はてなキーワード: 黒歴史とは
どうしてガンダムにこだわるんだよ、って肯定派から言われそうだけどさ、その言葉そっくりそのまま返したい。
同性愛について語るなというわけではない。ただ、まるでこちらが本筋の話のように持ち上げられるのがおかしい。
(脚本家にとって)魅力的な敵役にフォーカスを当てるなとは言わない。でもなんで2期から出てきたぽっと出をまるでメインポジションに据えるのかがわからない。
ガエリオvsマクギリスって構図って美しい!とか盛り上がったんだろうな、主人公は誰だよ。
結局、脚本側からすればすでに鉄華団側は魅力のないもの(自分で作った癖に)で、ラスタル陣営書いているの楽しい!真の主人公はガエリオよ!とか思ったんだろうなって。
三日月の子供が暁!すごいいいアイディア!とか思ったんだろうなって。
もちろん男性キャラだって魅力的だけど、ほかのアニメよりもたくさんの女性キャラがかっこよく魅力的なのがガンダムの魅力の一つだと思う。
でもあとは、全面に立ってかっこよく戦う女性(ジュリエッタはMSに乗っていただけで、ラスタルの側近でしかなかったわけなので論外)がとても少なかった。
まあクーデリアも1期で、追われている身にも拘わらず衛生状態がーとか言ってのんきに買い物行くとかいって面倒ごとを引き起こしたわけだけど。
あと、歴代ガンダム作品に対する敬意的なものが一切感じられなかった。
どっちかというと、ファーストガンダムの最後のアムロとシャアの決闘でヘルメット同士ぶつかったシーンに対して「めっちゃラブラブじゃん!」みたいな感想しか持ってなさそう。
ガンダムかそうでないか抜きにした感想の一つに起承転結もおかしかったことも挙げられる
これが終了直後の感想。
仲のいい友達がいた。
その子とは同じアニメ好きで、お互い腐女子だったのでよく語り合っていた。
一緒にグッズを買いに行ったりお互いの家で本を読んだり、楽しかった。
私はそういったことが語れるような友達も少なく、その当時は人見知りで自分をさらけ出すようなこともできなかったから、こうして話せる友達がいたことが嬉しいかった。
この子のことをAと呼ぶことにする。
Aはもとからアニメが好きだったわけではなく、もともとはジャニーズの某グループが好きだったらしい。
しかしAはふとしたきっかけからとある戦国武将ゲームにハマり、それ以来ジャニーズを追うのはやめてアニメ好き腐女子になったのだという。
この当時の自分のことをAは「イケメンにキャーキャー言ってた自分は黒歴史」とか「今の私が1番嫌いなタイプの人種」と言っていた。
しかし、Aの親はアニオタになった娘をあまり良く思ってはいなかったらしい。
だからかはわからないが、Aは身なりにとても気を使っていて「見た目だけは私の1番嫌いな人種(=クラスの中心にいそうな女の子)と思われたい」と言っていた。
新しく発売されたCDはもちろん、自分がファンになる前のものも中古のCDショップを回って探し、今までそのバンドが発表したCDはほぼ全て持っているという。
そのバンドは基本的にはテレビ出演をしないバンドだったので、主題歌などに使われることでテレビや街などでそのバンドの曲が流れるのをとても喜んでいた。
やがてAとは違う進路を歩むことになったので会うことも少なくなり、たまに携帯で連絡をとるくらいになった。
ある時Aからとある2.5次元ミュージカルにハマった、とメッセージがきた。
私はその当時、2.5次元ミュージカルについてはあまり詳しくなかったのでよくわからなかったが、なんでも好きなキャラクターを演じている俳優のファンになったらしかった。
それから、Aの生活は2.5次元ミュージカル中心になっていた。
Aはアニメも見なくなり、舞台俳優を追いかけて忙しそうだった。
でもそこから「今まで声優さんかっこいいとか可愛いとか言ってたけど、舞台俳優見てたら目が肥えてあんなの全然なんとも思わなくなった。」というように、今まで好きだったものを否定するようになった。
さらに「舞台見に来るアニオタデブスの気が知れない」というようなことまで言うようになった。
私は過去にジャニーズにハマっていた自分を黒歴史と呼び、1番嫌いな人種とまで言っていたAがイケメンにハマっていることが意外だった。
しばらくしてからAは私と共通のオタクの友人Bと縁を切りたい、という相談をしてきた。
