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2021-03-11

anond:20210311101236

Newタイプだと言っている。増田もNewタイプに見える

 

リアルワールド増田のために存在する人間はいないのは当然のことだけど

他人創作物に登場するキャラ増田のために存在する都合の良いお人形じゃないよ

人形遊びがしたいなら自分自身一次創作しよう

anond:20210311080925

見たくない人が多いから被ばく人形撤去されたんだろ

広島に行ったら原爆資料館見学などよりも

呉の海上自衛隊戦艦大和博物館潜水艦の内部見学をしてカレーを食い

コーヒーを飲んで帰ったほうが楽しいと思う子供のほうが多い

見ていて心がドンヨリするだけの津波映像など見る意味なし

津波映像を見たところで死んだ人間が返ってくるわけでもない

原爆資料館津波映像意味ない

anond:20210311011614

アスカ人間生活価値観を捨てた、クチの悪い軍人だと思ってた。なと思ってたので、その視点はなんだか新鮮だった。

一方ケンスケ、申し訳のようにタオルはかけてたけど、基本は自由にさせるって姿勢だと思った。

トーだって少佐上着をかけるさ。

増田の中でアスカは素子だと構築しているならそれで何も問題ないよ

『そうなんだ』っていうだけ

 

新ではメンタル病み描写が随分優しいし、シンジ以外はそこまで追い詰めてない

 ↓

そういう描写あったっけ?見逃してるかもしれないので破とQチェックしてみる。

???? 結局、アスカ病み描写あると認識してるんだよね???

当たり散らすのはもちろんお人形アスカは1人でも大丈夫ってやってるのは健康そうじゃないよ

 

そもそもシンジアスカのために存在する彼くんじゃないよ?

倫理的にもエヴァメタ的にも (過去ガイナ名義でCPれるゲームは作ってはいたけど)

 

===================

理解ある彼くん漫画より

===================

A『そんな私にも理解ある彼くんがいます。彼くんのおかげでなんとか日常を送っているわけです』

 <Aの彼くん 理解力3万>

 

B「その程度で理解力がある?笑わせるわね。私の彼くんの理解力は53万よ」

 <Bの彼くん 理解力530万>

 

彼『うわーーー』

A『彼くんのメガネ割れた!』

 

B『理解力バトルで敗北した彼くんは死ぬ…!当然の結果よ!」

 

A『そんなの間違っているわ!理解力は人を傷つけるためのもじゃない!メンヘラの私を幸せにするためにあるのよ!』

 

彼『それは違うと思うよ。僕の理解力は僕の幸せのためだよ』

  

あと「理解ある彼氏」ってミームは知ってたけど「貞淑な妻」くらいにしか思えないし

理解ある彼氏貞淑な妻という解釈理解価値観の違いで片付けられるレベルの話ではない気がするが

エヴァ関係しないのでスルーする

 

 

結局、表層上は男女が同じ部屋にいて女の方が裸だから下世話なネタに結びつけるのかな…

理解範疇を超えているので再びNewタイプに追加しといた

 

母親父親や兄や弟や姉や妹や友達上司や部下がマッパだと不快感があるのは性的目線関係無いし

注意するのも性的目線関係ないよ

2021-03-10

シンエヴァを見てよかったなぁと思った事【ネタバレ

よかった事↓







レイが自立した

アスカが「アタリ」を引いた

シンジ自分意思で成長した


25年間か、長かったなぁ。

初めてエヴァを見たのは20代の時で、まだ訳のわからん焦燥感に追い立てられるような日々を過ごしていて、

世間的には成人していてなんなら働き始めの頃だったっけ。

からすっかりシンジ達の目線というより、中途半端大人世界に足を突っ込んだ人間目線だった。

オタ仲間が貸してくれたTV版エヴァは「子供がなんか酷い目にあってるアニメ」で

とりあえず流行ってるから観たけどひでぇ大人ばっかりだな!!って印象だった。

子供も何を考えているのかさっぱりわからない人形に見えたし

「この状況ならこう動いて欲しい」という期待なんかきいてくれない。

やたらとストレスが溜まる展開で、でも、最後まで見て「やっぱりわけわからん」で終わっていた。


時間が経ち様々なエヴァが公開され自分も年を経て見えていなかったものに気づいていった。

外大人は未熟な人間だらけだという事、他人自己の延長線上にはいないという事、社会パターン化されたコミュニケーションで成り立っていてパターンインストールしておけば社会に受け入れられやすいという事、自己を保ちたいという欲求以上に他者に受容されたいという欲求が驚くほどの強さで自分の内に存在する事、

様々な自身体験を、作品に重ねて鑑賞できる様になっていって、ふと気づいたら、エヴァという劇を楽しめる様になっていた。


自分ハッピーエンドが好きだ。

それはその時々の自分が不幸なら「せめて虚構の中では幸せな話を見たい」だし、充実している時なら「虚構の中とはいえ人が不幸になる話は見たくないし一緒に幸せになってほしい」からだ。


から、今までのエヴァ登場人物が誰一人として幸せそうではない事は見ていて辛いものだった。

綾波独立した魂を持った人格として扱われずに使い捨てられていく事に心を痛め、アスカが心の渇望を埋めるために自己破壊していく姿に涙し、シンジ絶望に打ちのめされ踞ることしかできない暗闇にいる姿を見ると気が塞いだ。

どうなれば幸せを感じられるのか、幸せになりたいのかすらもわからず、劇中の人々のその瞬間に起る出来事への瞬間の反応が物語を、人生を形作っていく。現実人生もそうだろう。納得できる結末なんて見えはしない。けれど時間を超えた視点を持つ事を許された観客たる自分は、どうしても終劇を求めてしまう。


