はてなキーワード: 意志の力とは
とあるデブが筋トレしてて毎日twitterでその報告をしてた。
そいつは、筋トレを始めたばかりなのに己の独特の筋トレ理論を熱く語っていた。
そしてたとえバカにされようが俺は正しい、意地でも筋トレを続けるみたいなことをtwitterで吠えてた。
そのときは周りの人間もえらいぞ、頑張れ、などと声援を送っていた。
どう考えても身の程知らずがやりがちな継続性皆無のやり方だった。
三人ともゲスなので、自然とこのデブについて賭け事をすることになった。
筋トレがずっと続くかどうかという点についてはどうせ挫折するという意見が一致して賭けが不成立。
仕方がないので、このデブはいつまで筋トレを続けられるかで賭けをやった。
俺はいくらこのデブがダメ人間でも1月末までは続く方に3000円相当の優待券を賭けた。
他の二人は絶対に無理の方向にそれぞれ2000円ぶんの優待券をかけた。
結果としては俺の惨敗だった。
恥を知る人間なら1か月くらいは続けるだろうとおもったのが間違いだった。
これほどまでに口だけ威勢がいいが中身ゼロの人間を今まで見たことはなかった。
エッチだからどうだとかタイツを履いている人間は精神がエッチだとかそういうことを言いたいんじゃないぞ
シミがあったり、太かったり、毛が生えてたり、とにかく誰の足にも多少の瑕疵はある
それを覆って隠して均一に美しくしてくれるわけじゃん タイツはさ
全部黒い布地に覆われて汚さは見えなくなり、圧で脚全体がちょっと細く見え、黒さによってさらに細く見えもする
太い脚の方が好きな人もいるだろうが、太い脚がタイツに詰まってる姿もそれはそれでいいので無問題
マジでタイツはすごくて、俺みたいなキモ・オタクが履いてもけっこうエッチな感じに見えてしまう 自分の脚でシコれてしまう!
だから「タイツをエッチな目で見るな」はちょっとどうかと思うんだよな
面と向かって「エッチだね…w」とか言ってくる奴はアウトだが、心の中で思うのはいいじゃん
いいっていうか、エッチだと思うのは反射だから意志の力でなんとかなるもんではない
俺は実生活では性欲の表出を抑えて生きていて(表出するとキモいので)、周囲にも「性欲なさそう」「女に興味ないでしょ」というようなことを時々言われるからある程度うまくやれてると思う
信号待ちの女子高生の後ろを通るときとか、タイツだとちょっと見てしまうわけ
ジロジロ見るワケじゃないぞ 認識した瞬間の、気を抜いている一瞬、自動的に視線が脚に行ってしまうんや
そしてヤベっと思って目を離す
そういうことなんだ
そして思うんですけど、タイツを表に出さないといけない社会が悪くね?
タイツはただの防寒具!って言うけどさ、それならズボン履いた方がいいじゃん絶対
スカート+タイツってスタイルが防寒性を求めるには非効率じゃん 脚を守りたいなら出さなきゃいいし、なんならズボン+タイツってすげーあったかいじゃん 俺もモモヒキ履くと超あったかいよ
172cm : 35歳:男:
その3年後 : 68㌔(+13㌔)
ダイエット(2回目)開始から半年後 : 58㌔(-13㌔) <――今ここ
(追記)
一番大切なことを忘れていた
徐々に食べる量を減らしたり、バランスを考えたり、筋トレの習慣をつけていって
とにかく脳をだまして(順応させて)、“それが普通”というサイクルをつくっていくのが重要。
読者の反応がないから筆を折った人のツイートを見たけど、ああいう人って基本的に運がない。というか使えてない。
努力が足りないんじゃなくて『運が使えてない』。
小説に限らず『売れない・人気が出ない・反応がない』ものは、全て運を使えてない人が作ってる。
例の人も多分そう。
圧倒的に運を使うのが下手。
異常な売れ方をする人は、運の使い方が上手い。
彼らは知ってか知らずか、運を上手く使って、普通では乗ることができない強い時代の流れに乗れる。
言うなれば最初から有能なクルー付きのヨットを持ってるみたいなもん。
自分で運転しなくても、時代の流れ(=風)に乗って勝手に進んで行ってくれる。
それに対して例の人は一人乗りの手作り筏に乗ってるようなもん。しかも手漕ぎだから流れをうまく制御できない。
でもこういう手作り筏に乗ってる人は大抵すごいエンジンが積んである。そして、例の人はそのエンジンを使えていない。
じゃあエンジンを使うには?
