はてなキーワード: 突然変異とは
お前が突然変異として扱われたのは身に覚えがあるだろう、地方に金をかけるコストと有能な人材の期待値が吊り合わないんだよ。
遺伝的に優れた個体が東京で同じような個体と何代も交配してきたんだ。たまにお前みたいな東京に来た変異体を入れたりしながらな。
俺は東京の大卒夫婦の家に生まれて適当に遊び暮らしながら育って早慶上智の下位学部を出た。確かに有名予備校のテキストは良い代物だ。俺は先輩のお下がりで受講はしてなかったけど、校内テストで下から2番目のバカを偏差値60まで押し上げるには充分な武器だった。
学費が格安だったからかお前みたいな奴はわんさかいたよ。でも誰一人として地方の教育発展を推進する方向になんか進まなかった。みんな当時の流行りの浮ついた業界に行って東京で結婚もせず未だに浮ついてる。何というか、あいつらには文化的素養と志がないんだ。
この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。
私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。
私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。
そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。
家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段はテレビと新聞と学校の図書室だけだった。町には本屋もなかった。
私は決して学校の勉強から遅れることはなかった。地元の中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまりに偏差値が違いすぎたため、バスや電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。
あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidのポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領のアカウントをフォローした時には、テレビや新聞の世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。
同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強をしたことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間で本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書を立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォンに参考書を自分で朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。
その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学に限定した。仕送りも必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビでしか見れないものだった。運良く私の家はBSを契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画はテレビやYoutubeの予告編でしか見れないものだった。アカデミー賞やカンヌを取るような映画は大抵東京で最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市に限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷のミニシアターでヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生に優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。
私はどうにか大学受験をして東京のとある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。
初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供のときに見ていた日曜日昼の番組で中吊り大賞などというのがあって週刊誌の記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。ときに週刊誌の卑猥なコピーが小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京で最初に印象に残ったことだ。
私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルはインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。
そこである東大と慶応の学生たちと出会ったことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場の従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事や三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井は遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業を渡り歩いているらしかった。全員都内に実家があった。
私は、自分と彼らの家庭環境のあまりの格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族の仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校や大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンドで仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。
他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中学高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校のカリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験の勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校のテキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかりやすく説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。
私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大の過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちから囲まれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語の勉強のために夏休みにカナダに語学留学をさせて、ネイティブな発音などを身に着けさせていた。私は英語の勉強が好きだったが、流暢な発音は馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3でダウンロードした英語のスピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれた環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。
私は自分の人生を激しく呪うことになる。生まれた場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学は別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。
私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。
私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴を武器にこの後は一流企業に就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京や大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間はそもそもいらないのだと。だから勉強する環境も手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。
私が大学を卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣が大学試験について「地方の学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府の本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ。地方は土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである。高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。
また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネットと地方で使うインターネットはまるで別物である。インターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCのプログラミングというものの存在を私の田舎で認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供はプログラミング教室などに通って小さいころからそういうものの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報の存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態でインターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場の人間の発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供に奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親から生まれた子供だけである。田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。
私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎ものを必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語の勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。
とにかく必死だった。帰る場所も必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金で奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金を自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去と日本が課した呪縛から逃れられていない。
こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かに読まれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定のいいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。
追記1
めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。
高校には社長の息子とか医者がゴロゴロいたでしょって話について。
同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子はもっと都会の私立の学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方は公立の方がレベルが高いので。
同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。
友達は床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。
でもみんなよく勉強してました。
同級生は殆どは地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebookで検索したときにインターネット系の大手で働いている人はいました。
追記2
追記を書きました。
両手のカマを振り上げて、前後に体を揺らしていた。
すると、おもむろに片側1車線の車道にゆらゆらと飛び込んでいったのだ。
「なんで?」と思った。カマキリに道路を横断するメリットはないからだ。この県道を渡り切ったとしても、その先はコンビニの駐車場であり、緑は一切ない。なのにどうして?
ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んだばかりだった。こんなに阿呆な子の遺伝子が生き残っているとは思えなかった。突然変異というやつかな?
……カマキリが片側の1車線を渡り切った。残るは反対車線だ。頑張れ!