その欲求が満たされるのか、それともまたしても満たされずに終わるのか、その期待感スリルエヴァを見続けていたんだと思う。


そう、劇場版観劇した人は分かるだろうが、自分はもう満たされた。


綾波社会とそれに対する自己を育て受け入れられていくシーンは本当に嬉しくて涙ぐんだし、魂の無いクローンではなくゲンドウとユイの娘として一個の人としての人生を手に入れた事は心から祝福したかった。

アスカ理解して共に人生を生きてくれるであろう人は、派手ではないけれど人格破綻者ではなくしっかりと地面に足をつけた信頼できる人物だ。

シンジは、ゆっくりだけど自ら立ち上がって歩き出し、とりま世界理解し成長する事を選んだ。


ありがとう。今度こそ君を幸せにできたよ。ありがとう

ただ、今は、おめでとうと拍手を送りたい。

anond:20210310001209

ほんこれ

人形遊びしてるだけじゃん

2021-03-09

死んだ飼い猫との思い出

時々ふと思い出す、数年前に死んだ愛猫のこと。思い出すたびに胸の底が冷たくなる。

先に書いておくが、飼い主としてとかではない。私は猫は好きだけど飼い猫にイマイチ愛情を持てなくて、他の家族が可愛がっているのを遠目に見ているくらいだ。

数年前に死んだ猫は私が小学低学年の頃に母が知り合いからもらってきた猫で、大柄で毛が長くて臆病な子だった。

先住猫が既に1匹いたが、結局最後まで仲良くはなれなかった。

若いから晩年まであんまり活発的に動くこともなく"ネコ"の名に相応しいくらい寝てばっかりだったし、そのくせ食い意地だけは張っていて、人が何かを食べていると結構確率で起きてくる。あと人馴れもしなかったんだけど、亡くなる少し前には何故かとても人懐こい猫になっていた。

私は飼い猫が嫌いってわけではなったけど、他の家族が飼い猫のことをずっと可愛がっていたから、ほっといても誰かがやってくれるし世話もしなくて良いや〜っと思っていた。事実、母が頻繁に餌をやっていたし、父は凄く凄く溺愛していた(+トイレ掃除)し、妹は散歩に連れて行ってあげていたので、私の出番は殆ど無い。別にやりたいというわけでもないので、特に何も気にすることはなかった。

飼い猫が亡くなる数ヶ月前、家族で行った買い物先から帰ったところ、キッチンの床に血が付いていた。みんなビックリして何の血かと探したら、飼い猫の口周りに血が付いていた。痛そうにしてるとか怪我してるとかもなくて、本当にいつも通り座っていたものから「鳥とか生肉とかでも食べた?」と考えたりもした。

次の日に大事な親戚の集まりがあって、どうしても欠席は出来なかった。まー普通にしてるし、大丈夫でしょ。みたいな雰囲気になったけど、私は心配で仕方なかったので、飼い猫を壊れかけのキャリーケースに詰めて、検索して出てきた遠くの夜間病院まで行った。

もう終電間際だったから途中で電車が無くなったので、深夜の住宅街をひたすらに歩いてやっと着いた病院。結果は何にも無かったんだけど、何かあったらいけないからということで獣医さんが紹介状を書いてくれた。

それから紆余曲折あって、数ヶ月後に突然死してしまった。今回の話とは関係ないので端折るけど、良い死に方はしなかった。厳密に言えば母のせいではないんだけれど、母が発端となり亡くなってしまったので、母は一時期とても落ち込んだ。

で、初めて飼い猫が死んだので知らなかったんだけど、火葬用の車が家の近くまで来てくれて、一応葬儀らしきものをしてくれるらしい。私は暇だったから参加することにした。父と妹はどうするんだろ?と思っていたところ、二人は「欠席する」との事だった。

???父は元々冷血漢だから別にだけど、妹はイベントか何かがあって行かれないとかで???ん??あんなに可愛がってたのに????世の中にはペットが死んだ場合有給申請が認められてるらしいが、我が家では誰も取る人がいなかった。この記憶が、私の中の心がヒヤッとする思い出の一つである

葬式は、母が終始大号泣葬式を取り仕切ってた人(?)もつられて大号泣、安っぽい小サイズスピーカーから流れる安っぽい音のG線上のアリア。私はこういう"ほら、泣けよ"という演出(捻くれててすまない)が昔から苦手で、気持ちが冷めて二人の雰囲気にどんどん置いてかれて居心地が最高に悪かったことを覚えてる。あと当たり前なんだけど、死後硬直した猫って人形みたいな感じで、死体がすごい苦手なので触らなかった。生前は触れてたのに。

大体1時間くらい近所で骨を焼いて、戻ってきた。母はまた泣いてたけど、私は何も感じなかった。死んだと聞いた時も、葬式の間も、骨になって帰ってきた時も、今もずっと。

何も無いというか、10年以上居た飼い猫が死んだことよりも、その周りのことの方がよっぽど感情を揺さぶられるというのが近い。

あんなに可愛がってたと思っていたのに、飼い猫の死をきっかけに"みんな実は言うほど可愛がっているわけじゃ無いのでは?"と考えるようになった。いや、勿論、世話をたまにしかしない私より、世話をしてるみんなの方が愛情はずっと深いと思う。

でもたまに、あの葬式前夜のモヤモヤ感や、夜間病院の道のりを思い出しては、何とも言えない感情が湧き上がる。

葬式の当日、父は様子を尋ねることもなかった。妹は聞いてきたけど、上記の通り私は完全に気持ちが離れていたので、母のことを中心に伝えた。それ以上のことは聞かれなかった。

夜間病院の時、冬間近で小雨も降っていて、寒くて心細かったけど、今考えてみれば飼い猫との唯一の思い出だ。壊れかけのキャリーケースの中でたまに細く鳴く猫の声を頼りに歩いた暗い道を、今でも覚えている。ちょっとスタンドバイミーみたいだとも思う。