自分がどうなりたいのか?何をしたいのか?目標を具体的に決め、結果に期待し、行動する。
始めたら途中で投げ出さない。これだけ。
つまり、自分の意志が、エンジン起動のスイッチになるということ。
時代の流れ(=風)の勢いが無くなってきても前に進めるから、自分の確固たる意思さえあればどこにでも行ける。
重たいエンジンを今にも沈みそうな筏にのせて、手で漕ぐのがしんどいからやーめた!状態。
エンジンさえ起動すれば楽に進めるのに。
運=燃料だから、意志の力でエンジンを起動すれば、燃料(運)を使って前に進める。
ちなみに運は毎日補充されるから燃料切れになることはそうそうない。
例の人はこれを読むことはないだろうけど、これからどうなるのだろうか。
きっとちがうよ
だって私は わたしが生きるために あの人に生きて欲しかったんだから
それはきっとちがうんだよ ちがったんだよ
それはきっと あいなんかじゃないよォ…
某所より気になった感想を抽出し、思いついたことを書いていく試み
171 ななしのよっしん
2018/09/30(日) 13:48:11 ID: f8xlQvMm3b
あさひもしょうこも(てかこの作品のほぼ全員)私が生きるためにあの人に生きてほしいを地でいくキャラだったからあの結末は残念でもないし当然
あさひはこれからのこと考えると可哀想だがしょうこは裏切ったうえに盗撮までして友達の私を信頼してはほんと無理だったから死んでよかったよ
173 ななしのよっしん
2018/09/30(日) 15:30:33 ID: 6m5ZAUyP0F
友人思いのあつかましさや正義感が仇になってさとうを裏切り殺されたしょうこ
大人の女性からセクハラを受けまくって気が狂いしおからも見捨てられて廃人化した太陽
元からの変態性に加えさとうを詮索してやり込めようとして失敗し逮捕された先生
DVを受けていたとはいえしおを拒絶して全ての元凶になった母親
絵のモデルとしてさとうを招きしおに対するさとうの気持ちを察するや自分の望むさとうでなくなることに怒り、手を挙げて殺された部屋の主
さとうと愛の形で対立しつつも結局最後までさとう達に協力して逮捕された叔母さん
必死に妹を思い自分と自分の母親の元で幸せに生きさせようとしたが、最後にはしおの心を完全に奪われたあさひ
愛の形を証明し心中を受け入れるも、結局しおを生きながらえさせて、しおを自分の愛の結晶としてこの世に残すことに成功したさとう
幼児退行や記憶障害は治ったが、さとうの愛に完全に共鳴して強い意志を持って傾倒する狂人となったしお
全登場人物で本当の幸せを掴んだのは実はさとうだけかもしれない、しおは客観的に見ると環境が災いして人格を塗り替えられた不幸な子だと思った
182 ななしのよっしん
2018/10/01(月) 05:10:48 ID: CEiFINjjYU
一見人魚姫みたいで綺麗な終わり方だけど冷静に見ると、さとうがおばさんにされて嫌だった「愛ってこういうものだよ、とても素晴らしいよ」の押し付けを結局しおにも繰り返してるだけっていうのがなんか考えさせられる
表面は綺麗だけど、しおもかつてのさとうみたいに歪んだ愛の価値観に縛り付けられて生きると思うと…
185 ななしのよっしん
2018/10/01(月) 11:23:57 ID: VrrOXonf2W
しおはさとうの愛で満たされてるけど
190 3543
2018/10/02(火) 09:27:55 ID: PTz4syDQ1u
こういう話は因果応報とは無縁の話だと思ったら、しお以外は因果応報の形になったのが意外。だが単純に法とか、一般的な善悪道徳を元にした勧善懲悪の因果応報じゃないのがミソだな。
だから、普通なら報いを受けそうにない立場のしょうこも、勝手な「ごく真っ当な価値観」のままさとうに迫り、信じると言いながら結局目を逸らしてしまったことが、致命的な罪となって、その裏切りの報いとして死んだ。
