優のセクシーシーンを昼間から見られる所が楽しいのだと言う。
彼らは自分の発言と行動に違和感はないのだろう。むしろ精神状態はすこぶる良好だ。自己を省みないということは、精神衛生上の最適解と言ってもいい。
しかしたとえ自分が苦しくなるとしても、ある程度の客観的な自己分析は必要だと思う。気付かぬうちに、自分が棚上げばかりの醜悪な存在になりたくないのなら。
私はそういった教訓を胸にTwitterを開いた。タイムラインでは流行の女性向けコンテンツのファン同士が言い争っていた。
『最近の女性向け界隈、二次創作のハードルが低くなったのもあるけど民度ヤバない???個人サイト時代はみんなネットマナー読んでたし、そもそもネットできる層が限られてたから民度も』
私はそこまで書き、少し考えて下書きを削除した。
キャラクターを使った二次創作に対してモヤモヤしているので、自己分析をしてみる……。
どういうところにモヤモヤするのか。
キャラクターを、自分の想像通りに動かそうとする気持ちそのものに対してだろうか。
確かにこのキャラはそういうこと言いそうだし、こういうことしそうだな、という「らしさ」のエッセンスを適宜抽出し、それを用いて自分好みの物語の登場人物として改造し、人形ごっこをする。それに罪悪感を感じる。
また、人形ごっこをキャラクター本人が見たときの気持ちを想像して、悲しくなったり恥ずかしさを感じたりする。
それはキャラ本人に見られたとき「妄想の道具に自分が使われている」と衝撃を受けるところを想像をして感じる申し訳なさだったり、「この人は自分を使ってこんなことをする人なんだ、自分はこういう風に動くとこの人は"解釈"しているんだな」とキャラクター本人がこちら側を見てくるときのことを想像した恥ずかしさだったりする。
とはいえ同時に、そういう人形ごっこ・二次創作を楽しいと感じる自分もいる。
どういうところを楽しいと感じるのか。
それは多分、自分の期待する物語の登場人物として、キャラクターが期待通りに動いてくれたらとても嬉しい・気持ちいいと感じるからだと思う。
自分の都合通りに動いてくれるような、期待に基づく予想を立てる。そしてその予想が叶うと嬉しい。
期待が達成される瞬間のカタルシス。スポーツ観戦をしているとき、応援しているチームの勝利を望むような。お笑い芸人のボケに、ツッコミが入ることを望むような。
擬似的・代理的だったとしても、キャラクターが期待通りに動いているのを見た瞬間得られるカタルシスがあるように思う。
それを欲するのはすごく根源的で人間臭い自然な欲求な気がする。
カタルシスを得る道具としてキャラクターを扱うことへの残酷性・罪悪感を感じる一方、自分(や、人々)の求める様々なカタルシスの性質や方向性がわかるのは、面白くもある。
とにかく自分はすごく残酷なことをしているんだという感覚と、でもそれは捨てたり焼き切ったりできる欲求じゃないということはわかる……。
高三春に学校に通えなくなり、うつの診察を受け、それから通院しつつ休養。先生に単位のアドバイスを受けつつ、午後からとか6時間目だけとか出席しながらなんとか卒業できて、卒業後浪人してた。って言っても相変わらず自律神経がいかれていて朝は起きれないし、躁のけがあって学習計画もかなりめちゃくちゃなひどいものだった(例えばある日は「旧帝大なら絶対いける!」という気になりすごい勢いで机に向かうのだけど、次の日には「そんなの無理に決まってる」と布団で一日過ごしたりしてた)。結局、周りからみたらこの一年をニートのように過ごしていた。ひどいもんだよ。昼に起きて、何したか覚えていないまま夜になって、寝る。それの繰り返し。死にてー。
今も大学病院に通っていて、なるべく1日の活動時間を増やせるよう睡眠のリズムをずっと調整している。僕はこの一年をあくまで休養の一年と捉えるけれど(だからもう一年勉強のために欲しい!とあらぬ欲をおこしてしまう)、僕をとりまく世界がそうも長い時間穏やかに待ってくれないのも事実であると感じてる。なんだかんだで学歴は欲しい。けれど今年はダメだった。じゃあ来年は?来年はちゃんと勉強できるの?と頭でぐるぐる考える。僕はまだ19歳で成功経験も乏しく、それでいてうつ患者であるから、はっきりと「来年は元気になって、ここら辺の大学を狙える」と断言できない。うつになってからずっと自己分析をずっとずっと続けてきたけど、あるところで「でも自分信用できないな」という結論にたどり着き、その時は目の前が真っ暗になった。躁うつはこう言った点でもすごく厄介な病だと思う。
