はてなキーワード: 法事とは
私がこの日記で言いたいのは
「パートのおばさんの謎縛りによる菓子送り合いで困っている」ということ
なんか知らんけど元増田がこうすればいいだけだとイチャモンつけてくるのは何?
法事もオバサンどものつながりもそんな単純に切り捨てられるものじゃないんだよ
だから皆で困ってんだよ
家族も困ってる
法事用のお茶菓子がなくなった時は買ってきた私よりも祖母や父が困ってた
ちなみに私の話ではなく、私の伯母さんの職場の話だ。
悪習でうちの家族もまるっと困っているので、状況整理がてらここにブン投げておく。
パート仲間も全員いい年したオバサン達で構成されており、会社員の愚痴を言い合いながら仕事をしているらしい。
(まあ別にこれはどうでもいい)
昼は弁当が支給されるらしいのだが、必ず毎日オバサンたちのうち誰かが『お菓子』を持ってこないといけない。
暗黙の了解で『適度なタイミング』で各々がお菓子を持ってくることになっている。
起源は過去に在籍していたパートのオバサンたちによって作られた。
よほど仲が良かったのか…。
お菓子を送り合う習慣が、当時のメンバーがいなくなった今でも受け継がれている。
休憩時に甘いものを持ち寄って、ほっと一息つきたいのもわかる。
「必ずローテーションで毎日誰かが送らないといけない」ということと
「誰かが既に持ってきたことのあるお菓子はダメ」ということだ。
もうこれは伯母さんの問題なので伯母さんで解決してほしいところだが、
若い感性が欲しいのか、わざわざ私をスーパーやショッピングモールに連れ出して選ばせる。
「私パッションフルーツ系の味がダメなの。」と堂々宣言された例もあるらしく、
必ず2つ買い、まず自宅で味見をしてから渡すかどうか決める。(ここで落ちて振り出しに戻る場合もある)
スーパーなどでめぼしいものがなければ、モールのお高めなお菓子を買ったり
それでもダメなら有名店のお菓子を買ったりするので出費がかさむかさむ。
「1つ食べたらこの前買ってきたお菓子より美味しかったから…」という理由でパート全員分ごっそり持っていかれ
来客に出すお茶菓子がなくなってしまったことも片手では数えきれない。
「もうテキトーにカルディの輸入菓子でも持っていけば?被らないだろうし」と言うと
「でも美味しいかどうかが重要で…嫌いなものがあるパートさんもいるわけだし…」と味見味見味見。
完全に何かに取り憑かれている…。というかパンチって何だ。何を求めてるんだ。
元々気にしすぎる性格の伯母さんだが、こうなるともう誰も止められない。
まず伯母さんに言いたい。味覚は皆同じではない。
自分が美味しいと思っても、相手も美味しいと思うかなんてわからない。
悪習がパート全体に染み付いてしまってもうやめられないのなら、適当な菓子を渡していなすくらいでいいだろ。
パートのオバサンどもも、他人の持ってきた菓子に文句をつけるのはやめてくれ。
気にしすぎる性格の人間はどこまでも配慮して結果がんじがらめになる。
好みじゃない菓子の1つや2つ送られてもその場では礼をして、帰宅したら自分の息子や娘にでもあげてくれ。
「あ…またお菓子買ってこなくちゃ…」と言い出すと家族の雰囲気がちょっとピリつく。
「もうやめなさいよ!」
子どものころから漬け物が苦手で、カレーに添えられた福神漬けはもちろん、その色素で赤く染まったごはんさえも食べたくないと駄々をこねる子どもだった。コマーシャルで「きゅうりのキューちゃん」とか「しば漬け食べたい」とか聞くたびにおぞましい気持ちになった。ハンバーガーのピクルスはいつも抜いてもらった。出されたおにぎりの具が梅干しと判明したならおなかがいっぱいだとウソをついた。
現代社会になるにつれて漬け物は消えていくかと思いきや世の中はひどいもので、高菜チャーハンだの豚キムチだのキムチ鍋だのが流行りの食べものとして出てきた。注文したことも食べたこともない。幕の内弁当にはいつもご丁寧に漬け物が添えられる。いつも残してきた。昼飯をぼーっとして食べていて、弁当のデザートにパイナップルが付いてる!と喜んで食べたらたくあんだったことがある。人前だから吐き出すわけにもいかず間違えた自分を呪った。