単に犯罪したからだけじゃなく、自分の価値観を押しつけ続けて相手を碌に見なかったり、何より愛に真摯じゃないキャラは報いを受けた訳だ。
しおに関しては、さとうと限りなく噛み合っていたが、共犯者の面もあるし、最後に庇ったさとうの愛が本当の愛なのかしおへの裏切りなのか、あの結末が救いなのか呪いなのかわからんのはいい感じだと思う。
206 ななしのよっしん
2018/10/15(月) 17:02:35 ID: MYkV3cCihu
さとうはあらん限りの意志の力によって、
ある意味、恋の夢である「愛する人とひとつになる」を実現してしまった
人間の精神が分割できないindividual(個人)という見方は社会的な事務上のフィクションで、
内面には複数の「分人」がいるわけで、その一つとしてミニさとうがしおの人格にインストールされた
だが本当に恋の夢が実現されたとしてそれは本当にいいものなのか?と思わされる
意志の強烈な輝きと同時に、それがもたらす災厄も描かれてる
強い意志というのは、結局高確率で目的を果たす魔力はあるけど、被害も生むことを示してる
214
2018/11/14(水) 00:15:54 ID: DvW+BJx4zX
この作品、ほぼ同時期に映像化(向こうは実写化だけど)された監禁モノ作品と決定的に違う所がある
これこれこういう可哀想な目にあったから容認すべき・同情すべき、という風な作品のトーンにしてない。あの純真そうなしおちゃんも含め、出てくるキャラが(一部以外)殆ど全員自分のエゴの為だけに動いてる。
さて、感想
「わたしが生きるために あの人に生きて欲しかったんだから」という叫びで自らと登場人物すべての罪を糾弾したこの言葉
では、いったい何が愛だったのか、どうすれば愛だったのか、愛は何故減るのだろうか(ニヒリズム)
「お互いの事を思いあい、助け合い、真に理解しあう」が、「プロレスは本気で戦っている」と同様のお約束であることは肯ずるところだろう
富めるときも貧しきも、病める時も健やかなる時も、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います。
本作でも繰り返し述べられる誓いの言葉だが、やはり難しい
貧すれば鈍する、衣食足りて礼節を知る
満たされない人間が愛についての理想を掲げ、存在しないものを追い求める様は悲喜劇的である
残念ながら、愛というのは幻想入りしている
では何が存在するのか、現実・日常に耐えられるだけの実在性を担保できるのか
逆説的だが、まさにそれこそが愛、つまり個々人の中にしか存在しない幻想だと思われる
「相手は分かってくれくれるかも知れない」「自分を救ってくれる誰かがいるかもしれない、そんな時が来るかもしれない」「これこそが愛の本質なのかもしれない」という期待、幻想、思い込み
それに従って相手を志向し、期待し、求め、望み――そして、拒絶され、断罪され、絶望する
その果てに関係性を何度でも再構築し、自分自身の幻想・信念ですら変えていく
自分に合わせて現実を変えるのではなく、圧倒的な実在性(=他者性)のある「現実世界」に打ちのめされ、変わらされていく
他者論という観点から見れば、「誰にも否定されない絶対的な真理」を作り出すことは不可能である。一方で「他者」は、単に真理への到達を妨害する忌むべき存在というわけではなく、「私」を自己完結の孤独から救い出す、「無限の可能性」でもある。いかなる哲学、科学、数学を作り出しても、必ずその外部から「違う」と叫び叩き潰してくる、理解不能で残酷な「他者」が現れる。「他者」が現れるからこそ、自己は自己完結して停滞することなく、無限に問いかけ続けることができる。
然し、真理といふものは実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間は人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。