LINEのプロフ画像をみて、よくあんなクソダサアニメオタクみたいなのを世間に晒せるな、と思って不快だったと言っていた。
他にも様々大きな理由があったのだが、私は2次元が最高!3次元なんかいらない!という態度をとっていたAが、その私と共通の友人がアニメが好きであることをここまで言ったことが衝撃だった。
Aが2.5次元ミュージカルにハマって半年も経っていなかったと思う。
AとBはAが一方的に不満をぶつける形でもう縁を切ったようだった。
ようだった、というのは私がBの様子を見て得た感想なので実際どうだったのかはわからない、ということだ。
Bと縁を切ったあと、私はAに言われた。
「あなたがあのAが……みたいな反応したの嫌だった。私もともとジャニオタでアニメなんか一切興味ないクラスの中心にいるような奴なんだよ?」
Aは、自分がアニメオタクでありながらもダサいとか根暗と言われがちなこの趣味をよく思っていなかったのだろう。
そして3次元と2次元が混合している2.5次元ミュージカルにハマったのだと思う。
作品内ではキャラクターだが、彼らは俳優。Aの親も舞台俳優なら、と安心していたようでAにとってはちょうど良かったのだ。
自分はお前たちとは違ってダサくなんかない。
おしゃれで、実在するイケメンが好きでお前たちのようなキモオタとは違う。
そんなふうにも聞こえた。
私はAとしばらくやりとりしてから、Aの連絡先を消した。
この前、本当に偶然AのSNSのアカウントを見つけてしまった。
Aは
「今までなかったからテレビ出演は嬉しいけどアニメアイコンの奴らがファンの皆さん心中お察しします、とか言ってるの何?アニメアイコンのくせにバンドのこと語るなよ。曲なんか全然知らないんだろうしメンバーのこともわかってないくせにファン名乗っていいんだ!初めて知った!知らなかった!」
というようなことを投稿していた。
コンテンツ(生身の人間をコンテンツ、と称することは失礼と解った上で使わせていただく)を潰すのは排他的なファンなのだ、ということを目の当たりにした気がした。
たとえファンがブスでも、デブでも、ダサくても、楽しんでもらえることやより多くの人に向けて自分を表現できることが彼ら作り手側の喜びなのではないかと私は思う。というか思いたい。
F: 食べる物や飲む物を要求したりしない
H: 刑務所中で隣に座ってこう言う「あれマジ最高だったな! またやろうぜ!」
F: 君を笑ったりしない
H: みんなの前で恥をかかせやがる
F: 君が泣いてるのを見たことはない
H: 泣いたなんてバレたりしたら裏で絶対笑いものにされてる まだ落ち込んでたってお構いなしに
F: 君の電話番号を紙に書いて欲しいと言う
H: 短縮にもう入ってる
F: 君のものを借りても数日で返してくれる
H: 使って無くしてこう言う「悪かったよ…ほらティッシュやるから(=涙拭けよ?)」
F: 君の事を多少知っている
F: 集団が移動したら君を置いていくかもしれない
H: ただ入ってきてこう言う「ただいま」
F: 君が恥をかいたのを何度か見てる
H: その恥を一緒にかいた
F: 誰にでも言わなくても友達には言わなきゃ
H: 言ってもないのになんで知ってるの?
H: 生涯の仲
F: 君が飲みすぎてると思ったら酒を取り上げる
H: 酔いすぎてそこら中にぶつかってるのを見てもこう言ってる「なあ残りの酒ぜんぶ飲んじまおうぜ、無駄にしたらもったいないもんな!」
F: 排水溝に君を置いていく
H: これを送り始めたやつにやり返す
ただ、私に一番残った感想は
です。
最近のディズニー作品には「プリンセスは歌って踊って動物とおしゃべりするんだろ?」「突然歌い出すのはやめてくれよ」(意訳)というような、かつてのディズニー作品を皮肉るようなセリフが出てくる。
もちろんディズニーが現代に合ったプリンセス像を模索していることを知っているし、その改革はとても偉大なことである。
でもさ、もういい加減自虐するのやめない?
その自虐ネタ何回も聞いたよ。
何回も自虐されるとげんなりするんだよ。
Twitterとかで美人が自撮りして「まぢ私ブスすぎ…つらたん…」とか、絵師が過去絵再投稿して「過去絵下手すぎてつらいわー糞絵だわー 」とか何度も言ってたらイライラしない?