もし飼い猫に何かあった時、真っ先に立ち上がるのは自分じゃなくて誰かなんだろうなーと自覚してたし、他の家族にも「アンタは飼い猫に興味ないよね」言われた。きっとあの日までは事実だった。愛情って何だろうね。私が何かあった時、家族に同じ対応されたら、そして手遅れになってしまったらどうだろう?と時々考える。

因みにここまで書くと母が一番猫のことを思っているように見えるけど、多分母が中でも特にヤバい。私よりヤバい。詳しくは書けないけど、猫の対応見てると「あ、この人はやっぱり毒親なんだな」と再確認させられる。

2021-03-08

同じように悩む社会になれという呪い

後輩たちの理想になることは諦めた。

からせめて、少しくらいは続くたくさんの後輩が働きやすくなるように。

今日国際女性デー

本当は、性別なんて関係なく、なるべく多くの人が健やかに生きていける社会になるのが一番だけど、日本というジェンダーギャップが大きい国に生きる女のひとりとして、女性が輝ける社会になりますようにと願いたいと思う。

塩谷舞さんのnote記事を読んで、私も筆を執ってみようと思った。あんな風に前を向ける記事ではないけれど。(リンクのつなぎ方がわからなかったので気になる人は探してみてほしい)

ここ最近、女とか男とか、人生で一番考えている。

小学校の時は、男友達とよく遊んでいた。一番仲良しだった幼馴染は女の子だったけれど、年の近い兄弟がいたせいか、外でフットベースやどろけいに明け暮れていたように思う。リカちゃん人形たまごっちにはあまり興味がなくて、ハイパーヨーヨーミニ四駆は持っていた。そして単純に身体を動かすことが好きだった、そういう小学生だった。

小学校4年生まではスカートが嫌いでズボンばかり履いていたし、つまるところあまり女の子っぽくなかった」のだと思うが(そもそも女の子っぽいとかぽくないとか、そういうのが時代錯誤なのはさておき)、幸か不幸か男の子と仲良くしていても、とやかく言われずに済んだのは幸いだったと思う。男の子と仲良くしている女の子の中には男好きだと陰口を叩かれている子もいたのだが、「まあAちゃんだし」と言われて女子から目の敵にされることはなかった(と、思う)。今になって思えば、女の子たちから「女」と認識されていなかったのだろう。要は、あの子恋愛対象にはならないかOK、ということだ。

中学に入ってもそれはあまり変わらなかった。

お互いを好き合った男女がカップルになったりしていて(同性カップルもいたのかもしれないが、私の耳に入ることはなかった)、仲が良さそうな男女がいれば噂になった。そして私は相も変わらず休み時間は割と男友達と話していた方だったと思うのだが、「Aちゃんだし」という理由特に噂の対象にはならなかった。おかげさまで僻まれることもなかった。

やっぱり、「女」ではなかったのだと思う。そしてそれは私としても自覚している。

そういう環境で育ったので、「男」だとか「女」だとか、そういうものには鈍感というより興味がわかないまま中学3年になり、進学先を決めることになった。私の出身都道府県には、今では珍しい公立の男女別学校があった。こだわりがない故に別学校を選ぶ必要もなかったのだが、当時私を可愛がってくれていた先生が、「あなた絶対女子高が合うと思う」と言ってくれたという単純な理由で、私は女子高を目指すことにした。

結論から言えば、私は本当にあの時にあの女子高を目指した自分を褒めてやりたいと思っている。

ギャルヲタクも皆一緒に学校行事に参加して勉強で競い合って最高の3年間だった。楽しかったというのもあるが、何より変な気を遣う必要がなかったのだ。当時から制服スカートズボンが選べたし、当たり前だが誰と仲良くしていようと噂されることだってなかった。

強くて逞しい人が多かったから、比較して自分の小ささに凹むことはあったけれど、とても刺激を受けたのもまた事実だ。

学校が駄目だと言いたいわけでも、男女別学であるべきだ!と思っているわけでもない。

ただ、あの3年間は間違いなく私の自立心を育てていて、「女だから」は理由にならないし、する必要がないことを学んだ。

日本という国において、絶対に、女子校が担っている役割は大きい。

そういう、とても私にとって意味のあった3年間を過ごし、大好きな分野の学問を学ぶため大学に進学し、こんなにも文理で男女差があるのかと驚いた。

高校では半々とまではいかなくとも、どの学年も大体文系の方が少し多いくらいで、理系女子も多かった。(どうでもいい余談だが私はゴリゴリ文系である自分文系なのでとやかく言えないのだが、何で女子文系が圧倒的に多いんだ?と不思議に思ったものである

入学してから数日、久しぶりに皆で連れ立って食事をし、皆で一緒に次の教室へ移動した。

多分1週間も持たなかった。

一瞬で最初グループからは離れ、ひとりで食堂に向かったら、浮足立つ新入生のグループが多い食堂で、明らかに新入生であろう女子が、ひとりラーメンを啜っていた。

見れば、同じ高校同級生だった。

そうだよなあ、好きにお昼くらい食べるよなあ、と安心し、少し離れたところで同じくラーメンを食べた。彼女とは今でも連絡を取る仲である

女子高を卒業し、大学学部バイト先も女子が大半を占めるコミュニティの中で過ごし、たまたま男女比9:1の会社就職した。

久々どころか人生初の男社会

総合職を選んだ以上、男も女も関係なく業務邁進するのみ!という心意気だったのだが、割と早々にしんどくなって泣いた。ひどいセクハラを受けたわけでも女を捨てることを強要されたわけでもないのだが、「男も女も関係ない」という自分意識と、「圧倒的に男が多い集団の中にいる若い女子」である事実を上手く融合させることが出来なかった。