軽自動車のココアに、20tトラックに、プリウスに、フォルクスワーゲンに、野良犬に、ビッグスクーターに、なんかもう色々と車が通り過ぎる度に、カマキリの体が風に揺られていた。
頑張れ。あともうちょっと。残りは4分の1。
「危ない、轢かれる!」
と思っても、大乗仏教なことが多かった。目の錯覚というやつで、轢かれる!と思っても、カマキリの頭を掠めるほどで済んでいる。そういうものなんだと思って、自転車に跨ったまま、ずっとその子を見ていた。
白い軽自動車がカマキリに迫っていた。尻尾の真後ろを通過すると思った軽自動車のタイヤは、私が思い描いたとおりの軌跡を描いていた。
カマキリの真後ろをサッと通り抜けると思ったら、プジャアッ‼ という鈍い音とともに――ヤツは弾け飛んだ。轢かれるコースだった。
こんなに音がするんだと思った。カマキリが自動車に潰されても音はしないものだと思っていた。大きい音だった。
にゅるにゅると、カマキリのお腹の辺りで何かが蠢いている。黒い色で、びよびよとうねりながらアスファルトの上にいた。
生きてるヤツは初めて見た。かの有名なハリガネムシだった。実物はかなり長い。15cmはある。
悲しげな動きでハリガネムシはのたうっていた。たぶん、もう死ぬだろう。路上を移動する能力はないし、そのうち車が通ってぺしゃんこになるんだろう。
離れたくはないが、見ていたくもない。T-BOLANの歌詞を思い出した。多分違う。自転車を漕ぎ始めた。
家に帰ってググった。
ハリガネムシがカマキリに寄生すると、宿主の認識回路を変えるらしい。光を好むようになる。
自然が豊かなところで寄生されたカマキリは、水面のきらきらとした反射に飛び込んで自殺する。すると、お腹の中から、本来は水棲であるハリガネムシが出てきて水の世界に帰るのでした。めでたしめでたし。
そういえば、車両の反射板って太陽光でも輝くのだろうか? だとしたら、寄生を受けたカマキリの行動にも説明がつく。
今日も炭水化物をたくさん食べたな、太ったら嫌だなと考えていた時、閃いた。
私の家はお米を作っている。毎年、干からびた水田を耕して、用水路から水を入れて、農協から苗床を買って、トラクターに苗を乗せて田んぼに植えて、水を入れたり抜いたりを繰り返して、時期が来たら収穫して、トースで引いて、30kgぐらいの袋に詰めて出荷する。
収穫された稲は全滅ということになるけど、世の中には収穫されない稲も一部あって、次世代の苗として育てられる。人類が生き残ってる限り、お米がこの世から消えることはない。
お米は、育てられて食べられてを繰り返すことになるけど、種が絶える可能性は低い。人類滅亡後に種が絶える可能性はあるけど、まだ千年は大丈夫だ。
炭水化物はおいしい。白米や玄米は大抵のおかずに合うし、乾麺には脂ぎったスープの味がよく染み込むし、ケーキは病みつきになる甘さだし、お陰で人類は生存が有利に働いている。
カマキリみたいに一方的に利用されてるんじゃなくて、むしろ人類が利用している側なんじゃ? だって、どれだけ炭水化物を食べても直接的に死ぬわけじゃないし。
自分でも何が言いたいのかわからなくなってきたので、この辺りで終わりにする。学生の戯言を読んでくれてありがとう。イトメンのチャンポンめんは是非おススメしたい。
https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/10/01/222627
まあ書かれているイライラポイントにはほとんど納得するんだけれども、
ドラえもんが「科学的には正しい部分を提供する」漫画だったことなんて全然なくて
タイムパラドックスめちゃくちゃ起こすし
イヌの国は作るし
科学的にやっちゃいけないこといっぱいやってるんだけど、
ドラえもん(をはじめとする藤子Fまんが)の素晴らしいところは
宇宙のスケールや分子のスケールを六畳間に持ってくるところだと思う。
それは、登場するのが魔法じゃなくて未来の道具(キテレツなら過去の発明)
だからというのもあるだろうけど、単に現実にないものをポンと出すんじゃなくて
現実世界の科学法則を少し変えたらどうなる?日常にどんな変化が起きる?という感じで
その舞台に乗っかったら、主にのび太やジャイアンが調子に乗って舞台をめちゃくちゃにして
そういう意味では、「科学的には正しい部分を提供する」どころか
「科学的な正しさをぶっ壊す」のがドラえもんの面白さであって、
「恐竜が進化して空を飛んで現在の鳥になった」のような「ただの正しい科学」は
ドラえもんのお話の1ページ目、出木杉くんがしゃべって終わる程度のネタでしかないはずで
それを映画ドラえもんのストーリーの根幹に持ってきちゃう企画自体が