少しなら笑いになるけど、何度も繰り返されると卑下にしか聞こえない。
もっともディズニー側は自虐ネタをただ単に笑いの要素として入れているのであって、過去の作品を全否定する意図はないし、ましてやファンを否定するつもりなんて全然ないのだろうけど、どうしてもそんな想いがよぎってしまう。
時代に合わせてスタイルを変えていくのはいいことだし、自分の意志で道を切り拓くプリンセスの姿はとても素敵だと思う。
小学校の高学年のとき、ネットのとあるサイトで知り合った友達がいる。私よりひとつ年上で、都会にいて、いろんな知識や能力があり、なにより容姿がとてもかわいくて憧れだった。尊敬していた。趣味が合うということもあって仲良くさせてもらっていたが、ネットを使い始めて間もなかったわたしはありがちなトラブルを多発させ(いわゆる黒歴史)、その子と直接的に何かがあったわけではないもののコミニュケーションが取りづらくなりそのサイトを去った。その子とは他のサイトでも繋がっていたが、そのアカウントも全て消した。
だが彼女との関係をどうしてもやり直したい、コンタクトを取りたいと思った私は、また別の名前で彼女に近づいた。私は別人として彼女とまた友達になり、彼女はツイッターのリア垢で、私はサブ垢で交流していた。そうやって名前を変えては彼女の前に姿を表すことを3回はしたと思う。ツイッターに上がってくる写真やプリクラの彼女は本当に本当にかわいくて、異常なこととわかっていながら私はその全てをスクショし保存した。少しでも彼女に近づくためにいろんな努力もしたと思うが、何もかもが自分と違った。苦しかった。だけどそれ以上に大好きだったと思う。最近は写真を保存するまではないにしても、ふと思い出したかのように彼女のツイッターをチェックしたと思えばそれから毎日見てしまうときもある。そして落ち込む。だけど話しかけられると嬉しくて、それと同時に彼女が私の全てを見抜いてるのではないかという得体の知れない不安や恐怖も浮かぶ。そんなことあるはずがないのに。この春からめでたく大学生になるそうだ。卒業ツイートの写真を見て、頭のよかった彼女のことだから名の知れた大学に行くに違いないと瞬時に思ったとき、どうしようもない虚無感に襲われた。
こんな自己嫌悪馬鹿らしいことだともうずっと前から分かっていた。だけど地方でくすぶりしなくてもいい比較で、会ったこともないような人との比較でもがき苦しんだこの何年かがせめて報われますように、今度の春は私も笑えますように、この一年は彼女と繋がるすべてのSNSをやめようと思う。きちんとまっとうに第一志望を目指して頑張ろうと思う。それが達成できれば見えてくるものがきっとあるはず。絶対に絶対に諦めないといま自分に言い聞かせ、とにかく頑張る。
という、最高学年を迎えるにあたっての決意。
思春期の頃、よくこんなことを考えていた
宇宙のことが好きで、というか宇宙に思いを馳せることが好きで、よく妄想していたこと。
今自分が立つ地面の、踏みしめている砂粒の中にひとつの宇宙があるのではないか。
あるいは
わんぱくな坊やがジュースをこぼしたその瞬間、テーブルの端から滴り落ちたその一滴の中に宇宙が始まり、その一滴が床に落ちハジけるまでが
無限の大きさを持つものがミクロの世界に広がっていること、無限の時の流れが刹那に過ぎること。
自分のこの宇宙はどこかの世界の水滴の中とか、妄想するのが楽しくて、友人に、恋人に、夕焼けに、よく話していた。
もちろん今は当時の目の輝きで周囲にこんなロマン話を出来ない。
その後20年間科学を学び、殆どのことを説明できるようになった。わからないことに仮説立てて考えることができるようにもなった。
ただ今も、自分の中で世界が揺らぐような、何か知らんがグっとくるような、感覚を味わえたことは、
決して厨二でも黒歴史でもなく、大好きな思い出になっている。
【属性】夢が好き。
【議題】『こんなブスをキャラくんは好きにならない』
夢的な話題で最近ひっついてくる、『キャラはこんなブスなんか好きにならねーよ』というやつについて。
これが夢sageなのかキャラsageなのかあるいはどっちもsageなのかはよくわからないけど、現実の自分の顔面偏差値ってそんなに重要か???っていうのが個人的な感想です。
だって架空世界でしょ。架空と言うか、パラレルと言うか、つまり今自分がいる世界とはまた別の世界の話なわけで。
別世界で、自己投影するにしたって、現実の自分のまま取り込まなきゃいけないってルールどこにもないぞ!
だったら多少可愛かろうが多少人を殺せようが多少強かろうが、それはそれとして別世界のIFの自分で良いじゃん。
いや、夢=夢主は自分、と確固として主張してるわけじゃないけれど、とにかく夢主=自分だと思ってる人へのエールね、エール。
(すごい余談だけど、自分の顔面偏差値を鑑みて夢ないわー、って言ってる人、作品へのトリップ力が凄いから私よりも夢技能高いのでは?とたまに思う。私は現実の自分そのままで入ることは想像もしたことなかった)
私は自己投影もするし神投影も出来る最高に訓練された夢者だよ。10年選手だからね。
いま打ち間違えて100年選手って打ったけどそれだとほんとに神だわ。私が神だ!!!!