いやー。何してたかな一年。ほんと何もしてない。センター前日くらい何かするだろうと思ってたけど漢文のテキスト開いただけだった。やだなー。一年、つらかったなー。手帳とかiOSのメモに思考の足跡が残っているけど、それを見るとものすごく悩んだ、悪く言えば悩んだだけの一年だったみたい。つらかった。両親とうまくいかなかったな。人間として色々おかしい面がある。対話ができなかった、悲しい。家を出たい。でも一人暮らしをしたら生活リズム的に退学コースだろうと簡単に想像できる。つらい。
ニートみたいな生活だったけど、ニートみたいな生活の中で人間的に成長できた面も多くある。いろんな観照や諦念が得られた。それらはこれからの人生においてきっとかけがえのないものになるであろうと予想する。二浪するかは知らないけれど、まあとりあえず明日のセンターは頑張って行こうじゃないかという気でいる。
話の微妙な重たさゆえに長らく友人にも親にも話せなくて今までずっと溜め込んでいたけれど、夢野幻太郎というキャラクターを自己解釈する作業で苦しくなってきたのでようやく吐き出す決意をした。
おそらくこの日記を開いた人であれば夢野幻太郎というキャラクターについての説明は不要だと思うので割愛するし、お前の冗長な自分語りに付き合ってられないという人に対して要点だけ述べると「昔、父方の従妹二人を亡くしているので「とある青年」がまだ生きている夢野幻太郎が羨ましい」というものである。
まず一人目の従妹の話。彼女は私の一つ年下の従妹だった。年が近いこともあり、正月やお盆の親戚の集まりがあるたびによく遊んでいた。
彼女の家族は隣の市に住んでいたので正月とお盆以外で頻繁に会うことはできなかったがそれでも会える日はめいいっぱい遊んだと思う。
しかし理不尽なことに、ある日(正確な年数が思い出せないことも自責の念に駆られる)彼女は入院した。
自分はその時は小学校高学年であり、祖父も既に他界しているので人の死についても経験はしていた。
ただ、人の死について体験はしていても理不尽な体験も、理不尽な出来事が起こるという想像もできなかった。
一応、従妹の手術は成功した。
退院後、一度我が家に泊りに来たことがあったので、一緒にお風呂に入った時に気遣いのできない自分は病気についてあれこれ聞いてしまった。
今でもその時の答えづらそうな表情を覚えているし、どうして不快になることを聞いてしまったのか、今でもひたすら彼女に謝りたい。
再入院して、それからいつもの様に学校へ行こうと支度をし始めた朝に両親から彼女が亡くなったことを告げられた。
意味が分からなかった。だって手術は成功したはずではなかったのか。
葬儀に参列して、棺に入った彼女の顔をまともに見ることはできなかった。
葬儀中はずっと神様に彼女が生き返るようお願いをした。泣きながらお願いをしてもその願いは叶うことなく、この時に神様なんていないという事をぼんやりと理解した。
正直、彼女の死について未だに受け入れられないでいる。
何度も何度ももし彼女が生きていたら自分はどう成長していたのだろうか、と考えるしどうして死ぬのは自分の方ではなかったのかとも思う時もあった。
彼女が亡くなってから正月とお盆の親戚の集まりが苦痛でしかなかった。
無神経な大人たちは自分の目の前で「もしあの子が生きていれば…」という話を繰り返すし、叔母にいたっては自分の娘でなく私が死ぬべきだったと密かに呪っているのかもしれないという恐怖もあった。
しかし田舎であることや父が長男であること、母に対して良い感情を抱いていないこともあって親戚の集まりに行きたくない、と言い出せなかった。
そうやって粛々と毎年居場所のない親戚の集まりに参加していた。
例の親戚の集まりでよく遊んでもらった記憶はあまりないが、可愛がってもらったと思う。
そのお姉さんを亡くしたのは中学二年の時だった。ただ、病気であった事や容態が芳しくないという話をあまり聞かなかったように思える。
お姉さんは結婚をしたばかりで、葬儀には旦那さんも参列していた。
火葬場へ出棺する際に、棺に取りすがって大声で泣いている姿を鮮明に記憶している。
さて、二人目の従妹を亡くした事で自分にある恐怖が芽生えた。
もしかしたら自分も将来大きな病気で長生きできないのではないか、と。