何がイヤって酸っぱいのが嫌いなのだ。酢のにおいが大嫌いで、寿司屋のそばを通るときだってこっそり鼻を抑えているくらいだ。理科の実験で酢酸を扱ったときなんかは本当に最悪だった。CH3COOHは憎しみとともに覚えている。酸味が嫌い、酸っぱいにおいも嫌い。そんな感じで30数年生きてきた。
その私が、最近、もしかしたら変われるのかもと思いはじめた。きっかけは奈良漬けを食べたことにある。普段の法事で出されても手を付けずにきたのだが、去年は法事そのものがなくなって、代わりに奈良漬けが送られてきたのだ。いらねー!と思ったが捨てるわけにもいかないとも思って、粕をぬぐったその切れ端をおそるおそる食べてみた。意外なことに食べられた。酸っぱくないからなのかはわからないが、初めて漬け物をすすんで食べたのは良い経験になった。
それから周りに酸っぱくない漬け物を教えてもらうようになった。全然酸っぱくないと勧められた中にはかなり酸味の強いのがあったりして、他人の味覚を信じきることはできないなと思いながらも少しずつ食べるようになってきた。それで今、もうちょっと酸っぱいのにチャレンジしてみてもいいのかもしれないと思っている。今興味があるのはキムチなのだが、はたしてこれはちょっと酸っぱいのカテゴリなのかわからないでいる。最終目標は酢で締めた魚を食べられるようになることだが、これは無理だろうと思っている。
地方の実家には帰ってないし、来ないでくれと言われてる。父親の葬儀も欠席した。
隣県の義実家にも行ってない。義父の法事も同居の家族のみでやったそう。
子供の学校がクラスターになって、仕事や地域の人にいろいろ言われたよ。あそこの学校の子が来るなら塾には行かせませんとか、(子供が感染してないとはいえ)どうして自費であなた自身がすぐにPCR検査を受けに行かないのとか。子供に向かって「人殺し」と言った人もいた。子供は家から出れず無気力で、私も仕事を辞めさせられると思った。
去年の夏も盆に帰らないつもりと書いて、バカじゃないって言われたんだよな。
なんだ、みんな出かけてるんだな。
福音派って日本のキリスト教におけるシェア的にはどうなん?少数派じゃない?
おそらくそれ以外のプロテスタント系が、カトリック系と比べて「ゆるい」てのは紛れもない事実だと、オレの体験的には思ってるよねw
20年ぐらい前だけど、結婚しようと思って、いわゆる「式」も「披露宴」もやらないでシンプルに婚姻届と友人知人等にハガキ出すだけにしようとしたけど、親が頑なに「式」をやれ!って言い張るので、キリスト教の教会でやることになったんだよね。
で、カトリック系だと、ちゃんとした信者じゃないとダメとか、事前にキッチリ研修みたいなの受けないとダメとかウルサかったw
プロテスタント系の教会は、そんなこと全然言わずに受け入れてくれて、事前に一回打ち合わせに行っただけで、無事結婚式を挙げられたんだよなー。
まぁ、20年以上たって、最近は変わってきてる可能性もあるかもしらんが、プロテスタントが分かれて500年くらいってことを考慮すると、可能性は微粒子レベルかw
なんでもかんでも、巷に流布する宗教的な行事シキタリなどを、教義や意味など深く考えることなく、無意識に取り入れるよw
神社に詣でるし、お墓に線香立てるし、法事で坊さんのお話もありがたく聞くし、クリスマスやバレンタインにご馳走食べるし、ラマダンか〜ダイエットしよかな〜くらい考えたりするよw
はてな匿名ダイアリーというものの存在自体は割と昔から知っていたが、
時たま読むことはあれど書き手としては縁がないものだと思っていた。
ふと急に、今日一日考え事をしていてどうしてもどこかに書いておきたくなった。誰かに話したいのかも知れない。
文章を書くことは苦手で、ここ特有のルール(そんなものがあるのかすら知らないけど)もわからないので、