そう!『私が神だ!』も出来るんですよ、夢小説ってのは。
もちろん、人形ごっことして全部が好き勝手出来るわけじゃないけれど(少なくとも私はキャラクターが勝手に動いて泣いたことは何回もあるというか好きに動かせた経験の方が少ない)、BLの書き手さんでよくある『こいつとこいつの恋愛模様を眺めたい』って感覚、夢の人も持ってる方は割といます。うん。
ここで重要なのが、別に『夢主=自分』の方を馬鹿にしているわけでもないってことです。
たまにこれ勘違いされるんですよね。なんでだろ。被害妄想強すぎる人が多い。
いやそうなる歴史もあるから一概に駄目だとは言えないんですけど、とにかく私は馬鹿にしてません。
誰かの好きなものを馬鹿にはしたくないし、そもそも私は自己投影して書いた夢小説はある。それを黒歴史だとも思わないというかめちゃくちゃ面白いと思ってるよ。
話を戻すと、『あのキャラがこんな恋愛をしていたら』『あの人がこんな人に出会ったら』というのを夢でもえがけます。
というか、答えが無いんですよ。【原作人物A】だとしても【オリキャラB】を当てた際の反応に正解はないので、原作で見ることが出来なかった表情だってBと一緒なら見せてくれるかもしれない。可能性が無いわけじゃない。そういうのを探っていきたくて書いてる人も中にはいるんです。
なもんで、たぶんそう言う人達は『【夢=自分】だけではないよ』って言いたくなるんだと思います。
だって夢と一口に言ってもたくさんあるし、それが除外されて(=蔑にされて)たら悲しくなるよ。自分が好きな傾向なら猶更。
だから声を出すし、声を出すと『自己投影じゃない人に自己投影が馬鹿にされた!』って声が上がるし、あーもーにっちもさっちもいかないぜ!
まぁそんなこんなで、夢の中では正解がない。
つまり神になれる!
神さまと言うことは美少女にだって美男子にだってナイスミドルにだって思いのまま!
普段騒がしいあの子が静かな喫茶店のマスターに見せる表情はキミだけの物!
BLにだって『もしかしたら』という意味で正解なんてないかもしれないだろうけど、だいぶそれが強いと理解してもらえたら私は嬉しい。
だから現実の自分をブスだと卑下しなくていいし、ブスだからって見向きもされないなんて呪詛を自分に掛ける必要はないし、正直夢は楽しいぞ!
動物夢主もあるし、金魚鉢だってあるしな!可能性は無限大だよ。
だから自分のことをそんなにブスだって言わなくたっていいんだよ!
現実との落差?そんなん気にすんな!
自分のアバターに人格投影して且つアバターは別人なんて、オタクには手慣れた基本技能みたいなもんでしょ。
(ネトゲとかSNSに使用する絵アイコンとかも考えればアバターなわけだし)
それと一緒だよ。
まぁそれでも無理だって言うならせめて『夢なんて』とか『夢小説なんて』とか『夢みたいなものと一緒にするな』という感じの意識は薄めてくれると嬉しいかな。
『夢と一緒にするな』じゃなくて『夢と一緒にすると探し辛くなるからやめてくれ』とかの言い方なら角も立たないと思う。
さすがに自分の好きなものをsageられてる、あるいはsageられた意識を感じ取って、凸はしないけど悲しくならない人はいないと思うよ。
二次創作に貴賤はないと思うんだ。
貴方だって、よくは知らない上澄みでジャンルのことを語られて尚且つdisられたら心の包丁持つでしょ?こっちだって包丁を持ち始めたくなることはあるんだよ。
終わりに物騒なことを言ってすまんね。
それじゃあ、ここまでありがとう。
そのグループは私にとってはとても応援したくなる楽しいグループだ。
twitterのアカウントを作り毎日些細な情報を追っては幸せな気持ちになっている。
しかしtwitterでそのグループ名を検索すると当たり前だが批判的な意見もヒットする。
その当たり前の範疇に入るのは歌番組に出ている彼らを歌下手だなー、ドラマに出演している彼らを演技が下手、など彼らをよく知らない人たちが素直に感じてつぶやいた意見だと思っている。彼らのことをよく知らない人たちは好意というフィルターがかからないからこういう意見が出るのは仕方ない。ファンからすれば音を外すのも演技が少し怪しくても好きだから、かわいいからで済まして過大評価している場合もある。
しかしいつからのムーブメントかは知らないがここ1年か半年くらい前からかな、彼らのことをよく知る人物による批判的なつぶやきを大変よく目にする。
彼女たちはもともとは好意を持っていたファンだ。しかし今は悪意のフィルターを持ってtwitterは好きなことを自由につぶやくツールであることを建前にしてあることないことを鍵もかけずに全世界に言いふらしている。
彼女たちの中には熱愛がきっかけで一気に冷めてしまったタイプの人もいれば、長年追っていくうちに1番好きだったころと今の自分の熱量の差にだんだん埋まらないギャップを感じてしまいそれを彼らのせいにしてしまう責任転嫁タイプもいる。そのとき自分が楽しくて彼らに貢いだはずのお金を返せなんていう輩も目にした。
元ファンによるアンチ化なんてどの界隈でも別に珍しくない。しかし楽しく応援しているもの(彼女たち曰くお花畑、純粋ちゃん)からすれば愚痴垢ほどうっとうしいものはない。
愚痴垢はたくさん目にしてしまったけれど自分のつぶやきがアンチ行為だという自覚を持っている人たちがほとんどいなさそう。
あの頃のきらきらした彼らに戻ってほしいんだもんね?アイドルでありながらプライベートで下手打って週刊誌に撮られたからてしまったもんね?
彼らの今の仕事に胸が躍らなくなったのはあなたの心境の変化じゃなくてあくまで無条件に信じさせてくれなくなった彼らが悪いんだもんね?