もちろんこの事は誰にも話せなかったし相談もできなかった。
多分この時から「将来」を考える事が出来なくなったのだと思う。
しかし、社会に出て就職するまでの学生の間は常に進路という将来を考えなければならなかった。
どうせ長生きできないのだ、と強く思い込んでいた事と親に意見する事が面倒だったこともあり高校も大学も進路決定は非常に適当であった。
自分の中で20歳まで生きられないと思っていたので20歳を迎えてしまったことに絶望してしまった。
そうしてこの絶望も誰かに話すことなく更に時は流れ就職活動の時期に差し掛かる。
就職活動に関して過去の自分を振り返る自己分析という作業があるが、今の今まで人生投げやりに過ごしてきた人間に中身などなく、その事実にまた絶望した。
故人の為に頑張れるほど立派な人間ではないし、そういった自分の矮小さが嫌いで仕方がなかった。
一年ほどニートになったが何やかんやで就職をすることができた。
大学を卒業して、社会人になってからほんの少しだけ、意外と自分は長生きできるのかもしれないと思い出した。
また自由に使えるお金を得たことでオタク活動に磨きがかかり、色々と思考を逸らすこともできるようになった。
ただ相変わらず何十年先という将来を考えようとしても「人は死ぬときは死ぬ」とブレーキがかかってしまうし、このブレーキについてはそれこそ死ぬまで付き合わないといけないだろうな、と思っている。
ここまできてようやく夢野幻太郎(以下、幻太郎)のお話ができる。いや、上記の体験から言えば正確には寂雷先生の『迷宮壁』がピッタリなのだが、幻太郎の方が共感できた。
幻太郎の『シナリオライアー』をそのままで受け止めた時に、幻太郎は「とある青年」の元に何度も通ったと言っている。
まさにその点が羨ましいのだ。
一人目の従妹が入院している間自分は一度も彼女の病室を訪れなかった。
病院が隣県だった、というのもあるが両親に頼み込んででもお見舞いに行くべきだったと後悔している。
天寿を全うした人であれば生前の話に花が咲くが、そうでない場合は故人に対してやってしまったこと、やってあげたかったことへの後悔しか残らない。
誰にも赦しを請えないし、救われるということもないと思う。
そんな自分の今までの体験もあって、幻太郎が羨ましいし幻太郎のこれからの人生が幸せであってほしい、自分と同じ苦しみを抱えないでほしいと強く願う。
私は大学受験に失敗した。第一志望校に受からなかったとかそんなことではない。受けた大学全て、そう、全落ちしたのだ。
話は高3の4月からになる。同い年の友人が急死した。他の共通の友人は皆悲しんでいる様子だった(当然だ)が、私はその時ひどく冷静でいた。友人たちに対し適度に元気付けるように行動したり、死んだ彼女の分精一杯努力して生きようと意気込んでいた。今思い返せば自分は無意識に空元気の状態だったのかもしれない。
そんな前向きな状態は長続きしなかった。夏休み明けから登校拒否になった。原因は分からないが、自己分析すると高校受験の時からの溜まり溜まったストレスが、友人の死をきっかけに爆発したのではないかと思う。それに部活での人間関係、受験への不安etc、私の高校生活はかなりストレスフルだったと今改めて思い返す。母親に泣きつかれ父親に蹴られても学校には行けなかった。早期の時点で大学受験は諦め、とにかく卒業を目指すことになった。なんとか出席日数ギリギリで高校を卒業することができた。
卒業後、私は学習塾に通い(予備校ではない、この時点でやる気のなさが伺える)大学を目指すことになった。周りに流されるままに。そう、私は一浪の末全落ちしたのだ。理由は簡単、全く努力をしていなかったのだ。4月5月は毎日ドラクエ7をやっていた。ドラクエを全クリすると今度はひたすらネット動画を観ていた。誰も叱る者はいなかった。親も塾講師も腫れ物に触るように私を扱った。志望校はたった2校だった。どっちも私立だったのでセンター試験すら受けなかった。当時私は大学に行きたい気ではあまりなかった。どうせ行っても上手くいかず中退する未来しか見えなかったからだ。私は幼稚園の頃からずっとしくじり続けた。対人面でも勉強面でも。だからまた失敗するんだという固定観念に縛られていた。結果は一方は即不合格、もう一方は補欠候補に入った後不合格。当然の結果である。