色々と不備があるかも知れないけれど、おぼろげな記憶をたどりながら思いのままに書いてみようと思う。
30年前、私は子供だった。
近所に1つ下の幼馴染が住んでいて、その家には正月や盆など毎年数回ずつ兵庫から九州へ親戚が里帰りに来ていた。
母親とその子どもたち3人。長男(以下、A太)と妹2人(B子、C美)という構成だ。
A太は私よりいくつか年上で、B子は1つ下、C美はさらに2つ下だったと思う。
歳が近いこともあり、こちらへ帰省してくる度によく一緒に遊んでいて、幼馴染も含めて全員とても仲がよかった。
こちらにいる間、その3人は知り合いが私たちしかいないのもあってとにかく同じ時間をともに過ごした。
鬼ごっこをしたり、缶蹴りやドロケイをしたり、おしゃべりをしたり、
とにかく何をしても楽しくて今思い返してみても幸せな時間だった。
数年間、そうやって過ごしていくうちにB子を好きになっていった。
もしかしたら年に数回しか会えない環境がそうさせたのかも知れない。
愛だ恋だなんてわかる歳ではなかったが、今振り返ればあれが私の初恋だった。
26年前の正月、いつものように帰省してきた3人と遊んでいるうちに、原因は思い出せないがA太と喧嘩になった。
喧嘩と言っても「お前の母ちゃんでべそ」的な稚拙な言い合いだったが、
A太の味方をしはじめたB子とC美にも矛先を向けた。
初めは稚拙な言い合いだった喧嘩が段々とエスカレートし言葉も荒くなっていった。
何を言ったのかほとんど覚えていないが、別れ際に吐き捨てるように
「○ねばいい」「お前ら○んだらみんな地獄行き」と言ったのだけははっきりと覚えている。
1995年1月17日、その日は私の親類の葬儀で前の日から福岡にいた。
こちらだけの風習なのか知らないけれど、私の親を含む大人たちは交替でロウソクの番をしていたり朝食の準備をしていたらしい。
私はぐっすりと眠っていたが、その大人たちの声で目が覚めた。
ぼんやりとしか覚えていないが「揺れた」というワードが聞こえたことは覚えている。そのまままたすぐ眠りに落ちたけれど。
朝になってテレビを見て映し出される光景に愕然とした。B子たちが住む街だった。
あの当時、今となっては考えられないことだけど死亡者の名前の羅列がテレビで流されていた。
それももしかしたら記憶違いかも知れない。(あるいは新聞?誰かによって何らかの方法でもたらされた情報?わからない)
だけどその羅列の中にB子たち3人とその母親の名前を見つけて震えた記憶がある。どうやら祖母の名もあったらしいが私は知らない。
要するに世帯全員だめだったということだ。
当時死というものへの認識は既に持っていたが、その時は混乱していたのかうまく理解ができなかった。
何もわからずただただとんでもないことが起きたことだけは、自分の体が震えたことで理解できた。
痛かっただろうな、怖かっただろうな、苦しかっただろうな。まず浮かんできたのはそういうものだった。
「大切な人をなくした」とか「愛するあの子をうしなった」とかそういう感情ではなかったが、
ただもう会えないことと最後に言ったあの言葉だけが月日を追うごとに重くなっていった。
最後に会ったとき、最後に言った言葉、やり直せない時間に悔いても悔やみきれない。
子供ながらに言ったこととは言え、なんてひどいことを言ったのだろうと。
あんなに仲良く遊んでいたのに、どうしてよりによってあれが最後なのだと怒りすら沸いた。
あの震災で起きた出来事で、トラウマというほどでもないが、人との別れ際がすごく怖くなった。
大切な人ならなおさら、そうでない人相手にも「さよなら」という言葉がどうしても言えない。
どれだけ喧嘩しても必ず別れ際には仲直りをしたい。仲直りができないままには電話も切ることができない。
「さよなら」という言葉の代わりに必ず「またね」というようになった。
私が高校生ぐらいになった頃から毎年1月17日に、よく一緒に遊んだあの公園へに花をそえに行っている。