どうしたって「女」を上手く利用している子の方が可愛がられる。可愛がられたいわけではないが、「女を捨てる」ことも出来なくて(いやしなくていいんだけど)、何とも中途半端位置になり、色んなバランスが崩れて勝手にしんどくなった。

社会の中で女であることに甘えられない・出してはいけないのだというプレッシャーはあるのに、貴重な女子社員として意見を求められるという矛盾した立場にいて、「女」を肯定すればいいのか否定すればいいのかわからなくなっていった。

「女」が主語になるコミュニティで生きていると、自分意識もそれに近づいていくのだと気づいたときが、一番怖かった。

「女は女に厳しい」「女は気まぐれだからやりづらい」「女は甘えればいいと思ってる」「女はすぐ子どもを産むからここから離脱する」「女は…」

前述のとおりあまり「女」としてカウントされない私は、そういう声もよく耳に入った。要は男性がそういう話をしている場面に出くわしやすいし、そういう話題を振られることが多かった。「Aさんは違うけど、」という枕詞を挟んだ上で、「女は…」と語られる。

今でこそ「それ、女じゃなくて〇〇さんでしょ(要は個人の話)」と言えるようになったけれど、しばらくの間は擁護をすれば自分もそう思われるのではないかと思うと怖くて、この手の話題が出た時に否定することが出来なかった。ずっと悔やんでいる。

会社の人が噂をする「女は…」に自分が入ることが怖くて、これは私を少しずつ蝕んでいき、この立場でこの仕事を続けながら「結婚」と「出産」を選ぶことは出来ない、と思うようになってしまった。

性自認は確かに女なのに、自分が女であることを肯定できなくなっていった。

もちろん、活躍している女性だっているし、今の現状に満足出来ている女性がいるのもわかっている。

自分が気にしなければいいのだとも思うけれど、30年生きてきていい加減わかっている。私は他人の声を気にせずいられるタイプではない。

いっそこの業界が嫌いになれたら良かったなと思う。

女性採用も増えたけれど、まだまだ圧倒的に男が多いこの業界を飛び出していけば、もう少し気楽に働けるのかもしれない。

でも、会社のことは変だと思っているし、決して誰もが働きやす会社ではないと思っているけれど、この業界が担っている社会役割だとか、やりがいだとか、そういうのは好きなのだ

から、やっぱり続けたい。

優遇してくれとは思っていない。

ただ、男性と同じところに立たせてほしい。

だってつらい、という声も聞くけれど、男優位に作られた社会で、女と同様男にも悩みがあるだなんてどうして言えるんだ。立っている場所が違うということをわかっているんだろうか。

結婚適齢期で子どもを持つ同期が増えた。「やっぱ子育てもしながらっていうのは大変だよ」と言った彼は、毎日残業していた。彼は優秀な同期で、残業しなければ終わらないような会社の仕組み自体どうなんだとは思っているけれど、彼が毎日残業出来るのは奥さん子どもの面倒を見ているからだ。他人の家庭に口を出すつもりはないし、1人が稼いで1人が家事を行うと決めているのであればそれも良いと思う。

ただ、この状態総合職男性)が圧倒的に多いこの会社で、この人たちと同じようにキャリアを積んでいくには、同じように働くしかないのだ、と思うと、まだまだ社会的に女性が家庭を守るべきという風潮が強い中でそんなことが可能なのか?と絶望する。

キャリア子育ての両立に男だって同じように悩む」と言っていたけれど、本当に同じなんだろうか。

同じだったら何故男女でこんなに差が出るんだろう。

「女は昇進させない」というほどひどい会社ではない。女だってちゃんと昇進できる。ただし、子育てを優先せざるを得なかった人たちの昇進スピードが落ちるから、見渡した時に男女で差があるように見えてしまうのではないかだって男で子育てを優先した人は圧倒的に少ない。子育てを頑張りながら同じように昇進していくことはかなり大変なのではないか。周りを見渡してそう感じ、夜中に大泣きするくらい悩んだ。悩んで、今はとりあえず結婚出産は考えられない、と判断した。

男性も本当に同じように悩むんだろうか。

大多数の男性社員と同じようにキャリアを積めた女性の、独身子どもはいない率に茫然とする。

きっとこの人たちも大変だった。この人たちはもっともっと苦労して、女性活躍できる場を広げてくれた。

ただ、こうでなければたどり着けなかったんだな、と思うと、自分が思い描いていた将来とは違うのだ。

一緒に頑張ろうと言っていた同世代女性が、何人も「もういいかな、仕事は。子ども産んで適当にやっていくよ」と言うようになった。あんなにたくさん将来のことを話したのに、もう話せなくなってしまった。そういう道を選んだ、というよりは、諦めたんだな、と思った。

幸いなことにと言えばいいのか、この会社は「子どもを産んで適当にやっていく」ことも出来る。制度は整っているし、相談すれば配慮もしてもらえる。

子どもを産んで仕事に復帰した女性なんてたくさんいるよ」

そうだ、確かにたくさんいる。でも多分、男性の同期と同じようにキャリアを積んだ人は少ない。

だって私は現時点で、お子さんがいる先輩方を結構な人数追い抜いている。

それでいい、という女性がたくさんいるのもわかっている。でも、それでいい、と思わせるような構造になってしまっていることが、そもそも問題なのではないか

男は、子どもがいようがいまいがほとんどが同じようにキャリアを積んでいくのに。

気が付けば私も、昔の私がその姿を見て茫然とした人たちと同じように、仕事だけを取る方の道に進み始めている。

これだけ家庭と仕事の両立が叫ばれる時代に、家庭を持たずに道を進んでいくことは、きっと後輩たちの光にはなり得ないのだと思う。私が昇進したところで、私が思ったのと同じように「あの人独身だしな…」と感じるんだろう。自分も思ったんだから自業自得なのはわかっているが、なんて地獄だここは。