(中略)
もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。
私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。
――坂口安吾「余は弁明ス」
「人間の精神が分割できないindividual(個人)という見方は社会的な事務上のフィクションで」
という言葉が正鵠を射ているように、人間はそれ単体で存在し得ない
人のすむところ。世の中。世間。人が生きている人と人の関係の世界。またそうした人間社会の中で脆くはかないさまを概念的に表すことば。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
永遠に求めるが手にし得ないものを、その霊台方寸のカメラにおいて捉える故に、他者を必要とし、そしてそれに打ち倒される
揺るがない物理的存在としての肉体がその繰り返しを支え、人を生き長らえさせている
今日、愛の不在を叫んだ神戸しおも、その10年後には同じ気持ちでいるかは分からない
「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」は、決して絶望の言葉ではないのだ
BPDの症状が年齢経過で落ち着いてくるということと似ており、時はすべてを均してくれる
凡人に身をやつすことは、救いでもあるのだ
脱臭方法を書いたら「出来ない。疲れてるから」が散見されたので、俺のHackを共有する。疲れてるおっさんの知見になると良い。
かく言う俺も、過去にはモノが多い汚部屋に住んで、郵便受けはグシャグシャで、休日は一日中ゲームして、みたいな生活だった。カネは無いし、時間もないし、イライラしてた。今思えば、カネの使い方、時間の使い方だ。
人は変われる。俺が出来ることは、あなたにも出来る。未来は変えられる。
ダ行の言葉って……。
せっかくだから俺は「出来らぁ!」を使うぜ。
「『出来てる人がいるんだから、俺にも出来るはずだ』と思ってたら、俺にも出来たよ」
と言った先輩。感謝している。
いや、もっとかな。以前使ってたガラケーに禁煙日数を数えるアプリ入れてたんだけど、iPhoneにしたから分かんないや。
良くタバコを止めるぞ、とか言って3時間後には吸ってるなんて人がいるけど、意志の力だけじゃどうにもならないと思うんだよね。
それなりの手順って言うか、段階を踏んだ方が良いと思うんだ。
ちゃんとメリットが判るように、書き出した方が良いと思うんだ。
出張先で喫煙所を探す手間が省けるとか、タバコ代が月に幾ら節約できるとかさ。
何時も好き勝手に吸うんじゃなくて、タバコを吸うのにひと手間かかるようなルールを作れば、吸う本数が増えないと思うんだよね。
俺の場合は、家でタバコを吸ったら都度灰皿を洗う事、タバコに火をつけるのにライターじゃなくてマッチを使う事、ってルールを作った。
マッチはあんまり関係なかったけど、灰皿を洗うのは面倒が増えて良いかも。一本でも吸ったら洗うんだよ。
急に本格的な禁煙すると、きっと体に悪いよ。出社してから昼休みまでとか、時間限定で禁煙してみるとどのくらい苦しいとか、判るから良いんじゃないかな。
プチ禁煙で、頭がガンガン痛むとか、手が震えて何もできないとか、尋常じゃない症状が出たら禁煙外来をお勧めするよ。
禁煙するって言っても、平日に禁煙を始めるのは無謀だと思うよ。いつもの休憩時間、喫煙コーナーに行って缶コーヒーだけ買って、タバコを吸わないでいると
喫煙仲間から「あれ、どうしたの」とか言われて、禁煙始めたのを告白する破目になるよ。知ってると思うけど、タバコを吸う人は、禁煙には協力してくれないよ。
だから禁煙を始めるのは休みの日、出きれば3連休以上の休みの時に始める方が良いよ。それと禁煙を始めると、それまで喫煙していた時間を持て余すから