そして今年の4月からはバイトを始めた。週4、5回4.5時間〜7時間働いている。だが仕事中色々思い詰めてしまって集中できない。何を考えているのかというと、何故頑張れなかったのか、底辺でも大学に入っていた方が良かったのではないか、もっと早くストレスへの対策を出来たのではないのか、人生この先どうなるのか、などということだ。それから10月から通信制大学をはじめたがもう溜まっている。子供の時から何も変わってない。進〇ゼミや〇会や公〇、全部溜めて辞めていった。無駄にした親の金は一体いくらなのだろうか。
世の中の悩める人たち、安心したまえ。私よりクズな人間はいない。自信を持ってくれ。それしか私に出来ることはない。今日も私は全人類の引き立て役をする。
まとまりのない文です
今、四月から研究らしき事をしているのですが、やっとマニュアルを作って装置の使い方を覚えて来た所です
元々ADHD 的な所があり、四月の頃は装置を壊したりして注意され続けていました。そのため少しは成長したと思います。しかし、周りは半年で進捗を生んでるのに自分は半年で器具の使い方を学んだだけで何してんだろとも思います
就活も自己分析やをしたり企業に調べてます。以前は学部が鉄鋼系だったので、鉄鋼系ばかり見てました。しかし、最近は考えを変え将来性がありそうなセラミックスや半導体機器メーカーを見たりしてます。
この友人はとにかくなめられる。何か目標に向かって行動してることを周囲に知られると徹底的にバカにされて妨害を受けるようなキャラだ。
だから東大志望だとバレたときはまあ周りがキツかったらしい。卒業まで全員が自分の失敗を願ってるような感じだったとかで。
「おめえみたいな奴に受かるわけないだろ」
「高い目標持ってることがもうムカつく。惨めな人生過ごす義務がある。だからヤラれ続けてろよ」
こんなふうに茶々入れられるなんて当たり前だったらしい。
ちなみにこの友人は黙ってても嫌われるタイプだ。悪事を働いたりデリカシーに欠いた天然発言をするわけではない。とにかく遠慮がちで大人しくてなめられやすいというだけだ。ちなみに顔は相当ひどい。
それでもこいつは東大現役合格したんだけど周りは全く悔しがることも彼を認めることもなかったそうだ。
まず、東大を落ちて家を飛び出し地方就職に逃げた、というデマが広まったらしい。
予備校の合格体験記が出てからいよいよ彼が受かったことを認めざるを得なくなったら今度はみんな「東大なんて目指せば誰でも受かる程度だったんだなあ」。
「結局、絶対に上手くいってほしくないと周りから願われる才能を持って俺は生まれてしまったってことなのかも。もし俺が億万長者や篤志家だったとしても周りはバカにし続けるはず」
こう打ちひしがれる彼を見て
「うるせえカスだなあ。てめえは周りからボロ雑巾扱いされてることに哀れにも気づけずに恥を晒し続ける天然系底辺でいろや。なに被害を自覚してやがるクソブサイク。死ね」
と内心でイライラ罵倒し始めて、彼の心をとにかく傷つけたいという衝動に駆られている自分に気づき、俺は本当に驚いた。
彼は嫌われる天才なのかもしれない。
自分がこの東大の友達にイラつくとき、どのような心の動きをしているのか自己分析してみた。
これだった。
涙が流れると、自分が感情的にいっぱいいっぱいなんだな、ということが分かるので、自分自身とても助かっている。
そんな自分はいつか人前で突然泣いてしまうのではないか、と心配するが、不思議と人前だといつものように振る舞えてしまう。
逆に決壊するときは本当に予想がつかないくらい急なのではないか、とぼんやり考える。
涙は止まった。
自分がここ数年、うまく環境に適応できていない自覚はずっとあった。
目の前の業務は一見こなしているが、数年単位の仕事は全く手がつけられず、そのことを誰にも相談できずにいた。
どうしてそうなってしまっているのか、という自己分析もある程度できている。
想像力の乏しさ 質的な乏しさというよりは、量の問題なのかも知れない。想像はできるが、想像した未来のイメージが今の自分を動かす動力になりにくい。
衝動性 目の前の課題にとびつき、表面上はこなしてしまう。長期的な課題が先送りされていることを更に実感しにくくなり、周囲にも機能していると見られてしまう。
不注意 家庭内の雑務が気になり、時間を割いてしまう。本当にするべきは妻と適切に雑務を分業するべきだと分かっている。
コミュニケーションの苦手さ 想像力の乏しさにも通じるのだが、相手の思考を想像はできるが、確信の度合いが低かったり、ブレが大きかったり、量的な問題がある。相手の反応を想像すると相談のハードルが高くなり、一人で悩んでしまう。