男性諸君は、諸先輩方を見上げて、「あの人独身だしな…」と思うことがあるのか?女性待遇が上げられないというのなら、いっそ男性も同じように悩む社会になればいい。

そういう呪いにも近い気持ちが渦巻いている。出さないように、細心の注意は払っているけれど。

後輩たちの目標にはなりづらいかもしれないけれど、せめて家庭と両立を頑張ろうとする女性たちが働きやすくなるように、手助けが出来る社員にくらいはなろうと思う。

そもそも平等に働くことさえ出来なかった時代に、女性社会進出の場を切り開いてくれた先人のように、後に続く後輩たちのために粛々と働くのだ。

自分ラッキーなのもわかっている。男性優位な社会で、男が圧倒的に多い会社に、総合職として入れたのだから

それなりに力がある立場になろうと思えばなれる。トップダウンと言われようとも、権力を駆使して変えてやりたい。大企業が変わることは、多分それなりに意味を持つ。

私の心がそれまでに折れなければの話だけど。

日本社会ジェンダーギャップを埋める、ひとつの駒くらいにはなれるように。

なれるかな。

なれたらいいな。

この国に対してくそくらえとも思うけど、たくさんお世話になった人もいるから。

少しでも社会がよくなれば、それが一番の恩返しになると信じている。

日本人モデルの影響で、痩せすぎてるから胸が無いんだと思う

モデルは痩せている。

特に日本は低体重BMIが痩せすぎであっても問題なくモデルとして出ている。

そして、その異常な細さが好まれている。

異常としか言えない。

細ければ良いと思うか?否。

あんなに折れそうな棒脚を見せられたところで

健康的」とは思えないし、本当に「マネキン」っていう感じだ。モデルとしては成功なのか?

幼いころはリカちゃん人形に憧れるとか言うが、私は憧れたことが無い。

本当にそれに憧れて細い足を目指しているのだろうか?

人形になりたいとか、少々怖い。そんな私は色気やオシャレよりも食い気だった。

花より団子、実に扱いやすいだろう。「産まれ性別を間違えたか?」と良く言われる。余計なお世話だ。

モデルに憧れ、痩せる子が多い気がする。

標準体重より美容体重美容体重よりモデル体重

痩せすぎると拒食症になったり、貧血になったりと様々な問題があるが

一番の問題は「胸の肉が無くなる」ことだと思う。そう、おっぱい

私は標準体重であり、BMIは22だ。一応標準だと言える。

その数値になっている理由ひとつとして、おっぱいがある。

Gカップあるのだ。もちろん重さは多少プラスされるだろう。

胸は何と言ったって脂肪なのだ痩せるのは胸から、と言われるのは脂肪からなのだ

何でこんなことを書いたかっていうと、

友人が拒食症の末に亡くなってしまった。栄養失調だった。

最後彼女を抱きしめたのは、本当に骨と皮の状態だった。

モデルに憧れ、鏡で自分をチェックしては「もっと痩せないと」と言っていた。

本当に病気だと思ったし、病気だった。

細すぎて栄養の足りてなさそうなのを「標準」としないでほしい。

私が他人を抱きしめる時もそうだけれど、多少はムッチリしていてほしいのだ。

2021-03-06

JUNGLEとかい深夜放送で流れてた映像

最近知ったんだけど結構不気味でおもしろ

フジテレビ1992年1993年頃にアイキャッチとして流れてたらしい。(2種類ある)

1.ハート

巨大なハートリズムと共に点滅して次第にカビていき、最終的に腐った色になる

2.人形

不気味なコーラスと激しいフラッシュの中、陰影のある人形(焼けただれたように見える)から徐々に画面が離れていって、周囲に同じような人形が何体も倒れている

YouTubeとかニコニコ動画上がってるから是非見てみて

2021-03-01

anond:20210301042423

骨に肉つけて泥人形を操るか、もともと醜いなんだかよく分からない肉の塊に骨を刺して無理くり操るかの違い

全部捨てて人体錬成するか半分くらいぶった切って中身を確かめからやり直すか、もっと巨大な泥人形の一部になって疣程度に扱いになるかそうしない限り解決しないべ

現状ありきって可哀相だよね。考えを奪われるから

2021-02-24

マレーシア人種差別政策「ブミプトラ政策」について語ってみる

個人的感情人種差別と書いてしまったが、マレーシア政府からするとマレー人優遇政策らしい。が、正直人種差別だとしか思えないのでタイトルではそう書いた。

マレーシア人種構成について

マレーシア多民族国家である2018年データでは、マレー系69%、中華23%、インド系7%という人口構成比となっている。

中華マレーシア人は19世紀ごろに中国南部から渡ってきて定住している人たちや、植民地時代労働者としてヨーロッパ諸国に連れてこられた人たちの子である

今回は主にマレー系マレー人中華マレー人の断絶について語っていく。

マレー系中華系の断絶に関する個人的所感

あくまで全体的な傾向だが、マレー系の人は良くも悪くもおおらかである。細かいことは気にせず、10時に始まる授業が始まるのは11時だったり、12時だったり、15時だったりした。基本約束は守らず、お店の人はずっとスマホを見ていたように思う。

一方中華系の人は、勤勉な人たちが多かった。何事にも一生懸命留学したり、インターンをしたり、積極的な人が多かった。

全く違う性質を持つ2つの民族間の断絶は大きかったと思う。仲が悪いわけではないが、少なくとも私が住んでいたクラスの席は人種ごとに分かれ、ランチも、ショッピングも、人種が交わったグループで行われることはなかった。日本人の私は、マレー系の人からは「中華系の人たちは働きすぎて余裕がない。あんな働いてどうするんだろう」と、中華からは「マレー系の人たちはあんなに怠惰でひどい」とよく言われていた。