時間のつぶし方も考えておいた方が良いよ。
禁煙を始める日が決まったら、準備を始めるよ。俺の場合は、ミンティア各種、禁煙パイポ、電子タバコを買っておいた。ニコレットも買っておいたけど使わなかったな。これは要らないかも。
あと禁煙開始前までに、タバコを全て吸うか捨てるかしておく、灰皿は洗って仕舞う、マッチも捨てる、ライターも箱に入れて仕舞っておく。
まあ、普通に吸いたくてイライラしたりするよ。そんな時はミンティア齧って深呼吸して誤魔化そう。吸いたいって思っても、そんな気持ちは1分も持たないからさ。
口が寂しくなったら電子タバコとパイポが有効。咥えっ放しは止めた方が良いよ。タバコを吸いたい気分が収まったら、電子タバコもパイポも止めよう。
1週間くらいすると、社内なんかにも禁煙してるってのが広がってくると思うよ。そうすると「タバコあげるよ」とかちょっかい出してくるヤツが出てくるから、ヘラヘラしながらかわそう。
肺気腫か肺がんになって死ぬ負け犬野郎がなんか言ってる、と思えば腹も立たないでしょ。
あと、禁煙から1週間もするとニコチンは完全に抜けてるから、ある意味禁煙成功だよ。
禁煙から1か月もすると、体調も良くなってきてるんじゃないかな。肺活量は30%くらい回復するなんて言われてるみたいだから、以前より運動しても息切れしないと思うよ。
ここらあたりになると、タバコ止められたから1本だけ吸っても良いんじゃないかな。また止めるし。なんて気持ちが出てくるかも知れないけど、1本吸うと元に戻ると思うよ。
俺は同僚と一緒に禁煙始めたけど、同僚は3か月くらいでリタイア。仕事のプレッシャーでイライラして、つい1本、って思ったけど1本じゃ終わらなかったって。
禁煙して2年とか3年しても、時々吸いたいって欲求は来るんだよね。ミンティア齧って深呼吸ってホントに効くから、これで乗り切れると思うよ。
がんばってんみて。
> 星を集める人気コメントと同じようなことを考えているときはたしかにホッとする。
> 正反対のことが書かれていても、自分にかかっているバイアスに気づくきっかけになってハッできる。
まさに似たような日記書こうと思っていたところだけど、自分の場合は気持ちを大事にするっていうよりは、
朝いちばんにランキングを開いて一日中チェックしてなんなら元記事も見ないで「おっまたこの人だな」みたいになってる自分が中毒者みたいで辛くなったから。
気持ちいいことが書いてあって、悪いことは誰かがフルボッコしてくれて、しかも自分で言語化する必要すらない。
どんどん自分で思考して言語化する能力を失っていってそれが良くないって分かってても時間を埋めるのにちょうどよくてやめられなかった。
でもブクマアプリって死ぬほど時間とバッテリーを使うし、そのくせ見返すわけでもないブックマークの内容なんて何も記憶できてない。
エンドゲームの話をさせてくれ。
今日からネタバレ解禁って公式に言われてるけど、まだの人は読まないでほしい。
なるべくネタバレしないように直接的な単語やシーンの詳細は極力出さないように頑張る。
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以下ネタバレあり
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エンドゲーム良かった。
「ブラックウィドウとホークアイの例のシーンは、あまりに前時代的なんじゃないか」という意見をちらほら見かけた。
男性の物語のために女性が搾取されたのではという、いわゆるフェミニズムの人の発言だ。
前置きしておくけど、感情的だったり盲目的じゃない。あくまでそう受け取ってしまい悲しい、というような語り口だった。
でも、あれを今までの男尊女卑の文脈から生まれたものと読むのはひどい誤読なんじゃないか?