だからあなたたちは今純粋に応援しているファンの人たちが目にしたらドン引きしてしまうような発言してもいいんだよね?
あと本垢で愚痴をつぶやくとフォロワーさんたちに不快な思いをさせてしまうから住み分けのために作った的なのを目にしたことがあるけどそれはあなたがそんな愚痴をつぶやくような人間だと思われたくない、嫌われたくないだけろう、結局鍵をかけずにつぶやく愚痴はまわりまわってあなたが不快にさせたくないフォロワーが目にする可能性があるのにすごい綺麗言ですね?
まあでも愚痴垢というものは結局長くても1年以内には収束するものだろうなとも思っている。
結局は彼らのことをよく知らないと愚痴なんて言えない。そして愚痴を言い続けるためには最新の彼らを追い続ける必要がある。だから新曲も聞くしわざわざコンサートにもいく人もいる。
そして(特にまだ若い人は)新しい愚痴を発信するために彼らの仕事を追う行為は次第に馬鹿らしくなる。あるものは好きだということを自覚し冷静なファンに戻っていくだろうし、あるものは彼らを追うことをやめもっと自分にとって楽しい世界に身を置くんじゃないかな。そして愚痴垢はのちに黒歴史になる。
せっせと愚痴垢を運営するあなたに言いたいことがあるんだけど、鍵をかけない限りあなたの発言は全世界の人が見る権利があって、あなたの発言に対して意見する権利を持ってる。あなたの発言が何の信頼も持っていない言葉ならそれは大多数の人間によってツッコまれて淘汰されるんだよ。もし愚痴垢に対して文句のツイ―トをしている純粋なファンの人がいてそれをあなたが不快に感じたとしたらそれは鍵をかけていないあなたが悪いんだよと。
別に一時的に不満をつぶやく愚痴垢が何百あったて彼らの活動には一切影響されない。そんなことに影響されるつまらない人たちを応援しているつもりはない。
しかし純粋に応援している私にとってはしょうもない言いがかりのオンパレードでどうしようもないくらいに腹が立つ。
誰でも目にするtwitterを利用しておきながら見なけりゃいいじゃん、じゃない。頼むからその悪意のフィルターをかけたつぶやきは鍵をかけて見せてくれるな。
日本のあらゆる面が「ミーハー」化しているけど、これって要するにポケモンショックならぬサブカルショックなのではないか。2011年からのつるべ落としの右傾化で、しかしまともだった時代の惰性で文化的だった日本人のうち、マイルドヤンキー未満の弱者を熱狂したのが、ミーハー文化だった。
2000年代当時は低俗さの象徴だったミーハーが、たぶんファミコン世代にとっては、団塊ジュニア世代にとっての「ガラケー」みたいな存在になっていて、要するにそいつらが人口が多く中年化して世の中に影響を大きく及ぼす中で、俺ら第一次サブカル世代すらも巻き込まれている流れが、これなんじゃないかと。
クールジャパンがこうまでおかしくなったのも部活動みたいな年齢主義の産物だったろうし、今のサブカルにふと「ヤンキー用語」が出てくるというのも、その流れを汲んだものだと思う。当然、そういうサブカルを好んでいるのも、オタクではない人たちだよね。ギャル文化や不良文化に青春をささげた。
彼らの「ツケ」を清算すべき時なんじゃないかな。そのミーハー世代、2000年代ってオタクでいえば電車男ブーム以降のサブカルの脱アングラ化と第三次サブカルの時代なんだけど、ミーハーの狭い都市部の小さなせせこましいサービスの中に閉ざした疑似オタク文化とは次元が違うんだよ。
本物のサブカルはパソコン的なグローバルスタンダードの規格に準じたものを用いて国境を取っ払って地球規模の共同体の構築を追求し、クールジャパンになったけど、「サブカルは疎いがミーハーに没頭したチンケな日本人」がいま早期老害化してる姿が、(ポスト)ヤンキーやギャルのうざったさだ。
なので彼らの消費者感と没歴史的感じが、まさに問題になっているゆとり・さとり世代にそっくりなのもしょうがないと思うし、こういうものを黒歴史にさっさと追いやることが、今のオタクやエリートがやるべき作業ではないかなとも思うんだ。
とにかく、本来であれば日本にはそのような文化嗜好そのものがなかった、ポスト消費社会、21世紀の象徴ともいえる「ポスト消費文化」というものが、20世紀の文化や2000年代の方がよほどかっこよく見えるレベルに間抜けさをプンプン醸し出していて、それを助長する側にいるのは、ほんとにどうかと。
「夢じゃないけど」という前置きについて
最近よくツイッターを見るようになって、審神者やぐだ(これを夢でなないとする派閥も居ることは知っています。ですが私はオリジナルキャラ夢であると考えているため、このたとえを使いました。)
の話を見ていると、「夢じゃないけどキャラクターに○○したい、されたい」といったツイートをよく見るようになったと感じています。
また、先日バズっていた、「夢作品は見るけど自己投影をせずカプ的な目線で見たい」といった発言を拝見しました。