ブミプトラ政策の背景

こうしたことからまれるのは経済的格差であるマレーシア資本主義をとっているので、勤勉に働く人がお金を得られる。つまり、多くの経験をつみ、起業したり大企業で働く人の多くは中華である。こうしたことで、経済を回すのは中華系の人々で、マレー系の人々は農業などの一次産業従事するという構図が出来上がった。

さら政治的主導権も中華系が握りつつあった。

ここに待ったをかけたのがマレー系の人々で、マレー系の人々を優遇することで、マレー系地位を守ろうとした。そのための政策1971年にうまれたブミプトラ政策である

ブミプトラ政策の3つの

ブミプトラ政策つの柱は教育就職・減税である

教育は、日本で言えば高校入試において男女別に枠を設けているのと同じようなものだ。こうした場合性別ごとの最低合格点が異なることで不公平が生じることがある。マレーシア国立大学では人種ごとの合格枠の比がその人口比とかけ離れているため、優秀な中華系が大学に落ち、マレー系ばかりが合格するということが多発した。

就職は、中華系の人には職業選択の自由保障されていないということだ。中華系の人は、公務員にはまずなれない。もしなれても昇給などで不当な扱いを受ける。私の友人の中華マレーシア人も、子供の頃から警察官に憧れていたが、途中で自分はなれないことを知って、その時はとても悲しかったと言っていた。

減税はそのまま、マレー系の人たちは車や家に関する税がかなり優遇されている。低金利ローンや住宅購入時の割引などもある。また、会社マレー系の人が経営している場合はかなり税金優遇措置がある。(中華系の人は、無能マレー系人形としてトップとしておけばいい、なんてジョークをよく言っていた。)

ブミプトラ政策の今後について

国際的批判(マレーシア人種差別撤廃条約を批准していない)や、中華系(や、とばっちり差別されているインド系)の人たちの反発があり、ブミプトラ政策の緩和を推進する動きもある。

しかし、マレーシア民主主義国家であり、マレー系人口は全体の69%であることから、ブミプトラ政策の緩和という政策話題になっては消えるということを繰り返してきた。

最近では2019年選挙の結果首相となった93歳のマハティール氏の支持率は当初79%であったが、ブミプトラ政策を見直す姿勢を明らかにしてから下院議員州議会議員補選与党は3連敗し、支持率も39%まで低下し、デモも多発した。

もともとマハティール氏は昔も首相であったが、その際もブミプトラ政策見直しをしようとして野党に転落した。

こうした背景もあり、実際ブミプトラ政策撤廃は難しく、もし撤廃される日が来るとしてもそれはかなり先のことだろう。

感想

正直難しい問題である

マレーシアのことだから差別的だと思ってしまうが、他の国から来た何世とか言われる人たちが日本の富のほとんどを持っていて、政治的主導権も持ってたら、多分私もそれを良しとは心から思えないから。

2021-02-23

ツイフェミを観察して大まかな生態が分かってきたので記したい。

Twitterにいるフェミニスト自称している人をリスト100人ほど入れて暇な時に眺めているのが趣味だ。

そこで得た気付きをここに記す事で共有していきたいのがこの増田目的だ。


1.主婦ツイフェミ

ほぼ朝から深夜にかけて生息している。

朝起きたらまずニュースRTから始まる。そして知識人のようにツイートをするが専門家ではないので内容は全く的を射ないのが殆どだ。

一人ワイドショーが終われば次は子供旦那に対する不満や愚痴が始まる。殆ど似たり寄ったりなのでこればかりは全世界主婦さんお疲れ様ですとしか言えない。

しかしここで子持ちか子持ちでないかで傾向が若干異なってくる。子持ちは国や家族の将来の不安などを視野に入れているのかどこか現実的な部分が見られる。

子供持たない主婦旦那への不満が多く、現状ばかり文句を言っていて若干お姫様体質が多いように思えた。

そして旦那家事をやってくれない系のツイートにはどちらも食いつきが良い。お前昼はずっとTwitterソシャゲドラマばっかして家事してないだろって主婦主婦?)もやたらと食いつく。

中には旦那だけは好きだけど他の世の中の男性はマジファックだという主婦もいる。不思議な事にメンヘラを患っている率が高いので旦那パートナーってよりご飯を食わせてくれる人形として見ているかもしれない。


2.アダルトチルドレン系ツイフェミ

アダルトチルドレン(以後AC)という言葉自体を聞くの久しい人がいるかもしれないが今も深刻な問題として力強く根付いているのである

から愛情不足、または親の不仲、離婚などから来る結婚に対する不信感が拗れた結果ツイフェミに目覚める人がわりかしいる。

中には父親から暴力トラウマ男性のものを心底から怯えてしまっている人もいて、それは可哀想だとは思う。

しか結婚というより男女の恋愛に対して不純なものと見なしてしまう人も一定数いて、そこから極端となると反出生主義に走るケースも見られる。

このACツイフェミの多くはこの世に対する憎悪や怒りが根底にあってそもそも私がこんな目に合うのはこの家父長制が全ての元凶なのだと、それによるホモソーシャル女性性的搾取する強者こそが

我々の敵であり打ち倒せばきっと平和世界が訪れるのだろうという分かりやす魔王を作り上げる事で自分を奮い立たせている。

から自分人生がどうしてこんなに幸せになれないのかという思考が前提にあってフェミニストのいう男女平等とかは彼女らにとってはどうでもいいように思える。正確にはフェミニストではないかもしれない。