そして、自分は他の人よりも周囲の環境で自身の行動が律されるところが大きい。
「やらないといけない」「自分がそうしたい」「その行動が求められている」といったものではなく、
「自分の能力内で行える」「習慣化していて余り考えずに行える」「行動に分かりやすい結果が伴い、フィードバックのループがかかりやすい」といった環境が課題の遂行に大きな役割を果たす。
「やらないといけない」という理解はできているだけに、行動がスムーズに行えないことで抱えるストレスも大きいかも知れない。
ただただ、自分を思うように動かしたいのだ。
そして、数年単位の仕事がもう完遂できない時期であることを - 乏しい想像力でも分かるくらいに - ようやく認識した。
そのことで更に精神的に追い込まれ、もはや今の自分がどれくらい機能しているのか、自分のアセスメントもおぼつかなくなってきた。
明日の朝、上司にメールを送って、仕事が全く進んでいない状況、自分がうまく機能していない状況を報告する。
もっと早く相談していれば、と思いはするが、どこが転換点だったのか自分でも分からない。
一見穏やかに回っていた日常生活を、いつもの生活を壊してしまうボタンを自らが押す。
それは苦しいけど、これまでずっと苦しんできた自分がいたことを知らせたくて、そして、昨日の自分が明日の自分を後押ししてくれるように、祈りながら。
何それ?と思って調べた。
要は月に1回自分と向き合うことらしい。
夢や目標を再確認したり、資産の見直しとかをしてもokらしい。
へー、と思って、すぐにスケジュール帳に「棚卸し」の予定を書き込んだ。
ということで、8月11日土曜日。今日が最初の自分棚卸しの日。
資産とか言える規模感じゃないので見直しなんていちいちする必要ない。アプリで残高推移確認して終わり。
どうしよう。卸すものがない。とりあえず、7月にあった出来事を順に振り返ってみる。
・身内が脱水症状を起こし、救急車を呼んだ。自分がパニックになってしまった。今は笑い話。
・アニメ「恋は雨上がりのように」を全話一気見して3話以降ずっと泣いてた。
・1年ぶりに会う友人たちと話したら楽しすぎた。
・楽しすぎた反動で、家に帰って気分が沈んでいた。
・兄が結婚するという報告を聞いた。
<良かったこと>
人と会って話すと元気がでる。
<反省>
1人の趣味が充実しなかった。
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コンコン 入ります!
私はハテナー=アノニー=増田と申します。33歳の公務員で現在は日本の人工があまり多くない都市で公務員をしています。
私がプログラマーを志望したのは、今やっている仕事が死ぬほどつまらないのと、職場がそこそこブラックだからです。
プログラマーとしての経験はほとんど皆無ですが、高校・大学時代に簡単なゲームぐらいなら作ったことがあります。
簡単なゲームはあまりに簡単すぎるのでネットで配布などはしておりません。
また、大学の専攻が電子工学だったので、選択応用科目としてコンピューターの基礎的な知識を学んだ経験もあります。
趣味はインターネットで、休日の大部分は一日中e-スポーツの試合を観戦しています。
これは、私が他人と関わるのが苦手でチームプレイの対戦ゲームを遊ぶことに強いストレスを感じるからです。
プログラマーになれば、今の職場でやっている公共事業に関する管理業務と比べて不特定多数の他人と関わることが少なくなるのではないかという期待もあります。
それでは失礼致します。
うっわ……文章化してみると「こんな奴絶対取らねえ」って一発で分かるな。
せめてWEBサービスの一つぐらい作り終えてから門を叩けよ……お前もうすぐアラフォーなんやぞ……つうか管理業務嫌だからスペシャリスト的なアレになりたいですじゃねえよ……お前の年齢で管理業務一切やりたくねえとかマジでスペシャリストになるしかねえのに経験値ほぼ0じゃ本当にどうしようもねえって……
万が一面接が変な方向に行ってまどマギの考察とかで趣味が一致した所で、上司に「コイツにウチの社食を食わせてやりたいんですが!」なんて言いに行けねえよ……。
アウトだアウト。
つうか趣味でプログラム書けねえ奴がプログラマー志望とか笑わせんな。
そろそろ死ぬか!