個人的な感覚として、夢小説あるあるタグや、自己投影なんておこがましいなどの無神経な、よくそれを鍵なしで言ったな!突っかかられても絶対に被害者面するなよ!よろしい、ならば、な発言により、夢はどうにも「昔のもの」「黒歴史」であるという認識から抜けれていないように感じ、それはなぜなのかということについて考えてみたいと思いました。
個人の感覚・疑問をもとにして書いているため、偏りや誤解などがあるかと思われます。
どうしても捨て置けねえ、こういう考えもあるんだよ、というご指摘はありがたく拝見していきたいと考えています。
「キャラ×自分などというおこがましい、キャラクターにふさわしくない自分なんかがキャラクターと恋愛ができるほどの立場にない」
という気持ちがあるのかなと思いました。
これは、自己投影や夢と腐について紛議する際にリツイート先やリプライなどで個人の感覚を吐露しているものを読んで感じた点です。
別にその卑屈になった自意識を救ってあげたい♡だなんて思っていないです。他人の妄想の中ですら自己投影なんて恥ずかしいものだという価値観をおしつけて平然としていられる傲慢さは抱いたままそこに居て出てこないでほしいと思います。
ただそれを公開アカウントで言って突っかかられたときに悪気はなかったとは言わせないからなという
次に、「自己投影は恥ずかしいもの」という意識がなぜか根深く残っているのではと考えました。
冒頭に述べた、「夢じゃないけどキャラクターに○○したい、されたい」「夢作品は見るけど自己投影をせずカプ的な目線で見たい」という発言について、こちらで感じたのは
「なんでそれ夢じゃないと思うの?夢じゃだめと思う理由は?」です。
個人の感覚についてつっかかることの不毛さはわかってるけど、夢だと思ったものが夢でいいと思うけど
女審神者騒動のときにあった「創作審神者は夢じゃないからたたかないで」に似た悲しさを感じたというか
腐の界隈で「夢じゃないけど」の接頭語をつけないということは、「自分はキャラクターと恋愛がしたい身の程知らずの恥ずかしい人間」であるという烙印を押されると恐れているのではなんて勝手に想像している。
自己投影しているかしていないかなんて自分でもわからないような状態の人はたくさんいると思う
そもそもどうして自己投影しているかしていないか、自分の中でケリをつけなければならないかという
己投影しているかしていないか、そんな踏み絵みたいなクッソくだらない基準で二次創作でフォルダ分けをすることが一番くだらない。
最後に、何度目の指摘かわかりませんが、あまりに夢界隈を知らなすぎるというのではという推測をしています。
夢小説とは何かと考えるきっかけになった記事を紹介させていただきます。
http://makun0uch1.hatenablog.com/entry/2016/11/26/222114a
結論というか願望としては、自己投影しているかしていないかという区分けの撤廃と、夢に関しての無神経発言が許されるような風潮がなくなったらうれしい。
個人サイトな。あぁ、わかる。俺も既に黒歴史と化して閉じてしまったがぶっとびネットっていう無料でPHPが使えるレン鯖借りてやってた。
でもな、TwitterやFacebookが生まれてこない世界だったとしても、個人サイトの時代は終わってたんじゃないかなって思うんだよ。
そう思ってずっとずっとぶっとびネットのレン鯖を酷使していろいろなシステム(そんな大層なものじゃないが)を作ってた。
でもある時わかったんだよ。俺がこんなことやってても相手は企業で複数人だ。勝てるわけがない。
そうおもった時に、まずはブログに変えたね。更新が携帯のメールでできる。これには驚いたよ。当時の俺では実装方法もわからなかった。
デザインも用意されている。ホームページを作るのに2日ぐらいかけてたのにブログは10分でそこそこのものができあがる。もう、ぶっとびネットからぶっとびしたね。
手頃さっていうのはどうしても大切なんだ。
例えばさ、プログラミングの義務教育が成功して一人に一つはホームページっていう時代になったとしてもだ、多分、wordpressとかで済ませる人のほうが多いと思うぜ。
「全然怖くないよ」
「もう5年以上実名でネットやってるけど不都合な目に遭ったことなんかないよ」
「隠してるとオタクっぽいよ」
などと周囲の陽キャ連中から言われるのだが、今も頑なにハンドルネームを使っている。
理由は簡単で、自分自身がその日新しく知り合った相手をとりあえず検索して情報を漁ってしまうクセがあって、
自分が「他人は自分に興味がない」の反証になってしまっているので、自分以外の他人も裏で同じことをしていても不思議でないと感じてしまうからだ。
覚えてさえいればとりあえず調べてしまうので、2度目に会う時にはTwitterから最近の動向を知っていたり、
うっかりmixiやFacebookのガードをゆるめている人だと職場や趣味、出身校、生い立ち、過去現在の交友関係、
前略プロフとかの黒歴史くさいものまで一通り知っているような状態になっていることがある。