だがそれでも彼女らは自分魔王を倒しに行く正義の味方なのだと振舞っており、もし彼女らにとって都合の悪い情報が入ってもそれは一切見ないようにして

男性でも弱者はいるという現実彼女らは絶対に認めようとしないのである男性の時点で加害者であり魔王なのだという前提が彼女らの心の支えになっているのだから

親の都合で不幸になるのは同情するし、出来る事なら幸せになって欲しいのだが他人弱者を見て見ぬふりをしたり踏みつけて良い理由にはならないのもいつかは気づいて欲しい。


3.腐女子フェミニスト

はっきりいってこの生態はクソオブクソである

腐女子なので男性向きの漫画アニメを好んで摂取している傾向にあるのは言うまでもないが

男性ターゲットにしたからこそのセクシー描写に対してやたらと厳しいのである。その時にお決まり言葉が「この作者古い価値観のままで、アップデートしてない・・・」だ。

ちなみに俺はセクシー描写ぐらいはいいと思うが、セクハラ描写に対してはやや否定的立場なのでラッキースケベで胸を掴んだりとかはどうなんだろうとは思うし

何よりも権力を利用して相手身体を弄ぶようなパワハラでもあるセクハラが俺も到底許せないと思う。こればかりはセクハラ文句を言う腐女子立場理解できる。

ところがその男女間のセクハラにやたら厳しいはずの腐女子がハマっているコンテンツやその二次創作を目にすると何とも驚くのが

セクハラしまくりなのである。胸をまさぐるし、しか上司立場を利用して部下を脅したり(逆もあるけどそれは割愛)と権力によるセクハラ普通にまれているのである

純愛からいいんですといってもどう見ても相手嫌がってるんですがそれは。フィクションからいいんですといったらさっき上で言ってた女性へのセクハラもいいんですってなるぞおい。

そう腐女子フェミニストはとにかくダブスタしまくりである自分の言った言葉が見事に自分がやってる事に刺さりまくりなのである

しか腐女子はそれを絶対に認めようとしない。BL尊いだとか素晴らしいとか強引に理屈をつけて男性が考えるセクハラとは違うんですと開き直ろうとしている。

それ以上に厄介な問題もある。鍵をかけているのならともかくとしてTwitterというオープン世界で腐トークを撒き散らすのである

文が得意とする腐女子は長文感想(ツリー10個ほどある)垂れ流したり、絵が描ける人はドキツイ二次エロを放流したり、それに対して絶賛しまくる腐女子

女子の中でも腐女子お気持ちが本当に強すぎるのである感情が魂と直結してしまっているのだろうかとにかくいきなりお気持ちを爆発するので周囲にとっては自爆テロに等しいのである

腐女子は学級会を行って度が越えた行為発言は控えているとはいうがSNSが浸透してからはその自浄作用はぶっ壊れているように思える。

二次元の男性は好きだけど三次元の男は嫌いですというのはオタク特有理由だろうからそれは別にいいとして

BLというのは実際に男性性的搾取するのが前提のコンテンツなのは間違いはないし、ましてやゲイではないキャラクターを強引にゲイにして入れるか入れられるかの組み合わせにするのは正直どうかと思う。

はっきりいってBLは多くの人に見逃されているコンテンツともいえる。ポリコレで言えばグレーすぎるしもしもゲイ達が立ち上がってBL反対運動なんて起こせばBL簡単に吹き飛ぶのである

地上波BLドラマが流れても不快だ!セクハラだ!と怒る男性はいたのだろうか?嫌なもの観ちまったなとそのまま黙って終わるのが殆どではないだろうか。

はっきりいって腐女子はよそ様のコンテンツに物申せる立場ではないのだ。更に言えばフェミニストという視点からでも一番遠い立場にいるのが腐女子なのだ

それなのにフェミニストですが何か?って厚顔無恥腐女子がなんと多い事か。フェミニストでもなくむしろ足を引っ張っている立場だというのに。

BL好きならばゾーニングを心がけたり、SNSのようなオープン場所下ネタだらけのトークなんかせずにその専用のアカウントを作って鍵をかけて欲望を吐き出したりと色々と工夫はあるはずだ。


他にも風俗嬢メンヘラなどの生態もいるが長くなったので一旦ここで区切りたい。

良きTwitterライフを。

続き→ https://anond.hatelabo.jp/20210228202822

2021-02-22

anond:20210221191039

当然ながらロボットにも人形にも木の股にも人権なんてない

あるのは見てて気分が悪くなる行動は規制したいというお気持ちだけ

2021-02-21

anond:20210221005200

どっちも視なきゃいいんじゃない馬鹿なの?

面食いならお人形遊びでもしてたら。若しくは鏡の間にでも棲めば。

2021-02-18

人形遊びをしてこなかったので

人生のうち3回ほどアニメゲームにハマったことがある。

私は飽きっぽいイケメン大好き人間なので、ピンとくるイケメン運命出会いを果たした時にオタクになる。

1回目は中学生の時。

2回目は大学生の時。

そして3回目が現在

中学生の時はSNSが普及していなかったしすぐにバンギャになったので別として、大学生でハマった時からムズムズすることがあった。

推しを「バブちゃん」と呼んで赤ちゃん扱いする文化と、ぬいぐるみを愛でる文化。ムズムズする。

これらがどうにも慣れない。同じような人がいないか検索をしても、現れない。わたしだけでしょうか。

赤ちゃん扱いに慣れないのは推しには男らしくあって欲しいと思ってしまうからだと思う。男性キャラに男らしさを求めるなんてステレオタイプで令和に合っていない。わかっている。善処します。