本当はお墓に行くべきなのだけれど、さすがに兵庫まで行くわけにもいかないのと、行ったところであてもないので場所がわからない。
その場所に老人向けのグループホームが立ってからも、施設の人に事情を説明してお参りを続けていた。
月日流れて数年前の1月、私が生まれる前から散り散りになっていたという私の父のいとこが興信所やら何やらの調査を経て愛知から訪ねてきた。
数十年ぶりの再会とのことだ。長い長い思い出話の後にお墓参りがしたいということで、近くのお寺の納骨堂へ一緒に行くことになった。
納骨堂へ着いて一通りお参りしたあと、何気なしに周りの仏壇に目をやって驚いた。
目の前の仏壇にB子たちの名前と戒名が書かれた札が下がっていたのだ。
(法事が近くなった頃に「もうすぐ法事ですよ」ということでお札を貼られるお寺だった)
その納骨堂へは毎年お盆にしか来ていなかったからそれまでの約20年間気づけなかった。(ご先祖さまごめんなさい)
色んなことが重なり合わさって知ることができた事実だった。
まさか私の先祖と同じフロアに眠っているとは考えつきもしなかった。
こんなに近くにいたとは。毎年目の前を素通りしていたなんて。
それからは毎年1月にその納骨堂へお参りに行っている。(もちろんご先祖さまにも手を合わせている)
今日も花を添えてきた。お参りが済んだ別れ際に言うのはもちろん「またね」
まさかこうやって会うことができるようになるなんて、と今でも不思議に思うし、直接祈りを捧げられることに
誰へかはわからないが、何へかはわからないが、色んなことにとても感謝している。
人との別れ際、トラウマとしてじゃなく、これからもやっぱり大事にしていきたいと思う。
おわり。
これ、宗教やコロナの問題じゃなくて田舎の親戚付き合いの問題だと思った
普通の流れだと、お通夜の前段階や亡くなる前に親戚に連絡して色々相談したりする
その時点でリモート葬式が明らかに許されない感じの反応を食らうので実現までいかない
(お通夜の前に法事とかやってもらってるお寺さんに連絡した時点でも多分わかる)
もっと前に、普段からその田舎の空気がわかってる場合、リモート葬式やりたいけど絶対反発されるだろうな…と言い出す前に挫折したりする
そういうのがなかった時点で恐らくもともと親戚とは疎遠で、リモート葬式やったからというよりも
もともと親戚関係は微妙だったと思われるのであまり気にしなくていいと思う
親戚と密な付き合いがあっても色々大変なだけなので…
コロナがどうとかじゃなくて田舎ではどんな事情があっても法事や葬儀などの行事は普通にやらないと、そして行かないととんでもない反発を食らう
(年末年始田舎の親戚の集まりでクラスター発生した件も恐らく年末年始の親戚の集まりを中止にできなかったからかと)
ちなみに田舎でのコロナ対応葬儀として実現可能な案はそもそもあるのか?についてだけど難しい
高齢者が一番亡くなりやすいけど、普通に葬儀やって呑んで喋って盛り上がりたいのは高齢者層なのでもう仕方がない
マスクなしの会食がまずいけど、恐らく会食前に喪主がどう気遣って言っても生意気扱いされるだろうし許されない空気になる
比較的角の立たない方法として、事前に葬儀会社やお寺さんに相談して
静かに食事できるよう言ってもらうのは可能かもしれないけど、それでも確実に静かにできずマスク外したまま呑んで喋ると思う…
そんな田舎の親戚づきあい、マイルド絶縁してもらえてむしろよかったのでは…
(そうじゃないと今後の法事や葬儀もずっと思い通りにはいかないので)
日経ビジネス:「感動チョーク工場」に学ぶ仕事の幸福感を増やす方法
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00037/
日本理科工業は84人のうち実に7割超の62人を障害者が占める。チョークのトップメーカー