別にストーカーになりたいわけでもなんでもなくて、新しく知って興味を持った芸能人や作家のWikiやブログを読んでみるのと同じノリなのだろう。
名前くらいしか埋まっていないプロフィールカードを渡されたからとりあえず簡単に埋まるところをもうちょっと埋めたい、というような感覚。
少し探せば簡単に埋められるかもしれないパズルのピースを放置しておくのが落ち着かないというか堪えられないというか、まあ何かそういう性分のようだ。
何かを知ってこちらからどうこうするということはないし、知っていることを伝えたりすることは基本的にない。
そんなこと言われたらキモチワルイということはわかる。というか自分が言われたらいやだ。
ただ趣味とかの情報は話題を投げるときにややそっち寄りの話題を選んだり、これが趣味ならこの辺りも興味あるのでは?とアタリをつけて話したりはする。
「趣味:スノボ」という人に「随分寒くなってきましたね」から入るぐらい遠くからアプローチしてるから不自然さはあまりない……と思いたい。
検索しているとたまに成りすまし被害に遭っているっぽい人がいたり、明らかにネットで見栄を張ってストレスを発散していらっしゃる方もいたりするので、
結局はネットから得た情報は自分の中で半信半疑のまま、次回以降少しずつ確認していく感じをひっそり楽しむだけではあるのだけれど、
やっぱり二度目ましてだとおもったら自分の趣味嗜好や性格、過去の発言を一通り把握されている、なんていう可能性はなるべく潰しておきたくて自分がネットで実名を使う気にはなれない。
好きになった漫画があって、随分前にアニメ化もしていたと知ってそういえばやってたなーと軽い気持ちでアニメを見てみたらもう凄まじい勢いで原作改変されていて大変ショックを受けたことがある。
キャラのちょっとした言動が違うどころか根本的な性格設定から全部なんかズレてて、キャラによっては登場機会大幅減どころか存在抹消もザラで、オリジナル設定は出るわオリジナルキャラは出るわでどうしてこうなったのオンパレード。
それでいて一つの作品としては微妙にいい感じに纏まってるという。今でも「原作とは別物だけどアニメ単品として見るなら良かった」的な評価がちらちら出るタイプの作品というか。
ファンの間ではアニメは黒歴史がほぼ総意な空気になっているが、若干マイナー系の作品なのでファン界隈の外に出るとアニメの方が話題になりやすいのも地味に追い打ちをかけられている気分になる。
「一昔前の原作もののアニメって改変当たり前だったよね~」とは言うが、実際積み上げられた屍の一つのファンになってしまうと中々きついものがあるなと思い知った。
最近の原作ものも「作り手のこだわりが行き過ぎて結果ファンの大多数にとっては微妙な改変に」とか「シナリオベタ移植でオチも何もなく来ない二期を待つぶつ切りEND」とか色々問題はあるが、
キャラや設定の外側は同じな癖に中身は全くの別物に改変なパターンがめっきり減った(ように見える)ことは良かったよなあと、そのことだけは素直に思っている。
あと例え改変されていたとしても原作ファンの「これ改変だから!」という声がすぐ上げられるようになった、見られるようになった環境は本音を言えば結構羨ましい。
キーワードを挙げると
・意味不明
・支離滅裂
・荒唐無稽
・腑に落ちない。
・雑
・コピペ
・つぎはぎ
・取ってつけた感
・脈絡のなさ
ふつう、物語があって起承転結するわけで、それに沿って必然性のある演出、展開、エピソードがある。だから腑に落ちる。
なんだけど、ラブライブは、経緯、エピソード、演出、情緒、といったものがクソ。
キャラクターと歌自体はまぁまぁだとは思うが、???が多すぎてそれらが全部吹っ飛んでる。自分の中で。
意味不明すぎてうまく言語化できていない。すごくモヤモヤして、腑に落ちなさだけが残る作品だった。
言いたいことや違和感の詳細は、だいたいこの批判記事に書かれていて腑に落ちた
劇場版ラブライブ!批判考察① http://anond.hatelabo.jp/20160221211019
劇場版ラブライブ! 見てきたけどマジでクソ映画だった:オタクマガジン~黒歴史の向こう側へ~ - ブロマガ http://ch.nicovideo.jp/hirasawa_yui/blomaga/ar811153
たとえば、ニチアサ、戦隊モノやプリキュアっていうのはアタマをカラッポにして楽しむことができる。無意味なシーンやエピソードがない。子供と遊ぶような、それはそれでロールプレイして楽しむことができる。ラブライブはそういった類の楽しみ方もできない。
たとえばインドの踊りまくる映画とか、ハリウッドのB級映画とかの「考えるな、感じろ」系の作品は、たしかに同じ馬鹿なら踊らにゃソンソン!的なノリで見れば楽しむことはできるんだが、ラブライブはそういう楽しみ方もできない。一貫したものがないから。