これまで、そして本作において、ブラックウィドウとホークアイの関係は、友情や相棒のそれとして語られてきた。
今作でも二人は対等に友人であり仲間だった。それは観たみんながそう感じてたと思う。
そして、ブラックウィドウは今までの流れの中で、自分の居場所を見つけ、そして奪われ、自分に何ができるか考えてきた人物だ。
それは今作の序盤、キャプテンアメリカのとの会話シーンからも読み取れる。
彼女はすでに、自分が何をすべきか覚悟ができていたように思う。
一方ホークアイは、自分の家族を奪われ、それに絶望した人物だった。
ホークアイは自分の家族に強い未練があって、それはテストトラベルのシーンで十二分に描かれている。
そうして自暴自棄になった彼が何をしていたかは作品内で語られる通りだ。
もちろんホークアイも仲間以上のものをアベンジャーズに感じてたと思うが、ブラックウィドウにとっては、アベンジャーズこそが家族だった。
どちらも家族を取り戻したかったが、彼女はヒーローとして、長い間考え、覚悟を重ねてきたのだ。
その想いの強さこそが、彼女があそこで発揮した力の源だろう。
それに……ブラックウィドウは、ホークアイのことも家族だと思っていたし、彼の家族のことも愛していた。
あの場において、目の前の人間のことを100%思っていたブラックウィドウと、その場にいない家族についての迷いを残していたホークアイ、どちらが勝つかは明白ではないだろうか。
対等な人間同士の戦いに、意志の力と想いの強さで勝利した彼女の物語は、果たして前時代的なのだろうか?
あそこで勝敗を変えてしまったら、それこそ物語のために彼女を搾取することになってしまったんじゃないだろうか。
これを「女性が男性の物語のために犠牲になった」とみるのは、性別の枠に人としての行動を押し込めてしまうことに他ならないのではないか。
ブラックウィドウは能力だけではなく人として、とても強い人物だった。
性別に関係なく、人としてブラックウィドウの物語が描かれきったことに感謝しているし、こうやって一人の人物として女性が描かれる世界になってほしいと願う。
意志の力が生体構造を凌駕できるというならそういう人もいるで済むが人の体の構造は意志の力ではなんともならん
意思がどうであれそういう時期がくるとかそうすべき時期というものがある
制限がゆるくなり個人が選択できる幅が広くなったものを自由だとしてそれに選択肢があり対象も広くあるとすれば
それは性別においてグラデーションになるべきで男女の垣根は超えない
超えることができるとすれば肉体を改造するか肉体の機能を諦めた時になる
どこまでいっても女性は女性だし男性は男性で 機能はあるが使用しないを前提にするならそういう規約でもないかぎり
機内では発砲しないし、発砲をするつもりもないし、発砲してはいけないことを十分に理解していると言ってもやはり持ち込みは全面禁止になる
結果において性別を問うものではなかったという事象があったとしても逆説的に性別的な差はないものとする理由がない
性別にかかわらないと言うのであれば女性が活躍するために男性ホルモンを接種して生理をとめて身体能力を強化することになんら疑問を感じないはずだし
男性が職場環境に適すためと女性ホルモンを接種し服装を女性にして女性用の設備を利用することも問題ないはずである
仕事、賃金については平等であるべきだとするならばその素体について差が発生しない条件によるはずだ
つまり賃金があがらない理由が発生する場合それぞれの身体の基本的構造と労働形態の一致不一致があり差が発生するということだ
そういう局面の切り出しを行えばそうなるということだ
女性の給与が低いということについて女性の特徴が多くみられるから一概にそういう傾向であるという視野においてなら逆説的に女性であることを等価とできるだろう
そうでない場合はそうでないという傾向として一概に言える業界や職場もあるだろう
平等というものをそれぞれの差を埋めることで得られるものだとするとか多様性を認めることが平等であるということとするならば
それぞれが完全に別個で異なる条件をもっているものに平坦にフィットすべく完璧に不平等を施さざるを得なくなる