「知的障害者の平均寿命は短い。一生を終える前に一度だけでも働く体験をさせてやりたい」。そんな養護学校教師の訴えを聞き、大山泰弘会長が2人の障害者を期間限定で雇ったのがきっかけだ。
「最初は断ったが、あまりに熱心な先生で、2週間程度の就業体験ならと引き受けた。初めは、同情心となりゆきからだった」と大山会長は正直に振り返っている。
ところが、2人は始業の1時間前には会社の玄関に来て、仕事が始まれば絶対に手を休めない。どうしたらこんなに一生懸命になれるのかと思うほど、これ以上ない幸せなそうな顔で働く。
そんな2人の存在は、2週間が過ぎる頃には会社の空気を変えていた。
「彼らを雇ってほしい。あの子たちにできないことがあるなら私たちがみんなでカバーします」と従業員一同が申し出たのだ。以来、体制を整備し、同じような障害者を少しずつ雇うようになったという。
ただ、大山会長もその後を継いだ大山社長も、一つ分からないことがあった。「障害を持つ社員は、工場で汗水たらして働くより、施設でのんびり暮らした方が幸せなのではないか」
この疑問が解けたのは、大山会長が出席した禅寺での法事でのことだ。先の疑問を投げかけたところ、住職はこう答えたという。
「人間の究極の幸せは、『①愛されること、②褒められること、③役立つこと、④必要にされること』。施設や家庭でできるのは①だけで、②や③や④は働くことでしか得られない」
昨日発表された、東京の子育て世代が普通の生活を送るのにいくら必要になるのか?について、
メディアのやや雑な取り上げ方や分かりにくい記載によって様々な誤解が生まれていたため、元のPDFで書かれている内容を所感も交えながら解説する
元のPDF:http://www.chihyo.jp/oshirase/data/shiryo-kisya.pdf
生活に必要な費目を積み上げることによって最低生計費を算出している(マーケット・バスケット方式)
なお、生活実態調査と持物に関する調査についてはアンケートベースの部分もある
明確な記載はないが、アンケートや会議によって「健康で文化的な最低限度の生活」を決めている
住居費は「最低最低居住面積水準」、食費は必要な栄養を満たす最低限にするなど、かなり慎ましい生活を想定されているように見受けられる
月々の支出で計算されているので、よく言われる「手取りで月54万」は間違い
また、税金や保険料の算出前提となる夫の賃金は以下で想定されているため、不足分は妻や子の収入、あるいは手当や奨学金で賄う想定と見受けられる
以降は各費目について記載する
世帯モデルに対応する年齢層と性別ごとの必要栄養素から、食品群別の必要量を試算し
家計調査2018に基づく食品の消費単価を掛けることで食料費を算出している
外食も別途考慮されている。夫は月に10日コンビニ弁当、子供は給食や学食を利用、月に1〜2回の飲み会やママ友会ランチなど
余談だが、飲み会は枝豆、刺身盛り合わせ、鶏から揚げ、おでん、ビール3杯だったり、ママ友ランチは毎回ハンバーグステーキセットだったり、なかなかの侘しさである
上述の会議でも盛り上がったんじゃなかろうか
国土交通省の「住生活基本計画(全国計画)」による「最低居住面積水準」に基づいて面積を決定している
以上から、30代世帯は42.5㎡、40代世帯は47.5㎡、50代世帯は50㎡とされている
家賃はインターネットのサイトで築34年以下の物件を調査し、下から3割を目安としている
築34年としたのは耐震基準が1981年に導入されたことを考慮しているとのこと
総務省「平成26(2014)年全国消費実態調査」と「東京都消費者物価指数」を元に算定
品目別に、月価格 = 価格 × 消費量 ÷ 使用年数 ÷ 12 で計算する
品目は、持物調査に基づいて、原則7割以上の保有率のものを「最低限必要な必需品」と定義して、費目ごとに積み上げて算定
価格は、持物調査における主な購入先である「大手スーパー・量販店」で実施。売られてなければネット通販等も調査