それ以上にぬい遊びという文化がムズムズする。

キャラクターのぬいぐるみを着せ替えして遊んだり、シチュエーション毎に複数キャラを並べて撮影して一つの物語に仕上げる。

かわいいメチャクチャかわいい

女の子といえば着せ替えとお人形ごっこ遊び。それらを極めし大人女の子たちの嗜み。

なのに私は慣れない。どうにもむずむずする。

ぬいぐるみ自体を持つことは平気だし、大きくてブサイクぬいぐるみや、某うさみみパーカーを着た可愛らしいぬぐるみを持っていたこともある。カフェにも持っていった。

なのに、友人がぬいぐるみを持って私のぬいぐるみに話しかけた途端、フリーズする。私も、私のぬいぐるみも。初めてぬいぐるみ越しに話しかけられた時はさながらスペース猫状態だった。

そういえばリカちゃん人形シルバニアファミリーも持っていなかった。ぽぽちゃんは持っていたけどおもちゃベビーカーに乗せて家の中を走り回っていた記憶しかない。

メイクができるのっぺらぼうのバービー人形の顔は、マッキーでお手製の目と鼻と口をつけてあげていた。

幼稚園児のくせに、どうやって遊んだらいいかからなかった。今もわからない。

小学生の頃友人とリカちゃん人形遊びをしたとき、遊び方がわから一言も発せなかったので無言で暴れる狂人を演じていた。友人たちはリカちゃんをピョコピョコ跳ねさせて可愛く会話していた。以降私はお人形遊びに呼ばれなかった。最初最後のお人形遊びである

そうしてお人形遊びをしないまま20代半ばになり、お人形で遊べなくて困っている。

ぬいぐるみ漫画なんかにも登場する。「ぬ〜〜」と喋っているし、セックスもする。

もう大混乱である。スペース私。

何度見てもびっくりする。正直オメガバースよりびっくりした。

オメガバースってオメガが産むからオメガバースなんですか?

ぬい文化に慣れない人っているのでしょうか?

疑問を解決するためにも見聞を広めたいと思います。おわり。

2021-02-17

うさぎかわいい

SNSで見かけるうさぎは大体ネザーランドドワーフっていう丸っこいお人形みたいなうさぎか、長毛ないし短毛のロップイヤーとか、そういう血統のしっかりしていそうな子が多い。

うちのは雑種。ネザーの血も入ってるらしいけど、あんまり丸さがなくてキリッとしてて、野うさぎテレビで見るたびうちの子に似てるな…と思う。ピーターラビットに近い感じだ。


うちのうさぎに限った話じゃないかもしれないが、あまり小動物っぽくない。

どっしりしていて気が強い。動物園カンガルーとか見ている気分だ。

広いケージにドカッと座り込んで、目を開けたまま眠っている。草食動物らしく警戒心が強いのかと思いきや、雷や花火の音も大して気にかけず眠りこけている。


熟睡しているときうさぎはすごい。

耳を立てて目を開けて首を据わらせた“うさぎスタイル”の寝方を必死で保とうとして、でも抗いきれずにピクピクしている。ぐらぐら船を漕いでる。電車の中で寝落ちかけてるサラリーマンみたいだ。

ひとしきり抗って、ガクッと体勢を崩すと「おっといかいかん…」みたいに座り直すが、割とすぐに諦めてズシャッと寝転んでいる。最初からそうすればいいのに。


うちのうさぎは撫でられたがりだ。

撫でないとキレる。ケージの中で暴れているときは大概撫でが足りていないときだ。

あと目が合うと撫でてもらえるのだと確信した顔をする。

ケージの扉を開けて、手のにおいを嗅がせてやると、首を床におろして「撫でてよし」のポーズをとる。

撫でさせていただく。

こちらの気が済んだからケージの扉を閉めようとするが、うさぎの気が済むまではどっしりと撫でポーズを崩さないので閉められない。

しょうがいから撫でを続行する。


撫でられるのは好きだがその他の接触はめちゃめちゃに嫌う。

抱っこもダメグルーミングダメ

グルーミングはせざるを得ないから頭を撫でてる間にこっそり背中にブラシをかけている。

世の中のうさぎ、当たり前のように膝に乗ったり抱っこを要求していたりして別の生き物みたいだ。

うちのうさぎは寝ている人間の腹にのしかかるのが精一杯。


バズるうさぎみたいなきゅるんとした顔もほぼしない、基本的に人を睨みつけているような吊り目で野性味ある顔つきのうさぎだが、しっかり親バカものでこれが一番かわいい

鼻先を撫でているとき、手足の小ささに気付くとき、たまにふと「あっこれ小動物だ」と実感する瞬間がある。

普段存在感が大きすぎて、同居しているもうひとりの人間くらいの認識をしているが、不意に小さきものとして見えることもあり、普段とのギャップにやられる。

態度がでかいのに、ツンとしてるのに、部屋に放していると飼い主の脚についてきたり、そばにいると別の部屋にいるときよりもリラックスした様子を見せたり、なんだかんだと甘えてもくる。

懐かなくてもかわいいのに、懐くんだから余計にかわいい

エサも草ももりもり食べて元気でかわいいし、長生きしてほしい。

anond:20210216022117

オタクの人たちがチープな人形を持ってるなとは思ってたが1つのジャンルなのか

2021-02-16

anond:20210216022117

最近女のオタクが集めてるデフォルメされた安っぽいぬぐるみってさ

ぬいぐるみっていうか人形だよね


ぬいぐるみってさ

ふわふわでなんというか救われてなきゃあダメなんだよ

モフモフでホワホワでフカフカで...

anond:20210216164114

お前のお人形遊びには付き合わないからw顔真っ赤にして何とか打ち負かしたいって必死だな

お前の恥ずかしい過去は消えないぞ

anond:20210216050625

IQが低いので反論できずお人形遊びで誤魔化すしかない

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