もう致命的にズレていたんじゃなかろうか。
ちなみに書かれている通りだとするとキューは生まれたときから普通には飛べず
羽ばたきをしようとしていたという点で突然変異した種のようだから
「努力で羽ばたきを獲得した」ように受け取るのは作劇手法に騙されてるように思う。
あと「今までのドラえもんでは、そういうラスボスっていうのはいなくって」ってのも違くて、
ドラえもんの、特に映画原作には、ドラえもんの道具が創り出す日常が非日常になる舞台に
わかりやすい悪党が出てきてわかりやすく倒されるわかりやすい勧善懲悪ストーリーがあって
最後にその舞台と、出会った友だちにお別れをして日常に戻るというのがドラえもん映画のお約束で
だから本来今回のお話なら、ケツァルコアトルスは時空犯罪者か恐竜ハンターに操られていて
そいつらをぶっ倒して気持ちよく現代に帰るはずだと思うんだけども、
それじゃ「のび太の恐竜」と同じやんけっていうのとは別で
ドラえもんの、というか昭和時代の創作物を現代で作るときに難しいのが
ドストレートな勧善懲悪が作りにくくなってしまったという点で、
悪人にも悪人なりの矜持とかバックグラウンドみたいなものが要求されてしまって
なんか敵対してくる怪異のような、現象のような扱いにされてしまったんじゃないかな。
いやまあ映画見てないんだけど。
わかってるようならなによりだよ
増田が言っている通り、増田でよくみられるのはルッキズムではない、単なるコンプレックスで片付けられるものでしかない(ひどい状態なら精神病に分類されるので病院へ行こう)
なお、1点修正しとくと、突然金髪碧眼が生まれたりはするんだなぁ。これが。何度も書いてるけど
日本でもたまに日本人的特徴を持たない子どもや色素の子どもが生まれているよ。同級生にもいた
ただ色素が薄くても流石に碧眼では無かったけどね。日本人で金髪碧眼であればさすがにこんな感じでニュースになると思う
■白人を祖先に持たない黒人カップルにアルビノではない金髪碧眼の赤ちゃん
https://www.legit.ng/1090594-black-couple-birth-a-white-baby.html
ナイジェリア出身の黒人家庭に青い目をした金髪の赤ちゃんが到着した奇跡に、
両親も科学者も困惑している。生まれたばかりの白い(肌の)赤ちゃんは白人ではない。
両親は白人の先祖を持っていない。どのような遺伝子の突然変異が起こって、
黒い肌の両親に青い目の白い赤ちゃんを与えているのでしょうか?
遺伝子の運に頼らずとも、その因子を持つパートナーを積極的に選ぶはありそう
話題分けたやつは今書いてる
今のところ三つくらいの「第二波」があるようで一応整理しておきたい。
3.中国から日本に持ち込まれたウイルスを第一波、欧米からの帰国者が持ち込んだ第二波とするもの
1は私から見ると「第一波の取りこぼし」だと思うのだが、「第二波」と呼んでいる人が目にとまる。
はてなブックマークのブコメや身近なところでちょくちょく見たり聞いたりする。
これは、緊急事態宣言後かなり抑えこめたことで、次回に起きる再流行を第二波と呼ぼうと考えているのだと思う。
2は、スペイン風邪やSARSの記録から、大規模な流行が数ヶ月~年単位であとに来るものを第二波と呼んでいるのだと思われる。
経験的に、一度流行が収まったあとに二回目の流行が起きるものであるため、二回目の流行を第二波と呼んでいるのだろう。
3は、リンクを貼る。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/basic-science/467-genome/9586-genome-2020-1.html
リンク先にあるとおり、昨年末くらいから中国より入ってきたものを第一波、欧米を経由して帰国者が広げたものを第二波と呼んでいる。
私がこれを書き始めた経緯としては「1を第二波と呼んでいるやつが多すぎる!2が第二波だろう。
一度収まった後に突然変異が起きたウイルスが広がってくるから第二波になるのだ」と思って調べてみたのだが、
別地域や別種の動物に感染していってそこでウイルスが変異した結果がまた戻ってくるのを繰り返して、
「日本にとっては第三波、米国にとっては第二波」みたいなのができていって、
最終的にあとから振り返って初めて「あれが第二波だったか」と分かる性質のもののようである。
コミュニケーションコストが増えるのは残念だが、「第二波」という言葉を聞いたら自分で文脈を推測するか聞き直す必要があるようだ。
猫コロナの薬であるレムデシビルが認可されたのはその一つだ。猫コロナはストレスで突然変異を起こし、腹膜炎を発症するが、その治療薬がレムデシビルだ。