礼服や背広などは「人前に出て恥をかかないように」最多・標準価格を採用し、その他は最低価格を用いて試算されている
消費量は、原則として少ない方から数えて合計3割の人が保有する数を基準としている
使用年数は、「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」や「クリーニング事故賠償基準」の平均使用年数をベースとする
生活実態調査(アンケート)に基づく平均額としている。また、体重計や救急箱などの「保険医療用品」はこちらに加算している
持物調査では自家用車の所有率は10割超であったが、アンケートでは生活の必需品との回答が5割未満のため、公共交通機関によって通勤・通学としている
レジャーにおける交通費は後述の教養娯楽サービスに含まれている
通信費は総務省「平成26(2014)年全国消費実態調査」と「東京都消費者物価指数」を考慮して算定
文部科学省「平成30(2018)年度子供の学習費調査」に基づいて、原則として支出率が7割以上の費目を算定
一応さらに費目は細分化されているが、細かい内訳が不明のため概算とのこと
大学については日本学生支援機構「平成30年度学生生活調査」、文部科学省「平成30年度私立大学入学者に係る初年度学生納付金について」に基づき算定
教育娯楽耐久財、教養娯楽用品、供養用娯楽サービス、NHK受信料、インターネット接続料を計上
日帰り行楽は教養娯楽サービスに含まれるが、生活実態調査と会議でざっくり出している
理美容、傘などの身の回り品、冠婚葬祭などの交際費、こづかいを計上
結婚式と葬式・法事は年に1回、お中元やお歳暮は送らない。誕生日やクリスマスの費用は会議で決定。盛り上がりそう
小遣いは夫婦月6000円、大学生月6000円、高校生月5000円、中学生月2500円、小学生月1000円、幼稚園児月500円
この辺の費目はやや適当さを感じるので、「こんなのもあるよね」的な話をうまいことまとめたのだろう
夫の賃金は上述のとおりの想定で、夫以外の家族構成員は扶養家族として計算されている
謎に「個々人の多様性を考慮したもの」として消費支出の1割を計上されている
エネルギー消費量は身長や体重によって違うし、心身の健康状態や障害の有無による違いもあるためとのこと
まぁ色々意見が出たんだろう
所感として、食費や住居費は最低限のもの、物品も保有率7割以上のもので算出しているなど、かなり慎ましい生活を想定しているように見受けられた
予備費で若干割増されているような気がしたり、本当に倹約するなら家電などの所持品は耐用年数を超えて使用したりする気はしないでもないが、
内容としてはそれなりに妥当なのではないだろうか
詳細はぜひ原文をあたっていただきたい
18歳で、顔だけはいいバツイチの19歳の男に嫁ぎ、4人の子どもを設けた。夫婦仲は良くなくて、とても良くなかった。
唯一家庭を維持できたのは、そんな3人を見ていた三男のみ。
私は長女の娘で、長女もその夫も等しくクソで、私の家庭にはいつも暴言と暴力があった。でもそれが当たり前の環境だったから、おかしいと思ったこともなかった。
骨がずれるくらい殴られても、包丁で刺されそうになっても、4時間ずっとヒステリックに怒鳴られ続けても、それが当たり前だと思っていた。
ただ私は縁あって外に出て、そのときに姉に「もう二度と戻ってきてはいけないよ。ここは地獄だからね。お前はそこで幸せになりなさい。もうここのことは忘れなさい」と言われ、出てきた。
あれからもう20年近くが経つ。祖母の余命がもう1か月ほどしかないといわれた。
私は祖母に聞きたかった。あなたの人生はなんだったのだろうと。夫に裏切られ、子どもたちは幸せとは言い難く、夫と子供を自殺で亡くし、孫も子どもも寄り付かない。
子どもの頃に泊まりに行くたびに、無関心に背中を向けてテレビを見ていた姿を、しかし姉と連れて行ってもらった喫茶店で食べたチョコバナナパフェを、法事で会ったときに「(30年前に)お前がおいしいといっていた大根の煮物を、今度持たせてあげるからね」と言っていた姿を思い出す。