けいおん!もあずにゃんが出てきたあたりで視聴挫折している。甘ったるい間延びした空気感に耐えられなくなって、視聴モチベーションの灯火が消えた感じ。
ラブライブを楽しめている人ってどういうノリなのか?わからん・・。楽しみ方の作法を教えてほしい。というかワイはアイドルアニメ、音楽部活アニメに向いてないのだろうか。ワイも老害になったのだろうか。
このブコメが腑に落ちた:
ラブライブ、基本的には好きだけど、一貫性のある物語や精緻な人物描写の「力」を信じている人には、それがなくてもあんなに売れちゃうんだーみたいな絶望感のある作品だと思う - heavenward のコメント / はてなブックマーク http://b.hatena.ne.jp/entry/257185110/comment/heavenward
ワイは、整合性が取れていないものに対して敏感に嫌悪を催すタイプなのか。脳内でコンパイルエラーを起こすから。整合が取れていないものを発言したり受け入れたりする人が生理的に受け付けられないなぁ・・。
でもアイマスアニメは、まぁまぁ全部みて楽しめたなぁ。あれはちゃんと「完成」されている。王者の安定感がある。単なる「記号」ではなく「人格」としてのキャラ立ち・個性が表現されていて、困難と努力のリアリティがあり、これぞアイドルプロデュースといったところ。ただ重課金ビジネスは嫌い。ラブライブは「人格」が弱い・・。
アイマス信者でもない。アニメやってたから見ただけ。ゲームやったこともない。
艦これのテレビアニメ版も、シリアスにしたいのかギャグにしたいのか支離滅裂で意味不明、最後の作戦も蛇足すぎたし、かなりのクソだったが、ラブライブはそれよりもさらに下を行くクソさ。
※ただ、艦これは映画でシリアス一辺倒路線で吹雪編(?)の締めをしていて、それはそれでまとまった作品になっていたので、評価は上がった。
仮に俺がお金を握っている立場だったら、脚本家や演出家に給料を出したくない。
でも悲しいけどこれってビジネスなのよね。売れればいい。それだけだ。
数合わせなのか気まぐれか分からないが、同僚から合コンに誘われた。
俺にとって初めての合コンなので、気合を入れて2万円くらいで上下の服を揃えて臨んだ。
いざ合コン当日になって4人の女の子と会ってみると、かわいい雰囲気のある子達だった。少し場慣れしている感があって残念な気持ちになったけど、一人でもデートに誘えればいいなと思った。
A子B子C子D子とすると、A子は上品さが溢れていて、B子C子はアウトドア系、D子はかわいい服系?よく分からんがこんな感じだった。第一印象ではA子が一番良かった。
幹事の同僚が少し洒落た居酒屋へ7人を誘導する。料理の味はそんなに良くなかった。しかし同僚が反省会で言うには、味は関係なく、雰囲気が最重要らしい。
男と女がそれぞれ一列になってテーブル席に座った。間接照明がある居酒屋はなんだか居心地が良かった。女の子達もリラックスしている様子だった。
しかしいざ話し出すと、様子がおかしい。女の子達から俺たちへの興味が感じられなかったのだ。
幹事の同僚は盛り上げ上手ではあるものの、少し奥手で実は半分くらい人見知りな面があるらしい。仲良くなるにつれて居心地が悪くなると言う意味のわからないことをボヤいていた気がする。
それに気づいたのか分からないが、女の子達も次第に笑顔が少なくなっていく。こうなってくると、残りの男3人で盛り上げなくてはならなかった。
しかし俺は、盛り上げるということが分からなかったから、ひたすらテンションで乗り切った。何回もウェーイと言った。黒歴史とはまさにこのことだろう。
しかしそのテンションのおかげか、A子のラインはゲットすることができた。不幸中の幸いだ。
しかしまたもや、A子からは素っ気のないラインが返ってくる。俺への興味がまるでなく、およそ1時間ごとに送られてくる返信に、俺はゲンナリした。
恋愛とはなんと面倒なことだろうと思った。デートに漕ぎ着くことすら遥か先にあって、霧がかかっていた。もはやゴールがどの方角かすら分からなかった。
正誤表
×「百式」→「100SHIKI」
○「medtoolz」
○「dankogai」
?「すべてをしるもの」
?「すべしる」
○「ふぁぼったー」
○「Twit」
?「100フォローすれば景色が変わる、1000フォローすれば世界が変わる」
×「kyoujinくん」→「きょうじん」
○「ついったん」
?「私はコンテンツじゃない!」
×「nursery☆ryhme」→「Nursery Rhyme -ナーサリィ☆ライム-」
○「ワンカップP」
×「初音ミクが来ない♪」→「初音ミクが来ないのでスネています」
○「組曲『ニコニコ動画』」
○「ひぐらしのなく頃に」
×「要は勇気が自己責任」→「要は、勇気がないんでしょ?」
○「ファック文芸部」
×「僕らはインターネットに夢中だったし、インターネットは僕らに夢中だったし、その日々を黒歴史として貶めてはいけない」→「僕らは全力でインターネットしたし、全てをなげうってインターネットしたじゃないか。」