大きく出っ張った突起と低くくぼんだ穴が入り混じるでこぼこの壁を埋めるために平にセメントを塗ったとすると
セメントの厚みは薄い所と厚い所ができる
どのような局面においても平坦に平均を行える人造人間のような性別や身体構造を改造した人間でもないかぎり性別の問題も特徴の問題も一概にまずくくられてこそ平等を目指せる
もはや男女の性でも個の問題でもなくというのは身体構造を機能させたまま人間的な生活を希望する上で平等を模索することについて非常に差別的だといえる
タイトルからして胡散臭さ全開なのだが、自分で変わったなと思うし実際モテるようにはなったので、少しその話をしてみる。
国立大理系卒、IT大手企業の4年目の28才、年収600くらい、身長は170後半、顔面は中の下くらい(自称)。
出会いはなくはなかったがモテなかったし、あまり人を好きにもならなかった。
唯一社会人になってから1人だけ好きになった女性がいたが去年のクリスマスに玉砕した。
クリスマス終わって年末を実家で過ごしながら、あ、なんかこのまま俺の人生終わるのかな、と思ったら人生変えようと思い始めた。
「モテる」を分解すると、「魅力の向上」「機会の捻出」の2つがあると思っている。
「魅力の向上」を更に分解すると、外見的魅力と内面的魅力の2つに分けられるだろう。
「機会の捻出」を更に分解すると、つまりどんなチャネルで異性と会って潜在顧客にリーチするかという話なので、友達づてで出会う、マッチングアプリのようなプラットフォーム、結婚相談所のようなエージェントを通す、ストリートナンパするとかあがあるだろう。
この2つは商品開発におけるプロダクト開発とマーケティングの関係のようだと思っている。
つまり、良い商品が出来上がっていないときにいくらテレビCMをバンバン打っても売り上げは伸びない。
なので、まずは顧客にとって魅力的な商品を作り上げるべきだと思った。まず自分の魅力を向上すること最優先に考えてみた。
まずは分かりやすい外見の魅力について、いくつか要素に分けて考えてみよう。
ネタではなくマジである。イケメンだったらガリでも筋肉でもイケメンはイケメンだが、ブサメンであればせめて筋肉のついた健康的な身体の方が魅力的だと思う。
それに他の要素に比べ、やれば確実に身につくことをやらない理由がない。
とはいえ自分の意志の力だけでは確実に三日坊主になるのは分かっていたので、年始の1/1に思い立ち、その場ですぐにプライベートジムの会員に申し込んだ。1レッスン5000円で時間指定をしてトレーナーがトレーニングを見てくれるシステムで、さすがに1回5000円がかかっているのにサボろうという気には毛頭ならず、特別な理由がない限り週2で通い続けた。
体を鍛えるのは自分の内面にも影響を及ぼす。筋トレをしているとやればやるだけ確実に進捗を感じられるし、身体が変わっていくのが実感できるし、それが自信に繋がる。気のせいなのかテストステロンの分泌によるものか自信によるものかは分からないが、確実に自分の精神状態は改善され、筋トレ以外にも活発的で挑戦的になったと思う。
次にファッションをどうにかしようと思った。ダサいつもりはなかったが、いまいち大人っぽくないとは感じていた。
ここの改善方法に決定的な答えはないが、心構えとして自分で変えたなと思うところとしては、自分にとっての新しいファッションに積極的に挑戦するようになった。
例えば今までしたことのないジェルつけまくりの髪型だとか、眼鏡をやめてコンタクトにするとか、明るい色のコートを買ってみるとか、日常でもかっちりした服を着てみるとかだ。
それまでの自分の思いとしては、自分はそんなキャラじゃないとかいう思いでそういったファッションには挑戦してこなかったが、
この歳になると、「積極的に自分を変化させないことの方がリスクである」ということを強く思うようになった。
子供のころは歳をとれば自然と大人になるのだと思っていたが、大人になるには大人になるための努力、挑戦をしなければならない、と感じてきた。
(いや、自然と大人になれる人は大人になるんだろうが、自分のようなファッションセンスがあまりなく外見に自信にない人間は、という意味である)