つまり、既に日本でも数百万人は居るヒトコロナキャリアの人達の発症を抑えるためには、ストレスを減らすこと。
ストレスを減らすためには、多様性を排除しないとならない。多様性はストレスの元凶だからだ。多様性はみんなが少しずつストレスを抱えることで成り立っている。
ヒトコロナに感染しない方法は事実上ない。唯一あるとすれば飼い猫同等のステイホームを日本国民全員がやることだが、無理である。
なぜこの芸風が現代にきちんと受け継がれていないのか疑問だ。
モデルによっては、「ナチュラルな表情がたいしてかわいくないから取り澄ました表情に徹している」という消極的な選択もあるのだろう。
また、「表情の豊かさ」に対する誤った解釈から突然変異的に誕生した天木じゅんの百面相も、あれはあれでまあ面白いんだけど、見ていて心が自然と安らぐようなものではない。
なんだろう。2010年代のグラビアDVDはモデルの身体的スペックを重視しすぎと言うか、「個の魅力」をあまり重視していない感じがする。
たしかにお人形さんとして見れば、星名美津紀や奈月セナといった現代のモデルの「完成度」はとても高い。
だがそこには、田代さやかがそのDVDで終始放散しているような人間臭さ、いわばぬくもり、といったものがあるかというと、希薄だと言わざるを得ない。
田代さやかには、「飲み会で酔っ払うとキス魔に変貌するバイト先のちょっとかわいい先輩」みたいな距離の近さ、リアルさがある。
そういう意味で、田代さやかのおっぱいは、気持ちの上では「まかり間違えばうっかり揉めてしまうかもしれないおっぱい」なのである。
星名美津紀や奈月セナ、青山ひかるらのそれは「こんなおっぱいが揉めたらいいなあ、でも一生揉めないんだろうなあ」というあこがれのおっぱいであり、田代さやかの胸とは本質的に立ち位置が異なる。もちろん田代さやかのおっぱいも一生揉めないんだけれども。そして俺はどっちのおっぱいも大好きなんだよ。
コロナ禍に伴う外出自粛で持て余した時間を有益に費やそうと、学生時代ぶりに読書をしようと思い至る。
以前からゲームに時間を奪われてばかりだが、「良質な人生」やら「スキルアップ」やらのため読書をすべきと思ってはいた。
そうした気分と、今回のコロナ禍という状況を鑑みて、前々から気になっていたジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を読むことにした。
学生時代に同著者の「世界史」を読もうとしてギブアップした苦い記憶があり、今回はしっかりと読み込みたいと思っていたので、こうして読んだあとのことをアウトプットしておきたいと思った。
しかし、数多の名だたる知性人たちが読み漁り語り尽くされた名著を、今更に教養のない者がまとめても誰も得しないので、ただ個人的に気になったところをいくつか己の言葉にする程度にとどめておきたい。
今回は、特に気になった「病原菌」がどのように世界において役割を果たしていたのかという所である。
「病原菌」とは他の生き物の構造に感染し、伝播することによって己を増殖し存在を拡散していくものと大雑把に理解した。
時に細菌は突然変異によってその性質を変えることがある。ネコにだけ感染する菌が、ネコからヒトへ感染するようになり、さらにヒトからヒトへ、という具合である。
しかし、この問題は前提に「異種」が接触する範囲に存在し、更に突然変異を発生させるだけの試行回数を重ねる環境を要する。
世界では、先んじて家畜と共に暮らす人びとが家畜からの細菌と接触し、そして(結果的に)その耐性を得て、遺伝子に刻み込んでいった。
逆に、家畜を持たず生きてきた人びとは、こうした機会を得ることはなかった。それだけの理由で、家畜を持った人びとと比べて、免疫という力において圧倒的に不利になる。
その「家畜化の条件」から「栽培可能な植物」、果ては「大陸の形」に至るまで様々な要件を読み解き、現在の世界情勢に至る起源を多面的に語り尽くそうとしたのが本書だった。
私は「人やイベントの名前を覚えるのが致命的に苦手」で、歴史という学問にあまり興味が沸かない。
それでも、今に至る歴史の流れの中に、ただ条件が悪かったと言うだけで死んでいった者たちで溢れていると思うと、今生きている私が明日を迎えるかどうかすら約束されてはいないという事実に思い当たり、陰鬱とまでは行かなくとも、逃れがたい何かに流されているような、言いようのない浮遊感を覚えてしまう。
今後はわからない
https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200421-00174514/