もう祖母は、孫の顔も名前もわからないと言っていた。だから私の問いに答えることはできない。
だけど祖母に聞きたかった。故郷を捨てた私から、地獄の渦中で生きることしかできなかった祖母に聞きたかった。あなたの90年近い人生は、幸せだったのですかと。
腹が減らないのではない。何ならいつも減っている。
偏食なのではない。嫌いな食べ物はない。
小食なのでもない。並の女性より少し多く食べられる方だと思う。量が多くなりがちな旅館の夕食や法事の食事なども残したことがない。
ただただ、「食べたい」という気持ちがとても薄い。
空腹と、何か食べたいという気持ちが連動していない。周りを見ているとおそらく、多くの人が空腹を感じれば自動的に食欲のスイッチが入り、食事をするということになるのだと思う。
自分にとって空腹は空腹であって、それ以上でも以下でもない。ただ、お腹が減ったな、と思う。よっこらせと腰を上げなければ、フルオートで何か食べたいという境地には至れない。
結果的に、軽率に食事を抜いてしまうことになる。もしくは、「これじゃ足りない」という気持ちもないために、少しの量で食事をしたとカウントしてしまう。ルマンドを一つ食べるとか。
「おいしい」は理解できるが、それを追い求める気力がない。加えて「おいしくない」判定のハードルが非常に高いため、たいていのものはおいしい。強い好物もない。最近、私はゆで卵が好きなんじゃないかなという気がしてきた。でも明日からゆで卵を禁じられても、そんなに悲しまないと思う。そのぐらい。
今は一人暮らしなので、生存のために「昼食だけは金をつかってできる限り食う」ことを自分に課している。職が外回りなので、訪問先をうろうろして何か食べることは仕事のうちなのだ。結果的に1日1食のような生活をしている。
料理は苦手ではない(とはいえ食べられれば良いため同じメニューを作り続けがち)。確かに面倒くさくはあるが、食欲のある人間なら買って食べればよい。外で食べても良い。お金に困る経済状況ではない。
義務感と強迫感によって何とか食事を作り、食べる。義務感と強迫感からなので、それらを横に置いておきたくなれば簡単に食べないことを選ぶ。とても調子が良くてやる気に満ち、他にしたいことがあるときは食べない。とても調子が悪く、何もしたくなさが勝れば食べない。
最近に始まったことではない。子どもの頃も食欲の薄い子どもだった。ただ、当時は食事を作ってもらい、それを食べる以外の選択肢がないので顕在化しにくかっただけだ。「お誕生日には何が食べたい?」「今日は外で食べようと思うんだけど、何がいい?」こういう質問が本当に苦手で、いつも曖昧にお茶を濁していた。何も思いつかないのだ。兄弟が自分の誕生日の時に毎回即答するので驚いていた。
困ることはいくつかある。
・健康に悪い。
良いわけないよなとは思っている。当たり前のように、低体重、低血圧、低体温の3拍子揃っている。以前体重を増やしたいと思い、ジムに通ってみたのだが(有酸素運動はするなと言い渡された)確かに筋肉がついて姿勢が良くなった気がするものの、脂肪の減りに追いつけず体重は落ちた。
吐いたりしていないし普通に食べているので拒食症ではないと思う。せめてと思って野菜ジュースをすすってみたりしている。
・ストレス解消、ごほうびを作りにくい
食欲というのは他の様々な欲求に比べるとカジュアルに満たすことができる欲だ。そのため、世の中の人はよく好物などで自分のやる気などをコントロールしているように見える。その手法が使えない。
学生の頃は、終わらせておやつを食べることをモチベーションにして勉強をはかどらせる方法が情報誌によく出ていた。自分も実践しようと試みるのだが、終わらせたところでチョコレートを食べる気は起きず、ただただ机の隅にチョコレートを積み上げていた。