これはファッション以外にも言えることで、「何かを変えなければ、今と違うものは得られない」ということを強く意識するようになった。
とはいえまあ明るいコートもジェルつきの髪型も自分は似合わないのだが、似合わないからやらないではなく、そういう自分もアリかもな(似合わなくて笑えるけど)、くらいの気持ちでファッションを楽しめると、楽しくなると思った。
今日の気分や天気やシチュエーションに応じて、自分のファッションを変えるのを楽しめると良い。
顔面をどうにかするには、整形するしかない。金さえあればできることなので、今お金をためている。
お金も頑張ればたまる額で十分整形できると思っている。二重の整形は〜20万でできるし、大工事するわけでもなければ、200万くらいあれば足りそうな気がしている。
また、整形が大部分だとは思うが、肌の綺麗さなんかは気にするようになった。
こっちも色々書こうと思っていたのだがそろそろ疲れた。需要があったら書く。
書こうと思ってた話は、主に恋愛工学勉強しようぜって話で、内面の魅力以外の話も含まれる。具体的には以下の3つ。
・好きになってもらうための要素6つ
・会話をモデル化する
ということをやってきて、ちょっとずつモテ始めて、自分に自信もつきはじめて、人生って楽しいと思うようになった。最近はとにかく人生が楽しい。
先週発達障害の特集をNHKでやっていた。身内にも30になってようやくADHDと診断された人がおり、今は投薬を続けている。いやほんと、遅くなったとは思うけど治療受けられてよかったと思う。
自分も精神科の簡易的なテストでADHDの「傾向アリ」と診断されたことがある。ただし治療するかどうかは微妙なところらしい。……いやわかるよ、「病気ではなく個性」「特性を活かせる仕事もある」「日常生活に支障が出てなければ障害と判断しにくい」「偉人のあの人も実は(ry」とかは。
でも仕事や大事なことは先延ばしにしちゃうし、意志の力で何とかできないのはこの数年でわかってるからさ、副作用あっても薬でスッキリするなら試してみたいじゃない? iHerbやスマートドラッグに手を出すよりは安心だと思うし、クズな考えだと思うけどプチ整形くらいの感じで治療を受けたい。
強大な意志の力で生活を是正しようとするのは無理だと思えてきた今日この頃です
そもそも強大な意志っていうのがないわけで、ないものをあてにして生活して、
それでも時々はきちんとした生活できてうれしくて、すぐに逆転していつも通りの生活になって自分を責めてしまう
カーテン開けて寝るとか画面見ないようにするとか食い物に気を付けるとかエトセトラエトセトラ、
そんなまどろっこしいことしなくてもきちんとした生活ができている人とおれとでは何が違うのだろうか
全国民が画一的に早寝早起き朝ごはんなんていうのは不可能というか不自然な命題なんじゃないかと思えてきた今日この頃です
どうすりゃいいんだ
うっ!って出そうになる生理反応と、まだ出したくない!キリのいいところまで待って!っていう欲望が交差して、ギュって竿を握っても時遅し、何回も味わった開放感と脱力感が来た。
でも、ヌきながらヌきたくないっていう意志の力が働いて、より一層竿を握る手に力を込めたら、出るはずのものが出ず、逆流した。
ああクソって思わずつぶやいたときには、もう止められない。尿道にたぶん精子が逆流して、異物感と痛みに便器の上で身をよじった。尿道を通るのは尿であり、尿は基本液体である。しかし、精子は液体であっても粘度が高い。それ故、もりもりと尿道をこじ開けながら逆流する感覚は、自分にとっては生まれて初めてで、おそらく竿から手を離すべきなのだろうけど、何もわからない未知の感覚による恐怖心から、体は逆に竿から手を離すことができなくなっていた。
10分くらいだろうか、いや本当は1分程度なのかもしれない。なんとか気持ちを落ち着けて、恐る恐る力んだ手を緩め、膀胱に溜まっていた尿で異物の排出を試みる。
尿を出したはずなのに、出てくるのは白いドロドロ。でも、しばらく後に尿は何事もなかったかのように出てきた時、ようやく安心できた。
これを見てる見知らぬ誰か。