法事があるたびに凡夫という言葉が飛び込んでくる
凡夫。発音するとボンブ。なにかあるたびにボンブ。
いやあ俺もまだまだボンブだなあと言う使い方がただしい。
ボンブだから悩むのだ、もただしい。
ボンブはパンに塗っても美味しい。これは違う。
これは強く根を張ったボンブだ、と言う用法も間違ってる。
ボンブがゲシュタルト崩壊する時間までにはさほどかからない
フランス文学めいたニュアンスさえ感じさせる。
字幕の合間に聞こえる愛のささやきのようにだ。
経を聞いているとボンブは煮込むとうまいらしいという声まで耳鼻に響いてくる。
これらを踏まえて正しい用法を急に出してみる。
己をボンブとしれ。
まるで食材になった気分だ。
おまえは今日からボンブだと宣言されたふうである。
いや、間違っていないのだ。何故ならボンブなのだから。
しかし自分はボンブではないと心の静寂に波打つものがある。
そう、俺はくいものではない、という確固たるボンブ。
なかなかここまではボンブれない。
俺も結構ボンブってきたなあ。
そう思ってしまう。
あながち用法として間違ってないところも困る。
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