怒りや憤りも薄い人間なのでストレスはそんなにないのだが、重い案件が終わったときや、夜遅くまで仕事をしたときなど、コンビニで何か買うことで自分なりに区切りをつけようと思う日もある。しかし入ったところで何も欲しいものは見つからないので、ゾンビのように店内をぐるぐる回ることになる。何かを買って出なければという強迫感で店内で泣き始めたこともある。傍から見たら狂人以外の何物でもない。最近ではそういうバッドトリップが入ったときは缶詰を買うことにしている。今日食べなくても良いので。
酒はさほど飲めないし、飲まない。飲みたい気持ち(飲欲?)もない。
つまり義務感が発生するまで食べられないので、多くの食べ物を賞味期限が過ぎてから食べることになる。これは本当に申し訳ないことだ。作った人はおいしいうちに、それも食欲のある人間に食べてもらいたいと思っているに違いない。とても心苦しい。
これはもらいものにも発生している。友人や恋人が贈ってくれたお菓子や、職場の人がくれた野菜。罪悪感がすごい。
都合の良いことに私は嫌いな物がなく(忍耐力のレベルが高いとも言う)、ついでに非常に強い胃腸をしているので、たいていのギリギリの食品は食べることができる。後悔しながら食べている。
何かを食べるというのは人間、というより生物最大の共通点だ。その「あるある」にノれないというのは本当につらい。
夜中に何かを食べちゃうというようなあるあるや、甘い物は別腹だったりするあるある。評判の良い店に行ってみたいあるあるや、TLに流れてくる料理の写真に「飯テロ」とか言ったりするあるある。世の中は食欲のある人間を誘うように作られているのだ。そのたびに、お呼びでないんだな、という気持ちになる。
何が食べたい?と聞かれるのが怖い。せめてメニューを用意してくれたら、看板メニューか安いメニューか野菜の多いメニューを選べる。いつも「お昼にスパゲッティ食べたから、それ以外で」などとほざいて、議論に加わっているような顔をしている。何も提案できない人間じゃない、貴方を軽んじている人間じゃないよと伝えたい。上手くいっている気がしない。
幼少期に美味しんぼを読んで育ったので、知識だけは無駄にある。本当に無駄だ。あの世界は食欲だけで回っているけれど、完全にフィクションなので嫌いじゃない。本当に山岡さんみたいな人が現れて、何かこう、ちゃちゃっと作ってくれて、私を食べたいものがある人間にしてくれないだろうか。
うわーーーーーーーー何かもう本当は全部嘘なんじゃないかな。みんな私みたいに食べたいものがあるふりをしているだけで、そうやって生きているんじゃないかな。皆本当は望んでないのに、朝昼晩3食食べるってルールを頑張って守っているんだ。きっと私が怠惰なだけ。夜にTLに料理の写真が流れてきたら、誰が一番早く「飯テロだ!」って言えるかってゲームをしているんだ。そうなんでしょう???誰かそうだと言ってほしい。そうだと思わないとこれから何十年も死ぬまで続く「あるある」と付き合っていられる自信がない。どうしたらいいんでしょうね、これ。
……あーそういえば
そんなのもいたわね
近所に住んでるけど
すっかり忘れてたわ
そーいうのにトキメキ感じないわ
ましてや遥か未来の話なんて
されても……ねー?
未来の命運がとか言ってたけど
そんなの関係ないわ
それに他人を巻き込む方が
もし優しいと誤解してるなら
それはブラック企業のやり口よ
アンタは飼い慣らされてる
或いは“かわいそうなお友達”よ
神経が麻痺してんだわ
それより魔法少女の話を続けるわ
そっちのほうが有意義よ
いま目の前にある幻想こそ
ずーっと現実的じゃない?
どこからともなく介入してくる
気持ちは分かるわ
何かトラブルが起きれば
修羅場を見ると血が騒ぐのよ
そーいう土地柄なのかもね
とゆーか多すぎ
いったい何やってんだか
よく分かんない組合もいるわ
でも仕方ないのよ
町の人たちは警察を信頼してない
かくいう私も同じ
彼らは無能ってわけじゃないけど
正義の味方じゃないわけ
自治を成すなら私警
市警はお呼びじゃないわ